中高生にもわかる日の丸君が代プチ問答集(3) (最後に追記あり)
- 2010/04/12
- 15:24
という文科省や教育委員会の方針はもっともだと思うのですが。
では、実際文科省(文部省)や教育委員会は国旗国歌についてどのような「指導」をしてきたか。その経緯を見ることにしましょう。
(日弁連ー前出の意見書、「10.23通達」廃止を求める東京第二弁護士会の会長声明参考)
学習指導要領には「日の丸君が代条項」というものがあります
1958(S.33)に指導要領は、『国民の祝日などにおいて儀式などを行う場合には、児童・生徒に対してこれらの祝日などの意義を理解させるとともに、国旗を掲揚し、君が代を斉唱させるのが望ましい』と改訂されました。
それでもこの頃の指導は今日ほど締め付けの強いものではありませんでした。
しかし、1977(S.52)の改訂で「君が代」が「国歌」と書き換えられ、徐々に指導は強まっていきます。(ちなみにこの時点ではまだ君が代は国歌であると法では定められていません。)
1985(S.60)文部省から」教育委員会に対し、『入学式、及び卒業式において国旗の掲揚や国歌の斉唱を行わない学校があるので、その適切な扱いについ徹底すること』と通知され、日の丸君が代の指導の徹底が図られました。
翌年の1986(S.61)には北九州の教育委員会が不服従の教職員に対し訓告懲戒処分を行っています。
1989(H.1)には、『入学式卒業式などにおいてはその意義をふまえ、国旗を掲揚するとともに国歌を斉唱するよう指導するものとする』と改訂され、更に「指導」は徹底化。
2001(H.13)には広島で卒業式で138名の教職員が訓告処分、入学式で77名の教職員が懲戒処分となっています。
2003(H.15)には東京都で、あの有名な10.23通達が出されました。
この通達は、日の丸君が代について校長の職務命令に従わなければ服務上の責任を問われることを通知したものです。
2004年に東京都教育委員長は都議会で、「卒業式で多数の子どもが国歌を歌わない、起立しないことは、教師の指導力不足であるか学習指導要領に反する恣意的な指導があったと考えざるを得ないので、処分の対象になる」と述べました。
さらに、同年6月8日には国旗国歌に関し、学習指導要領や通達に基づいて児童生徒を指導することを校長の職務命令として教員に出す方針を示しました。
つまり、東京都では、教師が君が代を歌わなかった場合だけでなく、生徒が歌わなかった場合にさえも教師に自動的に処分が下ることが避けられなくなったのです。
日の丸君が代の強制はどんどんエスカレートし、教職員の処分は格段に増えました。こんなに処分が出ることは異常なことです。
2003年、179名訓告処分
2004年、18名減給処分、96名訓告処分
2005名、4名停職処分、13名減給、28名戒告
また、東京都では、教職員が口パクしていないかと監視するため、わざわざ教育委員会から職員が音量測定する機械まで持ってくるような事態も発生しました。
「「日の丸・君が代」処分事例集」をごらんください。数の多さにびっくりです。
※現在このリンク先は終了しているのでこちらのキャッシュをご覧ください。
一部だけ抜粋しますので、リンク先から是非全文をお読み下さい。
◆村野瀬玲奈の秘書課広報室
国際儀礼とは国旗国歌でしか教育できないんでしょうか?
(引用開始)
国旗国歌に敬意を表するのはマナーであり国際儀礼であるという方がいます。一般的な意味ではまちがってはいません
(略)
でも、外国要人の訪日のとき、「不歓迎xxx」(xxxのところにはその要人の名前がはいります)てなことを書いたプラカードを持ってその要人が通ることになっている場所に行って、警備をかいぐぐってその要人が治める国に抗議しようとするある種のブロガーたちもいるわけです。形の上から言えば、そういう人たちにも、「それは要人に失礼でマナー違反である」とか「その要人の訪日に反対するのはいいけどそれをその要人の前でやるべきではない」と言うことだって可能なのです。
国旗国歌に関することだけマナー違反だとする理由はないわけです。権力者から言われたとおりに国旗国歌に敬礼しないのがマナー違反ならば、国賓として来日した人に「あんたなんて歓迎してませんよ」とプラカードを出して見せることもマナー違反になるはずです。笑
結局、「マナーを守れ」なんてどんな場面ででも、何とでも言えてしまうわけです。何かに異議を申し立てることは、適当にこじつければすべて「マナー違反である」と言うこともできるわけです。誤解されるといやなので言っておきますけど、「マナーなんてどうでもいい」という意味ではもちろんありません。ああめんどくさい。
(略)
国旗国歌によってそんな不自然な葛藤を引き起こす場面を教育の中に持ち込むことの疑問の方が大きいと思います。国際儀礼というのを教えるなら、別の教え方だってあるでしょうに。
たとえば、在日韓国・朝鮮人の歴史を理解して同じ市民としてこの社会の中に憎悪も差別もなくともに生きる、ということを教えることだって、立派な国際儀礼の教育です。
たとえば、犯罪者でもない外国人から日本入国のときに日本政府が指紋と生体情報を取るということをやめさせようとすることだって立派な国際儀礼であると言うことも可能です。
国旗への敬礼と国歌斉唱でしか教えられない国際儀礼の教育というものはありません。
(引用ここまで・強調は私)
実際、一般人が他国のものも含め国旗国歌の前に立つ事ってあまりありません。せいぜいスポーツの国際試合の時くらいです。
そしてご存じのとおり、そういう場面での国歌斉唱は別に強制されていないし、歌ってるかどうかだれかが監視してるわけでもありません。
外国人でも日本人でも、歌わずにぼーとしてる人、結構いますが、だれもとがめませんね。
これは日の丸君が代を強制したい人も言ってることですが、
「教育現場を一歩出れば、誰も強制などしないし、どんな態度を取ろうと、一般の人は眉をひそめるぐらいで、誰も咎めもしません」
そのとおりです
その程度の事なのです、君が代斉唱って(爆)
ですから、「国旗国歌に敬意を払うのは世界常識だから、それを身につけさせる指導をすべきだ。それに従わない教職員は厳罰をもって臨むべきだ」などと目をつり上げて指導する必要性は全然ないわけです。
この日の丸君が代問題で、自らの信条に反した行動を取らざるをえず、精神的苦痛を味わい、なかには鬱になった教師もいます。
社会に出れば君が代斉唱に対して「どんな態度を取ろうと誰も咎めもしない」のなら、このような犠牲を教師が払うだけの教育的価値がどこにあるでしょう?
また、もし他国の国旗国歌にも敬意を払うための教育だというなら、日の丸君が代だけでなく、他国の国旗国歌に敬意を払う「練習」をしなくてはならないはずですが、そんな「指導」は微塵も行われませんね。
それに、公立でなく私立の学校だと、卒業式に君が代を歌わないところが多くあります。
そういう私立出身の子ども達はみな、他国のも含め国旗国歌に無礼をはたらく狼藉者ばかりになっているでしょうか(笑)?
別にそうようなゆゆしき事態になってないことからしても、公立の学校で教職員の厳罰をもって「しつけ」に臨まねばならない合理的な理由はありません。
だいたい他国では国歌を起立して斉唱する教育を行うため、日本みたいに何かの儀式時に必ず教師も生徒も国家を歌うことを命令したりしてるでしょうか?
教職員がその命令に背いたり、あるいはその教職員の生徒が歌わなかったら「指導不足だから責任をとれ」として懲戒戒告、減給処分という厳しい罰をもって強いる「教育方法」をほどこしてるでしょうか?
もちろんそんなことしていませんね。(まあしているとすれば、どこかの独裁国家くらいのもんでしょう。)
でもそんな「指導」をしなくとも、他国では「国際礼譲」はちゃんと身についているではありませんか(笑)
もうこれでは、「国際礼譲をしつける云々」という口上はこじつけで、入学式、卒業式に日の丸君が代を無理矢理歌わせることが、自己目的化してると言わざるをえません。
だいたい卒業式って母校を巣立っていく卒業生を祝福で送り出す場のはずですが、いつから「国際礼譲を身につけさせる教育」なるものをスパルタ式にやらせる場に変わってしまったのでしょうか?
(http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-210.htmlもよろしければあわせて読んで下さい)
まあ百歩譲って国旗・国歌を尊重する態度を身につけさせる指導するのだとしても、このような厳重処分を持って臨むやり方、音量測定器まで部外者が持ち込んで監視するやり方は、手段としてとても是認できるものではないです。
教職員だって生活がかかっていますから、みせしめのように厳罰に処せられあるいは解雇された同僚達をみれば、逆らいたくても逆らえなくなるでしょう。
生徒だって、もし自分の意思で君が代を歌うの拒否したら先生が処分を受けてしまうとなれば、歌わないという意思を曲げざるをえなくなります。
まるで踏み絵ですね。
(http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-150.htmlこちらもお読み下さい)
恩師を人質にとって生徒に君が代を強いるような脅迫行為を、民主主義社会ではもはや「教育」と呼びません
(また、こんな方法をとるということは、文科省や教育委員会は子ども達はムチでぶたなきゃわからない犬畜生並みと思っていることにもなりますね。随分と子ども達をバカにした話です。)
結局、文科省、教育委員会がやってる日の丸君が代の強制は、国旗国歌への敬意をいだく国際礼儀を身につけるというより、日の丸君が代、そしてお上に歯向かうことの恐怖を学ばせ、権力に服従しなければ怖いのだ、ということを身につけさせてしまうだけです。
もう一度言いますが、これを民主主義社会の教育と呼ぶことはできません
従って現在の文科省の学習指導要綱や教育委員会の通達に基づく日の丸君が代に関する「指導」は、その必要性もないし、仮に指導するとしても指導の手段として是認することなどとてもでないけれどできないものです。
そして、村野瀬さんが仰るとおり、国際礼譲というのだったら、国旗や国家に対する態度を強要するよりも、根強くはびこる民族差別や排外主義をなくすような教育をするほうがよほど国際礼譲にかなう人間を育てる教育だと、私も付け加えておきます
【追記】
ちなみに、
『式時などで国旗国歌に対して敬意を表するのは一般的慣例ではあるが、そうしたくない人間に起立して敬意を表しろとか国家を歌えと強制してはいけない』
というのが「万国の常識」です(ちゃんとアメリカで判例もあります。ジダンはラ・マルセイエーズの歌詞が嫌いで歌いません。でもだれも文句言いません)
従って「国旗国歌に敬意を表するのは万国の常識だから、その常識を学ばせるよう君が代斉唱を強制するのは教育の一環である」というのは本物の「万国の常識」から外れていることになりますね。
(つづく)
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