コメント
原発賛成を主張してはダメなのか?
私は脱原発派ですが、原発賛成を口にすると「やらせ」呼ばわりするのは一種の陰謀論であり、また異論を封じ込める手法で非常な抵抗があります。
電力会社が原発賛成なのは当然のことですが、それも含めての公聴会でないといけない。
ただ単に反対派が集まって予定調和な結論ばかりを出す公聴会であってはそれこそ中立性が損なわれ、信頼が置けない一方的な会合と言われると思います。
賛成派も受け入れ、その中で論破していくくらいでないと、本来の脱原発にはなりません。
飛び入りの凡人さんへ
同じ意見の人だけが集まって、予定調和な結論を出すのはよくないですよねー。
ですから、天文学の学会でも天動説や地球空洞説を主張している人たちも参加させないと駄目ですよねー(棒)
Re: 原発賛成を主張してはダメなのか?>飛び入りの凡人さん
まず、この9人の中に二回とも電力会社の人間が入ると言うことがおかしいのではないでしょうか?
徳岡弁護士がこちらで指摘されていますが、
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/47f7b7973bd541e55f57e13b14a4b152?fm=rss
「東北電力や中部電力の管内からわずか9名が選ばれるだけなのに、ちゃっかり電力会社の社員が連続して入っている「奇跡」」は数学的に言って、天文学的な確率ではないですか?
次に、電力会社の人間は、会社を離れた個人としての意見など事実上言えない状況にあります。もしこうした聴取会で「自分は電力会社の人間だが個人的には原発には反対だ」などと言ったら会社でどういう扱いを受けるか想像に難くありません。
電力会社の人間は原発問題に関しては「市民」と対峙する一方当事者という立場なのです。そして電力会社の人間は、個人としての自由な意見表明することが事実上不可能な以上、市民と対峙する立場の一方当事者にならざるをえません。その一方当事者が「市民」の側に入って発言すると言うことは、被告が原告の地位も兼ねているようなものです。中日新聞の引用中にもありますが、「仮に推進であっても、(電力会社ではない)一般市民の声でないと納得できない」のです。
つまり「原発推進の意見を排除しろ」といってるのではなく「対立当事者である電力会社の人間の意見を市民の意見として取り上げるのがおかしい」といっているのです。これは陰謀論ではありませんね?
よろしければこちらもどうぞ
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/f912e7b81037c4855f317dc72f5430d4
電力会社の社員は駄目でしょう。
ちなみに電力会社の社員の発言は、「一人も死者を出していない」というものです。福島をフクシマにした責任をまったく感じていない発言です。これは言論による暴力です。
私は意見を変える気はまったくありません
あなたはとてつもない間違いを言っている。
科学的事実ですでに明らかになっている問題と、将来原発をどうするか、という個人個人の価値観による問題は同列では語れません。科学の世界ではこのあたりは明確にされています。
>秋原さん
それは電力会社の社員が力を入れて抽選に志願したんでしょうね。今の時代に正面切って原発擁護を主張できる豪胆な人はそうはいません。今回は賛成派も参加させるという条件のもとでの公聴会だったので、電力会社社員が選ばれることに違和感は感じません。
それと原発問題の当事者だからダメというのもおかしな主張です。
刑事被告人は当事者ですが、釈明の権利があります。jeanvaljeanさんにも合わせて反論しますが、それを言い出したら被害者も当事者になります。太陽光発電や風力発電業者も利害関係者になります。全部締め出さなければならない。
全員が同じ意見のようですので私のスタンスをはっきりさせておきます。
「関係者だから電力会社の社員はダメ」というのは「行政にたずさわる公務員に選挙権を認めない」のと同じくらいの差別です。
電力会社の社員も市民です。それを排除することの危険性にここまで無頓着なのに驚きました。
Re: 私は意見を変える気はまったくありません>飛び入りの凡人さん
(http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/f912e7b81037c4855f317dc72f5430d4より)
「事務局によると、仙台では意見表明を希望したのが93人で、0%案が66人、15%案が14人、20~25%案が13人だったそうです。それを9人で分けるなら、0%案が6~7人、15%案や20~25%案があわせてせいぜい2~3人でしょう。
名古屋で発言の意思表明した161人のうち「0%」支持は106人、「15%」が18人、「20~25%」は37人です。9人しか発言できないのなら、6人は0%の人、1人を15%、2人を20~25%から選ぶべきです。
「倍率」がまったく違うのに、機械、細野原発相は、抽選だから公正だと強弁しています。的に3対3対3ずつを選ぶという、すさまじい定数不均衡だからこそ、電力会社が発言権を確保できるわけですが、細野原発相は、抽選だから公正だと強弁しています。」
そもそも即時0%という選択肢もなく、最初から政府が用意したこの3つの選択肢しか用意されていないのかもおかしいですね。
最初から運営の仕方が原発維持へ誘導する気満々なのが見て取れるからやらせといわれるのではないですか?
加害者の立場の電力会社により多くの発言機会を与えるような運営の仕方は不公平、不公正ではないですか?
そしてそれを市民の意見として扱うことはおかしくないですか?
>刑事被告人は当事者ですが、釈明の権利があります。
だったら電力会社の釈明という枠を設けて電力会社にはそこで発言してもらえばいいのではありませんか?
飛び入りの凡人さんへ
仙台では3人の賛成発言者のうち2人は東北電力関係者、3人が東京都など首都圏在住者だったという事実もあります。とても公正とは言えません。
ちなみに政府は、今後のエネルギー政策について国民の声を聞くための意見聴取会に関し、電力会社の社員が意見表明することを認めないよう運営方法を改めることになった。(毎日7月18日)
それから、原発事故の被害者を、電力会社の社員と同じような当事者あつかいをするのは、被害者にとって酷過ぎると思います。
電力会社社員の発言の仕方が問題では
彼らは「会社の意見を表明」するのではなく、「原子力発電にかかわる一労働者として発言」すべきでした。
彼らには会社を代表する権限などないのですから。
それにしても、こういう発言を電力会社サイドからすれば、公聴会自体の正当性を疑わしめることになることは、子どもでも分かる話ではありませんか。
そんなことにすら思い至らない電力会社の幹部の不遜さと申しますか、思慮の浅さもいよいよ病膏肓に入った感がいたしますな。
そして政府がその理屈を用いるなら、現在国会の委員会質疑等で各党に議席数に応じて振り分けられている持ち時間をすべて平等に、同じ時間ずつにしないとおかしいんですけどもね。こんなときだけ『少数意見にも配慮を』と言い出すのはご都合主義ではないかと思います。
で。
意見表明者の中に電力会社の社員が含まれていた件については、原発推進という選択肢が絶対数として少数派である以上、そこに原発推進の当事者である電力会社の人間が(応募に制限をかけなければ)相当の割合で含まれること(言い換えれば今や原発推進は電力会社やその周辺の人たちが多く掲げている政治目標という事です)、そしてその結果発表者に社員が選ばれることは「起こりえる」事だとは思います。
公聴会としても、一般的に利害関係者から意見を聞く場である事から「利害関係の一方の当事者」である電力会社の社員から意見を聞くこと自体は、基本的には何ら問題ではありません。
参考→Yahoo!百科事典より 公聴会 http://bit.ly/NCXVC9
しかしいかにもまずいのは、今回の公聴会は「国民の意見を聞く」という趣旨(つまり電力の利害当事者=消費者である「国民」の意見を聞く)で開かれたものであり、当然運営する側としては「電力消費者としての国民」の意見を広く聞くことに意識を傾注させなければいけなかったはずです。
しかし「電力会社の社員(特に管理職や役員)には原発推進派が多い」であろうと推測が容易に可能であるにもかかわらず三つの選択肢の意見表明者を「平等に三人ずつ選んでしまった事」(これにより電力会社の人間が選ばれる確率が格段に上がりました)で、電力の「供給当事者としての国民(=電力会社の社員)」を選んでしまい、かつその発表者が「供給当事者として」意見を述べた事で、「消費当事者としての意見を政府が聞く場で供給当事者側の意見をことさらに聞かせた(言わせた)」という不満と不審を参加者の間に生んでしまいました。
これに昨年三月来の政府不信、政治不信、電力会社不信が加わって、「政府は公聴会にかこつけて電力会社の言い分を繰り返し周知しようとしている」「これで意見聴取はしたという口実で原発推進をおおっぴらにするつもりでは」という憶測を成立させてしまいました。
もちろん政府側とて、まさか選んだ人が「会社として」の意見を述べるなんて思ってもみなかったでしょうし、発表前に意見を聞いた上でそれを封じるということができるわけでもありません。ですがそのやりようはいかにも杜撰なもので、電力会社の社員も軽率のそしりは免れないでしょう。さまざまな無思慮と見通しの甘さと不幸な出来事が重なって、今回の「やらせ」が生じたのだと、わたしは思っています。少なくとも政府や電力会社が「わざと」このような間抜けな(そうとしか言いようがありません)行為に及んだわけではないように思います。原発推進に対する風当たりが強い事ぐらい、意見を集計した時点でわかっていたはずのことなのですから。…もちろんわかっていてなおかつやったという可能性がないわけではありません。そうだとしたら、わたしとしては呆れるより他に言葉がないわけですが。
つまるところ政府の杜撰な運営と公聴会の趣旨を理解しない電力会社社員の軽率と無思慮が、参加者やこの出来事に憤る人たちの神経を逆撫でしたのです。これだけ顧客側の怒りを買ってなお存続できる企業というのは最早独占状態を前提にしなければありえず、それこそ「民間ではありえない」独占状態が彼らの無神経さや傲慢さを支えているのでは、というのは昨年三月以降、繰り返し指摘されてきた事です。。
今回の事故を起こしたのは東京電力で東北電力や中部電力には関係ない、と考える方もいるでしょうけど、今不審にさらされているのはこの国の原子力行政、原子力産業そのものです。そこにコミットし利益をあげている以上、東北電力も中部電力も、もちろん関西電力も当事者なのです。まずはその自覚が電力会社には足りないのではないか、と感じています。
観測霊さんへ
「放射能の直接の影響で死んだ人はいない。」これも客観的な事実です。福島で苦しんでいる方からすれば、許しがたい物言いかもしれません。しかし、このような大きな政策を決める上では、そうした感情を排して、事実を客観的に整理することが必要でしょう。こうした事実を口にすることすら許さないとしたら、そんな公聴会に意味はあるのでしょうか?
どうにも、今回の問題で社員の方の発言を批判する方たちは、原発は絶対的悪である、という前提で全てを思考されているように私には思えます。果たしてそれでいいのでしょうか?
>一法学部生さん
>観測霊さん
> しかしいかにもまずいのは、今回の公聴会は「国民の意見を聞く」という趣旨(つまり電力の利害当事者=消費者である「国民」の意見を聞く)で開かれたものであり、当然運営する側としては「電力消費者としての国民」の意見を広く聞くことに意識を傾注させなければいけなかったはずです。
> しかし「電力会社の社員(特に管理職や役員)には原発推進派が多い」であろうと推測が容易に可能であるにもかかわらず三つの選択肢の意見表明者を「平等に三人ずつ選んでしまった事」(これにより電力会社の人間が選ばれる確率が格段に上がりました)で、電力の「供給当事者としての国民(=電力会社の社員)」を選んでしまい、かつその発表者が「供給当事者として」意見を述べた事で、「消費当事者としての意見を政府が聞く場で供給当事者側の意見をことさらに聞かせた(言わせた)」という不満と不審を参加者の間に生んでしまいました。
> これに昨年三月来の政府不信、政治不信、電力会社不信が加わって、「政府は公聴会にかこつけて電力会社の言い分を繰り返し周知しようとしている」「これで意見聴取はしたという口実で原発推進をおおっぴらにするつもりでは」という憶測を成立させてしまいました。
これがこの二回の公聴会の問題点の所在ですね。
>秋原葉月さん
いずれにせよ、やらせではないかという「推測」に基づいて、人が意見を述べる機会を得ること自体を非難することには、どうしても違和感を覚えます。普段は意見表明の自由に敏感な方々がそのような非難をされるのは、脱原発を絶対悪と見ているからに他ならないように感じます。
私は、橋下市長の憲法や法の支配を無視する発言は、法によってつくられ選ばれた地位にある者として許されない、絶対悪だと思います。
しかし原発の是非は、経済的な問題も無視はできない以上、やはり議論が必要でしょう。であるならば、議論の場では原発容認派にも、ひとつの意見として通常の発言の場が与えられてしかるべきだと思います。
>一法学部生さん
観測霊さんの言葉をお借りしますと、
『今回の公聴会は「国民の意見を聞く」という趣旨(つまり電力の利害当事者=消費者である「国民」の意見を聞く)で開かれたものであり、当然運営する側としては「電力消費者としての国民」の意見を広く聞くことに意識を傾注させなければいけなかったはず』なのに、『三つの選択肢の意見表明者を「平等に三人ずつ選んでしまった事」(これにより電力会社の人間が選ばれる確率が格段に上がりました)で、電力の「供給当事者としての国民(=電力会社の社員)」を選んでしまい、かつその発表者が「供給当事者として」意見を述べた』ことが問題だと私は言ってるつもりなのですが・・・
名古屋の公聴会では中電社員は一応個人として、とは言っていますが、仙台でのケースを見れば一般住民からすればとても「一個人として」とは受け止められないでしょう。
市民がやらせだと怒るのも当然だと思いますが、一法学部生さんは、市民の怒りは理不尽だとお感じですか?
はじめまして。
> 電力会社の社員も国民であり、公聴会で意見を述べる権利はあると思います。
はい、その通りだと思いますし、わたしも先の書き込みで同趣旨の事を申し上げています。ただあの公聴会では「推進の考えでも、一般の人の意見を聞きたかった」というのが参加者の思いでしたでしょうし、会の趣旨だったと思います。ですから件の社員は「公聴会の趣旨を理解していない」と申し上げました。
> 彼らの意見が「会社をとして」の意見であるとは、一体何を根拠にいっているのでしょうか?
東京新聞7月16日のネット配信記事です。元サイトではもう記事が消えてしまっていますので、魚拓をどうぞ。
http://bit.ly/NFITeU
仙台聴取会 騒然 発言者に東北電と原発推進団体幹部
2012年7月16日 07時11分
(引用ここから)
政府は十五日、将来の原発比率について国民の意見を聴く二回目の意見聴取会を仙台市で開いた。抽選で選ばれた九人の発言者の中に、東北電力や原発推進団体の幹部二人が含まれ、「原発が不可欠」など従来通りの主張を展開し、会場から批判の声が上がった。
聴取会は、政府が提示した二〇三〇年時点の原発比率(1)0%(2)15%(3)20~25%の三案に対し、抽選で選ばれた各三人が意見を述べる形式。この日は進行側の手違いで、0%案四人、15%案二人、20~25%案三人だった。
このうち、原発の新増設を前提とする20~25%案に対し、東北電力の(個人名削除)執行役員(企画部長)は「会社の考え方をまとめて話したい」と切り出し、電力の安定供給などを理由に、原発は必要と自社の主張を述べた。
また、原子力推進を目的に企業や商工団体などで組織する東北エネルギー懇談会の(個人名削除)専務理事(元東北電力執行役員待遇)は「政府の案は再生可能エネルギーを大きく見積もりすぎだ」と、原発の積極的な活用を訴えた。
広く国民の意見を聴くはずの会が一転、原発推進団体の会と化し、参加者からは「被災者をばかにしているのか」など非難の声が上がった。司会者が「お静かに」を連発するが、会場の怒りは収まらず、一時中断した。
会場にいた仙台市の男性会社員(35)は「推進の考えでも、一般の人の意見を聞きたかった」と憤っていた。
事務局によると、聴取会には百七十五人の参加応募があり、抽選で百三十人を選んだ。うち意見表明を希望したのが九十三人で、0%案が六十六人、15%案が十四人、20~25%案が十三人。
これほど差があるのに、バランスを取ろうとするため、0%を支持した人はいずれも宮城県の人だったのに対し、15%と20~25%案は東北電力関係者二人のほか、東京都の会社員二人、神奈川県の会社員一人と、いびつな発言構成となった。
(個人名削除)両氏は取材に対し、会社や組織からの依頼で応募したことを否定した。
政府代表として出席した細野豪志原発事故担当相は「抽選で選ぶので仕方ない。福島で開催するときは一般の県民の声が聞けるよう選び方を考えたい」と話した。
(東京新聞)
(引用ここまで。個人名削除は引用者)
東北電力の企画部長は「会社の考え方をまとめて話したい」と前置きし、所属も名乗ったそうです。ただ参加は個人の意思だという事なのでカギカッコ付きで「会社として」意見を言ったと書きました。
ただ、中部電力の課長についてはそのような前置きをしていませんでしたのに、ひとまとめに書いてしまったのは確かに軽率でした。その点は謝罪します。申し訳ありませんでした。
> もし個人として心から述べた意見でも、原発容認であれば会社の犬扱いされてしまうのでしょうか?
わたしは件の電力会社の社員を軽率だと批判はしましたが、「会社の犬」などと申し上げたことはないですし、そういう意図で批判していたのでもありませんよ。わたしの書き込みのどのあたりがそのように読めたのでしょう?ご提示いただけるとありがたいです。
> 「放射能の直接の影響で死んだ人はいない。」これも客観的な事実です。
わたしはこのコメント欄で批判していたのは公聴会の運営方法や、電力会社及びその幹部社員の当事者意識のなさです。具体的な発言内容には言及していなかったと思いますし、ましてや「事実を口にすることすら許さない」などと申し上げたことはないと思いますけど。
わたしの書き込みのどのあたりがそのように読めたのでしょう?ご提示いただけるとありがたいです。
ブログ主の秋原さんも具体的な発言内容を上げて批判したのは別エントリでのお話で、わたしもそちらのエントリでコメントしていますので、議論されるならそちらへ書き込まれるべきだったかと思います。
> 秋原さん
> どのような公聴会の運営の仕方が一番良いのかは何とも言えませんが
どうも具体的な提言がない書き込みで申し訳ないです(^_^;)実際、わたしもじゃあ政府や電飾会社社員はどうしたらよかったのかというとうまく言えないのですが、政府は「『電力消費者としての国民』の意見を広く聞く」という公聴会の趣旨を貫徹するには「電力供給者としての意見」を述べ始めた時点で「そのご意見は本日の会の趣旨にそぐわないのでご遠慮ください」と止めるか、あるいは抽選段階で排除すべきだったのかもしれません。
社員については、「自重してほしかったな」レベルの対処しか思いつきません(^_^;)
難しいところですけども。
その論争は…
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20120717/p1#c
私も、電力社員が立て続けに選ばれることは、会の趣旨に反しておかしい(←普段、政府に届きにくい「国民」の声を直接聴くというのが会の趣旨なら)、あるいは、政府の会の趣旨の設定がおかしい(←利害関係者の意見を政府が聴くというのが会の趣旨なら……このタイミングで、こんな形で、わざわざ政府がすることではないでしょう?)、と感じます。
まあ、毎日新聞には「政府が国民から直接意見を聞く」と書いてあるのですけどね。なら、前者の理由でおかしいのではないでしょうか。
秋原葉月さんへ
繰返しになりますが、電力会社の社員の意見も国民のひとつの意見です。彼らが述べた意見が供給者側の理論と同じだったとしても、個人として原発の経済的効用は大きいと考え、日本にはこれからも原発は必要だと主張することはなんらおかしなことではありません。おそらく、同じように考えている非利害関係者の国民も一定数いるでしょう。
それに対しては当然反対の立場から様々に反論があるわけですから、なるべく客観的に事実を整理したうえで議論を戦わせる、これがあるべき議論だと思います。
しかし現実に起きていることは、やらせが実際にあったか否かと関係なく、誤解を招くという理由で政府は電力会社の社員を意見聴取会から排除しました。
これでは、原発容認、推進の言説を不当に萎縮させてしまうでしょう。
確かに被害者の方もいて難しい問題ですが、どんな意見もひとつの意見としてまず受け止めることは必要だと私は思います。
観測霊さんへ
今回の報道、騒動全体に対する感想を、観測霊さん名指しで書いてしまいました。
不快な思いをさせて大変申し訳ありませんでした。今後このようなことをしないように気を付けます。
排除したのは誰か
と気付いているのなら
政府の全体主義を恐れるべきであって、あたかも脱原発派が
社員を排除した、と考えるのは誤り。
また電力会社の社員だって脱原発派はいる。
個人の意見を聴く場で、会社の考え方が25%選択肢に
統一されているかの様な喧伝は、最早、意見でなく
会社から異なる意見を排除したい一部社員のデマである。
さらに「放射能の直接的影響で死んだ人はいない」
これは事実ではない。疫学データもシーベルトという単位も
原爆で死んだ方々の犠牲の上に成り立っているのが事実。
「フクシマ事故による放射能の影響で、死者が出る可能性は
まだ判っていない」これくらいは補足するべきだろう。
意見の目的が違うのが問題なのではないでしょうか
「電力会社の社員の意見も国民のひとつの意見」というのはおっしゃる通りだと思います。でも、それが他の人のそれと同等に扱われるべきかと言えば否でしょう。
なぜなら、今回の意見聴取会は「エネルギーと環境の基本政策について国民の声を聞く」ために開催された、即ち、この国のエネルギーの基本政策はどうあるべきかというテーマについての意見を聞くための会だった訳です。
そこで電力会社の社員が、特に原発の比率をどうすべきかについて意見を述べるたとしても、それは「自分の生活を守るためにはどうあるべきか」というテーマの意見を述べている可能性が高い、そこが問題なのだと私は判断しています。
例えば、このリビングに合うソファの色は何色かという意見を皆が出し合っているところに、自分の好きな色がピンクだからそれにすべきと主張する人の意見を、「ひとつの意見」としてどれだけ尊重する必要があるのか。あなただけを満足させるために話し合っているんじゃないよ、と言われるのがオチだと思います。
もちろん、意見を述べた電力会社の関係者は「そんなセコイことは考えていない」と言うでしょう。でも、利害関係者の意見というのはそうやって扱われるべきもの。犯罪捜査だって、例えば被疑者の家族がアリバイを証言したって「ひとつの意見」として同等には扱ってもらえない、その代わり、匿っても罪に問われない、そういうものです。
また、今回、政府が電力会社社員を排除したところで、あなたがおっしゃるように、非利害関係者の国民も一定数いるなら、その人達が意見を述べる際に「不当に萎縮」することなど有り得ないはずであり、多様な意見を聞くという趣旨からも何ら問題ないことだと思いますが。
ところで、今回20-25%案に賛成との意見を述べた人が9名いたはずですが、そのうち3名が電力会社関係者だった。
これが本当に抽選の結果なら、この案に賛成の人の概ね3分の1は電力会社関係者とみなして良いのでしょうか?
放射線被曝による死者と電力会社内部の民主主義
★「(今回の事故で)放射能の直接的影響で死んだ人はいない」というトンデモ
第二次世界大戦後、放射線被曝により6500万人以上の人間が死んでいる(核実験・原発・核廃棄物処理施設・核軍事施設・兵器工場・ウラン採掘場などの事故や放射性物質放出、及びそれら施設の労働者を含める。数字は「欧州放射線リスク委員会」の推定)、加えてチェルノブイリ原発事故では100万人以上が死んでいる。
よって今回の事故でも、放射線被曝による死者は将来にわたり莫大な数に上るはずである。フクシマ以後も中電の課長が未だに「放射線被曝はたいしたことがない」という洗脳状態のままだというトンデモ。
★電力会社内部の民主主義
中電の課長が脱原発の主張をしても実は不思議でも何でもないのですが、なぜかその課長は原発推進まっしぐら。その訳は以下――
▼東京電力思想差別事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%9B%BB%E5%8A%9B%E6%80%9D%E6%83%B3%E5%B7%AE%E5%88%A5%E4%BA%8B%E4%BB%B6
▼中部電力人権裁判勝利和解成立!
http://www2s.biglobe.ne.jp/~jinkenha/cyuden1.html
白砂青松さんへ
人の属性だけでそう決めつけるのが一番まずいと思います。
そして仮に、今回の社員の発言が会社の利益のためにされたものだったとしても、内容の当、不当について判断すればいい。発言者の内心に立ち入れない以上、われわれにできることはそれしかありません。
もしこれが、諮問機関など施策、政策を行っていく側のメンバーを決める場合であれば、特定の利害のために行動する可能性のある人間は除かれるのが概ね妥当でしょう。
しかしこれは国民の意見を聞くための会なのですから、利害関係者を排除する必要は本来ないはずです。(ちなみに犯罪捜査で家族の供述が排除されるということはないはずですが・・・)
そして、利害関係者を発言させた運営の仕方が批判されたことで、それを受けて政府は電力会社社員の排除を決めたわけです。しかも抽選等の手続きの具体的問題について判断せず、誤解を招くからという理由で。
電力会社社員の発言と同じ意見を持っている人は、自分もその意見を述べたら回し者扱いされてしまうと感じるでしょう。
このようないつ油に火がつくかわからない状況は、原発を容認、推進する立場の人たちを十分に萎縮させると思います。
たしかに今回、政府がはじめから消費者の一般国民の意見を聞くという趣旨をはっきりさせて、それに従った運営をしていれば、問題は起きなかったかもしれません。
それにしても、意見を意見として受け止めるという姿勢の希薄さに、今回自分は違和感を覚えざるをえませんでした。
あなたも踊れるメルトダウンブルース音頭
http://m.youtube.com/watch?desktop_uri=%2Fwatch%3Fv%3Dj-AKAH3G78I&v=j-AKAH3G78I&gl=JP
≪利益相反≫知らないアホ相手に
竹のリズムを聞け
http://m.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&client=mv-google&rl=yes&v=3im0T2bR8Yg
>dmpxさん
>一法学部生さん
本人に聞いたところでわかりません。
申し訳ないけど、本人がいくら否定したところで、その意見には本人の属性によるバイアスがかかることは否めません。
>人の属性だけでそう決めつけるのが一番まずいと思います。
一番まずいとおっしゃいますが、それが利害関係者の扱いというものでしょう。
私に言わせてもらえば、あなたの
「今回の問題で社員の方の発言を批判する方たちは、原発は絶対的悪である、という前提で全てを思考されているように私には思えます。」
こういう決めつけこそが一番まずいと思います。
>しかしこれは国民の意見を聞くための会なのですから、利害関係者を排除する必要は本来ないはずです。(ちなみに犯罪捜査で家族の供述が排除されるということはないはずですが・・・)
何の意見を聞く会なのかが抜けていますよ。
この会は、「この国のエネルギーの基本政策はどうあるべきか」についての意見を聞く会なのであって「電力会社社員の生活をどう守るか」についての意見を聞く会ではありません。ですから、後者のような意見を他の意見と同等に扱う必要は本来無いということです。
そして、犯罪捜査で被疑者家族のアリバイ証言は他の証言とは同等に扱ってもらえない、その替わり犯人を匿ってもよほど悪質でなければ罪に問われない、それが日本の現実ですよ。
あなた、法学部生さんなんですよね。ご存知ないのですか?
>電力会社社員の発言と同じ意見を持っている人は、自分もその意見を述べたら回し者扱いされてしまうと感じるでしょう。
「今回の問題で社員の方の発言を批判する方たちは、原発は絶対的悪である、という前提で全てを思考されているように私には思えます。」と決めつけるような人は、そんな風に勝手に思い込むかもしれませんし、他人の意見を聞いて誰かの回し者と考えるかもしれませんね。
でも、それは原発推進側だけではない、どちら側にも起こり得ることです。
>それにしても、意見を意見として受け止めるという姿勢の希薄さに、今回自分は違和感を覚えざるをえませんでした。
ですから、意見のテーマが違っていると申しているのです。
だから同等には扱えないだけのこと。
そして、「今回の問題で社員の方の発言を批判する方たちは、原発は絶対的悪である、という前提で全てを思考されているように私には思えます。」というあなたは、どうして社員の発言を批判する意見が表明されているのか、その意見を意見として受け止めていると言えますか? 私は大いに疑問ですね。
で、これが公正な抽選の結果なら、原発推進派の3分の1は電力会社関係者という推定に、あなたは同意されますか?
>観測霊さん
> > どのような公聴会の運営の仕方が一番良いのかは何とも言えませんが
> どうも具体的な提言がない書き込みで申し訳ないです(^_^;)
いえ、とんでもない、
私の方こそ、では公聴会はどういう運営の仕方が良いか対案を出せと言われたら、具体的な対案は浮かびません。赤旗も
「原発事故による取り返しのつかない事態を前に多くの国民はいま原発からどうすれば脱却できるかを真剣に模索しています。政府に求められるのはまず自ら撤退を決断することであり、そのための国民的議論をこそつくすべきです」
東京新聞も
「結論を急がす、原発推進、反対、中立などさまざまな主体が運営する議論の場をもっと数多く開催し、不信の溝を丁寧に埋めていくしかない。」
とうい抽象的提案にとどまっています。
もしこれが会場全体で質疑や議論を行うというのであれば、壇上には0%、15%、20~25%、それぞれ同数ずつの代表があがっててもいいかもしれませんね。しかし今回意見を述べることができるのはあらかじめ決まった9人だけで、傍聴者の質疑や議論もなし。それならばそれぞれの賛成者の割合をちゃんと反映させないと世論の声を反映させたことにはならないだろう、と思います。
しかし、そもそも本文で書いたように0%、15%、20~25%、という選択肢の建て方が政府のトラップな訳ですし、一切の質疑も議論も無しでどうやって国民的議論を深めるのか、単に「お話承りました」とういアリバイ作りでしかないではないか、と誰もが感じると思います。なのでそこから抜本的に是正しなければいけませんよね。
>一法学部生さん
ほとんど白砂青松さんと似た意見になってしまうのですが,以下の私見は昨日から書き始めていたので,かぶる部分も含め,以下に書かせていただきます。
>電力会社の社員も国民であり、公聴会で意見を述べる権利はあると思います。
→「電力会社に勤めている人が意見を言う権利」は,私もあると思います。
ただ「国民の意見を聞く」(つまり電力の利害当事者=消費者としての「国民」の意見を聞く)という目的を持つ「公聴会」で意見を述べる権利,というのは…。
>彼らの意見が「会社として」の意見であるとは、一体何を根拠にいっているのでしょうか?
>もし個人として心から述べた意見でも、原発容認であれば会社の犬扱いされてしまうのでしょうか?
→正職としての仕事は,従事する人にとって,とても重いものです。
あなたが言われる例とは反対の例を考えてみましょう。
会社がつぶれると『生活の糧を得る手段』をなくす「電力会社で働いている人」が,たとえ
*個人的に,3.11の原発の被害の詳細等を正確に知っており,
*世界への影響や今後危惧される被害を(データ等で正確に)理解しており,
*被災地(この場合フクシマほか原発で避難勧告が出された地域)にて被害者の声を聴く機会を持ち,あるいは被害者が親戚にいる等で,生活を奪われた当事者の嘆き悲しみを肌で感じた経験があり,
*代替エネルギーについても書籍等で勉強し,
その上で,(次が,あなたが言われるのと反対の例ですが→)「原発はだめだ」と"客観的に","心から" 思ったとしても,
その思いを,公聴会という(恐らく公的に大きな影響力を持つであろう)機会に自ら手を挙げて参加し,一般人としての立ち位置だけで「反対」と口に出すことは,きっとできないと思います。
なぜなら,『生活の糧を得る手段』である仕事を,失う危険があるからです。
また,仕事は一人でするものではないので,自分の発言が周囲に与える大きな影響も,考えずにはいられません。
そして,仕事とは本来「それを失えば,生きていけなくなる」ので,とても重いものです。
学生さんなので,自分(と家族)が生きて行くために従事する仕事の重みの実感を持ったことがまだおありではなく,無理もないと思いますが…。
ですから,労働者が(大きな意味で)会社の犬(→この表現が適切かどうかは別)になってしまっても,当然ではないでしょうか。あ,もちろん,観測霊さまは会社の犬などと言われていない点は理解しております。
卑近な例で恐縮ですが,歌手の郷ひろみさんが「1日の23時間55分が郷ひろみで、残りの5分間だけが原武裕美(本名)に戻る時間」と言ったことがありました。ちょうどそんな感じです。私の友人も,彼女の旦那さんは高校の先生で,彼が通勤途中の路上で会う「喫煙する高校生」に対しても本気で注意するそうです(もちろん,自分の勤務校の生徒ではない)。彼のプロ意識を尊敬はするものの,恨まれて(襲われるような)事故が起こったりしないか,友人はとても心配しています。彼もその仕事に就いてなければ,通勤途中に偶然会ったその生徒に直接注意するまではしないかもしれません(人にも相手にもよりますが)。でも,実際,他校の生徒への直接指導をためらう先生がいたとして,自分は職業柄,当然注意すべきだが,(でもどうしようか)…と,注意を迷いはすると思います。
ということで,正職に影響されない個人というのは存在しないと強く思うので,
◎仕事とは無関係に, ”客観的な”自分の意見を持つことはできない
と,言わせていただきます(仕事に関わる議題についての意見は特に)。
従って
>「自分の生活を守るため」の意見なのかどうかは、本人に聞いてみないとわかりません。 人の属性だけでそう決めつけるのが一番まずいと思います。
→これには,白砂青松さんと同じく,?を投げかけさせていただきますね。
ただ,何かについて議論(または報道に際して取材)する時,賛否両方が揃うべきだとは思います。つまり今回も,理想としては(原発反対グループに電力会社の人がおらず,一般人ばかりなのと同じく),『電力会社に勤めていない人(=一般人)で,原発容認に賛成の人』が,公聴会で意見を述べるメンバーだったらよかったかなと思います笑。(↑でどなたかが引用して下さった記事にも,そのように希望する男性の話が載っていましたね。)
ですが,あの事故の後でそれはあり得ないくらい難しいし,実際そういう構成になっていたら,それはそれで選別が公平ではなく恣意的,と見られることもあったかもしれない。
そもそも公聴会を主催する(政府)側が,結論を容認に持って行きたいのはミエミエなので…
『容認派である電力会社の人が,あんなに多く選ばれたこと』が,ホントに適正な抽選で起こったことか?と胡散臭く見えて,ヤラセだと言われても仕方ないのではないのかなーと思います。
もし「抽選の結果,ああなった」のが真実であっても,例えば,以下は想像ですが,主催者側が,もしかしたら(意図的ではないにせよ)「公聴会を開催する」という情報をいち早く電力会社関係者に伝わるように漏らしてしまい,(関係者間で,動員ではないものの)大変多くの人が抽選に応募した,その結果ray先生が天文学的な数字と言われるような,ほとんどあり得ない高い率で(電力会社関係者が)当選するという偶然が起こってしまったのかもしれない→妄想?笑,仮にそうだとするとやはりフェアではない…とか,直接被害を受けたわけではない私でも,ふと思っちゃうわけですよ。
こういう憶測が「ヤラセでは?」の方向に世論を流すんだ,憶測はよくない,と反感を持つ方がおいでになることも理解できますが,そもそも主催者は,自らが加害者よりだということをもっと意識して,加害者よりだからこそもっと,特に被害者にヤラセだと思われないよう,努力するべきだったのでは。
東電も,もっと反省していれば(⇔原発事故後,東電は会社の対応として「役員報酬の返上」も「従業員のボーナスカット」もしてない),被害者のことを思いやることができたら(⇔自殺者も出ているのに,原発事故での死者はゼロなどと無神経なことを公言する),もっと伝わるものだと思います。
政府にもそれらがなく,まず公聴会ありきから入っているから,特に被害者に向けて細心の注意を払った上での公聴会を企画運営できなかったのではないかと思います。
ということで,運営方法にまずい部分があった点はどうしても否めないし,庇えないと思います。
秋原さん,長文すいませんでした。
>白砂青松さん
>
> なぜなら、今回の意見聴取会は「エネルギーと環境の基本政策について国民の声を聞く」ために開催された、即ち、この国のエネルギーの基本政策はどうあるべきかというテーマについての意見を聞くための会だった訳です。
仰るとおり、この公聴会のテーマは何かということですよね。
原発を巡っては、どうしたって、電力会社とそれ以外の市民は対立当事者という立場にならざるを得ないです。
そして今回の公聴会は一方当事者である電力会社ではなく、電力消費者としての立場の市民の声を幅広く聞く、というのが目的のはずです(だから名古屋では主婦の方が「電力会社の社員は原発政策の当事者。仮に推進であっても、一般市民の声でないと納得できない。」といってるわけです)
今回は例えてみれば、裁判官が一方当事者である検察側証人の出張尋問しにいっているようなものです。
そこで裁判官がやるべきことは検察側証人の言い分をじっくり聞くことです。
その出張尋問の最中に、もう一方の当事者である被告人(電力会社)が自分の言い分も聞いてくれ、と押しかけてきたら、「とりあえずきょうのところはお引き取り下さい」と言って被告人を割り込ませないでしょう。
それと同じだと思います。
>一法学部生さん
赤旗と東京新聞と愛媛新聞にリンクを張りますので、お読みください
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-07-20/2012072001_05_1.html
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012071802000115.html
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201207201478.html
リンク先を読んでいただければこの意見聴取会の問題点が見えると思います
・開催地は経済産業省の出先機関や電力会社本店の所在地で、原発立地市町村から離れている。これは原発存続について最も利害関係を有する当事者と言える立地住民の声を聞く気がないと言うことではないのか
・最初から、2030年に原発比率を0%にするか、15%にするか、20~25%にするか、という選択肢を3つに限定した(他の選択肢、例えば即時ゼロはなし)だが、こういう選択肢の建て方がそもそもおかしい。
・しかもこの3つの選択肢については0%が圧倒的に多かったにも関わらず、同様に三人ずつずつ発言させた。そのために15%、20~25%は人数に満たなくて、原発推進派を無理矢理遠くの地から集めねばならなかった。結果電力会社の人間が採用されることになった
・会場も小さく、たった9人が発言できるのみ。しかもその発言について質疑も議論もできない。単に三人ずつが意見を言いっぱなし。こんなんで「意見」がどのように政府の決定に行かされるか全く不明
どうですか、この運営方法は?問題なしとお考えになりますか?これで国民的議論が深まり、政府は広く国民の声を聞いたと言うことになりますか?単なる通過儀礼、「ご意見承りました」というアリバイ作りに終わるだけ、しかも真ん中の選択肢15%を選ぶことを正当化しようとするのが見え見えではありませんか。
(ちなみに15%を選択するとはどういう事か、本文にも書きましたが、こちらもどうぞhttp://kenichioshima.seesaa.net/article/278577649.html)
問題はこの運営方法にあるのです。
「15%」や「20~25%」支持の場合は開催地の地元だけでは発言者が足りず、首都圏などからの希望者で穴埋めする(その中に電力会社の人間が含まれていたのでしょう)、それを市民の意見とする、などというやり方はどう考えてもおかしいでしょう?
この意見聴取会は初めから「原発推進」という意見をより際だたせる不公平な恣意的なやり方になっているのです。しかもその原発推進という意見を述べるのが「電力消費者である市民の意見を聞いて参考にする立場」である電力会社関係者なら、なおさら恣意的です。
もし政府がこういう運営方法をそのまま続けるというのなら、電力会社関係者は入れない、というのも意見聴取会を是正する一つの方法だとは思います。今よりは若干是正されるでしょう。
なぜなら繰り返し言っているように、電力会社関係者は原発問題にかんしては一方当事者だからです(白砂青松さんへの私のコメントをお読みください)
しかし、政府がとった電力関係者は入れないという方策は今よりは若干マシというだけに過ぎません。このままのやり方で意見聴取会を開催し続けることには反対です。なぜならちっとも国民の意見を広く採り上げ国民的議論を掘り下げる意見聴取会には鳴らないからです。
もっとも大事なことは、この運営の仕方を改めることです。
世論をきちんと反映させるやりかたにあらためることです。
一法学部生さんは電力会社の人間に出席させるか否か、という一点だけに注目されてるようですが、それではこの意見聴取会の何が問題なのかを見失うと思います。
ちなみにmimosaさんの「仕事とは無関係に, ”客観的な”自分の意見を持つことはできない」に付け足しさせていただくと、こちらをお読みください。
http://mainichi.jp/select/news/20120721k0000m040119000c.html
これで純粋に個人の意見を述べろって無理でしょう?個人の皮をかぶって会社の意見を言ってこい、というのが実態に近いです