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現状としてはやむを得ないと思います
「労働組合」=既得権益者の味方、市民の敵、893の次に規制すべきもの、経団連の兄弟分、犯罪者予備軍の集まり、政治家の後援会の従兄弟分
という考え方が大勢でしょうから隠して参加はやむ負えないと私は思います。
この手の全国民的問題に関する運動では、政治的に無色透明が求められますし、全国的な労働問題=政治的課題という側面がある以上労働組合は政治的に無色透明には成り得ない(特に官公労は労働問題=政治問題)、そして、政治的な色がついた時点で一般の方は離れてしまいますから、政治的に無色透明でかつ労働問題に取り組むという矛盾した状態を求められます。で、この問題の答えを探すだけで100年くらいはかかるように私は感じます。
笑止「脱原発デモ」
「再稼動反対」という主張を掲げている時点で立派に「政治的」でしょ? 何あほなこと言ってんの。
だいたい、「「労働組合」=既得権益者の味方、市民の敵、893の次に規制すべきもの、経団連の兄弟分、犯罪者予備軍の集まり、政治家の後援会の従兄弟分
という考え方が大勢」なんて「洗脳」されている連中が「脱原発」をとなえることのおかしさ!
昔80年代の反核運動でも似たようなこと(一般市民が参加しやすいように組合旗は出すな)がありましたな。確か山口泉という作家そのような動きを手厳しく批判していましたよ。
「組合旗」に拒否反応を示すような連中をいくら集めてもそれは新たな「差別」を生み出すだけ、社会にとって有害なだけです。
Executor様
なので、私ら(国家公務員)はこのことに関して意見言えないわけで…(国家公務員法第102条第1項及び人事院規則14-7でOUT)
ただこの動き(再稼働反対デモ)自体については、けが人さえ出なければ、市民運動の新たな第1歩にはなるのではないのかなと思います。
(ただし、けが人が出た時点で、100年はこの手のデモはできない(一般市民の拒否を買い、できなくなる)という覚悟も必要)
後、「労働組合」への一般認識については教育が大事ですが、これも欧州並みになるには2~300年かかるんじゃないかなと思います…
(これでも「楽観的」には考えていますが)
あと、
>「組合旗」に拒否反応を示すような連中をいくら集めてもそれは新たな「差別」を生み出すだけ、社会にとって有害なだけです。
とありましたが、そういうひとに「シングルイシュー(「再稼働反対」以外の主張はするな)」ででもデモに参加してもらえる時点で大きな1歩だと思わないとならないのがこの国の現状だと私は認識しています。
このエントリ-は
どうすべきであるかを決めるときは、しぶしぶ現実との妥協をせねばならないこともあるのでしょうね、本当に頭の痛い問題です。
反原発運動は組織化を進めて展望が開ける。
昔はいろんな問題で大衆闘争が起こるときに真っ先に集会・デモを起こすのは、労働組合そして全学連でした。運動が盛り上がったあとに一般市民がその輪に加わり、一層運動が盛り上がるという構図がありました。
現状を見るにその構図はなく、一般市民がデモに立ち、遅れて労働組合が加わるという構
図になっています。市民の側からすると市民のデモに途中から入ってきて、運動をすくい取る、横から割り込むかのように見られるのではないでしょうか。
それは労働組合独自の活動が地域でなされていない、あるいは知られるほど活発でないということに原因があるでしょう。労働組合は単独でも、もっと地域で活動を続け、その役割に対して信頼が得られるようにする必要があるでしょう。
私もこのままで、反原発の運動が成長を続けるという見込みは持てません。デモに参加する市民の数だけが増えて行くだけでは、質的な変化がありません。10数万もの参加者がバラバラの砂粒のように存在するのではなく、少しずつ組織化していくことです。組織といっても厳格なものではなく、持続的に活動し、他の団体と共通行動をしていくだけです(もう、その段階にはあるかもしれませんが)。地方からの参加者であれば、○○県反原発の会などのように名乗り、幟やプラカード、腕章などにマークや名称をつけて行進して組織としての一体性を増すようにします。
その上で労働団体も、もし旗に抵抗があるのなら、労働組合の腕章、プラカードに揃いの組合マークを入れるなどの対策で認めさせていけばいいでしょう。大事なのは旗を持つかどうかではなく、労働組合が反原発で力強く活動しているという信頼を得ることです。
組織化というのは持続性・発展性・展望を持つことであり、その中で「シングルイシュー」への固定化を少しずつ溶かしていくことができます。
まさにそこが要蹄です…
労働組合の存在価値は、いまの日本のこの過酷な雇用環境を是正するためには、絶対に必要不可欠です…。
原子力ムラや不埒な為政者に道理はないことは、明白で、庶民の暮らしが破壊され社会が確実に崩壊に向かっているにも関わらず、正論をブツ左派が共感を得られないか?…、これはほんとうに深く模索しなくてはならないと思います。小異を捨て大同につくべく、よりベターな社会状況を創造すべくの連帯・団結を模索するのは、本当に大切ですよね…、様々な価値観を有する国民をいかにして結集し、有機的に社会変革に結びつけるか?。 本当に難しいと思います。課題ひとつ、ひとつ的を絞り一点突破するやり方など様々です。
わたしにも妙案があるわけではないですが、真剣に考えてみたいと思います。しかし、官邸デモが全国に伝播し、ウネリになりうる現状は、たいへんに素晴らしいことで、安保闘争以来のことではないでしょうか?。不埒な為政者を震撼させる程の地響きのするような息の長い地道な国民的運動に発展させたいものですね…。思想・信条を克己する魅力あふれる“おだやかな連帯”を続けたいものです。予断にとらわれず、冷静に潮目の判断をあやまらなければ、きっと大きな力になると思います。
一般市民にも「労働組合」をわかりやすくするのが民主主義の課題では?
こういうと、「あれは労組じゃない、御用組合だ」との反論がきこえて来そうですが、一般市民にとってわかりにくいのではないでしょうか。
あと、主催者は「お願い」しているだけですから、「日の丸」の人たちがそれに従わなかったら日の丸が目立つ結果にはなるでしょうね。
主催者が日の丸には寛容という言い方はどうかと思いました。
思うのですが
感じる人たちに対する違和感をこそ感じます。
しかし、一方で、なぜ労組が大衆に根付かないのか?という疑問について
労組自体が持つ問題というものも考慮する余地はあるかと思います。
連合系の組合等御用労組と化しているところが多く、本当に立場の弱い労働者の利益に
与する実効力が機能していない現状もあるからです。その場合、非正規労働者からみたら
組合が既得権益集団と映っても無理はありません。
私の知っている企業の労組なども、完全に社員の社員による社員のための
御用労組ですし、しかも経営陣となーなーの関係になっていて、
何のためにあるのか?専従なんて遊んでるのか?組合費を収めているのが
馬鹿らしいという嘆きを私はつい最近もある組合員から聞かされています。
脱原発の機運が高まっています。脱原発の世論は世の多数派になっています。
しかし、一方で、労組以外でも、左翼政党というものが支持を集めませんね。
共産党も社民党も脱原発の受け皿になっていないのです。逆に支持を減らしてしまっている
具合です。そして、維新の会のような右派が席巻してしまう危機的な状況があります。
つまり、脱原発の世論の高まりと右派の躍進というものが同時進行しているという、
矛盾した奇妙な状況があるわけです。
この原因は単純化できません。エスタブリッシュメントと報道機関の
影響もあることは確かでしょう。しかし、民衆の支持をとりつけられない
左翼自身の問題も自省的に再考してしていかなければ
ならない時に来ていると思うのです。
(左翼という言葉を使うことに抵抗があるかもしれません。私は、政財界という
エスタブリッシュメントに対抗する民衆、弱者の側に立つ組織や
運動という意味でおおまかに使わせていただいております)
組合に話を戻しますと、
以前、こちらで私の知人の話をしたことがあります。彼は深刻なパワハラに
悩み続け自殺まで考えていました。しかし、ある独立系の労組に入り、
団交を経て、その暴力的な上司の更迭を勝ち取りました。その後、彼は
熱心な活動家になり、その組合の役職に就くまでになりました。
ところが、その後、彼は組合を離れました。詳しい話は聞いていませんが、
内部に関わっていくことで彼の中で違和感が高まっていったようです。
彼の個人的な特殊な事情もあるかもしれませんが、
やはり、なぜ日本の社会においてこれほどに組合離れが進んで
しまったのかということを考えていくと、組合自体の問題も
自省的に考える必要も大きいと思います。
なお、エントリーで君が代強制について触れられていますが、ここでも私は労組である
日教組に不満です。つまり、組織率が低下しているとはいえ、以前として大所帯である
日教組がどうして、もっと組織的に戦わないのかということです。
橋下大阪で君が代強制が条例化して、不起立不斉唱が激減したでしょう。
フランスなら、ギイ・モケの手紙の朗読強制の事例にみられるようなものがありましたが、
徹底的な抗議が現場から沸き起こり、集団で団結して不起立を貫くとか、
卒業式の出席を組織ぐるみでボイコットするとかしてそれを組合が支えていくような動きになって
いかなければ成熟した民主主義社会とは言えません。
いざ民主主義が脅かされてきた時に強固な下からの意思表示と闘争を可能にする組織に
なっていないところに日教組のダメなところがあると思いますね。
労働組合について、わたしも一言…
ちなみに、わたしが籍を置いていた某都市銀行の従業員組合の執行委員長の座は、頭取へのパスポートと揶揄されてましたもの…、いやはやです。┐('~`;)┌
日教組(というか教師)にそれは無理です >フリスキーさん
ですから,民間では可能な,いわゆる実力行使というか脅迫笑というか,のストという行動は取れません。
では「こんなに残業しているが無給である」とか→タイムカードもないのが教員は一般的,
「よく見ると教師になる前の前歴計算が間違っていて,不当に安く給料が設定されていた)」ことが判明したとかの場合,
つまり労働者として明らかに不当な扱いを受けていることが大勢または個人レベルで明らかになったとしても,
それを個人で教委に訴えても,是正されない可能性だってあるわけです(ストがなく抑止力になるものがないため)。
特に橋下のような人が首長の場合,公務員=首長に反対したり批判したりする権利を持たない,絶対服従の家来みたいなもんですから,充分ありえるんじゃないかと思います笑。
ですから,やはり公務員も,職種別,役職別,男女別,年齢層別などで,それぞれ全体の問題点が集約できるようにして,(ストをちらつかせず)真っ当に団体交渉できるようにしておく必要はある,と考えるのは,間違っていませんよね?
上の場合で言えば,任意で一定数の教員に実態調査をしたら週に〇〇時間は残業しているという実態がわかったので,例えば全県的に一度タイムカードを設置して,実験的に実態を調べてみてはどうか,と組合レベルで「紳士的に」要求,交渉してもらう,といったようなことは,組合があって初めて可能なことだと思うのです。
(余談ですが,大阪府は府立高の職員室にタイムリコーダーを導入し,教師には,出勤時間だけをタイムカードに打刻させて,遅刻してないかのみ管理しているそうです。終業時も記録するのがスジでしょうに,教員は誰もおかしいと思わないのかなーとあきれます。組合がないと,おかしいものもおかしいと言えないのかなと。あ,あるかもしれないけど。)
でも,
>徹底的な抗議が現場から沸き起こり、集団で団結して不起立を貫くとか、
>卒業式の出席を組織ぐるみでボイコットするとかしてそれを組合が支えていくような動きになって
>いかなければ成熟した民主主義社会とは言えません。
>いざ民主主義が脅かされてきた時に強固な下からの意思表示と闘争を可能にする組織に
>なっていないところに日教組のダメなところがあると思いますね。
教師の仕事の対象は,生徒です。
このままでは,生徒が「起立の上国歌斉唱」を強制される日も近い,との危険性に思いを馳せて,
あるいは教え子を戦場に送る世に戻ってはいけないと心底思って,『生徒のため』不起立を貫く先生もおられますが,一方で,
生徒が主役の卒業式で,教師の思いを行動に反映することで混乱を招くのはよくないと割り切って,『生徒のため』儀礼的に起立する先生もいるのです。
生徒のためという気持ちはみな同じですが,そのために取る行動は多様なので,,,
それを強制的にというか「組織ぐるみで」不起立の方を組合員全員で貫く,全員に貫かせるというのはあまりに急進的で,そんなことをしようとしたら,日教組の構成員である教員の中にも日教組について行けない先生,支持しない先生が絶対出て来ると思いますし,世間からの風当たりもますます強くなるのではないでしょうか。
日教組の思想の詳細は殆ど知らないまま書いてしまったので,変なことかいてたらすいません。
数さえ集めれば世の中は変わる
世の中の潮流は脱原発に傾いています。デモに参加することで、漠然と脱原発を支持するが、特に行動を起こそうと考えない人も多いでしょう。
デモに参加し、同じ考えの多くの人と触れ合うことで、その人たちは実際に行動を起こすことの大事さに気づき、脱原発を唱える党に投票したするかもしれません。
組合旗を掲げないことで人が集まるのなら、それは仕方無いことではないでしょうか。
一人でも多くの人にデモに来てもらい、行動を起こしてもらえば政治を変えることだって可能です。
数だけ集まっても脱原発の貫徹は出来ないという意見は正直納得できません。
過大評価し過ぎでしょ
大体において、デモの対象(今回の場合は原発再稼働問題や日本のエネルギー政策の問題)なんて多くの場合は高度な政治判断を要する政策マターなわけで、そこに政治色を持ち込まないなら、それは仲間と盛り上がったただ単なるイベント的集会でしょ。勿論それ自体を否定するものではありませんが(私だって仲間とバーベキュー行ったり、ゴルフ行ったりするの好きですもん)、そんなものに政治的な意味で未来なんかあるわけないでしょ、と思っちゃいます。案の定(というか少なくとも現時点では)各地方では原発推進派の首長がどんどん再選されてますしね。
デモするならその行為にどんな政治的意味があるのか、その政治的意味を国政なり地方政治にいかに結びつけるのか、せめてそれくらい考えてやってくれと思います。「そんな小難しいこと言うと人が集まらなくなる」とか言うなら、そんな運動に意味なんてないから消えてなくなっても全然構わないし。
mimosaさんへ
あるのですが、日本の後進的な司法はこれにお墨付きを与えています。
その状況に諦めることなく不起立という不服従を貫く先生方がいらっしゃるのです。しかし、一人、二人じゃ、見せしめの処罰とバッシングにさらされるだけで終わってしまいます。大勢で団結して不起立を貫き組合がバックアップすれば、それだけ強い抗議になりますよ。本気でやろうと思えば
出来るはずですよ。不起立はストとは違いますからね。
日教組も最近は御用組合化しているんじゃないですか?
連合の傘下に入っているようですし。
フリスキーさんへ 2
個人的には,フリスキーさんの言われることが正しいことはよくわかっているつもりなんです。
でも,やっぱり目の前にいる生徒のことを考えると,教師「だから」,そのセンは難しいと思います。
全員で座ったりするとやっぱり大騒ぎになります。
式に出てる生徒にとってはたった一回の式ですから,その一回が騒ぎや混乱状態になってしまうのはまずいです。
同じ意味で,もし教師にスト権が保証されていたとしても,それは行使しない先生の方が多いと私は思います。
スト権を行使するということは,授業をしないということなので,やっぱりそれは行使できないのです。
大きい意味ではその方が正しくても,それが将来的に全国の生徒のためになるとわかっていても…
授業は生徒のための(たいせつな)もので,その授業をするためにいる教師が,それをしないというのは,やっぱり無理ですね。(あ,でもこの3月頃,確か大阪では非常勤職員がストに突入したというニュースがありましたが。ええっと思って読んだら,やっぱりというか,授業のない日のストでした)
話を元に戻しますと,例え授業をせずにストをする,そのストで求めることが(教師の待遇改善のような,教師自身のことではなく)生徒の利益になることに関することであったとしても,生徒らの教育を受ける権利を侵害することは,教師はできないです。
それから…君が代条例についてですが,
どうやら,世論自体が昔と変わってしまっているようなんです。
うー…これは,とてもショックな記事…↓…涙↓↓
http://astand.asahi.com/magazine/wrpolitics/special/2012070900007.html
でも,やっぱり多様性を容認する,マイノリティを大事にするという視点に立って,
この先,『生徒が「起立の上,国歌斉唱」が一律強制される』ことだけはないよう,,,
これだけは守らないといけないと思います(負けたかなあ…妥協かなあと悔し涙にくれながら←これはマジです)。
追伸
不起立とストは違うんですけど,でも,どちらも生徒が絡む点,生徒に影響を与える点では同じなんですよ。
生徒のことを考えると,「ストして授業しない」という選択肢が教師にはないのと同じで,
「全員不起立」で式を乱して,主役の卒業生が嫌な気持ちにさせてしまうことに抵抗がある教師も,いても不思議ではないということです。
それに,子らが多様なのと同じで,教師の思い,行動も多様ですから,(例え組合に入っていても)さきほど書いたように考えて,不起立で式を乱すことは生徒に悪いと思って,とりあえず起立だけはする先生がいても,それはそれで尊重すべきことではないですか?
それをそこまで組合が強制してしまうと…誰かさんがやってることと同じっぽくないかな?と。
世間にも理解されないと思います。
誤解されないように申し上げますが,私は歌いませんよ。立たない先生がいても当然だと思ってます。
そういう先生方の思いを直接伺ったこともあります。
どうしても式に歌が必要なら(→そもそもこれ自体,なんで?),彼らが卒業するのは国じゃなく学校なんで,校歌でいいと思ってます。
議論がかなり沸騰しているようですが
はっきり言って連合系の労働組合はほとんど御用組合ですね。賃金を上げろばかりで現場の頑張っている人たちに報いる事は全くしていませんでした。さらにパワハラにも非力でした。こうした連中の政治道楽や天下り体質を今の若い人たちは見透かしているのです。さらにそごうの労働組合の執行委員長について皆さんご存知でしたか?
http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/sogo1.html
http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/sogo2.htm
これは青い鳥さんの指摘と重なっています。なんとドンペリを銀座のバーで飲むほど豪遊しています。そんな連中の言う事に私は信用できませんでした。
そこに共産党は学ぶべき要素があるのだとおもいます。自分たちだけが戦っているのではないと言う自覚を持ってほしいのです。
また、労働組合は意識を変革すべきでしょう。これはフリスキーさんのブログでも知った事ですが一部左翼が「汚染とともに生活する」という住民主体の活動を攻撃しているようですがそうした度量の狭さが左翼そのものへの不信感にもなるでしょう。
私は護憲保守と名乗っているのですがしんどいと思います、正直に言って。「0か1」でもない、「白か黒か」じゃなく、カラーのある多様性の社会を支持する一人です。ですから、共産党を無条件に支持しているわけでもないんですね。
問題は運動が社会にどれだけ日常化することです。つまり、秋原さんが言うように「参加しても誰も後ろ指をさされない」社会にしなければならないんです。
スローなデモにしてくれ
官邸前デモの言いだしっぺである、反原発連合有志の方は、若く、言葉も貧弱でしょう。議論なんてしたことないだろうし、苦手だし、大っ嫌いなんだろうなって、全然想像に難くないじゃありませんか。想像してあげてください。
政治的人間じゃないんです、彼らは。でも彼らの皮膚感覚で、ヘンじゃね?と思い、いても立ってもいられなくなって、官邸前デモをはじめた。その、彼らの、ピュアな想いこそが、官邸前通りを群衆が埋めつくすという奇跡を現出しせしめた、最大要因だ。
彼らの至らなさを批判する前に、まず「ありがとう」と言おうよ。それが、人としての礼節だと、僕は思うよ。
ああ、いまだ夜の胎は青梅の未熟さなのだ。ぼくらはじっと待たねばならぬー夜の河はひしひしとこごえようとも。
時間をかけて育てていけばいい。再稼働反対は、脱原発の主張であり、それは必然的に、脱大量電力消費社会へと向かう。スローな社会をめざす戦いなのです。スローなデモにしてくれ。
同名のエントリを自ブログにてUPしております。TBしますので。お読みください。僕も、まあ、議論は好きではありませんが、避けるものではありません。自由闊達に議論いたしましょう。
>小野さま
ブログを更新されているということで,またお邪魔致しますね。楽しみが増えて嬉しいです。
私は教員の時,組合に一応所属していたのですが,
でもゼンゼン詳しくなくて申し訳ないです。
政党との関係とか,連合系とか,,と教えて頂いても,
お恥ずかしいことですが,こないだの思想関係に続き,またしても無知でホント申し訳ありません。
いろいろリンク先を載せて下さっているので,勉強させて頂きます。ありがとうございます!
意識改革が必要ですね…
その状況に諦めることなく不起立という不服従を貫く先生方がいらっしゃるのです。しかし、一人、二人じゃ、見せしめの処罰とバッシングにさらされるだけで終わってしまいます。大勢で団結して不起立を貫き組合がバックアップすれば、それだけ強い抗議になりますよ。
このフリスキーさんのご指摘が現在の日本の労働組合を取り巻く環境を見直すときのポイントであり、日教組の怠慢ですね…。憲法の番人であるべき最高裁が、番人たりえていない。これが大きな問題でもあると考えます。 だからmimosaさんの様に、現場で奮闘しておられる教職員の皆さんが苦労されると思います。mimosaさんのコメントを拝読させて頂き教育現場の凄まじい苦悩がひしひしと伝わりました。
>労働組合は意識を変革すべきでしょう。これはフリスキーさんのブログでも知った事ですが一部左翼が「汚染とともに生活する」という住民主体の活動を攻撃しているようですがそうした度量の狭さが左翼そのものへの不信感にもなるでしょう。
小野哲さんご指摘のコメントをわたしも拝読しましたが、左派のこの様な行動が本当であるなら、これは本末転倒も甚だしい大問題ですよね…、これでは労働組合や左派の存在意義が問われますよ。労働組合離れが止まらないのも頷けます。それを上手く利用するのが橋下徹という構図ですよね…、、、。
“まず塊(カイ)より正せ”ですよね…。
変わっていくということ
>加しても誰も後ろ指をさされない」社会にしなければならないんです。
さすがに良いことをおっしゃる。
そのためには、いかに仲間を増やすかというプラグマティックな視点が
必要ですね。左翼側はその点で、大いに反省をする必要があると思います。
社会の中で仲間を増やすなり、溶け込むための再考をしていくべきです。
さて、
私が左翼、左翼っていうとおそらく秋原さんはご不満かと思いますが、
たとえば、フランスでオランドにあなたは左翼ですか?って質問すること
自体がナンセンス扱いされるでしょう。当たり前に過ぎるからです。
私なんか長いことこのブログを読んできましたが、秋原さんは、
私から見て明白に左翼だと思うんです。でも、秋原さんはその点で
抵抗があるというのは、左翼という言葉に伴う否定的ニュアンスにあなたご自身が
影響されちゃってるからではないですか?
左翼の再構築をしていくには、これでは駄目で、左翼の現実を
きちんと見つめて、左翼に対する世間の否定的ニュアンスを少しで払拭するべく
一人一人が草の根レベルから行動していくべきなのではないですか?
そのためには、旧態依然の左翼のやり方では駄目だと思うんです。
やはり、変わっていかないとね。
PS
私は、最近、左翼批判をあちこちでしていますが、意外に思われるかもしれませんが、
そのプロセスを通して、自分が左翼であるという思いが強まりました(笑)
分裂だけはやめて欲しい
分裂だけは避けて欲しいです、野田総理と財界が喜ぶだけですから。是非とも建設的な方向で話し合って欲しいです。
さて、もし私がデモ主催者だったら・・やはりのぼり・旗・プラカードに関しては首都圏反原発連合の設けたガイドラインとあまり変わらないモノにならざるをえないだろう、と思います(但し大阪のスタッフのような対応はしないと思います。つまり、特定の政治的テーマ」に 労働組合名は該当しないと判断します)
もしこれが欧米だったらどうなんでしょうね?
私の想像ですが、反原発デモに極右団体(ネオナチやkkk)は来れないでしょう。「連帯の原則」が貫かれているから、市民が「来るな!」っていうんじゃないでしょうか。
極左系の団体は、いるんかな?
もしいたとしても、「連帯の原則」で、あんまり中に入ってこれないんかも・・。
欧米だったらデモの主催者は、首都圏反原発連合が苦慮してる対応に頭を悩まさなくてもすむのかもな・・・と想像してみたり。
繰り返しますがこのエントリ-はどちらかといえば、労組の旗を拒否、みたいなことが何故日本ではおきてしまうのか、の現状分析に重きを置いたモノです。私は労組の旗を拒否、みたいなことが起きる主原因は草の根民主主義の成熟不足だろうと考えています。
但し大阪のスタッフの対応には私も納得いきませんし、原発労働の問題、先住民のウラン被曝の問題、核燃料の再処理問題、原発利権=原子力村の問題を棚上げにし、「再稼働反対」のみの結集では、脱原発は成功しないというのには激しく賛成です。
さて、このままデモを続けていっても脱原発の成功の可能性は残念ながら低いように思えます。
ですから、そろそろタラリさんが提唱してくださったような質的転換が必要なのではないかな、という気がします。
そして脱原発運動を組織化するときには本文であげた「連帯の原則」は欠かせないと思います(その点で池田香代子さんには失望しています)
ところで私にはちょっとわからないのですが・・・
反原発を主張する人々を「左派」というくくりでくくっていいものかどうか、というかそんなくくりをする必要があるのでしょうか、私にはわかりません。
同じ反原発でも、ちょっと前、群馬大の早川教授はとんでもないこと言ってましたよね、「セシウムまみれの水田で毒米つくる行為も、サリンつくったオウム信者と同じことをしてる」と被害者である福島の農家の人々をこの上もなく冒涜する許せない発言をしてました。
あの早川教授も反原発だから「左派」という範疇に入れるんでしょうか?
私は別に反原発=左派、というくくりをわざわざしなくても、反原発は反原発、だけでいいよう思うのですが。
秋原さんへ
>だけでいいよう思うのですが。
原発というものを構造的に考えていくと、この国に根付いている差別構造というものから
捉える必要があるという点は秋原さんも同意していただけるでしょうし、あの長大化した
論争でも皆さんコンセンサスが得られていると思います。つまり、差別構造から本質的に
捉えて脱原発を訴えていくということは、どうしても左派の視座に立つことになるん
じゃないの?脱原発デモには右翼もいますし、いろんな人がいますが、労組の旗を見て
忌避する人っていうのは、旗から左翼サイドの政治的な主張をしているような
イメージをもっちゃってるわけでしょう(実際はそうではなくても)。
そうすると、労組の旗というアイコンの背景にある問題、つまりなぜ左翼に悪いイメージを
持っている人が少なくないのか?左翼というものが否定的なニュアンスで捉えられてしまう
ことが少なくないのか?なぜ左翼が大衆の中で受け入れられて支持が広がっていかないのか?
という問題に至るわけですよ。
秋原さんはやはり、左翼に対する自省的な視点を持つことから逃げていると思います。
>フリスキーさん
> 捉えて脱原発を訴えていくということは、どうしても左派の視座に立つことになるん
> じゃないの?
そう言うことを聞いているのではないです。
小野さんの仰る「一部左翼が汚染とともに生活するという住民主体の活動を攻撃している」というのは、早川教授の環境原理主義的な暴言のことでしょう。
早川教授は反原発だから左翼だ、反原発を唱える者は皆左翼だ、とわざわざ位置づける必要があるのですか?と聞きたいのです。
そうでなければ早川教授の暴走を「一部左翼」の暴走とは言わないので。
早川教授のような事例は「一部左翼の暴走」ではなく「一部反原発派の暴走」でいいんじゃないんですか?
それから
>秋原さんは、
私から見て明白に左翼だと思うんです。でも、秋原さんはその点で
抵抗があるというのは、左翼という言葉に伴う否定的ニュアンスにあなたご自身が
影響されちゃってるからではないですか?
とのご質問があったのでお答えします。
私は常に憲法や世界人権宣言に立脚しています。
では、憲法や世界人権宣言は「左翼」「左派」ですか?
日弁連人権委員会とかアムネスティとか国際人権委員会は「左翼団体」なのですか?
ということです。
違うでしょう?
憲法や世界人権宣言は「左翼」「左派」という「一派」なく、人類の「スタンダード」なのではありませんか?
地動説を支持することを「地動説‘派’」などと表現しません。それと同じ事です。
私が日本では所謂左派と呼ばれる考え方であることは間違いないので、他の人が私を左翼と他称することは構いません。しかし私は、自分は人類のスタンダードにたっているという自負があるので「左翼」と自称するのを好みません。
おわかりいただけましたか。
運動を有機的に継続するには…
中国にこんな言葉があるんですよ…「刃物の言葉と豆腐の心」
また、日和見だ…修正主義だ…反党分子だ…なんて小難しい言葉でいじめられるのかしら?…、おお怖ッ!!。p(^-^)q(爆)
>青い鳥さん
>小さな子供を抱えた若いお母さんが、インタビューを受けてました…「わたしはデモに参加するのは初めてです…。最初、怖くて躊躇していたんだけどわたしの子供の命のことを考えるとどうしても我慢できずに参加したんですが、来てみると以外に穏やかでした。ファミリーエリアも設えられていてこれなら、毎週でも参加したいです。」と…。 ある初老の男性は、「僕は60年安保闘争に参加したけどね…極左の連中もたくさんいてね、戦々恐々としていて凄く怖かったよ…長続きしなかったけど、今のデモは家族連れもいて穏やかでいいね、ほんとうに長続きしてもらいたいよ。」
こういうお母さんやご老人に幅広く末永く参加してもらうために首都圏反原発連合は「政治色」を薄めて「再稼働反対」のシングルイシューで集まるデモを主催しています。そして共産党が肩入れしているのは首都圏反原発連合です。
つまり青い鳥さんが支持する共産党は、既に青い鳥さんが提唱する「様々な人間を認め命を守ることをみんなで連帯して実現しようとするなら細かいことを言ってたらいつまでたっても原発なんかなくならない」という考えにたって首都圏反原発連合に肩入れしているのだと思いますよ。共産党はセクト主義、教条主義に陥らないようにと自戒しているのだと思っています。
しかし赤旗は27日のデモを黙殺しました。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/320887fa8cb90e2cfa82e7a51c26757a
私はこれを残念に思います。
新たな分裂の走りではないことを祈ります。
私は27日のデモに参加した人達とも分裂しないでやって欲しいのです。
>秋原葉月さんへ…
>つまり青い鳥さんが支持する共産党は、青い鳥さんが提唱する「このようなひとたちを結集し脱原発を成し遂げるために政治色を薄め幅広く手をつなごう」という模索を既に行っているのです。
そして赤旗は27日のデモを黙殺しました。
>私はこれを残念に思います。
新たな分裂の走りではないことを祈ります。
私は27日のデモに参加した人達とも分裂しないでやって欲しいのです。
わたしはこのことは知りませんでした。教えて頂きありがとうございます。 この事実を見て、わたしは日本共産党を支持してますが、共産党は馬鹿だなぁ…と思うんですよ…。わたしは勘違いなんかしていない積もりですよ…、この事実を知らなかっただけで…。 赤旗らしくない態度ですよね…、やはり「近親憎悪」の関係が残念ですよ。日本共産党と社民党は政策が似ているから余計に反目しあうから互いに敬遠しあうんでしょうけど…こうゆうことが脱原発の運動に冷や水を浴びせるんですよ。これがフリスキーさんやわたしが言っている左翼左派に見られる凝り固まった考えで、ノンポリからみれば何を馬鹿なことをやっているんだろうか?。となり支持の裾野が広がらないんですね…、だから、わたしはこんな馬鹿をいつまでもやっていると、橋下徹や石原慎太郎の様な危険極まりない勢力に国会を侵食されますよ…、左翼左派同士が反目しあっていたら、日本国憲法なんかズタズタに改悪されちゃいますよ…、脱原発なんて実現しませんよ…と左翼左派に対して左翼の青い鳥が警鐘を鳴らしているんですよ…。わたしは何を勘違いしているんでしょう?。 秋原葉月さん…わからないので、教えてくださいませ。
>青い鳥さん
でも青い鳥さんのコメントを読むと共産党は最初から教条に凝り固まった狭量ぶりを発揮していると評価していたように読めました。
なので勘違いしているのでは?と書きました。
分裂だけはやめて欲しい・2
http://coalitionagainstnukes.jp/?p=789
(1) 原発問題と直接関連しない文言を掲示することはお控えください。下ろしていただくよう、スタッフがお願いする場合があります。「直接関連しない」とは、その文言だけを見たときに、一般に原発問題と認識されないものを言います。
(2) 市民団体その他で、団体の名称そのものが特定の政治的テーマに関する主張となっている場合も(1)に準じます。
(3) その他の団体名の旗や幟については現場で下ろしていただくことはしませんが、首都圏反原発連合はそれらの幟旗を歓迎しません。所属よりも主張を!ということを強く提案します
(引用ここまで)
(3)に引っかかりを覚えますが、(2)で旗を降ろされた極右団体、極左団体から「なんで労組ののぼりはいいんだ」と抗議を受けたときに、徹底的に議論できる余裕がないわけですよね、今の首都圏反原発連合には。だから逃げ口上的な(3)を設けたのでしょう(善意に解釈すれば)
団体名を記した労組の旗は下ろせとは言わないけど歓迎してませんよ、と言うスタンスをとることで、できるだけいざこざを押さえたい、というのなら、わかります。今の日本の民主主義は未成熟な現状からすれば こういうガイドラインは仕方ないかも、とも感じます。
でも今回の大阪のケースは団体名の旗を下ろせと言ってきました。(3)によれば 労組の団体名の旗は歓迎されなくても下ろせとは言われないはずです。
ということはスタッフは団体名の旗を(2)の「団体の名称そのものが特定の政治的テーマに関する主張あたる」と判断したと思わざるを得ないです。
私はやはり労働団体の名前を記したのぼり旗は(2)にあたるとは思えないのです。
これはスタッフがガイドラインの「運用」を誤ったといえるんじゃないでしょうか?
とにかく分裂だけは避けて欲しいから、ガイドラインの運用についてとことん話し合って欲しいです。
そして早く質的転換を遂げてほしいと思います。
>秋原葉月さんへ…
でも秋原葉月さんのご指摘の通りこの千載一遇のチャンスをものにしたいものですよね…。^・^
やはり、原発は人類が制御不可能な“核”を使用する危険極まりない施設であることを国民のコンセンサスにするように努力しなければなりませんよね…。
今、伊勢湾沖でメタンハイドレートの試験採掘を実施している様ですが、日本周辺近海に向こう100年分の埋蔵量があるそうです。また石油にくらべ二酸化炭素の排出も1/2以下だそうで、実用化も2、3年でできるそうです。京大の小出助教によれば、火力発電所の稼働率は70%なんです。このメタンハイドレートを遊んでいる30%の火力発電所で使用すれば、危険な核による発電に頼らなくとも電力需要には充分に応えられると思うんですよ。秋原葉月さんが日頃、批判されてみえる“原子力ムラ”は国民の命の尊厳なんか歯牙にもかけてないんですね…。この様に事実を丹念にみんなに知らせれば、脱原発の運動の裾野は、ドンドン広がるとわたしは思うんですけどね…。この運動が東京・大阪にとどまらず、全国に広がりを見せれば、いくらボンクラな我が身大切な政治屋だって、無い知恵をギューッと搾り、いやいやながらも脱原発法案を国会で採決するんではないでしょうかね…。 ちょっと甘いかな?…。^・^
分裂だけはやめて欲しい・3
労組の名前入り旗も自由にok。
極右極左団体は、連帯の原則でご遠慮いただきたい
要求は「再稼働反対」のシングルイシューではなく、被曝労働問題や原子力ムラの問題までふくめたい
しかし現実
このガイドラインだと
↓
・日本にはヘイトクライム禁止法がない。ヘイトスピーチ、ヘイトクライムは犯罪だという認識が社会に共有されていない。だから極右極左が参加させろともめるのは必至
・そして労組の団体名だけの旗がたくさん翻ったら、現実問題として主婦などの一般市民の参加人数は減るだろう。
だからどの程度まで妥協して間口を広げ、それをどう次の段階につなげるか、だと思います。大事なのは次の段階につなげる事じゃないでしょうか。もうその段階に来ているような気がします。
ただ、「再稼働反対」以外の要求を設けることで人が減ってもこれは妥協できないと思います。
なぜなら「再稼働反対」だけではいくら人数を集めても脱原発自体が不成功に終わると思うからです
共産党がよく批判されるパターンになってしまいますが…
雰囲気の一例ですが…
一時期、もう忘れられかけている「まがいもの」のヤンキー先生こと、義家弘介に、日教組が攻め込まれている時期がありましたが、そんなことがあり得ることに、今の雰囲気があらわれていると思いませんか。まあ、北教組の問題とかが確かにありましたが…。
で、この義家を諮問会議の座長にまで、安倍氏はしたのですよ。義家は、マスコミにあまりメッキをはがされずに、今ものうのうとしていますよね。安倍氏もときおり、妙な存在感を未だに見せることがありますし…。
>suterakuso様…
> 日の丸・君が代のことは、日教組を責めるのは厳しすぎませんか? 政府・財界・マスコミ・右翼などが、それぞれの立場でいかに巧みにそういう雰囲気をつくっていったかという話があるように思うのですが…。
わたしは全共闘の一回りと数年あとの世代です。わたしは高卒ですので小難しいことは解りませんが、高校時代、日本民主青年同盟という日本共産党の系列組織で他愛なきお遊びをしてました。民青に入ったきっかけは、わたし好みの美形J.K.に誘われたから、生来のスケベ心が頭をもたげ、その娘を何とかものにしようとしたのが、運の尽き…、使いものにならない左翼親父になり現在に至ってます。家が貧乏だった為、大学を諦め、都市銀行へ入行しました。銀行は大資本家の太鼓持ちという偏った思想に洗脳されてましたので青臭い若者だったわたしは、あぁ転向してもうた…、という忸ジたる思いに苛まれました。 左翼から大資本家の子分に堕落したんだから純情なガラスの様に脆い心が傷むのは、suterakuso様にもご理解頂けると思います。 その頃は、わたしの勤務していた銀行にも日本共産党の細胞は存在してましたが、今は恐らく大企業には殆ど日本共産党の細胞はないでしょうね…。銀行では日本共産党の党員と判明すればまず役員や支店長にはなれないでしょうね…。つまりは日本は欧州と違い左翼思想におおらかではないのですよ…。だからなかなか組合も簡単に叩かれ、権力側に対抗できない状況から脱却できないんですね…、フリスキーさんがおっしゃったことは、左翼よもっと魅力的になれよ…という愛情にみちあふれたエールだとわたしは思うんですけどね…、日教組が労働貴族にならず、真に子供を戦場に送ってはならないという理想を信念として腹に据え、ひとりひとりの教職員の方々の人権・思想・信条・良心の自由を守るべく組織が気概を持ち、橋下徹と対峙すれば、あんなサラ金御用達似非弁護士の青二才なんて一発で吹き飛んでしまい、教職員の皆さんが分限免職なる理不尽な蛮行に怯えなくて済むんですよ…、その為には労働組合や左翼政党に脱皮が求められると考えます。左派が間口を広げ、フリスキーさんの信念である自由主義を中心に据えれば、差別団体などは、自然にいずらくなりスゴスゴと脱原発運動から去っていきますよ。左派に魅力があればドイツの様に脱原発が国是になると思います。
キーワードは、“人間味と寛容さ”だとわたしは考えます。この脱原発運動が長く続けばマスコミや大企業やボンクラ棄民政治屋も民衆の怒りを無視し続けることはできなくなるとわたしは考えます。suterakuso様…、話しが逸れてしまいました…、僕の悪い癖。お赦しくださいね…。
補足
その理由として本文中に
「民主主義社会では、労働組合のように自分たちの人権のために団結して闘うのは当然のことなのに、日本ではそれが政治的だと忌避されます。政治色を示して主張することは特殊なことだという偏見が広く浸透し、関わり合いになりたくない、と感じる人が多いです。」
と書きました。これは要するに草の根レベルでの民主主義の未成熟です。
それについてもう少し補足したいと思います。
なぜ「政治色を示して主張することは特殊なこと」「関わり合いになりたくない」と感じるのでしょうか?
ヨーロッパでは国民的な市民運動やデモは全然珍しくありませんが、日本では久しく存在しませんでした。
いつからなかったかというと、安保闘争のときからではないでしょうか。
で、安保闘争は確かに一般の普通の人から見れば怖いです(私も怖いです)。
過激派なんかもいて、いくつものセクトに別れ、プロばかりいて、ちょっといい加減なこと言えば糾弾される、みたいなイメージがあります。
団旗がたくさんあがるような大規模なデモからイメージされるのは、そういう安保闘争の時代だと思います。だから多くの一般市民はデモと言えばなんとなく怖いし、ノンポリな自分は場違いで入りづらいと感じるのだと思います。
あのころの日本の民主意主義勢力は言ってみればフランス革命直後、分裂、粛正が吹き荒れた頃と似ているのではないでしょうか。つまり、民主主義を担うべき担い手もまた「民主主義が未成熟」な段階だったのです。
日本の場合、民主主義勢力となるべき担い手自身が民主主義的に未成熟な段階で市民運動が下火になってしまったので、政治運動、市民運動、大規模デモといえば、いつまでもあの頃の独特の怖いイメージがトラウマのように焼き付いているのだと思います。
これを払拭するには一朝一夕では行きません、息の長い努力が必要でしょう。
私が思うに、ひとつは労働組合がきちんとその役割を果たすことだと思います。
ヨーロッパの組合は産業別で、非正規労働者も当然組み込まれています。公務員と民間が対立することもありません。連帯すべき者同士がきちんと連帯しているのだと思います。
しかし、日本は基本的に企業別で御用組合化しやすいです。青い鳥さんが仰るように「労働貴族」がいたり、非正規は組合からはずされていますからは、非正規からすれば組合なんて正規の既得権を守る団体に見えたりするでしょう。
かなり息の長い話となりますが、やはり労働組合を産業別にし御用組合の温床をなくすこと、ヨーロッパのように連帯すべき労働者同士がきちんと連帯できる組合が生まれる土壌に作り直す事だと思います。
もう一つはもっとも大事なことだと思うのですが、やはりヨーロッパ並みに学校で人権教育、民主主義教育をみっちり行うことだと思います(もう3つシリーズを書きました)
デモは国民の大事な権利であるという民主主義と人権の基礎中の基礎が日本では教えられていないので、まずそこからきっちり教育するカリキュラムを取り入れてほしいです。
労働者の権利を憲法の基本からみっちり教えれば、労働組合のデモに偏見を示すこともなくなってくるでしょう。
それが草の根民主主義を成熟させるための「国民の不断の努力」(憲法12条)の一端だと思います
今の日本でこれを実践しようと思うと途方もない困難が待っていますけど。
管理人様
「労働組合」は政治(的)団体です。
(特に、連合会等の上部団体はまごうことなく政治団体)
なので、(2)を適用した主催者団体を責めることはできないと思います。
後、自分たちの認識として、「自分たち(労働組合)は忌避される団体なんだ」ということを常に意識して行動をしないと、「世論(という名前を借りたマスコミ)」にフルボッコにされます。
ある意味地下組織と同じで、順法適法な行動を行い、かつ、世間様からわずかでも非難される行動をしないようにしないと、あっという間に周りは敵だらけで、理事者から不法違法を問わず攻撃をかけられて組織を破壊されます。(しかも理事者側は法違反に問われることはない)
あと、自分たちを守る法律はすべて空文化しているという覚悟もいるのかもしれません。
こう考えると「組合旗を揚げさせろ」というのはとてつもなく贅沢な主張なのかもしれませんね…
秋原葉月さんへ
>小野さんの仰る「一部左翼が汚染とともに生活するという住民主体の活動を攻撃している」
>というのは、早川教授の環境原理主義的な暴言のことでしょう。
>早川教授は反原発だから左翼だ、反原発を唱える者は皆左翼だ、
>とわざわざ位置づける必要があるのですか?と聞きたいのです。
秋原さんは誤読していますよ。たしかに、私のブログのコメント欄に、
「一部左翼が汚染とともに生活するという住民主体の活動を攻撃している」という
旨の投稿がありましたが、この情報について私は自分でソースを調べていません。
自分で確認していない情報を元に、私が左翼批判などするわけがないではないですか。
私もずいぶんと秋原さんに見下されたものですね。
それに、私は脱原発=左翼だなんて一言も言っていませんよ。
私は先の投稿で、
『脱原発デモには右翼もいますし、いろんな人がいますが、労組の旗を見て
忌避する人っていうのは、旗から左翼サイドの政治的な主張をしているような
イメージをもっちゃってるわけでしょう(実際はそうではなくても)。 』
こう書いているではないですか。
それとも、フリスキーごときのコメントはまともに読む気がしないということですか?
それならそれであなたの自由ですが、私にレスを付ける以上、
きちんと読んでください。不愉快です(怒)
次に、
>私が日本では所謂左派と呼ばれる考え方であることは間違いないので、
>他の人が私を左翼と他称することは構いません。
>しかし、私は、自分は人類のスタンダードにたっているという自負があるので
>「左翼」と自称するのを好みません。おわかりいただけましたか。
秋原さんが、立憲主義と世界人権宣言に立脚して政治社会系のブログを運営し、
意見を発信して来たことは私はよく存じ上げております。
ただ、秋原さんは、経済思想においては北欧型の社民主義を志向しているし、
安全保障においては非武装論者でしょう?
これは人類のスタンダードではないです。
北欧諸国で軍隊のない国がありますか?
総合的に見て、やはりあなたは左翼だと思います。
そして、
左翼にまつわる日本特有のネガティブなイメージにあなた自身も影響されていて、
だから、ご自分を左翼と切り離したいのではないですか?
しかし、前回のコメントを繰り返しますが、
左翼の再構築をしていくには、これでは駄目で、左翼の現実を
きちんと見つめて、左翼に対する世間の否定的ニュアンスを少しで払拭するべく
一人一人が草の根レベルから行動していくべきなのではないですか?
そのためには、旧態依然の左翼のやり方では駄目だと思うんです。
やはり、変わっていかないとね。
本当はね、左翼と呼ぼうがなんと呼ぼうが、どうでもいいんです。
しかし、私がここにこだわるのは、理由があるんです。
秋原さんの立場に近い人たち、及びもっと左よりの人たち(
要するに世間では左翼と言われている)に対する自省的視点を持つことから
逃げるために、左翼と呼ばれることから避けたがっていると私は強く感じたからです。
(つづきは後ほど)
う~ん…
こんばんは。はじめましてではありませんよね。今までのことは水に流しましょうということでしょうか?
>日教組が労働貴族にならず、真に子供を戦場に送ってはならないという理想を信念として腹に据え、ひとりひとりの教職員の方々の人権・思想・信条・良心の自由を守るべく組織が気概を持ち、橋下徹と対峙すれば、あんなサラ金御用達似非弁護士の青二才なんて一発で吹き飛んでしまい、教職員の皆さんが分限免職なる理不尽な蛮行に怯えなくて済むんですよ…
日教組の平(ひら)の組合員に「労働貴族」なんて言ったら怒られると思うのですが…。もちろん、輿石氏のような人もいますが、あれは例外、あるいは、執行部とか中央機関とかの問題ですよね。で、ここで「労働貴族にならずに」ってのはどちらに要求しているのですか? 平の組合員に要求しているのなら「労働貴族」なんて言ってはいけないでしょう。中央機関とかに要求しているのなら、さあ、今そんな強い行動方針を打ち出したら、日教組の組織率に悪い影響を及ぼさないですかね?
それから、私は小学生時代に、日教組(←たぶん)の先生のストを経験したことがあります。ストと言っても、教卓に座って私たちの様子を見てくれているのですけど…。平和教育もしっかりしていただきました。8月6日は必ず登校日で、黙祷を捧げたり、NHKを見たりしました。ただ、いつ頃かの時期に、そうした先生たちに対する一斉処分があったように聞いているのですが…。で、その時にマスコミとか世論とかはどうしたのですかね。それを経て今みたいな時代になって、果たして、またあの頃の事のようなことができるのですかね。
>フリスキーさんがおっしゃったことは、左翼よもっと魅力的になれよ…という愛情にみちあふれたエールだとわたしは思うんですけどね…、
どういう魅力なんですか? これまでの話の流れを見る限りでは、私は、十分に一般受けをしそうな魅力が提唱されていないように思うのですが…。例えば、人間味に溢れていて誰にでも愛されるけれども、情がある故に、結婚後も情愛をたくさん経験しているってことでしょうか? それほど魅力がある、と。さて、今のご時世で、教員として一般受けするでしょうか? まあ、フリスキーさんのおっしゃったことは、「おおらかさを持って」ってことではないかと思いますが、それなら、今の日教組はそんなに排他的な性質とか非人間的な性質とか官僚的な性質をもっていますかね?
青い鳥さんへの回答はここまでです。
さて、なんで、組合がこんなとらえられ方になったのかとか、日本の教育にどんな力が働いてきたかとかは、ネットであれこれ見ているよりも、しっかりとした本や論文を読んで勉強した方がよいように思い始めたのですが、何かよいものがあれば、みなさん、ご紹介ください。
秋原葉月さんへ2
>このエントリ-は、どうすべきであるか、ということよりも、
>何故反原発デモはこういう状態なのかという現状分析に重きを置いています。
要するに、反原発デモに組合旗の持ち込みが忌避されるような状況にどうして
なってしまったのか?ということでしょう。
それについても、私は大雑把に考えを申し上げました。
ちゃんとエントリーの趣旨を踏まえています。
次に、秋原さんは、
>日本は基本的に企業別で御用組合化しやすいです。青い鳥さんが仰るように
>「労働貴族」がいたり、非正規は組合からはずされていますからは、
>非正規からすれば組合なんて正規の既得権を守る団体に見えたりするでしょう。
> かなり息の長い話となりますが、やはり労働組合を産業別にし御用組合の温床をなくすこと、
>ヨーロッパのように連帯すべき労働者同士がきちんと連帯できる組合が
>生まれる土壌に作り直す事だと思います。
このようにおっしゃっています。これは以前、鍋党ブログでどなたかがおっしゃっていた
ことですよね。たしかに良案だと思います。
私の知人がパワハラを組合の団交を通して、解決したことは何度も話しましたが、
彼の所属している組合は、独立系の労組で企業別ではありません。様々な企業、業種、
雇用形態の人が集まっていまして、公務員から零細企業のパートタイマーまで加入しています。
ただ、この労組も政党や政治家とのつながりはあります。
こっぱなお役人さんがおっしゃるとおり、労組は政治とは無縁とはならないでしょう。
特に大きくなれば大きくなるほど政治との関わりが深くなるはずです。
企業別労組から産業別にしても、同じでしょうし、
その場合、まさか、労組が、自民党やみんなの党、維新の会の支持母体となることは
ありえないですよね。連合系の御用労組(民主党の支持母体)ではダメです。
本当に弱い立場に置かれた勤労者たちのために実効力を持つ労組の力を強くしていくには、
必然的に、左翼政党の勢力を強めていく必要があるんです。
そのためには大衆の支持を広げていかなければなりません。
ところが、現状においては、左翼に対するネガティブなイメージが強く、
脱原発デモでも組合旗を見て忌避する人たちがいるのは、
組合旗というアイコンに左翼のイメージを重ねてみているからです。
(ただ、連合系の労組など左翼とは言い難いけど)
ですから、反原発デモにおける組合旗の扱いを巡る問題を考えるには、
その背景を掘り下げる必要があるのであり、
大衆の中でなぜ左翼の支持が広がっていかないのか?
なぜ、左翼は後退していく一方なのか?
反原発の機運が高まっているのに、なぜ左翼政党は反比例的に支持を下げてしまうのか?
反原発の世論が多数派なのに、右派が席巻しているという矛盾した奇妙な状況に
あるのはなぜか?
これらの問いに、簡単に答えが出なくても、
少なくとも、左翼の側に問題が無いとは絶対に言えないはずです。
だから、人を批判するだけではダメで、左翼自ら自省して、
自分達を変えていく必要があると申し上げているのです。
余談ですが、鍋党の話が出たので申し上げますが、あそこは所得の再分配の強化を
目指すネット上のアクションですよね。理念は素晴らしいです。たしかに大衆の
利益に適っています。しかし、実際は思うように人が集まらず、盛り上がりに欠け、
不発でしたでしょう?
その理由を考えることは、左サイドからの動きがどうして大衆の中で支持を集められないのか
という上述した問題に通じていくと思いますよ。
>左派左翼の自省の大切さ
「あ、共産党かわったじゃん、カッコいいじゃん、貧困から救ってよ…」と人気も急上昇すると信じます。旧態依然だと次の総選挙で日本共産党の衆議院議員がいなくなりますよ。日本国憲法ズタボロでっせ…。
おお怖ッ!!
私も最近感じていました
実は橋下氏を「反原発という立場から支持する」という方のブログに「私は支持出来ない」という理由を書いたところ「脱原発運動を分裂させるな!」というお怒りを買いました。
私はブログ主の人格や考えを否定したりしていません。自分の考えをのべただけです。何か違和感を感じました。
そして「脱原発デモ」なのですが、それ自体は素晴らしい事なのですが、どこか冷めた目で見てしまう自分がいるのです。
参加している人の中で「自分自身の無知が原発を立つのを許してきた」と意識している人はどれだけいるのか?
「どうすれば原発を止められるのか?」と自分のこれからの行動を考えている人はどれだけいるのか?
それは事故前「原発はクリーンな発電施設です」と宣伝して、事故後は「原発御用学者」を出演させ続けていたテレビをいまだにイメージで信じ続ける大多数の日本人の姿に感じる疑問なんです。
>suterakuso 様
橋下徹の分限免職攻撃に怯えておられる教職員の皆さんを組織を上げて救えよ!。と言いたいだけ…。
やっぱり日教組というのは、
で、私は、こむずかしことがあったから現状があると考えています。組織を挙げれば何とかなるのなら、何とかするんじゃないのかなぁ…と。
あと、青い鳥さんは連合に厳しい目を向けているように見えますが、連合に加盟しているからということで、日教組と全教を違ったものとして見てないかなぁ…とも感じます。先のコメントに書きましたが、全教だって何かすればよい訳ですよね。もしかして、そのことを書いたから、レスをいただけたのかな?と、邪推してしまったりもしています。連合系=労働貴族、全労連系=真の労働者の見方、みたいなステレオタイプが、もしかして少しありませんか?
もちろん、青い鳥さんが、共産党にも自省を求めていることは読みましたが…。でも、魅力って、名前ぐらいじゃだめですよ。青い鳥さんもご理解されているのではないかと思いますが、共産党の最大の問題点は、執行部の民主集中制へのこだわりですよ。魅力とはまた別の話だと思います。
>フリスキーさん
と書いてらしたので、これはあの群馬大の反原発派、早川教授の有名なツイート(福島の農家はオウムと一緒)のことだな、とピンと来ました。
で、小野さんはそれを「一部左翼が」と表現してらしたので、
早川教授は「左翼」なわけ?「一部左翼が~」じゃなくて「一部反原発派が~」でいいんじゃないの?
これではまるで反原発派は皆左翼って扱ってるみたいなんだけど?
別に反原発=左派、というくくりをわざわざしなくても、反原発は反原発だけでいいのでは?
という趣旨のことを誰とも無しに尋ねてみたわけです(宛名無しのコメントでした)http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1020.html#comment9152
そしたらフリスキーさんからお返事が来ました。それがこちらです
(引用開始)
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1020.html#comment9153
>私は別に反原発=左派、というくくりをわざわざしなくても、反原発は反原発、
>だけでいいよう思うのですが。
原発というものを構造的に考えていくと、この国に根付いている差別構造というものから
捉える必要があるという点は秋原さんも同意していただけるでしょうし、あの長大化した
論争でも皆さんコンセンサスが得られていると思います。つまり、差別構造から本質的に
捉えて脱原発を訴えていくということは、どうしても左派の視座に立つことになるん
じゃないの?脱原発デモには右翼もいますし、いろんな人がいますが、労組の旗を見て
忌避する人っていうのは、旗から左翼サイドの政治的な主張をしているような
イメージをもっちゃってるわけでしょう(実際はそうではなくても)。
そうすると、労組の旗というアイコンの背景にある問題、つまりなぜ左翼に悪いイメージを
持っている人が少なくないのか?左翼というものが否定的なニュアンスで捉えられてしまう
ことが少なくないのか?なぜ左翼が大衆の中で受け入れられて支持が広がっていかないのか?
という問題に至るわけですよ。
秋原さんはやはり、左翼に対する自省的な視点を持つことから逃げていると思います。
(引用ここまで)
せっかくですが、なんとも私の質問の趣旨からはずれたお答えと言わざるを得ません。結局、早川教授の福島住民への攻撃は「一部左翼」の攻撃と表現すべきものなのかどうか、私の知りたかったことはわからずじまい。
最後はなぜか私に批判までしてらっしゃる(苦笑)
だから聞きたかったのはそういうことではないと書いたらhttp://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1020.html#comment9155
またまたあさっての方向のお返事をいただきました
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1020.html#comment9174
おまけに
「私もずいぶんと秋原さんに見下されたものですね」
「フリスキーごときのコメントはまともに読む気がしないということですか?
それならそれであなたの自由ですが、私にレスを付ける以上、
きちんと読んでください。不愉快です(怒) 」
という、実に解しかねるお言葉をちょうだいしました。
「私にレスをつける以上」?
私はフリスキーさん宛にレスをつけたつもりは全然ありません。自意識過剰ですよ(笑)
「私にレスを付ける以上、きちんと読んでください。不愉快です」と、同じ言葉をお返ししたく思います。
それから、フリスキーさんはどうあっても私が「左翼にまつわる日本特有のネガティブなイメージに影響されていて、自分と左翼と切り離したい」ことにしたいようです。
そして、私がそれをこのコメント欄で認めることがフリスキーさんにとってよほど大事なことのようです。
ちなみに
「秋原さんは、経済思想においては北欧型の社民主義を志向しているし、
安全保障においては非武装論者でしょう?
これは人類のスタンダードではないです。
北欧諸国で軍隊のない国がありますか?
総合的に見て、やはりあなたは左翼だと思います 」
とのことですが、これ、まさに日本国憲法が目指していることですよ?
憲法に立脚することを「左翼」と表現したくないというのが私のこだわりです。もっといえば好みの問題ですから、そもそも批判対象になるような事柄ではありません。
で、なぜ私にここでそんなに自分は左翼だと自称しろと迫るんですか。
自分を左翼だと自称し、左翼には自省が必要である、というコメントを秋原はここで書くべきだと事実上迫ってらっしゃいますよね?
「左翼にまつわる日本特有のネガティブなイメージにあなた自身も影響されていて、 だから、ご自分を左翼と切り離したいのではないですか?」
というすごい決めつけと押しつけには脱力しました。
これは私の感性であり、小さなこだわりです。(こういう感性をもっている所謂「人権派」の法律家は結構います)
私のこだわりはフリスキーさんのお気に召さないかもしれませんが、それでも私のこだわりを尊重するというのが常々フリスキーさんが強調してる「自由主義」なんじゃないんですか?
フリスキーさんは、盛んに「左翼に寛容性がないことを自省すべき」という趣旨のコメントを書き込んでらっしゃいます。
私もそれらを全て承認しています。
私はフリスキーさんのこういうコメントにレスを返していません、否定も肯定もしていません。
でも、どうやら承認されるだけでは不満なようですね。
なんとしても私もフリスキーさんと同じように「左翼は自省すべきである」というコメントしないと、満足しないようにしか感じられませんが。
フリスキーさんはかなり前に私のブログに来たネトウヨ系コメンターに、ブログ主がコメントにレスを返すかどうかはブログ主の自由だし、もともとブログ主は記事を書くことが仕事、という趣旨の返事を返してくれていましたね?
このコメント欄でも私がレスをかえしていない人は何人もいますが、みなさん、私からのレスがないことに文句を言ってません。
なのに、私がフリスキーさんの「左翼の自省」についてのコメントにレスを返さないのが不満なわけですか?
まるで某学会の折伏を受けてるか、「自己反省」を強要される極左の総括に立たされてるかのような気分です。
フリスキーさんは「左翼の非寛容性」を批判してらっしゃいますが、わたしは残念ながらそれをフリスキーさん自身に感じます。
この件に関してはこれで打ち切りにさせてもらいます。こういうコメントでここをうめたくないので。
>秋原葉月さん
団体旗について原理的に考えてみる
集団・組織として参加する場合はその集団・組織の名前を表示することが必要です。それは団体旗や幟などが必要になります。団体名はお揃いのプラカードし上に記してもいいし、徽章、腕章を着用してもいい。つまり、デモにはだれだれがなになという政治的主張をしている、という主語・述語が必要なのであり、団体旗は
なぜ、個人ではなく、団体・組織で参加するかというと、集団で行動したほうが人間、強くなれるからです。家族、仲間、顔見知りで参加したほうが、自分たちの主張に自信が持てるからです。また、持続性、発展性、結束力というものが生じるからです。
ただし、労働組合の参加については私は個人的に疑問もあります。
個人参加で成り立つ団体、例えば「杉並反原発の会」といった市民団体においては明らかに反原発の志を共有していることが、わかります。さらに「たんぽぽの会」のように反原発の文字がなくても、反原発の志で結集していることは明らかです。しかし、労働組合というのは一般に企業の中の従業員の組織であることが多い。もともと労働者の待遇改善要求で作られた団体が、議論を経て政治的要求も掲げる団体になります。このとき、個人参加のような団体と同様、すべての組合員が反原発あるいは再稼動反対の意志を持っているのかどうかという疑問があります。
ただし、大きな組織になればなるほど全員の意識が同一、同等ということもありえないので団体旗の持込の禁止の理由にすべきことでもないと思います。
それから日の丸の旗の持込ですが、この旗は団体の旗ではありません。
日本国全体が反原発になっているわけでもありませんし、日本国の総意として反原発が認められたわけでもありません。日の丸を持ち込む個人・団体が日本の国に対して強い一体感を有しているということを示すというほどの意味で掲げているのでしょう。政治的主張の「主語」に相当しない、所属を示していないので持込を禁止したらよいと思います。
議論が沸騰している中、無味乾燥なコメントを・・・
色々な国会議員の方々が顔を出してきはじめているようで、
参加者もTwitterで
「元首相、それも同じ政権内の首相経験者が「首相官邸前抗議」に参加するとは、凄い事になったもんだ!」
(http://twitter.com/gujohachi/status/226369218361323520)
などと比較的好意的に見ているようですが、
そう手放しに歓迎してよいものなのかと思って見ております。
特に現在政権を与る民主党(とそこから離党した人達による派生政党)の議員については。
確かに日本において首相まで経験した方があのような場に現れることは
一つの出来事ではありますが。
Re: 議論が沸騰している中、無味乾燥なコメントを・・・>第三痔眠党さん
首都圏反原連からの返事が来たようですで転載しておきます
http://twitnonukesosaka.blog.fc2.com/blog-entry-26.html
団体の幟・旗について(大阪教育合同労働組合様への返信)
Date 2012/07/29/Sun 15:15 Category 関電本社前抗議
団体の幟・旗について(大阪教育合同労働組合様への返信)
7月20日の関電本店前で私達が呼びかけた反原発抗議行動において、大阪教育合同労働組合として抗議に参加されていた方々が掲げておられた「教育合同」と記載された幟について、当ブログにて呼びかけていた注意事項に基づくその場の判断で、TNN大阪のボランティアスタッフが掲げないでほしいとお願いしたことを発端として、次のリンク先に掲載のとおり、大阪教育合同労働組合様から、東京の首都圏反原発連合経由で質問状が届きました。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/6e7e93070f2f2581a2d2058a224ae295?st=0
(本記事の最下部にそのまま転載させていただいております)
これに対し、私達の見解を整理して回答させていただきましたので、以下に公開致します。
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大阪教育合同労働組合の皆様
大阪教育合同労働組合書記長 竹林様
お返事遅くなりまして誠に申し訳ございません。先週金曜日にはせっかく関電前に来ていただいたのにも関わらず皆様に不快な思いをさせたのではないかと考えています。心からお詫び申し上げます。
竹林様からご意見をいただきましてから、当日現場にて皆様とお話させていただいたスタッフに事情を聞き、当日の様子を整理いたしました。そして、TwitNoNukes大阪のデモや抗議での、のぼりや旗についてのガイドラインを作成致しました。
◆経緯1(のぼり・旗について)
◆経緯2(シングルイシューについて)
◆のぼり等のガイドラインについて
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◆経緯1(のぼり・旗について)
7月20日の関電本店前抗議にて主催スタッフ2名はホームページにも記載されているガイドライン「反原発・脱原発に関係のない特定の政治団体や政治的テーマに関する旗やのぼり、プラカード等はご遠慮ください」に基づき、大阪教育合同労働組合様の「教育合同」という団体旗を降ろして頂くようにお願いしました。そこには「別の政治的テーマである<教育><労働組合>の団体の旗」と認識がありました。
私達は先週の段階では「反原発・脱原発に関係のない特定の政治団体や政治的テーマに関する旗やのぼり、プラカード等はご遠慮ください」とホームページに記述していましたが、実際には「原発に関する記述のない団体の名称のみの旗やのぼり」は、等しく下ろしてもらうようにお願いさせていただいておりました。
その際、皆様には「一般的には労働組合は政治的な活動とみなされているので、団体の旗を降ろして、個人として抗議してほしい」と説明させていただきました。しかし、これは2つの点で、大阪教育合同労働組合様に不可解に映ったかと存じます。
1点目は、大阪教育合同労働組合様の「組合旗」は政治団体の徴ではなく「団結の徴」として持ち込まれたのにも関わらず、ご遠慮をお願いした。
2点目は「教育合同」という皆様の組合旗を見て、こちらが勝手に「教育問題」「労働組合活動」という原発問題とは別イシューの「特定の政治的テーマ」を想定し、旗を降ろしていただく説明をした。
私たちのホームページ記載のガイドラインと実際の運用の齟齬がこのような事態を招いたと考えております。
◆経緯2(シングルイシューについて)
「一昨日の主催者の話によると、原発労働の問題だとか、先住民のウラン被曝の問題だとか、核燃料の再処理問題であるとか、原発利権=原子力村の問題だとか、そういったことも持ちこまれたら困る、ただただ<再稼働反対>のコールを上げることだけで集まっている、ということだそうです。」と竹林様の指摘にございましたが、このように受け取られた説明をしたとすればこちらの落ち度であります。
私達が掲げるシングルイシューというのは、原発に関わるあらゆる問題を含み、原発労働、ウラン、再処理、利権等々の問題も含んだ「原発問題一般すべて」を含みます。しかし、私達が主催するデモや抗議にて、団体の皆様が持参する「団体旗」を降ろして欲しいとお願いするのは、そのような原発問題から労働などの、重要なテーマを除外したいからでは決してありません。当日のスタッフの説明にも不備があったかと想像します。申し訳ございません。どうかご理解いただければ幸いです。
◆のぼり等のガイドラインについて
この件を受けて、のぼり・旗・プラカードについてのガイドラインを独自に作成致しました。
以上の経緯、そしてガイドラインをご覧いただき、参加の可否等をご判断していただければと存じます。
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TwitNoNukes大阪のデモおよび抗議における、のぼり・旗・プラカードのガイドライン
(1) のぼり・旗・プラカード等(以下、のぼり等)には、原発に関する文言をお願いします。一般的に原発問題に詳しくない人が見ても原発と直接関連が見いだせるようなのぼり等でのアピールをお願いいたします。のぼり等を降ろしていただいたり、片付けて頂くよう、現場でスタッフがお願いする場合があります。
(2) 団体名ののぼりや旗について
私達は、デモや抗議の場において団体名のみを記したのぼりや旗を歓迎しません。一目見て原発反対という意思表示、もしくは原発問題啓発となるようなのぼりや旗をお願いします。
*なお、市民団体などの団体の名称が、政治的テーマに関するものである場合は、(1)の場合に準じます。
これらはあくまでガイドラインであり、何らかの強制力を持ったものではありません。原発についてのデモや抗議に集まってくださっている人たちの間の、ゆるやかな約束事です。参加者の皆さまのご協力のほどを、どうぞよろしくお願いいたします。
=====
私達は脱原発運動におきましては若輩者です。
皆様には今後共、さまざまな形でサポートしていただければ幸いです。
何卒よろしくお願いいたします。
お返事にお時間いただきまして誠に感謝しております。
TwitNoNukes大阪
わかったことが >こっぱなお役人さま
>恐らく一般的な認識では 「労働組合」は政治(的)団体です。 …
>後、自分たちの認識として、「自分たち(労働組合)は忌避される団体なんだ」ということを常に意識して行動>をしないと、「世論(という名前を借りたマスコミ)」にフルボッコにされます。
なるほど〜。「常に意識して行動」,大切なんですね。それで1つ,わかりました。
教職員組合に入っていた時,時々県内のどっかのダメダメ教員やらうっかり先生が,不祥事というか,そういうのを起こすことがありました。
それで,その度に組合から組合員に「李下冠を正さず」みたいな細かい指示が降りて来てたと思います。
一般ピープルに疑われないように,理解されるように,日々教員がどうしたらいいかを教えてくれるわけですが…
中には,我が耳を疑うような,アホみたいな指示が。↓↓↓実例↓↓↓
「教職員は,昼食を外に買いに行かないようにする」
はあ!?
朝,学校に到着して早々から忙しくて走り回り,うっかり「配達お弁当」の注文をし忘れたらどーすんの!?
ごはんぬきで仕事しろと言うんかいっ!?
うちの(学校の)場合,正門前のコンビニで,おにぎりとかサンド売ってるんですけど…
さすがに先生たちの間でざわめきが起こりました。これはジョークかと。
聞いたところによると(伝聞),どこやらのバツバツ教員が「昼メシに行くと言って車ででかけて,次の空き時間も帰ってこなかった」とかなんとか。(注:田舎の学校だったんで,車で通勤する人が多かった)
他にも,(別の時だったかもしれませんが)「昼ご飯を外食し,その後パチンコに行き,そこで保護者と会ってしまった」ツボフミセンセイもいたらしい。
だから,正確には「昼食のために校外に出ることは自粛」ということで,まあわかるんですが,
でも,業間や昼休みに食事どころかトイレに行く暇もないくらい忙しくて,急性膀胱炎になったり,気がつくと6時間目(の空き時間)になってやっとお昼食べれたという教師も少なくない中,ごくごく少数のばかもんのせいで,そんなレベルから襟を皆で正さないといけない教員って…なんて可哀想…って思ってしまいました涙。(私は毎日お弁当を作って持って行ってたから,実害はなかったんですけどね。)
だって,組合は一方で,教職員に認められている「研修権」の行使すら,なかなかできる方向に持って行くのに成功しませんでしたし…。
ちなみに,友人の私学教諭は週に半日保証されていました(午後から授業なしとかの日があった)が,
公務員教員は「テスト中に試験監督をやりくりしてある日に固め,別の日を空けて研修日にする」というのすら,理解されない慣習として,いつのまにかできなくなりました。
「組合が音頭を取って,教員が自ら襟を正す」のはいいことだと思いますが,同時に教員の過酷な労働実態を理解してもらえるような働きかけをもっとしてほしいのに,そこは不十分なまま,昔は最小限残されていた研修権もいつのまにか奪われてしまったし,そうかあ,やっぱり御用組合だったのかもと,お陰さまで納得する部分が今回ありました笑。ありがとうございました。
→でも,教員はこんなに忙しくて大変なんですよ!と,組合が世間一般に対してわかってもらうのは,確かに難しい。せめて校長や管理職が,(学校に誰かがそういう批判寄せて来た時には)毅然と教師の多忙さを説明して,教師を庇っていただきたいのですが,そうするとまた「身内に甘い」とか「身内をかばう」とか言われるのだろうし,結局,なかなか理解してもらえないんでしょうね。,
でも,みなさあん,組合はこのように「自浄」するとこも絶対あるんですよ(…と退職教員の私が説明します笑)。
組合を憎む誰かさんみたいな方には,「組合=権利だけを求めるヒステリックな団体」という認識は改めていただきたいと思ったりします(まあ,地方自治体によって組合も違うのかもしれませんけど)。
秋原さん,またデモと話題のピントがずれてすいませんでした。
首都圏反原連からの返事を読ませていただきました。
なんかひどいなと思うのは「団体の皆様が持参する「団体旗」を降ろして欲しいとお願いするのは、そのような原発問題から労働などの、重要なテーマを除外したいからでは決してありません」と書きながら、「じゃあなんでだよ」という問いに対する答えが全然ない事でしょうか。
原発問題一般を問題にするのなら、原発が立地自治体の教育の現場にまで浸透してその存在をアピールしてきた事も当然問題にすべきで、原発問題とは教育の問題でもあるという事だって充分できるでしょうに。
で、改めて提示されたのぼり・旗・プラカード等ガイドラインに沿うと、ただの日の丸は「降ろしていただいたり、片付けて頂く」対象になりそうですね(原発推進を言う人たちの中にも日の丸掲げている人たちがいます。これを「一目見て原発反対の意思表示」と解釈するのは無理がありますよね)。反原発メッセージを寄せ書きなどすればOK?じゃあ組合旗もそれでOKにできるのでしょうか?
ただあくまで「お願い」レベルの要請になるでしょうし、「ゆるやかな約束事」ですから無視される事も、充分起こり得るでしょうね。
ほんとうにそうですね
それ以前に田中俊一をいったん委員長にしてしまえばもう国会の手を離れてしまうので、デモなんて意味がありません。
そう考えるとこの主催によるデモって推進側のガス抜きか陽動なんじゃないかって思えてきます。
>観測霊さん
せめてその説明をするのが大阪教育合同労働組合に対する誠意ではなかったかな、と私も思います。
結局首都圏反原連は旗に関しては折れなかったわけですが、それでもきちんと理由を説明するのとしないのとでは、大阪教育合同労働組合の受け取り方は違っただろうと思います。
一つ安堵したのは、シングルイシューとは「再稼働反対」だけではなく「原発問題一般」をさしていると明言したことです。私的には旗よりもこちらの方が妥協できなかったので。
私は個人的には大阪教育合同労働組合の言い分は正当だと感じますし、旗に関しては残念です。が、今大事なのはどちらが正しいかで相手を論破することではないと思うのです。
首都圏反原連の主催するデモに参加するときは妥協して反原発の文言を入れた組合の旗を用意する、その代わり、組合名だけの旗でもokというデモが別途開かれたときは、首都圏反原連もこないだのように黙殺する形はとらない。せめて、自分たちとは別にこういう形のデモも開催されていますと報道し、エールを送る、というように互いに反目しあうのではなく、別個に開催はするけど互いに認め合う、そう言う形が運動を大きくしていくのに今のところ一番良い方法なのでは、と思います。
日の丸に関しては・・若い子はほんとにタダの国旗だと思ってますよね、全然しらないんです、日の丸の問題を。日の丸君が代の問題を教えない教育が功を奏してますね。
>美香さん
29日のデモでは、この人事に対するシュプレヒコールもあがったんでしょうか?
>青い鳥さん
だったら、今回の首都圏反原連と大阪教育合同組合との反目を解決するために互いにどうすればいいのか、どう「人間的に魅力的」になればいいのか、その具体的な解決案を提示してくださるのを見てみたいな、と思いました。それが大事だと思うのです。
前の観測霊さんへの返事にも書きましたが、
私はやはり言い分としては大阪教育合同組合の言い分が正論だと思います。
(もちろん、そうではないというご意見もあるでしょうが、これは見解の相違であって、この程度の見解の相違で対立する必要は全然無いし、見解の相違があっても問題ないと思います)
ですから、首都圏反原連の新ガイドラインは残念と言えば残念です。
しかし、現実で今一番大事なのは反原発運動を分裂させないでより確かなものにしていくことです。
ですから、
首都圏反原連の主催するデモに参加するときは妥協して反原発の文言を入れた組合の旗を用意する、その代わり、組合名だけの旗でもokというデモが別途開かれたときは、首都圏反原連も共産党もこないだのように黙殺する形はとらない。せめて、自分たち主催のデモとは別にこういう形のデモも開催されていますとちゃんと報道する。
うちは組合名だけの旗は遠慮していただいてるが、組合名だけの旗okというデモは別途こちらで開催中ですから、労組の方々は是非こちらのデモにも参加を、エールを送る。
というように互いに反目しあうのではなく、別個に開催はするけど互いに認め合う、そう言う形が運動を大きくしていくのに今のところ一番良い方法なのでは、と私は思います。
単なる「左翼の自省」といった抽象論に終始するのではなく、具体的な問題の解決を目指して、こういう風に考えてみませんか?
抽象論→具体論
一般論→個別の解決策
総論→各論
この作業は大事です
もちろん私の提案が正しいと断言するつもりはありません。
世の中は数学のように最初から用意されたただ一つの正解が存在していて誰かが採点してくれるわけではありません。その時々で正解と思われるものを必死になって選択していくしかないですね。
さっきの補正
反映された自分の文面を読んでみて,読んで下さる方に誤解されるといけないと思ったので,付け加えさせて下さい。
>→でも,教員はこんなに忙しくて大変なんですよ!と,組合が世間一般に対してわかってもらうのは,確かに難しい。
>せめて校長や管理職が,(学校に誰かがそういう批判寄せて来た時には)毅然と教師の多忙さを説明して,教師を庇っていただきたいのですが,
私が管理職に庇って欲しいと思う「誰かがそういう批判寄せて来た時」というのは,「あの先生昼の日中からパチンコしてたで」という批判をさしている訳ではなく,
「先生が昼の時間に外に出てる」といった批判を,学校に対して誰かがして来た場合を想定しています。
外食に(昼休み+空き時間1コマ=)長時間かけたり,空き時間にパチンコしてて県民に非難されるのはアタリマエですから,それを庇えとは絶対言いません。
まあ…よく考えると,きっと「教師が外でランチ買ってる」くらいでは,一般人は文句行ってこないでしょう?と思うんですけどね…
その先生が買ってるもんをみたら,何の買い物かくらいはわかるんだし。
となれば,やっぱり昼食時の外食が一番誤解されると思うけど,これもチラ見したくらいでは(食事休憩の時間範囲内かもしれないわけだし)就業規則に反するものかどうかはわからないから…管理職にはそのへんを説明してもらうとか,組合は組合で,やっぱり襟を正す場合の指示文をもっと適切にしてもらえれば(例えば「昼食時の外食は,県民の誤解を招かないように,短時間で済ませるように心がける」とかなら,教師からのひんしゅくもかわないと思います。細かい話でごめんなさい。
私は、色々な団体の旗が掲げられていることに違和感を感じている一人です。
シンプルなことだと思うのですが、“たかが旗”(あえて、たかがという言葉を使わせていただきましたが)で主催者の方と意見が異なるのでしたら、他の場所や時間でデモするのはだめでしょうか?
もしかしたら、反原連の集会より人が集まるかもしれません。
時間も、場所も選択肢はたくさんあります。文句いわれる場所で文句いわれることしたら、お互いに気分がわるくないですか?
一カ所に集まって数を増やすことだけが目的ではないと思います。金曜、土曜、日曜、と連日集うことも脅威になると思いますし、同じ時間帯に数カ所で集うこともよいアピールではないでしょうか?それは分裂ではないと思いますよ。
7.29のデモでは、雇用問題や沖縄問題をコールする人達もいて、その人(団体)の自己満足につきあわされた気持ちになりました。
原発と関係ない主張をされることも、旗を掲げられることも、“反原発、脱原発の思いに賛同して来た私のようなデモ初心者にとっては気持ちを盛り下げるという一点においては同じなのです。
素人の意見ですが、耳を傾けていただけたら幸いです。
>はるかぜさん
私も素人です。こちらにとりあえずの考えをまとめてみましたので、よろしかったら読んでいただけると嬉しいです
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1039.html
>秋原葉月さんへ…
“左翼の自省”については、AGENさんへのコメントに書いた通りです。ほかにもたくさんありますが、エントリーの趣旨に逸脱しますので、記しませんが…。
>今回の首都圏反原連と大阪教育合同組合との反目を解決するために互いにどうすればいいのか、どう「人間的に魅力的」になればいいのか、その具体的な解決案を提示してくださるのを見てみたいな、と思いました。
わたしは、秋原葉月さんにこのふたつの団体(運動)の存在を教えて頂きこう思いました…、「アッ、左翼がまた馬鹿やってるな…」と…。まさに親近嫌悪の象徴的現象ですよ…。 原水禁世界運動の分裂にみた残念至極の愚行の再来だと思いましたよ。小野哲さんも、ご自身のブログで記されてみえた記憶があるのですが、日本共産党が社民党を吸収合併すれば良いとの旨…、わたしは、このご提言には20000%大賛成なんですよ…。国会での“絶滅危惧種”同志が反目していたら本当に、大切な護憲政党がマジに絶滅して、大切な日本国憲法なんてズタズタに改悪されてしまいますよ…、ノンポリの皆さんは…「アッ、また左翼同志で喧嘩してるワ、馬鹿じゃないの?」ってね…、、、“三本の矢”の喩えではありませんが、個、個バラバラでは権力を揺さぶる力になんぞなりっこないんですよ。
わたしに言わせれば、組合の旗の問題なんか“屁”より小さな些末なことですよ…。 昨年の大阪市長選挙を思い出しましょうよ…、『反バカ殿』『反独裁』の一点でコウモリ党とみんなの党以外、棄民政党である痔眠党から正義の味方日本共産党まで平松さんを推したじゃないんですかね…。それが何故か脱原発運動で一致団結・連帯ができないのか、わたしには不思議でしようがない…、日本共産党の志位和夫委員長が国民の生活が第一の小沢一郎さんに『色々違うことはあるが、一時休戦で、国民の暮らしと生命を守るべく“反消費税”“脱原発”の国民的連帯のために団結しましょう。』とニッコリ笑って、固い握手をすれば、国民は左翼を見直し、左翼の株はグーンと上がりますよ、きっと…。
フリスキーさんは、ご自身のブログで“穏やかな連帯”について記してみえましたが、わたしはその提言には大賛成です。
>世の中は数学のように最初から用意されたただ一つの正解が存在していて誰かが採点してくれるわけではありません。その時々で正解と思われるものを必死になって選択していくしかないですね。
秋原葉月さんのこのお考えわたしは大賛成ですよ…、 フリスキーさんも同様のお考えではないでしょうか?。q(^-^q)
>青い鳥さん
私はこういうリポートを見ると、ぎりぎりの妥協はするとしても、とてもではないけど簡単に「組合の旗の問題なんか“屁”より小さな些末なことですよ」と一刀両断にする気にはなれないのです。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/4c0fbcfb2f4a1e2daa2466510d202056
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/ed24283659f9fadcd0cf46e381ef0b2d?st=0
まあ個人個人それぞれに意見は違って当然ですから、私の意見を押しつけるつもりはないので、その点は誤解しないでくださいね。
>秋原葉月さんへ
……朝日新聞は大阪馬鹿野郎ですね…。
> 挑発者とか、暴徒とか、暴動とか・・そういう 権力を利する言葉が 場を支配する時
「異端」「異物」が排除されていく。清潔の帝国が生まれると言う訳だろう。…………全く同感ですよ。
>首都圏反原発連合のサイト
http://coalitionagainstnukes.jp/
8.3緊急!大飯原発を停止せよ!首相官邸前抗議
http://coalitionagainstnukes.jp/?p=780
の告知等は しっかりやってるのだが
自らが主催するアクションで 2人逮捕者だ出たことも触れず
したがって 救援呼びかけも無い とはどういう事なのだろう
ルールやマナーを守らなかった 跳ね上がりのことなど知らんと言うのなら
そのように 正式に発表すればいい
「警察は悪くありません」(藤波心)と あらためて発表すればいい
そうすれば この連合体がどのような人々によって構成されているかはっきりするだろうに。
7月30日PM9:45現在、公式ツイッターでもほとんど触れていないが
首都圏反原発連合 @MCANjp
2人ほど逮捕された人がいたようですが、反原連の弁護士が接見に出向いております。また、PAシステムの不備等、いたらぬ点があったこと、お詫び申し上げます。みなさん、本当にありがとう。
一方、一部関係者のツイートは 実に凄まじいものがあるので
以下エントリーも読んでください
7.29国会包囲デモツイートの 恣意的収集(結構大切な追加訂正あり7/30)
藤波 心ちゃん 日の丸はためく前で 「ふるさと」を 歌うの図/YouTube
**********************
31日追記
31日朝になっても
首都圏反原発連合のサイト
http://coalitionagainstnukes.jp/ には
逮捕者救援関連記事なし
・・・・・
秋原葉月さん…、今ハショッて斜め読みしたのでごめんなさいですが…
これは日本共産党系の運動体が、参加者に逮捕者が出て、弁護士が接見に行ったという事実をスルーしたことを批判するものですか?、、、もしそれが事実ならばわたしは日本共産党に言いたい『あんたんとこは冷たいな!』 革命起こす気概はあるのか?と。
60年安保闘争の時も同様の批判が日本共産党に向けられたことがあったと記憶してます。民衆が国会に押し寄せたとき、日本共産党幹部は代々木の日本共産党本部から細胞に指示していただけだと…。これじゃぁ大衆はついては来ませんぜ…。日本共産党の国会議員全員が民衆と一体になって汗流してデモ隊に入らないと…。
日本共産党支持者または党員の方々誤解なき様に、わたし自身、日本共産党さんに脱皮していただきたいんですよ…。
それで秋原葉月さんは、大阪の社民党系の運動にご理解を示されておみえになるんですよね…。それでよろしいと思いますよ…。
日本共産党はインテリの前衛党独特の民衆を一段高いところから見下した鼻持ちならないところがあると思いますよ。一般党員の方々は自己犠牲精神に燃えた素晴らしい方々が殆どですが、党幹部に寛容さがないと思います。
逮捕者が出たなら、即日、日本共産党名で警察権力に抗議声明を出すべきであると思いますよ 。
間違えていたら、秋原葉月さん…、ご指摘くださいね…。
>青い鳥さん
大阪教育合同労働組合も政党のバックはないと言っていますよ。
これは共産党vs社民党n反目って話じゃないです。
どうして何でも共産党vs社民党の反目ってことにこじつけちゃうのかな。全然違うんですけど。
何故私があのサイトをご紹介したのか、読んでもおわかり頂けなかったようですね(^^;
連投ごめんなさい
ならばまず、二大政党制をなくすべく、少数政党が連帯団結して、小選挙区制度をなくさなきゃ…。
秋原葉月さんは、政局に興味ない様ですが、脱貧困・脱原発を公約にする衆議院議員候補者に、脱原発運動団体名で推薦状を出せばいいでしょう。政党は関係なく…。
脱貧困・脱原発がキーワードですよ…。
それか、わたしは公明党は大嫌いですが、要領は見倣うべきところは多いと思いますよ…。日本共産党と公明党は政党支持率はそう大差ないのに、議席数は倍以上の差がある。自民と組んだからですよ。日本共産党も国民の生活が第一と組むべきですよ、小選挙区制度をなくすのが難しいのであれば…原発をなくし国民の生命を守れというなら日本共産党や社民党が政権につく意欲をみせるべきですよ…。いつまでたっても“建設的野党”“確かな野党”と言って喜んでいると日本共産党の議席なんて早晩“ゼロ”になりまっせ。わたしの住む岐阜県の隣りの愛知県議会の日本共産党議員ゼロですよ…。本当に怖い!。
生き残るためには大人のズルさや、政権奪還意欲を全面に出すべきですよ…。国民に真剣に『政権に就かせてください』と訴えれば、絶滅は回避できますよきっと…。社民党とも仲良くなって…
公明党の要領の良さをパクリなさいよ…。
Re: 連投ごめんなさい>青い鳥さん
すいません。政局に興味あるなし、以前です。
このエントリーや先ほどご紹介したサイトと、青い鳥さんがコメントで書いて下さった政党の話とは、およそ全く関係ないです。
エントリーと紹介先のサイトをよく読んで、何が問題なのかを理解してからコメントしていただけますか?
エントリーや紹介先のサイトの内容と全く関係ない話を、ご自分が興味あるからと言って延々話されても困ってしまいます。
>秋原さん
首都圏反原発連合にとっても、反・首都圏反原発連合にとってもその方が良いと思います。今のままだと脱原発運動は内ゲバで自滅すると思います。
>光の帆船さん
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1039.html
>秋原葉月さんへ…
この言われ方は心外です。
>単なる「左翼の自省」といった抽象論に終始するのではなく、具体的な問題の解決を目指して、こういう風に考えてみませんか?
抽象論→具体論
一般論→個別の解決策
総論→各論
この作業は大事です
今朝の秋原葉月さんの、青い鳥に対するコメントにお応えした積もりですよ。確かに連投したことはお詫びしますが、わたしは、あなたのご提言に誠実にお応えした積もりですよ。
わたしが記したことは、脱原発運動のヨウテイを模索するものであり、あなたから、
>自分が興味あるからと言って延々話されても困ってしまいます。
こんな言われ方をされたら、何も言えないですよ。
あなた自身、数学の様に答えが出ないと書かれたじゃありませんか?。わたしは脱原発が実現すべく真剣に模索している積もりですので…
お邪魔しました。
>青い鳥さん
でも青い鳥さんがお書きになった政党の話は、本当にこのエントリーやご紹介したサイト「薔薇、または陽だまりの猫」のエントリーとは全然関係ないお話なんですよ。
このエントリーは脱原発実現に向けて何でも語りましょう、のコーナーではないので。
>>単なる「左翼の自省」といった抽象論に終始するのではなく、具体的な問題の解決を目指して、こういう風に考えてみませんか?
といのは、私が大阪教育合同組合と首都圏反原連はこのように行動したらいいのではないか、と具体的に提案したでしょう?今回の大阪教育合同組合と首都圏反原連の反目について、そういう風に具体的に考えて見ませんか、ということです、
共産党がどうすべきか、を具体的に考えて見ませんか?という意味ではありません。そういうエントリーじゃないですし。
>秋原葉月さんへ
ご紹介の資料をよく読ませて頂きます。
私の揚げたい旗は
そんな私が揚げたいと思っていたのは花森安治さんの「一銭五厘の旗」。
日本ペンクラブ:電子文藝館 見よぼくら一銭五厘の旗
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/publication/hanamoriyasuji.html
旗の“現物”は下記のブログに「暮らしの手帳」に載っていたという画像があります。
「神さまドラム担☆火星からやってきたえりーぽむ日記☆」 さん 労働賃金未払いにたえられず
http://d.hatena.ne.jp/Camisama_elly0909/20110601#1306902778
自営の私だってそうだけど、労組なんて縁のないこういう人たちのための旗はどこにあるのだろう?せめて花森さんが最初に作ったこの旗を、各自がアレンジしてつくったらどうだろう?
先月初めて参加した時に、よほど自分で作って持っていこうと思ったのですが、よく考えると知らない人にはただのパッチワークの旗にしか見えないし、だったら詩の一部をゼッケンみたいなものに書いて胸と背中に付けるとか考えたけど、デモのメッセージとしてはちょっとくどくて、なんだかよくわからなくなりそうでやめました。w
でもあの時、デモの人波の中で一人の青年(そういえば、なんとなくグラフィックデザイナーっぽかった)が持っていたんですね、古ジーンズの布などを継ぎ接ぎして作ったような「一銭五厘の旗」。なんだかとてもかっこよかったです。しかし、ああいうのもやっぱり、原発とは直接の関係はないし、そもそも「一見したところでは意味不明」ということで、掲げてはいけないことになるかもしれません。
以下、上記サイト、日本ペンクラブ:電子文藝館 見よぼくら一銭五厘の旗 より一部引用
ーーーーーーーーーーーーーーー
いま 日本中いたるところの 倉庫や
物置きや ロッカーや 土蔵や
押入れや トランクや 金庫や 行李の
隅っこのほうに
ねじまがって すりへり 凹み 欠け
おしつぶされ ひびが入り 錆びついた
〈主権在民〉とか〈民主々義〉といった
言葉のかけらが
割れたフラフープや 手のとれただっこ
ちゃんなどといっしょに つっこまれた
きりになっているはずだ
(過ぎ去りし かの幻覚の日の おもい
出よ)
ーーーーー(引用終わり)ーーーー
これらを引っ張り出すべき時があるなら、おそらく今でしょう。とはいえ、私もこのところ、野暮用ばかりで、あれ以来、ずっと参加できず、何とか都合をつけて行こうと思っていた日曜日の国会周辺のデモにも参加できませんでした。でも、また必ず参加するつもりです。「一銭五厘の旗」、現物はともかく心に持って参加します。
>とりさん
広原先生がリベラル21に寄稿されたエントリ-に共感しましたのでご紹介します。
ちょっと長いけど一部引用
(引用開始)
私自身は市民運動と労働運動や政治運動がどこかで結びつかない限り日本の政治変革は不可能だと思っているが、現在のマスメディア論調は、むしろ「脱政治的」であるところに「反原発」デモの評価ポイントを見出しているように思える。
「反原発」デモが生まれた頃は、マスメディアは一貫してこの動きを黙殺してきた。その後ついに無視できなくなって報道を始めたが、その後付けの理由は、「当初報道しなかったのは、特定の政治団体によって組織された集会やデモだとみていたから」というものだった。ナチスのようなファッシスト団体ならまだしも、日本国憲法のもとで合法的に活動している政治団体や労働組合運動がどうして報道の対象にならないのか不思議でならないが、これまでの現実がそうであったのだから仕方がない。
しかしこの“報道スタンス”をよく考えてみると、報道するのは「市民が原発再稼働反対の一点で集まっているから」、「特定の政治目的や政治的テーマを掲げる団体が組織的に参加していないから」ということになり、関電前の主催側スタッフの主張とよく響き合う。官邸前デモがどのような方針のもとに開催されているかはよく知らないが、もしそうであるとするなら「反原発」デモの行方はアメリカの「99%運動」と同じく、いつかは消えていく運命をたどるのではないか。
(引用ここまで)
野田総理は時間さえたてば先細りして消えていくと踏んでると思います。
ここでも書きましたが、反原発運動の間口を広げるために最初は脱政治色をアピールする方法をとるのはいいとしても、反原発は被曝労働や原子力ムラなど、民主主義の根幹と関わる政治的な問題であるがゆえ、やはり徐々に民主主義を発揮し政治的にならないと原発廃止の目的は達成できないと思うのです。 (「左翼の魅力の無さ」ではなく、民主主義を発揮できず、政治的になるのを恐れる国民性が問題なのです)
ヨーロッパでは市民は政治的になることを恐れません。だから反原発運動が成功したのだと思います。
そして民主主義を発揮するというのは所詮「なんちゃって脱原発」にすぎなかったハシズムとの対峙とも繋がると思います
>とりさん
例の論争ですが、私もコメント欄に来たコメンターさん達も誰一人レイシストとの共闘肯定などしていませんでした。とりさんと同じです。
しかしあなたは最後まで私やあのコメント欄にいらしコメンターさんをレイシストと共闘肯定しているかのようにあつかっていらしたでしょう?最後にApemanさんのところにコメントされたときもそういうコメントでしたね。
そのようなご自分の決めつけた態度を、今はどのように思われるのかとお尋ねしています。
もし未だに私やコメント欄に来たコメンターさん達を「レイシストと共闘肯定派」と認定されるなら、残念ですがコメントはご遠慮いただこうと思っています。(のちにこのコメントは消します)
>とりさん
せっかくですが、今後のコメント投稿はご遠慮いただけるようお願いいたします。
私がレイシスト共闘派だと思うならどうして私のブログにわざわざコメント投稿しにいらっしゃるんでしょうね?不思議です。
ネトウヨがわざわざリベラル系のブログに押しかけてコメント入れたくてしょうがないのと同じ心理でしょうか。(このコメントは2日くらいたったら消します)
色分けした時から・・
長いコメントからずいぶん時間がたっています。
脱原発関西電力前、首相官邸前抗議行動に各種団体旗はなじまないということらしいですね。
組合旗は政治色があり、脱原発旗は政治色がないという風に主催者の見解とも読み取れます。
また、既存の労働組合(連合)中の大企業を御用組合だと批判もされております。大手労働組合は総じて御用組合と言っても反対はしません。しかしこの労働組合の役員を選んでいるのは
まぎれもなくそこに働く労働者ですよね。
もし、そこに所属している人が御用組合と言う時、御用体質を認めるのか認めないのかで自分が他者に働きかけをする意味が変わりますよね、もっと御用組合にかその反対かに。
その時、外部からの支援を得ようとするとき立場によって変わります。
再稼働反対が政治色がない集まる日としたとき、参加された
参加しようと思っている個人は日常生活で脱原発再稼働問題を考えないのでしょうか、まったくの異次元での出来事の集まりとして終わるのでしょうか?
私はそうではないと思います。自分の体験を他者に話すことで
脱原発のつながりができると思います。
これはれっきとした政治的な行動です。
いたずらに、旗がだめでその旗を見ればみんなが嫌がる、
あえて言うならば、マスコミに取り上げられないという思いがあるのではないでしょうか。
私は、主催する方にお願いするなら、
暴力は許せない、脱原発の思いはそれぞれ違いがあっても
脱原発にかかわる様々な問題をどんどん提起してくださいと
のお約束でいいのではないかと思います。
マスコミが報道機関に乗せたということは、この集まり運動は原発政策にとってマイナスとならないと読んだからだと思います。
衆議院選挙が終わり、だめな民主党が惨敗し自民党、維新、みんな、公明という大与党ができました。
共産、社民は敗退です。
脱原発を8割の国民が支持をしているという調査がある中です。生活とつながっている「政治」を切り離した時の結果が見えたともいえないでしょうか。
最後に、全国どこでも、「連合」に属しながらもまた属さないまでも、働く人の権利を守ろうと頑張っている組合があるということを知ってほしい。
3つも仕事を掛け持ちして働く人は、集会もデモも参加したくてもできない事情があることも理解してほしいです。
その人と連帯しながら参加しているという気持ちを持ってもらえれば、旗の話なんかは小さいことではないでしょうか、
主催者のみなさん。