コメント
ここでも象徴的な日の丸
田中竜作さんの
「再稼働反対」の地鳴り 首相官邸前で進む“紫陽花革命”
http://tanakaryusaku.jp/2012/06/0004549
に載ってる写真を見ると、
原発推進の「エセ右翼」は日の丸を掲げまくり、再稼働反対のデモ列には日の丸がないというのが、なんとも象徴的ですねw
「再稼働反対」の地鳴り 首相官邸前で進む“紫陽花革命”
http://tanakaryusaku.jp/2012/06/0004549
に載ってる写真を見ると、
原発推進の「エセ右翼」は日の丸を掲げまくり、再稼働反対のデモ列には日の丸がないというのが、なんとも象徴的ですねw
脱原発派の「右翼」
そういえば、日の丸を翻しながら、脱原発を叫んでいる人たちの動画を見た覚えがありました。あの人たちは何だったのだろうと思って少し調べてみたら、「右から考える脱原発ネットワーク」という団体だったようでした。一水会の鈴木邦男さんも関係する団体のようです。鈴木さんは左派との共闘も少しもためらわないような方ですから、(見ようによっては、ほとんど“左派”のような気がすることも・・・)やはりそうだったのかとちょっと納得しました。在特会のせいで「右翼は皆、推進派の手先」みたいに思われたら、こうした方たちが、とてもお気の毒な気がしましたので、一応、ご紹介しておきます。
右から考える脱原発ネットワーク
http://maruta.be/anntokyo1107
初めに見た動画は見つからないのですが、これがありました。
http://youtu.be/SO9n649Vflk
それから、この前の官邸前の「再稼働反対派と賛成派とのトラブル」とかと言われていることのいきさつですが、あまり知られていないようですが、このような「反原発派、反・反原発派双方の右翼同士の闘い」ということでもあったようです。(私も当日、デモには参加しましたが、まだ現場に着いていない時間だったので、その時は何も知りませんでした)
「右から考える脱原発ネットワーク」のリーダーらしい、統一戦線義勇軍 議長 針谷大輔さんのブログより
http://www.giyuugun.jp/sb/log/eid1090.html#comments
-----(以下引用)------
6月22日(金)、再稼働反対を訴える我々は、右から考える脱原発ネットワーク運動の一環として、首相官邸前での抗議を企画。
午後六時から行なわれる無党派大衆運動の妨げにならないよにと、告知は控え、午後5時より30分程、抗議街宣を実施予定で居ました。
一週間前には自民党に対して「民意に応えて、再稼働阻止の為に内閣不信任案を出せ!」という行動に参加しています。
その時「何で民主党にやらないのか」という批判を内のメンバーが聞いていたので『午後六時からの無党派大衆の抗議行動に邪魔にならないように、30分位やろうか』という事になりました。
ところがそこに、俗にいう行動する保守、在特会等が「反日左翼を糾弾せよ!」と、再稼働反対の首相官邸前抗議カウンターなるものを仕掛けるという話が飛び込んで来ました。
『丁度良い機会だから、脱原発運動は反日左翼の運動じゃない事を教えてあげようと』彼らが告知していた午後五時から一時間前倒しして、午後四時集合、午後四時半開始で行なう旨を、同志に伝達しました。
当日午後四時に行ってみると、既に行動する保守の面々がやっている。
(中略:引用者注:そこで、針谷さんたちのグループと在特会との間で、言葉の応酬からトラブルになり、針谷さんのグループの側の一人だけが、「不当逮捕」されてしまったということのようです)
その過程の中で、立ち塞がる警官隊とのもみ合いの中で、暴れた相手側の「ゆう」とかいう奴は逮捕されずに、清和政治局長だけが公務執行妨害で逮捕されてしまった訳であります。
我々が今回不当逮捕という言葉を使う訳は、挑発を続ける彼らの演説を中止にさせる事なく、我々に対してだけ権力を振りかざす態度と、また相手側の威勢のいい奴が、警察官の首に手を回してのけている事実が有るのに、それを逮捕しなかった事実から、完全なる不当逮捕と断定している。
普通なら、両者を逮捕するのが筋であるが、今回の警察の警備においては、行動する保守同様に筋が通らない事をしたとしか言いようがない!
今回の事件については、動画を観て頂きご理解を頂けたらと思うが、私やうちの連中がなぜ熱くなってしまったかといえば、彼らが掲げる日の丸を見て肌で感じて、非常に日の丸が穢されているように感じてしまったからである。
また、こちらが逮捕者まで出した事実は決して消し去る事は出来ない。
そのリスクをしっかりと彼等は背負う義務があると言おう。
---- (引用終わり)----------------
「右も左もない」ってどこかで聞いたような言葉ですけど、原発に関しては本当にそうだと思います。こういう方たちにもぜひ、がんばって頂きたいと思います。
ただ、今回のデモについて言えば、組織的な動員よりも、個人的な思いから参加した人たちが多かったところに価値があるような気がします。なぜなら、それはリーダーや上司に言われたからじゃなくて、ひとりひとりが自分の頭で考えて自分の意志で参加しているからです。そういう人たちが増えていかないと、本当の民主主義社会にはならないでしょう。
・・・と、偉そうなことを言いましたが、実は私も今回のこのデモが、デモというものの初めての参加でした。(^^;) 最初は少し身構えていましたが、行ってみれば「案ずるより産むが易し」で、自然のその流れに加わることが出来ました。
こうしたデモなどについては、原発再開に反対の人たちの中にも「そんなことをやったって、どうせ、大きな力を持った人たちにやられちゃうんだから」と言う人もいます。(現に私の友人がそう言いました)でも、けしてそうではないと思います。少なくともみんながみんな、そう思って諦めてしまったら、それこそ、敵の思うつぼです。
たしかに何万人かのデモを何度かやっただけでは、国の方針を覆すことは難しいかもしれません。しかし、それ以上に大切なのは人の気持ちが変わっていくということです。少なくとも、私は初めてデモに参加したことによって、自分の気持ちが少し変わったと思います。それまでは庶民の力なんて小さいものだし、大きな権力に立ち向かってみても、とても歯が立たないし・・・と私自身、どこかでやはりそう思っていました。でも実際にその場に足を運んで声を出し、体を使って抗議してみると、ちょっとだけですが自分の中で何かが変わっていくような気はしました。
私はこれまで、選挙を棄権したことは二度ほどしかありません。かつては「選挙に行くことが民主主義を実現する唯一の道」だと思っていたので、選挙権を得て以来、ほとんどの選挙に投票してきました。でも、「この人だから投票したい」という候補者がいたことはあまりなくて、どちらかと言って“究極の選択”で誰にするか(笑)という感じが多かったものです。そして、その結果、こうあってほしいという世の中に少しでもなってくれたかと言えば・・・・おそらく、私と同じような虚しさを感じている人はたくさんいると思います。「でも、仕方がない、これが“民主主義”なんだから。選挙で選ばれた人たちが何をしようと、みんなでその人たちを選んでしまったのだから、不満があってもその人たちが決めたことに黙って従うしかないんだ」と諦めてきました。でもそれは違う。今はそう思っています。
右から考える脱原発ネットワーク
http://maruta.be/anntokyo1107
初めに見た動画は見つからないのですが、これがありました。
http://youtu.be/SO9n649Vflk
それから、この前の官邸前の「再稼働反対派と賛成派とのトラブル」とかと言われていることのいきさつですが、あまり知られていないようですが、このような「反原発派、反・反原発派双方の右翼同士の闘い」ということでもあったようです。(私も当日、デモには参加しましたが、まだ現場に着いていない時間だったので、その時は何も知りませんでした)
「右から考える脱原発ネットワーク」のリーダーらしい、統一戦線義勇軍 議長 針谷大輔さんのブログより
http://www.giyuugun.jp/sb/log/eid1090.html#comments
-----(以下引用)------
6月22日(金)、再稼働反対を訴える我々は、右から考える脱原発ネットワーク運動の一環として、首相官邸前での抗議を企画。
午後六時から行なわれる無党派大衆運動の妨げにならないよにと、告知は控え、午後5時より30分程、抗議街宣を実施予定で居ました。
一週間前には自民党に対して「民意に応えて、再稼働阻止の為に内閣不信任案を出せ!」という行動に参加しています。
その時「何で民主党にやらないのか」という批判を内のメンバーが聞いていたので『午後六時からの無党派大衆の抗議行動に邪魔にならないように、30分位やろうか』という事になりました。
ところがそこに、俗にいう行動する保守、在特会等が「反日左翼を糾弾せよ!」と、再稼働反対の首相官邸前抗議カウンターなるものを仕掛けるという話が飛び込んで来ました。
『丁度良い機会だから、脱原発運動は反日左翼の運動じゃない事を教えてあげようと』彼らが告知していた午後五時から一時間前倒しして、午後四時集合、午後四時半開始で行なう旨を、同志に伝達しました。
当日午後四時に行ってみると、既に行動する保守の面々がやっている。
(中略:引用者注:そこで、針谷さんたちのグループと在特会との間で、言葉の応酬からトラブルになり、針谷さんのグループの側の一人だけが、「不当逮捕」されてしまったということのようです)
その過程の中で、立ち塞がる警官隊とのもみ合いの中で、暴れた相手側の「ゆう」とかいう奴は逮捕されずに、清和政治局長だけが公務執行妨害で逮捕されてしまった訳であります。
我々が今回不当逮捕という言葉を使う訳は、挑発を続ける彼らの演説を中止にさせる事なく、我々に対してだけ権力を振りかざす態度と、また相手側の威勢のいい奴が、警察官の首に手を回してのけている事実が有るのに、それを逮捕しなかった事実から、完全なる不当逮捕と断定している。
普通なら、両者を逮捕するのが筋であるが、今回の警察の警備においては、行動する保守同様に筋が通らない事をしたとしか言いようがない!
今回の事件については、動画を観て頂きご理解を頂けたらと思うが、私やうちの連中がなぜ熱くなってしまったかといえば、彼らが掲げる日の丸を見て肌で感じて、非常に日の丸が穢されているように感じてしまったからである。
また、こちらが逮捕者まで出した事実は決して消し去る事は出来ない。
そのリスクをしっかりと彼等は背負う義務があると言おう。
---- (引用終わり)----------------
「右も左もない」ってどこかで聞いたような言葉ですけど、原発に関しては本当にそうだと思います。こういう方たちにもぜひ、がんばって頂きたいと思います。
ただ、今回のデモについて言えば、組織的な動員よりも、個人的な思いから参加した人たちが多かったところに価値があるような気がします。なぜなら、それはリーダーや上司に言われたからじゃなくて、ひとりひとりが自分の頭で考えて自分の意志で参加しているからです。そういう人たちが増えていかないと、本当の民主主義社会にはならないでしょう。
・・・と、偉そうなことを言いましたが、実は私も今回のこのデモが、デモというものの初めての参加でした。(^^;) 最初は少し身構えていましたが、行ってみれば「案ずるより産むが易し」で、自然のその流れに加わることが出来ました。
こうしたデモなどについては、原発再開に反対の人たちの中にも「そんなことをやったって、どうせ、大きな力を持った人たちにやられちゃうんだから」と言う人もいます。(現に私の友人がそう言いました)でも、けしてそうではないと思います。少なくともみんながみんな、そう思って諦めてしまったら、それこそ、敵の思うつぼです。
たしかに何万人かのデモを何度かやっただけでは、国の方針を覆すことは難しいかもしれません。しかし、それ以上に大切なのは人の気持ちが変わっていくということです。少なくとも、私は初めてデモに参加したことによって、自分の気持ちが少し変わったと思います。それまでは庶民の力なんて小さいものだし、大きな権力に立ち向かってみても、とても歯が立たないし・・・と私自身、どこかでやはりそう思っていました。でも実際にその場に足を運んで声を出し、体を使って抗議してみると、ちょっとだけですが自分の中で何かが変わっていくような気はしました。
私はこれまで、選挙を棄権したことは二度ほどしかありません。かつては「選挙に行くことが民主主義を実現する唯一の道」だと思っていたので、選挙権を得て以来、ほとんどの選挙に投票してきました。でも、「この人だから投票したい」という候補者がいたことはあまりなくて、どちらかと言って“究極の選択”で誰にするか(笑)という感じが多かったものです。そして、その結果、こうあってほしいという世の中に少しでもなってくれたかと言えば・・・・おそらく、私と同じような虚しさを感じている人はたくさんいると思います。「でも、仕方がない、これが“民主主義”なんだから。選挙で選ばれた人たちが何をしようと、みんなでその人たちを選んでしまったのだから、不満があってもその人たちが決めたことに黙って従うしかないんだ」と諦めてきました。でもそれは違う。今はそう思っています。
秋原葉月@akiharahaduki
ジャスミン革命の発端は貧しい若者の自殺。しかし日本では生保を受けられず餓死者が出ても何のアクションも起きず未だに生保バッシングをしている。放射能汚染は我が身に降りかかる恐怖があるが生保は他人事。他人の不幸を我が身と思えるかが民主主義の基本。「紫陽花革命」と呼ぶにはまだ早すぎる
ジャスミン革命の発端は貧しい若者の自殺。しかし日本では生保を受けられず餓死者が出ても何のアクションも起きず未だに生保バッシングをしている。放射能汚染は我が身に降りかかる恐怖があるが生保は他人事。他人の不幸を我が身と思えるかが民主主義の基本。「紫陽花革命」と呼ぶにはまだ早すぎる
風鈴草さんへ
風鈴草さん
以前、Kojitakenさんのコメント欄で消費税について少しお話したことがある者です。消費税増税でいちばん打撃を受けるのは末端の消費者ではなく中小企業や零細商店との風鈴草さんの主張に大いに共感しました。
しかし、今回は失礼ながら異議を述べさせていただきます。
風鈴草さんが「良識ある右翼」とお考えらしい統一戦線義勇軍 議長 針谷大輔氏ですが、こんな事も言ってる人です。
「天皇陛下の軍隊であった我が「皇軍」が、そんな恥さらしになる従軍慰安婦なるものを、公然と皇軍主導でやる訳はないではないか!」
http://www.giyuugun.jp/sb/log/eid5.html
昨年6月に行われた「6.11新宿・原発やめろデモ」では、彼の登壇を巡って一騒動あったのです。下記のブログに詳しく書いてあります。
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20110616/p1
176というコメント欄の投稿数が示すようにこの件に関しては、左派の間でも賛否両論が巻き起こりました。
私は紹介したブログ主の主張を支持するものです。
ドイツで一般市民とネオナチが一緒に脱原発のデモを行うということがありえるでしょうか。
また、憲法観、国家観の違いならまだ「いろいろな考え方」として許容できますが、レイシズムや歴史修正主義は全く擁護できないトンデモです。
私も22日の首相官邸前デモを含む、いくつかの脱原発デモや集会に参加しましたが、今の脱原発運動が真の民主主義運動に発展するかについては、秋原さん同様に、かなり懸念をいだいています。その理由のひとつが、針谷大輔氏のような人物との「共闘」を抵抗なく受け入れる安易な「右も左もない」の蔓延です。
尚、「良識的右翼」としてリベラル左派の間でも評価される鈴木邦夫氏ですが、この針谷氏と親密な関係という面もあるのです。
以前、Kojitakenさんのコメント欄で消費税について少しお話したことがある者です。消費税増税でいちばん打撃を受けるのは末端の消費者ではなく中小企業や零細商店との風鈴草さんの主張に大いに共感しました。
しかし、今回は失礼ながら異議を述べさせていただきます。
風鈴草さんが「良識ある右翼」とお考えらしい統一戦線義勇軍 議長 針谷大輔氏ですが、こんな事も言ってる人です。
「天皇陛下の軍隊であった我が「皇軍」が、そんな恥さらしになる従軍慰安婦なるものを、公然と皇軍主導でやる訳はないではないか!」
http://www.giyuugun.jp/sb/log/eid5.html
昨年6月に行われた「6.11新宿・原発やめろデモ」では、彼の登壇を巡って一騒動あったのです。下記のブログに詳しく書いてあります。
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20110616/p1
176というコメント欄の投稿数が示すようにこの件に関しては、左派の間でも賛否両論が巻き起こりました。
私は紹介したブログ主の主張を支持するものです。
ドイツで一般市民とネオナチが一緒に脱原発のデモを行うということがありえるでしょうか。
また、憲法観、国家観の違いならまだ「いろいろな考え方」として許容できますが、レイシズムや歴史修正主義は全く擁護できないトンデモです。
私も22日の首相官邸前デモを含む、いくつかの脱原発デモや集会に参加しましたが、今の脱原発運動が真の民主主義運動に発展するかについては、秋原さん同様に、かなり懸念をいだいています。その理由のひとつが、針谷大輔氏のような人物との「共闘」を抵抗なく受け入れる安易な「右も左もない」の蔓延です。
尚、「良識的右翼」としてリベラル左派の間でも評価される鈴木邦夫氏ですが、この針谷氏と親密な関係という面もあるのです。
>風鈴草さん、>ぽむさん
横から失礼します。 風鈴草さんと、ぽむさんの貴重なコメントを拝読させて頂き、今後の日本の進むべき方向性を決めるうえで、非常に大きい乗り越えなければならない課題があると考えました。
わたしは、脱原発・反核・護憲の立場です。支持する政党は日本共産党ですが、党員ではありません。ひとは千差万別様々な思想・信条を持っていることが自然で普通です。そこでこちらのブログのコメンテータであられる小野哲さんが、ご自身のブログに記されてみえますが、日本共産党と社民党が一緒になり“共生党”として、欧州の“オリーブの木”の様な穏健保守も包含する連帯を模索するというご提言ですが、わたしは大賛成です。民・自・公が主権者国民に辛酸の極みを味あわせているときに、護憲勢力が“近親嫌悪”の関係ですとほんとうに残念な結果になると思うんですね…。はっきり言いますと、国会では、日本共産党と社民党などの護憲勢力は“絶滅危惧種”にまで減退しています。ぽむさん、風鈴草さんのおふた方のお考えともによくわかります。ある意味“究極の選択”になる場面はこれからなんぼでも出てくると思われます。まず政策協定を締結して主権者の判断を仰げば良いと思います。風鈴草さんの仰る“究極の選択”をしなければならないことが、今の日本の不幸なところですね…。“悪い”と“もっと悪い”のまさに苦渋の決断…。
わたしは、キーワードは“護憲・共生・脱原発・反貧困”だと常々考えています。まず主権者国民の生命・財産・人権を守りぬくという根幹が盤石な連帯・団結が大切だと考えますが、いかがでしょうか?…。根幹が盤石な連帯であれば、在特会などレイシスト団体や、極右軍国主義礼讚団体などは、自然淘汰されてゆくと思います。
わたしは、脱原発・反核・護憲の立場です。支持する政党は日本共産党ですが、党員ではありません。ひとは千差万別様々な思想・信条を持っていることが自然で普通です。そこでこちらのブログのコメンテータであられる小野哲さんが、ご自身のブログに記されてみえますが、日本共産党と社民党が一緒になり“共生党”として、欧州の“オリーブの木”の様な穏健保守も包含する連帯を模索するというご提言ですが、わたしは大賛成です。民・自・公が主権者国民に辛酸の極みを味あわせているときに、護憲勢力が“近親嫌悪”の関係ですとほんとうに残念な結果になると思うんですね…。はっきり言いますと、国会では、日本共産党と社民党などの護憲勢力は“絶滅危惧種”にまで減退しています。ぽむさん、風鈴草さんのおふた方のお考えともによくわかります。ある意味“究極の選択”になる場面はこれからなんぼでも出てくると思われます。まず政策協定を締結して主権者の判断を仰げば良いと思います。風鈴草さんの仰る“究極の選択”をしなければならないことが、今の日本の不幸なところですね…。“悪い”と“もっと悪い”のまさに苦渋の決断…。
わたしは、キーワードは“護憲・共生・脱原発・反貧困”だと常々考えています。まず主権者国民の生命・財産・人権を守りぬくという根幹が盤石な連帯・団結が大切だと考えますが、いかがでしょうか?…。根幹が盤石な連帯であれば、在特会などレイシスト団体や、極右軍国主義礼讚団体などは、自然淘汰されてゆくと思います。
>ぽむさん、>青い鳥さん
ぽむさん、お久しぶりです。消費税の時でしたっけ?その前にも同じkojitakenさんのところでお話したこともありましたね。(その時、私のあちらでのハンドルは「桃色クジラ」でしたが、その後、コメント内でおことわりした上で、こちらのと同じ「風鈴草」に変えました)
青い鳥さん、こんにちわ。(^^)
実は私は「統一戦線義勇軍」のことはよく知らないんです。というか、右翼でも左翼でも、その組織の違いとか系統とかにはあまり興味がないので、全くの不案内です。でも、鈴木邦男さんだけは、あまり右翼っぽくないし、筋の通ったお話をなさる方のように思えるので結構、ファンなんです。その鈴木さんが一緒に行動されたりしているのだから、あまりおかしなところではないのではと思ったので。(ただ、「統一戦線義勇軍」という組織名だけは、昔、テロ事件を起こした左翼過激派グループの名前とかを連想させるので、少し引いたのですが。右でも左でもラジカルな人たちは、どうしてああいう名前を好まれるのでしょう?)
* 私は慰安婦の方々の証言は真実だろうと思っていますし、日本は謝罪すべきだと思っています。しかし、被害に遭ったご本人たちとその祖国以外の国、特に欧米の国家(個人ではなく)にそれを責める資格があるのかどうかは疑問に思っています。針谷さんのブログを見る限り、彼自身は一本気な方のようですので、本当にそのように信じているのでしょう。その点では、たままた一人だけいる私の西欧人の友が、その人の国がかつてアフリカの某国で行って来たことをおそらくは知らない (言っても、おそらく否定する )のと同じではないかと思います。(私はそのことを藤永茂さんという方の「私の闇の奥」というブログで知りました )たしかに一般人と違って、世間に物申す活動家がどう考えているかは影響力という点で問題があるとは思いますが・・・*
それとあの日、あの時刻に、私は官邸からもほど近い、経産省前の「テントひろば」にも初めて立ち寄っていたのですが、官邸の方から来た方が、「向こうでは在特会が騒いでいるのでまだ行かないほうがいい」と言われたので、少し待っていたんです。その時、「たしか、右翼でも脱原発を叫んでいる人たちもいたはず。どうせなら右翼同士て対決して、追い払ってくれたらいいな」などと、勝手なことを考えていました。そうしたらその通りのことが起こっていたので、少し驚きました。そして、その件はあまり知られていないようなので、つい、書いてみたくなったのです。(一部ではよく知られていたのでしょうか?)
私自身は、右でも左でも、特定の政治的な組織に入ってみたいと思ったことはありません。(母が「生長の家」の信徒だったので、二十代の一時期、その「青年会」に入っていたことはありました。その点では、鈴木邦男さんや、例の「親学」の高橋史朗氏の後輩ということにもなりますが、私の時代には一般会員はほとんどノンポリ化していて、そうした、そうそうたる「大先輩」がいることさえ、当時は知りませんでした。また、そのころは教団本部自体も、現在の教主である三代目氏が中心になって「脱政治路線」を目指していたので、政治活動をしている人の多くは既に脱会していたということを後になって知りました)
私が思う理想的な社会とは(思想的、精神的に)自立した個人が集まって作る社会です。「政治も思想も、そういう高度で難しいことは一部のエリートたちに任せて、一般人は黙ってその後をついてくればいい」みたいなのは嫌なんです。(右翼や左翼、双方の中にもそういう考えがあったりするみたいですが)だって、私なんかどう考えてもエリートじゃないから。でも、自分の考えは持っていたい。理不尽なことを勝手に決められて、一方的に押しつけられるのは嫌だ。誰だってそうでしょう?
この数年、私が勝手に“心の師”と仰いでいる方はアメリカのノーム・チョムスキー教授なのですが、その教授の著作の中で、私が初めて読んだ『メディアコントロール ーー正義なき民主主義と国際社会』という本があります。その中の一部を以前こちらでもご紹介させていただいたことがあったのですが、再び引用します。
『メディアコントロール ーーー正義なき民主主義と国際社会』鈴木主税訳 集英社新書より
-------(以下引用)--------
現代政治におけるメディアの役割を見ていると、私たちはどういう世界に、いかなる社会に往みたいのかを自問させられる。そして、それが民主的な社会という答えになったとき、その「民主的」という言葉をどういう意味で用いているのかについて考えさせられる。
そこでまず、対立する二つの「民主主義社会」の概念から話を始めたい。
民主主義社会に関する一つの概念は、一般の人びとが自分たちの問題を自分たちで考え、その決定にそれなりの影響をおよぼせる手段をもっていて、情報へのアクセスが開かれている環境にある社会ということである。民主主義という言葉を辞書で引いてみれば、おそらくそのような定義が書かれているはずだ。
そして民主主義社会のもう一つの概念は、一般の人びとを彼ら白身の問題に決してかかわらせてはならず、情報へのアクセスは一部の人間のあいだだけで厳重に管理しておかなければならないとするものだ。
そんな民主主義社会の概念があるかと思われるかもしれないが、実のところ、優勢なのはこちらのほうだと理解しておくべきだろう。これは現在にかぎったことではない。この考えは昔から実行されてきただけでなく、理論的にも通用してきた。一七世紀のイギリスに起こった初期の民主主義革命にも、たいていはこの考え方が示されていた。
(引用者注:そしてチョムスキー教授は後者の考え方を「観客民主主義」と呼んで以下のように解説します)
この理論からすると、万人のためになる公益は少数のエリート、ちょうどデューイ派が言っていたような知識階層だけにしか理解できず、「一般市民にはわからない」ということになる。こうした考え方は何百年も前からあった。
<中略>
民主主義社会における彼らの役割は、リップマンの言葉を借りれば「観客」になることであって、行動に参加することではない。しかし、彼らの役割をそれだけにかぎるわけにもいかない。何しろ、ここは民主主義社会なのだ。そこでときどき、彼らは特別階級の誰かに支持を表明することを許される。「私たちはこの人をリーダーにしたい」、「あの人をリーダーにしたい」というような発言をする機会も与えられるのだ。何しろここは民主主義社会で、全体主義国家ではないからだ。これを選挙という。
だが、いったん特別階級の誰かに支持を表明したら、あとはまた観客に戻って彼らの行動を傍観する。「とまどえる群れ」は参加者とは見なされていない。これこそ正しく機能している民主主義社会の姿なのである。(引用者注:もちろん、この部分はチョムスキー教授独特の皮肉な言い回しです)
--------(引用終わり) ---------
あの日、私は官邸に向かって皆さんと叫びながら、このチョムスキー教授の言葉を思い出していました。そしてこうしたデモが、単に脱原発だけのことに留まらず、この国が長年の「観客民主主義」から脱却して、「真の民主主義」へと向かうきっかけになってほしいと・・・いえ、ぜひ、そうさせたいものだと心から願ったのです。
青い鳥さん、こんにちわ。(^^)
実は私は「統一戦線義勇軍」のことはよく知らないんです。というか、右翼でも左翼でも、その組織の違いとか系統とかにはあまり興味がないので、全くの不案内です。でも、鈴木邦男さんだけは、あまり右翼っぽくないし、筋の通ったお話をなさる方のように思えるので結構、ファンなんです。その鈴木さんが一緒に行動されたりしているのだから、あまりおかしなところではないのではと思ったので。(ただ、「統一戦線義勇軍」という組織名だけは、昔、テロ事件を起こした左翼過激派グループの名前とかを連想させるので、少し引いたのですが。右でも左でもラジカルな人たちは、どうしてああいう名前を好まれるのでしょう?)
* 私は慰安婦の方々の証言は真実だろうと思っていますし、日本は謝罪すべきだと思っています。しかし、被害に遭ったご本人たちとその祖国以外の国、特に欧米の国家(個人ではなく)にそれを責める資格があるのかどうかは疑問に思っています。針谷さんのブログを見る限り、彼自身は一本気な方のようですので、本当にそのように信じているのでしょう。その点では、たままた一人だけいる私の西欧人の友が、その人の国がかつてアフリカの某国で行って来たことをおそらくは知らない (言っても、おそらく否定する )のと同じではないかと思います。(私はそのことを藤永茂さんという方の「私の闇の奥」というブログで知りました )たしかに一般人と違って、世間に物申す活動家がどう考えているかは影響力という点で問題があるとは思いますが・・・*
それとあの日、あの時刻に、私は官邸からもほど近い、経産省前の「テントひろば」にも初めて立ち寄っていたのですが、官邸の方から来た方が、「向こうでは在特会が騒いでいるのでまだ行かないほうがいい」と言われたので、少し待っていたんです。その時、「たしか、右翼でも脱原発を叫んでいる人たちもいたはず。どうせなら右翼同士て対決して、追い払ってくれたらいいな」などと、勝手なことを考えていました。そうしたらその通りのことが起こっていたので、少し驚きました。そして、その件はあまり知られていないようなので、つい、書いてみたくなったのです。(一部ではよく知られていたのでしょうか?)
私自身は、右でも左でも、特定の政治的な組織に入ってみたいと思ったことはありません。(母が「生長の家」の信徒だったので、二十代の一時期、その「青年会」に入っていたことはありました。その点では、鈴木邦男さんや、例の「親学」の高橋史朗氏の後輩ということにもなりますが、私の時代には一般会員はほとんどノンポリ化していて、そうした、そうそうたる「大先輩」がいることさえ、当時は知りませんでした。また、そのころは教団本部自体も、現在の教主である三代目氏が中心になって「脱政治路線」を目指していたので、政治活動をしている人の多くは既に脱会していたということを後になって知りました)
私が思う理想的な社会とは(思想的、精神的に)自立した個人が集まって作る社会です。「政治も思想も、そういう高度で難しいことは一部のエリートたちに任せて、一般人は黙ってその後をついてくればいい」みたいなのは嫌なんです。(右翼や左翼、双方の中にもそういう考えがあったりするみたいですが)だって、私なんかどう考えてもエリートじゃないから。でも、自分の考えは持っていたい。理不尽なことを勝手に決められて、一方的に押しつけられるのは嫌だ。誰だってそうでしょう?
この数年、私が勝手に“心の師”と仰いでいる方はアメリカのノーム・チョムスキー教授なのですが、その教授の著作の中で、私が初めて読んだ『メディアコントロール ーー正義なき民主主義と国際社会』という本があります。その中の一部を以前こちらでもご紹介させていただいたことがあったのですが、再び引用します。
『メディアコントロール ーーー正義なき民主主義と国際社会』鈴木主税訳 集英社新書より
-------(以下引用)--------
現代政治におけるメディアの役割を見ていると、私たちはどういう世界に、いかなる社会に往みたいのかを自問させられる。そして、それが民主的な社会という答えになったとき、その「民主的」という言葉をどういう意味で用いているのかについて考えさせられる。
そこでまず、対立する二つの「民主主義社会」の概念から話を始めたい。
民主主義社会に関する一つの概念は、一般の人びとが自分たちの問題を自分たちで考え、その決定にそれなりの影響をおよぼせる手段をもっていて、情報へのアクセスが開かれている環境にある社会ということである。民主主義という言葉を辞書で引いてみれば、おそらくそのような定義が書かれているはずだ。
そして民主主義社会のもう一つの概念は、一般の人びとを彼ら白身の問題に決してかかわらせてはならず、情報へのアクセスは一部の人間のあいだだけで厳重に管理しておかなければならないとするものだ。
そんな民主主義社会の概念があるかと思われるかもしれないが、実のところ、優勢なのはこちらのほうだと理解しておくべきだろう。これは現在にかぎったことではない。この考えは昔から実行されてきただけでなく、理論的にも通用してきた。一七世紀のイギリスに起こった初期の民主主義革命にも、たいていはこの考え方が示されていた。
(引用者注:そしてチョムスキー教授は後者の考え方を「観客民主主義」と呼んで以下のように解説します)
この理論からすると、万人のためになる公益は少数のエリート、ちょうどデューイ派が言っていたような知識階層だけにしか理解できず、「一般市民にはわからない」ということになる。こうした考え方は何百年も前からあった。
<中略>
民主主義社会における彼らの役割は、リップマンの言葉を借りれば「観客」になることであって、行動に参加することではない。しかし、彼らの役割をそれだけにかぎるわけにもいかない。何しろ、ここは民主主義社会なのだ。そこでときどき、彼らは特別階級の誰かに支持を表明することを許される。「私たちはこの人をリーダーにしたい」、「あの人をリーダーにしたい」というような発言をする機会も与えられるのだ。何しろここは民主主義社会で、全体主義国家ではないからだ。これを選挙という。
だが、いったん特別階級の誰かに支持を表明したら、あとはまた観客に戻って彼らの行動を傍観する。「とまどえる群れ」は参加者とは見なされていない。これこそ正しく機能している民主主義社会の姿なのである。(引用者注:もちろん、この部分はチョムスキー教授独特の皮肉な言い回しです)
--------(引用終わり) ---------
あの日、私は官邸に向かって皆さんと叫びながら、このチョムスキー教授の言葉を思い出していました。そしてこうしたデモが、単に脱原発だけのことに留まらず、この国が長年の「観客民主主義」から脱却して、「真の民主主義」へと向かうきっかけになってほしいと・・・いえ、ぜひ、そうさせたいものだと心から願ったのです。
>風鈴草さん…
>あの日、私は官邸に向かって皆さんと叫びながら、このチョムスキー教授の言葉を思い出していました。そしてこうしたデモが、単に脱原発だけのことに留まらず、この国が長年の「観客民主主義」から脱却して、「真の民主主義」へと向かうきっかけになってほしいと・・・いえ、ぜひ、そうさせたいものだと心から願ったのです。
羨ましい限りです…、わたし岐阜市というド田舎ですので、首相官邸なんて見たことないですよ…、死ぬまでに一回は見てみたいなぁ…、、“脱原発デモ…”ほんとうに尊い運動だと思います。ご苦労様でした。^^
鈴木邦男さん(新右翼「一水会」顧問) は、わたしも大好きです。氏は、筆坂秀世さん(元日本共産党参議院議員;党政策委員長)との共著;『私たち、日本共産党の味方です。』のなかでこう述べてます…。「学生時代、僕らには“いい敵”がいた。全共闘であり、“共産党”だった。彼らがいたおかげで僕らも鍛えられた。いま、国政の場だって、そういった存在が絶対に必要だ。」さらに、「格差社会をまともにするためには、共産党の役割は重要だし、共産党員こそ真の愛国者だ。」と…。日本共産党フリークのわたくしめと致しましては嬉しくて…。o(^-^)o
大阪の入れ墨調査のエントリーでもコメントさせて頂きましたが、わたしには、指が3本欠損した元指定暴力団員の親友がいます。背中に芸術的な見事な“夜叉”の彫り物がほどこされてます。彼は、堅気より真面目で義理堅く人情厚い男で、いつもわたしを助けてくれます。
ちゃちなイデオロギーなる呪縛に束縛され、様々な市民と連帯ができないこと程、残念で阿保らしいことはないですよ…。思想・内心の自由を尊重するべきを、ひとを外見やちゃちなイデオロギーなどでレッテルを張り、排除する様では“共生社会”なんか、夢のまた夢に終わってしまいますよ…。風鈴草さんが記された通り、傍観していては駄目ですね、自分で考え行動する…。ほんとうに大切なことです。
活断層が11本ある土地の真上に位置する大飯原発を再稼働させる野田内閣は、殺人内閣ですね…。断じて許せません。
羨ましい限りです…、わたし岐阜市というド田舎ですので、首相官邸なんて見たことないですよ…、死ぬまでに一回は見てみたいなぁ…、、“脱原発デモ…”ほんとうに尊い運動だと思います。ご苦労様でした。^^
鈴木邦男さん(新右翼「一水会」顧問) は、わたしも大好きです。氏は、筆坂秀世さん(元日本共産党参議院議員;党政策委員長)との共著;『私たち、日本共産党の味方です。』のなかでこう述べてます…。「学生時代、僕らには“いい敵”がいた。全共闘であり、“共産党”だった。彼らがいたおかげで僕らも鍛えられた。いま、国政の場だって、そういった存在が絶対に必要だ。」さらに、「格差社会をまともにするためには、共産党の役割は重要だし、共産党員こそ真の愛国者だ。」と…。日本共産党フリークのわたくしめと致しましては嬉しくて…。o(^-^)o
大阪の入れ墨調査のエントリーでもコメントさせて頂きましたが、わたしには、指が3本欠損した元指定暴力団員の親友がいます。背中に芸術的な見事な“夜叉”の彫り物がほどこされてます。彼は、堅気より真面目で義理堅く人情厚い男で、いつもわたしを助けてくれます。
ちゃちなイデオロギーなる呪縛に束縛され、様々な市民と連帯ができないこと程、残念で阿保らしいことはないですよ…。思想・内心の自由を尊重するべきを、ひとを外見やちゃちなイデオロギーなどでレッテルを張り、排除する様では“共生社会”なんか、夢のまた夢に終わってしまいますよ…。風鈴草さんが記された通り、傍観していては駄目ですね、自分で考え行動する…。ほんとうに大切なことです。
活断層が11本ある土地の真上に位置する大飯原発を再稼働させる野田内閣は、殺人内閣ですね…。断じて許せません。
余談かつ全くの私事で恐縮なのですが、
私には街宣右翼の元メンバーである友達がいます。
今でも、多少はその道に関わりがありそうなんですが、
直接知り合った仲間に対しては、義理人情に厚く、また私のような彼とは
ちょっと毛色の違うタイプの人間でも、友達だと思ってくれると、
他の怖そうな仲間に対して、
『この人は俺らとは違う世界の人なんだから絶対手を出すなよと』
釘をさしてくれて、それはそれで有り難くもあります(笑)
ただ、政治的な話になると、
世の中の悪いことをなんでもかんでも左翼のせいにするウヨク体質はかなりもっていまして、
正直に言うと、彼とは政治や社会問題については語り合いたくはありません。
仮にですね、
この人と、政治的な事で共闘できるかと考えると、やっぱり難があると思うのです。
ただ、共通の知人で具体的に困っている状況にある人に対して生活保護の申請をさせるべくアドバイス
するとかそういうことは出来そうなのですけどね。
私には街宣右翼の元メンバーである友達がいます。
今でも、多少はその道に関わりがありそうなんですが、
直接知り合った仲間に対しては、義理人情に厚く、また私のような彼とは
ちょっと毛色の違うタイプの人間でも、友達だと思ってくれると、
他の怖そうな仲間に対して、
『この人は俺らとは違う世界の人なんだから絶対手を出すなよと』
釘をさしてくれて、それはそれで有り難くもあります(笑)
ただ、政治的な話になると、
世の中の悪いことをなんでもかんでも左翼のせいにするウヨク体質はかなりもっていまして、
正直に言うと、彼とは政治や社会問題については語り合いたくはありません。
仮にですね、
この人と、政治的な事で共闘できるかと考えると、やっぱり難があると思うのです。
ただ、共通の知人で具体的に困っている状況にある人に対して生活保護の申請をさせるべくアドバイス
するとかそういうことは出来そうなのですけどね。
>青い鳥さん
>青い鳥さん
>羨ましい限りです…、わたし岐阜市というド田舎ですので、首相官邸なんて見たことないですよ…、死ぬまでに一回は見てみたいなぁ…
ずいぶん、オーバーな仰り様ですね。(笑)でも、私も首相官邸なんて生まれて初めて見ました。ふだん用ないし。(笑)というか、人の頭越しだったのでろくに見えなくて、むしろ官邸の背後に聳える三つの高層ビルに向かってみんなで叫んでいたような感じでした。日が暮れてあたりが暗くなる中で、それがとっても絵になっていましたよ。原発に象徴されるこの国の抑圧的な産業社会に向かってのProtest(抗議)のようでした。
帰って来てから海外のメル友(例の西欧人ですが)にそのことをメールして寝ましたら、翌朝には返事が来ていて、日本とはマイナス7時間の時差のあるその人の住む街のローカルテレビの18時(日本時間の23日の1時)のニュースで、すでに日本のデモの様子を放映していたそうです。「あの中にあなたがいたんだね」と言ってもらって少し嬉しかったです。以前から、メールの中で、原発問題も含めた日本の現状についてしばしば愚痴る私に「市民的不服従 Civil disobedience 」について示唆してくれた人です。
Wikipadia 市民的不服従
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E6%B0%91%E7%9A%84%E4%B8%8D%E6%9C%8D%E5%BE%93
そして、その人が言うには・・・
>But, Tokyo of course is the capital of Japan, the decision centre indeed but the protests should take place in every village, city, small or large, wherever in Japan.
ということなんですが・・・問題はそこです。(-_-) たしかに首相官邸や国会近くに集まるもの大いに意味があることですが、では、たとえばそこに集まった人たちが、今度は自分の住む町に帰って、そこで小さなデモ、ないし脱原発のイベントをすることを呼び掛けることが出来るか?となると、かなり難しいと思うんです。経産省前で出会った二人の女性(60代~)も、それぞれ、ご近所やお友達にはデモに行くなんて言わないで、独りで来たと言われていました。私自身もいまだに家族以外にはそのことを誰にも話していません。(そのうちに親しい友人たちには話そうと思っていますが)ほんとうは、そういうことを大っぴらに話すことが出来て、自分の住む町でもこうした動きを起こすことが出来るくらいになれば、この国を変えて行くこともできるのでしょうけれど・・・
>羨ましい限りです…、わたし岐阜市というド田舎ですので、首相官邸なんて見たことないですよ…、死ぬまでに一回は見てみたいなぁ…
ずいぶん、オーバーな仰り様ですね。(笑)でも、私も首相官邸なんて生まれて初めて見ました。ふだん用ないし。(笑)というか、人の頭越しだったのでろくに見えなくて、むしろ官邸の背後に聳える三つの高層ビルに向かってみんなで叫んでいたような感じでした。日が暮れてあたりが暗くなる中で、それがとっても絵になっていましたよ。原発に象徴されるこの国の抑圧的な産業社会に向かってのProtest(抗議)のようでした。
帰って来てから海外のメル友(例の西欧人ですが)にそのことをメールして寝ましたら、翌朝には返事が来ていて、日本とはマイナス7時間の時差のあるその人の住む街のローカルテレビの18時(日本時間の23日の1時)のニュースで、すでに日本のデモの様子を放映していたそうです。「あの中にあなたがいたんだね」と言ってもらって少し嬉しかったです。以前から、メールの中で、原発問題も含めた日本の現状についてしばしば愚痴る私に「市民的不服従 Civil disobedience 」について示唆してくれた人です。
Wikipadia 市民的不服従
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E6%B0%91%E7%9A%84%E4%B8%8D%E6%9C%8D%E5%BE%93
そして、その人が言うには・・・
>But, Tokyo of course is the capital of Japan, the decision centre indeed but the protests should take place in every village, city, small or large, wherever in Japan.
ということなんですが・・・問題はそこです。(-_-) たしかに首相官邸や国会近くに集まるもの大いに意味があることですが、では、たとえばそこに集まった人たちが、今度は自分の住む町に帰って、そこで小さなデモ、ないし脱原発のイベントをすることを呼び掛けることが出来るか?となると、かなり難しいと思うんです。経産省前で出会った二人の女性(60代~)も、それぞれ、ご近所やお友達にはデモに行くなんて言わないで、独りで来たと言われていました。私自身もいまだに家族以外にはそのことを誰にも話していません。(そのうちに親しい友人たちには話そうと思っていますが)ほんとうは、そういうことを大っぴらに話すことが出来て、自分の住む町でもこうした動きを起こすことが出来るくらいになれば、この国を変えて行くこともできるのでしょうけれど・・・
風鈴草さんへ
>しかし、被害に遭ったご本人たちとその祖国以外の国、特に欧米の国家(個人ではなく)にそれを責める資格があるのかどうかは疑問に思っています。
欧米の国家にそれを責める資格があるのかはともかくとして、加害国である日本が事実を直視せず、謝罪もしないという状況での欧米政府の日本政府批判は、少なくとも訴えている元慰安婦の方々たちには力強いエールであることはまちがいありません。彼女たちの気持ちになってみれば、欧米国家に責める資格があるのかどうかは問題のすりかえでしかないでしょう。
>針谷さんのブログを見る限り、彼自身は一本気な方のようですので、本当にそのように信じているのでしょう。
風鈴草さんの言い方に従えば、「かのTHE FACTS=『慰安婦強制連行の証拠はない』という主張を『ワシントン・ポスト』に出した人たちも、一本気な方々のようですので、本当にそのように信じているのでしょう。」となりますね。そのひとりである河村たかし名古屋市長は、最近も『南京虐殺はなかった」と発言して物議を起こしたのは記憶に新しいところです。
>その点では、たままた一人だけいる私の西欧人の友が、その人の国がかつてアフリカの某国で行って来たことをおそらくは知らない (言っても、おそらく否定する )のと同じではないかと思います。
例えば、フランス近現代史上、最も重大な恥部のひとつとされるアルジェリア戦争(1954-1962年)におけるフランス軍の残虐行為は、長らくフランスではタブー視扱いされてきたという事実があります。でも、ヨーロッパ人もそうなのだから彼らに慰安婦問題をとやかく言う資格はないとか慰安婦問題に対する針谷氏のような考えが正当化されるわけではないでしょう。
>実は私は「統一戦線義勇軍」のことはよく知らないんです。というか、右翼でも左翼でも、その組織の違いとか系統とかにはあまり興味がないので、全くの不案内です。
私も「統一戦線義勇軍」についても右翼・左翼の組織や系統の違いにもさほど興味はありません。私が問題にしたのは、針谷氏が右翼ということではなく、前コメントで書いたように「天皇陛下の軍隊であった我が「皇軍」が、そんな恥さらしになる従軍慰安婦なるものを、公然と皇軍主導でやる訳はないではないか!」 というような発言をしているということです。
「脱原発」という大きな目的があるのに、そんな些細なこと問題にしなくていいではないかと思われるかもしれません。また、私は右翼が脱原発運動をすること自体になんら異議を挟むつもりはありません。しかし、リベラル・左派の立場からなんのための脱原発かを真剣に考えれば、慰安婦問題にどう向き合っているかは、共闘できるかどうかの条件として無視できないことと思っています。
「反原発運動はこういう1%の強者による99%の弱者イジメという構造、根本にまで目を向けて欲しいのです。」秋原さんがお書きになった本文からの引用です。
欧米の国家にそれを責める資格があるのかはともかくとして、加害国である日本が事実を直視せず、謝罪もしないという状況での欧米政府の日本政府批判は、少なくとも訴えている元慰安婦の方々たちには力強いエールであることはまちがいありません。彼女たちの気持ちになってみれば、欧米国家に責める資格があるのかどうかは問題のすりかえでしかないでしょう。
>針谷さんのブログを見る限り、彼自身は一本気な方のようですので、本当にそのように信じているのでしょう。
風鈴草さんの言い方に従えば、「かのTHE FACTS=『慰安婦強制連行の証拠はない』という主張を『ワシントン・ポスト』に出した人たちも、一本気な方々のようですので、本当にそのように信じているのでしょう。」となりますね。そのひとりである河村たかし名古屋市長は、最近も『南京虐殺はなかった」と発言して物議を起こしたのは記憶に新しいところです。
>その点では、たままた一人だけいる私の西欧人の友が、その人の国がかつてアフリカの某国で行って来たことをおそらくは知らない (言っても、おそらく否定する )のと同じではないかと思います。
例えば、フランス近現代史上、最も重大な恥部のひとつとされるアルジェリア戦争(1954-1962年)におけるフランス軍の残虐行為は、長らくフランスではタブー視扱いされてきたという事実があります。でも、ヨーロッパ人もそうなのだから彼らに慰安婦問題をとやかく言う資格はないとか慰安婦問題に対する針谷氏のような考えが正当化されるわけではないでしょう。
>実は私は「統一戦線義勇軍」のことはよく知らないんです。というか、右翼でも左翼でも、その組織の違いとか系統とかにはあまり興味がないので、全くの不案内です。
私も「統一戦線義勇軍」についても右翼・左翼の組織や系統の違いにもさほど興味はありません。私が問題にしたのは、針谷氏が右翼ということではなく、前コメントで書いたように「天皇陛下の軍隊であった我が「皇軍」が、そんな恥さらしになる従軍慰安婦なるものを、公然と皇軍主導でやる訳はないではないか!」 というような発言をしているということです。
「脱原発」という大きな目的があるのに、そんな些細なこと問題にしなくていいではないかと思われるかもしれません。また、私は右翼が脱原発運動をすること自体になんら異議を挟むつもりはありません。しかし、リベラル・左派の立場からなんのための脱原発かを真剣に考えれば、慰安婦問題にどう向き合っているかは、共闘できるかどうかの条件として無視できないことと思っています。
「反原発運動はこういう1%の強者による99%の弱者イジメという構造、根本にまで目を向けて欲しいのです。」秋原さんがお書きになった本文からの引用です。
青い鳥さんへ
>ちゃちなイデオロギーなる呪縛に束縛され、様々な市民と連帯ができないこと程、残念で阿保らしいことはないですよ…。
慰安婦問題はじめ歴史修正主義に対する批判は、ちゃちなイデオロギーなる呪縛による束縛ではありませんよ。それこそ、イデオロギーに関係ない左右を越えた問題です。
青い鳥さんのコメントは以前から拝見させていただいていますから、この発言は真意ではなく、対話の流れからはずみで出たものとは理解しています。それにしても脱原発という大きな目的のためなら慰安婦問題に対する意見がどうであれ大した事ではないとお考えなら、それには全く同意できないと答えるしかありません。理由は↑の風鈴草さんへのコメント最後で述べた通りです。
慰安婦問題はじめ歴史修正主義に対する批判は、ちゃちなイデオロギーなる呪縛による束縛ではありませんよ。それこそ、イデオロギーに関係ない左右を越えた問題です。
青い鳥さんのコメントは以前から拝見させていただいていますから、この発言は真意ではなく、対話の流れからはずみで出たものとは理解しています。それにしても脱原発という大きな目的のためなら慰安婦問題に対する意見がどうであれ大した事ではないとお考えなら、それには全く同意できないと答えるしかありません。理由は↑の風鈴草さんへのコメント最後で述べた通りです。
青い鳥さんへ
>それから、欧州の“オリーブの木”の様な穏健保守も包含する連帯を模索するというご提言ですが、わたしは大賛成です。
“オリーブの木”というと、どうしても私はこれを日本で広めようとした後房雄氏を連想してしまって引いてしまいます。ご存じと思いますが、後房雄氏は政治改革=小選挙区制導入の熱心な旗振りを務めた学者です。その頃、ずばり「オリーブの木」と題した著作を出されています。その後、河村たかしのブレーンを経て、現在は橋下擁護の論陣を張るまでになってしまいました。
で、その著作「オリーブの木」の中で共産党に「左の公明党になれ」と提言されていましたね。つまり、もっと柔軟性をもって政権に加われということです。「柔軟性をもて」といえば聞こえはいいですが、要するに「安保など重要ないくつかの理念を捨てよ」ということです。これを共産党が拒絶したのは当然だし賢明だったと思います。現在の共産党は弱小政党になってしまいましたが、仮に後氏の提言通り「左の公明党」の道を選んでも分裂・埋没しただけでしょう。後氏の提言を受け入れた社会党のその後の惨状をみればそれは明らかです。
ヨーロッパの社会民主主義政党が福祉国家の実現に大きな役割を果たしてきたことは高く評価できます。しかし、過剰に彼らに政党の理想像を求めるのは賛成できません。
フランスのオランド大統領は、国連の安全保障理事会が認めればシリアへの武力介入も可能だと言っています。日本の護憲派でオランド氏に過度の期待をもった人は失望したかもしれないけど、西欧社会民主主義政党の党首だったら当然の発言です。彼らは冷戦時代からNATOによる安全保障体制を保守党同様に肯定してきました。1999年のコソボ空爆に参加したときのドイツは社民党と緑の党の連立政権でした。ドイツ空軍による空爆は第二次大戦以来初めてだったそうです。こんな重大な決定を下したのが社民政権だったのです。
日本の社会党→社民党はごぞんじのように、日本の民主主義をだめにした最大の責任者といわれても仕方がないていたらくですが、欧州の社民党と異なり、ともかくにも安保に批判的で九条に固執したのはやはり評価すべきと私は思っています。「だから社会党はだめなんだ。もっと欧州の社民党のように現実路線を取らねば」とはよく言われたことです。しかし、欧州とは違う日本の特殊な事情(保守反動の土壌が極めて強く、かろうじてバランスを取るために強く左へ引きつける勢力が必要な社会)を考えたとき、単純に批判できることではないでしょう。事実、社会党が政治改革を受け入れた頃を境に日本の右傾化は加速度的なスピードで進んでいきました。
“オリーブの木”というと、どうしても私はこれを日本で広めようとした後房雄氏を連想してしまって引いてしまいます。ご存じと思いますが、後房雄氏は政治改革=小選挙区制導入の熱心な旗振りを務めた学者です。その頃、ずばり「オリーブの木」と題した著作を出されています。その後、河村たかしのブレーンを経て、現在は橋下擁護の論陣を張るまでになってしまいました。
で、その著作「オリーブの木」の中で共産党に「左の公明党になれ」と提言されていましたね。つまり、もっと柔軟性をもって政権に加われということです。「柔軟性をもて」といえば聞こえはいいですが、要するに「安保など重要ないくつかの理念を捨てよ」ということです。これを共産党が拒絶したのは当然だし賢明だったと思います。現在の共産党は弱小政党になってしまいましたが、仮に後氏の提言通り「左の公明党」の道を選んでも分裂・埋没しただけでしょう。後氏の提言を受け入れた社会党のその後の惨状をみればそれは明らかです。
ヨーロッパの社会民主主義政党が福祉国家の実現に大きな役割を果たしてきたことは高く評価できます。しかし、過剰に彼らに政党の理想像を求めるのは賛成できません。
フランスのオランド大統領は、国連の安全保障理事会が認めればシリアへの武力介入も可能だと言っています。日本の護憲派でオランド氏に過度の期待をもった人は失望したかもしれないけど、西欧社会民主主義政党の党首だったら当然の発言です。彼らは冷戦時代からNATOによる安全保障体制を保守党同様に肯定してきました。1999年のコソボ空爆に参加したときのドイツは社民党と緑の党の連立政権でした。ドイツ空軍による空爆は第二次大戦以来初めてだったそうです。こんな重大な決定を下したのが社民政権だったのです。
日本の社会党→社民党はごぞんじのように、日本の民主主義をだめにした最大の責任者といわれても仕方がないていたらくですが、欧州の社民党と異なり、ともかくにも安保に批判的で九条に固執したのはやはり評価すべきと私は思っています。「だから社会党はだめなんだ。もっと欧州の社民党のように現実路線を取らねば」とはよく言われたことです。しかし、欧州とは違う日本の特殊な事情(保守反動の土壌が極めて強く、かろうじてバランスを取るために強く左へ引きつける勢力が必要な社会)を考えたとき、単純に批判できることではないでしょう。事実、社会党が政治改革を受け入れた頃を境に日本の右傾化は加速度的なスピードで進んでいきました。
>ぽむさん…
ご丁寧なコメントを頂き、心より感謝します。
貴殿のご指摘は、ごもっともであり非のうちどころはありませんし、大賛成です。わたくしは、高校生時代“日本民主青年同盟”で反核・反戦などの運動に身を投じ、現在の思想的な礎ができあがりました。確かに歴史修正主義などに同調したりするのは頂けません。筋を通すのは政党として大切であることは良くわかります。が、しかし現実をみると、日本共産党について見ますとどうでしょう。1970年代、革新共同の田中美智子さん含め当時39議席あった衆議院の議席数が、いまや9議席、、、小選挙区制が原因であることは論をまたないところです。この選挙制度をまともな制度にかえるにもとてもではありませんが、9議席で吠えていても何もかわりませんし、もしハシゲなどのとんでもない政治勢力が出てきたら、日本共産党は、ないに等しい議席数になってしまうと懸念しています。そうなればほんとうに、日本国憲法なんかズタズタに改悪されてしまいますよ。こちらのコメンテータの小野哲さんは、“護憲保守”のお立場ですがわたしと考えるところ大部分を共鳴しています。人間、思想・信条は千差万別だから健全であると思います。日本共産党が非のうちどころのない正論を語る、民衆の大部分、日本共産党は“正しい”とは思っているとわたしは考えます。ただ正し過ぎるのですよ、潔癖に過ぎるんですよ。わたしは日頃こちらのblog様で“偉そうなこと”をぶってますが、実はだらしない、不甲斐ない駄目亭主でいつも鬼嫁から罵倒を浴びせられています。日本共産党は前衛党であり国民の暮らしをよくするために頑張って欲しいのですよ、わたしのような駄目おやじも共感できる寛容さや度量の深さをもって共同の輪を広げてもらいたいのです。1970年代社共共闘がみのり“太平洋革新ベルト地帯”ができあがりました。また原水爆禁止世界大会も統一運動ができてました。これらが分裂されましたがこの元凶は、「解同」の問題が絡んでいるとわたしはみてますが、朝田・丸尾一派の暴力支配もなくなり共同の障壁はないと思われます。今が日本共産党をはじめとする護憲勢力が小異を捨て連帯しなければ日本国憲法が危ないし、大企業により破壊された雇用形態がつづけられ、労働者の権利や尊厳、生命まで危機に晒されたままになってしまいます。自民党や民主党の様な、とんでもない政党から政権を奪還する意欲を日本共産党には求めたいんですよ…。いつまで経っても“確かな野党”では窮地にある労働者・市民が救われない。資本主義はもう限界にきているとわたしは見てます。堂々と社会主義政策を全面に出し、この指とまれと真剣に有権者に訴えれば、今の9より減ることはないと思います。確かに二大政党上げのマスコミの偏向姿勢に大きな問題はありますが…。ぽむさん、勘違いなされないでくださいね、貴殿にたくさんお教え頂き感謝しています、批判している訳ではありませんから…、わたしからの日本共産党に対するエールを送ったつもりですので…。ぽむさん…、また色々と教えてくださいね…、こうゆう議論も楽しいし、小野哲さんも望んでみえます。
秋原葉月さん…、いつも勝手な駄文を投稿し、ご勘弁ください。心から感謝してます。
貴殿のご指摘は、ごもっともであり非のうちどころはありませんし、大賛成です。わたくしは、高校生時代“日本民主青年同盟”で反核・反戦などの運動に身を投じ、現在の思想的な礎ができあがりました。確かに歴史修正主義などに同調したりするのは頂けません。筋を通すのは政党として大切であることは良くわかります。が、しかし現実をみると、日本共産党について見ますとどうでしょう。1970年代、革新共同の田中美智子さん含め当時39議席あった衆議院の議席数が、いまや9議席、、、小選挙区制が原因であることは論をまたないところです。この選挙制度をまともな制度にかえるにもとてもではありませんが、9議席で吠えていても何もかわりませんし、もしハシゲなどのとんでもない政治勢力が出てきたら、日本共産党は、ないに等しい議席数になってしまうと懸念しています。そうなればほんとうに、日本国憲法なんかズタズタに改悪されてしまいますよ。こちらのコメンテータの小野哲さんは、“護憲保守”のお立場ですがわたしと考えるところ大部分を共鳴しています。人間、思想・信条は千差万別だから健全であると思います。日本共産党が非のうちどころのない正論を語る、民衆の大部分、日本共産党は“正しい”とは思っているとわたしは考えます。ただ正し過ぎるのですよ、潔癖に過ぎるんですよ。わたしは日頃こちらのblog様で“偉そうなこと”をぶってますが、実はだらしない、不甲斐ない駄目亭主でいつも鬼嫁から罵倒を浴びせられています。日本共産党は前衛党であり国民の暮らしをよくするために頑張って欲しいのですよ、わたしのような駄目おやじも共感できる寛容さや度量の深さをもって共同の輪を広げてもらいたいのです。1970年代社共共闘がみのり“太平洋革新ベルト地帯”ができあがりました。また原水爆禁止世界大会も統一運動ができてました。これらが分裂されましたがこの元凶は、「解同」の問題が絡んでいるとわたしはみてますが、朝田・丸尾一派の暴力支配もなくなり共同の障壁はないと思われます。今が日本共産党をはじめとする護憲勢力が小異を捨て連帯しなければ日本国憲法が危ないし、大企業により破壊された雇用形態がつづけられ、労働者の権利や尊厳、生命まで危機に晒されたままになってしまいます。自民党や民主党の様な、とんでもない政党から政権を奪還する意欲を日本共産党には求めたいんですよ…。いつまで経っても“確かな野党”では窮地にある労働者・市民が救われない。資本主義はもう限界にきているとわたしは見てます。堂々と社会主義政策を全面に出し、この指とまれと真剣に有権者に訴えれば、今の9より減ることはないと思います。確かに二大政党上げのマスコミの偏向姿勢に大きな問題はありますが…。ぽむさん、勘違いなされないでくださいね、貴殿にたくさんお教え頂き感謝しています、批判している訳ではありませんから…、わたしからの日本共産党に対するエールを送ったつもりですので…。ぽむさん…、また色々と教えてくださいね…、こうゆう議論も楽しいし、小野哲さんも望んでみえます。
秋原葉月さん…、いつも勝手な駄文を投稿し、ご勘弁ください。心から感謝してます。
ぽむ様へ
青い鳥様との議論を拝見させていただきました。
私自身、護憲保守主義ですが共産党の政策でも使えるものは採用すべきと言う考えです。最小限の手入れで最大限の利益を上げるというのが合理主義者の思想ですが、同時に教条主義になってはいけないと私は認識しています。
社共は歴史的にも日本資本主義論争の講座派対労農派の対立から分かれたようなものなのだと私がアメブロ時代に知り合った一撃氏は指摘しています。それゆえに譲れない信念と言うのは誰しもある事は承知です。それまで私は介入する気持ちはないです。
1962年6月15日での「中国共産党中央書記処」で鄧小平が「黒い猫でも、白い猫でも、鼠を捕るのが良い猫だ」という発言をしていますが私もその考えで一致しています。あなたと青い鳥様の議論を見せていただくと、その柔軟性の有無だけであって現状に対する危機感では一致していますね。
私自身もその点では一致しています。ゆえにブログで意見を表明しています。私も申し上げますが、あなたを批判しているわけじゃありませんよ。脱原発の中には右翼もいて、その主張に若干問題がある事は私も承知です。その事についてはじっくり考えましょう。私のブログでもお待ちしております。
最後になりましたが、この言葉を捧げます。この言葉は私が思想上影響を受けた佐高信氏の著作で知りました。
太鼓の音に足の合わぬ者をとがめるな。その人は別の太鼓に聞き入っているのかもしれない。〔ソロー「森の生活」〕
私自身、護憲保守主義ですが共産党の政策でも使えるものは採用すべきと言う考えです。最小限の手入れで最大限の利益を上げるというのが合理主義者の思想ですが、同時に教条主義になってはいけないと私は認識しています。
社共は歴史的にも日本資本主義論争の講座派対労農派の対立から分かれたようなものなのだと私がアメブロ時代に知り合った一撃氏は指摘しています。それゆえに譲れない信念と言うのは誰しもある事は承知です。それまで私は介入する気持ちはないです。
1962年6月15日での「中国共産党中央書記処」で鄧小平が「黒い猫でも、白い猫でも、鼠を捕るのが良い猫だ」という発言をしていますが私もその考えで一致しています。あなたと青い鳥様の議論を見せていただくと、その柔軟性の有無だけであって現状に対する危機感では一致していますね。
私自身もその点では一致しています。ゆえにブログで意見を表明しています。私も申し上げますが、あなたを批判しているわけじゃありませんよ。脱原発の中には右翼もいて、その主張に若干問題がある事は私も承知です。その事についてはじっくり考えましょう。私のブログでもお待ちしております。
最後になりましたが、この言葉を捧げます。この言葉は私が思想上影響を受けた佐高信氏の著作で知りました。
太鼓の音に足の合わぬ者をとがめるな。その人は別の太鼓に聞き入っているのかもしれない。〔ソロー「森の生活」〕
秋原葉月様、小野哲様、ぽむ様へ…
わたくしの拙いコメントにより、ぽむ様並びに小野哲様…何より、ブログ主様の秋原葉月様に不快な思いをおかけしてしまいましたことを心より、深くお詫びします。この議論は、エントリーの主旨と乖離する問題を多々、内包しますので、小野哲様のご了解を頂ければ、貴殿のブログ 「日々格闘記 Tetsuono」
http://tetsuono123.seesaa.net/pages/user/m/index
の場をお借りし、わたしの考えるところをお示ししたくお願いします。
秋原葉月さん、いつもご迷惑をおかけし、申し訳ありません。あらためて謝罪します。
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の場をお借りし、わたしの考えるところをお示ししたくお願いします。
秋原葉月さん、いつもご迷惑をおかけし、申し訳ありません。あらためて謝罪します。
>青い鳥様 >小野哲様
青い鳥様、小野哲様、丁寧なコメントをありがとうございます。
しかし、申し訳ないですが、私が問題にしたことからは、かなり論点がずれたレスのように思えてしまうのが残念です。
私は「日本共産党」がどうあるべきか、どういう共闘を組むべきかを論じるために先のコメントを書いたわけではないのです。共産党が出てきたのは、「オリーブの木」や政治改革について思うことを述べると共産党や社会党(社民党)にふれないわけにはいかないためです。
「オリーブの木」が元はイタリア原産の幅広いリベラル勢力を結集させた政治運動であることはもちろん知っています。
しかし、90年代初頭の政治改革がここまで政治を劣化させた元凶と考えている者にとっては、後房雄氏などにより政治改革に利用された「オリーブの木」は非常にイメージが悪いのですね。「柔軟性・現実路線」の元になされた理念なき野合の無残な結果は民主党が示す通りです。
私がこのコメント欄へのいくつかの投稿で言いたかったのは「右でも左でも」という一見いかにも柔軟で包容力があるかのようなスローガンに踊らされ、結局「右」に収束されていきかねない「リベラル・左派」の現状への危機感です。
>脱原発の中には右翼もいて、その主張に若干問題がある事は私も承知です。
先の青い鳥さんへのコメントでも書いたように、慰安婦問題はじめ歴史修正主義への批判は、断じてイデオロギーに縛られた「歴史観の違い」などではありません。これをイデオロギーの問題にしてしまったら歴史修正主義者たちの思う壺です。地動説か天動説かをイデオロギーの問題にするようなものです。
また歴史修正主義は「若干の問題」どころではなく、人権や「なんのための脱原発なのか?」の根幹にかかわってくる問題です。
「黒い猫でも、白い猫でも、鼠を捕るのが良い猫だ」ですが、毒蛇も鼠を捕ります。たらふく鼠を食った毒蛇は手に負えなくなります。あやうく橋下に「脱原発」という鼠を持っていかれるところだったことをお忘れなく。毒蛇をはびこらせないためには、最低限の理念を守ることが絶対に必要です。歴史認識は決して譲れないもののひとつではないでしょうか。
尚、日本で仮に欧州の「オリーブの木」の様な穏健保守も包含した連帯が生まれた場合でも、先のコメントでも述べたように、原則としてNATOによる軍事介入も辞さない西欧社民主義政党の安全保障に対するスタンスとは一線を画するという態度を明瞭にすべきです。これも柔軟性がないと思われるかもしれないけど、ここをきちんと押さえないと「リベラル・左派」からの9条なしくずしになりかねません。
しかし、申し訳ないですが、私が問題にしたことからは、かなり論点がずれたレスのように思えてしまうのが残念です。
私は「日本共産党」がどうあるべきか、どういう共闘を組むべきかを論じるために先のコメントを書いたわけではないのです。共産党が出てきたのは、「オリーブの木」や政治改革について思うことを述べると共産党や社会党(社民党)にふれないわけにはいかないためです。
「オリーブの木」が元はイタリア原産の幅広いリベラル勢力を結集させた政治運動であることはもちろん知っています。
しかし、90年代初頭の政治改革がここまで政治を劣化させた元凶と考えている者にとっては、後房雄氏などにより政治改革に利用された「オリーブの木」は非常にイメージが悪いのですね。「柔軟性・現実路線」の元になされた理念なき野合の無残な結果は民主党が示す通りです。
私がこのコメント欄へのいくつかの投稿で言いたかったのは「右でも左でも」という一見いかにも柔軟で包容力があるかのようなスローガンに踊らされ、結局「右」に収束されていきかねない「リベラル・左派」の現状への危機感です。
>脱原発の中には右翼もいて、その主張に若干問題がある事は私も承知です。
先の青い鳥さんへのコメントでも書いたように、慰安婦問題はじめ歴史修正主義への批判は、断じてイデオロギーに縛られた「歴史観の違い」などではありません。これをイデオロギーの問題にしてしまったら歴史修正主義者たちの思う壺です。地動説か天動説かをイデオロギーの問題にするようなものです。
また歴史修正主義は「若干の問題」どころではなく、人権や「なんのための脱原発なのか?」の根幹にかかわってくる問題です。
「黒い猫でも、白い猫でも、鼠を捕るのが良い猫だ」ですが、毒蛇も鼠を捕ります。たらふく鼠を食った毒蛇は手に負えなくなります。あやうく橋下に「脱原発」という鼠を持っていかれるところだったことをお忘れなく。毒蛇をはびこらせないためには、最低限の理念を守ることが絶対に必要です。歴史認識は決して譲れないもののひとつではないでしょうか。
尚、日本で仮に欧州の「オリーブの木」の様な穏健保守も包含した連帯が生まれた場合でも、先のコメントでも述べたように、原則としてNATOによる軍事介入も辞さない西欧社民主義政党の安全保障に対するスタンスとは一線を画するという態度を明瞭にすべきです。これも柔軟性がないと思われるかもしれないけど、ここをきちんと押さえないと「リベラル・左派」からの9条なしくずしになりかねません。
>ぽむ様…
ご丁寧なコメントを頂き、心から感謝申し上げますと同時に、貴殿のお考えを拝読させて頂き、勉強になりました。
>…「オリーブの木」は非常にイメージが悪いのですね。「柔軟性・現実路線」の元になされた理念なき野合の無残な結果は民主党が示す通りです。……………
>…慰安婦問題はじめ歴史修正主義への批判は、断じてイデオロギーに縛られた「歴史観の違い」などではありません。これをイデオロギーの問題にしてしまったら歴史修正主義者たちの思う壺です。………また歴史修正主義は「若干の問題」どころではなく、人権や「なんのための脱原発なのか?」の根幹にかかわってくる問題です。
>橋下に「脱原発」という鼠を持っていかれるところだったことをお忘れなく。毒蛇をはびこらせないためには、最低限の理念を守ることが絶対に必要です。歴史認識は決して譲れないもののひとつではないで原則としてNATOによる軍事介入も辞さない西欧社民主義政党の安全保障に対するスタンスとは一線を画するという態度を明瞭にすべきです。これも柔軟性がないと思われるかもしれないけど、ここをきちんと押さえないと「リベラル・左派」からの9条なしくずしになりかねません。
どのご主張も、理に適っており、どれも異論はございません。非常に勉強になりました。ただ、わたしの訴えたいところは、・庶民の暮らしが危機にある現在、どう庶民の暮らしを守るのか?
・脱原発運動を国民的ウネリに高める方策を考える時、個別に是是非非に、共闘可能なところとは、手を組むべきだ。と言いたいのです。ぽむ様が、記されたハシゲの“なんちゃって…”などは、ハナから相手になどしていません…、あんな奴と共闘することは、屈辱です。ただ右翼でも鈴木邦男さんのように、日本共産党にエールを送る方も存在します。在特会などの差別レイシスト集団などとは組める訳はないですね。
いずれにしても、議論の最初で、わたくしがトンチンカンな、“イデオロギー”云々を持ち出した為に、齟齬が生じたのですから、ぽむ様に対しましては、心からお詫び申し上げます。
ぽむ様…、また色々とご教授くだされば、至極、幸甚に存じます。楽しい議論でした…。
秋原葉月さん…、たびたび相すみませんです。この議論は、これでおしまいにします。m(__)m
>…「オリーブの木」は非常にイメージが悪いのですね。「柔軟性・現実路線」の元になされた理念なき野合の無残な結果は民主党が示す通りです。……………
>…慰安婦問題はじめ歴史修正主義への批判は、断じてイデオロギーに縛られた「歴史観の違い」などではありません。これをイデオロギーの問題にしてしまったら歴史修正主義者たちの思う壺です。………また歴史修正主義は「若干の問題」どころではなく、人権や「なんのための脱原発なのか?」の根幹にかかわってくる問題です。
>橋下に「脱原発」という鼠を持っていかれるところだったことをお忘れなく。毒蛇をはびこらせないためには、最低限の理念を守ることが絶対に必要です。歴史認識は決して譲れないもののひとつではないで原則としてNATOによる軍事介入も辞さない西欧社民主義政党の安全保障に対するスタンスとは一線を画するという態度を明瞭にすべきです。これも柔軟性がないと思われるかもしれないけど、ここをきちんと押さえないと「リベラル・左派」からの9条なしくずしになりかねません。
どのご主張も、理に適っており、どれも異論はございません。非常に勉強になりました。ただ、わたしの訴えたいところは、・庶民の暮らしが危機にある現在、どう庶民の暮らしを守るのか?
・脱原発運動を国民的ウネリに高める方策を考える時、個別に是是非非に、共闘可能なところとは、手を組むべきだ。と言いたいのです。ぽむ様が、記されたハシゲの“なんちゃって…”などは、ハナから相手になどしていません…、あんな奴と共闘することは、屈辱です。ただ右翼でも鈴木邦男さんのように、日本共産党にエールを送る方も存在します。在特会などの差別レイシスト集団などとは組める訳はないですね。
いずれにしても、議論の最初で、わたくしがトンチンカンな、“イデオロギー”云々を持ち出した為に、齟齬が生じたのですから、ぽむ様に対しましては、心からお詫び申し上げます。
ぽむ様…、また色々とご教授くだされば、至極、幸甚に存じます。楽しい議論でした…。
秋原葉月さん…、たびたび相すみませんです。この議論は、これでおしまいにします。m(__)m
指摘に感謝します、ぽむ様。また、青い鳥様にも
あなたの問題指摘に感謝します。
思想に関しては絶対に譲れないと言う事は確かです。私もその点では一致しています。そうした意味ではあなたの意図したものとは大きくずれてしまったようで申し訳ないと思います。
ちなみに一撃氏とはアメブロ時代からコメントをしていた関係ですよ。一撃氏もきちんと言うべきときは佐高氏にコメントしています。
青い鳥様、申し出は承りました。ご安心を。
秋原さん、すみません。ちょっと私も今回ファンブルをやらかしてしまったようです。今後この事の内容に気をつけますので…。
思想に関しては絶対に譲れないと言う事は確かです。私もその点では一致しています。そうした意味ではあなたの意図したものとは大きくずれてしまったようで申し訳ないと思います。
ちなみに一撃氏とはアメブロ時代からコメントをしていた関係ですよ。一撃氏もきちんと言うべきときは佐高氏にコメントしています。
青い鳥様、申し出は承りました。ご安心を。
秋原さん、すみません。ちょっと私も今回ファンブルをやらかしてしまったようです。今後この事の内容に気をつけますので…。
官邸前デモに参加して思ったこと
風鈴草さん。今さらですが水を掛けるようなコメントばかりしてしまってごめんなさい。
実は私も22日の官邸前デモに参加しました。確かにあれだけの人がしかも組織動員ではなく自発的に参加している様子は感動的です。日本の民主主義も死に絶えていないとの希望もいだかせてくれます。チョムスキー教授の言葉を思い出したという風鈴草さんの気持ちもよくわかるのです。
しかし、高揚した気分になりつつも、やはり醒めた想いもいだかずにいられませんでした。「なぜ、脱原発だけが盛り上がるのか」って。ここ20年、わけても10年くらいの間、日本ではもっともっとこのくらいの大規模デモが起きて不思議じゃない状況だったのです。人々の暮らしはこれだけ追い詰められ、憲法もずたずたにされてきたのですから。
チュニジアのジャスミン革命は貧しい青年の焼身自殺が人々の怒りに火をつけたことで燃え上がり、緊縮政策の犠牲になった年金生活者の自殺はギリシャの左派躍進を後押ししました。南米では数年前からアメリカ追随と新自由主義からの脱却が始まっています。日本でも、このような動きがとっくに出てきてもおかしくないはずなのです。それなのに、生活保護を打ち切られ、「おにぎり食べたい」と書き残した人の死から5年、類似の犠牲が後を絶たず、それに対して怒りの声が起こるどころか政治家も絡んでの生活保護バッシングが吹き荒れる現状を想う時、「脱原発」だけが盛り上がっても過度の期待はできないのではないかとの懸念がぬぐえません。
「脱原発」が盛りあがっても真の民主化運動に繋がらないのではとされる理由のひとつに、いわゆる「ミーイズム」(「自分や自分の家族が危ないから」)であって、他人を思いやる気持ちからきてるわけではないという見方がありますが、加えて、被災者以外にとっては、生活感のないある種の現実逃避的な運動だからという事もいえると思います。「紫陽花革命」とかいわれてもなにそれって言いたくなりませんか。
昨年の今頃、脱原発運動が盛り上がってきて、芸能人なども次々「脱原発宣言」を始めた時も私は素直にそれを喜ぶ気になぜかなれませんでした。ちょうど同時期、大阪では橋下による公立校の教職員に君が代の起立斉唱を義務づける全国初の条例案が府議会で成立しました。あの時、思ったものです。「脱原発宣言」をした芸能人が仕事を干されることはもはやないけど、君が代強制を批判したら本当に干されかねない、それがこの国の現実なのだと。あるいは、「従軍慰安婦に国は正式に謝罪すべきだ」とか「沖縄の米軍基地を撤去せよ」とか「金持ちからたくさん税金を取れ」「生活保護は当然の権利」など言い出してもひどいバッシングを浴びそうです。
結局、この脱原発運動って、そういう絶望的な現実から目をそらさせ、いかにも日本の民主主義は健在ですと思わせるカモフラージュかもしれないと思ったりもします。
どうにも頑迷で先を見る目がない経団連や政治家がいまだにしがみついているせいで足止めをされているとはいえ「脱原発」はある程度、エスタブリッシュメント側からのお墨付きも得ています。朝日・毎日などの新聞や報道ステーションが一応好意的に報道し始めたことからもそれはわかりますよね(とはいえ、再稼働が決定するまでは黙殺し、決定後に一斉に報道したという姿勢にメディアの本質を感じますが)。今のマスメディアは決して本当に反権力的な運動の味方はしません。その意味では、「脱原発」はある程度安全を保障された枠内での「反権力運動」ともいえるかもしれません。
もちろん、デモに参加している人たちは、「脱原発」だけでなく、反新自由主義や反ハシズムや護憲などの想いを共有している人も少なからずいるでしょう。しかし、暗黙のうちに「それらの面倒そうなこと」には触れず、とにかく「脱原発」のシングルイシューにしておこうになっているなら、それはやはり現実逃避のためのデモになってしまいます。
でも、こんな文句を言いつつも、明日もデモに参加してきます。なんであれ、現政権を少しでも揺さぶるのにできる事はこれくらいしかないのだから。他に効果はなくても、せめて原発政策だけでもこれ以上ひどくさせないためにも何かしなきゃならないからとの思いからです。
実は私も22日の官邸前デモに参加しました。確かにあれだけの人がしかも組織動員ではなく自発的に参加している様子は感動的です。日本の民主主義も死に絶えていないとの希望もいだかせてくれます。チョムスキー教授の言葉を思い出したという風鈴草さんの気持ちもよくわかるのです。
しかし、高揚した気分になりつつも、やはり醒めた想いもいだかずにいられませんでした。「なぜ、脱原発だけが盛り上がるのか」って。ここ20年、わけても10年くらいの間、日本ではもっともっとこのくらいの大規模デモが起きて不思議じゃない状況だったのです。人々の暮らしはこれだけ追い詰められ、憲法もずたずたにされてきたのですから。
チュニジアのジャスミン革命は貧しい青年の焼身自殺が人々の怒りに火をつけたことで燃え上がり、緊縮政策の犠牲になった年金生活者の自殺はギリシャの左派躍進を後押ししました。南米では数年前からアメリカ追随と新自由主義からの脱却が始まっています。日本でも、このような動きがとっくに出てきてもおかしくないはずなのです。それなのに、生活保護を打ち切られ、「おにぎり食べたい」と書き残した人の死から5年、類似の犠牲が後を絶たず、それに対して怒りの声が起こるどころか政治家も絡んでの生活保護バッシングが吹き荒れる現状を想う時、「脱原発」だけが盛り上がっても過度の期待はできないのではないかとの懸念がぬぐえません。
「脱原発」が盛りあがっても真の民主化運動に繋がらないのではとされる理由のひとつに、いわゆる「ミーイズム」(「自分や自分の家族が危ないから」)であって、他人を思いやる気持ちからきてるわけではないという見方がありますが、加えて、被災者以外にとっては、生活感のないある種の現実逃避的な運動だからという事もいえると思います。「紫陽花革命」とかいわれてもなにそれって言いたくなりませんか。
昨年の今頃、脱原発運動が盛り上がってきて、芸能人なども次々「脱原発宣言」を始めた時も私は素直にそれを喜ぶ気になぜかなれませんでした。ちょうど同時期、大阪では橋下による公立校の教職員に君が代の起立斉唱を義務づける全国初の条例案が府議会で成立しました。あの時、思ったものです。「脱原発宣言」をした芸能人が仕事を干されることはもはやないけど、君が代強制を批判したら本当に干されかねない、それがこの国の現実なのだと。あるいは、「従軍慰安婦に国は正式に謝罪すべきだ」とか「沖縄の米軍基地を撤去せよ」とか「金持ちからたくさん税金を取れ」「生活保護は当然の権利」など言い出してもひどいバッシングを浴びそうです。
結局、この脱原発運動って、そういう絶望的な現実から目をそらさせ、いかにも日本の民主主義は健在ですと思わせるカモフラージュかもしれないと思ったりもします。
どうにも頑迷で先を見る目がない経団連や政治家がいまだにしがみついているせいで足止めをされているとはいえ「脱原発」はある程度、エスタブリッシュメント側からのお墨付きも得ています。朝日・毎日などの新聞や報道ステーションが一応好意的に報道し始めたことからもそれはわかりますよね(とはいえ、再稼働が決定するまでは黙殺し、決定後に一斉に報道したという姿勢にメディアの本質を感じますが)。今のマスメディアは決して本当に反権力的な運動の味方はしません。その意味では、「脱原発」はある程度安全を保障された枠内での「反権力運動」ともいえるかもしれません。
もちろん、デモに参加している人たちは、「脱原発」だけでなく、反新自由主義や反ハシズムや護憲などの想いを共有している人も少なからずいるでしょう。しかし、暗黙のうちに「それらの面倒そうなこと」には触れず、とにかく「脱原発」のシングルイシューにしておこうになっているなら、それはやはり現実逃避のためのデモになってしまいます。
でも、こんな文句を言いつつも、明日もデモに参加してきます。なんであれ、現政権を少しでも揺さぶるのにできる事はこれくらいしかないのだから。他に効果はなくても、せめて原発政策だけでもこれ以上ひどくさせないためにも何かしなきゃならないからとの思いからです。
青い鳥様 小野哲様
私の投稿、読み返してみると、なんかずいぶん高飛車だなあと今になって赤面しています。
にもかかわらず、暖かいレスをありがとうございました。お話できてよかったです。これからもよろしくお願いします。
にもかかわらず、暖かいレスをありがとうございました。お話できてよかったです。これからもよろしくお願いします。
>ぽむ様…、(^O^)/
>こんな文句を言いつつも、明日もデモに参加してきます。なんであれ、現政権を少しでも揺さぶるのにできる事はこれくらいしかないのだから。他に効果はなくても、せめて原発政策だけでもこれ以上ひどくさせないためにも何かしなきゃならないからとの思いからです。
黙っていては何も変わりません…。腐った日本社会に喝を入れるべく、明日のデモ…是非とも頑張ってくださいね…、 民衆の熱い息吹を体感したいのですが…、岐阜のド田舎から、応援してます。‘60安保闘争のような民主的国民運動のうねりになる様…、心から祈っております…。 (^_-)-☆
黙っていては何も変わりません…。腐った日本社会に喝を入れるべく、明日のデモ…是非とも頑張ってくださいね…、 民衆の熱い息吹を体感したいのですが…、岐阜のド田舎から、応援してます。‘60安保闘争のような民主的国民運動のうねりになる様…、心から祈っております…。 (^_-)-☆
>ぽむさん
>ぽむさん
前にも書いたように私は針谷氏がどんな人物であるかについては全くの無知でした。ぽむさんは私が何も知らずに彼を称賛していると思って警告してくださったのですね。ありがとうございます。そのことにはたいへん感謝しています。ただ、針谷氏とその団体、統一戦線義勇軍が脱原発運動に参加することの賛否を巡る議論を見て少し思ったことはありました。
どのような視点からであれ、思想的に純粋な人たちだけで、脱原発運動をしようなどと考えたら、とても何万人などという人たちを集めることはできないでしょう。私がそうであるように、「特定の思想グループ」に属していない人たちにも其々の見解はあります。「一般大衆」だからと言って別に「無色透明」ではないのです。針谷氏と似たようなことを言う人は田舎の普通の人たちの中にもいます。脱原発に関わるについての思想性の条件を厳しく問うて、彼のような右翼人の参加を忌避している人たちが、一方ではその点を全く問題にしていないらしいのは、一種の「エリート主義」のような気がして、ちょっと嫌な感じがしました。
たとえ、気に入らない見解を持つ相手であっても、結局は自分と同じこの世界に生きています。「不倶戴天 --- 倶(とも)に天を戴かず --- の敵」という言葉もありますが、戦国時代のように殺し合って相手を排除することなど出来ない以上、この世界を分かち合って生きていくしかないでしょう。むしろ、「永遠の敵」として対立するのではなくて、いつか自分と同じ見解を持ってもらいたいと願うのであれば、別の「敵」に向かって一緒に戦うというのは好いチャンスになるかもしれません。一緒にやっていく中で、互いに相手の人間性を信じられるようになったら、異なる見解についても話し合う余地も生まれるかもしれないと思うのです。少なくとも、一旦、原発事故が起これば、右翼であろうと左翼であろうと、その人の持っている思想などには関係なく巻き込まれるのですから、等しく抗議する権利はあると思います。
>しかし、高揚した気分になりつつも、やはり醒めた想いもいだかずにいられませんでした。「「なぜ、脱原発だけが盛り上がるのか」って。ここ20年、わけても10年くらいの間、日本ではもっともっとこのくらいの大規模デモが起きて不思議じゃない状況だったのです。人々の暮らしはこれだけ追い詰められ、憲法もずたずたにされてきたのですから。
>「脱原発」が盛りあがっても真の民主化運動に繋がらないのではとされる理由のひとつに、いわゆる「ミーイズム」(「自分や自分の家族が危ないから」)であって、他人を思いやる気持ちからきてるわけではないという見方がありますが、加えて、被災者以外にとっては、生活感のないある種の現実逃避的な運動だからという事もいえると思います。「紫陽花革命」とかいわれてもなにそれって言いたくなりませんか。
私は脱原発運動に加わるのに特に高邁な理想を持っている必要はないと思っています。まずは「自分が被ばくしたくない。自分の子どもを被ばくさせたくない」ということだけでも十分ではないでしょうか。自分の命や人生をを大切にしない人が他人の命や人生を大切にできるとは思えないからです。まずは自分や家族の身に降りかかる理不尽に抗うつもりで戦えばいいと思うのです。その中で、他の誰であろうと、理不尽なことを押しつられない権利があるのだと気づいていけばいいのではないでしょうか。
私は脱原発一つでも成功させることが大事だと思います。なぜなら、これまで国の政策の拙さから、多くの不幸が起こるような事態になっても、ほとんどの人が何の抗議行動も起こさずに我慢して来てしまったのは、「どうせ、そんなことをやったって、何も変わらない。エリートではない自分たちには国の方針を変えさせるような力はない」という諦めの雰囲気が私たちの中に蔓延してしまっていたからだと思うのです。チョムスキー教授は「観客民主主義」と言っておられましたけれども、日本の場合はそれを越えて「傍観民主主義」とでも言うべき状態に陥っていたような気がします。でも、もし、たった一度でも、多くの普通の人たちが立ちあがることで、国のやり方を変えさせることが出来たという事実が起これば、みんなに自信や希望がが湧いてくると思うのです。自分たちがこの国の主人公であることを思い出すことが出来ると思うのです。そして他のいろいろな理不尽に対しても一緒に立ちあがって抗議するようになるのではないでしょうか。(逆に言えば、それがよくわかっているので、この国を自分たちの都合のいいように動かしてきた人たちは、こうした動きを必死になって無視しようとしているのだと思います)
私は今日のデモには行けませんが、近いうちにまた参加したいと思います。いつか、どこかでお会いできるといいですね。デモの様子、ネットで中継されていたら視るつもりです。ではまた。(^^)/
前にも書いたように私は針谷氏がどんな人物であるかについては全くの無知でした。ぽむさんは私が何も知らずに彼を称賛していると思って警告してくださったのですね。ありがとうございます。そのことにはたいへん感謝しています。ただ、針谷氏とその団体、統一戦線義勇軍が脱原発運動に参加することの賛否を巡る議論を見て少し思ったことはありました。
どのような視点からであれ、思想的に純粋な人たちだけで、脱原発運動をしようなどと考えたら、とても何万人などという人たちを集めることはできないでしょう。私がそうであるように、「特定の思想グループ」に属していない人たちにも其々の見解はあります。「一般大衆」だからと言って別に「無色透明」ではないのです。針谷氏と似たようなことを言う人は田舎の普通の人たちの中にもいます。脱原発に関わるについての思想性の条件を厳しく問うて、彼のような右翼人の参加を忌避している人たちが、一方ではその点を全く問題にしていないらしいのは、一種の「エリート主義」のような気がして、ちょっと嫌な感じがしました。
たとえ、気に入らない見解を持つ相手であっても、結局は自分と同じこの世界に生きています。「不倶戴天 --- 倶(とも)に天を戴かず --- の敵」という言葉もありますが、戦国時代のように殺し合って相手を排除することなど出来ない以上、この世界を分かち合って生きていくしかないでしょう。むしろ、「永遠の敵」として対立するのではなくて、いつか自分と同じ見解を持ってもらいたいと願うのであれば、別の「敵」に向かって一緒に戦うというのは好いチャンスになるかもしれません。一緒にやっていく中で、互いに相手の人間性を信じられるようになったら、異なる見解についても話し合う余地も生まれるかもしれないと思うのです。少なくとも、一旦、原発事故が起これば、右翼であろうと左翼であろうと、その人の持っている思想などには関係なく巻き込まれるのですから、等しく抗議する権利はあると思います。
>しかし、高揚した気分になりつつも、やはり醒めた想いもいだかずにいられませんでした。「「なぜ、脱原発だけが盛り上がるのか」って。ここ20年、わけても10年くらいの間、日本ではもっともっとこのくらいの大規模デモが起きて不思議じゃない状況だったのです。人々の暮らしはこれだけ追い詰められ、憲法もずたずたにされてきたのですから。
>「脱原発」が盛りあがっても真の民主化運動に繋がらないのではとされる理由のひとつに、いわゆる「ミーイズム」(「自分や自分の家族が危ないから」)であって、他人を思いやる気持ちからきてるわけではないという見方がありますが、加えて、被災者以外にとっては、生活感のないある種の現実逃避的な運動だからという事もいえると思います。「紫陽花革命」とかいわれてもなにそれって言いたくなりませんか。
私は脱原発運動に加わるのに特に高邁な理想を持っている必要はないと思っています。まずは「自分が被ばくしたくない。自分の子どもを被ばくさせたくない」ということだけでも十分ではないでしょうか。自分の命や人生をを大切にしない人が他人の命や人生を大切にできるとは思えないからです。まずは自分や家族の身に降りかかる理不尽に抗うつもりで戦えばいいと思うのです。その中で、他の誰であろうと、理不尽なことを押しつられない権利があるのだと気づいていけばいいのではないでしょうか。
私は脱原発一つでも成功させることが大事だと思います。なぜなら、これまで国の政策の拙さから、多くの不幸が起こるような事態になっても、ほとんどの人が何の抗議行動も起こさずに我慢して来てしまったのは、「どうせ、そんなことをやったって、何も変わらない。エリートではない自分たちには国の方針を変えさせるような力はない」という諦めの雰囲気が私たちの中に蔓延してしまっていたからだと思うのです。チョムスキー教授は「観客民主主義」と言っておられましたけれども、日本の場合はそれを越えて「傍観民主主義」とでも言うべき状態に陥っていたような気がします。でも、もし、たった一度でも、多くの普通の人たちが立ちあがることで、国のやり方を変えさせることが出来たという事実が起これば、みんなに自信や希望がが湧いてくると思うのです。自分たちがこの国の主人公であることを思い出すことが出来ると思うのです。そして他のいろいろな理不尽に対しても一緒に立ちあがって抗議するようになるのではないでしょうか。(逆に言えば、それがよくわかっているので、この国を自分たちの都合のいいように動かしてきた人たちは、こうした動きを必死になって無視しようとしているのだと思います)
私は今日のデモには行けませんが、近いうちにまた参加したいと思います。いつか、どこかでお会いできるといいですね。デモの様子、ネットで中継されていたら視るつもりです。ではまた。(^^)/
ぽむ様へ
あなたがこの国に対して強い愛情を持っている事は私にも痛いぐらい良く分かります。
その気持ちに護憲保守主義の私も共感します。決して高飛車なんかじゃないですよ、あなたの言葉も、あなたの思いも。デモには参加できませんが、ブログを通じて戦いつづけることはできると思っています。
この動きを政府は止める事はできないでしょう。次の選挙でその流れは確かになるかどうかを私たちは確かめる必要があるなと思っています。
その気持ちに護憲保守主義の私も共感します。決して高飛車なんかじゃないですよ、あなたの言葉も、あなたの思いも。デモには参加できませんが、ブログを通じて戦いつづけることはできると思っています。
この動きを政府は止める事はできないでしょう。次の選挙でその流れは確かになるかどうかを私たちは確かめる必要があるなと思っています。
>風鈴草さん…
>気に入らない見解を持つ相手であっても、結局は自分と同じこの世界に生きています。「不倶戴天 --- 倶(とも)に天を戴かず --- の敵」という言葉もありますが、戦国時代のように殺し合って相手を排除することなど出来ない以上、この世界を分かち合って生きていくしかないでしょう。むしろ、「永遠の敵」として対立するのではなくて、いつか自分と同じ見解を持ってもらいたいと願うのであれば、別の「敵」に向かって一緒に戦うというのは好いチャンスになるかもしれません。一緒にやっていく中で、互いに相手の人間性を信じられるようになったら、異なる見解についても話し合う余地も生まれるかもしれないと思うのです。少なくとも、一旦、原発事故が起これば、右翼であろうと左翼であろうと、その人の持っている思想などには関係なく巻き込まれるのですから、等しく抗議する権利はあると思います。
激しく同意します。わたしは今まで、31年間、棄権することなく、全ての選挙で日本共産党とその公認あるいは、推薦候補者に投票してきました。日本共産党の政策が数ある政党のなかで、最も優れていてわたしの思想・信条と殆ど合致したからです。しかし、1990年以降凋落傾向に歯止めがかからず、党存亡の危機に直面しています。この状況を心から心配してみえるのが、筋金入りのバリバリの右翼一水会の鈴木邦男さんなんですよ…。日本共産党再建のための素晴らしいご提言を元日本共産党幹部の筆坂秀世さんと、一緒になってされています。素晴らしい提言ばかりですよ。やはり、脱原発、日本国憲法堅持、平和外交、富の再分配機能の強化など、政策の骨格が互いの協議により擦り合わせ、主権者国民の命の尊厳を守るべくの共同をはかるべきと強く思います。日本共産党の党名にも、マイナスイメージが付き纏うし、党名とともに機関紙“赤旗”の名前も是非変えるべきと思います。まず党のことより、主権者国民の命を第一に考えた国民運動的共同を早急にはかるべきです。今の自民党と民主党との二者択一は“悪い”と“もっと悪い”の最悪なる選択です。民主主義を日本に取り戻すためには、小選挙区制をまず廃止しなければなりません。そのためには、小異を捨て大同につく共闘が絶対不可欠と信じます。 この様な提言を日本共産党内部で自由闊達にできる様になれば、大多数の国民は、フランスの社会党が政権を奪回したように、日本もいまよりよほど良い社会になると思いますよ…。不透明な時代だからこそ、殻を破らねば…。o(^-^)o
激しく同意します。わたしは今まで、31年間、棄権することなく、全ての選挙で日本共産党とその公認あるいは、推薦候補者に投票してきました。日本共産党の政策が数ある政党のなかで、最も優れていてわたしの思想・信条と殆ど合致したからです。しかし、1990年以降凋落傾向に歯止めがかからず、党存亡の危機に直面しています。この状況を心から心配してみえるのが、筋金入りのバリバリの右翼一水会の鈴木邦男さんなんですよ…。日本共産党再建のための素晴らしいご提言を元日本共産党幹部の筆坂秀世さんと、一緒になってされています。素晴らしい提言ばかりですよ。やはり、脱原発、日本国憲法堅持、平和外交、富の再分配機能の強化など、政策の骨格が互いの協議により擦り合わせ、主権者国民の命の尊厳を守るべくの共同をはかるべきと強く思います。日本共産党の党名にも、マイナスイメージが付き纏うし、党名とともに機関紙“赤旗”の名前も是非変えるべきと思います。まず党のことより、主権者国民の命を第一に考えた国民運動的共同を早急にはかるべきです。今の自民党と民主党との二者択一は“悪い”と“もっと悪い”の最悪なる選択です。民主主義を日本に取り戻すためには、小選挙区制をまず廃止しなければなりません。そのためには、小異を捨て大同につく共闘が絶対不可欠と信じます。 この様な提言を日本共産党内部で自由闊達にできる様になれば、大多数の国民は、フランスの社会党が政権を奪回したように、日本もいまよりよほど良い社会になると思いますよ…。不透明な時代だからこそ、殻を破らねば…。o(^-^)o
>風鈴草さん >青い鳥さんへ
はじめましてFondriestと申します。
既にぽむさんが挙げておられるhttp://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20110616/p1のコメント欄で、ドイツの反原発運動がネオナチを排除している実例を挙げた者です。私の言いたいことは既にぽむさんが殆ど述べられているのですが、どうもお二人とも理解されてないようなので多少きつくなりますがコメントさせていただきます。
ドイツの反原発運動が成功したのは、ネオナチと共闘しなくても十分な動員数が確保できたからではありません。逆にネオナチ、レイシズムを排する確固とした市民的コンセンサスを背景としているからです。上記の私のコメントから引用させてもらいますが、
>それから、原発と反人種差別は別の問題だから両者を結びつけるなとあなたは考えているようですが、 私の考えは、両者は別のレベルの問題であり、後者の方が倫理的に、より根源的であるということです。後者を蔑ろにするべきではないのは、両者が同一の問題 であるからでもなければ、その間に必然的な因果関係が存在するからでもなく、後者の否定が反原発という倫理的判断の根拠を放棄することに繋がるからです。
反レイシズムは並列可能ないくつかのイシューの中のひとつなのではありません。レイシズムを容認することは原発がよって立つ差別構造(原発労働者、中央/地方など)を批判する根拠を放棄することに他なりません。右翼を容認することを美麗字句で飾り立ててご満悦のようですが、彼らのようなレイシストと共闘することが、被災者の中にも少なからず存在するマイノリティを排除しているということに考えが至らないのでしょうか?そのような形で仮に脱原発が実現するとしても、それは「国民」でない者を犠牲にする新たな差別構造に依拠したものにならざるを得ないでしょう。
それでもリアルポリティックスとして彼らとの共闘を支持するのであれば、最低限右翼を取り込むことでどう脱原発に近づけるか具体的なプラン、評価を示すことが必要だと考えますが、それが可能でしょうか?それが出来ないなら、マイノリティを差別することで「日本人」の連帯を単に情緒的に確認するだけに終わり、脱原発とは無関係なものに留まるでしょう。
私個人としては、日本で脱原発が実現することはないと考えています。その理由は運動論等のテクニカルなものではなく、ただ日本の社会がそのような変化を可能にするような条件を欠いているからです。それが白日の下に晒されているのが現状であり、お二人の議論はその象徴にしか見えません。
既にぽむさんが挙げておられるhttp://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20110616/p1のコメント欄で、ドイツの反原発運動がネオナチを排除している実例を挙げた者です。私の言いたいことは既にぽむさんが殆ど述べられているのですが、どうもお二人とも理解されてないようなので多少きつくなりますがコメントさせていただきます。
ドイツの反原発運動が成功したのは、ネオナチと共闘しなくても十分な動員数が確保できたからではありません。逆にネオナチ、レイシズムを排する確固とした市民的コンセンサスを背景としているからです。上記の私のコメントから引用させてもらいますが、
>それから、原発と反人種差別は別の問題だから両者を結びつけるなとあなたは考えているようですが、 私の考えは、両者は別のレベルの問題であり、後者の方が倫理的に、より根源的であるということです。後者を蔑ろにするべきではないのは、両者が同一の問題 であるからでもなければ、その間に必然的な因果関係が存在するからでもなく、後者の否定が反原発という倫理的判断の根拠を放棄することに繋がるからです。
反レイシズムは並列可能ないくつかのイシューの中のひとつなのではありません。レイシズムを容認することは原発がよって立つ差別構造(原発労働者、中央/地方など)を批判する根拠を放棄することに他なりません。右翼を容認することを美麗字句で飾り立ててご満悦のようですが、彼らのようなレイシストと共闘することが、被災者の中にも少なからず存在するマイノリティを排除しているということに考えが至らないのでしょうか?そのような形で仮に脱原発が実現するとしても、それは「国民」でない者を犠牲にする新たな差別構造に依拠したものにならざるを得ないでしょう。
それでもリアルポリティックスとして彼らとの共闘を支持するのであれば、最低限右翼を取り込むことでどう脱原発に近づけるか具体的なプラン、評価を示すことが必要だと考えますが、それが可能でしょうか?それが出来ないなら、マイノリティを差別することで「日本人」の連帯を単に情緒的に確認するだけに終わり、脱原発とは無関係なものに留まるでしょう。
私個人としては、日本で脱原発が実現することはないと考えています。その理由は運動論等のテクニカルなものではなく、ただ日本の社会がそのような変化を可能にするような条件を欠いているからです。それが白日の下に晒されているのが現状であり、お二人の議論はその象徴にしか見えません。
>Fondriest 様…
貴殿の“断定的な物言い”に対して、断固抗議するものです!。
>反レイシズムは並列可能ないくつかのイシューの中のひとつなのではありません。レイシズムを容認することは原発がよって立つ差別構造(原発労働者、中央/地方など)を批判する根拠を放棄することに他なりません。右翼を容認することを美麗字句で飾り立ててご満悦のようですが、彼らのようなレイシストと共闘することが、被災者の中にも少なからず存在するマイノリティを排除しているということに考えが至らないのでしょうか?そのような形で仮に脱原発が実現するとしても、それは「国民」でない者を犠牲にする新たな差別構造に依拠したものにならざるを得ないでしょう。
それでもリアルポリティックスとして彼らとの共闘を支持するのであれば、最低限右翼を取り込むことでどう脱原発に近づけるか具体的なプラン、評価を示すことが必要だと考えますが、それが可能でしょうか?それが出来ないなら、マイノリティを差別することで「日本人」の連帯を単に情緒的に確認するだけに終わり、脱原発とは無関係なものに留まるでしょう。
………(中略)………条件を欠いているからです。それが白日の下に晒されているのが現状であり、お二人の議論はその象徴にしか見えません。
いつわたしが、レイシズムを容認しましたか!?…。議論しようとする相手に対する常識的態度とは、到底考えられませんよ…、失敬の極みです。
いつわたしが、原発奴隷を容認しましたか?!…。他人の内心・思想・信条を知りもせずに、断定的にデマのごとき言質でもって吹聴する相手との議論は拒否させて頂きます、悪しからず。
わたしの“共闘”“運動”の真意を慮らない貴殿の態度は、わたしの矜持に照らした時、断固許容できないものです!。
わたしと“風鈴草”様に、謝罪を要求します!!!。
貴殿の物言いは失礼千万であるとわたしは強く感じましたよ!。
秋原葉月様…、再三再四、ご迷惑をお掛けし、心からお詫び申し上げます。
>反レイシズムは並列可能ないくつかのイシューの中のひとつなのではありません。レイシズムを容認することは原発がよって立つ差別構造(原発労働者、中央/地方など)を批判する根拠を放棄することに他なりません。右翼を容認することを美麗字句で飾り立ててご満悦のようですが、彼らのようなレイシストと共闘することが、被災者の中にも少なからず存在するマイノリティを排除しているということに考えが至らないのでしょうか?そのような形で仮に脱原発が実現するとしても、それは「国民」でない者を犠牲にする新たな差別構造に依拠したものにならざるを得ないでしょう。
それでもリアルポリティックスとして彼らとの共闘を支持するのであれば、最低限右翼を取り込むことでどう脱原発に近づけるか具体的なプラン、評価を示すことが必要だと考えますが、それが可能でしょうか?それが出来ないなら、マイノリティを差別することで「日本人」の連帯を単に情緒的に確認するだけに終わり、脱原発とは無関係なものに留まるでしょう。
………(中略)………条件を欠いているからです。それが白日の下に晒されているのが現状であり、お二人の議論はその象徴にしか見えません。
いつわたしが、レイシズムを容認しましたか!?…。議論しようとする相手に対する常識的態度とは、到底考えられませんよ…、失敬の極みです。
いつわたしが、原発奴隷を容認しましたか?!…。他人の内心・思想・信条を知りもせずに、断定的にデマのごとき言質でもって吹聴する相手との議論は拒否させて頂きます、悪しからず。
わたしの“共闘”“運動”の真意を慮らない貴殿の態度は、わたしの矜持に照らした時、断固許容できないものです!。
わたしと“風鈴草”様に、謝罪を要求します!!!。
貴殿の物言いは失礼千万であるとわたしは強く感じましたよ!。
秋原葉月様…、再三再四、ご迷惑をお掛けし、心からお詫び申し上げます。
>青い鳥さんへ
針谷氏がどんな主張を持っているか分かった上でも、彼らとの共闘を説き、それに「激しく同意」しておきながら、レイシズムを容認しないなどと主張できると思っているんですか。凄まじい「お花畑」ぶりですね。まあ、ある意味で私の懸念が正しい事を全力で示してくれたわけでありがとうございます、と言っておきましょう。
>Fondriest さん
私は難しい「政治的な議論」というのは苦手です。それが右翼であっても左翼であっても、日本の近代史の中の出来ごとを事細かに知っていて、専門用語(と御本人たちは思っていないかもしれませんが、使い慣れない人間にとってはそんな感じです)を駆使する人たちの議論にはとてもついていけないからです。それにしてはチョムスキーなどを引き合いに出すではないかと言われそうですが、ああした外国の学者やジャーナリストの方たちの方が、特別に予備知識がない人間でもわかるように丁寧かつ率直な言葉で書いてくださるので、わかり易いのです。(ジョン・ピルジャー氏とかチャルマーズ・ジョンソン氏とか、ジョン・ダワー氏とか、日本では斎藤貴男さんのご本などがわかり易いのですが)どうも日本の(新)左翼とか(新)右翼とかの方たちの言われることはわかりにくくて、申し訳ないけれど、あまり近寄らないようなにしています。(例外は鈴木邦男さんのエッセイで、あれは親しみやすいです)だから、そういう世界に通暁した人間だと思われては困るのです。
私は脱原発運動を「神聖なもの」とは考えていません。
このままなし崩しにあちこちの原発を再稼働させてしまうということは、例えて言うなら、三日も寝ていない寝不足の運転手に、欠陥があるのがわかっているバスを運転させて、みんなじゅうをギュウギュウに詰めこんで夜の山道を走らせるようなものです。もちろんバスの乗客は国民です。
私たちにできることは、「そんなバスを走らせないでくれ」ということです。「バスがなければどうやってみんなで山道を行くのだ?」という問いかけに対しては、幾人かずつ普通の車に分乗してもいいし、自転車に乗ってもいいいし、いっそみんなで歩いて行ってもいい。(そもそも、どうしても山道を行かなければならないのか?という問いかけさえもありだと思います)「お年寄りや体の弱い人はどうするのだ?」という問いには、それぞれきめ細かく対応できるように、みんなで考えようと言うしかありません。全員の命を危険に晒してまでバスに乗る必要はないと。
その時にふと脇を見ると、普段から自分とは考えが違って敵対ばかりしていた人が、一緒に「バス反対」を叫んでいたとします。それを見て「あなたはいつも私と違うことばかり言っていたじゃないか?なんで今度は同じことを言うのだ。あなたがバス反対を叫んではいけない」などと言えるでしょうか?私は脱原発とはそういうことではないかと思っています。
針谷氏が「従軍慰安婦についての日本軍の関与を認めていない」ということですが、私はおそらく彼は本当にそう信じているのだろうと思います。彼が「軍が慰安婦を集めた」と実は考えていながら、そう書いているとしたら、それは大きな欺瞞であり、ぽむさんやFondriestさんが彼を忌避するのは当然と思いますが、本当にそう信じていたらどうでしょう。人はどうしても自分が信じ続けたいと思うものを守ろうとするものです。たまたま、自分の心の拠り所を戦前の国家体制とその道徳規範(それは現実に存在したものとは別の、理想化されたフィクションでしかないと思いますが)に求めてしまった人たちが、すべて「悪人」とは思えません。また、私は針谷氏が掲げているという「ユダヤ・WASP排斥」とかいう言葉は、おそらく「反米・反国際資本」というような意味ではないだろうかと受け取っています。(一言、おことわりしておけば、私自身は「ユダヤの陰謀」とかいうような言葉は嫌いだし、信じてもいません。おそらく国を超えた大資本家や権力者たちの「公にされない提携」というのは、少なくとも近代以降、ずっと存在してきたのではないかと思いますが、それを特定の民族と結び付けて“神秘化”する理由はまったくないと思っています)
例の「THE FACTS」という広告を出した国会議員の人たちは針谷氏とはまた別でしょう。おそらく、彼等は単純に日本軍の無実を信じているからそれを主張しているわけではないと思われるからです。
私は元慰安婦の方たちが、今もきちんとした謝罪を受けることが叶わないでいるのは、これまでこの国の政治を長く牛耳ってきたのが戦前の保守体制の系譜を引く人々だったからだろうと思っています。その人たちは、慰安婦の件で、かつての日本の体制が道徳的に穢れたもののように看做されるのを恐れているのだと思います。そうなったら、その継承者である自分たちの正当性をも揺るがすことになると考えているからです。私はこの件について、罪があるのは針谷氏のようなマイナーな活動家よりもその人たちだと思っています。そして最近まで、その人たちを権力の座に置いて来た私たち国民にも責任はあるのかもしれないと思います。そして初めに彼等を復権させて支援し続けてきた人たちにも。
(針谷氏を「マイナー」と言ってしまったのは失礼かもしれませんが、少なくとも「メジャー」とは言えないでしょう。私の友人知人の中に針谷氏のお名前を知っている人はおそらくいません。少なくとも針谷氏やそのグループは ---- 一部ではどうなのかわかりませんが--- 社会全体に対して強い影響力を持つ人たちだとは思えません。)
また、ヨーロッパのネオナチ系の団体に入会するのは、その多くが移民と職を奪い合わなければならない貧しい若者たちだと聞いています。日本の状況もおそらくそれに似た面もあるかと思いますが、そうした若者たちの集団を単純に「極右のレイシスト」として「悪の権化」のように言って切り捨ててしまうのは正しいことなのか、とも思うのです。
Fondriestさんは左翼系の方として、脱原発に右翼は入れてはならないと断固思われているようですが(単純にしか言えないので、違っていたらごめんなさい)Fondriestさんに、それを決める権利がおありになるのでしょうか。私も一度だけデモに参加しただけの人間なので偉そうなことは言えませんが、少なくともデモを呼びかけて主催していらっしゃる方々は思想によってデモの列から誰かを排除したいような雰囲気は持っていないように見受けられました。私はこの運動は既存の思想集団や利益集団とは関係ない一般人が、個人の自由意思で多数参加しているところに価値があると思っていますが、だからと言って(犯罪組織のようなものは別として)特定の集団を排除すべきだとは思っていません。
>私個人としては、日本で脱原発が実現することはないと考えています。その理由は運動論等のテクニカルなものではなく、ただ日本の社会がそのような変化を可能にするような条件を欠いているからです。それが白日の下に晒されているのが現状であり、お二人の議論はその象徴にしか見えません。
ええと・・・???つまりは脱原発はあきらめてるので、傍観されるということですか?私たちのような「わかっていない連中」とは一緒にはやれないということなら、今さら何も言われることはないように思えるのですが。
私は脱原発運動を「神聖なもの」とは考えていません。
このままなし崩しにあちこちの原発を再稼働させてしまうということは、例えて言うなら、三日も寝ていない寝不足の運転手に、欠陥があるのがわかっているバスを運転させて、みんなじゅうをギュウギュウに詰めこんで夜の山道を走らせるようなものです。もちろんバスの乗客は国民です。
私たちにできることは、「そんなバスを走らせないでくれ」ということです。「バスがなければどうやってみんなで山道を行くのだ?」という問いかけに対しては、幾人かずつ普通の車に分乗してもいいし、自転車に乗ってもいいいし、いっそみんなで歩いて行ってもいい。(そもそも、どうしても山道を行かなければならないのか?という問いかけさえもありだと思います)「お年寄りや体の弱い人はどうするのだ?」という問いには、それぞれきめ細かく対応できるように、みんなで考えようと言うしかありません。全員の命を危険に晒してまでバスに乗る必要はないと。
その時にふと脇を見ると、普段から自分とは考えが違って敵対ばかりしていた人が、一緒に「バス反対」を叫んでいたとします。それを見て「あなたはいつも私と違うことばかり言っていたじゃないか?なんで今度は同じことを言うのだ。あなたがバス反対を叫んではいけない」などと言えるでしょうか?私は脱原発とはそういうことではないかと思っています。
針谷氏が「従軍慰安婦についての日本軍の関与を認めていない」ということですが、私はおそらく彼は本当にそう信じているのだろうと思います。彼が「軍が慰安婦を集めた」と実は考えていながら、そう書いているとしたら、それは大きな欺瞞であり、ぽむさんやFondriestさんが彼を忌避するのは当然と思いますが、本当にそう信じていたらどうでしょう。人はどうしても自分が信じ続けたいと思うものを守ろうとするものです。たまたま、自分の心の拠り所を戦前の国家体制とその道徳規範(それは現実に存在したものとは別の、理想化されたフィクションでしかないと思いますが)に求めてしまった人たちが、すべて「悪人」とは思えません。また、私は針谷氏が掲げているという「ユダヤ・WASP排斥」とかいう言葉は、おそらく「反米・反国際資本」というような意味ではないだろうかと受け取っています。(一言、おことわりしておけば、私自身は「ユダヤの陰謀」とかいうような言葉は嫌いだし、信じてもいません。おそらく国を超えた大資本家や権力者たちの「公にされない提携」というのは、少なくとも近代以降、ずっと存在してきたのではないかと思いますが、それを特定の民族と結び付けて“神秘化”する理由はまったくないと思っています)
例の「THE FACTS」という広告を出した国会議員の人たちは針谷氏とはまた別でしょう。おそらく、彼等は単純に日本軍の無実を信じているからそれを主張しているわけではないと思われるからです。
私は元慰安婦の方たちが、今もきちんとした謝罪を受けることが叶わないでいるのは、これまでこの国の政治を長く牛耳ってきたのが戦前の保守体制の系譜を引く人々だったからだろうと思っています。その人たちは、慰安婦の件で、かつての日本の体制が道徳的に穢れたもののように看做されるのを恐れているのだと思います。そうなったら、その継承者である自分たちの正当性をも揺るがすことになると考えているからです。私はこの件について、罪があるのは針谷氏のようなマイナーな活動家よりもその人たちだと思っています。そして最近まで、その人たちを権力の座に置いて来た私たち国民にも責任はあるのかもしれないと思います。そして初めに彼等を復権させて支援し続けてきた人たちにも。
(針谷氏を「マイナー」と言ってしまったのは失礼かもしれませんが、少なくとも「メジャー」とは言えないでしょう。私の友人知人の中に針谷氏のお名前を知っている人はおそらくいません。少なくとも針谷氏やそのグループは ---- 一部ではどうなのかわかりませんが--- 社会全体に対して強い影響力を持つ人たちだとは思えません。)
また、ヨーロッパのネオナチ系の団体に入会するのは、その多くが移民と職を奪い合わなければならない貧しい若者たちだと聞いています。日本の状況もおそらくそれに似た面もあるかと思いますが、そうした若者たちの集団を単純に「極右のレイシスト」として「悪の権化」のように言って切り捨ててしまうのは正しいことなのか、とも思うのです。
Fondriestさんは左翼系の方として、脱原発に右翼は入れてはならないと断固思われているようですが(単純にしか言えないので、違っていたらごめんなさい)Fondriestさんに、それを決める権利がおありになるのでしょうか。私も一度だけデモに参加しただけの人間なので偉そうなことは言えませんが、少なくともデモを呼びかけて主催していらっしゃる方々は思想によってデモの列から誰かを排除したいような雰囲気は持っていないように見受けられました。私はこの運動は既存の思想集団や利益集団とは関係ない一般人が、個人の自由意思で多数参加しているところに価値があると思っていますが、だからと言って(犯罪組織のようなものは別として)特定の集団を排除すべきだとは思っていません。
>私個人としては、日本で脱原発が実現することはないと考えています。その理由は運動論等のテクニカルなものではなく、ただ日本の社会がそのような変化を可能にするような条件を欠いているからです。それが白日の下に晒されているのが現状であり、お二人の議論はその象徴にしか見えません。
ええと・・・???つまりは脱原発はあきらめてるので、傍観されるということですか?私たちのような「わかっていない連中」とは一緒にはやれないということなら、今さら何も言われることはないように思えるのですが。
ブログ主が超遅い参戦で申し訳ありません。>青い鳥さん、風鈴草さん
えっと、まず私の考えをはっきりさせておきましょう。
私はぽむさん、Fondriest さん同様、レイシスト、歴史修正主義者とは連帯、共闘はできない、と考えています(これについてはいずれエントリーでまとめるつもりです)
もっとも何をもって「連帯しない、共闘しない」というのかピンときませんよね?
なので、私が考える「連帯しない、共闘しない」とは具体的にどういう事なのかをまずお話ししましょう。
先月29日の官邸前の大規模デモには統一戦線も参加してたそうです。
もしこれがヨーロッパなら、そもそもネオナチに匹敵するああいう団体は非合法ですし、市民も「おまえら何しに来た、帰れ!」となるでしょう。
しかし日本では残念ながら彼らは非合法ではありませんし、あのデモは組織だったものではなく、参加したい人が好きに参加すればいい、というものでした。
だから、あの場では彼らの存在を不快には感じながらも、黙認するというか無視します。(実際もしあの場で「おまえら何しに来た、帰れ!」と彼らに言っていたら、おそらく周囲はどん引きだったでしょうから、決して得策ではないと思います)
ああいう集会でたまたま彼らが隣にいて、それを排除しなかったからと言って「彼らと連帯した」とは扱わないでね(^^:;
ってとこです。
彼らの脱原発はおそらくバカ殿のそれよりは本物なのでしょう。
私は彼らが脱原発を訴えることを否定も肯定もしません。干渉しません。どうぞご自由にお好きにやってください。
でも決して一緒にはやりませんよ。
たとえば彼らと共同して集会を開くとか、共同してデモを行うのを呼びかけるとか、共同して声明を出そうとか、そういうことは一切しません
それが彼らと連帯、共闘しない、という、私が描く具体像です。
青い鳥さん、風鈴草さんは具体的にどんな想定をしておられるのでしょうか?
どのあたりまで許容できますか?
彼らと共同でデモや集会を呼びかけるのもありだとお考えですか?
よかったらその辺の具体的イメージをお聞かせくださるとうれしいです。
超亀レスで申し訳ないのですが(汗
私はぽむさん、Fondriest さん同様、レイシスト、歴史修正主義者とは連帯、共闘はできない、と考えています(これについてはいずれエントリーでまとめるつもりです)
もっとも何をもって「連帯しない、共闘しない」というのかピンときませんよね?
なので、私が考える「連帯しない、共闘しない」とは具体的にどういう事なのかをまずお話ししましょう。
先月29日の官邸前の大規模デモには統一戦線も参加してたそうです。
もしこれがヨーロッパなら、そもそもネオナチに匹敵するああいう団体は非合法ですし、市民も「おまえら何しに来た、帰れ!」となるでしょう。
しかし日本では残念ながら彼らは非合法ではありませんし、あのデモは組織だったものではなく、参加したい人が好きに参加すればいい、というものでした。
だから、あの場では彼らの存在を不快には感じながらも、黙認するというか無視します。(実際もしあの場で「おまえら何しに来た、帰れ!」と彼らに言っていたら、おそらく周囲はどん引きだったでしょうから、決して得策ではないと思います)
ああいう集会でたまたま彼らが隣にいて、それを排除しなかったからと言って「彼らと連帯した」とは扱わないでね(^^:;
ってとこです。
彼らの脱原発はおそらくバカ殿のそれよりは本物なのでしょう。
私は彼らが脱原発を訴えることを否定も肯定もしません。干渉しません。どうぞご自由にお好きにやってください。
でも決して一緒にはやりませんよ。
たとえば彼らと共同して集会を開くとか、共同してデモを行うのを呼びかけるとか、共同して声明を出そうとか、そういうことは一切しません
それが彼らと連帯、共闘しない、という、私が描く具体像です。
青い鳥さん、風鈴草さんは具体的にどんな想定をしておられるのでしょうか?
どのあたりまで許容できますか?
彼らと共同でデモや集会を呼びかけるのもありだとお考えですか?
よかったらその辺の具体的イメージをお聞かせくださるとうれしいです。
超亀レスで申し訳ないのですが(汗
>青い鳥さん、Fondriest さん
Fondriestさんが「青い鳥さんはレイシズムを容認し共闘を説いている」と判断されたのは、多分青い鳥さんのこのレスを指しているのではないでしょうか。ぽむさんも指摘されたこの部分です。
2012.06.25 ( Mon ) 18:16:10
ちゃちなイデオロギーなる呪縛に束縛され、様々な市民と連帯ができないこと程、残念で阿保らしいことはないですよ
↓
で、ぽむさんはこれに対しこう仰っています
2012.06.26 ( Tue ) 02:50:19
>ちゃちなイデオロギーなる呪縛に束縛され、様々な市民と連帯ができないこと程、残念で阿保らしいことはないですよ…。
慰安婦問題はじめ歴史修正主義に対する批判は、ちゃちなイデオロギーなる呪縛による束縛ではありませんよ。それこそ、イデオロギーに関係ない左右を越えた問題です。
青い鳥さんのコメントは以前から拝見させていただいていますから、この発言は真意ではなく、対話の流れからはずみで出たものとは理解しています。それにしても脱原発という大きな目的のためなら慰安婦問題に対する意見がどうであれ大した事ではないとお考えなら、それには全く同意できないと答えるしかありません
これはFondriestさんが2012.06.30 ( Sat ) 11:52:20で述べられた
「反レイシズムは並列可能ないくつかのイシューの中のひとつなのではありません。レイシズムを容認することは原発がよって立つ差別構造(原発労働者、中央/地方など)を批判する根拠を放棄することに他なりません。」
と同義だと思います。
↓
で、対し青い鳥さんはぽむさんのこのレスに対し、共産党の共闘のあり方というちょとずれた返答をなさいましたが、その後でこう仰られています。
2012.06.25 ( Mon ) 08:46:50
わたしは、キーワードは“護憲・共生・脱原発・反貧困”だと常々考えています。まず主権者国民の生命・財産・人権を守りぬくという根幹が盤石な連帯・団結が大切だと考えますが、いかがでしょうか?…。根幹が盤石な連帯であれば、在特会などレイシスト団体や、極右軍国主義礼讚団体などは、自然淘汰されてゆくと思います。
2012.06.28 ( Thu ) 18:58:22
どのご主張も、理に適っており、どれも異論はございません。
(略)
・脱原発運動を国民的ウネリに高める方策を考える時、個別に是是非非に、共闘可能なところとは、手を組むべきだ。と言いたいのです。ぽむ様が、記されたハシゲの“なんちゃって…”などは、ハナから相手になどしていません…、あんな奴と共闘することは、屈辱です。
ただ右翼でも鈴木邦男さんのように、日本共産党にエールを送る方も存在します。在特会などの差別レイシスト集団などとは組める訳はないですね。
つまり青い鳥さんはぽむさんの主張に異論はないと述べられ、脱原発であってもレイシストを許容し共闘することを望んでおられないようにも感じます(但し鈴木邦男氏がレイシストの部類に入るかどうか私は判断しかねています・・)
だから2012.06.30 ( Sat ) 13:19:23のコメントでFondriestさんに怒られたんじゃないかな、と想像するのですが・・・
このあたりはどうなんでしょう?上の私のコメントの質問と併せて青い鳥さんに回答いただけるとうれしいです。
青い鳥さんの中ではどこまで許容できてどこからは許容できないか、あまり具体的に固まっていないような印象も受けます。
鈴木邦男しなら脱原発で共闘はOKだが、針谷氏はダメって感じですか?
2012.06.25 ( Mon ) 18:16:10
ちゃちなイデオロギーなる呪縛に束縛され、様々な市民と連帯ができないこと程、残念で阿保らしいことはないですよ
↓
で、ぽむさんはこれに対しこう仰っています
2012.06.26 ( Tue ) 02:50:19
>ちゃちなイデオロギーなる呪縛に束縛され、様々な市民と連帯ができないこと程、残念で阿保らしいことはないですよ…。
慰安婦問題はじめ歴史修正主義に対する批判は、ちゃちなイデオロギーなる呪縛による束縛ではありませんよ。それこそ、イデオロギーに関係ない左右を越えた問題です。
青い鳥さんのコメントは以前から拝見させていただいていますから、この発言は真意ではなく、対話の流れからはずみで出たものとは理解しています。それにしても脱原発という大きな目的のためなら慰安婦問題に対する意見がどうであれ大した事ではないとお考えなら、それには全く同意できないと答えるしかありません
これはFondriestさんが2012.06.30 ( Sat ) 11:52:20で述べられた
「反レイシズムは並列可能ないくつかのイシューの中のひとつなのではありません。レイシズムを容認することは原発がよって立つ差別構造(原発労働者、中央/地方など)を批判する根拠を放棄することに他なりません。」
と同義だと思います。
↓
で、対し青い鳥さんはぽむさんのこのレスに対し、共産党の共闘のあり方というちょとずれた返答をなさいましたが、その後でこう仰られています。
2012.06.25 ( Mon ) 08:46:50
わたしは、キーワードは“護憲・共生・脱原発・反貧困”だと常々考えています。まず主権者国民の生命・財産・人権を守りぬくという根幹が盤石な連帯・団結が大切だと考えますが、いかがでしょうか?…。根幹が盤石な連帯であれば、在特会などレイシスト団体や、極右軍国主義礼讚団体などは、自然淘汰されてゆくと思います。
2012.06.28 ( Thu ) 18:58:22
どのご主張も、理に適っており、どれも異論はございません。
(略)
・脱原発運動を国民的ウネリに高める方策を考える時、個別に是是非非に、共闘可能なところとは、手を組むべきだ。と言いたいのです。ぽむ様が、記されたハシゲの“なんちゃって…”などは、ハナから相手になどしていません…、あんな奴と共闘することは、屈辱です。
ただ右翼でも鈴木邦男さんのように、日本共産党にエールを送る方も存在します。在特会などの差別レイシスト集団などとは組める訳はないですね。
つまり青い鳥さんはぽむさんの主張に異論はないと述べられ、脱原発であってもレイシストを許容し共闘することを望んでおられないようにも感じます(但し鈴木邦男氏がレイシストの部類に入るかどうか私は判断しかねています・・)
だから2012.06.30 ( Sat ) 13:19:23のコメントでFondriestさんに怒られたんじゃないかな、と想像するのですが・・・
このあたりはどうなんでしょう?上の私のコメントの質問と併せて青い鳥さんに回答いただけるとうれしいです。
青い鳥さんの中ではどこまで許容できてどこからは許容できないか、あまり具体的に固まっていないような印象も受けます。
鈴木邦男しなら脱原発で共闘はOKだが、針谷氏はダメって感じですか?
とりあえず
秋原葉月さん
私が青い鳥さんがレイシズムを容認していると判断する根拠は概ねそのとおりです。ぽむさんにその発言を窘められた後「謝罪」していますが(それも問題含みですが割愛します)、にも拘らずその後風鈴草さんの右翼との共闘(ここで右翼に含まれているのは鈴木氏だけでなく針谷氏も入っているのは明白です)を説くコメントに「激しく同意」するのは、実は問題の在り処を全く理解しておらず「謝罪」も単なる口先だけである証拠です。ですからその時点でコメントをしたという訳です。
私が青い鳥さんがレイシズムを容認していると判断する根拠は概ねそのとおりです。ぽむさんにその発言を窘められた後「謝罪」していますが(それも問題含みですが割愛します)、にも拘らずその後風鈴草さんの右翼との共闘(ここで右翼に含まれているのは鈴木氏だけでなく針谷氏も入っているのは明白です)を説くコメントに「激しく同意」するのは、実は問題の在り処を全く理解しておらず「謝罪」も単なる口先だけである証拠です。ですからその時点でコメントをしたという訳です。
Re: とりあえず>Fondriestさん
了解しました。
ではそのあたり、ご本人の言い分を待ってみましょうか。
ではそのあたり、ご本人の言い分を待ってみましょうか。
Fondriestさんご指摘の部分をピックアップしておきますね
青い鳥さんも確認しやすいようにFondriestさんご指摘の部分をピックアップしておきますね
青い鳥さんのこのレスの部分ですね?
2012.06.29 ( Fri ) 23:42:44
>気に入らない見解を持つ相手であっても、結局は自分と同じこの世界に生きています。「不倶戴天 --- 倶(とも)に天を戴かず --- の敵」という言葉もありますが、戦国時代のように殺し合って相手を排除することなど出来ない以上、この世界を分かち合って生きていくしかないでしょう。むしろ、「永遠の敵」として対立するのではなくて、いつか自分と同じ見解を持ってもらいたいと願うのであれば、別の「敵」に向かって一緒に戦うというのは好いチャンスになるかもしれません。一緒にやっていく中で、互いに相手の人間性を信じられるようになったら、異なる見解についても話し合う余地も生まれるかもしれないと思うのです。少なくとも、一旦、原発事故が起これば、右翼であろうと左翼であろうと、その人の持っている思想などには関係なく巻き込まれるのですから、等しく抗議する権利はあると思います。
(※これは風鈴草さんのコメント)
激しく同意します。
(引用ここまで)
風鈴草さんはこの「気に入らない見解を持つ相手」の中に針谷氏の統一戦線義勇軍を含めていると私も感じます(風鈴草さん、もし違うなら仰ってくださいね)
にもかかわらず脱原発で彼らと一緒に戦うことに青い鳥さんは「激しく同意」してるわけですね。
ということです、青い鳥さん。
勢いでこう書かれたのかもしれませんが、ここはひとつはっきりさせてみませんか?
それからこれは私見ですが、針谷氏らのようなレイシストと
「異なる見解について話し合う余地も生まれる」「互いに相手の人間性を信じられるようになる」こと自体を否定はしませんが、もしそうなるとしたら、個人的にあって酒でも飲みながら語り合ったりしてそういう風になるのでしょうね。
決して脱原発の共闘を通じてではないです。
青い鳥さんのこのレスの部分ですね?
2012.06.29 ( Fri ) 23:42:44
>気に入らない見解を持つ相手であっても、結局は自分と同じこの世界に生きています。「不倶戴天 --- 倶(とも)に天を戴かず --- の敵」という言葉もありますが、戦国時代のように殺し合って相手を排除することなど出来ない以上、この世界を分かち合って生きていくしかないでしょう。むしろ、「永遠の敵」として対立するのではなくて、いつか自分と同じ見解を持ってもらいたいと願うのであれば、別の「敵」に向かって一緒に戦うというのは好いチャンスになるかもしれません。一緒にやっていく中で、互いに相手の人間性を信じられるようになったら、異なる見解についても話し合う余地も生まれるかもしれないと思うのです。少なくとも、一旦、原発事故が起これば、右翼であろうと左翼であろうと、その人の持っている思想などには関係なく巻き込まれるのですから、等しく抗議する権利はあると思います。
(※これは風鈴草さんのコメント)
激しく同意します。
(引用ここまで)
風鈴草さんはこの「気に入らない見解を持つ相手」の中に針谷氏の統一戦線義勇軍を含めていると私も感じます(風鈴草さん、もし違うなら仰ってくださいね)
にもかかわらず脱原発で彼らと一緒に戦うことに青い鳥さんは「激しく同意」してるわけですね。
ということです、青い鳥さん。
勢いでこう書かれたのかもしれませんが、ここはひとつはっきりさせてみませんか?
それからこれは私見ですが、針谷氏らのようなレイシストと
「異なる見解について話し合う余地も生まれる」「互いに相手の人間性を信じられるようになる」こと自体を否定はしませんが、もしそうなるとしたら、個人的にあって酒でも飲みながら語り合ったりしてそういう風になるのでしょうね。
決して脱原発の共闘を通じてではないです。
>風鈴草さん
上のコメントで質問したこととダブルのですが、
>このままなし崩しにあちこちの原発を再稼働させてしまうということは、例えて言うなら、三日も寝ていない寝不足の運転手に、欠陥があるのがわかっているバスを運転させて、みんなじゅうをギュウギュウに詰めこんで夜の山道を走らせるようなものです。もちろんバスの乗客は国民です。
私たちにできることは、「そんなバスを走らせないでくれ」ということです。「バスがなければどうやってみんなで山道を行くのだ?」という問いかけに対しては、幾人かずつ普通の車に分乗してもいいし、自転車に乗ってもいいいし、いっそみんなで歩いて行ってもいい。(そもそも、どうしても山道を行かなければならないのか?という問いかけさえもありだと思います)「お年寄りや体の弱い人はどうするのだ?」という問いには、それぞれきめ細かく対応できるように、みんなで考えようと言うしかありません。全員の命を危険に晒してまでバスに乗る必要はないと
その時にふと脇を見ると、普段から自分とは考えが違って敵対ばかりしていた人が、一緒に「バス反対」を叫んでいたとします。それを見て「あなたはいつも私と違うことばかり言っていたじゃないか?なんで今度は同じことを言うのだ。あなたがバス反対を叫んではいけない」などと言えるでしょうか?
↑
えっと、これだけ取り上げれば私も賛成です。
上のコメントで述べたように、私は「針谷氏らのようなレイシストが脱原発を叫ぶな!」という考えではありません。
肯定も否定もしない、干渉しない、やりたければあなたたちだけでどうぞお好きにやってくれ、ただ、あなたたちとは絶対に手を取り合って共同してはやらないよ、という考えです。
そうそう、Fondriestさんにも「レイシストと連帯しない、共闘しない」の具体的な内容をまだ伺ってませんでしたね。よろしければ具体的な内容を教えていただけると嬉しいです。
風鈴草さんにはあと三つ
①>私はこの運動は既存の思想集団や利益集団とは関係ない一般人が、個人の自由意思で多数参加しているところに価値があると思っていますが、だからと言って(犯罪組織のようなものは別として)特定の集団を排除すべきだとは思っていません。
針谷氏のような統一戦線義勇軍はヨーロッパへ行けば人種差別禁止法関連にひっかかります。立派な犯罪集団です。
日本も世界人権条約を批准しており、それに基づいて人種差別禁止法を設けるように再三求められていますが人権感覚の麻痺した政府はいっこうに設けようとしません。もしこの法律が設けられたら統一戦線義勇軍は犯罪組織に該当する可能性大です。
私は人種差別禁止法は是非とも設けるべきだと思っています。なので、現在の法律では彼らは犯罪集団ではありませんが、私の中では犯罪集団に匹敵します。
②>針谷氏が「従軍慰安婦についての日本軍の関与を認めていない」ということですが、私はおそらく彼は本当にそう信じているのだろうと思います。彼が「軍が慰安婦を集めた」と実は考えていながら、そう書いているとしたら、それは大きな欺瞞であり、ぽむさんやFondriestさんが彼を忌避するのは当然と思いますが、本当にそう信じていたらどうでしょう。人はどうしても自分が信じ続けたいと思うものを守ろうとするものです。
>また、ヨーロッパのネオナチ系の団体に入会するのは、その多くが移民と職を奪い合わなければならない貧しい若者たちだと聞いています。日本の状況もおそらくそれに似た面もあるかと思いますが、そうした若者たちの集団を単純に「極右のレイシスト」として「悪の権化」のように言って切り捨ててしまうのは正しいことなのか、とも思うのです。
↑
相手がどんなに自分と受け入れない考えの持ち主であっても、なぜ相手はそのように考えるのかを理解しようとするのは大切な作業だと思います。特に最近は凶悪犯罪が起こると加害者についてこういう作業を最初から放棄するので困ります。
ただ、彼らがなぜそうなったかを理解することと、その行為に対する客観的な評価、価値判断は別物です。
なぜ彼らはオウムに入ってサリンをまいたのか、そこに至るまでの道のりを理解することは大事な作業ですが、だからといってオウムのやったことを肯定することはできません。
それと同じで、針谷氏やネオナチ系の若者も、そういう考えに至った経緯はいろいろあるでしょう、中には同情すべき出来事もあったかもしれません。
でもやはり、どんな事情があれ、歴史修正主義やレイシズムは絶対に肯定できないものなのです。
なぜならそれは民主主義や人権尊重という私たちが寄って立つ根幹的な価値観を根こそぎ否定してるからです
③意見の違いがあっても脱原発で共闘できる、というのはありえます。
たとえば消費税増税に賛成、あるいは死刑に賛成、自衛隊は合憲という人とでももちろん脱原発で共闘できます。
但し、歴史修正主義、レイシストはダメです。一線超えています。
オキュパイウォールストリートで宣言された言葉です。
「我々には連帯という原則があり、より良い世界を作るために、共に働いているのだ。『ウォール街を占拠せよ』に、レイシズム、セクシズム、トランスフォビア、移民への憎悪、ゼノフォビア、憎悪一般を受け入れる余地はない」
これが連帯の原則だと思います。
私たちはより良い世界を作るために、共に脱原発を訴えるのです。
民主主義や人権尊重という私たちが寄って立つ根幹的な価値観を根こそぎ否定してる人間と共により良い世界が作れるでしょうか?
私は不可能だと思います。
レイシズム、歴史修正主義は、よりよい世界を作ることと最も根源的なところで決して相容れない矛盾する存在だからです。
多分風鈴草さんと、私やぽむさんやFondriestさんとはここの判断が違うのだろうと思います。
それともう一つ、彼らと共闘すれば、こちらが全然そんなつもりはなくても結果的に彼らのレイシズム、歴史修正主義に荷担してしまう結果がもたらされる恐れは十分にあります。
むこうは何も失うモノはありません。何かを失うのは常にこちらなのです。望むと望まざるとに関わらず。
これは橋下氏と組んだ飯田哲也氏がどうなったかを考えてみればわかると思います。
私は針谷氏のようなレイシストと連帯共闘することはできませんが、個人的に会って、いろいろ語り合って彼らが考えを変えたりする、という余地はあると思いますし、まあなんとなく一緒に飲みに行ける間柄になったり、ということはあると思いますよ。そこまでは否定しません。
でもフリスキーさんも実体験で仰ってますが、それでも政治的共闘は無理なのです。
>このままなし崩しにあちこちの原発を再稼働させてしまうということは、例えて言うなら、三日も寝ていない寝不足の運転手に、欠陥があるのがわかっているバスを運転させて、みんなじゅうをギュウギュウに詰めこんで夜の山道を走らせるようなものです。もちろんバスの乗客は国民です。
私たちにできることは、「そんなバスを走らせないでくれ」ということです。「バスがなければどうやってみんなで山道を行くのだ?」という問いかけに対しては、幾人かずつ普通の車に分乗してもいいし、自転車に乗ってもいいいし、いっそみんなで歩いて行ってもいい。(そもそも、どうしても山道を行かなければならないのか?という問いかけさえもありだと思います)「お年寄りや体の弱い人はどうするのだ?」という問いには、それぞれきめ細かく対応できるように、みんなで考えようと言うしかありません。全員の命を危険に晒してまでバスに乗る必要はないと
その時にふと脇を見ると、普段から自分とは考えが違って敵対ばかりしていた人が、一緒に「バス反対」を叫んでいたとします。それを見て「あなたはいつも私と違うことばかり言っていたじゃないか?なんで今度は同じことを言うのだ。あなたがバス反対を叫んではいけない」などと言えるでしょうか?
↑
えっと、これだけ取り上げれば私も賛成です。
上のコメントで述べたように、私は「針谷氏らのようなレイシストが脱原発を叫ぶな!」という考えではありません。
肯定も否定もしない、干渉しない、やりたければあなたたちだけでどうぞお好きにやってくれ、ただ、あなたたちとは絶対に手を取り合って共同してはやらないよ、という考えです。
そうそう、Fondriestさんにも「レイシストと連帯しない、共闘しない」の具体的な内容をまだ伺ってませんでしたね。よろしければ具体的な内容を教えていただけると嬉しいです。
風鈴草さんにはあと三つ
①>私はこの運動は既存の思想集団や利益集団とは関係ない一般人が、個人の自由意思で多数参加しているところに価値があると思っていますが、だからと言って(犯罪組織のようなものは別として)特定の集団を排除すべきだとは思っていません。
針谷氏のような統一戦線義勇軍はヨーロッパへ行けば人種差別禁止法関連にひっかかります。立派な犯罪集団です。
日本も世界人権条約を批准しており、それに基づいて人種差別禁止法を設けるように再三求められていますが人権感覚の麻痺した政府はいっこうに設けようとしません。もしこの法律が設けられたら統一戦線義勇軍は犯罪組織に該当する可能性大です。
私は人種差別禁止法は是非とも設けるべきだと思っています。なので、現在の法律では彼らは犯罪集団ではありませんが、私の中では犯罪集団に匹敵します。
②>針谷氏が「従軍慰安婦についての日本軍の関与を認めていない」ということですが、私はおそらく彼は本当にそう信じているのだろうと思います。彼が「軍が慰安婦を集めた」と実は考えていながら、そう書いているとしたら、それは大きな欺瞞であり、ぽむさんやFondriestさんが彼を忌避するのは当然と思いますが、本当にそう信じていたらどうでしょう。人はどうしても自分が信じ続けたいと思うものを守ろうとするものです。
>また、ヨーロッパのネオナチ系の団体に入会するのは、その多くが移民と職を奪い合わなければならない貧しい若者たちだと聞いています。日本の状況もおそらくそれに似た面もあるかと思いますが、そうした若者たちの集団を単純に「極右のレイシスト」として「悪の権化」のように言って切り捨ててしまうのは正しいことなのか、とも思うのです。
↑
相手がどんなに自分と受け入れない考えの持ち主であっても、なぜ相手はそのように考えるのかを理解しようとするのは大切な作業だと思います。特に最近は凶悪犯罪が起こると加害者についてこういう作業を最初から放棄するので困ります。
ただ、彼らがなぜそうなったかを理解することと、その行為に対する客観的な評価、価値判断は別物です。
なぜ彼らはオウムに入ってサリンをまいたのか、そこに至るまでの道のりを理解することは大事な作業ですが、だからといってオウムのやったことを肯定することはできません。
それと同じで、針谷氏やネオナチ系の若者も、そういう考えに至った経緯はいろいろあるでしょう、中には同情すべき出来事もあったかもしれません。
でもやはり、どんな事情があれ、歴史修正主義やレイシズムは絶対に肯定できないものなのです。
なぜならそれは民主主義や人権尊重という私たちが寄って立つ根幹的な価値観を根こそぎ否定してるからです
③意見の違いがあっても脱原発で共闘できる、というのはありえます。
たとえば消費税増税に賛成、あるいは死刑に賛成、自衛隊は合憲という人とでももちろん脱原発で共闘できます。
但し、歴史修正主義、レイシストはダメです。一線超えています。
オキュパイウォールストリートで宣言された言葉です。
「我々には連帯という原則があり、より良い世界を作るために、共に働いているのだ。『ウォール街を占拠せよ』に、レイシズム、セクシズム、トランスフォビア、移民への憎悪、ゼノフォビア、憎悪一般を受け入れる余地はない」
これが連帯の原則だと思います。
私たちはより良い世界を作るために、共に脱原発を訴えるのです。
民主主義や人権尊重という私たちが寄って立つ根幹的な価値観を根こそぎ否定してる人間と共により良い世界が作れるでしょうか?
私は不可能だと思います。
レイシズム、歴史修正主義は、よりよい世界を作ることと最も根源的なところで決して相容れない矛盾する存在だからです。
多分風鈴草さんと、私やぽむさんやFondriestさんとはここの判断が違うのだろうと思います。
それともう一つ、彼らと共闘すれば、こちらが全然そんなつもりはなくても結果的に彼らのレイシズム、歴史修正主義に荷担してしまう結果がもたらされる恐れは十分にあります。
むこうは何も失うモノはありません。何かを失うのは常にこちらなのです。望むと望まざるとに関わらず。
これは橋下氏と組んだ飯田哲也氏がどうなったかを考えてみればわかると思います。
私は針谷氏のようなレイシストと連帯共闘することはできませんが、個人的に会って、いろいろ語り合って彼らが考えを変えたりする、という余地はあると思いますし、まあなんとなく一緒に飲みに行ける間柄になったり、ということはあると思いますよ。そこまでは否定しません。
でもフリスキーさんも実体験で仰ってますが、それでも政治的共闘は無理なのです。
思うに
右翼サイドの脱原発運動についてなのですが、
まず、“共闘”“排除”という言葉の指し示す範囲を考えなくてはなりません。
思うに、“共闘”と言ったとき、反原発のデモや集会、シンポジウムなどの企画を共同で主催する
という話になると、右翼の参加を忌避することは理解できます。
ただ、
自由参加型のデモに参加者として加わることまで“排除”するとなると別の話になると思います。
万単位の動員をしている大規模なデモに政治的スタンスや歴史認識による選別をすることは不可能ですし、
もし選別をするべく排除の態度を持って望むとするならば、つまり、
自由参加型のデモに参加している右翼を排除するという話になると、私はそれには同意しかねると思います。
それをやってしまうと、
脱原発の広がりにとって足かせになると思います。
ただし、
橋下徹のような右翼政治家による見せかけの脱原発は百害あって一利なしだと思いますので、
ここは騙されないよう目を光らせていなければなりません。
まず、“共闘”“排除”という言葉の指し示す範囲を考えなくてはなりません。
思うに、“共闘”と言ったとき、反原発のデモや集会、シンポジウムなどの企画を共同で主催する
という話になると、右翼の参加を忌避することは理解できます。
ただ、
自由参加型のデモに参加者として加わることまで“排除”するとなると別の話になると思います。
万単位の動員をしている大規模なデモに政治的スタンスや歴史認識による選別をすることは不可能ですし、
もし選別をするべく排除の態度を持って望むとするならば、つまり、
自由参加型のデモに参加している右翼を排除するという話になると、私はそれには同意しかねると思います。
それをやってしまうと、
脱原発の広がりにとって足かせになると思います。
ただし、
橋下徹のような右翼政治家による見せかけの脱原発は百害あって一利なしだと思いますので、
ここは騙されないよう目を光らせていなければなりません。
Re: 思うに>フリスキーさん
フリスキーさんと同意見です。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8649
まず、
1.連帯、共闘、とはなにか、どこまでを指すか、のコンセンサスをとった方が良いですね。
次にできれば
2.右翼と一口に言ってもどこまでをさすか?自民の河野太郎氏は?鈴木邦男氏は?バカ殿は?針谷氏は?など例を挙げて考えてみると良いかもしれません。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8649
まず、
1.連帯、共闘、とはなにか、どこまでを指すか、のコンセンサスをとった方が良いですね。
次にできれば
2.右翼と一口に言ってもどこまでをさすか?自民の河野太郎氏は?鈴木邦男氏は?バカ殿は?針谷氏は?など例を挙げて考えてみると良いかもしれません。
追伸
そもそもですね、
民主主義と自由主義を大事にする立場からは、
“排除”という言葉を使うことには抵抗を覚えます。
それこそ、
橋下徹や在特会、排害社のような極右が好んで使いそうな
言葉ですよね。
民主主義と自由主義を大事にする立場からは、
“排除”という言葉を使うことには抵抗を覚えます。
それこそ、
橋下徹や在特会、排害社のような極右が好んで使いそうな
言葉ですよね。
秋原葉月さんへ
秋原葉月様…
たいへんご迷惑をおかけし、お詫び申し上げます。
>凄まじい「お花畑」ぶりですね。まあ、ある意味で私の懸念が正しい事を全力で示してくれたわけでありがとうございます、と言っておきましょう。
> > だから2012.06.30 ( Sat ) 13:19:23のコメントでFondriestさんに怒られたんじゃないかな、と想像するのですが・・・
☆ こんなに、他人を侮辱し、貶め、ひとの真意を斟酌せず自分の考えで決めつける人間は、許せないといっているだけです。
わたしは、在特会などのレイシスト団体の存在や悪行を秋原葉月さんや、小野哲さんから教えて頂きました。ネトウヨのblogにおいてでも、レイシズムの不当性について、何度となく抗議のコメントを投稿したくらいです。「反日左翼は半島へ帰れ!」などの罵倒の集中砲火を浴びましたけどね…。(笑) ハッキリ言っておきますが、わたしはあらゆる差別を憎みます。
“原発奴隷”に関しても同様で、以前、こちらのブログ様にその許されざる実態につきまして、コメントさせて頂きました。そうゆうことも斟酌せずに、断定的に批判をされたので議論を拒否させて頂いたのです。
わたしは右翼などには何の興味もありませんし、針谷某もどんな人物かなんて知りません。そうゆう人間に対し、頭ごなしに“差別を容認している…”との決めつけをされたんじゃぁ、たまったもんじゃぁありませんよ…、わたしでなくとも怒り心頭になると思いますけど、どうでしょう。ひとの誤りを指摘するのであれば、それなりの議論における、“礼儀”がある筈ではなかろうかと思うわけです。
“あらゆる差別を許さない”これは、わたしの矜恃なのです。
ただ右翼一水会の鈴木邦男さんは、違うんですね…。筆坂秀世さんとの共著で、日本共産党に至極、建設的な的を射た温かいエールを送って下さっておられるんですよ…。わたしの言わんとする“ちゃちなイデオロギー”とは…、わたしにレッテルをはられたことの様なことを指している訳なんですよ…、建設的提言をしている者に対し、一方的に“差別の容認だ。”などとレッテルばりをする、反党分子、日和見主義、修正主義だと決めつけ罵倒する…等々の不毛なものを指しているんですよ…。
いつわたしが、差別をちゃちなイデオロギーと言いましたか?ということなんですね…。もし誤っていることがあった場合は、秋原葉月さんのように知らないひとに対して、いちから理論的に整然とご説明頂ければ、わたしも自分の至らなさを、深く反省し成長もすると考えるわけです。
建設的な議論の仕方も考えなければ、ならないと思うんです。ひとそれぞれ思想は千差万別です。そこである程度の“折り合い”は必要です。わたしは、銀行員時代、大資本・財界の片棒を担いでいるのではないか?と、自分の思想・信条に照らしてどうなのか?と、日々、自問自答してましたが、社会で重要かつ公的な使命である金融を担っているんだという“折り合い”をつけてやってこれましたし、お客様の大切なご預金を有効に金融ということを通じ、社会に役立たさせることに、金融マンとしての職業的矜恃をもっていました。
それから、こんなこともありました。銀行を退職し、約5年間、北京市内に居を構え、中日合弁事業関係のコンサルタント業務を生業としました。そのうちのひとつの案件に中国の人民解放軍の経営部門の公司と、日本企業の合弁事業があり、その案件にに携わったとき、このときも、自分の思想・信条に照らしてどうだろうか?と悩みましたが、中日友好の一助になるものなんだ。と、自分に“折り合い”をつけました。世の中、白黒ハッキリと決着をつけることが困難なことが無数にあるんですね…。秋原葉月さんがご指摘されてみえる通り、日本は差別に対し甘すぎるんですね、わたしもそう思います。ドイツにおいて、ナチスを肯定する言質が犯罪になることも知ってます。やはり、秋原葉月さんが、日頃ご主張されてみえるように日本も欧州を見習い、レイシズム禁止法を一刻も早く、制定するべきと強く思います。
風鈴草さんも、レイシズムに大反対のお立場であられることなど、今更、わたしが言うべくもないことだと信じて疑わないところです。にも関わらず、“差別を容認するものだ”と、有無を言わせず、断定的もの言いをすることに対し、わたしは怒りを感じているんです。
誤りを指摘することは大切ですが、その仕方があるでしょうということです。
風鈴草さんが、以前コメントなされたように、子供の生命を心配する母親の気持ち…、あらゆる思想に関心のない市民の皆さんの“脱原発の願い”…。こうゆうものをどう結実しつゆくべきか?…。
先週、官邸に集った約20万人とも言われる怒りを、どう脱原発に有機的に結び付けてゆくのか?。今、ほんとうにチャンスの芽を摘まないために、どの様に“共闘”にもってゆくか?。真剣に国民皆で模索する必要があると思います。命を守る“脱原発”を達成するために、差別する団体に説得を試みることもするべきですよ…、道理はこちらにあるのですから…、、、。
風鈴草さんが記された通り、右も左も皆さん大切な命があります。どう人間の命を守るかが、今の時点で最も大切であると考えます。
原水爆禁止の運動や、1970年代の社共共闘の分裂も、今思えば、残念でならない。大都市部は革新首長で占められてましたよ…。全有権者の六割近くが日本社会党と日本共産党を支持していたんですね…、ぽむ様が記された様に日本社会党の転落ぶりは、目を覆わんばかりですが…。自民党政権の息の根を止めるチャンスであったと思われます。それがポシャッたのは、「解同」の丸尾・朝田一派による暴力支配に対する、日本社会党と日本共産党の見解の大きな違いがあったのですよ。わたしは暴力に勇気を出し、対峙した日本共産党の立場を断然支持しますが…。その当時、八鹿高校事件などの「解同」の暴力に対し毅然たる態度を堅持したのは、政党では日本共産党のみ、マスコミでは“赤旗”だけでした。ほかの政党や大手マスコミは、「解同」の凄まじい暴力に屈し、みてみぬふり、だんまりを決め込んでしまったんですね…。
秋原葉月さんの仰る通り、共闘できないものがあることは、わたしも大賛成です。相手を説得する努力も大切です。
ただ、わたしが懸念するところは、今の民・自・公の“棄民政策”により、命を落とした、札幌の姉妹、九州で生活保護申請を門前払いされ“おにぎりも食べれず”に無念の死をとげた方、ワタミの渡辺美樹に殺された森菜々さんの無念をどう晴らすか?
体制翼賛を打倒するときの方策を真剣に検討する必要はあると思います。
>つまり青い鳥さんはぽむさんの主張に異論はないと述べられ、脱原発であってもレイシストを許容し共闘することを望んでおられないようにも感じます…
>青い鳥さん。
勢いでこう書かれたのかもしれませんが、ここはひとつはっきりさせてみませんか?
その通りです。
レイシストとハシゲとポルポト石原慎太郎との共闘なんて死んでも拒否します。これは譲れないところです。
いずれにしても、わたしの拙い表現により、秋原葉月さんに大変なご労苦をおかけし、不愉快な思いをさせて仕舞いましたことを、心からお詫び申し上げます。
わたしは、自由な議論を大切にしたいだけです。o(^-^)o
注釈) 元復興大臣でとんでもない居丈高な暴言を吐いた民主党の…、松本龍氏は、「解同」の副委員長です。彼の暴言に対する対応も、及び腰の大手マスコミもありました。
たいへんご迷惑をおかけし、お詫び申し上げます。
>凄まじい「お花畑」ぶりですね。まあ、ある意味で私の懸念が正しい事を全力で示してくれたわけでありがとうございます、と言っておきましょう。
> > だから2012.06.30 ( Sat ) 13:19:23のコメントでFondriestさんに怒られたんじゃないかな、と想像するのですが・・・
☆ こんなに、他人を侮辱し、貶め、ひとの真意を斟酌せず自分の考えで決めつける人間は、許せないといっているだけです。
わたしは、在特会などのレイシスト団体の存在や悪行を秋原葉月さんや、小野哲さんから教えて頂きました。ネトウヨのblogにおいてでも、レイシズムの不当性について、何度となく抗議のコメントを投稿したくらいです。「反日左翼は半島へ帰れ!」などの罵倒の集中砲火を浴びましたけどね…。(笑) ハッキリ言っておきますが、わたしはあらゆる差別を憎みます。
“原発奴隷”に関しても同様で、以前、こちらのブログ様にその許されざる実態につきまして、コメントさせて頂きました。そうゆうことも斟酌せずに、断定的に批判をされたので議論を拒否させて頂いたのです。
わたしは右翼などには何の興味もありませんし、針谷某もどんな人物かなんて知りません。そうゆう人間に対し、頭ごなしに“差別を容認している…”との決めつけをされたんじゃぁ、たまったもんじゃぁありませんよ…、わたしでなくとも怒り心頭になると思いますけど、どうでしょう。ひとの誤りを指摘するのであれば、それなりの議論における、“礼儀”がある筈ではなかろうかと思うわけです。
“あらゆる差別を許さない”これは、わたしの矜恃なのです。
ただ右翼一水会の鈴木邦男さんは、違うんですね…。筆坂秀世さんとの共著で、日本共産党に至極、建設的な的を射た温かいエールを送って下さっておられるんですよ…。わたしの言わんとする“ちゃちなイデオロギー”とは…、わたしにレッテルをはられたことの様なことを指している訳なんですよ…、建設的提言をしている者に対し、一方的に“差別の容認だ。”などとレッテルばりをする、反党分子、日和見主義、修正主義だと決めつけ罵倒する…等々の不毛なものを指しているんですよ…。
いつわたしが、差別をちゃちなイデオロギーと言いましたか?ということなんですね…。もし誤っていることがあった場合は、秋原葉月さんのように知らないひとに対して、いちから理論的に整然とご説明頂ければ、わたしも自分の至らなさを、深く反省し成長もすると考えるわけです。
建設的な議論の仕方も考えなければ、ならないと思うんです。ひとそれぞれ思想は千差万別です。そこである程度の“折り合い”は必要です。わたしは、銀行員時代、大資本・財界の片棒を担いでいるのではないか?と、自分の思想・信条に照らしてどうなのか?と、日々、自問自答してましたが、社会で重要かつ公的な使命である金融を担っているんだという“折り合い”をつけてやってこれましたし、お客様の大切なご預金を有効に金融ということを通じ、社会に役立たさせることに、金融マンとしての職業的矜恃をもっていました。
それから、こんなこともありました。銀行を退職し、約5年間、北京市内に居を構え、中日合弁事業関係のコンサルタント業務を生業としました。そのうちのひとつの案件に中国の人民解放軍の経営部門の公司と、日本企業の合弁事業があり、その案件にに携わったとき、このときも、自分の思想・信条に照らしてどうだろうか?と悩みましたが、中日友好の一助になるものなんだ。と、自分に“折り合い”をつけました。世の中、白黒ハッキリと決着をつけることが困難なことが無数にあるんですね…。秋原葉月さんがご指摘されてみえる通り、日本は差別に対し甘すぎるんですね、わたしもそう思います。ドイツにおいて、ナチスを肯定する言質が犯罪になることも知ってます。やはり、秋原葉月さんが、日頃ご主張されてみえるように日本も欧州を見習い、レイシズム禁止法を一刻も早く、制定するべきと強く思います。
風鈴草さんも、レイシズムに大反対のお立場であられることなど、今更、わたしが言うべくもないことだと信じて疑わないところです。にも関わらず、“差別を容認するものだ”と、有無を言わせず、断定的もの言いをすることに対し、わたしは怒りを感じているんです。
誤りを指摘することは大切ですが、その仕方があるでしょうということです。
風鈴草さんが、以前コメントなされたように、子供の生命を心配する母親の気持ち…、あらゆる思想に関心のない市民の皆さんの“脱原発の願い”…。こうゆうものをどう結実しつゆくべきか?…。
先週、官邸に集った約20万人とも言われる怒りを、どう脱原発に有機的に結び付けてゆくのか?。今、ほんとうにチャンスの芽を摘まないために、どの様に“共闘”にもってゆくか?。真剣に国民皆で模索する必要があると思います。命を守る“脱原発”を達成するために、差別する団体に説得を試みることもするべきですよ…、道理はこちらにあるのですから…、、、。
風鈴草さんが記された通り、右も左も皆さん大切な命があります。どう人間の命を守るかが、今の時点で最も大切であると考えます。
原水爆禁止の運動や、1970年代の社共共闘の分裂も、今思えば、残念でならない。大都市部は革新首長で占められてましたよ…。全有権者の六割近くが日本社会党と日本共産党を支持していたんですね…、ぽむ様が記された様に日本社会党の転落ぶりは、目を覆わんばかりですが…。自民党政権の息の根を止めるチャンスであったと思われます。それがポシャッたのは、「解同」の丸尾・朝田一派による暴力支配に対する、日本社会党と日本共産党の見解の大きな違いがあったのですよ。わたしは暴力に勇気を出し、対峙した日本共産党の立場を断然支持しますが…。その当時、八鹿高校事件などの「解同」の暴力に対し毅然たる態度を堅持したのは、政党では日本共産党のみ、マスコミでは“赤旗”だけでした。ほかの政党や大手マスコミは、「解同」の凄まじい暴力に屈し、みてみぬふり、だんまりを決め込んでしまったんですね…。
秋原葉月さんの仰る通り、共闘できないものがあることは、わたしも大賛成です。相手を説得する努力も大切です。
ただ、わたしが懸念するところは、今の民・自・公の“棄民政策”により、命を落とした、札幌の姉妹、九州で生活保護申請を門前払いされ“おにぎりも食べれず”に無念の死をとげた方、ワタミの渡辺美樹に殺された森菜々さんの無念をどう晴らすか?
体制翼賛を打倒するときの方策を真剣に検討する必要はあると思います。
>つまり青い鳥さんはぽむさんの主張に異論はないと述べられ、脱原発であってもレイシストを許容し共闘することを望んでおられないようにも感じます…
>青い鳥さん。
勢いでこう書かれたのかもしれませんが、ここはひとつはっきりさせてみませんか?
その通りです。
レイシストとハシゲとポルポト石原慎太郎との共闘なんて死んでも拒否します。これは譲れないところです。
いずれにしても、わたしの拙い表現により、秋原葉月さんに大変なご労苦をおかけし、不愉快な思いをさせて仕舞いましたことを、心からお詫び申し上げます。
わたしは、自由な議論を大切にしたいだけです。o(^-^)o
注釈) 元復興大臣でとんでもない居丈高な暴言を吐いた民主党の…、松本龍氏は、「解同」の副委員長です。彼の暴言に対する対応も、及び腰の大手マスコミもありました。
青い鳥、風鈴草へ
さて、予想はしていましたが、お二方とも誤魔化しだらけの恥知らずだと明確になったのでこっちも遠慮なくやらせてもらいます。私はぽむさん程優しくも上品でもないのであしからず。
青い鳥へ
>いつわたしが、レイシズムを容認しましたか!?…。
前述したようにレイシストとの共闘を美麗字句で肯定するお仲間に「激しく同意」しておいて「容認」していないなどと言えるわけが無い。しかも、
>ちゃちなイデオロギーなる呪縛に束縛され、様々な市民と連帯ができないこと程、残念で阿保らしいことはないですよ…。
などと書いてぽむさんに窘められ慌てて「謝罪」しておいてこれだから確信犯だね。ぽむさんは「はずみ」ということにしているが、懲りずに同じ事を繰り返すのだから「はずみ」で本音がでたということに他ならない。歴史修正主義とそれと不可分なレイシズムを「連帯」のためなら犠牲にしても良い「ちゃちなイデオロギー」と見なす事が「容認」でなくてなんなんだ?まさかとは思うが「容認」と「積極的肯定」の区別が出来ないのか?
>わたしの“共闘”“運動”の真意を慮らない貴殿の態度は、わたしの矜持に照らした時、断固許容できないものです!。 わたしと“風鈴草”様に、謝罪を要求します!!!。
笑わせるんじゃない。あんたの「真意」など知ったことじゃない。書いた事から判断するだけだ。ひょっとして「私は善意を持っているから差別的なことをするわけが無い」とでも考えているのなら、民青でいったい何を学んだんだ?唯物論って知ってる?まあ、民青でお仲間とつるんで運動ごっこをしてただけだろうがな。
あんたは自らの「矜持」の高さとは相反して、レイシズムを積極的肯定はしないものの、容認することで他者が踏みつけられるのを傍観しつつ自分は綺麗ごとを言う卑怯なマジョリティの一員に過ぎない。あんたの目が向いているのは自分のお仲間だけでその中で「善人」として認められたいという欲求で動いているだけ。だから「謝罪」するのも「ぽむ様並びに小野哲様…何より、ブログ主様の秋原葉月様 」だけで実際に差別されている人間には向かない。いやー素晴らしい仲間意識だね。ワンピでも読んで泣いてろよ。
>議論は拒否させて頂きます、悪しからず。
いやあんたが議論できるなどとは元から期待してないし。言葉とは裏腹に汚い偽善者だということを晒してるだけだから。自分の「善意」と「正しさ」という「呪縛に束縛」されとけばw。ああ、それから老婆心ながら付け加えると
>秋原葉月様…、再三再四、ご迷惑をお掛けし、心からお詫び申し上げます。
あんたによれば私が「デマ」で絡んで来ただけなんだから、秋原葉月さんに謝る必要はないよねー。それなのにこんなのを付け加えるのは、まるで茶坊主か太鼓持ちのようで見苦しいので止めたほうがいいよ。知性に欠けるのはもう隠せないにしても品性もその程度と思われたくないだろ。意外と秋原葉月さんもこんなのにヨイショされて困られてるかも知れんし。勿論茶坊主として精進したいのならそれでもいいが。それとも、秋原葉月さんに助けを求めてるのかな?
さて次は長いだけで無内容なまるでハシゲのような詭弁だらけのレスを返してきたもう一人のバカ。
風鈴草へ
>私は難しい「政治的な議論」というのは苦手です。それが右翼であっても左翼であっても、日本の近代史の中の出来ごとを事細かに知っていて、専門用語(と御 本人たちは思っていないかもしれませんが、使い慣れない人間にとってはそんな感じです)を駆使する人たちの議論にはとてもついていけないからです。それに してはチョムスキーなどを引き合いに出すではないかと言われそうですが、・・・(中略)・・・申し 訳ないけれど、あまり近寄らないようなにしています。(例外は鈴木邦男さんのエッセイで、あれは親しみやすいです)だから、そういう世界に通暁した人間だ と思われては困るのです。
うわー凄いね。初っ端から議論とは関係ないことをグダグダと。いったい誰がオマエが「そういう世界に通暁した人間だと」思ってるの?少なくとも私じゃないね。まず最初に「難しい議論は苦手です」と書いて逃げ道を確保。そのくせ、外国人の名前を挙げて知識自慢でドヤ顔という、謙虚と見せかけて自分の教養の高さをこっちが期待していると勘違いするほどのプライドの高さをアピールする高度なレトリックには感服しますw。教養コンプレックス丸出しでコメントでしなくてもいい引用をやたらして、どっかの太鼓持ちから絶賛されて喜んでるとこんなのになるのかね?
>このままなし崩しにあちこちの原発を再稼働させてしまうということは、例えて言うなら、三日も寝ていない寝不足の運転手に、欠陥があるのがわかっ ているバスを運転させて、みんなじゅうをギュウギュウに詰めこんで夜の山道を走らせるようなものです。もちろんバスの乗客は国民です。・・・ (中略)・・・ その時にふと脇を見ると、普段から自分とは考えが違って敵対ばかりしていた人が、一緒に「バス反対」を叫んでいたとします。それを見て「あなたは いつも私と違うことばかり言っていたじゃないか?なんで今度は同じことを言うのだ。あなたがバス反対を叫んではいけない」などと言えるでしょうか?私は脱 原発とはそういうことではないかと思っています。
はい、でました。藁人形叩きとニセの二者択一を迫るインチキな喩え。まず、私は、そして恐らく私と立場を同じくする人の誰も右翼に黙れなどと主張してない。次に、その敵対者との意見の違いは「たけのこの里か、きのこの山か」ではない。あんたの下手な喩えに乗っかれば彼らは「国民」の乗ったバスの隅っこか、下手すると屋根の上にいるマイノリティを虐め倒し、安全なバスの運行を妨害してきた奴らなんだよ。お前はそれを黙認し、危険になったからと彼らと団結して「安全」のために被差別者をバスから放り出そうとしている。しかも、彼らを仲間にすることで安全になるという保証はない。前のApeman氏のところの私のコメントから引用する。
>差別主義者の手を借りて脱原発か全員死亡などという二者択一はあなたの頭の中にしかありません。「軍拡しないと特アに侵略される!」と叫ぶウヨ並みの理屈です。 そんな妄想を「現実主義」と見做すところも同じですね。 >針谷氏が「従軍慰安婦についての日本軍の関与を認めていない」ということですが、私はおそらく彼は本当にそう信じているのだろうと思います。彼が 「軍が慰安婦を集めた」と実は考えていながら、そう書いているとしたら、それは大きな欺瞞であり、ぽむさんやFondriestさんが彼を忌避するのは当 然と思いますが、本当にそう信じていたらどうでしょう。
いや、マジで脳味噌腐ってんの?ブレイビクも、9.11のテロ実行犯も、サリンを撒いたオウム信者も、それまで原発行政に批判的だったくせに経産省に就職が決まったとたん「日本の原発は安全ですよ」とのたまった私の学生時代の知り合いも「本当にそう信じて」たでしょうよ。それを欺瞞ではないといえるのはただ彼らの主観内部においてのみで、彼らの行為を正当化することなどできない、なんて当たり前のことを説明しなきゃいけないなんて私は幼稚園児を相手にしてるのか?
>すべ て「悪人」とは思えません。
こらこら、針谷の話から全ての人間に話をそらすな。彼がその「悪人」でない証拠は?
>また、私は針谷氏が掲げているという「ユダヤ・WASP排斥」とかいう言葉は、おそらく「反米・反国際資本」というような意味 ではないだろうかと受け取っています。
それであんたの意見が正しければ、彼は歴史学の研究に反するデタラメを「一本気に」疑うことなく信じ込み、陰謀論にもはまっているどうしようもないバカということになるんだがそれでいいのか?そんな人間と反原発で共闘するのが恐くないのか。恐らく本人が知ったら怒るだろうな。あんたは彼が参加するデモには行かないほうがいいよ。
>罪があるのは針谷氏 のようなマイナーな活動家よりもその人たちだと思っています。そして最近まで、その人たちを権力の座に置いて来た私たち国民にも責任はあるのかもしれない と思います。そして初めに彼等を復権させて支援し続けてきた人たちにも。
はい、一億総懺悔で実質無責任はいりました。責任があるからこそ、政治家と同時に彼のようなレイシストを批判しなければならない。なんで政治家かマイナー活動家の間の二者択一になってるんだ。
>また、ヨーロッパのネオナチ系の団体に入会するのは、その多くが移民と職を奪い合わなければならない貧しい若者たちだと聞いています。日本の状況 もおそらくそれに似た面もあるかと思いますが、そうした若者たちの集団を単純に「極右のレイシスト」として「悪の権化」のように言って切り捨ててしまうの は正しいことなのか、とも思うのです。
まず、極右の台頭を移民のせいにするのがすでにネオナチのプロパガンダ。次に私も誰も彼らを「切り捨てろ」などと主張してない。彼らがそういう思想を持つに至った背景を理解し改善することと、主張の内容を肯定することは全く別の問題。極右へと若者が流れることを阻止するには、レイシズムが受け入れられないということをはっきりと示すべきであり、反原発等何かひとつでも良いことをすれば、それは問題にされないなどという形の「理解」を示すことは逆効果。
>Fondriestさんは左翼系の方として、・・・・Fondriestさんに、それを決める権利がおありになるのでしょうか。
私は左翼も右翼もいかなる政治団体にも属していない。「決める権利」など私にもお前にもありはしない。だが、意見を表明する権利は在る。
>>私個人としては、日本で脱原発が実現することはないと考えています。その理由は運動論等のテクニカルな ものではなく、ただ日本の社会がそ のような変化を可能にするような条件を欠いているからです。それが白日の 下に晒されているのが現状であり、お二人の議論はその象徴にしか見えません。
ええと・・・???つまりは脱原発はあきらめてるので、傍観されるということですか?私たちのような「わかっていない連中」とは一緒にはやれないということなら、今さら何も言われることはないように思えるのですが。
実現可能性の評価とコミットメントを混同するな。精神論で思い込めば勝てるという末期の日本軍か?私はドイツ在住なのでその意味では「傍観」せざるを得ないが、なぜこんな文を書いているか考えろよ。
>バカ二人へ
お前たちは「私」から逃げることは出来ない。私はお前たちを知性と誠実さを欠いた偽善者と見なしている。だが、君らの信条に従うなら「気に入らない見解を持つ相手」でも一緒に戦えるのだろう?お前たちにとってはレイシスズムは所詮受け入れ可能なものに過ぎない。本当に意見を異にするのは「私」だ。お前たちの「寛容さ」を「私」にも見せることが出来ないなら、「共闘“運動”の真意 」などデタラメということだ。「みんななかよく」と主張する者達が「おまえは俺たちと仲良くしない」と少数者を排除するのは子供のときから飽きるほど見て来た。それは他者を排除するソフトで見てくれの良いツールに過ぎない。お前たちを嘲り続ける「私」と共闘して見せろよw
さて、青い鳥さん、風鈴草さんどう感じてられます?怒ってます?傷つきましたか?悔しいですか?もしなんとも思わないなら私の力がまだ足りないということでしょう。まず、誤解して欲しくないのはあなた達への批判の内容自体は煽りではありません。それについては根拠を挙げたつもりです。そしてレイシズムというのはこんなものとは比べ物にならない理不尽な差別であり暴力だということです。あなた達はレイシストとの共闘を説くことでマイノリティにそれを受け入れるように仕向けているという事です。被災した「外国人」が脱原発運動にレイシストが参加しているに留まらず壇上に上げられるような事態をどんな気持ちで見るか想像出来ますか?私はドイツ在住でこの地でマイノリティの一人として生きていますので、仮にドイツの反原発運動がネオナチと共闘するならばそんな運動など滅んでしまえ、と間違いなく思うでしょう。それは「我々」のためにはお前たちを犠牲にするというメッセージに他なりませんから。そのことをお考えください。
とここまで書いてネットを見たら、青い鳥さんが愚にも付かない「反論」をしてますね。謝罪も無意味にしてしますし、10回良い事を書けば、1回悪いことを書いても差し引き9で自分は良い人と考えてるようです。本当に予想の斜め上で笑えます。共闘を支持したということ自体を認めないなら上記の文も無駄になるわけで、私の中の暗黒面がムクムクと頭を擡げてきますが、止めておきましょう。あとは秋原さんにお任せします。
青い鳥へ
>いつわたしが、レイシズムを容認しましたか!?…。
前述したようにレイシストとの共闘を美麗字句で肯定するお仲間に「激しく同意」しておいて「容認」していないなどと言えるわけが無い。しかも、
>ちゃちなイデオロギーなる呪縛に束縛され、様々な市民と連帯ができないこと程、残念で阿保らしいことはないですよ…。
などと書いてぽむさんに窘められ慌てて「謝罪」しておいてこれだから確信犯だね。ぽむさんは「はずみ」ということにしているが、懲りずに同じ事を繰り返すのだから「はずみ」で本音がでたということに他ならない。歴史修正主義とそれと不可分なレイシズムを「連帯」のためなら犠牲にしても良い「ちゃちなイデオロギー」と見なす事が「容認」でなくてなんなんだ?まさかとは思うが「容認」と「積極的肯定」の区別が出来ないのか?
>わたしの“共闘”“運動”の真意を慮らない貴殿の態度は、わたしの矜持に照らした時、断固許容できないものです!。 わたしと“風鈴草”様に、謝罪を要求します!!!。
笑わせるんじゃない。あんたの「真意」など知ったことじゃない。書いた事から判断するだけだ。ひょっとして「私は善意を持っているから差別的なことをするわけが無い」とでも考えているのなら、民青でいったい何を学んだんだ?唯物論って知ってる?まあ、民青でお仲間とつるんで運動ごっこをしてただけだろうがな。
あんたは自らの「矜持」の高さとは相反して、レイシズムを積極的肯定はしないものの、容認することで他者が踏みつけられるのを傍観しつつ自分は綺麗ごとを言う卑怯なマジョリティの一員に過ぎない。あんたの目が向いているのは自分のお仲間だけでその中で「善人」として認められたいという欲求で動いているだけ。だから「謝罪」するのも「ぽむ様並びに小野哲様…何より、ブログ主様の秋原葉月様 」だけで実際に差別されている人間には向かない。いやー素晴らしい仲間意識だね。ワンピでも読んで泣いてろよ。
>議論は拒否させて頂きます、悪しからず。
いやあんたが議論できるなどとは元から期待してないし。言葉とは裏腹に汚い偽善者だということを晒してるだけだから。自分の「善意」と「正しさ」という「呪縛に束縛」されとけばw。ああ、それから老婆心ながら付け加えると
>秋原葉月様…、再三再四、ご迷惑をお掛けし、心からお詫び申し上げます。
あんたによれば私が「デマ」で絡んで来ただけなんだから、秋原葉月さんに謝る必要はないよねー。それなのにこんなのを付け加えるのは、まるで茶坊主か太鼓持ちのようで見苦しいので止めたほうがいいよ。知性に欠けるのはもう隠せないにしても品性もその程度と思われたくないだろ。意外と秋原葉月さんもこんなのにヨイショされて困られてるかも知れんし。勿論茶坊主として精進したいのならそれでもいいが。それとも、秋原葉月さんに助けを求めてるのかな?
さて次は長いだけで無内容なまるでハシゲのような詭弁だらけのレスを返してきたもう一人のバカ。
風鈴草へ
>私は難しい「政治的な議論」というのは苦手です。それが右翼であっても左翼であっても、日本の近代史の中の出来ごとを事細かに知っていて、専門用語(と御 本人たちは思っていないかもしれませんが、使い慣れない人間にとってはそんな感じです)を駆使する人たちの議論にはとてもついていけないからです。それに してはチョムスキーなどを引き合いに出すではないかと言われそうですが、・・・(中略)・・・申し 訳ないけれど、あまり近寄らないようなにしています。(例外は鈴木邦男さんのエッセイで、あれは親しみやすいです)だから、そういう世界に通暁した人間だ と思われては困るのです。
うわー凄いね。初っ端から議論とは関係ないことをグダグダと。いったい誰がオマエが「そういう世界に通暁した人間だと」思ってるの?少なくとも私じゃないね。まず最初に「難しい議論は苦手です」と書いて逃げ道を確保。そのくせ、外国人の名前を挙げて知識自慢でドヤ顔という、謙虚と見せかけて自分の教養の高さをこっちが期待していると勘違いするほどのプライドの高さをアピールする高度なレトリックには感服しますw。教養コンプレックス丸出しでコメントでしなくてもいい引用をやたらして、どっかの太鼓持ちから絶賛されて喜んでるとこんなのになるのかね?
>このままなし崩しにあちこちの原発を再稼働させてしまうということは、例えて言うなら、三日も寝ていない寝不足の運転手に、欠陥があるのがわかっ ているバスを運転させて、みんなじゅうをギュウギュウに詰めこんで夜の山道を走らせるようなものです。もちろんバスの乗客は国民です。・・・ (中略)・・・ その時にふと脇を見ると、普段から自分とは考えが違って敵対ばかりしていた人が、一緒に「バス反対」を叫んでいたとします。それを見て「あなたは いつも私と違うことばかり言っていたじゃないか?なんで今度は同じことを言うのだ。あなたがバス反対を叫んではいけない」などと言えるでしょうか?私は脱 原発とはそういうことではないかと思っています。
はい、でました。藁人形叩きとニセの二者択一を迫るインチキな喩え。まず、私は、そして恐らく私と立場を同じくする人の誰も右翼に黙れなどと主張してない。次に、その敵対者との意見の違いは「たけのこの里か、きのこの山か」ではない。あんたの下手な喩えに乗っかれば彼らは「国民」の乗ったバスの隅っこか、下手すると屋根の上にいるマイノリティを虐め倒し、安全なバスの運行を妨害してきた奴らなんだよ。お前はそれを黙認し、危険になったからと彼らと団結して「安全」のために被差別者をバスから放り出そうとしている。しかも、彼らを仲間にすることで安全になるという保証はない。前のApeman氏のところの私のコメントから引用する。
>差別主義者の手を借りて脱原発か全員死亡などという二者択一はあなたの頭の中にしかありません。「軍拡しないと特アに侵略される!」と叫ぶウヨ並みの理屈です。 そんな妄想を「現実主義」と見做すところも同じですね。 >針谷氏が「従軍慰安婦についての日本軍の関与を認めていない」ということですが、私はおそらく彼は本当にそう信じているのだろうと思います。彼が 「軍が慰安婦を集めた」と実は考えていながら、そう書いているとしたら、それは大きな欺瞞であり、ぽむさんやFondriestさんが彼を忌避するのは当 然と思いますが、本当にそう信じていたらどうでしょう。
いや、マジで脳味噌腐ってんの?ブレイビクも、9.11のテロ実行犯も、サリンを撒いたオウム信者も、それまで原発行政に批判的だったくせに経産省に就職が決まったとたん「日本の原発は安全ですよ」とのたまった私の学生時代の知り合いも「本当にそう信じて」たでしょうよ。それを欺瞞ではないといえるのはただ彼らの主観内部においてのみで、彼らの行為を正当化することなどできない、なんて当たり前のことを説明しなきゃいけないなんて私は幼稚園児を相手にしてるのか?
>すべ て「悪人」とは思えません。
こらこら、針谷の話から全ての人間に話をそらすな。彼がその「悪人」でない証拠は?
>また、私は針谷氏が掲げているという「ユダヤ・WASP排斥」とかいう言葉は、おそらく「反米・反国際資本」というような意味 ではないだろうかと受け取っています。
それであんたの意見が正しければ、彼は歴史学の研究に反するデタラメを「一本気に」疑うことなく信じ込み、陰謀論にもはまっているどうしようもないバカということになるんだがそれでいいのか?そんな人間と反原発で共闘するのが恐くないのか。恐らく本人が知ったら怒るだろうな。あんたは彼が参加するデモには行かないほうがいいよ。
>罪があるのは針谷氏 のようなマイナーな活動家よりもその人たちだと思っています。そして最近まで、その人たちを権力の座に置いて来た私たち国民にも責任はあるのかもしれない と思います。そして初めに彼等を復権させて支援し続けてきた人たちにも。
はい、一億総懺悔で実質無責任はいりました。責任があるからこそ、政治家と同時に彼のようなレイシストを批判しなければならない。なんで政治家かマイナー活動家の間の二者択一になってるんだ。
>また、ヨーロッパのネオナチ系の団体に入会するのは、その多くが移民と職を奪い合わなければならない貧しい若者たちだと聞いています。日本の状況 もおそらくそれに似た面もあるかと思いますが、そうした若者たちの集団を単純に「極右のレイシスト」として「悪の権化」のように言って切り捨ててしまうの は正しいことなのか、とも思うのです。
まず、極右の台頭を移民のせいにするのがすでにネオナチのプロパガンダ。次に私も誰も彼らを「切り捨てろ」などと主張してない。彼らがそういう思想を持つに至った背景を理解し改善することと、主張の内容を肯定することは全く別の問題。極右へと若者が流れることを阻止するには、レイシズムが受け入れられないということをはっきりと示すべきであり、反原発等何かひとつでも良いことをすれば、それは問題にされないなどという形の「理解」を示すことは逆効果。
>Fondriestさんは左翼系の方として、・・・・Fondriestさんに、それを決める権利がおありになるのでしょうか。
私は左翼も右翼もいかなる政治団体にも属していない。「決める権利」など私にもお前にもありはしない。だが、意見を表明する権利は在る。
>>私個人としては、日本で脱原発が実現することはないと考えています。その理由は運動論等のテクニカルな ものではなく、ただ日本の社会がそ のような変化を可能にするような条件を欠いているからです。それが白日の 下に晒されているのが現状であり、お二人の議論はその象徴にしか見えません。
ええと・・・???つまりは脱原発はあきらめてるので、傍観されるということですか?私たちのような「わかっていない連中」とは一緒にはやれないということなら、今さら何も言われることはないように思えるのですが。
実現可能性の評価とコミットメントを混同するな。精神論で思い込めば勝てるという末期の日本軍か?私はドイツ在住なのでその意味では「傍観」せざるを得ないが、なぜこんな文を書いているか考えろよ。
>バカ二人へ
お前たちは「私」から逃げることは出来ない。私はお前たちを知性と誠実さを欠いた偽善者と見なしている。だが、君らの信条に従うなら「気に入らない見解を持つ相手」でも一緒に戦えるのだろう?お前たちにとってはレイシスズムは所詮受け入れ可能なものに過ぎない。本当に意見を異にするのは「私」だ。お前たちの「寛容さ」を「私」にも見せることが出来ないなら、「共闘“運動”の真意 」などデタラメということだ。「みんななかよく」と主張する者達が「おまえは俺たちと仲良くしない」と少数者を排除するのは子供のときから飽きるほど見て来た。それは他者を排除するソフトで見てくれの良いツールに過ぎない。お前たちを嘲り続ける「私」と共闘して見せろよw
さて、青い鳥さん、風鈴草さんどう感じてられます?怒ってます?傷つきましたか?悔しいですか?もしなんとも思わないなら私の力がまだ足りないということでしょう。まず、誤解して欲しくないのはあなた達への批判の内容自体は煽りではありません。それについては根拠を挙げたつもりです。そしてレイシズムというのはこんなものとは比べ物にならない理不尽な差別であり暴力だということです。あなた達はレイシストとの共闘を説くことでマイノリティにそれを受け入れるように仕向けているという事です。被災した「外国人」が脱原発運動にレイシストが参加しているに留まらず壇上に上げられるような事態をどんな気持ちで見るか想像出来ますか?私はドイツ在住でこの地でマイノリティの一人として生きていますので、仮にドイツの反原発運動がネオナチと共闘するならばそんな運動など滅んでしまえ、と間違いなく思うでしょう。それは「我々」のためにはお前たちを犠牲にするというメッセージに他なりませんから。そのことをお考えください。
とここまで書いてネットを見たら、青い鳥さんが愚にも付かない「反論」をしてますね。謝罪も無意味にしてしますし、10回良い事を書けば、1回悪いことを書いても差し引き9で自分は良い人と考えてるようです。本当に予想の斜め上で笑えます。共闘を支持したということ自体を認めないなら上記の文も無駄になるわけで、私の中の暗黒面がムクムクと頭を擡げてきますが、止めておきましょう。あとは秋原さんにお任せします。
Fondriestよ、恥知らずなのはどちらだ
今までの議論を見せてもらって、一言で言わせてもらいましょうか。
「恥知らずなのはどちらなのですか」と。そちらさんの教条主義はネット右翼の思想と全く変わりないですな。どう違うのか、私に説明してもらおうじゃありませんか。
ぽむ氏と青い鳥氏との間にはそれなりの議論が成り立っていたのはなぜか指摘してあげましょうか。ぽむ氏は批判しながらも青い鳥氏に敬意を示しています。そちらさんは最初から自分の意にあわないからとけんか腰だけでしょう。ぽむ氏の名前を借りただけで全く異なる代物であると断定せざるを得ませんな。
久野収氏のせりふ「なんとかの穴まで連帯を求めたいのかね」をそちらさんに差し上げましょう(あまりにも下品な言葉なのであえて伏せますがね)。秋原さんにも失礼な暴言に私も反撃させてもらいます。私はあなたのような人間には言論のプラットホームであるブログを開放するつもりは全くありません。秋原さんはそちらさんと青い鳥氏、風鈴層氏との仲介をしたのにその顔に泥を塗ったと言う事なのですよ。
むしろ私ならIPアドレスを強制公開してどこのプロバイダーからアクセスしているかを強制公表し、アクセスを禁止させてもらいます。直ちに青い鳥氏と風鈴草氏、秋原氏に実名で謝罪しなさい。それが嫌ならインターネットを今すぐやめて、ブックオフで社会に関して書かれている本を多く読みなさい。あまりの無知さに呆れますよ。
そちらさんは極左の日垣隆とそっくりそのままですな。彼は佐高信氏を誹謗中傷してその結果自分の矛盾を暴かれて公式サイトを閉鎖して逃げているチキンですが、そちらさんはブログすらも開設しないと言う意味でもすでにチキンですな。
秋原さん、すみません。
この恥知らずにはきちんと私からも反撃しておく必要があります。採用するか否かはあなたにゆだねますが、ネチケットを守っていない暴言には私からも厳しく反撃しておかねばなりません。
この種の輩などには反撃する価値はありませんが、あまりにもひどい暴言なので私もきっちり一言言い返しておかねばならないと思い反撃させてもらいます。すみません。
「恥知らずなのはどちらなのですか」と。そちらさんの教条主義はネット右翼の思想と全く変わりないですな。どう違うのか、私に説明してもらおうじゃありませんか。
ぽむ氏と青い鳥氏との間にはそれなりの議論が成り立っていたのはなぜか指摘してあげましょうか。ぽむ氏は批判しながらも青い鳥氏に敬意を示しています。そちらさんは最初から自分の意にあわないからとけんか腰だけでしょう。ぽむ氏の名前を借りただけで全く異なる代物であると断定せざるを得ませんな。
久野収氏のせりふ「なんとかの穴まで連帯を求めたいのかね」をそちらさんに差し上げましょう(あまりにも下品な言葉なのであえて伏せますがね)。秋原さんにも失礼な暴言に私も反撃させてもらいます。私はあなたのような人間には言論のプラットホームであるブログを開放するつもりは全くありません。秋原さんはそちらさんと青い鳥氏、風鈴層氏との仲介をしたのにその顔に泥を塗ったと言う事なのですよ。
むしろ私ならIPアドレスを強制公開してどこのプロバイダーからアクセスしているかを強制公表し、アクセスを禁止させてもらいます。直ちに青い鳥氏と風鈴草氏、秋原氏に実名で謝罪しなさい。それが嫌ならインターネットを今すぐやめて、ブックオフで社会に関して書かれている本を多く読みなさい。あまりの無知さに呆れますよ。
そちらさんは極左の日垣隆とそっくりそのままですな。彼は佐高信氏を誹謗中傷してその結果自分の矛盾を暴かれて公式サイトを閉鎖して逃げているチキンですが、そちらさんはブログすらも開設しないと言う意味でもすでにチキンですな。
秋原さん、すみません。
この恥知らずにはきちんと私からも反撃しておく必要があります。採用するか否かはあなたにゆだねますが、ネチケットを守っていない暴言には私からも厳しく反撃しておかねばなりません。
この種の輩などには反撃する価値はありませんが、あまりにもひどい暴言なので私もきっちり一言言い返しておかねばならないと思い反撃させてもらいます。すみません。
唖然とするばかりです…。
>Fondriestさん…、 わたしには、もう結構ですので、風鈴草さんと、秋原葉月さんには、謝罪されることを、願うばかりです…。あなたの差別を憎むお気持ちは理解できますが、議論相手を罵倒してはいけませんよ…、自分にかえってきますよ…、老婆心ながら…。もうあなたとは議論のしようがありません。
>小野 哲様…、
いつも感謝します。わたしは、ネトウヨblogでも、こんな口汚い悪罵を受けた経験はありません。悲しく思うばかりです…。(笑)
>小野 哲様…、
いつも感謝します。わたしは、ネトウヨblogでも、こんな口汚い悪罵を受けた経験はありません。悲しく思うばかりです…。(笑)
Fondriestさんへ
私も右翼団体との共闘つまり、デモや集会、シンポジウムなどでの共同企画、共同声明を出すことには
反対です。
しかし、自由参加のデモに彼らが加わること、彼らは彼らで脱原発の主張をすることまで
排除しようとするべきではありません。
彼らの自由は自由として尊重されなければなりません。
そして、あなたの青い鳥さんや風鈴草さんへの暴言を読むと、
過激な宗教原理主義、教条主義、過激派に通じるような、行き過ぎた正義に見る危うさを
ひしひしと感じますね。
あなたのその相手を愚弄する暴言の数々、見るに耐えません。
青い鳥さんも風鈴草さんもこちらのブログのよき理解者であり、
連帯する上での仲間だと思います。
違う考えの部分があるからといって、そこまでの暴言を相手にぶつけることに
私は強烈な違和感を感じます。
以下、旧約聖書の聖句から
「 わたしはこのむなしい人生において、もろもろの事を見た。
そこには義人がその義によって滅びることがあり、
悪人がその悪によって長生きする事がある。あなたは義に過ぎてはならない。
また、賢きに過ぎてはならない。あなたはどうして自分を滅ぼしてよかろうか」
(コヘレトの言葉 7章より)
反対です。
しかし、自由参加のデモに彼らが加わること、彼らは彼らで脱原発の主張をすることまで
排除しようとするべきではありません。
彼らの自由は自由として尊重されなければなりません。
そして、あなたの青い鳥さんや風鈴草さんへの暴言を読むと、
過激な宗教原理主義、教条主義、過激派に通じるような、行き過ぎた正義に見る危うさを
ひしひしと感じますね。
あなたのその相手を愚弄する暴言の数々、見るに耐えません。
青い鳥さんも風鈴草さんもこちらのブログのよき理解者であり、
連帯する上での仲間だと思います。
違う考えの部分があるからといって、そこまでの暴言を相手にぶつけることに
私は強烈な違和感を感じます。
以下、旧約聖書の聖句から
「 わたしはこのむなしい人生において、もろもろの事を見た。
そこには義人がその義によって滅びることがあり、
悪人がその悪によって長生きする事がある。あなたは義に過ぎてはならない。
また、賢きに過ぎてはならない。あなたはどうして自分を滅ぼしてよかろうか」
(コヘレトの言葉 7章より)
>フリスキーさんへ
ありがとうございます。
>過激な宗教原理主義、教条主義、過激派に通じるような、行き過ぎた正義に見る危うさを
ひしひしと感じますね。
小野 哲さんも、ご指摘された通り、わたしが“ちゃちなイデオロギー”としたこと…、まさにフリスキーさんが記されたこのことなんですね…、、、
>以下、旧約聖書の聖句から
「 わたしはこのむなしい人生において、もろもろの事を見た。
そこには義人がその義によって滅びることがあり、
悪人がその悪によって長生きする事がある。あなたは義に過ぎてはならない。
また、賢きに過ぎてはならない。あなたはどうして自分を滅ぼしてよかろうか」
(コヘレトの言葉 7章より)
「そこには義人がその義によって滅びることがあり、
悪人がその悪によって長生きする事がある。」…、これは、本当に、心しなければならない大切にして示唆に富んだ戒めですね…。 小野哲さんにも、日頃色々な、故事・格言を教わってますが、やはり人生、尽き果てるまで勉強しなければなりませんね…。(笑)
>過激な宗教原理主義、教条主義、過激派に通じるような、行き過ぎた正義に見る危うさを
ひしひしと感じますね。
小野 哲さんも、ご指摘された通り、わたしが“ちゃちなイデオロギー”としたこと…、まさにフリスキーさんが記されたこのことなんですね…、、、
>以下、旧約聖書の聖句から
「 わたしはこのむなしい人生において、もろもろの事を見た。
そこには義人がその義によって滅びることがあり、
悪人がその悪によって長生きする事がある。あなたは義に過ぎてはならない。
また、賢きに過ぎてはならない。あなたはどうして自分を滅ぼしてよかろうか」
(コヘレトの言葉 7章より)
「そこには義人がその義によって滅びることがあり、
悪人がその悪によって長生きする事がある。」…、これは、本当に、心しなければならない大切にして示唆に富んだ戒めですね…。 小野哲さんにも、日頃色々な、故事・格言を教わってますが、やはり人生、尽き果てるまで勉強しなければなりませんね…。(笑)
勿論謝罪なんかじゃありません
「美麗字句」じゃなくて「美辞麗句」だ・・・orz
皆さんへ
あなた達には少しネタがきつ過ぎたんですかね。でも恐らくそうじゃないですね。罵倒は半分本気で半分は意図的に感情を逆撫でするように書きましたが。しかし、反応するところがそこだけで内容は無視ですか・・・。私はむしろ罵倒が全てネタだと思われたら嫌だなと思ったんですが。
まず言っておきますが、私の最初のコメントには多少の皮肉があっても罵倒はありませんね。全くフレンドリーにしなかったのはぽむさんの指摘を二人が全く無かったかのようにスルーしていたからです。
それに対していきなり私をデマゴーグ呼ばわり(これは罵倒ですね)して対話を拒否したのは青い鳥さんの側です。彼の「真意」はともかく、彼の「激しい同意」がレイシストの容認につながるという解釈についてはあなた方の敬愛する秋原さんもかなりの蓋然性をもって同意されてますね。もしそうでないならそれを説明すればいいだけのことになのに、そこには触れず自分の信念だけを根拠にされても逃げているとしか判断できません。一方、風鈴草さんのレスはそれこそ詭弁だらけの酷いものでした。その冠たるものは「針谷氏は本当に信じているから」でしょう。
いやー正直頭がくらくらしましたよ。私の悪い癖で相手が余り酷すぎるとやる気をなくすんでスルーしようかなと思いましたが、問題が問題だけに続けるかと。ただ秋原さんから配慮をお願いされたので、最初に書いたものに罵倒分を追加して彼らがレイシストを認容する事がマイノリティに何を強いているのか自覚して欲しいと思うと同時に半分は私の怒りの表現としてああまとめたんですがね。まあ、私があなた方の能力を見誤ったということですか。
それで内容についての反論は一切なしですか。まあ、反論するに値しないとかとかそんなのでお茶を濁すんでしょうね。つまんねえ。
>右翼との連帯について
彼らと共同してデモ、集会を企画するなどは当然問題外です。
自由参加型のデモについて私は詳しいことは知りませんが、針谷氏は組合等が旗を掲げることを非難しているようですが、https://twitter.com/giyuugungityou/status/218711989487280128 一方で日の丸は掲げられていたようですね。日本では国旗は中立的なものとは言いがたいので、組合等がダメなら旗は国旗も禁止するべきでしょう。そうであれば参加自体は構わないでしょう。
あと、私は彼らと個人的にお酒を飲むなんていうのは考えられないですね。個人的に「良い人」であってもレイシズムで他人を貶めている以上、その貶められた人に申し訳ないですから。
>フリスキーさんへ
「排除」という語句の一致をもって内容も無くそのような事を言うとはずいぶんお気楽な批判ですね。それから上にあるように私は自由参加型のデモへの彼らの参加に反対するつもりは毛頭ありませんが。勝手に決め付けないでください。
>青い鳥さんも風鈴草さんもこちらのブログのよき理解者であり、
連帯する上での仲間だと思います。
違う考えの部分があるからといって、そこまでの暴言を相手にぶつけることに
私は強烈な違和感を感じます。
これは彼らのデタラメや暴言は仲間だから不問にすると解釈していいんですね。 そうでないなら彼らの発言を擁護してください。
>小野哲さんへ
うわー恐い恐いw 議論の内容には何も踏み込んでなくて、結局礼儀のことしか言えないなら黙ってればいいのに。喧嘩売るならもっと上手に売ってくれないと相手も出来ませんね。
>青い鳥さんへ
あなたはぽむさんの
>>ちゃちなイデオロギーなる呪縛に束縛され、様々な市民と連帯ができないこと程、残念で阿保らしいことはないですよ…。
>慰安婦問題はじめ歴史修正主義に対する批判は、ちゃちなイデオロギーなる呪縛による束縛ではありませんよ。それこそ、イデオロギーに関係ない左右を越えた問題です。
に対して「謝罪」したんですよ。
>わたしの言わんとする“ちゃちなイデオロギー”とは…、わたしにレッテルをはられたことの様なことを指している訳なんですよ…、建設的提言をしている者に 対し、一方的に“差別の容認だ。”などとレッテルばりをする、反党分子、日和見主義、修正主義だと決めつけ罵倒する…等々の不毛なものを指しているんです よ…。
いやーすごい日和見主義で、修正主義ですね。 ああ、単なる嘘吐きか。
>秋原葉月さんへ
結局この方々は仲間内の馴れ合いのほうが大事なのだとよく分かりました。これではまともな議論など起こりようもないし、日本社会の変革など今のところ不可能だという確信をさらに強くしました。御同情します。
皆さんへ
あなた達には少しネタがきつ過ぎたんですかね。でも恐らくそうじゃないですね。罵倒は半分本気で半分は意図的に感情を逆撫でするように書きましたが。しかし、反応するところがそこだけで内容は無視ですか・・・。私はむしろ罵倒が全てネタだと思われたら嫌だなと思ったんですが。
まず言っておきますが、私の最初のコメントには多少の皮肉があっても罵倒はありませんね。全くフレンドリーにしなかったのはぽむさんの指摘を二人が全く無かったかのようにスルーしていたからです。
それに対していきなり私をデマゴーグ呼ばわり(これは罵倒ですね)して対話を拒否したのは青い鳥さんの側です。彼の「真意」はともかく、彼の「激しい同意」がレイシストの容認につながるという解釈についてはあなた方の敬愛する秋原さんもかなりの蓋然性をもって同意されてますね。もしそうでないならそれを説明すればいいだけのことになのに、そこには触れず自分の信念だけを根拠にされても逃げているとしか判断できません。一方、風鈴草さんのレスはそれこそ詭弁だらけの酷いものでした。その冠たるものは「針谷氏は本当に信じているから」でしょう。
いやー正直頭がくらくらしましたよ。私の悪い癖で相手が余り酷すぎるとやる気をなくすんでスルーしようかなと思いましたが、問題が問題だけに続けるかと。ただ秋原さんから配慮をお願いされたので、最初に書いたものに罵倒分を追加して彼らがレイシストを認容する事がマイノリティに何を強いているのか自覚して欲しいと思うと同時に半分は私の怒りの表現としてああまとめたんですがね。まあ、私があなた方の能力を見誤ったということですか。
それで内容についての反論は一切なしですか。まあ、反論するに値しないとかとかそんなのでお茶を濁すんでしょうね。つまんねえ。
>右翼との連帯について
彼らと共同してデモ、集会を企画するなどは当然問題外です。
自由参加型のデモについて私は詳しいことは知りませんが、針谷氏は組合等が旗を掲げることを非難しているようですが、https://twitter.com/giyuugungityou/status/218711989487280128 一方で日の丸は掲げられていたようですね。日本では国旗は中立的なものとは言いがたいので、組合等がダメなら旗は国旗も禁止するべきでしょう。そうであれば参加自体は構わないでしょう。
あと、私は彼らと個人的にお酒を飲むなんていうのは考えられないですね。個人的に「良い人」であってもレイシズムで他人を貶めている以上、その貶められた人に申し訳ないですから。
>フリスキーさんへ
「排除」という語句の一致をもって内容も無くそのような事を言うとはずいぶんお気楽な批判ですね。それから上にあるように私は自由参加型のデモへの彼らの参加に反対するつもりは毛頭ありませんが。勝手に決め付けないでください。
>青い鳥さんも風鈴草さんもこちらのブログのよき理解者であり、
連帯する上での仲間だと思います。
違う考えの部分があるからといって、そこまでの暴言を相手にぶつけることに
私は強烈な違和感を感じます。
これは彼らのデタラメや暴言は仲間だから不問にすると解釈していいんですね。 そうでないなら彼らの発言を擁護してください。
>小野哲さんへ
うわー恐い恐いw 議論の内容には何も踏み込んでなくて、結局礼儀のことしか言えないなら黙ってればいいのに。喧嘩売るならもっと上手に売ってくれないと相手も出来ませんね。
>青い鳥さんへ
あなたはぽむさんの
>>ちゃちなイデオロギーなる呪縛に束縛され、様々な市民と連帯ができないこと程、残念で阿保らしいことはないですよ…。
>慰安婦問題はじめ歴史修正主義に対する批判は、ちゃちなイデオロギーなる呪縛による束縛ではありませんよ。それこそ、イデオロギーに関係ない左右を越えた問題です。
に対して「謝罪」したんですよ。
>わたしの言わんとする“ちゃちなイデオロギー”とは…、わたしにレッテルをはられたことの様なことを指している訳なんですよ…、建設的提言をしている者に 対し、一方的に“差別の容認だ。”などとレッテルばりをする、反党分子、日和見主義、修正主義だと決めつけ罵倒する…等々の不毛なものを指しているんです よ…。
いやーすごい日和見主義で、修正主義ですね。 ああ、単なる嘘吐きか。
>秋原葉月さんへ
結局この方々は仲間内の馴れ合いのほうが大事なのだとよく分かりました。これではまともな議論など起こりようもないし、日本社会の変革など今のところ不可能だという確信をさらに強くしました。御同情します。
Fondriestへ
Fondriestよ、そちらさんの暴言には失望した。
さっさと失せろ!そちらさんはオサマ・ビン・ラディンと同じ原理主義者だ。そんな原理主義者を相手にする暇はない。Hatenaのサイトも見せてもらったが失笑もので話にならない。ネウヨと同じである事を自ら証明したそちらさんとまともに議論しようとした結果痛い結果を見た青い鳥さんや風鈴草さんがかわいそうだ。それと、フリスキーさんにも失礼な事をしてくれたな。
そちらさんにいうことはそれだけだ。気に入らなかったらコメントはしないことだな。まあ、何とかは死ななくちゃ直らないとはそちらさんのことだな。
秋原さん、再三にわたり申し訳ありません。
あなたがかのものと議論をかみ合わせようと努力されている事は痛いぐらい良く分かります。しかし、その努力を水の泡にするFondriestの不見識には話になりません。
ですが、これでまともに議論が組み立てられるのか疑問でしたね。ぽむさんが正々堂々と青い鳥さんと議論を交わして最後には闖入者の私にも御礼をしたのに対してFondriestは最初から「俺様の言う事が全てだ」といわんばかりの態度です。
これでは左翼版ハシゲそのもので、対話すること自体が無理です。秋原さん、すみません。この輩へのコメントはしませんので。交わしても何の成果も得られないと判断し、Fondriestへのコメントは撤退させてもらいます。
http://b.hatena.ne.jp/Fondriest/
さっさと失せろ!そちらさんはオサマ・ビン・ラディンと同じ原理主義者だ。そんな原理主義者を相手にする暇はない。Hatenaのサイトも見せてもらったが失笑もので話にならない。ネウヨと同じである事を自ら証明したそちらさんとまともに議論しようとした結果痛い結果を見た青い鳥さんや風鈴草さんがかわいそうだ。それと、フリスキーさんにも失礼な事をしてくれたな。
そちらさんにいうことはそれだけだ。気に入らなかったらコメントはしないことだな。まあ、何とかは死ななくちゃ直らないとはそちらさんのことだな。
秋原さん、再三にわたり申し訳ありません。
あなたがかのものと議論をかみ合わせようと努力されている事は痛いぐらい良く分かります。しかし、その努力を水の泡にするFondriestの不見識には話になりません。
ですが、これでまともに議論が組み立てられるのか疑問でしたね。ぽむさんが正々堂々と青い鳥さんと議論を交わして最後には闖入者の私にも御礼をしたのに対してFondriestは最初から「俺様の言う事が全てだ」といわんばかりの態度です。
これでは左翼版ハシゲそのもので、対話すること自体が無理です。秋原さん、すみません。この輩へのコメントはしませんので。交わしても何の成果も得られないと判断し、Fondriestへのコメントは撤退させてもらいます。
http://b.hatena.ne.jp/Fondriest/
反ヘイトスピーチの会の公開質問について
有志の一人である北守さんの はてなダイアリの記事を冷静に読んでほしいです。
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20110627
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20110620
ついでに
右を参加させるな!!といった主張は誰がしてるんでしょうか!?
歴史修正主義と差別主義の問題は 右とか左とは別の次元にあります。ホロコースト否定論だったら、フランスではウルトラ左翼「老いたるモグラ」日本では千代田区労協の元活動家が有名です。
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20110627
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20110620
ついでに
右を参加させるな!!といった主張は誰がしてるんでしょうか!?
歴史修正主義と差別主義の問題は 右とか左とは別の次元にあります。ホロコースト否定論だったら、フランスではウルトラ左翼「老いたるモグラ」日本では千代田区労協の元活動家が有名です。
>Fondriest さん
「レイシズムというのはこんなものとは比べ物にならない理不尽な差別であり暴力だということです。あなた達はレイシストとの共闘を説くことでマイノリティにそれを受け入れるように仕向けているという事です。被災した「外国人」が脱原発運動にレイシストが参加しているに留まらず壇上に上げられるような事態をどんな気持ちで見るか想像出来ますか?」
おそらくFondriestさんの仰りたいことはこれに集約していると思います。
レイシストと共闘するということは自分がそのつもりはなくても気づかないうちにマイノリティに痛みを与えることがあるでしょう。
たとえば脱原発活動してみえる在日コリアンの方が、普段聞くに堪えない侮蔑を自分に向かって吐き散らしくる歴史修正主義者と連帯して一緒に脱原発の集会、デモ、声明等をやりなさいといわれたら、我慢できないものがあるだろうと想像します。
ただ、そのことを相手に伝えよう、理解してもらおうと思うのなら、私ならそういう方向で言葉を尽くします。
Fondriestさんが、最初にかなり罵倒した文章で書かれたのは、のちに書かれているように「レイシズムというのはこんなものとは比べ物にならない理不尽な差別であり暴力だということ」をわかってもらいたくて書かれたのだと私は理解しています(先ほどのコメントを読んでこう書いたのではありませんよ、コメントをいただく前にこれは下書きしてましたから)
でも残念ながら、逆効果にしかならない書き方だったのではないでしょうか。
理由は二つあります。
一つは、罵倒部分の文章が長すぎたことです。あれではとてもでないけど最後の「種明かし」までたどり着く前にバテます。ちょうどバカ殿のMBS記者会見を最後まで見るのが苦痛で見れなかった、という人が結構いたのと同じです。
もう一つはFondriestさんは、どうしても青い鳥さんを「レイシストとの共闘を説いている」ことにしておきたいように見えて仕方がないことです。
青い鳥さんは、レイシストと連帯するのはごめんだとはっきり仰っています。でもFondriestさんにはそれはいい加減な言い訳にしか見えないわけですよね。なぜなら青い鳥さんはこういうコメント→http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8589をしているから。
でももしこのコメントがあるから青い鳥さんのレイシストと連帯するのはごめんだという後の発言に納得いかないのであれば、どうしてこういうコメントをしたのかと青い鳥さんに問いただし、そのうえで、青い鳥さんの真意を判断してもいいのではないでしょうか。
そんなことから、Fondriestさんは、理解してもらう方向で言葉を使っているのではなく、お二人を罵倒、撃退する方向で言葉を使っていると受け取られても仕方がないと思います。
たとえFondriestさんの真意が「最初に書いたものに罵倒分を追加して彼らがレイシストを認容する事がマイノリティに何を強いているのか自覚して欲しい」という点にあったとしても、それは『あんたの「真意」など知ったことじゃない。書いた事から判断するだけだ。』ということになります。
また、風鈴草さんに関して言えば、歴史修正主義者と一緒にやっていく、と仰っているものの、どの程度一緒にやっていくことを想定してみえるのかまだわかりませんよね?
29日のような自由参加のデモで彼らを排除しない、という程度なのか、デモや集会や声明発表まで共同で行うことまで指しているのか・・・私はこの点を風鈴草さんに質問していますが、まだお答えをいただいていないので何とも言えません。
前者なら私とほとんど同意見ですから早計は控えたいと思いますが、もし後者なら、私なら脱原発の一点でレイシスト、歴史修正主義者と共闘、連帯するとはいかなる意味をもつのか、どういうことになるのか、ということを具体的に理解してもらえる方向で言葉を使いたいし、風鈴草さんへのコメントはそのように書いたつもりです。
ぽむさんは、レイシストとの共闘についてはFondriestさんと同じ意見をお持ちですが、お二人と理解し合う方向で言葉を使っていらっしゃいます。そこがFondriestさんとの違いだと思うのです。
私はFondriestさんが理解してもらう方向で言葉を使ってくださることを希望していますし、そういうコメントを是非いただいてみたいと思っています(皮肉ではありません)
私のブログはいつでも門戸を開いていますので、よろしければまたお越しください。
おそらくFondriestさんの仰りたいことはこれに集約していると思います。
レイシストと共闘するということは自分がそのつもりはなくても気づかないうちにマイノリティに痛みを与えることがあるでしょう。
たとえば脱原発活動してみえる在日コリアンの方が、普段聞くに堪えない侮蔑を自分に向かって吐き散らしくる歴史修正主義者と連帯して一緒に脱原発の集会、デモ、声明等をやりなさいといわれたら、我慢できないものがあるだろうと想像します。
ただ、そのことを相手に伝えよう、理解してもらおうと思うのなら、私ならそういう方向で言葉を尽くします。
Fondriestさんが、最初にかなり罵倒した文章で書かれたのは、のちに書かれているように「レイシズムというのはこんなものとは比べ物にならない理不尽な差別であり暴力だということ」をわかってもらいたくて書かれたのだと私は理解しています(先ほどのコメントを読んでこう書いたのではありませんよ、コメントをいただく前にこれは下書きしてましたから)
でも残念ながら、逆効果にしかならない書き方だったのではないでしょうか。
理由は二つあります。
一つは、罵倒部分の文章が長すぎたことです。あれではとてもでないけど最後の「種明かし」までたどり着く前にバテます。ちょうどバカ殿のMBS記者会見を最後まで見るのが苦痛で見れなかった、という人が結構いたのと同じです。
もう一つはFondriestさんは、どうしても青い鳥さんを「レイシストとの共闘を説いている」ことにしておきたいように見えて仕方がないことです。
青い鳥さんは、レイシストと連帯するのはごめんだとはっきり仰っています。でもFondriestさんにはそれはいい加減な言い訳にしか見えないわけですよね。なぜなら青い鳥さんはこういうコメント→http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8589をしているから。
でももしこのコメントがあるから青い鳥さんのレイシストと連帯するのはごめんだという後の発言に納得いかないのであれば、どうしてこういうコメントをしたのかと青い鳥さんに問いただし、そのうえで、青い鳥さんの真意を判断してもいいのではないでしょうか。
そんなことから、Fondriestさんは、理解してもらう方向で言葉を使っているのではなく、お二人を罵倒、撃退する方向で言葉を使っていると受け取られても仕方がないと思います。
たとえFondriestさんの真意が「最初に書いたものに罵倒分を追加して彼らがレイシストを認容する事がマイノリティに何を強いているのか自覚して欲しい」という点にあったとしても、それは『あんたの「真意」など知ったことじゃない。書いた事から判断するだけだ。』ということになります。
また、風鈴草さんに関して言えば、歴史修正主義者と一緒にやっていく、と仰っているものの、どの程度一緒にやっていくことを想定してみえるのかまだわかりませんよね?
29日のような自由参加のデモで彼らを排除しない、という程度なのか、デモや集会や声明発表まで共同で行うことまで指しているのか・・・私はこの点を風鈴草さんに質問していますが、まだお答えをいただいていないので何とも言えません。
前者なら私とほとんど同意見ですから早計は控えたいと思いますが、もし後者なら、私なら脱原発の一点でレイシスト、歴史修正主義者と共闘、連帯するとはいかなる意味をもつのか、どういうことになるのか、ということを具体的に理解してもらえる方向で言葉を使いたいし、風鈴草さんへのコメントはそのように書いたつもりです。
ぽむさんは、レイシストとの共闘についてはFondriestさんと同じ意見をお持ちですが、お二人と理解し合う方向で言葉を使っていらっしゃいます。そこがFondriestさんとの違いだと思うのです。
私はFondriestさんが理解してもらう方向で言葉を使ってくださることを希望していますし、そういうコメントを是非いただいてみたいと思っています(皮肉ではありません)
私のブログはいつでも門戸を開いていますので、よろしければまたお越しください。
>Fondriest さん
あなたは、全く呆れ返るお方ですね…。わたしの言質に対してイチャモンをつけるのであれば良いが、他の方々を侮辱することは、断じてこのわたしが許さない!。
あなたの発言はあなたの嫌う“ヘイトスピーチ”そのものですよ…。わたしの拙いコメントにより、秋原葉月さんはじめ皆さんに大変不愉快な思いをさせてしまい…、不本意で大変申し訳ありません 。
こうゆうと、またあなたは、偽善者だの、仲良し云々と揶揄するが、その言葉がどれだけ、ひとの心を深く傷つけるか、考えたことがあるかね、君は…。君の言葉そのものが差別発言だぞ!!!。
君が侮辱した皆さんに謝罪するのが人間としての常識だと考えるが…。
最後にこれだけは言っておく、こちらのblogに集われるご常連さんは、誰ひとりとして差別・レイシズムを容認される方は存在しないことを!!!。もう一度だけ警告する、あなたが侮辱した…、風鈴草さん、小野哲さん、フリスキーさん、秋原葉月さんに心からの謝罪をし給え!!!。あなたは、著しく「Afternoon-Cafe」さんを侮辱し貶めた自覚がないようだが、それでは、この社会、生きてゆけませんよ…。ほんとうに…、社会人としての礼儀と常識を身につけることが、あなたにとってまず、やるべきことだと思うよ…。
あなたの発言はあなたの嫌う“ヘイトスピーチ”そのものですよ…。わたしの拙いコメントにより、秋原葉月さんはじめ皆さんに大変不愉快な思いをさせてしまい…、不本意で大変申し訳ありません 。
こうゆうと、またあなたは、偽善者だの、仲良し云々と揶揄するが、その言葉がどれだけ、ひとの心を深く傷つけるか、考えたことがあるかね、君は…。君の言葉そのものが差別発言だぞ!!!。
君が侮辱した皆さんに謝罪するのが人間としての常識だと考えるが…。
最後にこれだけは言っておく、こちらのblogに集われるご常連さんは、誰ひとりとして差別・レイシズムを容認される方は存在しないことを!!!。もう一度だけ警告する、あなたが侮辱した…、風鈴草さん、小野哲さん、フリスキーさん、秋原葉月さんに心からの謝罪をし給え!!!。あなたは、著しく「Afternoon-Cafe」さんを侮辱し貶めた自覚がないようだが、それでは、この社会、生きてゆけませんよ…。ほんとうに…、社会人としての礼儀と常識を身につけることが、あなたにとってまず、やるべきことだと思うよ…。
秋原葉月さん
>被災した「外国人」が脱原発運動にレイシストが参加しているに留まらず壇上に上げられるような事態をどんな気持ちで見るか想像出来ますか?」
おそらくFondriestさんの仰りたいことはこれに集約していると思います。
あの方の真意は、秋原葉月さんのご指摘でようやく理解できました。レイシズムを憎む気持ちは、わたしたちと同じなのに、議論の仕方に問題があるとわたしは思います。
おそらくFondriestさんの仰りたいことはこれに集約していると思います。
あの方の真意は、秋原葉月さんのご指摘でようやく理解できました。レイシズムを憎む気持ちは、わたしたちと同じなのに、議論の仕方に問題があるとわたしは思います。
Fondriestさんへ
>「排除」という語句の一致をもって内容も無くそのような事を言うとは
>ずいぶんお気楽な批判ですね。それから上にあるように私は自由参加型の
>デモへの彼らの参加に反対するつもりは毛頭ありませんが。勝手に決め付けないでください。
いいえ、決めつけていません。
私が決め付けていると言う、あなたことが勝手な決め付けを私に対してしています。
私は、以前のコメントで、以下のように書きました。
>右翼サイドの脱原発運動についてなのですが、
>まず、“共闘”“排除”という言葉の指し示す範囲を考えなくてはなりません。
>思うに、“共闘”と言ったとき、反原発のデモや集会、シンポジウムなどの企画を共同で主催する
>という話になると、右翼の参加を忌避することは理解できます。
>ただ、
>自由参加型のデモに参加者として加わることまで“排除”するとなると別の話になると思います。
これに対して秋原さんは、
>フリスキーさんと同意見です。
>http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8649
>まず、
>1.連帯、共闘、とはなにか、どこまでを指すか、のコンセンサスをとった方が良いですね。
このようにおっしゃって、
連帯、共闘の意味内容を両者において擦り合わせる必要性を指摘しておられます。
つまりですね、
右翼との共闘の是非についての今までの議論では、この部分が曖昧にされたままに
進めらていたから、まずここを明らかにする必要があると私は指摘したし、
この点について、秋原さんも同意されておられるのです。
それとね、
あなたは、異論に対してあまりに感情的になりすぎです。
レイシズムへの憤りは共感しますが、
しかし、その暴言の数々は、もはや粗野で乱暴であなたの人間性を
疑わせるレベルのものです。
次に、
青い鳥さんや風鈴草さんの書き込みをどう読んでも、レイシズムを容認しているとは
読み取れません。
あくまで脱原発のアクションにおいて、右翼との部分的共闘を容認はしていても、
右翼の歴史認識、ナショナリズム、レイシズムの部分までも容認していることにはなりません。
はっきり言って、あなたの主張は論理構成がすっ飛んでいますよ。
私も反レイシズムであり、反歴史修正主義を支持しています。
しかし、あなたの場合、
反レイシズムや反歴史修正主義を金科玉条にして、これを武器に、レイシストでも歴史修正主義者でもない
他者を責め立てる攻撃的な原理主義に陥っていると思いますね。
あなたは、青い鳥さん、風鈴草さん、小野哲さんへの謝罪をするべきです。
>ずいぶんお気楽な批判ですね。それから上にあるように私は自由参加型の
>デモへの彼らの参加に反対するつもりは毛頭ありませんが。勝手に決め付けないでください。
いいえ、決めつけていません。
私が決め付けていると言う、あなたことが勝手な決め付けを私に対してしています。
私は、以前のコメントで、以下のように書きました。
>右翼サイドの脱原発運動についてなのですが、
>まず、“共闘”“排除”という言葉の指し示す範囲を考えなくてはなりません。
>思うに、“共闘”と言ったとき、反原発のデモや集会、シンポジウムなどの企画を共同で主催する
>という話になると、右翼の参加を忌避することは理解できます。
>ただ、
>自由参加型のデモに参加者として加わることまで“排除”するとなると別の話になると思います。
これに対して秋原さんは、
>フリスキーさんと同意見です。
>http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8649
>まず、
>1.連帯、共闘、とはなにか、どこまでを指すか、のコンセンサスをとった方が良いですね。
このようにおっしゃって、
連帯、共闘の意味内容を両者において擦り合わせる必要性を指摘しておられます。
つまりですね、
右翼との共闘の是非についての今までの議論では、この部分が曖昧にされたままに
進めらていたから、まずここを明らかにする必要があると私は指摘したし、
この点について、秋原さんも同意されておられるのです。
それとね、
あなたは、異論に対してあまりに感情的になりすぎです。
レイシズムへの憤りは共感しますが、
しかし、その暴言の数々は、もはや粗野で乱暴であなたの人間性を
疑わせるレベルのものです。
次に、
青い鳥さんや風鈴草さんの書き込みをどう読んでも、レイシズムを容認しているとは
読み取れません。
あくまで脱原発のアクションにおいて、右翼との部分的共闘を容認はしていても、
右翼の歴史認識、ナショナリズム、レイシズムの部分までも容認していることにはなりません。
はっきり言って、あなたの主張は論理構成がすっ飛んでいますよ。
私も反レイシズムであり、反歴史修正主義を支持しています。
しかし、あなたの場合、
反レイシズムや反歴史修正主義を金科玉条にして、これを武器に、レイシストでも歴史修正主義者でもない
他者を責め立てる攻撃的な原理主義に陥っていると思いますね。
あなたは、青い鳥さん、風鈴草さん、小野哲さんへの謝罪をするべきです。
Fondriestさんへの追伸
民主主義と自由主義を脅かすものは、ナショナリズムやレイシズム、独裁、全体主義だけでは
ありませんよ。
“不寛容”というものがあります。あなたの主張の仕方は、“粛清”を彷彿とさせるもので、
これでは、左翼サイドからの全体主義に陥ってしまう危惧を私は感じますね。
過去に犯した左翼の過ちをあなたの中に見る思いです。
ありませんよ。
“不寛容”というものがあります。あなたの主張の仕方は、“粛清”を彷彿とさせるもので、
これでは、左翼サイドからの全体主義に陥ってしまう危惧を私は感じますね。
過去に犯した左翼の過ちをあなたの中に見る思いです。
一連の議論を見て
Fondriestさん
反原発とレイシズムを肯定するべきできないというのは当然だと思いますが、
ぽむさんに対して何も言及しないのはなぜなんでしょうか?
青い鳥さんの「謝罪」があった後も、青い鳥さんも風鈴草さんも持論を撤回したわけではありません。にもかかわらず、ぽむさんは
>暖かいレスをありがとうございました。お話できてよかったです。これからもよろしくお願いします。
と青い鳥さんや風鈴草さんを批判するどころか、感謝の言葉まで述べています。
Fondriestさんの言葉を借りれば、「レイシストとの共闘を美麗字句で肯定する」風鈴草さんやそれを「容認」する青い鳥さんに糾弾はおろか、感謝の言葉を述べて「優しい」態度で矛を収めたぽむさんも同じように責めるべきじゃないでしょうか?
ぽむさんのこういう姿勢について何も責めないFondriestさんもまた、レイシズムに甘いように思えますが、違いますか。
それともぽむさんについて語らないのは何か深い考えがあってのことですか。もしそのお考えがありましたら、聞かせてもらえれば幸いです。
反原発とレイシズムを肯定するべきできないというのは当然だと思いますが、
ぽむさんに対して何も言及しないのはなぜなんでしょうか?
青い鳥さんの「謝罪」があった後も、青い鳥さんも風鈴草さんも持論を撤回したわけではありません。にもかかわらず、ぽむさんは
>暖かいレスをありがとうございました。お話できてよかったです。これからもよろしくお願いします。
と青い鳥さんや風鈴草さんを批判するどころか、感謝の言葉まで述べています。
Fondriestさんの言葉を借りれば、「レイシストとの共闘を美麗字句で肯定する」風鈴草さんやそれを「容認」する青い鳥さんに糾弾はおろか、感謝の言葉を述べて「優しい」態度で矛を収めたぽむさんも同じように責めるべきじゃないでしょうか?
ぽむさんのこういう姿勢について何も責めないFondriestさんもまた、レイシズムに甘いように思えますが、違いますか。
それともぽむさんについて語らないのは何か深い考えがあってのことですか。もしそのお考えがありましたら、聞かせてもらえれば幸いです。
議論を見ていて
私自身は、国家公務員法第102条及び人事院規則一四-七の規定により、ネット等での政治的発言が禁じられている身分です。(踏み越えそうになっているのは内緒で(苦笑))
ですので、ここでは内容については出来うる限り触れずに、この議論に関する私の見解を書きたいと思います。
Fondriest 様
貴殿は、「排除の論理」という言葉に聞き覚えがありますでしょうか?
「~とは(別の案件)で意見が合わなかったので、現在問題になっている案件で共闘する仲間から排除すべきだ」というものです。この論理で、1回目の「非自民政権」は瓦解しました。
貴殿の論理構成を見ていると、この言葉が頭に浮かびます。
当該問題について、「利用しようとしている者(つまり人気取りのために自分の考え方を曲げている者)」については、排除すべきものと私は考えますが、真にその問題について、意見の一致があるのであれば共闘すべきと私は考えますが、貴殿の考え方はいかがでしょうか?
小野哲様
対話・・・してみましょうよ・・・レッテル張りはよくないように私には思えます。
青い鳥様、風鈴草様
私はその方について詳しくは知りませんが、その方が、「利用しようとしている者(つまり人気取りのために自分の考え方を曲げている者)」である可能性とかを考えてみておられますでしょうか?そのあたりについて、連帯する前に詳しく検討されるべきかもしれません。
ですので、ここでは内容については出来うる限り触れずに、この議論に関する私の見解を書きたいと思います。
Fondriest 様
貴殿は、「排除の論理」という言葉に聞き覚えがありますでしょうか?
「~とは(別の案件)で意見が合わなかったので、現在問題になっている案件で共闘する仲間から排除すべきだ」というものです。この論理で、1回目の「非自民政権」は瓦解しました。
貴殿の論理構成を見ていると、この言葉が頭に浮かびます。
当該問題について、「利用しようとしている者(つまり人気取りのために自分の考え方を曲げている者)」については、排除すべきものと私は考えますが、真にその問題について、意見の一致があるのであれば共闘すべきと私は考えますが、貴殿の考え方はいかがでしょうか?
小野哲様
対話・・・してみましょうよ・・・レッテル張りはよくないように私には思えます。
青い鳥様、風鈴草様
私はその方について詳しくは知りませんが、その方が、「利用しようとしている者(つまり人気取りのために自分の考え方を曲げている者)」である可能性とかを考えてみておられますでしょうか?そのあたりについて、連帯する前に詳しく検討されるべきかもしれません。
ブリーチャー・バムさんへ
なるほど。
Fondriestさんは、青い鳥さんや風鈴草さんが、右翼との脱原発運動の共闘を肯定しただけで、
レイシズムを容認したと断じているわけですが、
一方、ぽむさんは、青い鳥さんたちとの交流に感謝し、これからもよろしくお願いしますという暖かい言葉で、
今後の交流をお求めになっているわけですから、
ぽむさんもまた、間接的な形で少なからずレイシズムを容認したということになってしまいますね(笑)
Fondriestさんは、青い鳥さんや風鈴草さんが、右翼との脱原発運動の共闘を肯定しただけで、
レイシズムを容認したと断じているわけですが、
一方、ぽむさんは、青い鳥さんたちとの交流に感謝し、これからもよろしくお願いしますという暖かい言葉で、
今後の交流をお求めになっているわけですから、
ぽむさんもまた、間接的な形で少なからずレイシズムを容認したということになってしまいますね(笑)
ブリーチャー・バムさん フリスキーさん
青い鳥さんはぽむさんの指摘の後謝罪して
>どのご主張も、理に適っており、どれも異論はございません。非常に勉強になりました。ただ、わたしの訴えたいところは、・庶民の暮らしが危機にある現在、どう庶民の暮らしを守るのか?
とコメントしてますが、いったいどこで彼が意見を変えていないと判断しているのですか?その後ぽむさんの最後の投稿があり、風鈴草さんが針谷氏がどんな人物であるか知ったにも拘らず、共闘を支持しそれをさらに青い鳥さんが支持した後、私の投稿です。ぽむさんが歴史修正主義を容認したと読むことは不可能で、謝罪を聞いて安心して議論から抜けられたと解釈しましたが?
それから、仮にぽむさんが何らかの形で容認していたら当然それも批判したでしょうね。何か私とぽむさんの間に党派的なものがあるとか、私が青い鳥さんと風鈴草さんを特別に批判する理由があると考えてるんですか?
>どのご主張も、理に適っており、どれも異論はございません。非常に勉強になりました。ただ、わたしの訴えたいところは、・庶民の暮らしが危機にある現在、どう庶民の暮らしを守るのか?
とコメントしてますが、いったいどこで彼が意見を変えていないと判断しているのですか?その後ぽむさんの最後の投稿があり、風鈴草さんが針谷氏がどんな人物であるか知ったにも拘らず、共闘を支持しそれをさらに青い鳥さんが支持した後、私の投稿です。ぽむさんが歴史修正主義を容認したと読むことは不可能で、謝罪を聞いて安心して議論から抜けられたと解釈しましたが?
それから、仮にぽむさんが何らかの形で容認していたら当然それも批判したでしょうね。何か私とぽむさんの間に党派的なものがあるとか、私が青い鳥さんと風鈴草さんを特別に批判する理由があると考えてるんですか?
こっぱなお役人(北方在住) さん
>「利用しようとしている者(つまり人気取りのために自分の考え方を曲げている者)」については、排除すべきものと私は考えますが、真にその問題について、意見の一致があるのであれば共闘すべきと私は考えますが、貴殿の考え方はいかがでしょうか?
私の立場は、たとえ針谷氏が心から脱原発を願っているとしても(私は別段それを疑っているわけではありません。ドイツでもネオナチは概ね反原発です)、共闘はするべきではない、です。理由は反レイシズムは他の点において妥協が許されるような諸問題のひとつではないからです。これについては秋原さんも述べられてますね。
私の立場は、たとえ針谷氏が心から脱原発を願っているとしても(私は別段それを疑っているわけではありません。ドイツでもネオナチは概ね反原発です)、共闘はするべきではない、です。理由は反レイシズムは他の点において妥協が許されるような諸問題のひとつではないからです。これについては秋原さんも述べられてますね。
みなさんに質問です。
特に右翼団体との共闘に反対をする方々に質問をしたいです。
以下、仮定の話です。
自分の住む自治体に被災地からの移住者が来たとします。
その中の一人と親しくなり、その人は原発事故によって田畑と生業を失い、
家族への放射能被害に日々不安を抱えて過ごしていたとします。
交流していく中で、彼は右翼的な思想を持っている人で、
南京大虐殺や従軍慰安婦には否定的な考え方を持っていたということが
わかったとします。
しかし、一方で、被災によって甚大な被害を受け原発の危険と不条理を痛感し、
こんなものは無くすべきだという強い憤りを持って立ち上がろうとしていたとします。
ある時、反原発デモの話になり、先の首相官邸前で行われたようなデモに一緒に行ってくれないかと
促されたとします。
さて、
皆さんは、彼の歴史認識を理由に同伴することを断りますでしょうか?
ちなみに、
私は、右翼団体との共闘は否定的な考えを持っていますが、
この場合、私は上の理由によって断るようなことはしないと思います。
時間的な余裕があれば、あと、性格的な相性に問題が無ければ、
おそらく同伴することにさほどの抵抗を感じないと思います。
なぜなら、彼、彼女の脱原発への思いが、冷やかしやまやかしの類ではなく、
痛切なものであるからです。
原理主義的に、彼、彼女との交流を拒むことは私には出来ません。
以下、仮定の話です。
自分の住む自治体に被災地からの移住者が来たとします。
その中の一人と親しくなり、その人は原発事故によって田畑と生業を失い、
家族への放射能被害に日々不安を抱えて過ごしていたとします。
交流していく中で、彼は右翼的な思想を持っている人で、
南京大虐殺や従軍慰安婦には否定的な考え方を持っていたということが
わかったとします。
しかし、一方で、被災によって甚大な被害を受け原発の危険と不条理を痛感し、
こんなものは無くすべきだという強い憤りを持って立ち上がろうとしていたとします。
ある時、反原発デモの話になり、先の首相官邸前で行われたようなデモに一緒に行ってくれないかと
促されたとします。
さて、
皆さんは、彼の歴史認識を理由に同伴することを断りますでしょうか?
ちなみに、
私は、右翼団体との共闘は否定的な考えを持っていますが、
この場合、私は上の理由によって断るようなことはしないと思います。
時間的な余裕があれば、あと、性格的な相性に問題が無ければ、
おそらく同伴することにさほどの抵抗を感じないと思います。
なぜなら、彼、彼女の脱原発への思いが、冷やかしやまやかしの類ではなく、
痛切なものであるからです。
原理主義的に、彼、彼女との交流を拒むことは私には出来ません。
>こっぱなお役人(北方在住)様…
>青い鳥様、風鈴草様
私はその方について詳しくは知りませんが、その方が、「利用しようとしている者(つまり人気取りのために自分の考え方を曲げている者)」である可能性とかを考えてみておられますでしょうか?そのあたりについて、連帯する前に詳しく検討されるべきかもしれません。
ありがとうございます。仰る通りですね…。
貴殿ご指摘の“排除の論理”ですが、これはせっかく国民的運動に盛り上がろという気運の重大な時期の今、さて、どの様に展開するかで全国へ波及し、為政者が無視できない状況にまで追い詰め、原発ゼロが現実のものになるか否かの勘どころだと思うんです。脱原発の実現を第一儀と捉えることが運動の主眼であり、全く別の問題で運動が弱体化してはならないと思います。それに、フリスキーさんもご指摘されましたが、あの20万人規模のデモで個個の思想・信条を判断することは、不可能ですよね。脱原発の一点での共闘を模索するのも良いのでは、と考えるのです。先の大阪市長選挙で日本共産党の候補者が立候補を辞退し“反独裁”“反橋下”の一点で公明党・みんなの党を除いた全ての主要政党が共闘し、平松さんを支持しました。自民党のなかには、右翼思想とシンクロする人物もたくさん存在します。が、自民党から日本共産党までが共闘しました。実に日本共産党が大阪市長選挙に候補者を出さなかったのは、実に50年(?)ぶりのことだったんですね…。これを“野合”と見るか?民主主義を守る尊い“共闘”と見るか?…。と本質は同じであると思っているところです。
私はその方について詳しくは知りませんが、その方が、「利用しようとしている者(つまり人気取りのために自分の考え方を曲げている者)」である可能性とかを考えてみておられますでしょうか?そのあたりについて、連帯する前に詳しく検討されるべきかもしれません。
ありがとうございます。仰る通りですね…。
貴殿ご指摘の“排除の論理”ですが、これはせっかく国民的運動に盛り上がろという気運の重大な時期の今、さて、どの様に展開するかで全国へ波及し、為政者が無視できない状況にまで追い詰め、原発ゼロが現実のものになるか否かの勘どころだと思うんです。脱原発の実現を第一儀と捉えることが運動の主眼であり、全く別の問題で運動が弱体化してはならないと思います。それに、フリスキーさんもご指摘されましたが、あの20万人規模のデモで個個の思想・信条を判断することは、不可能ですよね。脱原発の一点での共闘を模索するのも良いのでは、と考えるのです。先の大阪市長選挙で日本共産党の候補者が立候補を辞退し“反独裁”“反橋下”の一点で公明党・みんなの党を除いた全ての主要政党が共闘し、平松さんを支持しました。自民党のなかには、右翼思想とシンクロする人物もたくさん存在します。が、自民党から日本共産党までが共闘しました。実に日本共産党が大阪市長選挙に候補者を出さなかったのは、実に50年(?)ぶりのことだったんですね…。これを“野合”と見るか?民主主義を守る尊い“共闘”と見るか?…。と本質は同じであると思っているところです。
Re: 反ヘイトスピーチの会の公開質問について>dmpxさん
エントリ-のご紹介ありがとうございます。
> http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20110627
こちらの記事に共感しました。
私も過去に「絆」「頑張ろう日本」という言葉の胡散臭さについてこういうことを書いています。
> http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20110620
リンク先を全て見たわけではないのですが、こんな経緯だったんですね。
> ついでに
> 右を参加させるな!!といった主張は誰がしてるんでしょうか!?
んと、私はレイシスト、歴史修正主義者、という表現で通しましたが、だれか書いてましたっけ?
多分、日本のレイシスト、歴史修正主義者は極右がほとんどなのでざっくり右ってカテゴライズしたんじゃないかな、と思います。
> http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20110627
こちらの記事に共感しました。
私も過去に「絆」「頑張ろう日本」という言葉の胡散臭さについてこういうことを書いています。
> http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20110620
リンク先を全て見たわけではないのですが、こんな経緯だったんですね。
> ついでに
> 右を参加させるな!!といった主張は誰がしてるんでしょうか!?
んと、私はレイシスト、歴史修正主義者、という表現で通しましたが、だれか書いてましたっけ?
多分、日本のレイシスト、歴史修正主義者は極右がほとんどなのでざっくり右ってカテゴライズしたんじゃないかな、と思います。
>フリスキーさんへ…
>時間的な余裕があれば、あと、性格的な相性に問題が無ければ、
おそらく同伴することにさほどの抵抗を感じないと思います。
わたしも、全く同感です。
昨年のお盆に、岐阜市に避難してみえた福島の被災された方々との懇親と、犠牲になられた方々の御霊の鎮魂の意味を込め、岐阜市の長良川で精霊流しをしました。やはりフリスキーさんが記された通り皆さん生業を失われた方ばかりでした。その時、思想・信条なんか頭をよぎりもしませんでした。わたしも誘われたら一緒に参加しますよ…、喜んで…。
おそらく同伴することにさほどの抵抗を感じないと思います。
わたしも、全く同感です。
昨年のお盆に、岐阜市に避難してみえた福島の被災された方々との懇親と、犠牲になられた方々の御霊の鎮魂の意味を込め、岐阜市の長良川で精霊流しをしました。やはりフリスキーさんが記された通り皆さん生業を失われた方ばかりでした。その時、思想・信条なんか頭をよぎりもしませんでした。わたしも誘われたら一緒に参加しますよ…、喜んで…。
Fondriestさんへ
>とコメントしてますが、いったいどこで彼が意見を変えていないと判断しているのですか?
ちゃんとコメントを読んでご覧なさい。
>どのご主張も、理に適っており、どれも異論はございません。非常に勉強になりました。ただ、わたしの訴
>えたいところは、・庶民の暮らしが危機にある現在、どう庶民の暮らしを守るのか?
>脱原発運動を国民的ウネリに高める方策を考える時、個別に是是非非に、共闘可能なところとは、手を組む
>べきだ。と言いたいのです。
このように青い鳥さんはおっしゃっています。
青い鳥さんとぽむさんは、お互いの考え方と違いは違いとして認識した上で、
敬意を払っていることは小学生並みの文章読解があれば明明白白なことです。
あなたのような態度とはその点において一線を画しているのです。
やはり、あなたは反省するべきです。
ちゃんとコメントを読んでご覧なさい。
>どのご主張も、理に適っており、どれも異論はございません。非常に勉強になりました。ただ、わたしの訴
>えたいところは、・庶民の暮らしが危機にある現在、どう庶民の暮らしを守るのか?
>脱原発運動を国民的ウネリに高める方策を考える時、個別に是是非非に、共闘可能なところとは、手を組む
>べきだ。と言いたいのです。
このように青い鳥さんはおっしゃっています。
青い鳥さんとぽむさんは、お互いの考え方と違いは違いとして認識した上で、
敬意を払っていることは小学生並みの文章読解があれば明明白白なことです。
あなたのような態度とはその点において一線を画しているのです。
やはり、あなたは反省するべきです。
>青い鳥さん
一歩でも話を前に進めるために再掲してお聞きしますね。
青い鳥さんのこちらのコメントです。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8589
(引用開始)
2012.06.29 ( Fri ) 23:42:44
>気に入らない見解を持つ相手であっても、結局は自分と同じこの世界に生きています。「不倶戴天 --- 倶(とも)に天を戴かず --- の敵」という言葉もありますが、戦国時代のように殺し合って相手を排除することなど出来ない以上、この世界を分かち合って生きていくしかないでしょう。むしろ、「永遠の敵」として対立するのではなくて、いつか自分と同じ見解を持ってもらいたいと願うのであれば、別の「敵」に向かって一緒に戦うというのは好いチャンスになるかもしれません。一緒にやっていく中で、互いに相手の人間性を信じられるようになったら、異なる見解についても話し合う余地も生まれるかもしれないと思うのです。少なくとも、一旦、原発事故が起これば、右翼であろうと左翼であろうと、その人の持っている思想などには関係なく巻き込まれるのですから、等しく抗議する権利はあると思います。
(※これは風鈴草さんのコメントの引用)
激しく同意します。
(引用ココまで)
風鈴草さんはこの「気に入らない見解を持つ相手」の中に針谷氏の統一戦線義勇軍を含めていると私も感じます。で、風鈴草さんは彼らと一緒に闘うことをその後肯定しています。
そしてこの風鈴草さんのレスに青い鳥さんは「激しく同意」してるわけですね。
つまり、客観的にこのレスを読めば、青い鳥さんは統一戦線義勇軍との共闘を支持している、と解釈できるのです。
ですから、統一戦線義勇軍のような歴史修正主義者達と共闘なんてとんでもないと本当に思っているのなら、どうしてこういうレスをするのか、というFondriestさんの批判は一応筋が通っているのです。
差別を憎む青い鳥さんの情熱を私は重々承知していますが、それはとりあえず横に置いといて、何故こういう矛盾するように思えるレスをしたのかの説明をしてみるのはいかがですか?
青い鳥さんのこちらのコメントです。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8589
(引用開始)
2012.06.29 ( Fri ) 23:42:44
>気に入らない見解を持つ相手であっても、結局は自分と同じこの世界に生きています。「不倶戴天 --- 倶(とも)に天を戴かず --- の敵」という言葉もありますが、戦国時代のように殺し合って相手を排除することなど出来ない以上、この世界を分かち合って生きていくしかないでしょう。むしろ、「永遠の敵」として対立するのではなくて、いつか自分と同じ見解を持ってもらいたいと願うのであれば、別の「敵」に向かって一緒に戦うというのは好いチャンスになるかもしれません。一緒にやっていく中で、互いに相手の人間性を信じられるようになったら、異なる見解についても話し合う余地も生まれるかもしれないと思うのです。少なくとも、一旦、原発事故が起これば、右翼であろうと左翼であろうと、その人の持っている思想などには関係なく巻き込まれるのですから、等しく抗議する権利はあると思います。
(※これは風鈴草さんのコメントの引用)
激しく同意します。
(引用ココまで)
風鈴草さんはこの「気に入らない見解を持つ相手」の中に針谷氏の統一戦線義勇軍を含めていると私も感じます。で、風鈴草さんは彼らと一緒に闘うことをその後肯定しています。
そしてこの風鈴草さんのレスに青い鳥さんは「激しく同意」してるわけですね。
つまり、客観的にこのレスを読めば、青い鳥さんは統一戦線義勇軍との共闘を支持している、と解釈できるのです。
ですから、統一戦線義勇軍のような歴史修正主義者達と共闘なんてとんでもないと本当に思っているのなら、どうしてこういうレスをするのか、というFondriestさんの批判は一応筋が通っているのです。
差別を憎む青い鳥さんの情熱を私は重々承知していますが、それはとりあえず横に置いといて、何故こういう矛盾するように思えるレスをしたのかの説明をしてみるのはいかがですか?
フリスキーさんへ。みなさんへ
>時間的な余裕があれば、あと、性格的な相性に問題が無ければ、 おそらく同伴することにさほどの抵抗を感じないと思います。
私も行くでしょう。そもそも自分も反原発なのだから誘いをかけてきた人が誰であれ、デモに参加することに異存はありません。ただし、右翼が主催するなど脱原発デモとはいえ問題があると判断したら行きませんけど。それと、日の丸を掲げるなどは絶対にやめてほしいという条件があります。
ところで、22日に続いて29日に行われた大飯原発再稼働反対を訴える官邸前デモに参加しました。
嘘みたいな話ですが、なんと針谷大輔氏率いる統一戦線義勇軍一行と隣り合わせの列で、はためく日の丸を横に見ながら歩くというはめになってしまいました。こちらで針谷氏のことで投稿した直後でなんの因果かと悪夢でも見てるみたいでした。
そう、針谷氏たちは確かに日の丸を掲げていました。氏はツイートで「今日の抗議で団体旗や組合旗をあげていたバカ共にいう。差別や貧困を無くしたい、原発を無くしたい。それはいい事だ。だったらお前ら、先ずは自らの真摯な姿勢を見せる為に、まずはルールを守る事から始めろ。主催は団体旗や組合旗は、やめてくれとルール作ってるぞ。守れねえなら参加するなよ。」と言っておりますが、日の丸は「オールジャパン」の旗だから文句を言う人はいないはずだと考えたのでしょう。事実、暗黙のうちにそうなっているようです。
彼らの脱原発もそれなりに真剣なのだとは思います。また、間近で見る針谷氏は人の良さそうなおじさんでした。同行した人たち(みな左派です)の中にはこの珍妙な体験をご愛敬と笑って流す人もいましたが、私にはできませんでした。それは、1991年に最初に名乗りを上げた元・慰安婦の金学順さんの来日講演での発言が頭にあるからです。
「どうして日本政府は戦争が好きなんですか。今回も来てみたら海外に軍隊を派遣するといっているじゃありませんか。私は軍人を見ただけでもからだがふるえるんです。日の丸を見ただけでもふるえがくる。」
仮に金学順さんのような立場の人(日本による戦争被害者)が大日本帝国やその軍隊のシンボルだった日の丸をはためかせて歩く「脱原発デモ」を見たらどう思うでしょう。
「『脱原発』のためなら右も左もないではないか。日の丸を掲げて歩くのも表現の自由。自分は右翼ではないけど日の丸がはためく横を歩いても抵抗は感じない」そう思っている人がいたらこのことをじっくりと考えてほしいです。
私も行くでしょう。そもそも自分も反原発なのだから誘いをかけてきた人が誰であれ、デモに参加することに異存はありません。ただし、右翼が主催するなど脱原発デモとはいえ問題があると判断したら行きませんけど。それと、日の丸を掲げるなどは絶対にやめてほしいという条件があります。
ところで、22日に続いて29日に行われた大飯原発再稼働反対を訴える官邸前デモに参加しました。
嘘みたいな話ですが、なんと針谷大輔氏率いる統一戦線義勇軍一行と隣り合わせの列で、はためく日の丸を横に見ながら歩くというはめになってしまいました。こちらで針谷氏のことで投稿した直後でなんの因果かと悪夢でも見てるみたいでした。
そう、針谷氏たちは確かに日の丸を掲げていました。氏はツイートで「今日の抗議で団体旗や組合旗をあげていたバカ共にいう。差別や貧困を無くしたい、原発を無くしたい。それはいい事だ。だったらお前ら、先ずは自らの真摯な姿勢を見せる為に、まずはルールを守る事から始めろ。主催は団体旗や組合旗は、やめてくれとルール作ってるぞ。守れねえなら参加するなよ。」と言っておりますが、日の丸は「オールジャパン」の旗だから文句を言う人はいないはずだと考えたのでしょう。事実、暗黙のうちにそうなっているようです。
彼らの脱原発もそれなりに真剣なのだとは思います。また、間近で見る針谷氏は人の良さそうなおじさんでした。同行した人たち(みな左派です)の中にはこの珍妙な体験をご愛敬と笑って流す人もいましたが、私にはできませんでした。それは、1991年に最初に名乗りを上げた元・慰安婦の金学順さんの来日講演での発言が頭にあるからです。
「どうして日本政府は戦争が好きなんですか。今回も来てみたら海外に軍隊を派遣するといっているじゃありませんか。私は軍人を見ただけでもからだがふるえるんです。日の丸を見ただけでもふるえがくる。」
仮に金学順さんのような立場の人(日本による戦争被害者)が大日本帝国やその軍隊のシンボルだった日の丸をはためかせて歩く「脱原発デモ」を見たらどう思うでしょう。
「『脱原発』のためなら右も左もないではないか。日の丸を掲げて歩くのも表現の自由。自分は右翼ではないけど日の丸がはためく横を歩いても抵抗は感じない」そう思っている人がいたらこのことをじっくりと考えてほしいです。
追加です
「寛容さ」はとても大事なことです。でも、「内側での寛容」「同胞間の寛容」が「外側の人々」にとっても常に寛容なのかという視点が必要だと思います。
秋原葉月さんへ…
>何故こういう矛盾するように思えるレスをしたのかの説明をしてみるのはいかがですか?
わたしは、風鈴草さんが、差別を容認する方ではないと信じてます。まずこの点を強調しておきます。そこでです…、風鈴草さんは、次の様に記されてみえます。
>自分の心の拠り所を戦前の国家体制とその道徳規範(それは現実に存在したものとは別の、理想化されたフィクションでしかないと思いますが)に求めてしまった人たちが、すべて「悪人」とは思えません。
ここが重要で、誰もが信じるところがあり、各人の信じるところをもって、“悪人”と決めつけることに風鈴草は疑問をお持ちなのではないかと思うのですよ…。
>私は元慰安婦の方たちが、今もきちんとした謝罪を受けることが叶わないでいるのは、これまでこの国の政治を長く牛耳ってきたのが戦前の保守体制の系譜を引く人々だったからだろうと思っています。その人たちは、慰安婦の件で、かつての日本の体制が道徳的に穢れたもののように看做されるのを恐れているのだと思います。
針谷氏は、箸にもかからない人であり、巨悪は、“これまでこの国の政治を長く牛耳ってきたのが戦前の保守体制の系譜を引く人々…”であると思うと記されてみえますね…。よって風鈴草さんご自身が“歴史修正主義を許容”しているなんて考えられないのです。針谷氏は、とるに足らないひとだと仰ってみえるのだと思うのです。要するに、思想性のない市民やあらゆる思惑をもって参加する団体なども、この際、核の暴走を阻止し、国民の命を守るために一致団結して闘おうではありませんか、右も左も皆さん命は大切なのだから…、という純粋なお気持ちからでたものであるとわたしは考えました。
>私は難しい「政治的な議論」というのは苦手です。
最初にこう記されてみえます。わたしも風鈴草さんと同じで「政治的議論」は苦手ですし、右翼のなんたるかを知りません、ただ、前にも記させて頂きましたが、差別は断固許すまじ蛮行であることは、常識中の常識であり、あなたたちのレイシズムはなんの道理もないで許されざることですよと、“脱原発運動の共闘”を機に、針谷氏に説得を試みることも意義あることだと思うんです。その過程で理解しえないと判断した場合は、その時点で“共闘”を解消すればいいだけのことだと思います。
現実問題として、理解し合うのは、難しいのはわかりますが、何の接点もなく反目しあうより、接点を持ち、針谷氏がレイシズムに道理がないことを少しでも理解できたら、これ程、素晴らしい事はないではありませんか。個人的な酒場での会話から、政治的議論に発展させるのです。お花畑だと馬鹿にされるかも知れませんが、わたしはお花畑を目指したいですね…。秋原葉月さんのご指摘される“レイシストとは共闘できない”とのご意見にも激しく同意ですが、小野哲さんもご自身のブログで記されてますが、教条主義などにより、とば口から拒否するのも大変もったいないような気もするのですよ…。模索する価値はありはしないかとの、わたしの考えから風鈴草さんのお考えに“激しく同意”させて頂いた次第です。
いいチャンスではないかな?と…。
最後に、くどいようですが、わたしは、あらゆる差別を心の底から憎んでいます。死んでも容認なんかしません。
秋原葉月さん…、色々と教えて頂き、あらためまして感謝します。いつもありがとうございます。
わたしは、風鈴草さんが、差別を容認する方ではないと信じてます。まずこの点を強調しておきます。そこでです…、風鈴草さんは、次の様に記されてみえます。
>自分の心の拠り所を戦前の国家体制とその道徳規範(それは現実に存在したものとは別の、理想化されたフィクションでしかないと思いますが)に求めてしまった人たちが、すべて「悪人」とは思えません。
ここが重要で、誰もが信じるところがあり、各人の信じるところをもって、“悪人”と決めつけることに風鈴草は疑問をお持ちなのではないかと思うのですよ…。
>私は元慰安婦の方たちが、今もきちんとした謝罪を受けることが叶わないでいるのは、これまでこの国の政治を長く牛耳ってきたのが戦前の保守体制の系譜を引く人々だったからだろうと思っています。その人たちは、慰安婦の件で、かつての日本の体制が道徳的に穢れたもののように看做されるのを恐れているのだと思います。
針谷氏は、箸にもかからない人であり、巨悪は、“これまでこの国の政治を長く牛耳ってきたのが戦前の保守体制の系譜を引く人々…”であると思うと記されてみえますね…。よって風鈴草さんご自身が“歴史修正主義を許容”しているなんて考えられないのです。針谷氏は、とるに足らないひとだと仰ってみえるのだと思うのです。要するに、思想性のない市民やあらゆる思惑をもって参加する団体なども、この際、核の暴走を阻止し、国民の命を守るために一致団結して闘おうではありませんか、右も左も皆さん命は大切なのだから…、という純粋なお気持ちからでたものであるとわたしは考えました。
>私は難しい「政治的な議論」というのは苦手です。
最初にこう記されてみえます。わたしも風鈴草さんと同じで「政治的議論」は苦手ですし、右翼のなんたるかを知りません、ただ、前にも記させて頂きましたが、差別は断固許すまじ蛮行であることは、常識中の常識であり、あなたたちのレイシズムはなんの道理もないで許されざることですよと、“脱原発運動の共闘”を機に、針谷氏に説得を試みることも意義あることだと思うんです。その過程で理解しえないと判断した場合は、その時点で“共闘”を解消すればいいだけのことだと思います。
現実問題として、理解し合うのは、難しいのはわかりますが、何の接点もなく反目しあうより、接点を持ち、針谷氏がレイシズムに道理がないことを少しでも理解できたら、これ程、素晴らしい事はないではありませんか。個人的な酒場での会話から、政治的議論に発展させるのです。お花畑だと馬鹿にされるかも知れませんが、わたしはお花畑を目指したいですね…。秋原葉月さんのご指摘される“レイシストとは共闘できない”とのご意見にも激しく同意ですが、小野哲さんもご自身のブログで記されてますが、教条主義などにより、とば口から拒否するのも大変もったいないような気もするのですよ…。模索する価値はありはしないかとの、わたしの考えから風鈴草さんのお考えに“激しく同意”させて頂いた次第です。
いいチャンスではないかな?と…。
最後に、くどいようですが、わたしは、あらゆる差別を心の底から憎んでいます。死んでも容認なんかしません。
秋原葉月さん…、色々と教えて頂き、あらためまして感謝します。いつもありがとうございます。
Lebe wohl!
フリスキーさん
私は最初のコメントで「ドイツの反原発運動がネオナチを排除している」と書いただけで、その内実が何かには何も触れておりません。
あなたはまず
>自由参加型のデモに参加者として加わることまで“排除”するとなると別の話になると思います
と書き
>そもそもですね、
民主主義と自由主義を大事にする立場からは、
“排除”という言葉を使うことには抵抗を覚えます。
それこそ、 橋下徹や在特会、排害社のような極右が好んで使いそうな 言葉ですよね。
当然これは私のことを指しているんですね?これが決め付けでなくてなんなんですか。
>右翼との共闘の是非についての今までの議論では、この部分が曖昧にされたままに
進めらていたから、まずここを明らかにする必要があると私は指摘したし、
この点について、秋原さんも同意されておられるのです。
それがどんな関係があるんです?それからこれはもう我慢できん(笑いが)。
>ちゃんとコメントを読んでご覧なさい。
>どのご主張も、理に適っており、どれも異論はございません。非常に勉強になりました。ただ、わたしの訴
>えたいところは、・庶民の暮らしが危機にある現在、どう庶民の暮らしを守るのか?
>脱原発運動を国民的ウネリに高める方策を考える時、個別に是是非非に、共闘可能なところとは、手を組む
>べきだ。と言いたいのです。
このように青い鳥さんはおっしゃっています。
青い鳥さんとぽむさんは、お互いの考え方と違いは違いとして認識した上で、
敬意を払っていることは小学生並みの文章読解があれば明明白白なことです。
あなたのような態度とはその点において一線を画しているのです。
やはり、あなたは反省するべきです。
凄いドヤ顔ですが、その先をもう少し読もうね。いやーあなたはもう少しまともな人だと思ってましたがね。
>脱原発運動を国民的ウネリに高める方策を考える時、個別に是是非非に、共闘可能なところとは、手を組むべきだ。と言いたいのです。ぽむ様が、記されたハシ ゲの“なんちゃって…”などは、ハナから相手になどしていません…、あんな奴と共闘することは、屈辱です。ただ右翼でも鈴木邦男さんのように、日本共産党 にエールを送る方も存在します。在特会などの差別レイシスト集団などとは組める訳はないですね。
「共闘可能なところ」の中にレイシストは入ってません。残念でした。あなたは小学生並みの文章読解力もないということで異論ないね。だいたい、自分が何を示そうとしてるか分かってる?青い鳥さんの「謝罪」が贋物だということになるんだよ。それにぽむさんがそうだからっていってそれが私に何の関係があるの?彼には彼のスタイルがあるし、私には私の「粗野で暴力的な」スタイルがあるというだけ(勿論相手次第)。
>青い鳥さんや風鈴草さんの書き込みをどう読んでも、レイシズムを容認しているとは 読み取れません。
あくまで脱原発のアクションにおいて、右翼との部分的共闘を容認はしていても、
右翼の歴史認識、ナショナリズム、レイシズムの部分までも容認していることにはなりません。
もう我慢できないので(怒りを)はっきり言う。お前はそれをレイシズムの被害者の前で言って来い。「私たちは彼らの原発反対を支持してるだけでー彼らのレイシズム、差別には反対なんですよー」。そんな風に都合よく主張を切り分けれるなら、スポーツ振興や失業者対策のためにナチと協力したり、禁煙運動のためにヒトラーを代表にしてもいいんだな。「尊敬する人間 アドルフ・ヒトラー(虐殺行為はNO)」 という訳か。
馬鹿も休み休みにしろ。恥を知れ。心底軽蔑する。私が「感情的」なのは概ねフェイクだが今は違う。お前のような輩が礼儀だの敬意だの笑わせるな。勿論、お前のような奴に使う「寛容さ」など私にはかけらも無いし、そのことを誇りに思う。
それからお前の馬鹿げた質問にも答えておいてやる。私が問題にしているのは集団としてのレイシストとの共闘であり、個々の人間ではない。それを二人の個人の関係に置き換える典型的な詭弁だがな。私の答えは勿論イエスだ。「性格的な相性」に問題がなければとか、「時間に余裕があれば」などとは言わない。頼まれれば出来る限りのことはする。そして彼と原発、歴史について語るだろう。そして彼が受けた悲しみと同じ思いをレイシズムが引き起こしたこと、そのような思想が今回のような事故を引き起こしたことを理解してもらいたいと思う。リアルでは私はそうする。それを矛盾とお前が呼びたいなら呼べばいい。そんなことは問題ではない。
秋原葉月さん
まず私と秋原さんの間の大きな違いは、私はネット上の議論で基本的に直接相手を説得しようとかは全く考えていないことです。おかしいことがあれば質問し対立するなら徹底的に対立したほうが問題点が明らかになると考えています。そういう意味で、普通のリアルな人間関係での配慮のようなものはとりあえず考慮しません。(まあリアルでも喧嘩上等な方ですが)相手を説得するのではなくその議論の読者の方がどちらかというと私の向いている方向です。ただ、だからと言って相手を根拠無く貶めるような発言や議論を盛り上げるために事実をゆがめたりすることはしていないつもりです。それから、ネット上では「真意」など確かめる術などありません(実はリアルでもですが)。そして本人の自己理解というものは実際とは一致しないものです。
しかし、ここの人たちにはほとほと愛想が付きました。特にフリスキーについてはもう少しまともな人だと思っていたので。というわけでもう来ないと思います。それでは。
私は最初のコメントで「ドイツの反原発運動がネオナチを排除している」と書いただけで、その内実が何かには何も触れておりません。
あなたはまず
>自由参加型のデモに参加者として加わることまで“排除”するとなると別の話になると思います
と書き
>そもそもですね、
民主主義と自由主義を大事にする立場からは、
“排除”という言葉を使うことには抵抗を覚えます。
それこそ、 橋下徹や在特会、排害社のような極右が好んで使いそうな 言葉ですよね。
当然これは私のことを指しているんですね?これが決め付けでなくてなんなんですか。
>右翼との共闘の是非についての今までの議論では、この部分が曖昧にされたままに
進めらていたから、まずここを明らかにする必要があると私は指摘したし、
この点について、秋原さんも同意されておられるのです。
それがどんな関係があるんです?それからこれはもう我慢できん(笑いが)。
>ちゃんとコメントを読んでご覧なさい。
>どのご主張も、理に適っており、どれも異論はございません。非常に勉強になりました。ただ、わたしの訴
>えたいところは、・庶民の暮らしが危機にある現在、どう庶民の暮らしを守るのか?
>脱原発運動を国民的ウネリに高める方策を考える時、個別に是是非非に、共闘可能なところとは、手を組む
>べきだ。と言いたいのです。
このように青い鳥さんはおっしゃっています。
青い鳥さんとぽむさんは、お互いの考え方と違いは違いとして認識した上で、
敬意を払っていることは小学生並みの文章読解があれば明明白白なことです。
あなたのような態度とはその点において一線を画しているのです。
やはり、あなたは反省するべきです。
凄いドヤ顔ですが、その先をもう少し読もうね。いやーあなたはもう少しまともな人だと思ってましたがね。
>脱原発運動を国民的ウネリに高める方策を考える時、個別に是是非非に、共闘可能なところとは、手を組むべきだ。と言いたいのです。ぽむ様が、記されたハシ ゲの“なんちゃって…”などは、ハナから相手になどしていません…、あんな奴と共闘することは、屈辱です。ただ右翼でも鈴木邦男さんのように、日本共産党 にエールを送る方も存在します。在特会などの差別レイシスト集団などとは組める訳はないですね。
「共闘可能なところ」の中にレイシストは入ってません。残念でした。あなたは小学生並みの文章読解力もないということで異論ないね。だいたい、自分が何を示そうとしてるか分かってる?青い鳥さんの「謝罪」が贋物だということになるんだよ。それにぽむさんがそうだからっていってそれが私に何の関係があるの?彼には彼のスタイルがあるし、私には私の「粗野で暴力的な」スタイルがあるというだけ(勿論相手次第)。
>青い鳥さんや風鈴草さんの書き込みをどう読んでも、レイシズムを容認しているとは 読み取れません。
あくまで脱原発のアクションにおいて、右翼との部分的共闘を容認はしていても、
右翼の歴史認識、ナショナリズム、レイシズムの部分までも容認していることにはなりません。
もう我慢できないので(怒りを)はっきり言う。お前はそれをレイシズムの被害者の前で言って来い。「私たちは彼らの原発反対を支持してるだけでー彼らのレイシズム、差別には反対なんですよー」。そんな風に都合よく主張を切り分けれるなら、スポーツ振興や失業者対策のためにナチと協力したり、禁煙運動のためにヒトラーを代表にしてもいいんだな。「尊敬する人間 アドルフ・ヒトラー(虐殺行為はNO)」 という訳か。
馬鹿も休み休みにしろ。恥を知れ。心底軽蔑する。私が「感情的」なのは概ねフェイクだが今は違う。お前のような輩が礼儀だの敬意だの笑わせるな。勿論、お前のような奴に使う「寛容さ」など私にはかけらも無いし、そのことを誇りに思う。
それからお前の馬鹿げた質問にも答えておいてやる。私が問題にしているのは集団としてのレイシストとの共闘であり、個々の人間ではない。それを二人の個人の関係に置き換える典型的な詭弁だがな。私の答えは勿論イエスだ。「性格的な相性」に問題がなければとか、「時間に余裕があれば」などとは言わない。頼まれれば出来る限りのことはする。そして彼と原発、歴史について語るだろう。そして彼が受けた悲しみと同じ思いをレイシズムが引き起こしたこと、そのような思想が今回のような事故を引き起こしたことを理解してもらいたいと思う。リアルでは私はそうする。それを矛盾とお前が呼びたいなら呼べばいい。そんなことは問題ではない。
秋原葉月さん
まず私と秋原さんの間の大きな違いは、私はネット上の議論で基本的に直接相手を説得しようとかは全く考えていないことです。おかしいことがあれば質問し対立するなら徹底的に対立したほうが問題点が明らかになると考えています。そういう意味で、普通のリアルな人間関係での配慮のようなものはとりあえず考慮しません。(まあリアルでも喧嘩上等な方ですが)相手を説得するのではなくその議論の読者の方がどちらかというと私の向いている方向です。ただ、だからと言って相手を根拠無く貶めるような発言や議論を盛り上げるために事実をゆがめたりすることはしていないつもりです。それから、ネット上では「真意」など確かめる術などありません(実はリアルでもですが)。そして本人の自己理解というものは実際とは一致しないものです。
しかし、ここの人たちにはほとほと愛想が付きました。特にフリスキーについてはもう少しまともな人だと思っていたので。というわけでもう来ないと思います。それでは。
忘れてました
秋原葉月さん
ひとつ書き忘れてました。ドイツでもネオナチ団体の全てが非合法というわけではなく、法律に触れない範囲で活動しています。ですから在特会や排害社のような組織はこちらでは非合法であると言えるかは微妙です。このあたりネットではよくドイツではナチ関係全てが禁止で全く表現の自由がないかの様に言われますが、当局の許可を得たデモもあります。その際、それを阻止しようとする左派団体を警察が排除することも行われます。
http://www.ndr.de/regional/hamburg/gegenrechts107.html
http://www.ndr.de/regional/hamburg/gegenrechts167.html
重要なのは、ネオナチ500人に対して政党の代表も含め1万人の反対デモが行われたという点です。勿論ドイツ人の大多数が偏見を持たないリベラルであるわけはありませんが(というより確実に違います)、少なくとも「建前」として極右を容認しないというコンセンサスの存在は否定できません。彼らを非合法化して事たれりとしているわけではなくてこのような実践が反レイシズムを支えていることを見逃してはならないと思います。そしてこのような社会を背景として脱原発も始めて可能になるのであり、日本では残念ながらそのような基盤が存在しないというのが私の観察であり、レイシズムに是々非々で対応し利用すれば良いなどと考えている者は手痛いしっぺ返しをくらうでしょう。
ひとつ書き忘れてました。ドイツでもネオナチ団体の全てが非合法というわけではなく、法律に触れない範囲で活動しています。ですから在特会や排害社のような組織はこちらでは非合法であると言えるかは微妙です。このあたりネットではよくドイツではナチ関係全てが禁止で全く表現の自由がないかの様に言われますが、当局の許可を得たデモもあります。その際、それを阻止しようとする左派団体を警察が排除することも行われます。
http://www.ndr.de/regional/hamburg/gegenrechts107.html
http://www.ndr.de/regional/hamburg/gegenrechts167.html
重要なのは、ネオナチ500人に対して政党の代表も含め1万人の反対デモが行われたという点です。勿論ドイツ人の大多数が偏見を持たないリベラルであるわけはありませんが(というより確実に違います)、少なくとも「建前」として極右を容認しないというコンセンサスの存在は否定できません。彼らを非合法化して事たれりとしているわけではなくてこのような実践が反レイシズムを支えていることを見逃してはならないと思います。そしてこのような社会を背景として脱原発も始めて可能になるのであり、日本では残念ながらそのような基盤が存在しないというのが私の観察であり、レイシズムに是々非々で対応し利用すれば良いなどと考えている者は手痛いしっぺ返しをくらうでしょう。
右翼団体との共闘に反対する方々に質問
そもそもこの議論は、風鈴草さんの右も左もない、脱原発という一点では
共闘するべきだというご意見に対してのぽむさんやFondriestさんの反論から発展したわけですよね。
さて、
Fondriestさんでも、ぽむさんでも、どなたでも構わないのですが、
質問があります。Fondriestさんは、以下の発言をなさっています。
>反レイシズムは並列可能ないくつかのイシューの中のひとつなのではありません。
>レイシズムを容認することは原発がよって立つ差別構造(原発労働者、中央/地方など)を
>批判する根拠を放棄することに他なりません。右翼を容認することを美麗字句で飾り立てて
>ご満悦のようですが、彼らのようなレイシストと共闘することが、被災者の中にも少なからず
>存在するマイノリティを排除しているということに考えが至らないのでしょうか?
>そのような形で仮に脱原発が実現するとしても、それは「国民」でない者を犠牲にする
>新たな差別構造に依拠したものにならざるを得ないでしょう。
この箇所で私には不明な点があるのです。
統一戦線義勇軍のような右翼団体と共闘することで、仮に本当に脱原発を実現出来たとして、
どうして、
実現した脱原発という結果が、“新たな差別構造に依拠したものにならざるを得ない”
ということになるのですか??
原発というものが、親方日の丸の下で、大都市のために地方を犠牲にしているし、危険なものを
地方に押し付けて、飴と鞭を使い分ける形で実情は人と富を大都市が収奪し、
また、被爆労働のように社会的弱者の極めて非情な犠牲の元に成り立っているという構造の上に
成り立っているわけですよね。つまり国家及び強者のために弱いものが犠牲になり、
そのことを糊塗し、正当化するためにナショナリズムというものが大いに喧伝されるわけです。
それは結局、戦前の大日本帝国の八紘一宇の元、近隣諸国への侵略と強いられた犠牲とも通底した
文脈で捉えられるべきであって、このことを不問に付して、つまりナショナリズムとその元での
弱者、地方、他国の犠牲という本質をきとんと踏まえずに、闇雲に脱原発の一点で右翼との共闘を支持することは、本末転倒になってしまうという理由から私は共闘には反対だし、日の丸を振りかざすデモにも
同様の理由によって私は嫌悪感を感じます。
では、上述したような本質(ナショナリズムとその元でのマイノリティの犠牲)を維持したまま、
脱原発だけ実現するということは可能なのでしょうか?
私は無理だと思います。
親方日の丸の下、国策として強力に推進された原発政策を引っくり返すには、
ポピュリズムでもブームでも強権的な指導者にお任せするような次元では絶対にダメで、
観客民主主義でも傍観民主主義でもない本物の民主主義による民衆のカウンターアクション意外にありえないと思うのです。いや、それ以外にあるとするのならば3・11レベルに留まらない破滅でしょうが、
そうなってからでは遅すぎます。
橋下徹のような強権的なナショナリストの脱原発などが所詮はまやかしであり、
化けの皮が剥がれたことは記憶に新しいことです。
私は、小林よしのりであれ、針谷であれ、鈴木邦男であれ、どこまで本気で脱原発を考えているのか、
疑問なんですよ。もし本当に脱原発をするのならば、その実現のためには、
自分たちが掲げてきたナショナリズムの大幅な見直しが求められるからです。
単なる国旗のみならずナショナリズムの象徴でもある日の丸を振りかざしての
デモなど私には矛盾しているとしか思えないのです。
推察するに、彼らは、脱原発という時流に乗って自らの存在感をアピールすることが
得策だと考えているのか、あるいは、自らの矛盾を認識できていないのか、
そのどちらかだと思います。両方かもしれませんね。
ですから、
>そのような形で仮に脱原発が実現するとしても、それは「国民」でない者を犠牲にする
>新たな差別構造に依拠したものにならざるを得ないでしょう。
“そのような形での脱原発”自体が有り得ない話だと私は思いますし、
差別構造に依拠している限り原発は無くならないと思います。
そして、
右翼団体つまりナショナリズムの強化を標榜している団体の脱原発など、
それ自体が大きな矛盾を孕んでいる以上、これが“同業者”の中で多数派に
なったり、脱原発運動が右翼に席巻されてしまうということは考えにくいことだと
思いますし、脱原発デモに日の丸を掲げた連中の割合がこれ以上増えるということは可能性としては
かなり低いと思うんですね。
それよりも、脱原発の動き自体が弱体化していってしまうことを懸念していくべきだと思います。
そのためにも、
なぜ右翼との共闘がダメなのかということの論理的な説明は必要ですが、
むやみに彼らを排斥することは、否応なしに一種の内部闘争に
落とし込まれて原発を維持したいエスタブリッシュメントを利するだけだと思います。
『デモに来るのを排斥はしないが、右翼団体との共闘は出来ない。』
ぐらいで良いと思います。
その上で、彼らが抱えている矛盾について議論する窓口ぐらいは開かれても良いのでは
ないでしょうか?
いきなり排除じゃ、洗練されたやり方とは思えません。
むしろ、原発政策とナショナリズムの問題を考える契機にするぐらいの
スタンスで良いのではないでしょうか?
共闘するべきだというご意見に対してのぽむさんやFondriestさんの反論から発展したわけですよね。
さて、
Fondriestさんでも、ぽむさんでも、どなたでも構わないのですが、
質問があります。Fondriestさんは、以下の発言をなさっています。
>反レイシズムは並列可能ないくつかのイシューの中のひとつなのではありません。
>レイシズムを容認することは原発がよって立つ差別構造(原発労働者、中央/地方など)を
>批判する根拠を放棄することに他なりません。右翼を容認することを美麗字句で飾り立てて
>ご満悦のようですが、彼らのようなレイシストと共闘することが、被災者の中にも少なからず
>存在するマイノリティを排除しているということに考えが至らないのでしょうか?
>そのような形で仮に脱原発が実現するとしても、それは「国民」でない者を犠牲にする
>新たな差別構造に依拠したものにならざるを得ないでしょう。
この箇所で私には不明な点があるのです。
統一戦線義勇軍のような右翼団体と共闘することで、仮に本当に脱原発を実現出来たとして、
どうして、
実現した脱原発という結果が、“新たな差別構造に依拠したものにならざるを得ない”
ということになるのですか??
原発というものが、親方日の丸の下で、大都市のために地方を犠牲にしているし、危険なものを
地方に押し付けて、飴と鞭を使い分ける形で実情は人と富を大都市が収奪し、
また、被爆労働のように社会的弱者の極めて非情な犠牲の元に成り立っているという構造の上に
成り立っているわけですよね。つまり国家及び強者のために弱いものが犠牲になり、
そのことを糊塗し、正当化するためにナショナリズムというものが大いに喧伝されるわけです。
それは結局、戦前の大日本帝国の八紘一宇の元、近隣諸国への侵略と強いられた犠牲とも通底した
文脈で捉えられるべきであって、このことを不問に付して、つまりナショナリズムとその元での
弱者、地方、他国の犠牲という本質をきとんと踏まえずに、闇雲に脱原発の一点で右翼との共闘を支持することは、本末転倒になってしまうという理由から私は共闘には反対だし、日の丸を振りかざすデモにも
同様の理由によって私は嫌悪感を感じます。
では、上述したような本質(ナショナリズムとその元でのマイノリティの犠牲)を維持したまま、
脱原発だけ実現するということは可能なのでしょうか?
私は無理だと思います。
親方日の丸の下、国策として強力に推進された原発政策を引っくり返すには、
ポピュリズムでもブームでも強権的な指導者にお任せするような次元では絶対にダメで、
観客民主主義でも傍観民主主義でもない本物の民主主義による民衆のカウンターアクション意外にありえないと思うのです。いや、それ以外にあるとするのならば3・11レベルに留まらない破滅でしょうが、
そうなってからでは遅すぎます。
橋下徹のような強権的なナショナリストの脱原発などが所詮はまやかしであり、
化けの皮が剥がれたことは記憶に新しいことです。
私は、小林よしのりであれ、針谷であれ、鈴木邦男であれ、どこまで本気で脱原発を考えているのか、
疑問なんですよ。もし本当に脱原発をするのならば、その実現のためには、
自分たちが掲げてきたナショナリズムの大幅な見直しが求められるからです。
単なる国旗のみならずナショナリズムの象徴でもある日の丸を振りかざしての
デモなど私には矛盾しているとしか思えないのです。
推察するに、彼らは、脱原発という時流に乗って自らの存在感をアピールすることが
得策だと考えているのか、あるいは、自らの矛盾を認識できていないのか、
そのどちらかだと思います。両方かもしれませんね。
ですから、
>そのような形で仮に脱原発が実現するとしても、それは「国民」でない者を犠牲にする
>新たな差別構造に依拠したものにならざるを得ないでしょう。
“そのような形での脱原発”自体が有り得ない話だと私は思いますし、
差別構造に依拠している限り原発は無くならないと思います。
そして、
右翼団体つまりナショナリズムの強化を標榜している団体の脱原発など、
それ自体が大きな矛盾を孕んでいる以上、これが“同業者”の中で多数派に
なったり、脱原発運動が右翼に席巻されてしまうということは考えにくいことだと
思いますし、脱原発デモに日の丸を掲げた連中の割合がこれ以上増えるということは可能性としては
かなり低いと思うんですね。
それよりも、脱原発の動き自体が弱体化していってしまうことを懸念していくべきだと思います。
そのためにも、
なぜ右翼との共闘がダメなのかということの論理的な説明は必要ですが、
むやみに彼らを排斥することは、否応なしに一種の内部闘争に
落とし込まれて原発を維持したいエスタブリッシュメントを利するだけだと思います。
『デモに来るのを排斥はしないが、右翼団体との共闘は出来ない。』
ぐらいで良いと思います。
その上で、彼らが抱えている矛盾について議論する窓口ぐらいは開かれても良いのでは
ないでしょうか?
いきなり排除じゃ、洗練されたやり方とは思えません。
むしろ、原発政策とナショナリズムの問題を考える契機にするぐらいの
スタンスで良いのではないでしょうか?
秋原さんへ
私は秋原さんとは考え方、思想において非常に近い考え方を有してると私は勝手に考えています。
ただ、今回のFondriestさんを巡る議論において、
>Fondriestさんが、最初にかなり罵倒した文章で書かれたのは、のちに書かれているように
>「レイシズムというのはこんなものとは比べ物にならない理不尽な差別であり暴力だということ」をわかっ
>てもらいたくて書かれたのだと私は理解しています
このようにおっしゃっていましたが、それだけではないと思います。
やはり、
彼の本心が垣間見えたから、早くから青い鳥さんも小野哲さんも
その原理主義的な攻撃性を批判してきたのです。
レイシズムは批判されなければなりません。
しかし、教条主義と原理主義から来る攻撃性によって、言わば“ミイラ取りがミイラになる”
ような陥穽に陥るのです。
ここに過去の左翼(特に過激派)が犯した過ちの心的要因があるのだと思いますね。
行き過ぎた正義は暴力性を有していくのですよ。
小野哲さんのおっしゃるとおり、Fondriestさんは“左翼のハシモト”とも言うべき態度を
このコメント欄で披露してくれたと思っております。
脱原発運動における右翼との共闘に私は反対ですが、
私個人としては、
Fondriestさんのような態度は脱原発運動の広がりにとって足かせになるのであろう
と考えております。
なぜならばこのような態度は脱原発運動というものを間口の狭いものにしておいてから、
意に沿わない者に対する攻撃と排除の論理を展開してしまっている
からです。
ただ、今回のFondriestさんを巡る議論において、
>Fondriestさんが、最初にかなり罵倒した文章で書かれたのは、のちに書かれているように
>「レイシズムというのはこんなものとは比べ物にならない理不尽な差別であり暴力だということ」をわかっ
>てもらいたくて書かれたのだと私は理解しています
このようにおっしゃっていましたが、それだけではないと思います。
やはり、
彼の本心が垣間見えたから、早くから青い鳥さんも小野哲さんも
その原理主義的な攻撃性を批判してきたのです。
レイシズムは批判されなければなりません。
しかし、教条主義と原理主義から来る攻撃性によって、言わば“ミイラ取りがミイラになる”
ような陥穽に陥るのです。
ここに過去の左翼(特に過激派)が犯した過ちの心的要因があるのだと思いますね。
行き過ぎた正義は暴力性を有していくのですよ。
小野哲さんのおっしゃるとおり、Fondriestさんは“左翼のハシモト”とも言うべき態度を
このコメント欄で披露してくれたと思っております。
脱原発運動における右翼との共闘に私は反対ですが、
私個人としては、
Fondriestさんのような態度は脱原発運動の広がりにとって足かせになるのであろう
と考えております。
なぜならばこのような態度は脱原発運動というものを間口の狭いものにしておいてから、
意に沿わない者に対する攻撃と排除の論理を展開してしまっている
からです。
>いったいどこで彼が意見を変えていないと判断しているのですか?
Fondriestさんにお聞きしたいんですが、いったいどこで青い鳥さんが「意見を変えた」と思えたんですか。該当部分を提示していただけないでしょうか。
それとも、
>どのご主張も、理に適っており、どれも異論はございません。非常に勉強になりました。ただ、わたしの訴えたいところは、・庶民の暮らしが危機にある現在、どう庶民の暮らしを守るのか?
という部分がそうなんでしょうか?私が読む限り青い鳥さんはご自身の過去の主張を釈明しているだけで、意見を変えたわけではないと思います。
フリスキーさんも提示していますが、あの後で
>どのご主張も、理に適っており、どれも異論はございません。非常に勉強になりました。ただ、わたしの訴
>えたいところは、・庶民の暮らしが危機にある現在、どう庶民の暮らしを守るのか?
>脱原発運動を国民的ウネリに高める方策を考える時、個別に是是非非に、共闘可能なところとは、手を組む
>べきだ。と言いたいのです。
と続けていますし、これもそれまでの意見と同じです。
Fondriestさんは
>「共闘可能なところ」の中にレイシストは入ってません。
と未明の投稿で反論していましたが、青い鳥さんは歴史修正主義者や針谷氏と共闘できない、とも明言はしていないわけです。彼らとは共闘できない、今までの意見は撤回する、と書いて初めて意見が変わった、ということになるんじゃないですか。
それと「謝罪」とかいていましたが、青い鳥さんがぽむさんに謝罪した部分というのは、
>議論の最初で、わたくしがトンチンカンな、“イデオロギー”云々を持ち出した為に、齟齬が生じたのですから、ぽむ様に対しましては、心からお詫び申し上げます。
という部分ですよね?読み返してみたのですが青い鳥さんは自分の使った言葉でぽむさんとのあいだに齟齬が生じたことを詫びているのであって、自分の意見が間違っていると謝罪しているわけではないと思います。
>その後ぽむさんの最後の投稿があり、風鈴草さんが針谷氏がどんな人物であるか知ったにも拘らず、共闘を支持しそれをさらに青い鳥さんが支持した後、私の投稿です。ぽむさんが歴史修正主義を容認したと読むことは不可能で、謝罪を聞いて安心して議論から抜けられたと解釈しましたが?
謝罪(?)したのは青い鳥さんだけであって、風鈴草さんはしていません。青い鳥さんが「意見を変えた」と読み取るのは無理があります。しかもFondriestさんは青い鳥さんの謝罪(?)を問題があると認めています。こんな状態で矛を収めたぽむさんをFondriestさんが「甘い」「レイシストも同然」「歴史修正主義を黙認した」と思わないのが不思議です。
しかも、謝罪(?)後も自説を変えないお2人にぽむさんは批判もしていません。「何やっているんだ」くらいは書いてもよさそうなものですが、なぜほとんど言及されないんでしょうか?
>仮にぽむさんが何らかの形で容認していたら当然それも批判したでしょうね。
つまりぽむさんは批判の対象外、ということですね。
青い鳥さんも風鈴草さんも自説を撤回していない(風鈴草さんは謝罪さえしていない)のに感謝の言葉を述べ、「これからもよろしく」と書くぽむさんの姿勢はFondriestさんから見て、問題にならないんでしょうか?レイシズムや歴史修正主義との共闘はダメだけれども、それに甘い顔をする人は批判しない、というのは歴史修正主義者に寛容な東浩紀なら許す、と言っているようなものだと思います。
Fondriestさんはフリスキーさんへの反論の中で
>彼には彼のスタイルがあるし、私には私の「粗野で暴力的な」スタイルがあるというだけ
とも書いていますが、歴史修正主義に対する態度は東浩紀のようなスタイルもあっていい、と書いているのと同じだと思います。
>何か私とぽむさんの間に党派的なものがあるとか、私が青い鳥さんと風鈴草さんを特別に批判する理由があると考えてるんですか?
「書いた事から判断するだけ」と書かれていたのに、どうしてそんな推論が可能なんでしょうか?邪推や言いがかりの類だと思います。
Fondriestさんにお聞きしたいんですが、いったいどこで青い鳥さんが「意見を変えた」と思えたんですか。該当部分を提示していただけないでしょうか。
それとも、
>どのご主張も、理に適っており、どれも異論はございません。非常に勉強になりました。ただ、わたしの訴えたいところは、・庶民の暮らしが危機にある現在、どう庶民の暮らしを守るのか?
という部分がそうなんでしょうか?私が読む限り青い鳥さんはご自身の過去の主張を釈明しているだけで、意見を変えたわけではないと思います。
フリスキーさんも提示していますが、あの後で
>どのご主張も、理に適っており、どれも異論はございません。非常に勉強になりました。ただ、わたしの訴
>えたいところは、・庶民の暮らしが危機にある現在、どう庶民の暮らしを守るのか?
>脱原発運動を国民的ウネリに高める方策を考える時、個別に是是非非に、共闘可能なところとは、手を組む
>べきだ。と言いたいのです。
と続けていますし、これもそれまでの意見と同じです。
Fondriestさんは
>「共闘可能なところ」の中にレイシストは入ってません。
と未明の投稿で反論していましたが、青い鳥さんは歴史修正主義者や針谷氏と共闘できない、とも明言はしていないわけです。彼らとは共闘できない、今までの意見は撤回する、と書いて初めて意見が変わった、ということになるんじゃないですか。
それと「謝罪」とかいていましたが、青い鳥さんがぽむさんに謝罪した部分というのは、
>議論の最初で、わたくしがトンチンカンな、“イデオロギー”云々を持ち出した為に、齟齬が生じたのですから、ぽむ様に対しましては、心からお詫び申し上げます。
という部分ですよね?読み返してみたのですが青い鳥さんは自分の使った言葉でぽむさんとのあいだに齟齬が生じたことを詫びているのであって、自分の意見が間違っていると謝罪しているわけではないと思います。
>その後ぽむさんの最後の投稿があり、風鈴草さんが針谷氏がどんな人物であるか知ったにも拘らず、共闘を支持しそれをさらに青い鳥さんが支持した後、私の投稿です。ぽむさんが歴史修正主義を容認したと読むことは不可能で、謝罪を聞いて安心して議論から抜けられたと解釈しましたが?
謝罪(?)したのは青い鳥さんだけであって、風鈴草さんはしていません。青い鳥さんが「意見を変えた」と読み取るのは無理があります。しかもFondriestさんは青い鳥さんの謝罪(?)を問題があると認めています。こんな状態で矛を収めたぽむさんをFondriestさんが「甘い」「レイシストも同然」「歴史修正主義を黙認した」と思わないのが不思議です。
しかも、謝罪(?)後も自説を変えないお2人にぽむさんは批判もしていません。「何やっているんだ」くらいは書いてもよさそうなものですが、なぜほとんど言及されないんでしょうか?
>仮にぽむさんが何らかの形で容認していたら当然それも批判したでしょうね。
つまりぽむさんは批判の対象外、ということですね。
青い鳥さんも風鈴草さんも自説を撤回していない(風鈴草さんは謝罪さえしていない)のに感謝の言葉を述べ、「これからもよろしく」と書くぽむさんの姿勢はFondriestさんから見て、問題にならないんでしょうか?レイシズムや歴史修正主義との共闘はダメだけれども、それに甘い顔をする人は批判しない、というのは歴史修正主義者に寛容な東浩紀なら許す、と言っているようなものだと思います。
Fondriestさんはフリスキーさんへの反論の中で
>彼には彼のスタイルがあるし、私には私の「粗野で暴力的な」スタイルがあるというだけ
とも書いていますが、歴史修正主義に対する態度は東浩紀のようなスタイルもあっていい、と書いているのと同じだと思います。
>何か私とぽむさんの間に党派的なものがあるとか、私が青い鳥さんと風鈴草さんを特別に批判する理由があると考えてるんですか?
「書いた事から判断するだけ」と書かれていたのに、どうしてそんな推論が可能なんでしょうか?邪推や言いがかりの類だと思います。
フリスキーさんへ
>統一戦線義勇軍のような右翼団体と共闘することで、仮に本当に脱原発を実現出来たとして、
どうして、
実現した脱原発という結果が、“新たな差別構造に依拠したものにならざるを得ない”
ということになるのですか??
私なりの考えでは、“新たな差別構造”というよりも、“差別構造”の温存になると思います。
針谷氏のようなレイシストは原発が日本国内から無くなればそれでいい、日本から遠く離れた外国で原発が稼動し非日本人が被曝する分には一向に構わないと思っているのではないでしょうか。
それに、ぽむさんのコメントにあったように、針谷氏は組合旗や団体旗を否定しながら日の丸の旗を掲げていたようです。
ですから、そもそも私たちが脱原発のためにレイシストとも共闘しようと思っても、向こうは端からそんな気はないと思いますよ。
どうして、
実現した脱原発という結果が、“新たな差別構造に依拠したものにならざるを得ない”
ということになるのですか??
私なりの考えでは、“新たな差別構造”というよりも、“差別構造”の温存になると思います。
針谷氏のようなレイシストは原発が日本国内から無くなればそれでいい、日本から遠く離れた外国で原発が稼動し非日本人が被曝する分には一向に構わないと思っているのではないでしょうか。
それに、ぽむさんのコメントにあったように、針谷氏は組合旗や団体旗を否定しながら日の丸の旗を掲げていたようです。
ですから、そもそも私たちが脱原発のためにレイシストとも共闘しようと思っても、向こうは端からそんな気はないと思いますよ。
>フリスキーさんへ…
フリスキーさんに対する態度は、断じて許されるものではない。フリスキーさん、本当にすみません、大変なご迷惑をおかけして…。
わたしが銀行員の時、ある人物から営業店(支店)に一本の電話が入り、新人の女子行員が対応したんですが、内容は、こうでした…。『そちらの銀行では、差別についてどの様なお立場なんでしょうか?』。その女子行員はわからなかったので、上司に代わり、その日は済みました。が、次の日、なにやら10人の人間がワーワー叫び声を上げ、「支店長はどいつだ!出てこい!」「お前のところは、どんな人権教育をしているんだ!」と叫びました。同和教育の担当であった支店次長が応接室で対応しましたが、支店長が次長の身に危険が及ぶと判断し、警察へ通報し、“威力業務妨害”で連行されましたが、あとでその人物が「部落解放同盟」;「解同」の関係者であることが、判明しました。
そのロジックと、彼のわたしやフリスキーさん、小野哲さんに対する態度をみると酷似してます。
「お前らは、差別を全く理解してない、絶対に許せない!。徹底的に糾弾する!。」と、こうです。それに酷似しています。会話が成り立たないんですよ…。
わたしが以前から、こちらのブログで「解同」に対する批判のコメントをしてましたのでわたしを糾弾すべく執拗なまでの食い下がりをみせているのではないかとの考えに至りました。あくまで想像ですが…。彼の目的は、わたしを糾弾することにあるのですよ、きっと…。
「解同」は同和行政を民主的に正すスタンスの日本共産党とは犬猿の仲です。わたしに「お前は“民青”で何をしていたんだ。」と記しましたが、これをみてもわかるように日本共産党を敵視する態度です。極左か解同の思想を持つ輩ではないかと…。言っておきますが、わたしは部落差別を決して容認する立場ではなく、“差別”を楯に暴力に訴え、同和利権を貪り、同和行政を歪めてきた部落解放同盟というある時代の一組織の体質を批判しているんです。「解同」の糾弾とする暴力行為は凄まじいもので、八鹿高校事件で13名の無辜の教員の方々を糾弾と称し、凄惨なリンチ・暴力で瀕死の重傷を加え、最高裁で有罪が確定しました。ほかにも、日本共産党の首長だった羽曳野市役所の不法占拠や、日本共産党大阪府議に対する暴行事件など数々ありますが、この様な暴力行為は、他のまともな部落解放運動を貶めるものにほかならないんですね…。彼がそうか否かは、勿論、断定はできませんが酷似してます。
わたしが銀行員の時、ある人物から営業店(支店)に一本の電話が入り、新人の女子行員が対応したんですが、内容は、こうでした…。『そちらの銀行では、差別についてどの様なお立場なんでしょうか?』。その女子行員はわからなかったので、上司に代わり、その日は済みました。が、次の日、なにやら10人の人間がワーワー叫び声を上げ、「支店長はどいつだ!出てこい!」「お前のところは、どんな人権教育をしているんだ!」と叫びました。同和教育の担当であった支店次長が応接室で対応しましたが、支店長が次長の身に危険が及ぶと判断し、警察へ通報し、“威力業務妨害”で連行されましたが、あとでその人物が「部落解放同盟」;「解同」の関係者であることが、判明しました。
そのロジックと、彼のわたしやフリスキーさん、小野哲さんに対する態度をみると酷似してます。
「お前らは、差別を全く理解してない、絶対に許せない!。徹底的に糾弾する!。」と、こうです。それに酷似しています。会話が成り立たないんですよ…。
わたしが以前から、こちらのブログで「解同」に対する批判のコメントをしてましたのでわたしを糾弾すべく執拗なまでの食い下がりをみせているのではないかとの考えに至りました。あくまで想像ですが…。彼の目的は、わたしを糾弾することにあるのですよ、きっと…。
「解同」は同和行政を民主的に正すスタンスの日本共産党とは犬猿の仲です。わたしに「お前は“民青”で何をしていたんだ。」と記しましたが、これをみてもわかるように日本共産党を敵視する態度です。極左か解同の思想を持つ輩ではないかと…。言っておきますが、わたしは部落差別を決して容認する立場ではなく、“差別”を楯に暴力に訴え、同和利権を貪り、同和行政を歪めてきた部落解放同盟というある時代の一組織の体質を批判しているんです。「解同」の糾弾とする暴力行為は凄まじいもので、八鹿高校事件で13名の無辜の教員の方々を糾弾と称し、凄惨なリンチ・暴力で瀕死の重傷を加え、最高裁で有罪が確定しました。ほかにも、日本共産党の首長だった羽曳野市役所の不法占拠や、日本共産党大阪府議に対する暴行事件など数々ありますが、この様な暴力行為は、他のまともな部落解放運動を貶めるものにほかならないんですね…。彼がそうか否かは、勿論、断定はできませんが酷似してます。
>ブリーチャー・バム様…、
ご迷惑をお掛けしましてお詫び申し上げます。痛み入ります。
ぽむさんへ
>「寛容さ」はとても大事なことです。でも、「内側での寛容」
>「同胞間の寛容」が「外側の人々」にとっても常に寛容なのかという視点が必要だと思います。
おっしゃるとおりです。異論は御座いません。
ただし、
私は具体的には今回の議論の中にみられたように、
右翼との共闘に肯定的なことを言ったことを理由として
青い鳥さんのようなこちらのブログの良き理解者の方にまで、
レイシズムを容認したという言いがかりをつけて乱暴な物言いで糾弾しようとするような
件の人物の異様な態度のことを指しているのです。
少なくとも私は左派リベラルであることはポリティカルコンパスの診断からも
明らかですが、ああいう態度は、どう考えてもおかしいですよ(笑)
>「同胞間の寛容」が「外側の人々」にとっても常に寛容なのかという視点が必要だと思います。
おっしゃるとおりです。異論は御座いません。
ただし、
私は具体的には今回の議論の中にみられたように、
右翼との共闘に肯定的なことを言ったことを理由として
青い鳥さんのようなこちらのブログの良き理解者の方にまで、
レイシズムを容認したという言いがかりをつけて乱暴な物言いで糾弾しようとするような
件の人物の異様な態度のことを指しているのです。
少なくとも私は左派リベラルであることはポリティカルコンパスの診断からも
明らかですが、ああいう態度は、どう考えてもおかしいですよ(笑)
ブリーチャー・バムさんへ つまらない邪推はやめてください
>ブリーチャー・バムさん
>しかも、謝罪(?)後も自説を変えないお2人にぽむさんは批判もしていません。「何やっているんだ」くらいは書いてもよさそうなものですが、なぜほとんど言及されないんでしょうか?
もし、Fondriestさんがこのように言ってきたら私は以下のように返します。
────────
端的に言うと、これ以上同じ事をくどくど書く気がなかったからです。
私はそんなに粘着質の人間ではありません。
仕事など他にやることもたくさんあるのです。ここのコメント欄にいつまでも張り付いておふたりと議論することにばかり時間を使うわけにいかないのです。
物事にはバランスというものがあります。
それに、Fondriestさんから見れば、私もあえて和を乱すことを良しとしない日和見日本人と受け止められるかもしれませんが、以前から秋原さんとは他所でも親しく交流している者として、ブログ主さんの立場を考慮したというのもあります。
青い鳥さんも風鈴草さんもこちらの常連ということは知っていますし、後は秋原さんに任せるという気持ちもありました。
────────
>仮にぽむさんが何らかの形で容認していたら当然それも批判したでしょうね。
Fondriestさんのコメントですが、要するに、Fondriestさんは私が積極的に風鈴草さんたちの意見を擁護したら批判するけど、特に何も書いてこないことまで批判しないということではないのですか。
それから、Fondriestさんと私にはいかなる繋がりも全くありません。Apamanさんの所でコメントされていたことすら知りませんでした。ブリーチャー・バムさんはFondriestさんと私は以前から交流があり、Fondriestさんは私の応援に駆けつけたとでも考えていらっしゃるのでしょうか。
実は今も仕事の締め切りも迫っていて、これ以上投稿に時間を使っている余裕はないのですが、あまりにあなたが妙な邪推をなさっているように思えましたので一言反論させていただきました。
>しかも、謝罪(?)後も自説を変えないお2人にぽむさんは批判もしていません。「何やっているんだ」くらいは書いてもよさそうなものですが、なぜほとんど言及されないんでしょうか?
もし、Fondriestさんがこのように言ってきたら私は以下のように返します。
────────
端的に言うと、これ以上同じ事をくどくど書く気がなかったからです。
私はそんなに粘着質の人間ではありません。
仕事など他にやることもたくさんあるのです。ここのコメント欄にいつまでも張り付いておふたりと議論することにばかり時間を使うわけにいかないのです。
物事にはバランスというものがあります。
それに、Fondriestさんから見れば、私もあえて和を乱すことを良しとしない日和見日本人と受け止められるかもしれませんが、以前から秋原さんとは他所でも親しく交流している者として、ブログ主さんの立場を考慮したというのもあります。
青い鳥さんも風鈴草さんもこちらの常連ということは知っていますし、後は秋原さんに任せるという気持ちもありました。
────────
>仮にぽむさんが何らかの形で容認していたら当然それも批判したでしょうね。
Fondriestさんのコメントですが、要するに、Fondriestさんは私が積極的に風鈴草さんたちの意見を擁護したら批判するけど、特に何も書いてこないことまで批判しないということではないのですか。
それから、Fondriestさんと私にはいかなる繋がりも全くありません。Apamanさんの所でコメントされていたことすら知りませんでした。ブリーチャー・バムさんはFondriestさんと私は以前から交流があり、Fondriestさんは私の応援に駆けつけたとでも考えていらっしゃるのでしょうか。
実は今も仕事の締め切りも迫っていて、これ以上投稿に時間を使っている余裕はないのですが、あまりにあなたが妙な邪推をなさっているように思えましたので一言反論させていただきました。
ブリーチャー・バムさんへ、追加です
>「これからもよろしく」と書くぽむさんの姿勢はFondriestさんから見て、問題にならないんでしょうか?
たとえどれほど意見が違う相手であっても、議論に付き合っていただいたお礼を言うのが自分の主張への背信行為になるのでしょうか。仮にFondriestさんがこれも許せないと言われたら救いようがないガチガチの教条主義者・原理主義者と言わざるをえないでしょう。
それからFondriestさんだったら、意見の一致がみられなかった相手に儀礼的なあいさつなどしないと思いますが、他の人にまでそれを強要しないということだと思います。
たとえどれほど意見が違う相手であっても、議論に付き合っていただいたお礼を言うのが自分の主張への背信行為になるのでしょうか。仮にFondriestさんがこれも許せないと言われたら救いようがないガチガチの教条主義者・原理主義者と言わざるをえないでしょう。
それからFondriestさんだったら、意見の一致がみられなかった相手に儀礼的なあいさつなどしないと思いますが、他の人にまでそれを強要しないということだと思います。
この橋、渡るな風に
> 7/04 0103 右翼団体との共闘に反対をする方々に質問したいです。…中略…皆さんは、彼の歴史認識を理由に同伴することを断りますでしょうか?
どんどん一緒に【参加】すればいいと思います。出来るなら壇上で福島の怒りと悲しみを訴えて貰いたいです。
彼が歴史修正主義を煽動する団体のアクティブでなければ、右翼【団体との共闘】にはなりません。
どんどん一緒に【参加】すればいいと思います。出来るなら壇上で福島の怒りと悲しみを訴えて貰いたいです。
彼が歴史修正主義を煽動する団体のアクティブでなければ、右翼【団体との共闘】にはなりません。
右翼、鈴木邦男氏について…
新右翼「一水会」顧問 鈴木邦男氏の考えについて…。
鈴木邦男氏は、元日本共産党政策委員長の筆坂秀世氏との共著;『私たち、日本共産党の味方です。』の中で、こう述べてます。
“ 思想を超える覚悟”と表題し…。
「核反対運動をめぐっては、内部分裂により原水協と原水禁の二つに運動が分かれてしまいました。日本は世界で唯一の被爆国なのですから、本来ならば核反対派はひとつになって世界中にメッセージを発信しなければなりません。ましてや今は“核論議をタブーにしてはならない”“日本も核をもて”と右派論客が勇ましい主張を論壇誌で展開しています。とんでもない話です。そもそも、日本が核武装するとなれば、世界中からバッシングされてとても耐えられないでしょう。国際社会の現実を見ずに、右派の人たちは威勢のいいことばかり言っています。左派の人たちが核武装反対で団結し、非核保有国に働きかけて運動を国際的に広げていくべきなのに、左翼は元気がない。こんなことでは、核の問題にせよ憲法改正の問題にせよ、元気のいい右派のやりたい放題になってしまいます。」(P189より引用)
風鈴草さんも鈴木邦男氏に対して評価されてましたが。わたしは高く評価します。日本共産党の中央委員会総会か、党大会に来賓に招聘し、一席、ブッていただき、日本共産党の党員の皆さんを勇気づけてもらいたいと、強く思います。
わたしも右翼に全く興味はないですが、これを読んだとき、やはり個別具体的に物事は吟味しなければならないなと思いました。氏は右翼ですから、日の丸・君が代に敬意は払われてみえると想像はしますが、大阪などの“強制”に関しては、真っ向、反対の論陣を張ってみえます。以上、ご参考までに…。
鈴木邦男氏は、元日本共産党政策委員長の筆坂秀世氏との共著;『私たち、日本共産党の味方です。』の中で、こう述べてます。
“ 思想を超える覚悟”と表題し…。
「核反対運動をめぐっては、内部分裂により原水協と原水禁の二つに運動が分かれてしまいました。日本は世界で唯一の被爆国なのですから、本来ならば核反対派はひとつになって世界中にメッセージを発信しなければなりません。ましてや今は“核論議をタブーにしてはならない”“日本も核をもて”と右派論客が勇ましい主張を論壇誌で展開しています。とんでもない話です。そもそも、日本が核武装するとなれば、世界中からバッシングされてとても耐えられないでしょう。国際社会の現実を見ずに、右派の人たちは威勢のいいことばかり言っています。左派の人たちが核武装反対で団結し、非核保有国に働きかけて運動を国際的に広げていくべきなのに、左翼は元気がない。こんなことでは、核の問題にせよ憲法改正の問題にせよ、元気のいい右派のやりたい放題になってしまいます。」(P189より引用)
風鈴草さんも鈴木邦男氏に対して評価されてましたが。わたしは高く評価します。日本共産党の中央委員会総会か、党大会に来賓に招聘し、一席、ブッていただき、日本共産党の党員の皆さんを勇気づけてもらいたいと、強く思います。
わたしも右翼に全く興味はないですが、これを読んだとき、やはり個別具体的に物事は吟味しなければならないなと思いました。氏は右翼ですから、日の丸・君が代に敬意は払われてみえると想像はしますが、大阪などの“強制”に関しては、真っ向、反対の論陣を張ってみえます。以上、ご参考までに…。
そもそも
相手に対して、レイシストないしレイシズムを容認したとして非難するからには、
よっぽどの根拠が求められます。明白な論拠が要求されてしかるべきです。
なぜなら、
人種や民族といった属性にまつわる人権というものはそれだけ大事にされなければならない
ものであって、レイシズムに与しているとして相手を批判することはそれだけ
強い批判になるのです。
さて、
右翼団体との共闘の是非に話を戻すと、右翼団体の脱原発という主張については、
この部分に関しては、歴史修正主義でもレイシズムでもないんですよ。
だから、
青い鳥さんは部分的な共闘を是としているのであって、
右翼団体のそれ以外の主張を支持ないし容認しているわけではありません。
言わば、是は是、非は非という態度をもって是の部分では共闘はありうると
考えておられるのでしょう。
それぐらいに脱原発というものはこの国に住むすべての人たちにとっての
喫緊の問題であると考えておられるのでしょう。
共闘肯定派の人が脱原発の一点で共闘しようとしている点を
取り上げて、このことをもって歴史修正主義やレイシズムを容認したとして非難することは
論理をすっ飛ばした極論であり、
これに対して、青い鳥さんや小野さんが憤るのは至極ごもっともだと思います。
よっぽどの根拠が求められます。明白な論拠が要求されてしかるべきです。
なぜなら、
人種や民族といった属性にまつわる人権というものはそれだけ大事にされなければならない
ものであって、レイシズムに与しているとして相手を批判することはそれだけ
強い批判になるのです。
さて、
右翼団体との共闘の是非に話を戻すと、右翼団体の脱原発という主張については、
この部分に関しては、歴史修正主義でもレイシズムでもないんですよ。
だから、
青い鳥さんは部分的な共闘を是としているのであって、
右翼団体のそれ以外の主張を支持ないし容認しているわけではありません。
言わば、是は是、非は非という態度をもって是の部分では共闘はありうると
考えておられるのでしょう。
それぐらいに脱原発というものはこの国に住むすべての人たちにとっての
喫緊の問題であると考えておられるのでしょう。
共闘肯定派の人が脱原発の一点で共闘しようとしている点を
取り上げて、このことをもって歴史修正主義やレイシズムを容認したとして非難することは
論理をすっ飛ばした極論であり、
これに対して、青い鳥さんや小野さんが憤るのは至極ごもっともだと思います。
これが議論する態度でしょうか?…。
>07/04 04:44 By:Fondriest
>もう我慢できないので(怒りを)はっきり言う。お前はそれをレイシズムの被害者の前で言って来い。「私たちは彼らの原発反対を支持してるだけでー彼らのレイシズム、差別には反対なんですよー」。そんな風に都合よく主張を切り分けれるなら、スポーツ振興や失業者対策のためにナチと協力したり、禁煙運動のためにヒトラーを代表にしてもいいんだな。「尊敬する人間 アドルフ・ヒトラー(虐殺行為はNO)」 という訳か。 馬鹿も休み休みにしろ。恥を知れ。心底軽蔑する。私が「感情的」なのは概ねフェイクだが今は違う。お前のような輩が礼儀だの敬意だの笑わせるな。勿論、お前のような奴に使う「寛容さ」など私にはかけらも無いし、そのことを誇りに思う。
>それからお前の馬鹿げた質問にも答えておいてやる。私が問題にしているのは集団としてのレイシストとの共闘であり、個々の人間ではない。それを二人の個人の関係に置き換える典型的な詭弁だがな。私の答えは勿論イエスだ。「性格的な相性」に問題がなければとか、「時間に余裕があれば」などとは言わない。頼まれれば出来る限りのことはする。そして彼と原発、歴史について語るだろう。そして彼が受けた悲しみと同じ思いをレイシズムが引き起こしたこと、そのような思想が今回のような事故を引き起こしたことを理解してもらいたいと思う。リアルでは私はそうする。それを矛盾とお前が呼びたいなら呼べばいい。そんなことは問題ではない。
>しかし、ここの人たちにはほとほと愛想が付きました。特にフリスキーについてはもう少しまともな人だと思っていたので。というわけでもう来ないと思います。それでは。
これらの余りに酷すぎる“罵詈雑言”を受けたら、皆さん如何でしょうか?…。議論もなにも成り立たないのではないでしょうか?…。
わたしも罵倒されましたが、フリスキーさんの理路整然としたコメントに、敵わないとみるやいなや、聞くに堪えない悪罵のオンパレード、これでは、いくら高尚なことを説いても、説得力を無くすどころか、発言された自分自身が忌避される残念な結果になるとわたしは、考えます。
フリスキー様…、本当に不快な思いをさせてしまいまして、すみません。心からお詫び申し上げます。
秋原葉月さん…、お詫び申し上げます。いつも貴女のブログを結果的に貶めるような事態にさせてしまいまして…。
この議論は、きりがございませんのでこの辺りに致したくお願い申し上げます。 今後とも、色々、ご鞭撻の程よろしくお願いします。
>もう我慢できないので(怒りを)はっきり言う。お前はそれをレイシズムの被害者の前で言って来い。「私たちは彼らの原発反対を支持してるだけでー彼らのレイシズム、差別には反対なんですよー」。そんな風に都合よく主張を切り分けれるなら、スポーツ振興や失業者対策のためにナチと協力したり、禁煙運動のためにヒトラーを代表にしてもいいんだな。「尊敬する人間 アドルフ・ヒトラー(虐殺行為はNO)」 という訳か。 馬鹿も休み休みにしろ。恥を知れ。心底軽蔑する。私が「感情的」なのは概ねフェイクだが今は違う。お前のような輩が礼儀だの敬意だの笑わせるな。勿論、お前のような奴に使う「寛容さ」など私にはかけらも無いし、そのことを誇りに思う。
>それからお前の馬鹿げた質問にも答えておいてやる。私が問題にしているのは集団としてのレイシストとの共闘であり、個々の人間ではない。それを二人の個人の関係に置き換える典型的な詭弁だがな。私の答えは勿論イエスだ。「性格的な相性」に問題がなければとか、「時間に余裕があれば」などとは言わない。頼まれれば出来る限りのことはする。そして彼と原発、歴史について語るだろう。そして彼が受けた悲しみと同じ思いをレイシズムが引き起こしたこと、そのような思想が今回のような事故を引き起こしたことを理解してもらいたいと思う。リアルでは私はそうする。それを矛盾とお前が呼びたいなら呼べばいい。そんなことは問題ではない。
>しかし、ここの人たちにはほとほと愛想が付きました。特にフリスキーについてはもう少しまともな人だと思っていたので。というわけでもう来ないと思います。それでは。
これらの余りに酷すぎる“罵詈雑言”を受けたら、皆さん如何でしょうか?…。議論もなにも成り立たないのではないでしょうか?…。
わたしも罵倒されましたが、フリスキーさんの理路整然としたコメントに、敵わないとみるやいなや、聞くに堪えない悪罵のオンパレード、これでは、いくら高尚なことを説いても、説得力を無くすどころか、発言された自分自身が忌避される残念な結果になるとわたしは、考えます。
フリスキー様…、本当に不快な思いをさせてしまいまして、すみません。心からお詫び申し上げます。
秋原葉月さん…、お詫び申し上げます。いつも貴女のブログを結果的に貶めるような事態にさせてしまいまして…。
この議論は、きりがございませんのでこの辺りに致したくお願い申し上げます。 今後とも、色々、ご鞭撻の程よろしくお願いします。
読者の皆様へ
今回の呆れた荒らし投稿に関して、私の不始末の結果事を大きくしてしまった事をお詫び申し上げます。
Fondriestの憎悪扇動暴言に私が未熟な反論を行なったため、秋原さんの調停努力を無駄にしてしまい大変恥ずかしい限りです。
私の思う意図は以下のエントリーで行ないました。こっぱなお役人(北方在住)様、フリスキー様や青い鳥様、ぽむ様などにとんでもない苦痛を与えた事を恥ずかしく思います。
http://tetsuono123.seesaa.net/article/278913184.html
Fondriestの憎悪扇動暴言に私が未熟な反論を行なったため、秋原さんの調停努力を無駄にしてしまい大変恥ずかしい限りです。
私の思う意図は以下のエントリーで行ないました。こっぱなお役人(北方在住)様、フリスキー様や青い鳥様、ぽむ様などにとんでもない苦痛を与えた事を恥ずかしく思います。
http://tetsuono123.seesaa.net/article/278913184.html
エントリーとそれてしまいますが
議論を見ていた者として一言。
Fondriestさんとおっしゃる方の言い方には確かに違和感を覚えました。あれは罵詈雑言だと思います。
でもそれを言うなら小野さんとおっしゃる方の、かなりお相手を見下したような侮辱(今回に限りません)の数々も十分に罵詈雑言と言えると思いますし、到底議論と呼べるようなものではないと思いますよ、第三者の私にとっては。それに対しては何かご意見をなさらないのですか?罵詈雑言という意味では同じですけど。
もし内容ではなく、議論のマナーを問題にするなら、ご自分のお仲間だろうと、それを指摘しなければダブルスタンダードになります。
Fondriestさんとおっしゃる方の言い方には確かに違和感を覚えました。あれは罵詈雑言だと思います。
でもそれを言うなら小野さんとおっしゃる方の、かなりお相手を見下したような侮辱(今回に限りません)の数々も十分に罵詈雑言と言えると思いますし、到底議論と呼べるようなものではないと思いますよ、第三者の私にとっては。それに対しては何かご意見をなさらないのですか?罵詈雑言という意味では同じですけど。
もし内容ではなく、議論のマナーを問題にするなら、ご自分のお仲間だろうと、それを指摘しなければダブルスタンダードになります。
>小野哲様…、
とんでもないですよ…、小野哲様が謝る必要はありませんよ、貴殿は正論を述べられたのであり、わたしは本当に心強く思い感謝するばかりです。
貴殿のブログにお邪魔しましたが、コメントできませんでした。やり方が間違ってるのかなぁ?…。p(^^)q
貴殿のブログにお邪魔しましたが、コメントできませんでした。やり方が間違ってるのかなぁ?…。p(^^)q
ぽむさんへ
>それから、Fondriestさんと私にはいかなる繋がりも全くありません。Apamanさんの所でコメントされていたことすら知りませんでした。ブリーチャー・バムさんはFondriestさんと私は以前から交流があり、Fondriestさんは私の応援に駆けつけたとでも考えていらっしゃるのでしょうか。
実は今も仕事の締め切りも迫っていて、これ以上投稿に時間を使っている余裕はないのですが、あまりにあなたが妙な邪推をなさっているように思えましたので
Fondriestさんへの返事にも書きましたが、そのようなことは考えていません。Fondriestさんの主張に従えばぽむさんの姿勢に問題があると考えそうなものなのに、ほとんど言及しないのが不思議だったので投稿しただけです。
>たとえどれほど意見が違う相手であっても、議論に付き合っていただいたお礼を言うのが自分の主張への背信行為になるのでしょうか。仮にFondriestさんがこれも許せないと言われたら救いようがないガチガチの教条主義者・原理主義者と言わざるをえないでしょう。
私はそうは思わないですけど、Fondriestさんの主張からすれば不思議ではないと思います。なぜ「歴史修正主義やレイシズムとの共闘を撤回しないのに手打ちするのか」「レイシズムより、物事のバランスの方が大事か」とか。
>青い鳥さん
別に私にお詫びするようなことは何もされていないので、お気遣いなく。
>それから、Fondriestさんと私にはいかなる繋がりも全くありません。Apamanさんの所でコメントされていたことすら知りませんでした。ブリーチャー・バムさんはFondriestさんと私は以前から交流があり、Fondriestさんは私の応援に駆けつけたとでも考えていらっしゃるのでしょうか。
実は今も仕事の締め切りも迫っていて、これ以上投稿に時間を使っている余裕はないのですが、あまりにあなたが妙な邪推をなさっているように思えましたので
Fondriestさんへの返事にも書きましたが、そのようなことは考えていません。Fondriestさんの主張に従えばぽむさんの姿勢に問題があると考えそうなものなのに、ほとんど言及しないのが不思議だったので投稿しただけです。
>たとえどれほど意見が違う相手であっても、議論に付き合っていただいたお礼を言うのが自分の主張への背信行為になるのでしょうか。仮にFondriestさんがこれも許せないと言われたら救いようがないガチガチの教条主義者・原理主義者と言わざるをえないでしょう。
私はそうは思わないですけど、Fondriestさんの主張からすれば不思議ではないと思います。なぜ「歴史修正主義やレイシズムとの共闘を撤回しないのに手打ちするのか」「レイシズムより、物事のバランスの方が大事か」とか。
>青い鳥さん
別に私にお詫びするようなことは何もされていないので、お気遣いなく。
tonybenn1973氏へ
それなら問いかけましょう。
ネット右翼と称するものの発言を見て、まともな発言といえますか?
彼らは事実をきちんと見ていますか?
そういう彼らにはフェアプレイは時期尚早というものです。敵の卑劣な攻撃には、どんな手を使ってでも闘うというのが魯迅の思想ですが、私の考えでもあります。
その点ご理解ください。その上で申し上げますが、建設的な批判なら我々はお受けできます(ぽむ氏が青い鳥氏と交わした内容同様ならば)。ですが、事実を見ない発言には徹底的に批判を加えるべきでしょう。
事実、彼らはどれだけ勉強されているのでしょうか?それを証明できるすべはありますか?一度私もあなたとじっくり語ってみたいなと思います。ブログでお待ちしましょう、さまざまな言葉を語り合う事でお互いに深化できるように…。
ネット右翼と称するものの発言を見て、まともな発言といえますか?
彼らは事実をきちんと見ていますか?
そういう彼らにはフェアプレイは時期尚早というものです。敵の卑劣な攻撃には、どんな手を使ってでも闘うというのが魯迅の思想ですが、私の考えでもあります。
その点ご理解ください。その上で申し上げますが、建設的な批判なら我々はお受けできます(ぽむ氏が青い鳥氏と交わした内容同様ならば)。ですが、事実を見ない発言には徹底的に批判を加えるべきでしょう。
事実、彼らはどれだけ勉強されているのでしょうか?それを証明できるすべはありますか?一度私もあなたとじっくり語ってみたいなと思います。ブログでお待ちしましょう、さまざまな言葉を語り合う事でお互いに深化できるように…。
>tonybenn1973 様…
小野哲さんのコメントは、わたしに対するとんでもないルール無視の罵詈雑言を喚き散らした相手に対して、理にかなった論法でわたしに、助け船を出してくださったのであり、tonybenn1973 様のご指摘は当たらないと強く思います。小野哲様の名誉のために、横槍ですが…。
tonybenn1973 様
小野さんに関するあなたのご指摘は当を得ていません。
小野さんがFondriestさんへのコメントをする以前に、Fondriestさんは青い鳥さんたちに
対して相手を呼び捨てにした上で傲慢な態度で散々罵詈雑言を吐いていたのです。
見るに見かねた小野さんが、その傍若無人に対して一喝したのです。
これは相手と同レベルの罵り合いとは一線を画しています。
誤解なきようよろしくお願いします。
小野さんがFondriestさんへのコメントをする以前に、Fondriestさんは青い鳥さんたちに
対して相手を呼び捨てにした上で傲慢な態度で散々罵詈雑言を吐いていたのです。
見るに見かねた小野さんが、その傍若無人に対して一喝したのです。
これは相手と同レベルの罵り合いとは一線を画しています。
誤解なきようよろしくお願いします。
上田文雄『札幌市はなぜ瓦礫受け入れを拒否したのか』
絆といえば
『現代思想』7月号(特集/被曝と暮らし/瓦礫.食品.避難生活)に札幌市長が書いています。
超抜粋海賊版
上田文雄『札幌市はなぜ瓦礫受け入れを拒否したのか』
【同調圧力】
……社会全体が同じ方向へ突っ走ることの恐ろしさを、3.11の後、私自身が非常にリアルに感じてしまったのです。確かに「絆」は良いのですが、絆という言葉ですべてを、また皆を一つの方向へ向かわせようとして、おかしな議論がなされている。そして、そのことに異を挟むことができないような状況が作られつつあるのです。廃棄物や震災瓦礫の問題に関しても、それを受け入れないことは、日本人として許しがたいというような言説が作られているように思います。……日本国憲法ができてから60年間で育まれた、価値の多様性を大切にしながら冷静にものを考えていこうとする社会が、このままでは崩壊するのではないかという恐ろしさを感じます。……
『現代思想』7月号(特集/被曝と暮らし/瓦礫.食品.避難生活)に札幌市長が書いています。
超抜粋海賊版
上田文雄『札幌市はなぜ瓦礫受け入れを拒否したのか』
【同調圧力】
……社会全体が同じ方向へ突っ走ることの恐ろしさを、3.11の後、私自身が非常にリアルに感じてしまったのです。確かに「絆」は良いのですが、絆という言葉ですべてを、また皆を一つの方向へ向かわせようとして、おかしな議論がなされている。そして、そのことに異を挟むことができないような状況が作られつつあるのです。廃棄物や震災瓦礫の問題に関しても、それを受け入れないことは、日本人として許しがたいというような言説が作られているように思います。……日本国憲法ができてから60年間で育まれた、価値の多様性を大切にしながら冷静にものを考えていこうとする社会が、このままでは崩壊するのではないかという恐ろしさを感じます。……
青い鳥様、フリスキー様、そしてtonybenn1973様へ
青い鳥様、フリスキー様、心遣い感謝します。
青い鳥様のコメントできないとの事でしたが原因を調べて改善させていただきました。申し訳ありません。
tonybenn1973様、ブログでお待ちしております。違和感があると言うのなら建設的な立場からの反論をお待ちしております。私もできる限り誠実に対処しますので。そうして、お互いにいい物を作っていこうじゃありませんか。
青い鳥様のコメントできないとの事でしたが原因を調べて改善させていただきました。申し訳ありません。
tonybenn1973様、ブログでお待ちしております。違和感があると言うのなら建設的な立場からの反論をお待ちしております。私もできる限り誠実に対処しますので。そうして、お互いにいい物を作っていこうじゃありませんか。
>小野哲様
謝罪の必要はないですよ
ただ、文体に漂う「切り捨てる」感が気になったので、ああいうコメントをした次第です。
私としては取り合えず「日本語」が通じて、「文章をかける」方に関しては、まだ対話(更正とも言いますが)の余地があるものと考えております。
(にしては自分の文章は構成ミスが多過ぎますが(涙))
で、先のコメントで、リトマス試験(?)をやったわけですが…「Fondriestさんは純粋で良いなぁ(皮肉)、言い方変えると汚れていないので汚れがあるものは排除ですかそうですか…でも社会に出ると汚れない人はいないですよ」という感想でした。
言い方は変ですが「小異にこだわり大同を捨てる」な状態に私は見えました。この場合「小異を抑え(忘れる必要はないです)大同につく」のがよいように私には思えるんですけどね。
(一応弁解ですが、「ヘイト」を小さく見ているわけではないので念のため。ただしこの件に関しては「関連性は薄い」)
ただ、文体に漂う「切り捨てる」感が気になったので、ああいうコメントをした次第です。
私としては取り合えず「日本語」が通じて、「文章をかける」方に関しては、まだ対話(更正とも言いますが)の余地があるものと考えております。
(にしては自分の文章は構成ミスが多過ぎますが(涙))
で、先のコメントで、リトマス試験(?)をやったわけですが…「Fondriestさんは純粋で良いなぁ(皮肉)、言い方変えると汚れていないので汚れがあるものは排除ですかそうですか…でも社会に出ると汚れない人はいないですよ」という感想でした。
言い方は変ですが「小異にこだわり大同を捨てる」な状態に私は見えました。この場合「小異を抑え(忘れる必要はないです)大同につく」のがよいように私には思えるんですけどね。
(一応弁解ですが、「ヘイト」を小さく見ているわけではないので念のため。ただしこの件に関しては「関連性は薄い」)
皆さんへ(Fondriestさんも読んでくださると良いのですが・・)
今更か、と怒られちゃうかもしれませんが、実は今初めてコメントを全部通しで読みました。
その上での私の正直な感想です。
善し悪しの判断は抜きにして、コメントを通しで読むことで、何故Fondriestさんがあれほど青い鳥さんと風鈴草さんを罵倒し、フリスキーさんまで激しく罵倒したのか少しわかった気がします。
「被災した「外国人」が脱原発運動にレイシストが参加しているに留まらず壇上に上げられるような事態をどんな気持ちで見るか想像出来ますか?」
この言葉に表れるように、
脱原発というシングルイシューで「右も左もなく」レイシストとの部分共闘を認めることは、レイシズムや歴史修正主義の被害者であるマイノリティにとってはレイシズムそのものを容認されるに匹敵する。
日本はどこまでレイシズムに甘く、「善良なリベラル左派」でさえどうしてこんなに鈍感なのか
そんな「差別」を容認したままで本当の脱原発などできるものか
確かに物言いは無礼千万ですが、Fondriestさんは真剣にそう訴えているとあらためて感じました。
Fondriestさんがフリスキーさんに激怒したのは、フリスキーさんが
「あくまで脱原発のアクションにおいて、右翼との部分的共闘を容認はしていても、右翼の歴史認識、ナショナリズム、レイシズムの部分までも容認していることにはならない」という見解を示したときです。
私も最初は漠然とフリスキーさんのような見解だった気がします。
私もレイシズムや歴史修正主義を許しはしません。
でも私は日本におけるレイシズムや歴史修正主義の「被害者」ではないのです。
フリスキーさんの見解は、私のようにレイシズムや歴史修正主義の「被害者」ではない人間にとっては当てはまると思います。
でも、日本におけるレイシズムや歴史修正主義の「被害者」にはあてはまらないのではないでしょうか。
ぽむさんがこのコメントhttp://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8688で仰ったことが私には本当にはわかっていなかったのですね。
レイシスト達との共同で集会、デモ、声明発表などの共闘はあり得ないと考えてきましたが、共闘がレイシズムの被害者達を踏みにじると言うことを漠然としか意識できてなかった気がします。
被害者の立場にたたないで、どうして「自分はレイシズム、歴史修正を許さないんだ」などと言えましょうか
脱原発のアクションにおいて、レイシスト、歴史修正主義者との部分的共闘を容認することは、元慰安婦のような日本のレイシズム、歴史修正主義の被害者にとっては右翼の歴史認識、ナショナリズム、レイシズムを容認することなのだと、今は私も大きな声で言いたいです。
このことに気づいて、Fondriestさんの怒りが理屈抜きで響きました。
普段の私なら失礼な物言いをするコメンターには即刻退場願っています。
でも今回、私のブログの常連さんに対するあれほどの罵倒にもかかわらず、何故か退場させる気がおきませんでした。
何故かわからなかったけれどFondriestさんに興味を抱きました。
そしてコメントを通して読むことで、初めて彼があのものすごい罵倒と怒りで、リベラル左派と呼ばれる人間のレイシズムへの鈍感さに悲痛なくらいの警笛を鳴らしていたのが伝わってきました。
正直、私はどこかをハンマーで殴られたような気がしました。
どうしてFondriestさんに興味を感じたのか、自分でやっとわかった気がします。
その上での私の正直な感想です。
善し悪しの判断は抜きにして、コメントを通しで読むことで、何故Fondriestさんがあれほど青い鳥さんと風鈴草さんを罵倒し、フリスキーさんまで激しく罵倒したのか少しわかった気がします。
「被災した「外国人」が脱原発運動にレイシストが参加しているに留まらず壇上に上げられるような事態をどんな気持ちで見るか想像出来ますか?」
この言葉に表れるように、
脱原発というシングルイシューで「右も左もなく」レイシストとの部分共闘を認めることは、レイシズムや歴史修正主義の被害者であるマイノリティにとってはレイシズムそのものを容認されるに匹敵する。
日本はどこまでレイシズムに甘く、「善良なリベラル左派」でさえどうしてこんなに鈍感なのか
そんな「差別」を容認したままで本当の脱原発などできるものか
確かに物言いは無礼千万ですが、Fondriestさんは真剣にそう訴えているとあらためて感じました。
Fondriestさんがフリスキーさんに激怒したのは、フリスキーさんが
「あくまで脱原発のアクションにおいて、右翼との部分的共闘を容認はしていても、右翼の歴史認識、ナショナリズム、レイシズムの部分までも容認していることにはならない」という見解を示したときです。
私も最初は漠然とフリスキーさんのような見解だった気がします。
私もレイシズムや歴史修正主義を許しはしません。
でも私は日本におけるレイシズムや歴史修正主義の「被害者」ではないのです。
フリスキーさんの見解は、私のようにレイシズムや歴史修正主義の「被害者」ではない人間にとっては当てはまると思います。
でも、日本におけるレイシズムや歴史修正主義の「被害者」にはあてはまらないのではないでしょうか。
ぽむさんがこのコメントhttp://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8688で仰ったことが私には本当にはわかっていなかったのですね。
レイシスト達との共同で集会、デモ、声明発表などの共闘はあり得ないと考えてきましたが、共闘がレイシズムの被害者達を踏みにじると言うことを漠然としか意識できてなかった気がします。
被害者の立場にたたないで、どうして「自分はレイシズム、歴史修正を許さないんだ」などと言えましょうか
脱原発のアクションにおいて、レイシスト、歴史修正主義者との部分的共闘を容認することは、元慰安婦のような日本のレイシズム、歴史修正主義の被害者にとっては右翼の歴史認識、ナショナリズム、レイシズムを容認することなのだと、今は私も大きな声で言いたいです。
このことに気づいて、Fondriestさんの怒りが理屈抜きで響きました。
普段の私なら失礼な物言いをするコメンターには即刻退場願っています。
でも今回、私のブログの常連さんに対するあれほどの罵倒にもかかわらず、何故か退場させる気がおきませんでした。
何故かわからなかったけれどFondriestさんに興味を抱きました。
そしてコメントを通して読むことで、初めて彼があのものすごい罵倒と怒りで、リベラル左派と呼ばれる人間のレイシズムへの鈍感さに悲痛なくらいの警笛を鳴らしていたのが伝わってきました。
正直、私はどこかをハンマーで殴られたような気がしました。
どうしてFondriestさんに興味を感じたのか、自分でやっとわかった気がします。
ブリーチャー・バムさん
あなたが問題にしていられる私のコメント
>にもかかわらず、暖かいレスをありがとうございました。お話できてよかったです。これからもよろしくお願いします。
この6月29日00:08:35に投稿した私のコメントは、その直前の小野さん(2012.06.28 ( Thu ) 20:24:12) と青い鳥さん(2012.06.28 ( Thu ) 18:58:22)にあてたコメントです。タイトルも「青い鳥様 小野哲様」となっています。
青い鳥さんのコメントから
>いずれにしても、議論の最初で、わたくしがトンチンカンな、“イデオロギー”云々を持ち出した為に、齟齬が生じたのですから、ぽむ様に対しましては、心からお詫び申し上げます。
小野さんのコメントから
>思想に関しては絶対に譲れないと言う事は確かです。私もその点では一致しています。そうした意味ではあなたの意図したものとは大きくずれてしまったようで申し訳ないと思います。
私はこの時点でお二人には私の主張はある程度理解していただけたこと、そして議論につきあっていただいたお礼もかねて上記のコメントを返したのです。一方、歴史修正主義に関する点で残念ながら満足のいく一致点を全く見いだせなかった風鈴草さんへはこのようなコメントは返していません。風鈴草さんへあてた歴史修正主義に関する最後のコメントは6月26日01:08:57に投稿した ものですが、妥協はいっさいしていないつもりです。
確かに今読み返せば青い鳥さんの上のコメントには曖昧な点もあるとはいえます。
しかし、少なくともブリーチャー・バム様がFondriestさんに当てたコメントで言われたように
>(風鈴草さんは謝罪さえしていない)のに感謝の言葉を述べ、「これからもよろしく」と書くぽむさん
は全くの事実無根です。
>にもかかわらず、暖かいレスをありがとうございました。お話できてよかったです。これからもよろしくお願いします。
この6月29日00:08:35に投稿した私のコメントは、その直前の小野さん(2012.06.28 ( Thu ) 20:24:12) と青い鳥さん(2012.06.28 ( Thu ) 18:58:22)にあてたコメントです。タイトルも「青い鳥様 小野哲様」となっています。
青い鳥さんのコメントから
>いずれにしても、議論の最初で、わたくしがトンチンカンな、“イデオロギー”云々を持ち出した為に、齟齬が生じたのですから、ぽむ様に対しましては、心からお詫び申し上げます。
小野さんのコメントから
>思想に関しては絶対に譲れないと言う事は確かです。私もその点では一致しています。そうした意味ではあなたの意図したものとは大きくずれてしまったようで申し訳ないと思います。
私はこの時点でお二人には私の主張はある程度理解していただけたこと、そして議論につきあっていただいたお礼もかねて上記のコメントを返したのです。一方、歴史修正主義に関する点で残念ながら満足のいく一致点を全く見いだせなかった風鈴草さんへはこのようなコメントは返していません。風鈴草さんへあてた歴史修正主義に関する最後のコメントは6月26日01:08:57に投稿した ものですが、妥協はいっさいしていないつもりです。
確かに今読み返せば青い鳥さんの上のコメントには曖昧な点もあるとはいえます。
しかし、少なくともブリーチャー・バム様がFondriestさんに当てたコメントで言われたように
>(風鈴草さんは謝罪さえしていない)のに感謝の言葉を述べ、「これからもよろしく」と書くぽむさん
は全くの事実無根です。
小野さんのコメントに関して、一つだけ私からも付け加えさせてください。次の言葉をもし本気で言っているのなら、やはり小野さんの方が著しいマナー違反と考えられるのではないでしょうか。
>むしろ私ならIPアドレスを強制公開してどこのプロバイダーからアクセスしているかを強制公表し、アクセスを禁止させてもらいます。
私は、ここは人権を大切にする場だからこそ、このようなコメントは黙認すべきではないと思います。そんなことをしていたら、ウィットの利いたジョークの応酬も、傍目には、内輪の悪乗りにしか見えなくなるのではないでしょうか。すばらしい人道的な言葉も、ナルシズムの発露に見えてしまうのではないでしょうか。
>むしろ私ならIPアドレスを強制公開してどこのプロバイダーからアクセスしているかを強制公表し、アクセスを禁止させてもらいます。
私は、ここは人権を大切にする場だからこそ、このようなコメントは黙認すべきではないと思います。そんなことをしていたら、ウィットの利いたジョークの応酬も、傍目には、内輪の悪乗りにしか見えなくなるのではないでしょうか。すばらしい人道的な言葉も、ナルシズムの発露に見えてしまうのではないでしょうか。
ぽむさん、Fondriestさん
>私はこの時点でお二人には私の主張はある程度理解していただけたこと、そして議論につきあっていただいたお礼もかねて上記のコメントを返したのです。
確かにそうですね。タイトルを見れば、青い鳥さんと小野さんにあてた内容なのは明白なのに見逃していました。
>(風鈴草さんは謝罪さえしていない)のに感謝の言葉を述べ、「これからもよろしく」と書くぽむさん
というのは、ぽむさんのおっしゃる通り、事実無根です。ぽむさん、大変お忙しいのに私の間違いを知らせていただき、大変申し訳ありませんでした。そしてありがとうございました。
そして、Fondriestさん。
ぽむさんの感謝の言葉を風鈴草さんにあてたものと勘違いしていたために、そちらもかなり当惑したと思います。ぽむさんにほとんど言及しない姿勢に問題なし、という立場は変わりませんが、風鈴草さんについて書いた部分は取り下げます。大変申し訳ありませんでした。
確かにそうですね。タイトルを見れば、青い鳥さんと小野さんにあてた内容なのは明白なのに見逃していました。
>(風鈴草さんは謝罪さえしていない)のに感謝の言葉を述べ、「これからもよろしく」と書くぽむさん
というのは、ぽむさんのおっしゃる通り、事実無根です。ぽむさん、大変お忙しいのに私の間違いを知らせていただき、大変申し訳ありませんでした。そしてありがとうございました。
そして、Fondriestさん。
ぽむさんの感謝の言葉を風鈴草さんにあてたものと勘違いしていたために、そちらもかなり当惑したと思います。ぽむさんにほとんど言及しない姿勢に問題なし、という立場は変わりませんが、風鈴草さんについて書いた部分は取り下げます。大変申し訳ありませんでした。
>秋原葉月さん
秋原葉月さんの寛大な対応に対しましてあらためまして心から感謝いたします。
わたしは、議論の仕方に問題がありはしないか、初めて相対するひとさまに対する態度ではないのではないかと、怒りを感じたわけです。
もし間違った点を指摘するのであれば、それなりの言い方があるのでは…とわたしは思います。ここでわたしも、ひとのふりみてわがふり直せ、で以前こちらのブログで口汚いコメントをしたことを反省した訳ですが…。その自らに対して自戒的叱責も含みまして、議論の仕方を深く考えねばならないと思った次第です。 右翼にも様々なひとがいることをこの一連で学びました。レイシズムを身を持って体験したことは、コメントした通り、「解同」の糾弾と称する恐喝の現場に立ち合った一回きりですが、確かに秋原葉月さんの仰る通り、差別される方々の思いを斟酌したならば安易な共闘をすべきではないとわたしも思わないではありませんが、同じ右翼でも鈴木邦男氏の様な立派な方も存在することも理解したいんです。わたしは決して差別を容認するものではないばかりか、腹の底から憎みます。ただ共闘を模索しようとコメントしたことのみをあげつらい、お前呼ばわりされたり、馬鹿呼ばわりされたり、罵詈雑言を浴びせられることは、断じて看過できないと言っているのですよ。
自由な議論を通じより良い社会を構築するべく模索することが大切ではないのかと思うところです。 風鈴草さんのお気持ちに同調させて頂いたのも、模索の方法も色々あってよいと信じたからなんですね…。ぽむ様のご意見も筋が通っており、わたし自身勉強になり感謝してますし、金曜日の20万人のデモに参加されたことに対しても敬意を抱いた次第です。 秋原葉月さんのご指摘は理解できます。差別される側のお気持ちを斟酌する努力しようとあらためて考え直しました。ありがとうございます。
最後に、ひとつだけ…、議論に関係のない、フリスキーさんやわたしに対する…“偽善者”や“太鼓持ち”や“お前”呼び捨てなどの言葉は断じて許せないことだけ付け加えさせて下さい。こんな言葉をはく人間に“差別容認論者”と決めつけられたことに対して、腹の底から怒りが沸き上がります。
秋原葉月さん…、感謝にたえません。
わたしは、議論の仕方に問題がありはしないか、初めて相対するひとさまに対する態度ではないのではないかと、怒りを感じたわけです。
もし間違った点を指摘するのであれば、それなりの言い方があるのでは…とわたしは思います。ここでわたしも、ひとのふりみてわがふり直せ、で以前こちらのブログで口汚いコメントをしたことを反省した訳ですが…。その自らに対して自戒的叱責も含みまして、議論の仕方を深く考えねばならないと思った次第です。 右翼にも様々なひとがいることをこの一連で学びました。レイシズムを身を持って体験したことは、コメントした通り、「解同」の糾弾と称する恐喝の現場に立ち合った一回きりですが、確かに秋原葉月さんの仰る通り、差別される方々の思いを斟酌したならば安易な共闘をすべきではないとわたしも思わないではありませんが、同じ右翼でも鈴木邦男氏の様な立派な方も存在することも理解したいんです。わたしは決して差別を容認するものではないばかりか、腹の底から憎みます。ただ共闘を模索しようとコメントしたことのみをあげつらい、お前呼ばわりされたり、馬鹿呼ばわりされたり、罵詈雑言を浴びせられることは、断じて看過できないと言っているのですよ。
自由な議論を通じより良い社会を構築するべく模索することが大切ではないのかと思うところです。 風鈴草さんのお気持ちに同調させて頂いたのも、模索の方法も色々あってよいと信じたからなんですね…。ぽむ様のご意見も筋が通っており、わたし自身勉強になり感謝してますし、金曜日の20万人のデモに参加されたことに対しても敬意を抱いた次第です。 秋原葉月さんのご指摘は理解できます。差別される側のお気持ちを斟酌する努力しようとあらためて考え直しました。ありがとうございます。
最後に、ひとつだけ…、議論に関係のない、フリスキーさんやわたしに対する…“偽善者”や“太鼓持ち”や“お前”呼び捨てなどの言葉は断じて許せないことだけ付け加えさせて下さい。こんな言葉をはく人間に“差別容認論者”と決めつけられたことに対して、腹の底から怒りが沸き上がります。
秋原葉月さん…、感謝にたえません。
ええと、すみません
身内のことで、ちょっと、取りこみごとが出来たので、この2日ほど、ほとんどネットを見なかったのですが、なんだか私の無思慮な書き込みのせいで、議論が起こってしまったようで申し訳なく思います。今はあまり長くは書けませんので、それぞれの方別にレスが書けないのですが、どうかご容赦願います。(Fondriestさんには書こうかと思ったのですが、あまり多くのことを書かれているので、どこから手をつけていいのかわかりませんでした。どうやら私の書いたことがFondriestさんを御立腹させてしまったようですが、そこまでのつもりはなかったのです。御気に障ったのならどうかお許しください。)
私があの後もひとつだけ、疑問に思っていたのは「脱原発運動に右翼を入れてはいけない」という方たちは、具体的には一体、どうされるつもりなのかということでした。(私自身はやっぱり、そんな「選り好み」をしている場合ではないと思うのですが・・・)たとえばデモのときなどに、呼びかけた団体の方たちに向かって「右翼は参加させるな」なんて無理は言えないと思います。また、その場に行って自ら阻止するというのも大いに問題があるでしょう。(そんなことをしたら当然揉めて、双方から逮捕者が出てしまったりしたら、デモにケチがついてしまいますから)
右翼であろうと左翼であろうと「表現の自由」はあるはずで、その一つとして脱原発を表明し、この大きな運動に参加する権利もあると思います。(もちろん、秋原さんが、こちのエントリーでも何度か取り上げている在特会のやり方などは、とうてい「表現の自由」などとは言えない、ただの暴力だと思いますが、http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-988.html 針谷氏や鈴木邦男氏等の団体がそのようなことを行っているわけではないでしょう)
>秋原さん
私も鈴木邦男氏のような特殊な(?)方を除いて、一般的な右翼の人たちの考え方は嫌いです。しかし、ああした右翼団体に入って行く若者の多くが世間の平均よりも恵まれているとは思えない現実があります。たとえば、雨宮処凛さんも御自身の体験から居場所のない若者たちが右翼へ入っていくという話をよくされているようです。以下はあるブログで引用されていた、論座に載っていたという雨宮さんの言葉です。
>私が右翼にいた理由はさまざまだがフリーターだったこととの関連はあまりにも大きい。第一に、フリーターはどこにも属していない。属したくても属せない。(略)
>たった一人、社会から切り離されて浮遊していた私は、どこかに属したくて仕方なかった。
>不安定で貧乏だった私は、国内に自分以下の比較対象がなかった。だからこそ、第三世界の惨状と、貧乏な上にどうやら未来もない自分の境遇を照らし合わせては、日々「日本に生まれた私は幸せだ!」と自分に言い聞かせていた。自分について幸運だと思えることが、「日本に生れた日本人であること」しかなかったのだから仕方がない。
>とにかく自分が生きていきづらいこの社会について、考えたかったのだ。その意味では、右翼でも左翼でもよかった。
この言葉を引用されていたブロガーさんは、雨宮さんが右翼へ行ったのは、左翼の言葉は右翼よりも難解で、当時の彼女にはわかりにくかったからだろうと推測されていました。(ちなみに私も高卒ですので、雨宮さんがそう思われたのだとしたら、その気持ちはわかります)
また、以下は雨宮さんと中島岳志さんとの対談での雨宮さんの言葉です。ブログマガジン『ゆうかん金曜日』より
http://lecolline1.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/49_436f.html
>ただ、フリーターから右翼になった経緯は、今の人と近いかもしれない。自分がどこにも所属していない不安感があったけど、右翼になった途端「自分も必要とされている」と思えました。やはり、ナショナリズムは雇用不安と関係があると思う。今、フリーターのルポを書いていますが、彼らは自分を肯定できる要素が日本人であることしかなかったりする。・・・・・・当事者であるとは、言い換えると自分が主体的に、社会に関(かか)わっていると思えることです。でも、本当の当事者になれることなんて、多分ほどんどない。だから、そうなりたい気持ちを靖国神社やら何やらに動員される。でも、たとえばフリーターでネット右翼の子から、下手にその気持ちを取り上げたら自殺しかねない。今の人は、それくらい追い込まれていると思う。
それから鈴木邦男氏はマガジン9条に連載中のエッセイの中で次のようにを書いておられます。
「ツレがウヨになりまして。」を観て http://www.magazine9.jp/kunio/120530/
>地方に講演に行った時、地元の右翼の人に言われた。「鈴木さんは早稲田を出ていながら、なんで右翼になったんですか?」と。意味が分からないので聞き返したら、「僕ならば、絶対に右翼になんかなりません」と言う。右翼運動をやりながら、「右翼になんか」と言ったのだ。全共闘と闘った右翼学生が、卒業後も右翼運動をやっていた。志を継ぐという意味では当たり前だと思っていた。でも、彼には理解できなかったようだ。
私は、ぽむさんも、Fondriestさんも、秋原さんも、彼らのような右翼について語る「切り札」として「ネオナチ」という言葉を持ちだされたことに少しショックを受けました。そのように「記号化された悪」として、ひとまとめに彼らを見てしまっていいのかどうか疑問に思ったからです。(そもそもネオナチ自体が、上述のような日本の右翼と同じような問題によって成り立っているのではないかという気もするのですが)私は、彼等にとって慰安婦問題や南京虐殺を認めないことや日本の侵略戦争を肯定するということなどは、彼等がまとっている上辺だけのマントに過ぎないような気がしています。そういったことが彼らの血肉になっているとはとうてい思えないのです。それでも、そのマントに書かれてあることを額面通りに受け取る限りは、左派系の人も右翼も互いに社会的に同等の立場で対立しているように見えます。しかし、お互いのマントを取り去ってしまえば、見えてくるのは別の問題ではないでしょうか。私には、彼らにそのようなレッテルを張って、十派ひとからげに嫌うことは、それを見てしまうことを避けようとしているようにも思えてしまうのです。
リアルの方で、まだ色々用事があるので、当分書き込みは出来ないと思います。これからは暑くなりますが、どうか皆さま、お体大切に。お元気でお過ごしくださいますように。
私があの後もひとつだけ、疑問に思っていたのは「脱原発運動に右翼を入れてはいけない」という方たちは、具体的には一体、どうされるつもりなのかということでした。(私自身はやっぱり、そんな「選り好み」をしている場合ではないと思うのですが・・・)たとえばデモのときなどに、呼びかけた団体の方たちに向かって「右翼は参加させるな」なんて無理は言えないと思います。また、その場に行って自ら阻止するというのも大いに問題があるでしょう。(そんなことをしたら当然揉めて、双方から逮捕者が出てしまったりしたら、デモにケチがついてしまいますから)
右翼であろうと左翼であろうと「表現の自由」はあるはずで、その一つとして脱原発を表明し、この大きな運動に参加する権利もあると思います。(もちろん、秋原さんが、こちのエントリーでも何度か取り上げている在特会のやり方などは、とうてい「表現の自由」などとは言えない、ただの暴力だと思いますが、http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-988.html 針谷氏や鈴木邦男氏等の団体がそのようなことを行っているわけではないでしょう)
>秋原さん
私も鈴木邦男氏のような特殊な(?)方を除いて、一般的な右翼の人たちの考え方は嫌いです。しかし、ああした右翼団体に入って行く若者の多くが世間の平均よりも恵まれているとは思えない現実があります。たとえば、雨宮処凛さんも御自身の体験から居場所のない若者たちが右翼へ入っていくという話をよくされているようです。以下はあるブログで引用されていた、論座に載っていたという雨宮さんの言葉です。
>私が右翼にいた理由はさまざまだがフリーターだったこととの関連はあまりにも大きい。第一に、フリーターはどこにも属していない。属したくても属せない。(略)
>たった一人、社会から切り離されて浮遊していた私は、どこかに属したくて仕方なかった。
>不安定で貧乏だった私は、国内に自分以下の比較対象がなかった。だからこそ、第三世界の惨状と、貧乏な上にどうやら未来もない自分の境遇を照らし合わせては、日々「日本に生まれた私は幸せだ!」と自分に言い聞かせていた。自分について幸運だと思えることが、「日本に生れた日本人であること」しかなかったのだから仕方がない。
>とにかく自分が生きていきづらいこの社会について、考えたかったのだ。その意味では、右翼でも左翼でもよかった。
この言葉を引用されていたブロガーさんは、雨宮さんが右翼へ行ったのは、左翼の言葉は右翼よりも難解で、当時の彼女にはわかりにくかったからだろうと推測されていました。(ちなみに私も高卒ですので、雨宮さんがそう思われたのだとしたら、その気持ちはわかります)
また、以下は雨宮さんと中島岳志さんとの対談での雨宮さんの言葉です。ブログマガジン『ゆうかん金曜日』より
http://lecolline1.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/49_436f.html
>ただ、フリーターから右翼になった経緯は、今の人と近いかもしれない。自分がどこにも所属していない不安感があったけど、右翼になった途端「自分も必要とされている」と思えました。やはり、ナショナリズムは雇用不安と関係があると思う。今、フリーターのルポを書いていますが、彼らは自分を肯定できる要素が日本人であることしかなかったりする。・・・・・・当事者であるとは、言い換えると自分が主体的に、社会に関(かか)わっていると思えることです。でも、本当の当事者になれることなんて、多分ほどんどない。だから、そうなりたい気持ちを靖国神社やら何やらに動員される。でも、たとえばフリーターでネット右翼の子から、下手にその気持ちを取り上げたら自殺しかねない。今の人は、それくらい追い込まれていると思う。
それから鈴木邦男氏はマガジン9条に連載中のエッセイの中で次のようにを書いておられます。
「ツレがウヨになりまして。」を観て http://www.magazine9.jp/kunio/120530/
>地方に講演に行った時、地元の右翼の人に言われた。「鈴木さんは早稲田を出ていながら、なんで右翼になったんですか?」と。意味が分からないので聞き返したら、「僕ならば、絶対に右翼になんかなりません」と言う。右翼運動をやりながら、「右翼になんか」と言ったのだ。全共闘と闘った右翼学生が、卒業後も右翼運動をやっていた。志を継ぐという意味では当たり前だと思っていた。でも、彼には理解できなかったようだ。
私は、ぽむさんも、Fondriestさんも、秋原さんも、彼らのような右翼について語る「切り札」として「ネオナチ」という言葉を持ちだされたことに少しショックを受けました。そのように「記号化された悪」として、ひとまとめに彼らを見てしまっていいのかどうか疑問に思ったからです。(そもそもネオナチ自体が、上述のような日本の右翼と同じような問題によって成り立っているのではないかという気もするのですが)私は、彼等にとって慰安婦問題や南京虐殺を認めないことや日本の侵略戦争を肯定するということなどは、彼等がまとっている上辺だけのマントに過ぎないような気がしています。そういったことが彼らの血肉になっているとはとうてい思えないのです。それでも、そのマントに書かれてあることを額面通りに受け取る限りは、左派系の人も右翼も互いに社会的に同等の立場で対立しているように見えます。しかし、お互いのマントを取り去ってしまえば、見えてくるのは別の問題ではないでしょうか。私には、彼らにそのようなレッテルを張って、十派ひとからげに嫌うことは、それを見てしまうことを避けようとしているようにも思えてしまうのです。
リアルの方で、まだ色々用事があるので、当分書き込みは出来ないと思います。これからは暑くなりますが、どうか皆さま、お体大切に。お元気でお過ごしくださいますように。
>青い鳥さん
ええと・・私は別に「寛大な対応」などしていませんよ(^^;
それから小野さんの仰るような「調停努力」なるものもしていません。「調停」など意味がないからです。
確かにFondriestさんの言葉は失礼千万でした、とくにこれなんか
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8663
でも青い鳥さん、風鈴草さん、フリスキーさんには大変申し訳ないのですが、今回は「議論に関係のない、フリスキーさんやわたしに対する…“偽善者”や“太鼓持ち”や“お前”呼び捨てなどの言葉」等々の失礼千万さがかき消されてしまうほど、Fondriestさんが怒った理由が私にはストレートに伝わってきたのです。
(もう少し言葉を選ぶ選択肢はあったと思いますけどね)
青い鳥さんは常連さんですので、私には青い鳥さんが統一義勇軍のようなレイシストと共闘する気などないことはよくわかっています。ここは初めていらしたFondriestさんとは認識を異にするところです。
Fondriestさんの青い鳥さんと風鈴草さん宛の最初のコメントはこれです。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8599
このコメントは決して無礼なものではないと私は感じました(このコメントでFondriestさんは「レイシズムを容認」という言葉を使っていますが、それは妥当だったと今なら私も思えます)
私もこちらコメントで、なぜFondriestさんが青い鳥さんはレイシズムを容認していると判断なさったかの説明を青い鳥さんにしております。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8653
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8687
「ただ共闘を模索しようとコメントしたことのみをあげつらい、」と青い鳥さんは仰いますが、Fondriestさんはあげつらったわけではないのです。だって、客観的に見れば青い鳥さんのこのコメントは統一義勇軍との共闘を認めてると読めなくないのですから。
青い鳥さんはFondriestさんの最初のコメントをもらった直後のレスで「断固抗議する!謝罪を要求する!」とお怒りになりましたね。
でも青い鳥さんのコメントは青い鳥さんの真意に反して統一義勇軍との共闘を認めてると読めるのですから、お怒りになるのではなく、このコメントについて、レイシストとの共闘を肯定したわけではないことを自分の言葉で釈明されたらよかったのではないかな、と思うのです。
Fondriestさん自身もこちらでそう仰っていますし。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8668
(引用開始)
まず言っておきますが、私の最初のコメントには多少の皮肉があっても罵倒はありませんね。全くフレンドリーにしなかったのはぽむさんの指摘を二人が全く無かったかのようにスルーしていたからです。
それに対していきなり私をデマゴーグ呼ばわり(これは罵倒ですね)して対話を拒否したのは青い鳥さんの側です。彼の「真意」はともかく、彼の「激しい同意」がレイシストの容認につながるという解釈についてはあなた方の敬愛する秋原さんもかなりの蓋然性をもって同意されてますね。もしそうでないならそれを説明すればいいだけのことになのに、そこには触れず自分の信念だけを根拠にされても逃げているとしか判断できません。
(引用ここまで)
私は青い鳥さんがレイシズムや歴史修正主義をどれほど憎んでいるかよくわかっているつもりです。なので「レイシズムを容認している」と言われたときのお腹立ちの気持ちもわかります。
でもFondriestさんの最初のコメントに対して感情的にならず、誤解を招いたご自分のコメント、ご自分の言葉の使い方には責任を持って説明せねばならない、ということをFondriestさんはおっしゃりたかったのではないでしょうか。
「差別される側のお気持ちを斟酌する努力しようとあらためて考え直しました」と仰るならなおさらです。
ご不快になったかもしれません、お許しください。
私の言わんとすることが青い鳥さんに伝わると良いのですが、と祈る気持ちです
それから小野さんの仰るような「調停努力」なるものもしていません。「調停」など意味がないからです。
確かにFondriestさんの言葉は失礼千万でした、とくにこれなんか
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8663
でも青い鳥さん、風鈴草さん、フリスキーさんには大変申し訳ないのですが、今回は「議論に関係のない、フリスキーさんやわたしに対する…“偽善者”や“太鼓持ち”や“お前”呼び捨てなどの言葉」等々の失礼千万さがかき消されてしまうほど、Fondriestさんが怒った理由が私にはストレートに伝わってきたのです。
(もう少し言葉を選ぶ選択肢はあったと思いますけどね)
青い鳥さんは常連さんですので、私には青い鳥さんが統一義勇軍のようなレイシストと共闘する気などないことはよくわかっています。ここは初めていらしたFondriestさんとは認識を異にするところです。
Fondriestさんの青い鳥さんと風鈴草さん宛の最初のコメントはこれです。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8599
このコメントは決して無礼なものではないと私は感じました(このコメントでFondriestさんは「レイシズムを容認」という言葉を使っていますが、それは妥当だったと今なら私も思えます)
私もこちらコメントで、なぜFondriestさんが青い鳥さんはレイシズムを容認していると判断なさったかの説明を青い鳥さんにしております。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8653
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8687
「ただ共闘を模索しようとコメントしたことのみをあげつらい、」と青い鳥さんは仰いますが、Fondriestさんはあげつらったわけではないのです。だって、客観的に見れば青い鳥さんのこのコメントは統一義勇軍との共闘を認めてると読めなくないのですから。
青い鳥さんはFondriestさんの最初のコメントをもらった直後のレスで「断固抗議する!謝罪を要求する!」とお怒りになりましたね。
でも青い鳥さんのコメントは青い鳥さんの真意に反して統一義勇軍との共闘を認めてると読めるのですから、お怒りになるのではなく、このコメントについて、レイシストとの共闘を肯定したわけではないことを自分の言葉で釈明されたらよかったのではないかな、と思うのです。
Fondriestさん自身もこちらでそう仰っていますし。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8668
(引用開始)
まず言っておきますが、私の最初のコメントには多少の皮肉があっても罵倒はありませんね。全くフレンドリーにしなかったのはぽむさんの指摘を二人が全く無かったかのようにスルーしていたからです。
それに対していきなり私をデマゴーグ呼ばわり(これは罵倒ですね)して対話を拒否したのは青い鳥さんの側です。彼の「真意」はともかく、彼の「激しい同意」がレイシストの容認につながるという解釈についてはあなた方の敬愛する秋原さんもかなりの蓋然性をもって同意されてますね。もしそうでないならそれを説明すればいいだけのことになのに、そこには触れず自分の信念だけを根拠にされても逃げているとしか判断できません。
(引用ここまで)
私は青い鳥さんがレイシズムや歴史修正主義をどれほど憎んでいるかよくわかっているつもりです。なので「レイシズムを容認している」と言われたときのお腹立ちの気持ちもわかります。
でもFondriestさんの最初のコメントに対して感情的にならず、誤解を招いたご自分のコメント、ご自分の言葉の使い方には責任を持って説明せねばならない、ということをFondriestさんはおっしゃりたかったのではないでしょうか。
「差別される側のお気持ちを斟酌する努力しようとあらためて考え直しました」と仰るならなおさらです。
ご不快になったかもしれません、お許しください。
私の言わんとすることが青い鳥さんに伝わると良いのですが、と祈る気持ちです
>秋原葉月さん…
>風鈴草さんが「良識ある右翼」とお考えらしい統一戦線義勇軍 議長 針谷大輔氏ですが、こんな事も言ってる人です。
「天皇陛下の軍隊であった我が「皇軍」が、そんな恥さらしになる従軍慰安婦なるものを、公然と皇軍主導でやる訳はないではないか!」
わたしは、このぽむ様のご指摘を読み直しましてやはりわたしの考えが間違っているのかなと思いました。このご指摘が事実であるならば、こんな集団とは、“共闘”なんかできません。しかし、ながら新右翼一水会顧問の鈴木邦男氏をわたしは尊敬してやみません、氏の様な方なら右翼であろうが、個別に是々非々で充分に共闘は可能だと思います。氏は“君が代斉唱の強制”に真っ向反対の論陣をはってますし、先程コメントしました通り、日本共産党や、反核運動に対して左派に、これまたわたしが尊敬する元日本共産党政策委員長筆坂秀世さんと共に素晴らしいエールを送ってみえるからです。
あと、東京が起点となった脱原発のデモ、運動を、どう持続させ全国に波及させるかを真剣に検討する必要があると強く思います。原発推進の国会議員には投票しないと圧力をかければ、己の食いぶちばかり気にしている民・自・公の棄民政治屋どもも落ちたら困るので多少は、考えるでしょうに…。あと、レイシズムや歴史修正主義者との共闘はしないにしても、日本国憲法に対するスタンスの違いを、どう折り合いをつけるか…?も、大きな問題ですよね…。先日、大飯原発が再稼働してしまいましたが、この脱原発の運動を最重要課題と位置づける必要がありますね…。このままなし崩し的に約50基ある原発(核利用施設)が稼働されてしまったならば、元も子もなくなってしまいますものね…。 最後に、風鈴草さんやフリスキーさん、小野哲さん、わたしに対する無礼極まりなき「解同」の暴力にも似た、レイシズムにも通ずる侮辱する罵詈雑言は、断じて許しません。
「天皇陛下の軍隊であった我が「皇軍」が、そんな恥さらしになる従軍慰安婦なるものを、公然と皇軍主導でやる訳はないではないか!」
わたしは、このぽむ様のご指摘を読み直しましてやはりわたしの考えが間違っているのかなと思いました。このご指摘が事実であるならば、こんな集団とは、“共闘”なんかできません。しかし、ながら新右翼一水会顧問の鈴木邦男氏をわたしは尊敬してやみません、氏の様な方なら右翼であろうが、個別に是々非々で充分に共闘は可能だと思います。氏は“君が代斉唱の強制”に真っ向反対の論陣をはってますし、先程コメントしました通り、日本共産党や、反核運動に対して左派に、これまたわたしが尊敬する元日本共産党政策委員長筆坂秀世さんと共に素晴らしいエールを送ってみえるからです。
あと、東京が起点となった脱原発のデモ、運動を、どう持続させ全国に波及させるかを真剣に検討する必要があると強く思います。原発推進の国会議員には投票しないと圧力をかければ、己の食いぶちばかり気にしている民・自・公の棄民政治屋どもも落ちたら困るので多少は、考えるでしょうに…。あと、レイシズムや歴史修正主義者との共闘はしないにしても、日本国憲法に対するスタンスの違いを、どう折り合いをつけるか…?も、大きな問題ですよね…。先日、大飯原発が再稼働してしまいましたが、この脱原発の運動を最重要課題と位置づける必要がありますね…。このままなし崩し的に約50基ある原発(核利用施設)が稼働されてしまったならば、元も子もなくなってしまいますものね…。 最後に、風鈴草さんやフリスキーさん、小野哲さん、わたしに対する無礼極まりなき「解同」の暴力にも似た、レイシズムにも通ずる侮辱する罵詈雑言は、断じて許しません。
福島第一原発収束作業員 悲痛の訴え
秋原さんへ
私の秋原さんへのレスを書いたのですが、私の投稿の締めくくりとして書いているうちに
長文になりましたので、弊ブログのエントリーに書かせていただきまして、こちらにトラックバックを送信させて頂きました。
ただし、
秋原さんに対する批判的な内容となっておりますので、削除して頂いても構いません。
P.S
私はFondriestさんをマジギレさせたここでは唯一の人物のようですが、
ここで思い出したことがあります。
私がかつて宗教者の方々との交流をしていた頃、
或る宗教原理主義者にして政治右派の方と激論になり、
最後に彼に言われた言葉は、
『君は、人を怒らせる天才だな』
というものでした。
余談にて失礼します。
長文になりましたので、弊ブログのエントリーに書かせていただきまして、こちらにトラックバックを送信させて頂きました。
ただし、
秋原さんに対する批判的な内容となっておりますので、削除して頂いても構いません。
P.S
私はFondriestさんをマジギレさせたここでは唯一の人物のようですが、
ここで思い出したことがあります。
私がかつて宗教者の方々との交流をしていた頃、
或る宗教原理主義者にして政治右派の方と激論になり、
最後に彼に言われた言葉は、
『君は、人を怒らせる天才だな』
というものでした。
余談にて失礼します。
suterakuso 氏へ
あなたの指摘に関しては以下のエントリーで見解を述べていますのでご参照を。
また、ネチケットの問題に関してはあくまでも今回は反原発に関するエントリーですので、あしからず。建設的な立場による反論なら私はブログでの議論にお答えしたいと思っていますので。
ただ、エントリーの趣旨と逸脱するような議論はできませんよ。
http://tetsuono123.seesaa.net/article/278981813.html
また、ネチケットの問題に関してはあくまでも今回は反原発に関するエントリーですので、あしからず。建設的な立場による反論なら私はブログでの議論にお答えしたいと思っていますので。
ただ、エントリーの趣旨と逸脱するような議論はできませんよ。
http://tetsuono123.seesaa.net/article/278981813.html
>秋原様
横から失礼いたします。
>「被災した「外国人」が脱原発運動にレイシストが参加しているに留まらず壇上に上げられるような事態をどんな気持ちで見るか想像出来ますか?」
この言葉に表れるように、脱原発というシングルイシューで「右も左もなく」レイシストとの部分共闘を認めることは、レイシズムや歴史修正主義の被害者であるマイノリティにとってはレイシズムそのものを容認されるに匹敵する。
私も、Fondriest様の発言がエキセントリックだと感じながらも、ほんの少しばかり、妙に、琴線に触れるものがありました。
在日の立場として、自分を外国人被災者に置き換えた場合、統一戦線義勇軍と共闘する事はおおよそ容認できないし、仮に周囲との対立を避けるため、容認したとしても、感情的しこりは残り続けるでしょう。
あくまでも推論の域をでませんが、多くの外国人、マイノリティ、被差別者が同じ様に感じるかもしれません。
統一戦線義勇軍自体、最近の組織なので、比較的「穏健」とは思われすが、過去からの例を見ても、右翼組織による外国人・被差別者に対する暴力(今、在特会が目立っているわけではありません。私も、高校生くらいの頃は、同輩が右翼やそれに近い集団に「ボコ」れた事が何度かありました。)は、当たり前のようにあります。
仮に、統一戦線義勇がその様な“行動”にでないとしても、その思想の背景に暴力的な集団と同様のレイシズムを見出したら、感情論を超えて、生理的な「恐怖」を感じます。それも“生存”のレベルでの恐怖です。
そういった、集団と肩を並べる事は、相当な苦痛です。そして、それまで差別を無くすために、共闘してきた人たちが、脱原発でレイシストと共闘するとなったら「裏切られた」と思うでしょう。
人によっては、時には、面と向かって激しく「日和見」「裏切り」非難する場合もあるでしょう。
当然、共闘する側からみれば、勝手な思い込みと映るかもしれませんが。
レイシズムがその結果として暴力を生み出している限り、差別される側にとって、レイシストに歩み寄るには、彼らがレイシストであることを止める以外ないです。
(仮に、そうなった所で、それまでの遺恨は残るでしょうが…。)
原理主義と非難されたとしても、結果的にゼノフォビアとなって自らに跳ね返ってきたとしても、理性で割り切る以前に、本能で拒否してしまう人もいるのです。
だって、自らの“生存”自体が脅かされてきた訳ですから。
これは、一方的なマイノリティの立場からの発言です。エキセントリックかつセンシティブな発言だと、自分でも思います。
あくまでも「脱原発」という1点(統一戦線義勇軍の「脱原発」に義があったとして)を目標とするなら、共闘も一つの選択肢なのかも知れませんが、このエントリーのタイトル通り「日本の草の根の民主化運動の発端」という観点から考えた場合、レイシズム的な思想を持つ集団と共闘する事に意義は見いだせませんし、マイノリティの立場からは「容認できない」というのが心情です。
最後に、少し論点が変わりますが、私も統一戦線義勇軍の「脱原発」に疑問を感じます。
彼等の立場にたった時、「自衛隊解体・国軍創設!」という政策・スローガンと「脱原発」がどう結びつくのか、最終的に矛盾する結果になるのではないでしょうか?
http://www.giyuugun.jp/slogan.php
>「被災した「外国人」が脱原発運動にレイシストが参加しているに留まらず壇上に上げられるような事態をどんな気持ちで見るか想像出来ますか?」
この言葉に表れるように、脱原発というシングルイシューで「右も左もなく」レイシストとの部分共闘を認めることは、レイシズムや歴史修正主義の被害者であるマイノリティにとってはレイシズムそのものを容認されるに匹敵する。
私も、Fondriest様の発言がエキセントリックだと感じながらも、ほんの少しばかり、妙に、琴線に触れるものがありました。
在日の立場として、自分を外国人被災者に置き換えた場合、統一戦線義勇軍と共闘する事はおおよそ容認できないし、仮に周囲との対立を避けるため、容認したとしても、感情的しこりは残り続けるでしょう。
あくまでも推論の域をでませんが、多くの外国人、マイノリティ、被差別者が同じ様に感じるかもしれません。
統一戦線義勇軍自体、最近の組織なので、比較的「穏健」とは思われすが、過去からの例を見ても、右翼組織による外国人・被差別者に対する暴力(今、在特会が目立っているわけではありません。私も、高校生くらいの頃は、同輩が右翼やそれに近い集団に「ボコ」れた事が何度かありました。)は、当たり前のようにあります。
仮に、統一戦線義勇がその様な“行動”にでないとしても、その思想の背景に暴力的な集団と同様のレイシズムを見出したら、感情論を超えて、生理的な「恐怖」を感じます。それも“生存”のレベルでの恐怖です。
そういった、集団と肩を並べる事は、相当な苦痛です。そして、それまで差別を無くすために、共闘してきた人たちが、脱原発でレイシストと共闘するとなったら「裏切られた」と思うでしょう。
人によっては、時には、面と向かって激しく「日和見」「裏切り」非難する場合もあるでしょう。
当然、共闘する側からみれば、勝手な思い込みと映るかもしれませんが。
レイシズムがその結果として暴力を生み出している限り、差別される側にとって、レイシストに歩み寄るには、彼らがレイシストであることを止める以外ないです。
(仮に、そうなった所で、それまでの遺恨は残るでしょうが…。)
原理主義と非難されたとしても、結果的にゼノフォビアとなって自らに跳ね返ってきたとしても、理性で割り切る以前に、本能で拒否してしまう人もいるのです。
だって、自らの“生存”自体が脅かされてきた訳ですから。
これは、一方的なマイノリティの立場からの発言です。エキセントリックかつセンシティブな発言だと、自分でも思います。
あくまでも「脱原発」という1点(統一戦線義勇軍の「脱原発」に義があったとして)を目標とするなら、共闘も一つの選択肢なのかも知れませんが、このエントリーのタイトル通り「日本の草の根の民主化運動の発端」という観点から考えた場合、レイシズム的な思想を持つ集団と共闘する事に意義は見いだせませんし、マイノリティの立場からは「容認できない」というのが心情です。
最後に、少し論点が変わりますが、私も統一戦線義勇軍の「脱原発」に疑問を感じます。
彼等の立場にたった時、「自衛隊解体・国軍創設!」という政策・スローガンと「脱原発」がどう結びつくのか、最終的に矛盾する結果になるのではないでしょうか?
http://www.giyuugun.jp/slogan.php
風鈴草さんのコメントを読んで思ったこと
>私は、ぽむさんも、Fondriestさんも、秋原さんも、彼らのような右翼について語る
>「切り札」として「ネオナチ」という言葉を持ちだされたことに少しショックを受けました。
>そのように「記号化された悪」として、
>ひとまとめに彼らを見てしまっていいのかどうか疑問に思ったからです。
風鈴草さんの述べられているこの点について、ふと思ったことがあります。
以前も書いたとおり、私には街宣右翼団体の関係者の友人がいます。彼を通して現役の活動家とも
知り合いました。ちなみに後者は公安にマークされています。
その友人は確かにレイシズム的な事を言うことがあるんです。
絶対に同意できないところです。
ある国を取り上げてそこの国民全般への蔑視とも取れる発言です。
むかっと来る表現を使うときもあります。
ところが、
彼はその国の国民を自分の女房にしているんです。二人の子供を作り、ハーフであるお子さんたちに
対してはとても子煩悩に接しています。
産経新聞を支持し、諸悪の根源を日教組と断ずるようなところからも街宣右翼の典型像を
見る思いですが、
彼と3年付き合ってみてよくわかってきたことは、彼のそういった発言とは裏腹に、
実際に面と向かって接してくる人間に対しては、国籍、経済状況、職業、年齢もろもろにおいて、
実に分け隔てなく付き合っていけるんですね。細やかな気遣いも出来るし、情もあるし、
私に対してもプライバシーを詮索してこないし、私の領域に干渉してこないし、
適度な距離感を持つことについて、私の意を察してくれています。
変な話ですが、下手な左翼よりも、実際の人間関係においては差別意識が少ないんじゃないかとさえ
思えるぐらいなんです。
ある知的障害者の中年の男性がいるのですが、まず近所の人で彼と
話をしている光景を見たことはほとんどないように思うのですが、
その友人は、彼にも気さくに接して、その時の表情や言動に相手を見下すようなニュアンスは
私には感じられません。むしろ彼にとっては数少ない自分と話をしてくれる存在なんだと思います。
ある著名な左翼文化人が、老いて寝たきりとなった時、息子の嫁に体を触らせることを
嫌がったといいます。その理由は、嫁の学歴が一流では無かったからだという話を
以前聞いたことがあります。その左翼文化人の日頃の主張との矛盾が日常生活に明らかに
あったと言います。
件の友人は抽象的な次元においては、差別主義者と言ってもいいかもしれない。
しかし、
実際に接してくる個々の人間に対しては、差別主義者とは思えないのです。
私は、彼のこの“矛盾”の部分があるから、友達でいられているのかもしれません。
ちなみに、彼は幼少期に激しいDVを受けています。それが未だにトラウマとして残っていることを
私に語ったことがあります。中学頃から不良の道に入り、その延長で右翼団体へと繋がった
ようです。私はアンチ右翼で、アンチレイシズムで、だけど彼を嫌いになれないし、
おそらく適度な距離を保ちつつ友人でいつづけるのだろうと思います。
度々の余談をすみませんです。
>「切り札」として「ネオナチ」という言葉を持ちだされたことに少しショックを受けました。
>そのように「記号化された悪」として、
>ひとまとめに彼らを見てしまっていいのかどうか疑問に思ったからです。
風鈴草さんの述べられているこの点について、ふと思ったことがあります。
以前も書いたとおり、私には街宣右翼団体の関係者の友人がいます。彼を通して現役の活動家とも
知り合いました。ちなみに後者は公安にマークされています。
その友人は確かにレイシズム的な事を言うことがあるんです。
絶対に同意できないところです。
ある国を取り上げてそこの国民全般への蔑視とも取れる発言です。
むかっと来る表現を使うときもあります。
ところが、
彼はその国の国民を自分の女房にしているんです。二人の子供を作り、ハーフであるお子さんたちに
対してはとても子煩悩に接しています。
産経新聞を支持し、諸悪の根源を日教組と断ずるようなところからも街宣右翼の典型像を
見る思いですが、
彼と3年付き合ってみてよくわかってきたことは、彼のそういった発言とは裏腹に、
実際に面と向かって接してくる人間に対しては、国籍、経済状況、職業、年齢もろもろにおいて、
実に分け隔てなく付き合っていけるんですね。細やかな気遣いも出来るし、情もあるし、
私に対してもプライバシーを詮索してこないし、私の領域に干渉してこないし、
適度な距離感を持つことについて、私の意を察してくれています。
変な話ですが、下手な左翼よりも、実際の人間関係においては差別意識が少ないんじゃないかとさえ
思えるぐらいなんです。
ある知的障害者の中年の男性がいるのですが、まず近所の人で彼と
話をしている光景を見たことはほとんどないように思うのですが、
その友人は、彼にも気さくに接して、その時の表情や言動に相手を見下すようなニュアンスは
私には感じられません。むしろ彼にとっては数少ない自分と話をしてくれる存在なんだと思います。
ある著名な左翼文化人が、老いて寝たきりとなった時、息子の嫁に体を触らせることを
嫌がったといいます。その理由は、嫁の学歴が一流では無かったからだという話を
以前聞いたことがあります。その左翼文化人の日頃の主張との矛盾が日常生活に明らかに
あったと言います。
件の友人は抽象的な次元においては、差別主義者と言ってもいいかもしれない。
しかし、
実際に接してくる個々の人間に対しては、差別主義者とは思えないのです。
私は、彼のこの“矛盾”の部分があるから、友達でいられているのかもしれません。
ちなみに、彼は幼少期に激しいDVを受けています。それが未だにトラウマとして残っていることを
私に語ったことがあります。中学頃から不良の道に入り、その延長で右翼団体へと繋がった
ようです。私はアンチ右翼で、アンチレイシズムで、だけど彼を嫌いになれないし、
おそらく適度な距離を保ちつつ友人でいつづけるのだろうと思います。
度々の余談をすみませんです。
>ohdedeさん
ohdedeさんにそういっていただけて安堵しました。
先ほどフリスキーさんのところに投稿したコメントをこちらにも転載しておきますね。
(引用開始)
エントリーをあげてくださってありがとうございます。
実はこういう誤解を受けるのではないかな、と予想していました。
私がいう「わかった」というのは「肯定」ではありません。肯定否定の価値判断を伴わない「理解」です。
カウンセリングで言うところの「共感的理解」と同じです。
http://www.counselinglife.com/kyoukantekirikai.html
http://kotobank.jp/word/%E5%85%B1%E6%84%9F%EF%BC%88%E5%85%B1%E6%84%9F%E7%9A%84%E7%90%86%E8%A7%A3%EF%BC%89
肯定否定の価値判断は一切行わないで、なぜ彼は、彼女はそういう行動をしたのかを「理解」する
というのは、ひょっとしたらわかりづらいかもしれません。
(もし「共感的理解」についてご存じでしたらお許しください)
例を挙げると、昔、ロッキード事件で田中角栄に日本中で逆風が吹く中、地元の有権者だけは100%近く田中角栄を支持していました。この地元有権者の行動は他地域の人間には理解しがたいものでした。そこで本多勝一氏はなぜ地元有権者はあれほど熱心に田中角栄を支持するのか、その声を余すところなく取材し、そのまま報道しました。
すると本多氏には「おまえは田中角栄を支持するのか、見損なった」という批判が殺到したそうです。
本多氏は「自分は田中角栄なんか絶対に支持しない。だがその前になぜ地元は彼を支持するのかまずその事実を知って理解する、という作業が否定されてしまうとは驚きだ」という意味のことを言っていました。
「理解」することと「価値判断」は別であることは風鈴草さんへのコメントでも触れています。
なぜ彼らはオウムに入信し、サリンをまくに至ったか、なぜ彼は通り魔殺人を犯したのかを「理解し受け止める」作業は大切です(これをやるのが弁護士、裁判官の役目ですが、重大犯罪の裁判ではこれが「被害者の気持ちを考えろ」の声の下に否定されてしまいます)
でもそれは決して彼らの行為を「肯定」することではないのです。
(だから一番最初に「善し悪しの判断は抜きにして、」と書いたのです)
私はFondriestさんの「レイシストでも歴史修正主義者でもない相手に対するレッテル貼りと度を越した誹謗中傷」を「肯定」はしていません。なぜあんな誹謗中傷をしたのかを「理解」したのです。どう理解したかは青い鳥さんへのコメントに書いてあります。
なぜFondriestさんが聞くに堪えない罵詈雑言を吐いたか、
それは私たちが「レイシストとの部分的共闘は、レイシズム、歴史修正主義を肯定することだ」
ということを本当には理解していなかったからです。
そして「Fondriestさんの怒りが理屈抜きで響いた」のは、自分もこのことを本当にはわかってなかったことに気づいたからなのです。
フリスキーさん、
「あくまで脱原発のアクションにおいて、右翼との部分的共闘を容認はしていても、右翼の歴史認識、ナショナリズム、レイシズムの部分までも容認していることにはなりません。 」
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8675
と仰いましたね。私も最初は漠然とそう思っていました。
彼らとのシングルイシューでの共闘、連帯はレイシズムや歴史修正主義を容認することまでにはならないけれど、拒否すべきだと本能的に考えていました。
でも違うんです。
なぜぽむさんがわざわざフリスキーさん宛にこのコメントを書いたかを考えてみてください。
↓
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8688
『「どうして日本政府は戦争が好きなんですか。今回も来てみたら海外に軍隊を派遣するといっているじゃありませんか。私は軍人を見ただけでもからだがふるえるんです。日の丸を見ただけでもふるえがくる。」
仮に金学順さんのような立場の人(日本による戦争被害者)が大日本帝国やその軍隊のシンボルだった日の丸をはためかせて歩く「脱原発デモ」を見たらどう思うでしょう。 』
私は最初、この元慰安婦の方の気持ちをわかったつもりでいました。
でも、もし本当にこの元慰安婦の方の気持ちがわかっていたら、「右翼との部分的共闘を容認はしていても、右翼の歴史認識、ナショナリズム、レイシズムの部分までも容認することにはならない」とはとても言えないはずなのです。
金学順さんのようなレイシズムの被害者にとっては、脱原発の一点で共闘することは私たちが歴史修正主義やレイシズムを容認したも同然なのです。
ここだけはFondriestさんを「肯定」します。
繰り返しますが、私はFondriestさんが異論に対してあまりに感情的になって罵詈雑言を吐いたことを「理解」はしますが「肯定」はしません。
ぽむさんも私と同じ考えなのですが、ぽむさんは決して暴力的でも排他的でもではなかったでしょう?
「しかしながら、断じてレイシストでも歴史修正主義者でもない相手に対するレッテル貼りと度
を越した誹謗中傷さえ、民族的マジョリティは甘んじて受け入れるべきだと考えたり(秋原さん
がそうは仰ってはいないことは承知しています)、
取るに足らないものだと考えたり、
誹謗中傷するマイノリティへの理解のみを重視していくとですね、
アンチ右翼、アンチ歴史修正主義のpurity(純粋さ)を徹底していくことになり、
この純粋さが実は、“危うさ”と紙一重となっていくことを考える余地があると思います」
以下でフリスキーさんが仰ってることに私は同意しますし、それは私が「なぜFondriestさんが聞くに堪えない罵詈雑言を吐いたかを理解した」ことと矛盾しません。
また、反原発のデモや集会、シンポジウムなどの企画を共同で主催するのは×
自由参加型のデモに参加するのは○
という結論は変わっていないし、これはフリスキーさんもぽむさんもFondriestさんも同じ考えです。
私の中で変わったところは、なぜ部分的でも共闘がいけないかの理由です。
でもこの違いは大きいのです。
(引用ここまで)
>最後に、少し論点が変わりますが、私も統一戦線義勇軍の「脱原発」に疑問を感じます。
彼等の立場にたった時、「自衛隊解体・国軍創設!」という政策・スローガンと「脱原発」がどう結びつくのか、最終的に矛盾する結果になるのではないでしょうか?
フリスキーさんも同じ疑問を述べられてますね
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8694
(引用開始)
私は、小林よしのりであれ、針谷であれ、鈴木邦男であれ、どこまで本気で脱原発を考えているのか、
疑問なんですよ。もし本当に脱原発をするのならば、その実現のためには、
自分たちが掲げてきたナショナリズムの大幅な見直しが求められるからです。
単なる国旗のみならずナショナリズムの象徴でもある日の丸を振りかざしての
デモなど私には矛盾しているとしか思えないのです。
推察するに、彼らは、脱原発という時流に乗って自らの存在感をアピールすることが
得策だと考えているのか、あるいは、自らの矛盾を認識できていないのか、
そのどちらかだと思います。両方かもしれませんね。
(引用ここまで)
やはりバカ殿はじめトンデモの脱原発は所詮「なんちゃって脱原発」ということでしょうか
先ほどフリスキーさんのところに投稿したコメントをこちらにも転載しておきますね。
(引用開始)
エントリーをあげてくださってありがとうございます。
実はこういう誤解を受けるのではないかな、と予想していました。
私がいう「わかった」というのは「肯定」ではありません。肯定否定の価値判断を伴わない「理解」です。
カウンセリングで言うところの「共感的理解」と同じです。
http://www.counselinglife.com/kyoukantekirikai.html
http://kotobank.jp/word/%E5%85%B1%E6%84%9F%EF%BC%88%E5%85%B1%E6%84%9F%E7%9A%84%E7%90%86%E8%A7%A3%EF%BC%89
肯定否定の価値判断は一切行わないで、なぜ彼は、彼女はそういう行動をしたのかを「理解」する
というのは、ひょっとしたらわかりづらいかもしれません。
(もし「共感的理解」についてご存じでしたらお許しください)
例を挙げると、昔、ロッキード事件で田中角栄に日本中で逆風が吹く中、地元の有権者だけは100%近く田中角栄を支持していました。この地元有権者の行動は他地域の人間には理解しがたいものでした。そこで本多勝一氏はなぜ地元有権者はあれほど熱心に田中角栄を支持するのか、その声を余すところなく取材し、そのまま報道しました。
すると本多氏には「おまえは田中角栄を支持するのか、見損なった」という批判が殺到したそうです。
本多氏は「自分は田中角栄なんか絶対に支持しない。だがその前になぜ地元は彼を支持するのかまずその事実を知って理解する、という作業が否定されてしまうとは驚きだ」という意味のことを言っていました。
「理解」することと「価値判断」は別であることは風鈴草さんへのコメントでも触れています。
なぜ彼らはオウムに入信し、サリンをまくに至ったか、なぜ彼は通り魔殺人を犯したのかを「理解し受け止める」作業は大切です(これをやるのが弁護士、裁判官の役目ですが、重大犯罪の裁判ではこれが「被害者の気持ちを考えろ」の声の下に否定されてしまいます)
でもそれは決して彼らの行為を「肯定」することではないのです。
(だから一番最初に「善し悪しの判断は抜きにして、」と書いたのです)
私はFondriestさんの「レイシストでも歴史修正主義者でもない相手に対するレッテル貼りと度を越した誹謗中傷」を「肯定」はしていません。なぜあんな誹謗中傷をしたのかを「理解」したのです。どう理解したかは青い鳥さんへのコメントに書いてあります。
なぜFondriestさんが聞くに堪えない罵詈雑言を吐いたか、
それは私たちが「レイシストとの部分的共闘は、レイシズム、歴史修正主義を肯定することだ」
ということを本当には理解していなかったからです。
そして「Fondriestさんの怒りが理屈抜きで響いた」のは、自分もこのことを本当にはわかってなかったことに気づいたからなのです。
フリスキーさん、
「あくまで脱原発のアクションにおいて、右翼との部分的共闘を容認はしていても、右翼の歴史認識、ナショナリズム、レイシズムの部分までも容認していることにはなりません。 」
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8675
と仰いましたね。私も最初は漠然とそう思っていました。
彼らとのシングルイシューでの共闘、連帯はレイシズムや歴史修正主義を容認することまでにはならないけれど、拒否すべきだと本能的に考えていました。
でも違うんです。
なぜぽむさんがわざわざフリスキーさん宛にこのコメントを書いたかを考えてみてください。
↓
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8688
『「どうして日本政府は戦争が好きなんですか。今回も来てみたら海外に軍隊を派遣するといっているじゃありませんか。私は軍人を見ただけでもからだがふるえるんです。日の丸を見ただけでもふるえがくる。」
仮に金学順さんのような立場の人(日本による戦争被害者)が大日本帝国やその軍隊のシンボルだった日の丸をはためかせて歩く「脱原発デモ」を見たらどう思うでしょう。 』
私は最初、この元慰安婦の方の気持ちをわかったつもりでいました。
でも、もし本当にこの元慰安婦の方の気持ちがわかっていたら、「右翼との部分的共闘を容認はしていても、右翼の歴史認識、ナショナリズム、レイシズムの部分までも容認することにはならない」とはとても言えないはずなのです。
金学順さんのようなレイシズムの被害者にとっては、脱原発の一点で共闘することは私たちが歴史修正主義やレイシズムを容認したも同然なのです。
ここだけはFondriestさんを「肯定」します。
繰り返しますが、私はFondriestさんが異論に対してあまりに感情的になって罵詈雑言を吐いたことを「理解」はしますが「肯定」はしません。
ぽむさんも私と同じ考えなのですが、ぽむさんは決して暴力的でも排他的でもではなかったでしょう?
「しかしながら、断じてレイシストでも歴史修正主義者でもない相手に対するレッテル貼りと度
を越した誹謗中傷さえ、民族的マジョリティは甘んじて受け入れるべきだと考えたり(秋原さん
がそうは仰ってはいないことは承知しています)、
取るに足らないものだと考えたり、
誹謗中傷するマイノリティへの理解のみを重視していくとですね、
アンチ右翼、アンチ歴史修正主義のpurity(純粋さ)を徹底していくことになり、
この純粋さが実は、“危うさ”と紙一重となっていくことを考える余地があると思います」
以下でフリスキーさんが仰ってることに私は同意しますし、それは私が「なぜFondriestさんが聞くに堪えない罵詈雑言を吐いたかを理解した」ことと矛盾しません。
また、反原発のデモや集会、シンポジウムなどの企画を共同で主催するのは×
自由参加型のデモに参加するのは○
という結論は変わっていないし、これはフリスキーさんもぽむさんもFondriestさんも同じ考えです。
私の中で変わったところは、なぜ部分的でも共闘がいけないかの理由です。
でもこの違いは大きいのです。
(引用ここまで)
>最後に、少し論点が変わりますが、私も統一戦線義勇軍の「脱原発」に疑問を感じます。
彼等の立場にたった時、「自衛隊解体・国軍創設!」という政策・スローガンと「脱原発」がどう結びつくのか、最終的に矛盾する結果になるのではないでしょうか?
フリスキーさんも同じ疑問を述べられてますね
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8694
(引用開始)
私は、小林よしのりであれ、針谷であれ、鈴木邦男であれ、どこまで本気で脱原発を考えているのか、
疑問なんですよ。もし本当に脱原発をするのならば、その実現のためには、
自分たちが掲げてきたナショナリズムの大幅な見直しが求められるからです。
単なる国旗のみならずナショナリズムの象徴でもある日の丸を振りかざしての
デモなど私には矛盾しているとしか思えないのです。
推察するに、彼らは、脱原発という時流に乗って自らの存在感をアピールすることが
得策だと考えているのか、あるいは、自らの矛盾を認識できていないのか、
そのどちらかだと思います。両方かもしれませんね。
(引用ここまで)
やはりバカ殿はじめトンデモの脱原発は所詮「なんちゃって脱原発」ということでしょうか
追伸
これ以上詳しいことは言えませんが、
先の投稿で書いた友人の友人である現役の活動家のボスは、
在日コリアンです。
街宣右翼団体には実は、多くの在日コリアンが含まれているという事実も参考材料としておくのもよろしいかと思います。
先の投稿で書いた友人の友人である現役の活動家のボスは、
在日コリアンです。
街宣右翼団体には実は、多くの在日コリアンが含まれているという事実も参考材料としておくのもよろしいかと思います。
Re: 風鈴草さんのコメントを読んで思ったこと>フリスキーさん
人間って矛盾した割り切れない存在ですよね。
だから針谷氏のようなレイシストとでも「酒を飲んで語り合う」ことも現実には起こりうると私は思います。
そういう雑然とした矛盾を含んだありのままの姿をそのまま受け止める、というのをフリスキーさんの写真に感じます
ところでフリスキーさんもその街宣右翼団体の関係者の友人を「理解」はしているけど彼のレイシズムを「肯定」はしてないでしょう?
私のFondriestさんに対する正直な感想もそれと同じなんです
だから針谷氏のようなレイシストとでも「酒を飲んで語り合う」ことも現実には起こりうると私は思います。
そういう雑然とした矛盾を含んだありのままの姿をそのまま受け止める、というのをフリスキーさんの写真に感じます
ところでフリスキーさんもその街宣右翼団体の関係者の友人を「理解」はしているけど彼のレイシズムを「肯定」はしてないでしょう?
私のFondriestさんに対する正直な感想もそれと同じなんです
Re: 追伸>フリスキーさん
悲しいですね。
戦前、本土から差別を受けていた沖縄がどこよりも皇国教育に熱心だったことをふと思い出しました。
そういえば「ネットと愛国」にも似たような事が書かれてました。
鶴橋で街宣してる在特怪のメンバーの中に在日4世(だったかな?)の若者がいたそうです。
彼は自分の同胞に向かって汚い差別用語を浴びせていました。
戦前、本土から差別を受けていた沖縄がどこよりも皇国教育に熱心だったことをふと思い出しました。
そういえば「ネットと愛国」にも似たような事が書かれてました。
鶴橋で街宣してる在特怪のメンバーの中に在日4世(だったかな?)の若者がいたそうです。
彼は自分の同胞に向かって汚い差別用語を浴びせていました。
秋原さん
ohdedeさんへのレスの中で紹介されたURLですが、
http://www.counselinglife.com/kyoukantekirikai.html
私がクリックしたところトロイの木馬が検出されました。
もちろんウィルスソフトでガードされて大丈夫でしたが、
外したほうが良いでしょう。
http://www.counselinglife.com/kyoukantekirikai.html
私がクリックしたところトロイの木馬が検出されました。
もちろんウィルスソフトでガードされて大丈夫でしたが、
外したほうが良いでしょう。
>秋原葉月さん
わたしは、歴史修正主義や、レイシズムに対しては、腹の底から怒りを感じ、断じて許せません。
ただ、フリスキーさんや、小野哲さんのご指摘も、大変大切な視座を包含していると思います。
作家の宮崎 学さん(グリコ森永事件で「キツネ目の男」とされた方)が、昨年、テレ朝の“朝まで生テレビ”にご出演されたとき、こう述べられました…、「わたしが知りうる限りにおいて、日本における指定暴力団やマフィアなどの組織がなかった国は、ポルポトが君臨したカンボジアと、朝鮮民主主義人民共和国だけです。」と…。風鈴草さんが「若者が右翼へ流れる現象がある…云々…。」と記されました。やはり、暴力や差別は許されざるものではありますが、いろいろな人間が存在する社会が健全であるとわたしは思うんですよね…。中国の毛沢東による“文化大革命”での凄まじい粛清、旧ソ連スターリンによる粛清…など、教条主義や原理主義により、本来目指すべき方向と全く逆の方向へ突き進んでしまう危険性を孕むということも歴史の事実として捉える必要はあると思います。
ohdedeさんが記されたことも大切なご指摘であり、差別、暴力は徹底的に駆逐しなければなりません。その辺りの折り合いや寛容さを社会でどの辺りまで許容するか、模索する必要がありますね…。
秋原葉月さんが、日頃ご指摘の、“差別禁止法”の早期制定と、“日本国憲法”の堅持は、最低限必要だと思います。
ただ、フリスキーさんや、小野哲さんのご指摘も、大変大切な視座を包含していると思います。
作家の宮崎 学さん(グリコ森永事件で「キツネ目の男」とされた方)が、昨年、テレ朝の“朝まで生テレビ”にご出演されたとき、こう述べられました…、「わたしが知りうる限りにおいて、日本における指定暴力団やマフィアなどの組織がなかった国は、ポルポトが君臨したカンボジアと、朝鮮民主主義人民共和国だけです。」と…。風鈴草さんが「若者が右翼へ流れる現象がある…云々…。」と記されました。やはり、暴力や差別は許されざるものではありますが、いろいろな人間が存在する社会が健全であるとわたしは思うんですよね…。中国の毛沢東による“文化大革命”での凄まじい粛清、旧ソ連スターリンによる粛清…など、教条主義や原理主義により、本来目指すべき方向と全く逆の方向へ突き進んでしまう危険性を孕むということも歴史の事実として捉える必要はあると思います。
ohdedeさんが記されたことも大切なご指摘であり、差別、暴力は徹底的に駆逐しなければなりません。その辺りの折り合いや寛容さを社会でどの辺りまで許容するか、模索する必要がありますね…。
秋原葉月さんが、日頃ご指摘の、“差別禁止法”の早期制定と、“日本国憲法”の堅持は、最低限必要だと思います。
暴言の新区長選んだ橋下徹
「アフタヌーンカフェ」は村野瀬さんのブログとともにほぼ毎日読ませてもらっています。納得できる記事が多いです。
以下、7月3日付けの朝日新聞の投稿欄に姫路の福本さんが書いた投稿が載りました。橋下氏が公募の区長としてどんな人物を選んでいるかよくわかるので以下転載します。
暴言の新区長選んだ橋下市長
「大阪市の公募で、浪速区長に8月就任が決まった会社社長が昨年、ツイッターに書き込んだという暴言に衝撃を受けた。先日の報道によると、「近頃の右翼があかん政治家を殺したりせえへんようになった」「今の時代に殺す必要は無いのかもしれんけど、管直人は正直殴ったらなあかん」という内容だったという。社長は取材に軽率だったと説明したというが暴力で抑えつけようとする発想は非常に危険だ。橋下徹市長が面接して決めた公募区長である。就任を即刻辞退するべきだと思う。区長は市民に最も身近かな存在だ。暴力的な発言を知って憤りを感じている市民は少なくないのではないか。浪速区民が気の毒でならない。橋下氏が率いる大阪維新の会は次期衆院選で多数の候補者を擁立するという。公募区長と候補者は別であるが、中には幼稚なものもいるという証しだと私は思った。橋下氏は支持率もあり絶賛する一部マスコミもある。でもちゃんとしたポリシーがあるのか。かっての」小泉チルドレン」ブームのように一過性で終わらないか。国政もにらむ橋下氏がこのような人物を選ぶようでは大阪どころか日本の未来など全くない。」
以下、7月3日付けの朝日新聞の投稿欄に姫路の福本さんが書いた投稿が載りました。橋下氏が公募の区長としてどんな人物を選んでいるかよくわかるので以下転載します。
暴言の新区長選んだ橋下市長
「大阪市の公募で、浪速区長に8月就任が決まった会社社長が昨年、ツイッターに書き込んだという暴言に衝撃を受けた。先日の報道によると、「近頃の右翼があかん政治家を殺したりせえへんようになった」「今の時代に殺す必要は無いのかもしれんけど、管直人は正直殴ったらなあかん」という内容だったという。社長は取材に軽率だったと説明したというが暴力で抑えつけようとする発想は非常に危険だ。橋下徹市長が面接して決めた公募区長である。就任を即刻辞退するべきだと思う。区長は市民に最も身近かな存在だ。暴力的な発言を知って憤りを感じている市民は少なくないのではないか。浪速区民が気の毒でならない。橋下氏が率いる大阪維新の会は次期衆院選で多数の候補者を擁立するという。公募区長と候補者は別であるが、中には幼稚なものもいるという証しだと私は思った。橋下氏は支持率もあり絶賛する一部マスコミもある。でもちゃんとしたポリシーがあるのか。かっての」小泉チルドレン」ブームのように一過性で終わらないか。国政もにらむ橋下氏がこのような人物を選ぶようでは大阪どころか日本の未来など全くない。」
徒然…考えたこと、、、
いま現在の日本において、様々な“差別”がありますが、労働形態…これも差別ではないかと思うんですよ…、こんなことはわかりきっていると、こちらのブログさんに集われる方々は、仰ると思うんですが、現実社会は、小泉政権以降の非正規雇用形態を是とし、当然視する風潮にあることに、疑問があります。同じ仕事の内容であるにも関わらず、正規雇用労働者と非正規雇用労働者とは、待遇の面や、安定性をみたとき、雲泥の差があります。大企業にゴミの如くに使い棄てられ、生活が成り立たなくなり、生活保護に助けを求めても、酷いバッシングに晒される。こんな異常な社会、こんな人間の尊厳を蹂躙する社会は、早晩崩壊するのは明らかであると考えます。あと、沖縄差別もありますね…、抑止力を楯に、米軍基地の約75%を沖縄に押し付け本土の人間は、知らんぷり…、こんな差別は、一日も早くなくさなければいけないと思いました。
秋原さんのコメントを読んで、感じたこと。
私はフランスの公民教科書を紹介してきました。そのなかにRacisme人種差別について、多くのページを割いていました。私も中学生になった気持ちで学習しました。しかし秋原さんのまとめ的なコメントを読ませていただいて、私もハンマーで頭を殴られたようでした。私はRacismeを、頭でしか理解していなかったと。
フランスではRacismeは、日常の中で可視的におこなわれます。つまり外見や名前で差別されるのです。ですから教科書も、しつこいぐらいに取り上げるのでしょう。日本では、人種差別が外見によっておこなわれることは少ないように思います。しかしブログのコメント欄には、Racismeの口汚い侮蔑の言葉が蔓延し、個人に対するレッテル張りにRacismeが使われています。(在特会などは公然とおこなっていますが)マジョリティである私が読んでも、反吐が出そうです。同時にこうして人種差別が醸成されていくのだなと危惧もしています。これがもっと大規模に、公然とあらわれない保障はないのです。それは日本において、マイノリティの人権が確立していないからです。法的にも、私たちの意識の中でも。
私はあらためて、マイノリティの視点で(といってもどれだけその立場に立ちきったか)あのFondriest氏のコメントを読み返してみました。(それまでは、正直言って彼のコメントに辟易していました)そして頭を殴られたように感じたのです。それまで得々とフランスを紹介していた自分が恥ずかしく感じました。
以上は、私の率直な感想です。
フランスではRacismeは、日常の中で可視的におこなわれます。つまり外見や名前で差別されるのです。ですから教科書も、しつこいぐらいに取り上げるのでしょう。日本では、人種差別が外見によっておこなわれることは少ないように思います。しかしブログのコメント欄には、Racismeの口汚い侮蔑の言葉が蔓延し、個人に対するレッテル張りにRacismeが使われています。(在特会などは公然とおこなっていますが)マジョリティである私が読んでも、反吐が出そうです。同時にこうして人種差別が醸成されていくのだなと危惧もしています。これがもっと大規模に、公然とあらわれない保障はないのです。それは日本において、マイノリティの人権が確立していないからです。法的にも、私たちの意識の中でも。
私はあらためて、マイノリティの視点で(といってもどれだけその立場に立ちきったか)あのFondriest氏のコメントを読み返してみました。(それまでは、正直言って彼のコメントに辟易していました)そして頭を殴られたように感じたのです。それまで得々とフランスを紹介していた自分が恥ずかしく感じました。
以上は、私の率直な感想です。
セクハラで除名された
元政策委員長を
尊敬している
誰かさんへ
という理解でよろしいでしょうか!?
尊敬している
誰かさんへ
という理解でよろしいでしょうか!?
>dmpx 様…
はい、元日本共産党参議院議員で政策委員長だった筆坂秀世さんを、心から尊敬しています。何か、ございました?…。
青い鳥さんは
セクハラの自由を認める
との理解でよろしいでしょうか
との理解でよろしいでしょうか
>dmpx 様…
筆坂秀世さんは、ご自身の著書、「日本共産党」(新潮社)のなかに記されてみえました。「カラオケで女性とデュエットしました。その時、軽く腰に手を回し歌い、その時は、女性とともに楽しく親睦をはかっていた。しかし、後日、女性から党本部宛てに“セクハラを受けた”と、訴えがあり、参議院議員と役職を解かれたのです。」(要約)筆坂秀世さんご本人にしてみれば、寝耳に水だったでしょう。わたしだって、今まで女性と数え切れない程、腰に手をまわしカラオケでデュエットしましたよ…。わたしは、筆坂秀世さんは、セクハラを受けたとする女性に誠心誠意、お詫びをすれば済んだレベルのことの様に思っています。当然、わたしは、セクハラなんか容認するものではありませんよ…。民主党の仙石さんなんて、女性記者に対して、とんでもなセクハラをしたそうですが、今だに要職についてみえます。筆坂さんは、国会議員の責務として、国民に事の詳細を会見で述べるつもりでしたが、直前に日本共産党幹部から止められた。というのが、ことの成り行きです。ただセクハラは、ご存じのように、女性の受け取り方で決まりますので、難しい面もありますよね…。
> 青い鳥さん
エントリの趣旨からは外れますので、手短になってしまいますが。
筆坂氏のその言い分ですけど、わたしは典型的なセクハラ加害者の釈明だな、と当時感じました。
筆坂氏自身は「楽しく」親睦を図っていたつもりだったのでしょうけど、女性側からすれば不必要に腰に手を回されるのはやはり不快だったのでしょう。ただ恥ずかしさや事を荒立てたくないという配慮などからその場では言えずに後で訴え出たというのもセクハラの事案ではよくある事で…。
金子雅臣氏の『壊れる男たち』(岩波書店)や『裁かれる男たち』(明石書店)には、加害者側のジェンダー意識やそれを是とする社会構造が無意識の(時には”善意の”ですらある)暴力となって被害者を傷つける事例がいくつも取り上げられていますので、よろしければご参照ください。
エントリの趣旨からは外れますので、手短になってしまいますが。
筆坂氏のその言い分ですけど、わたしは典型的なセクハラ加害者の釈明だな、と当時感じました。
筆坂氏自身は「楽しく」親睦を図っていたつもりだったのでしょうけど、女性側からすれば不必要に腰に手を回されるのはやはり不快だったのでしょう。ただ恥ずかしさや事を荒立てたくないという配慮などからその場では言えずに後で訴え出たというのもセクハラの事案ではよくある事で…。
金子雅臣氏の『壊れる男たち』(岩波書店)や『裁かれる男たち』(明石書店)には、加害者側のジェンダー意識やそれを是とする社会構造が無意識の(時には”善意の”ですらある)暴力となって被害者を傷つける事例がいくつも取り上げられていますので、よろしければご参照ください。
jeanvaljeanさんへ
jeanvaljeanさんへ
>しかし秋原さんのまとめ的なコメントを読ませていただいて、私もハンマーで頭を殴られたようでした。私>はRacismeを、頭でしか理解していなかったと。
そのハンマーがね、武器、凶器に転じることについてもお考えいただきたいと思います。
たしかにマイノリティの視座はとても大事です。
なぜならそこを忘れては自由主義を理解することは不可能だからです。
しかし、行き過ぎた純粋さ、求めすぎる潔癖さが、ブーメランとなって自由主義に歯向かって行くんです。
極左のセクト主義がそのことを示しているでしょう。
“自己批判”だの“総括”だの散々暴走したでしょう。大義名分を振りかざしてね。
私は、Fondriestさんがふるった
あんなスカスカのハンマーは微塵も響きませんでした。
>しかし秋原さんのまとめ的なコメントを読ませていただいて、私もハンマーで頭を殴られたようでした。私>はRacismeを、頭でしか理解していなかったと。
そのハンマーがね、武器、凶器に転じることについてもお考えいただきたいと思います。
たしかにマイノリティの視座はとても大事です。
なぜならそこを忘れては自由主義を理解することは不可能だからです。
しかし、行き過ぎた純粋さ、求めすぎる潔癖さが、ブーメランとなって自由主義に歯向かって行くんです。
極左のセクト主義がそのことを示しているでしょう。
“自己批判”だの“総括”だの散々暴走したでしょう。大義名分を振りかざしてね。
私は、Fondriestさんがふるった
あんなスカスカのハンマーは微塵も響きませんでした。
秋原さんに質問です
この議論(?)の流れを見て思うことがあるのですが、また読み違いをするのはいけないので、ブログ主の秋原さんに質問があります。
皆さんの議論を傍から(私も一応コメント欄に投稿していますが、他の人とは違う論点なので)見て、結局のところ皆さん、
「右翼でもレイシストでも歴史修正主義者でも反原発デモに参加することには反対しない」ということじゃないでしょうか。
青い鳥さんや風鈴草さんの真意は断言できませんが、「右翼やレイシストや歴史修正主義者と反原発デモを共同で主催しなければならない、その線は譲れない」とは思っていなくて、自由参加デモでも全然問題ないと思っていたんじゃないでしょうか?というよりも、反原発にもっと多くの人が関心を持ってほしい、ということが書きたかっただけなんじゃないでしょうか?
ただ、「共闘」とは何を意味するか、誰と共闘できて、誰と共闘できないかで各人固有のイメージがあって、それをきちんと摺合せされずに「対立」しているのだと思います。
辞書で引くと「共闘」とは、「二つ以上の組織が共同して政治的、社会的な運動を行うこと」(集英社国語辞典)とあります。辞書的な意味では自由参加型のデモに右翼やレイシストや歴史修正主義者が個人資格で参加するのは「共闘」とは言えないのかもしれませんが、これをもって「共闘」と考えている人もいると思います(個人的には私も「共闘」と絶対に読んではいけないとは思いません)。
追伸 熱い議論の中で一人空気の読めない理屈を展開したり、読み間違いをしたりでどうもすいません。
皆さんの議論を傍から(私も一応コメント欄に投稿していますが、他の人とは違う論点なので)見て、結局のところ皆さん、
「右翼でもレイシストでも歴史修正主義者でも反原発デモに参加することには反対しない」ということじゃないでしょうか。
青い鳥さんや風鈴草さんの真意は断言できませんが、「右翼やレイシストや歴史修正主義者と反原発デモを共同で主催しなければならない、その線は譲れない」とは思っていなくて、自由参加デモでも全然問題ないと思っていたんじゃないでしょうか?というよりも、反原発にもっと多くの人が関心を持ってほしい、ということが書きたかっただけなんじゃないでしょうか?
ただ、「共闘」とは何を意味するか、誰と共闘できて、誰と共闘できないかで各人固有のイメージがあって、それをきちんと摺合せされずに「対立」しているのだと思います。
辞書で引くと「共闘」とは、「二つ以上の組織が共同して政治的、社会的な運動を行うこと」(集英社国語辞典)とあります。辞書的な意味では自由参加型のデモに右翼やレイシストや歴史修正主義者が個人資格で参加するのは「共闘」とは言えないのかもしれませんが、これをもって「共闘」と考えている人もいると思います(個人的には私も「共闘」と絶対に読んではいけないとは思いません)。
追伸 熱い議論の中で一人空気の読めない理屈を展開したり、読み間違いをしたりでどうもすいません。
jeanvaljeanさん
いつも、貴重なご示唆を頂き感謝させて頂いております。
この一連の件の発端がわたくしの、右翼との共闘を是とすることから、賛否両論あり議論が白熱しました。よって、わたしの考えを記させて頂きます…。
わたしに対する罵倒は凄まじいものでしたよ…。こちらがハンマーで後ろからガツンと思いっきり殴られた様な感じがしました。
フリスキーさんや、小野哲さんのお二人が言われるように、左翼の教条主義・原理主義による“行き過ぎた潔癖性”を感じ恐ろしかったのです。秋原葉月さんのご指摘も理解しましたが、それはそれとして、自分と意見が違うからと言って相手の人格や尊厳まで貶める様なもの言いは、これはもはや“言葉の暴力・逆差別”です。建設的議論を封殺するものであると考えます。
赤軍派の内ゲバ「自己反省が足りない」「総括が手緩い」としてリンチし殺人まで犯した風景がわたしの頭を過ぎったのです。
この一連の件の発端がわたくしの、右翼との共闘を是とすることから、賛否両論あり議論が白熱しました。よって、わたしの考えを記させて頂きます…。
わたしに対する罵倒は凄まじいものでしたよ…。こちらがハンマーで後ろからガツンと思いっきり殴られた様な感じがしました。
フリスキーさんや、小野哲さんのお二人が言われるように、左翼の教条主義・原理主義による“行き過ぎた潔癖性”を感じ恐ろしかったのです。秋原葉月さんのご指摘も理解しましたが、それはそれとして、自分と意見が違うからと言って相手の人格や尊厳まで貶める様なもの言いは、これはもはや“言葉の暴力・逆差別”です。建設的議論を封殺するものであると考えます。
赤軍派の内ゲバ「自己反省が足りない」「総括が手緩い」としてリンチし殺人まで犯した風景がわたしの頭を過ぎったのです。
観測霊さま…
>女性側からすれば不必要に腰に手を回されるのはやはり不快だったのでしょう。ただ恥ずかしさや事を荒立てたくないという配慮などからその場では言えずに後で訴え出たというのもセクハラの事案ではよくある事で…。
ありがとうございます。勉強します。ただ、日本共産党が筆坂秀世さんの会見での釈明の機会を奪ってしまったことに疑問を抱いています。これはこれとして、貴殿のご意見には賛成です。ありがとうございました。
ありがとうございます。勉強します。ただ、日本共産党が筆坂秀世さんの会見での釈明の機会を奪ってしまったことに疑問を抱いています。これはこれとして、貴殿のご意見には賛成です。ありがとうございました。
フリスキーさんへ
私はフランスで3回ほど卵を投げつけられました。また語学学校に通っていた頃、中国人のクラスメイトは、地下鉄構内でいきなり数人から殴られたそうです。アジア人にたいするゼノフォビーです。サッカーでも、アフリカ系の選手には、観客から侮蔑の声や仕草が浴びせられます。マグレブ出身の青年は、名前を言った時点で面接を体よく断られます。これはレイシズムです。
しかしこうしたことは、日本では表面上多くは起こっていないでしょう。しかしネットでは、ゼノフォビーが氾濫しています。在特会などレイシズムを掲げた団体の活動も活発です。私たち日本人は、関東大震災の時、事実無根の流言飛語で朝鮮人が多数虐殺された過去を持っています。今はそのようなことは起こらないにしても、形を変えて歯をむき出さない保障はどこにもないのです。大勢順応の日本では、要注意です。
フリスキーさんがおっしゃる武器、凶器に転じる可能性については、私も理解できます。青い鳥さんがおっしゃった部落解放同盟の糾弾です。マジョリティはすべて差別者だという断定です。わたしは、Fondriest氏がふるったハンマーは、それとは違うと思います。レイシズムに対する感覚は、マジョリティとマイノリティとは違うということを解って欲しいと言ったのだと思います。
フランスでは、レイシズムの仕打ちを受けた場合、救済手段があります。またレイシズムに対する市民の連帯もあります。日本にはまだそれがありません。そんな社会で、日本のマイノリティは生きていかねばならないのです。
しかしこうしたことは、日本では表面上多くは起こっていないでしょう。しかしネットでは、ゼノフォビーが氾濫しています。在特会などレイシズムを掲げた団体の活動も活発です。私たち日本人は、関東大震災の時、事実無根の流言飛語で朝鮮人が多数虐殺された過去を持っています。今はそのようなことは起こらないにしても、形を変えて歯をむき出さない保障はどこにもないのです。大勢順応の日本では、要注意です。
フリスキーさんがおっしゃる武器、凶器に転じる可能性については、私も理解できます。青い鳥さんがおっしゃった部落解放同盟の糾弾です。マジョリティはすべて差別者だという断定です。わたしは、Fondriest氏がふるったハンマーは、それとは違うと思います。レイシズムに対する感覚は、マジョリティとマイノリティとは違うということを解って欲しいと言ったのだと思います。
フランスでは、レイシズムの仕打ちを受けた場合、救済手段があります。またレイシズムに対する市民の連帯もあります。日本にはまだそれがありません。そんな社会で、日本のマイノリティは生きていかねばならないのです。
青い鳥様へ
私もショックを受けました。青い鳥さんをはじめ、当事者の方には耐えられないことだったでしょう。しかし私は当事者ではありません。青い鳥さんの、悔しい思いを、私は真実感じることはできないでしょう。それはマジョリティとマイノリティの違いに通じることです。
Fondrie氏のあの暴力的手法は脇に置くとして、Fondrie氏が問題提起したことについては、私たちは心しなければならないのではないかと思います。
フリスキー様、お強い。私には効きすぎました
昔ァし、ある教室で先生が言いました。「この世でいじめられていいのはイジメっ子だけ、差別されていいのは差別する子だけ」
生徒達はそれを聞いていじめないように、差別しないように気をつけて仲良く過ごしました…てなことは全然なくて、教室で差別していいヤツ、いじめていいヤツを作ろうと皆が言いがかりを付け合って、気づいた先生が「とにかく止めろ」と大喝するまで地獄のような1ト月になりました。後日、先生がどんな行動や言葉を咎めたのか尋ねたらほとんど覚えていなかったそうです……
このエントリーが荒れ模様になったとき、これで茶化すと火に油かと控えていたのも束の間、辛い記憶と重って、私、逃げました。Fondriest様(以下F様と端折らせて下さい)は、壇上に上がる差別主義者を見る被害者の気持には思い致されても、個人的体験からF様の罵詈雑言に涙目になる人は気にしようがなかったでしょう。青い鳥様、折角共闘を仰有って頂けたのに、私、根性なしです。ゴメンなさい。今、フリスキーさんのブログのまとめを見て少ぅし落ち着けたので書いています。
F様のような同害報復的な物言いは、辛いです。ヌルイ、と言わば言え、お花畑と嘲笑うならそれで結構、人は感情の生き物、私は攻撃的なF様より紳士的に見える差別主義者に近づくかもしれません。攻撃とか対立とかから真実に迫る、というのはよほど高等なテクニックです。わだかまりが残るだけなら共感を広げにくいと思います。人によっては「論破ァルーム」と呼ぶ類いの人(私は、ソクラテスに因んで「アブ以前」と呼んでます)なのか、判断もつきかねます。ただ、F様に憎悪を抱いた訳ではありません。ただ、つらいだけ、ただ、悲しいだけ。うまく言えません。
本題について手短に。今度の関電の株主総会でも無自覚な差別的論法だなと感じるものがありました。反或いは脱原発はそういう論法からの脱却でもあるべきで…と考えるとぽむさんに親和的なのでしょうか。ただ皆様の中で「共闘」だったり「容認」だったりと表現される状態が共通のイメージか、ちょっと掴みにくいです。ケーススタディ苦手なもので。それと、スタンスからのご発言は多いですが、私はダイナミズムが気になります。事態の流動化していく中で、変わるものではないかという話です。ここの辺りは私も考えが全然まとまってませんが。
最後に。小野哲様、ほどほどならカミナリ親父も必要ですよね。
生徒達はそれを聞いていじめないように、差別しないように気をつけて仲良く過ごしました…てなことは全然なくて、教室で差別していいヤツ、いじめていいヤツを作ろうと皆が言いがかりを付け合って、気づいた先生が「とにかく止めろ」と大喝するまで地獄のような1ト月になりました。後日、先生がどんな行動や言葉を咎めたのか尋ねたらほとんど覚えていなかったそうです……
このエントリーが荒れ模様になったとき、これで茶化すと火に油かと控えていたのも束の間、辛い記憶と重って、私、逃げました。Fondriest様(以下F様と端折らせて下さい)は、壇上に上がる差別主義者を見る被害者の気持には思い致されても、個人的体験からF様の罵詈雑言に涙目になる人は気にしようがなかったでしょう。青い鳥様、折角共闘を仰有って頂けたのに、私、根性なしです。ゴメンなさい。今、フリスキーさんのブログのまとめを見て少ぅし落ち着けたので書いています。
F様のような同害報復的な物言いは、辛いです。ヌルイ、と言わば言え、お花畑と嘲笑うならそれで結構、人は感情の生き物、私は攻撃的なF様より紳士的に見える差別主義者に近づくかもしれません。攻撃とか対立とかから真実に迫る、というのはよほど高等なテクニックです。わだかまりが残るだけなら共感を広げにくいと思います。人によっては「論破ァルーム」と呼ぶ類いの人(私は、ソクラテスに因んで「アブ以前」と呼んでます)なのか、判断もつきかねます。ただ、F様に憎悪を抱いた訳ではありません。ただ、つらいだけ、ただ、悲しいだけ。うまく言えません。
本題について手短に。今度の関電の株主総会でも無自覚な差別的論法だなと感じるものがありました。反或いは脱原発はそういう論法からの脱却でもあるべきで…と考えるとぽむさんに親和的なのでしょうか。ただ皆様の中で「共闘」だったり「容認」だったりと表現される状態が共通のイメージか、ちょっと掴みにくいです。ケーススタディ苦手なもので。それと、スタンスからのご発言は多いですが、私はダイナミズムが気になります。事態の流動化していく中で、変わるものではないかという話です。ここの辺りは私も考えが全然まとまってませんが。
最後に。小野哲様、ほどほどならカミナリ親父も必要ですよね。
>jeanvaljeanさん
>わたしは、Fondriest氏がふるったハンマーは、それとは違うと思います。レイシズムに対する感覚は、マジョリティとマイノリティとは違うということを解って欲しいと言ったのだと思います。
jeanvaljeanさんや、中国人のお友達がご経験なされたことは、断じて許されるものではないし、仰ることは、よくわかります。秋原葉月さんやohdedeさんの言われたことも痛い程わかります。ただ、あの暴言により、深く傷つけられたわたしの心の傷については、斟酌して頂けないのでしょうか?…。少し異なる意見を表明しただけで、あれ程の糾弾を受けたら、何も言えなくなってしまう。ただわたしはそれが怖いと言いたいのです。
jeanvaljeanさん…、これは、いつわたしたちがどちらの立場になるかわからないと考えます。どちらが正しい、間違いということではなく互いに深く理解し合うことが大切なんではないでしょうか?。フリスキーさんは、明確に右翼との“共闘”は否定的なお立場を表明されました。jeanvaljeanさんには、その点だけは、ご理解頂ければ、幸甚に思います。
これからも、色々とご教授くださいませ。
jeanvaljeanさんや、中国人のお友達がご経験なされたことは、断じて許されるものではないし、仰ることは、よくわかります。秋原葉月さんやohdedeさんの言われたことも痛い程わかります。ただ、あの暴言により、深く傷つけられたわたしの心の傷については、斟酌して頂けないのでしょうか?…。少し異なる意見を表明しただけで、あれ程の糾弾を受けたら、何も言えなくなってしまう。ただわたしはそれが怖いと言いたいのです。
jeanvaljeanさん…、これは、いつわたしたちがどちらの立場になるかわからないと考えます。どちらが正しい、間違いということではなく互いに深く理解し合うことが大切なんではないでしょうか?。フリスキーさんは、明確に右翼との“共闘”は否定的なお立場を表明されました。jeanvaljeanさんには、その点だけは、ご理解頂ければ、幸甚に思います。
これからも、色々とご教授くださいませ。
皆様へ…、、、
>反原発にもっと多くの人が関心を持ってほしい、ということが書きたかっただけなんじゃないでしょうか?
“ブリーチャー・バム ”様、そもそも、このご指摘の通りで、せっかくの20万人にも登る、怒りを一過性のものにするのは、大変もったいないと強く考え、勢いで持論を展開してしまい、皆さんにご迷惑をかけてしてまったことは、わたしの本意では、ございませんので、何卒、変なシコリなど残されることなく、議論して頂きたくお願い申しあげます。
>TED 様…、
ありがとうございます。痛み入ります。
“ブリーチャー・バム ”様、そもそも、このご指摘の通りで、せっかくの20万人にも登る、怒りを一過性のものにするのは、大変もったいないと強く考え、勢いで持論を展開してしまい、皆さんにご迷惑をかけてしてまったことは、わたしの本意では、ございませんので、何卒、変なシコリなど残されることなく、議論して頂きたくお願い申しあげます。
>TED 様…、
ありがとうございます。痛み入ります。
考えさせられました
この間の議論を見ていてさて、共闘とは何であろうと青二才なりに考えさせられました。
議論が長いので少し混乱しておるのですが、議論の争点は「右翼やレイシズムと共闘して脱原発デモは行えるか?」という点なのでしょうか。その点が議論の的なのでしょうか?
その点について私なりの考えを述べさせていただきます。
まず、一点目。以前ここのブログでも紹介して頂いたように、デモというのはどのような人間であっても気軽に参加できる物なのですよね? だとしたら、そこに政治的な思想の違いがある人間が混ざり合うのもごく自然な事なのではないでしょうか。
次に、私が疑問に思ったのは、相手が自分と違う立場でレイシストだから話し合う余地などないというFondriestさんの立場。彼らの主張は決して認めてはいけない物で断じて許せないと僕は強く思っているのですが、彼らを単に「右」というカテゴリーに位置づけることは果たして正しいのかなという思いも心のどこかにあります。
フリスキーさんの話には僕も思い当たることがあります。
>実に分け隔てなく付き合っていけるんですね。細やかな気遣いも出来るし、情もあるし、
私に対してもプライバシーを詮索してこないし、私の領域に干渉してこないし、
適度な距離感を持つことについて、私の意を察してくれています。
変な話ですが、下手な左翼よりも、実際の人間関係においては差別意識が少ないんじゃないかとさえ
思えるぐらいなんです。
ある知的障害者の中年の男性がいるのですが、まず近所の人で彼と
話をしている光景を見たことはほとんどないように思うのですが、
その友人は、彼にも気さくに接して、その時の表情や言動に相手を見下すようなニュアンスは
私には感じられません。むしろ彼にとっては数少ない自分と話をしてくれる存在なんだと思います。
こういう話を聞くと果たして障害を作っているのは、彼らなのか自分たちなのかと思い悩む事があります。
話はまったく違いますが、私は子供の時から知的障がいのある子と接する機会が多く、「この子はコミニケーションが取れないんです」と大人が断定すると悉く反発しておりました。「話せるのに、お前たちが壁作っているんだろう」と。
ただ、今回の話題とはまったく趣旨が違う事は百どころか千も承知ですが、なぜかそんな事を思い出してしまいました。
議論が長いので少し混乱しておるのですが、議論の争点は「右翼やレイシズムと共闘して脱原発デモは行えるか?」という点なのでしょうか。その点が議論の的なのでしょうか?
その点について私なりの考えを述べさせていただきます。
まず、一点目。以前ここのブログでも紹介して頂いたように、デモというのはどのような人間であっても気軽に参加できる物なのですよね? だとしたら、そこに政治的な思想の違いがある人間が混ざり合うのもごく自然な事なのではないでしょうか。
次に、私が疑問に思ったのは、相手が自分と違う立場でレイシストだから話し合う余地などないというFondriestさんの立場。彼らの主張は決して認めてはいけない物で断じて許せないと僕は強く思っているのですが、彼らを単に「右」というカテゴリーに位置づけることは果たして正しいのかなという思いも心のどこかにあります。
フリスキーさんの話には僕も思い当たることがあります。
>実に分け隔てなく付き合っていけるんですね。細やかな気遣いも出来るし、情もあるし、
私に対してもプライバシーを詮索してこないし、私の領域に干渉してこないし、
適度な距離感を持つことについて、私の意を察してくれています。
変な話ですが、下手な左翼よりも、実際の人間関係においては差別意識が少ないんじゃないかとさえ
思えるぐらいなんです。
ある知的障害者の中年の男性がいるのですが、まず近所の人で彼と
話をしている光景を見たことはほとんどないように思うのですが、
その友人は、彼にも気さくに接して、その時の表情や言動に相手を見下すようなニュアンスは
私には感じられません。むしろ彼にとっては数少ない自分と話をしてくれる存在なんだと思います。
こういう話を聞くと果たして障害を作っているのは、彼らなのか自分たちなのかと思い悩む事があります。
話はまったく違いますが、私は子供の時から知的障がいのある子と接する機会が多く、「この子はコミニケーションが取れないんです」と大人が断定すると悉く反発しておりました。「話せるのに、お前たちが壁作っているんだろう」と。
ただ、今回の話題とはまったく趣旨が違う事は百どころか千も承知ですが、なぜかそんな事を思い出してしまいました。
jeanvaljeanさんへ
jeanvaljeanさんもお気楽な人だなぁ・・・
その“脇に置いておくとして”という姿勢にあなたのお気楽さを感じます。
Fondriestさんの“共闘を認めることはレイシズムを容認することだ”という
論法と暴力性に従いますと、
3・11によって田畑を失い、生業を失い、故郷を追われ、これからも家族の放射能被害に
不安を抱えながら生きていかなければならない人たち、及びこれらの人たちに共感する人たちが、
脱原発こそが今の時代の喫緊の課題だし、
もう右も左もいってられない、一人でも多くの同調者をつのってなんとしてでも脱原発を
実現しなければならないという痛切な思いをもって、共闘を肯定した時に、この人たちが、
“レイシズムを容認した連中だ”というレッテルを貼られてしまうということについても
あなたは仕方がないことだとして容認されるのですか?
次に、
被災地のマイノリティの中で、原発への憤りと不安から、脱原発という一点であえて
共闘を容認する人たちがいた場合、そのマイノリティが、
“同胞へのレイシズムを容認した裏切り者”
というレッテルが貼られて排撃されてしまうということに繋がるわけですが、
それでもなお、あなたは彼の論法と姿勢を肯定ないし容認しますか?
あと、
前日弁連会長の宇都宮健児弁護士は、共闘について肯定的なお考えをお持ちのようです。
この宇都宮弁護士も、同様の扱いを受けても致し方ないとお考えですか?
あなたは、当事者つまりマイノリティ自身の視座を重視しておられるわけですが、
あなたに欠けているのは、“被災者の視座”です。
遠くフランスの地にあって、そこに思いが及びませんかね?
それと、左翼過激派も、反差別、反排外主義、階級闘争などをスローガンに掲げていますが、
被差別当事者の視座というものは左翼にとって抗いがたいものなのです。
もっとも強力な大義名分になるから、その分、一歩間違うと武器になるんですよ。
凶器に転じるんです。現に凶器に転じた過去があるんです。暴力闘争、内ゲバ、テロ、
すべて立派な、相手にとって抗いがたい大義名分を根拠にしているんです。
青い鳥さんの示された或る同和団体の理不尽な恫喝も、その根拠は当事者の視座であり、
反差別主義という立派な大義名分によって行われてきたのです。
過激派では“代理糾弾闘争”と言って、非当事者が当事者の視座を利用して相手を恫喝する手法が使われていたことをお忘れなく。
だから問われるのは、当事者の視座を大事にしながらも別の当事者を視座を忘れてはいけない
ということです。
そうでないと、ある“マイノリティ内マジョリティ”による“マイノリティ内マイノリティ”への
差別、排撃を許すことになってしまうのです。
私は、この問題について、弊ブログに二つエントリーを上げてトラックバックをこちらに
送らせていただいているので、
もし反論があるのならば弊ブログのほうに頂いても結構で御座います。
その“脇に置いておくとして”という姿勢にあなたのお気楽さを感じます。
Fondriestさんの“共闘を認めることはレイシズムを容認することだ”という
論法と暴力性に従いますと、
3・11によって田畑を失い、生業を失い、故郷を追われ、これからも家族の放射能被害に
不安を抱えながら生きていかなければならない人たち、及びこれらの人たちに共感する人たちが、
脱原発こそが今の時代の喫緊の課題だし、
もう右も左もいってられない、一人でも多くの同調者をつのってなんとしてでも脱原発を
実現しなければならないという痛切な思いをもって、共闘を肯定した時に、この人たちが、
“レイシズムを容認した連中だ”というレッテルを貼られてしまうということについても
あなたは仕方がないことだとして容認されるのですか?
次に、
被災地のマイノリティの中で、原発への憤りと不安から、脱原発という一点であえて
共闘を容認する人たちがいた場合、そのマイノリティが、
“同胞へのレイシズムを容認した裏切り者”
というレッテルが貼られて排撃されてしまうということに繋がるわけですが、
それでもなお、あなたは彼の論法と姿勢を肯定ないし容認しますか?
あと、
前日弁連会長の宇都宮健児弁護士は、共闘について肯定的なお考えをお持ちのようです。
この宇都宮弁護士も、同様の扱いを受けても致し方ないとお考えですか?
あなたは、当事者つまりマイノリティ自身の視座を重視しておられるわけですが、
あなたに欠けているのは、“被災者の視座”です。
遠くフランスの地にあって、そこに思いが及びませんかね?
それと、左翼過激派も、反差別、反排外主義、階級闘争などをスローガンに掲げていますが、
被差別当事者の視座というものは左翼にとって抗いがたいものなのです。
もっとも強力な大義名分になるから、その分、一歩間違うと武器になるんですよ。
凶器に転じるんです。現に凶器に転じた過去があるんです。暴力闘争、内ゲバ、テロ、
すべて立派な、相手にとって抗いがたい大義名分を根拠にしているんです。
青い鳥さんの示された或る同和団体の理不尽な恫喝も、その根拠は当事者の視座であり、
反差別主義という立派な大義名分によって行われてきたのです。
過激派では“代理糾弾闘争”と言って、非当事者が当事者の視座を利用して相手を恫喝する手法が使われていたことをお忘れなく。
だから問われるのは、当事者の視座を大事にしながらも別の当事者を視座を忘れてはいけない
ということです。
そうでないと、ある“マイノリティ内マジョリティ”による“マイノリティ内マイノリティ”への
差別、排撃を許すことになってしまうのです。
私は、この問題について、弊ブログに二つエントリーを上げてトラックバックをこちらに
送らせていただいているので、
もし反論があるのならば弊ブログのほうに頂いても結構で御座います。
秋原さんへお詫びしたいこと
こちらにトラバさせていただいた拙エントリーですが、タイトルを変更させて頂きました。
あれではまるで、
秋原さん一人への批判をしているような心象を与えてしまいますし、
秋原さんに心理的負担を与えてしまっているのではないかと猛省しております。
私の趣旨は、共闘反対派すべての人に向けられた警鐘として書かせて頂いた次第です。
この点、お詫び申し上げます。
すみませんでした。
あれではまるで、
秋原さん一人への批判をしているような心象を与えてしまいますし、
秋原さんに心理的負担を与えてしまっているのではないかと猛省しております。
私の趣旨は、共闘反対派すべての人に向けられた警鐘として書かせて頂いた次第です。
この点、お詫び申し上げます。
すみませんでした。
どこまでの「共闘」なら許容できるかを個別具体的にみませんか
え、とですね、誤解の無いようにもう一度説明しておきたいと思います。
「共闘」と言う言葉を「脱原発の一点で共同で集会やデモ、声明を企画する」という意味で使わせていただくことを前提として、
私は今回「共闘はたとえ脱原発の一点の共闘であってもレイシズムの被害者にとってはレイシズム認容と同じだ」という認識に改めました。そのきっかけはFondriestさんのコメントであったことは事実です。
しかしだからといってFondriestさんの何もかもを「肯定」「支持」しているわけではないのです。
もう一つ誤解して欲しくないのは、「共闘はたとえ脱原発の一点の共闘であってもレイシズムの被害者にとってはレイシズム認容と同じだ」という認識を持ったとしても、それで直ちに部分共闘を肯定した人達を「レイシズムを認容した人々だ」とレッテル貼りをしてもいいとは決して考えていないことです。また、ちょっとでも関わり合いになれば「レイシズムを肯定した」となるとは思いません(後述するように自由参加型デモに統一戦線義勇軍の参加を許容したからと言ってレイシズムの肯定になるとは思わない)
ずいぶんとご都合主義と言われるかも知れませんが、現実の世界では数学のように公式に乗っ取って常にただ一つの回答が自動的に出てくるわけではありません。
どんなことでも原則と例外、一般と個別があります。最終的には個別的に「このケースではどうすべきか」を考えざるをえないのです。
私が「共闘はたとえ脱原発の一点の共闘であってもレイシズムの被害者にとってはレイシズム認容と同じだ」と認識を改めたことで何が違ってくるかと言えば、一般論としては、レイシストと関わり合いになるケースではより慎重さ厳しさが必要になる、という形で現れるでしょうか。
具体的には、例えば、私は6/29に行われたような自由参加型のデモにおいては統一戦線義勇軍のような団体とでも隣り合わせることはありだと考えているので(これについて異論のある方はとりあえずいないと思います)、レイシズムの被害者のことを考えれば、日の丸をおろすことを要求する、という行動になるでしょうか。
さて、
どうも「共闘」という抽象的な言葉が一人歩きしている印象を受けますが、一口に「共闘」といっても現実ではどんな場面でどういう風にレイシストの脱原発運動と関わることになるかはいろいろなケースがあると思うのです。フリスキーさんが出された事例なんかもその一つだと思います。
要は、原理原則にたちながらも、結局は個別具体的なケースでその原理原則をどのようにどこまで反映させるか、という問題にならざるを得ません。観念的な抽象論に終始してしまうのは、実りがないように思います。
憲法13条では「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限の尊重を必要とする。」と定められていますが、何が公共の福祉に当たるとして人権を制限できるかは、原理原則に立脚しながらも結局最終的にはケースバイケースで個別具体的に考えていくしかないわけです。それと同じことです。
ということでようやく本題なのですが、
ここに話を戻したいと思います。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8657
レイシストの脱原発運動と関わる場合、どこまでなら許容できるか。どんなことだと許容できないか。
誰とならセーフか?
例えば自民の河野太郎氏は?(保守政党の反原発派の代表ということで例に挙げました)
鈴木邦男氏は?
バカ殿は?
統一戦線義勇軍のような団体は?(反原発のレイシスト歴史修正主義団体ということで例に挙げました。ちなみに罪特怪は原発推進です)
極左過激派は?
かぶるところもありますが、私は現在こんな風に考えています。
・共同でデモ、集会、声明発表などを企画するケース
河野太郎氏○
鈴木邦男氏○・・・えっと、この人別にレイシストでも歴史修正主義者でもなかったよね?と確認してみる。仲良しの針谷氏は連れてこないことが条件!日の丸もダメ
バカ殿×
統一戦線義勇軍のような団体×
極左過激派×
・6/29のような自由参加型デモのケース
統一戦線義勇軍のようなレイシズム集団でもバカ殿も極左過激派も○
ただ日の丸はおろすよう、ゲバ棒(って今もあるのかな?)みたいないかにも極左ですって格好はやめるよう、交渉する(但し要求をのまなかったから排除すべき、とまではいかない。ほんとはみんなで日の丸おろせよ!と抗議して欲しいんだけど日本だとそうならないだろうな)
・フリスキーさんが出されたこんなケース
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8682
一緒にデモに同伴することはok 但し日の丸は揚げないよう、他のレイシスト団体を誘ったりしないようお願いする。このお願いが聞いてもらえなかったら、うーん微妙。
こんな感じかな。他の方の意見を聞いて若干変わる場合もあるかも知れません。他にも何か「こんなケースはどうか」というのがあればあげてみてください。
風鈴草さんは今までのコメントですと統一戦線義勇軍のような団体でも共同でデモ、集会、声明発表の企画してよい、とも読めるのですがはっきりしません。このあたりははっきりご意見を伺っていないので私は何とも言えません。
この「レイシスト歴史修正主義者との共闘」で一番争点になるのは共同でデモ、集会、声明発表などを企画するケースで、バカ殿、統一戦線義勇軍と組むかどうか、という所だと思います。なのでこの点について教えていただけると嬉しいです。
もし批判しあうなら、こういう個別具体例における意見を見て批判する方が実りがあると思うのですがいかがでしょうか。
個別具体的事例において意見の一致を見ているのに「共闘を肯定している」「レイシズムを肯定している」「レッテル貼りをしている」等々非難するのは不毛だと思うのです。
「共闘」と言う言葉を「脱原発の一点で共同で集会やデモ、声明を企画する」という意味で使わせていただくことを前提として、
私は今回「共闘はたとえ脱原発の一点の共闘であってもレイシズムの被害者にとってはレイシズム認容と同じだ」という認識に改めました。そのきっかけはFondriestさんのコメントであったことは事実です。
しかしだからといってFondriestさんの何もかもを「肯定」「支持」しているわけではないのです。
もう一つ誤解して欲しくないのは、「共闘はたとえ脱原発の一点の共闘であってもレイシズムの被害者にとってはレイシズム認容と同じだ」という認識を持ったとしても、それで直ちに部分共闘を肯定した人達を「レイシズムを認容した人々だ」とレッテル貼りをしてもいいとは決して考えていないことです。また、ちょっとでも関わり合いになれば「レイシズムを肯定した」となるとは思いません(後述するように自由参加型デモに統一戦線義勇軍の参加を許容したからと言ってレイシズムの肯定になるとは思わない)
ずいぶんとご都合主義と言われるかも知れませんが、現実の世界では数学のように公式に乗っ取って常にただ一つの回答が自動的に出てくるわけではありません。
どんなことでも原則と例外、一般と個別があります。最終的には個別的に「このケースではどうすべきか」を考えざるをえないのです。
私が「共闘はたとえ脱原発の一点の共闘であってもレイシズムの被害者にとってはレイシズム認容と同じだ」と認識を改めたことで何が違ってくるかと言えば、一般論としては、レイシストと関わり合いになるケースではより慎重さ厳しさが必要になる、という形で現れるでしょうか。
具体的には、例えば、私は6/29に行われたような自由参加型のデモにおいては統一戦線義勇軍のような団体とでも隣り合わせることはありだと考えているので(これについて異論のある方はとりあえずいないと思います)、レイシズムの被害者のことを考えれば、日の丸をおろすことを要求する、という行動になるでしょうか。
さて、
どうも「共闘」という抽象的な言葉が一人歩きしている印象を受けますが、一口に「共闘」といっても現実ではどんな場面でどういう風にレイシストの脱原発運動と関わることになるかはいろいろなケースがあると思うのです。フリスキーさんが出された事例なんかもその一つだと思います。
要は、原理原則にたちながらも、結局は個別具体的なケースでその原理原則をどのようにどこまで反映させるか、という問題にならざるを得ません。観念的な抽象論に終始してしまうのは、実りがないように思います。
憲法13条では「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限の尊重を必要とする。」と定められていますが、何が公共の福祉に当たるとして人権を制限できるかは、原理原則に立脚しながらも結局最終的にはケースバイケースで個別具体的に考えていくしかないわけです。それと同じことです。
ということでようやく本題なのですが、
ここに話を戻したいと思います。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8657
レイシストの脱原発運動と関わる場合、どこまでなら許容できるか。どんなことだと許容できないか。
誰とならセーフか?
例えば自民の河野太郎氏は?(保守政党の反原発派の代表ということで例に挙げました)
鈴木邦男氏は?
バカ殿は?
統一戦線義勇軍のような団体は?(反原発のレイシスト歴史修正主義団体ということで例に挙げました。ちなみに罪特怪は原発推進です)
極左過激派は?
かぶるところもありますが、私は現在こんな風に考えています。
・共同でデモ、集会、声明発表などを企画するケース
河野太郎氏○
鈴木邦男氏○・・・えっと、この人別にレイシストでも歴史修正主義者でもなかったよね?と確認してみる。仲良しの針谷氏は連れてこないことが条件!日の丸もダメ
バカ殿×
統一戦線義勇軍のような団体×
極左過激派×
・6/29のような自由参加型デモのケース
統一戦線義勇軍のようなレイシズム集団でもバカ殿も極左過激派も○
ただ日の丸はおろすよう、ゲバ棒(って今もあるのかな?)みたいないかにも極左ですって格好はやめるよう、交渉する(但し要求をのまなかったから排除すべき、とまではいかない。ほんとはみんなで日の丸おろせよ!と抗議して欲しいんだけど日本だとそうならないだろうな)
・フリスキーさんが出されたこんなケース
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8682
一緒にデモに同伴することはok 但し日の丸は揚げないよう、他のレイシスト団体を誘ったりしないようお願いする。このお願いが聞いてもらえなかったら、うーん微妙。
こんな感じかな。他の方の意見を聞いて若干変わる場合もあるかも知れません。他にも何か「こんなケースはどうか」というのがあればあげてみてください。
風鈴草さんは今までのコメントですと統一戦線義勇軍のような団体でも共同でデモ、集会、声明発表の企画してよい、とも読めるのですがはっきりしません。このあたりははっきりご意見を伺っていないので私は何とも言えません。
この「レイシスト歴史修正主義者との共闘」で一番争点になるのは共同でデモ、集会、声明発表などを企画するケースで、バカ殿、統一戦線義勇軍と組むかどうか、という所だと思います。なのでこの点について教えていただけると嬉しいです。
もし批判しあうなら、こういう個別具体例における意見を見て批判する方が実りがあると思うのですがいかがでしょうか。
個別具体的事例において意見の一致を見ているのに「共闘を肯定している」「レイシズムを肯定している」「レッテル貼りをしている」等々非難するのは不毛だと思うのです。
>jeanvaljeanさん…、>フリスキーさん…、
お二人とも、大切な仲間ですので、穏便に…、、、
と言おうものなら、ああゆう輩は「この馬鹿が!。」「偽善者めッ!!!。」…と、こう来るんですよ…。
わたしも、jeanvaljeanさんに、お伺いいたします。大切な仲間ですので、わたしも上辺ではなく、腹を割ったご意見をお伺いしたいのです。人間、思想、信条様々です。だから健全なんです。正し過ぎる、潔癖過ぎるは、大っ嫌いです…。
わたしは、いつもAfternoon-Cafeさんでは、大層なことをブッテますが、実態は、どうしようもない駄目おやじなんですよ…。だから綺麗すぎる社会は真っ平御免こうむりたい!。
差別は悪いに決まってます。
jeanvaljeanさん、お住まいのフランスでは、社会党のオランドさんが政権を握りましたが、、、フランスでの共同、連帯の考え、スタンスなるものはどうなのか?…。是非お伺いしたいです。
できれぱ、jeanvaljeanさん、小野哲さん、フリスキーさんとわたしの4人で、酒を酌み交わしながら、キャバクラかどこかで、綺麗なお姉ちゃん交えて語り合いたいものですよ…、冗談なしで、(^_-)-☆
秋原葉月さん…、怒らないでねェ………、(。_゜)〃ドテッ!
と言おうものなら、ああゆう輩は「この馬鹿が!。」「偽善者めッ!!!。」…と、こう来るんですよ…。
わたしも、jeanvaljeanさんに、お伺いいたします。大切な仲間ですので、わたしも上辺ではなく、腹を割ったご意見をお伺いしたいのです。人間、思想、信条様々です。だから健全なんです。正し過ぎる、潔癖過ぎるは、大っ嫌いです…。
わたしは、いつもAfternoon-Cafeさんでは、大層なことをブッテますが、実態は、どうしようもない駄目おやじなんですよ…。だから綺麗すぎる社会は真っ平御免こうむりたい!。
差別は悪いに決まってます。
jeanvaljeanさん、お住まいのフランスでは、社会党のオランドさんが政権を握りましたが、、、フランスでの共同、連帯の考え、スタンスなるものはどうなのか?…。是非お伺いしたいです。
できれぱ、jeanvaljeanさん、小野哲さん、フリスキーさんとわたしの4人で、酒を酌み交わしながら、キャバクラかどこかで、綺麗なお姉ちゃん交えて語り合いたいものですよ…、冗談なしで、(^_-)-☆
秋原葉月さん…、怒らないでねェ………、(。_゜)〃ドテッ!
差別主義者と共闘しないとできない反原発なら、わたしはそんなものいらない。
秋原さんへ
まず、前置きしておきたいことがあります。
私は、Afternoon Cafeの読者になりまして足掛け3年ほどになりますでしょうか。
今まで秋原さんの書かれたエントリー、コメントを読んできて、私は、共感できなかった事は
一度もありませんでした。私が読んだ全てに共感してきました。
しかし、今回の論争で初めてあなたに批判を向けました。こんなことになるとは夢にも思いませんでした。
ですから、トラバした拙エントリーを書くのは私に取りまして苦しみを感じながらの作業でした。
というのが正直な気持ちです。
さて、話を元に戻してしまうようで大変恐縮なのですが、やはり気になりましたもので一言。
>私は今回「共闘はたとえ脱原発の一点の共闘であってもレイシズムの被害者にとっては
>レイシズム認容と同じだ」という認識に改めました。
この場合の、“レイシズムの被害者”とは具体的には民族的マイノリティのことでしょうか。
だとするならば、
すべての民族的マイノリティが、“レイシズム容認と同じだ”と認識してしまったとしたら、
そこにもまた、マジョリティサイドからの決め付けが含まれてしまうのではないでしょうか。
確かに、ぽむさんの挙げられた事例はそれに当てはまると思います。
これは重い事実として我々は受け止めなければならないでしょう。
しかし、
“レイシズムの被害者にとってはレイシズム認容と同じだ”と言い切ってしまった時に、
そうではないレイシズムの被害者、民族的マイノリティの存在を無視することになると思います。
“民族的マイノリティとはこういうものだ”という決め付けは、たとえそれが
“マイノリティ内のマジョリティ”において当てはまっているとしても、
そこに当てはまらない“マイノリティ内のマイノリティ”の声を押し殺してしまうことに
なると思うのですが。
それがまた、“マイノリティ内マジョリティ”の視座からの“マイノリティ内マイノリティ”への
差別へとつながりかねないのです。秋原さんは断じて違いますが、しかし、セクト主義的思考を
持っている人たちにとってはそれが新たな差別、抑圧、誹謗中傷の材料にされてしまうのです。
それぐらいにね、マイノリティーの問題というのは、非常にデリケートな問題なのであって、
反差別主義は大事ですが、あまり単純化しないほうがよろしいかと思います。
だから、レイシズム被害者にとってはレイシズム認容と同じだと言い切ってしまうことには、
私は違和感を覚えます。
私は、Afternoon Cafeの読者になりまして足掛け3年ほどになりますでしょうか。
今まで秋原さんの書かれたエントリー、コメントを読んできて、私は、共感できなかった事は
一度もありませんでした。私が読んだ全てに共感してきました。
しかし、今回の論争で初めてあなたに批判を向けました。こんなことになるとは夢にも思いませんでした。
ですから、トラバした拙エントリーを書くのは私に取りまして苦しみを感じながらの作業でした。
というのが正直な気持ちです。
さて、話を元に戻してしまうようで大変恐縮なのですが、やはり気になりましたもので一言。
>私は今回「共闘はたとえ脱原発の一点の共闘であってもレイシズムの被害者にとっては
>レイシズム認容と同じだ」という認識に改めました。
この場合の、“レイシズムの被害者”とは具体的には民族的マイノリティのことでしょうか。
だとするならば、
すべての民族的マイノリティが、“レイシズム容認と同じだ”と認識してしまったとしたら、
そこにもまた、マジョリティサイドからの決め付けが含まれてしまうのではないでしょうか。
確かに、ぽむさんの挙げられた事例はそれに当てはまると思います。
これは重い事実として我々は受け止めなければならないでしょう。
しかし、
“レイシズムの被害者にとってはレイシズム認容と同じだ”と言い切ってしまった時に、
そうではないレイシズムの被害者、民族的マイノリティの存在を無視することになると思います。
“民族的マイノリティとはこういうものだ”という決め付けは、たとえそれが
“マイノリティ内のマジョリティ”において当てはまっているとしても、
そこに当てはまらない“マイノリティ内のマイノリティ”の声を押し殺してしまうことに
なると思うのですが。
それがまた、“マイノリティ内マジョリティ”の視座からの“マイノリティ内マイノリティ”への
差別へとつながりかねないのです。秋原さんは断じて違いますが、しかし、セクト主義的思考を
持っている人たちにとってはそれが新たな差別、抑圧、誹謗中傷の材料にされてしまうのです。
それぐらいにね、マイノリティーの問題というのは、非常にデリケートな問題なのであって、
反差別主義は大事ですが、あまり単純化しないほうがよろしいかと思います。
だから、レイシズム被害者にとってはレイシズム認容と同じだと言い切ってしまうことには、
私は違和感を覚えます。
>とりさん
「共闘」とは具体的にどんなことをさしていっておられるのでしょう?そこをはっきりさせないで議論を進めるのは不毛だと思います。
TEDさんへ
ちょっとカミナリ親父(というより小僧ですがね)がすぎましたね…。
あなたにも苦痛を与えた事をこの場でお詫び申し上げます。かの投稿者の内容を見てきて、私は我慢ならなかったのです。差別を訴えたいと言うのなら、他にも方法はあるはずです。
それを「俺様の言う事が全て」というなら、困ったものです。私の発した言葉が結果としてあなたを苦痛に叩き込んでしまった事になってしまい私は反省しています。
秋原さんも今回の事でかなりショックを受けていますが私自身もそれなりのショックを受けています。正しい事が全てじゃないと言うことを自分自身もまざまざと思い知らされたのですから。
かの投稿者はネチケットを破ってでも訴えたかった事は正しい事でもあるのですが、同時に差別に反対する青い鳥さんを差別主義者と決め付けたために問題が大きくなってしまったのです。それも、ある意味差別とも受け取れますよね。
この問題に関してはもう少し深く突っ込んで考えていかないといけないでしょう。私も議論の場を提供する事にしようと思っています(というよりはありますけどね)。
あなたにも苦痛を与えた事をこの場でお詫び申し上げます。かの投稿者の内容を見てきて、私は我慢ならなかったのです。差別を訴えたいと言うのなら、他にも方法はあるはずです。
それを「俺様の言う事が全て」というなら、困ったものです。私の発した言葉が結果としてあなたを苦痛に叩き込んでしまった事になってしまい私は反省しています。
秋原さんも今回の事でかなりショックを受けていますが私自身もそれなりのショックを受けています。正しい事が全てじゃないと言うことを自分自身もまざまざと思い知らされたのですから。
かの投稿者はネチケットを破ってでも訴えたかった事は正しい事でもあるのですが、同時に差別に反対する青い鳥さんを差別主義者と決め付けたために問題が大きくなってしまったのです。それも、ある意味差別とも受け取れますよね。
この問題に関してはもう少し深く突っ込んで考えていかないといけないでしょう。私も議論の場を提供する事にしようと思っています(というよりはありますけどね)。
申し訳ありませんが、コメントが錯綜しないように、以後、コメントは私のこの質問に答えるものにしていただけないでしょうか
レイシスト、歴史修正主義者の脱原発運動と関わる場合、どこまでなら許容できるか。どんなことだと許容できないか。
誰とならセーフか?
例えば自民の河野太郎氏は?(保守政党の反原発派の代表ということで例に挙げました)
鈴木邦男氏は?
バカ殿は?
統一戦線義勇軍のような団体は?(反原発のレイシスト歴史修正主義団体ということで例に挙げました。ちなみに罪特怪は原発推進です)
ちなみに極左過激派は?
かぶるところもありますが、私は現在こんな風に考えています。
・共同でデモ、集会、声明発表などを企画するケース
河野太郎氏○
鈴木邦男氏○・・・えっと、この人別にレイシストでも歴史修正主義者でもなかったよね?と確認してみる。仲良しの針谷氏は連れてこないことが条件!日の丸もダメ
バカ殿×
統一戦線義勇軍のような団体×
極左過激派×
・6/29のような自由参加型デモのケース
統一戦線義勇軍のようなレイシズム集団でもバカ殿も極左過激派も○
ただ日の丸はおろすよう、ゲバ棒(って今もあるのかな?)みたいないかにも極左ですって格好はやめるよう、交渉する(但し要求をのまなかったから排除すべき、とまではいかない。ほんとはみんなで日の丸おろせよ!と抗議して欲しいんだけど日本だとそうならないだろうな)
・フリスキーさんが出されたこんなケース
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8682
一緒にデモに同伴することはok 但し日の丸は揚げないよう、他のレイシスト団体を誘ったりしないようお願いする。このお願いが聞いてもらえなかったら、うーん微妙。
こんな感じかな。他の方の意見を聞いて若干変わる場合もあるかも知れません。他にも何か「こんなケースはどうか」というのがあればあげてみてください。
風鈴草さんは今までのコメントですと統一戦線義勇軍のような団体でも共同でデモ、集会、声明発表の企画してよい、とも読めるのですがはっきりしません。このあたりははっきりご意見を伺っていないので私は何とも言えません。
この「レイシスト歴史修正主義者との共闘」で一番争点になるのは共同でデモ、集会、声明発表などを企画するケースで、バカ殿、統一戦線義勇軍と組むかどうか、という所だと思います。なのでこの点について教えていただけると嬉しいです。
もし批判しあうなら、こういう個別具体例における意見を見て批判する方が実りがあると思うのですがいかがでしょうか。
個別具体的事例において意見の一致を見ているのに「共闘を肯定している」「レイシズムを肯定している」「レッテル貼りをしている」等々非難するのは不毛だと思うのです。
誰とならセーフか?
例えば自民の河野太郎氏は?(保守政党の反原発派の代表ということで例に挙げました)
鈴木邦男氏は?
バカ殿は?
統一戦線義勇軍のような団体は?(反原発のレイシスト歴史修正主義団体ということで例に挙げました。ちなみに罪特怪は原発推進です)
ちなみに極左過激派は?
かぶるところもありますが、私は現在こんな風に考えています。
・共同でデモ、集会、声明発表などを企画するケース
河野太郎氏○
鈴木邦男氏○・・・えっと、この人別にレイシストでも歴史修正主義者でもなかったよね?と確認してみる。仲良しの針谷氏は連れてこないことが条件!日の丸もダメ
バカ殿×
統一戦線義勇軍のような団体×
極左過激派×
・6/29のような自由参加型デモのケース
統一戦線義勇軍のようなレイシズム集団でもバカ殿も極左過激派も○
ただ日の丸はおろすよう、ゲバ棒(って今もあるのかな?)みたいないかにも極左ですって格好はやめるよう、交渉する(但し要求をのまなかったから排除すべき、とまではいかない。ほんとはみんなで日の丸おろせよ!と抗議して欲しいんだけど日本だとそうならないだろうな)
・フリスキーさんが出されたこんなケース
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8682
一緒にデモに同伴することはok 但し日の丸は揚げないよう、他のレイシスト団体を誘ったりしないようお願いする。このお願いが聞いてもらえなかったら、うーん微妙。
こんな感じかな。他の方の意見を聞いて若干変わる場合もあるかも知れません。他にも何か「こんなケースはどうか」というのがあればあげてみてください。
風鈴草さんは今までのコメントですと統一戦線義勇軍のような団体でも共同でデモ、集会、声明発表の企画してよい、とも読めるのですがはっきりしません。このあたりははっきりご意見を伺っていないので私は何とも言えません。
この「レイシスト歴史修正主義者との共闘」で一番争点になるのは共同でデモ、集会、声明発表などを企画するケースで、バカ殿、統一戦線義勇軍と組むかどうか、という所だと思います。なのでこの点について教えていただけると嬉しいです。
もし批判しあうなら、こういう個別具体例における意見を見て批判する方が実りがあると思うのですがいかがでしょうか。
個別具体的事例において意見の一致を見ているのに「共闘を肯定している」「レイシズムを肯定している」「レッテル貼りをしている」等々非難するのは不毛だと思うのです。
フリスキーさんへ
コメントありがとうございます。私は共闘問題には触れなかったのですが、やはり触れざるを得ないと思いコメントします。
まず今は右翼とは共闘関係にないということを確認しておきます。(今おこなわれている行動の主催者がどこか解りませんが)まったくの自由参加ですよね。右翼も極左も。20万人もの人が集まって事故もなく逮捕者も出さずに終わったと奇跡に近いと思います。しかし国民の脱原発の思いがこの行動を聖子させたのだと思います。
しかし残念ながら、政府は大飯原発の再稼働を強行しました。原発ストップまでは、まだまだ長丁場が予想されます。私は共闘というと、60年の安保共闘国民会議を思い出します。日本のエネルギー政策を転換するには、あれくらいの規模の国民運動が必要だと思います。6月29日の行動は、それを想起させました。
私は脱原子力共闘国民会議のようなものができるといいなと思っています。政党と労働組合の右傾化(原発賛成)と弱体化はありますが、今はツイッターなどによる動員力が期待できます。この国民会議のようなものは、原発廃止以後のプログラムまでもつことが重要だと思っています。そして政府・電力会社の安全神話を打ち破る「国民的」論拠も必要でしょう。そのためには、志ある学者も結集することが求められます。もちろん知識人や文化人もまじえて、知恵を出し合うのです。そうでなければ、政府、財界、政界、官僚、右翼労働組合の勢力に対抗できないでしょう。
いずれにせよ運動の実行委員会を結成することは必要です。政党、労働組合、市民団体などが中心になります。そこで共闘が問題になります。まず実行委員会の運動目標、運動形態、意思決定方法、役割分担などが決められるでしょう。そこに右翼や極左の団体を入れるか否かが、いま問題にしている共闘問題でしょう。これは、将来の共闘問題にもかかわる非常に重要な問題です。もし右翼や極左を実行委員会に入れるということは、日本のこれからの民主主義の問題に関わることになります。脱原発運動に限られる問題ではないのです。それは、もし実行委員会ができれば、そこが決めることです。しかし私は、あくまでも慎重さが求められると思います。
6月29日は、主催者はとくに行進を警備する要員を、充分には配置していなかったように思います。http://www.facebook.com/l.php?u=http%3A%2F%2Fkai-wai.jp%2F2012%2F07%2F-120629.html&h=IAQGis2fqAQHMn0yijBWQh9kykoi-hCpJIs_QobcvYD9wTg&enc=AZPrMEF3peMBIwQw6p8jQLLWhC0xVitISys-PpX3yG-DEwrNIpJR23yhK0bM0vjijkmPjRPe-bZNoMEy7M7e-AxD
にもそれが窺われます。一日も早く、要員が配置できる体制にしなければなりません。
以上が共闘にたいする今のところの、私の考えです。不十分であれば、また追加することにします。
私はフランスにいて、日本では何もできません。フランスの新聞の紹介やパリのデモの様子をお伝えするくらいのものです。しかし怒りは皆さんと共有しているつもりです。7月27日から8月22日まで、日本に一時帰国します。7・29の国会包囲行動には参加できそうです。その他の行動にも、できるだけ前に働いていた組合の仲間と参加したいと思います。
長文になって済みません。問われたのが当ブログですので、ここにコメントします。
まず今は右翼とは共闘関係にないということを確認しておきます。(今おこなわれている行動の主催者がどこか解りませんが)まったくの自由参加ですよね。右翼も極左も。20万人もの人が集まって事故もなく逮捕者も出さずに終わったと奇跡に近いと思います。しかし国民の脱原発の思いがこの行動を聖子させたのだと思います。
しかし残念ながら、政府は大飯原発の再稼働を強行しました。原発ストップまでは、まだまだ長丁場が予想されます。私は共闘というと、60年の安保共闘国民会議を思い出します。日本のエネルギー政策を転換するには、あれくらいの規模の国民運動が必要だと思います。6月29日の行動は、それを想起させました。
私は脱原子力共闘国民会議のようなものができるといいなと思っています。政党と労働組合の右傾化(原発賛成)と弱体化はありますが、今はツイッターなどによる動員力が期待できます。この国民会議のようなものは、原発廃止以後のプログラムまでもつことが重要だと思っています。そして政府・電力会社の安全神話を打ち破る「国民的」論拠も必要でしょう。そのためには、志ある学者も結集することが求められます。もちろん知識人や文化人もまじえて、知恵を出し合うのです。そうでなければ、政府、財界、政界、官僚、右翼労働組合の勢力に対抗できないでしょう。
いずれにせよ運動の実行委員会を結成することは必要です。政党、労働組合、市民団体などが中心になります。そこで共闘が問題になります。まず実行委員会の運動目標、運動形態、意思決定方法、役割分担などが決められるでしょう。そこに右翼や極左の団体を入れるか否かが、いま問題にしている共闘問題でしょう。これは、将来の共闘問題にもかかわる非常に重要な問題です。もし右翼や極左を実行委員会に入れるということは、日本のこれからの民主主義の問題に関わることになります。脱原発運動に限られる問題ではないのです。それは、もし実行委員会ができれば、そこが決めることです。しかし私は、あくまでも慎重さが求められると思います。
6月29日は、主催者はとくに行進を警備する要員を、充分には配置していなかったように思います。http://www.facebook.com/l.php?u=http%3A%2F%2Fkai-wai.jp%2F2012%2F07%2F-120629.html&h=IAQGis2fqAQHMn0yijBWQh9kykoi-hCpJIs_QobcvYD9wTg&enc=AZPrMEF3peMBIwQw6p8jQLLWhC0xVitISys-PpX3yG-DEwrNIpJR23yhK0bM0vjijkmPjRPe-bZNoMEy7M7e-AxD
にもそれが窺われます。一日も早く、要員が配置できる体制にしなければなりません。
以上が共闘にたいする今のところの、私の考えです。不十分であれば、また追加することにします。
私はフランスにいて、日本では何もできません。フランスの新聞の紹介やパリのデモの様子をお伝えするくらいのものです。しかし怒りは皆さんと共有しているつもりです。7月27日から8月22日まで、日本に一時帰国します。7・29の国会包囲行動には参加できそうです。その他の行動にも、できるだけ前に働いていた組合の仲間と参加したいと思います。
長文になって済みません。問われたのが当ブログですので、ここにコメントします。
>秋原様、例えば…
関電の総会帰りの男性の言「もう総会で脱原発なんて無理やな。新技術でノックアウトするか、外圧で止めさすか、もう一辺事故るかしかないんちゃうか」
ここまで諦めたくないのですが、このままズルズルいけば、世間の関心や問題意識は急速にショボいものになるでしょう。そこで①「向こう何十年のスパンで考える」のか「ここ一年の勝負でとにかく止めさせる」のか。
②例えば世間の認識がドイツ並みに極右が参加すれば安心して合流できないと考えてくれるのか、それともそこで排除した方が「また内輪揉めかい」と否定的にとられるものか。
③共闘を呼び掛ける相手が裾から鎧が見えていないか。
④互いに見解の異なるマターについては言及しない、活動履歴に利用しないような合意があるか
⑤潰したい側からみて共闘されたら困るのか、分裂された方が困るのか
ざっと見ても状況は様々で一概にレールを引きにくいと思います。
例えば市長のナンチャって、は事前に露見しましたが、もっと巧妙にたばかる輩の場合には⑥致命的にならないうちに離脱できる途はあるか、も考えない訳にはいきません。
ことは自分の節の問題ではないように思います。ドイツのように犯罪化できていればことはむしろ楽で、今の日本で妥協点は千千に乱れざるをえないのでは。
こっからルール化できないのがケーススタディができないゆえんなのですが、そういうときには、フリスキーさんのような懐の深さとか、バランス感覚が有益なのではないでしょうか。同じように拳を振り上げながら、隣同士で「この件片付いたら次はお前だ」と思っているのは気持のいいザマではないにせよ、どうしてもそういう場面があることは覚悟する、こともやむを得ないかなと。もちろんニッポンの世間一般の意識を改めるように発信し続けなくてはなりませんが、これとてもあの暴言居士のような振る舞いでは逆効果だと思います。
ここまで諦めたくないのですが、このままズルズルいけば、世間の関心や問題意識は急速にショボいものになるでしょう。そこで①「向こう何十年のスパンで考える」のか「ここ一年の勝負でとにかく止めさせる」のか。
②例えば世間の認識がドイツ並みに極右が参加すれば安心して合流できないと考えてくれるのか、それともそこで排除した方が「また内輪揉めかい」と否定的にとられるものか。
③共闘を呼び掛ける相手が裾から鎧が見えていないか。
④互いに見解の異なるマターについては言及しない、活動履歴に利用しないような合意があるか
⑤潰したい側からみて共闘されたら困るのか、分裂された方が困るのか
ざっと見ても状況は様々で一概にレールを引きにくいと思います。
例えば市長のナンチャって、は事前に露見しましたが、もっと巧妙にたばかる輩の場合には⑥致命的にならないうちに離脱できる途はあるか、も考えない訳にはいきません。
ことは自分の節の問題ではないように思います。ドイツのように犯罪化できていればことはむしろ楽で、今の日本で妥協点は千千に乱れざるをえないのでは。
こっからルール化できないのがケーススタディができないゆえんなのですが、そういうときには、フリスキーさんのような懐の深さとか、バランス感覚が有益なのではないでしょうか。同じように拳を振り上げながら、隣同士で「この件片付いたら次はお前だ」と思っているのは気持のいいザマではないにせよ、どうしてもそういう場面があることは覚悟する、こともやむを得ないかなと。もちろんニッポンの世間一般の意識を改めるように発信し続けなくてはなりませんが、これとてもあの暴言居士のような振る舞いでは逆効果だと思います。
謝罪だけ
私の前回のコメントの「…の方がマナー違反」という部分は、IPアドレスに対する間違った認識によるものでした。秋原さんからコメントの方向が示されていますので、そのことについての謝罪だけさせてください。すみませんでした。
>jeanvaljean さん
右翼と一口に言うと結構範囲が漠然とひろくなってしまうかもしれませんね。自民党も立ち上がれ日本も右翼と言えば右翼ですし。
共闘の事例に学ぶ…
1960年代後半からたくさんの“革新自治体”(社共共闘)が大都市部を中心に誕生しました。東京都、神奈川県、埼玉県、大阪府、京都府、沖縄県、横浜市、名古屋市などです。反対陣営は、共産党の知事になったら、赤旗が立つと大宣伝を繰り返し叫びましたが、現実は赤旗が立つどころか、保育園や老人ホームが林立しました。日本共産党の故宮本顕治さんの「民主連合政府樹立」の掛け声に、日本社会党の成田委員長も合意し、いけいけドンドンでした。この流れに急ブレーキをかけたのが、ふたつあるとわたしは考えています。
・政教合体政党の公明党の日本社会党抱き込みにみる、社会・共産分断戦略にハメラれたこと…。
・「解同」の暴力糾弾行為を日本社会党が静止出来ずに、日本共産党との共闘が瓦解した。やはり、敵は保守・右翼というより、身内の綻び、セクト主義、暴力などに在ると、わたしは考えます。その当時、右翼は、あるにはありましたが、いまほど、民族差別を大々的にやってませんでした。わたしの親友は、元指定暴力団員の在日韓国人です。奴も原発反対です。
>現実の世界では数学のように公式に乗っ取って常にただ一つの回答が自動的に出てくるわけではありません。
どんなことでも原則と例外、一般と個別があります。
秋原葉月さんご指摘通りで、現実は、色分けは非常に困難です。わたしの考えは、まず一点突破!あるのみで、この指とまれで、思想・信条を超えて団結し、脱原発を現実のものにするべく運動を一点集中させる。左翼に理解ある一水会鈴木邦男さんに橋渡ししてもらい、針谷某に統一運動に協力する様に説得して頂き、休戦協定を締結する。反目していては20万人の運動が、水泡に帰してしまう危惧があるからです。脱原発を完遂するためには、小選挙区制度廃止が必要最低条件ですね…。小野哲さんには申し訳ないのですが、毛沢東語録から…、「民衆が権力を包囲すれば、不可能はない」
「剣の言葉と豆腐の心を持って…」
ヘイト行為はしないという協定の事前締結は必要でしょう。また思いついたらコメントします。
p.s. 「反貧困運動」をからめれば、連帯の輪がより広がり、権力側もビビると確信します。
・政教合体政党の公明党の日本社会党抱き込みにみる、社会・共産分断戦略にハメラれたこと…。
・「解同」の暴力糾弾行為を日本社会党が静止出来ずに、日本共産党との共闘が瓦解した。やはり、敵は保守・右翼というより、身内の綻び、セクト主義、暴力などに在ると、わたしは考えます。その当時、右翼は、あるにはありましたが、いまほど、民族差別を大々的にやってませんでした。わたしの親友は、元指定暴力団員の在日韓国人です。奴も原発反対です。
>現実の世界では数学のように公式に乗っ取って常にただ一つの回答が自動的に出てくるわけではありません。
どんなことでも原則と例外、一般と個別があります。
秋原葉月さんご指摘通りで、現実は、色分けは非常に困難です。わたしの考えは、まず一点突破!あるのみで、この指とまれで、思想・信条を超えて団結し、脱原発を現実のものにするべく運動を一点集中させる。左翼に理解ある一水会鈴木邦男さんに橋渡ししてもらい、針谷某に統一運動に協力する様に説得して頂き、休戦協定を締結する。反目していては20万人の運動が、水泡に帰してしまう危惧があるからです。脱原発を完遂するためには、小選挙区制度廃止が必要最低条件ですね…。小野哲さんには申し訳ないのですが、毛沢東語録から…、「民衆が権力を包囲すれば、不可能はない」
「剣の言葉と豆腐の心を持って…」
ヘイト行為はしないという協定の事前締結は必要でしょう。また思いついたらコメントします。
p.s. 「反貧困運動」をからめれば、連帯の輪がより広がり、権力側もビビると確信します。
>青い鳥さん
ちょっと確認したいんですが、
1.>脱原発を現実のものにするべく運動を一点集中させる。
これは実行委員会を作る、みたいな話なんですか?
2.>針谷某に統一運動に協力する様に説得して頂き、休戦協定を締結する
これは具体的にどういうことを指すのですか?
休戦協定をとは何を指すのでしょう?
1.>脱原発を現実のものにするべく運動を一点集中させる。
これは実行委員会を作る、みたいな話なんですか?
2.>針谷某に統一運動に協力する様に説得して頂き、休戦協定を締結する
これは具体的にどういうことを指すのですか?
休戦協定をとは何を指すのでしょう?
秋原様へ
個人的には、差別的主張を撤回・取り下げていただければ共闘(とは言っても場を同じくするくらいなら)は出来るだろうと思います。
今現在、反原発運動に参加している差別的主張をしている団体・組織のなかで反原発運動に参加するにあたり、1つでもその差別的主張を撤回・取り下げたところがあるのでしょうか?
どこも主張はそのままにして参加されているのではないでしょうか。
差別構造の上に成り立つ原発というものに反対しておいて、反原発で一致しているからと反差別であるにも関わらず差別主義者と一緒になって反原発を謳う。
それでどうやって“差別構造の上に成り立つ原発”に反対するのでしょうか?
差別構造に立ち向かうのに「差別主義者とも共闘しよう」って、それ、おかしくないですか?
あなた方が「差別反対」と言って護ろうとしてきた、差別に苦しみ堪えてきた人達にそれ(“右も左もない”や“差別主義者達との共闘”)をどう説明するのですか。
差別に苦しみ堪えてきた人達に差別主義者達との共闘を批判されたら、今回と同じ様に「原理主義者」「教条主義者」とか言い返すのですか。
今の共闘の仕方がおかしいと思うので私は「そんなもの(差別主義者と共闘する反原発)いらないですよ」と言ったんです。
今のまま反原発運動が進んでいっても、みんなの考察が深まっていけばいずれ差別構造にも言及せざるを得ない時が来ると思うんです。
そうなったとき、一緒になって反原発を謳った差別主義者に面と向かって反差別主義者は「差別反対」と言えるのかどうか。
内ゲバ化を恐れて差別構造への言及を避けるのか、内ゲバ覚悟で差別構造に立ち向かうのか。
いずれ反差別主義者達が選択を迫られる時が来るのではないですか。
今現在、反原発運動に参加している差別的主張をしている団体・組織のなかで反原発運動に参加するにあたり、1つでもその差別的主張を撤回・取り下げたところがあるのでしょうか?
どこも主張はそのままにして参加されているのではないでしょうか。
差別構造の上に成り立つ原発というものに反対しておいて、反原発で一致しているからと反差別であるにも関わらず差別主義者と一緒になって反原発を謳う。
それでどうやって“差別構造の上に成り立つ原発”に反対するのでしょうか?
差別構造に立ち向かうのに「差別主義者とも共闘しよう」って、それ、おかしくないですか?
あなた方が「差別反対」と言って護ろうとしてきた、差別に苦しみ堪えてきた人達にそれ(“右も左もない”や“差別主義者達との共闘”)をどう説明するのですか。
差別に苦しみ堪えてきた人達に差別主義者達との共闘を批判されたら、今回と同じ様に「原理主義者」「教条主義者」とか言い返すのですか。
今の共闘の仕方がおかしいと思うので私は「そんなもの(差別主義者と共闘する反原発)いらないですよ」と言ったんです。
今のまま反原発運動が進んでいっても、みんなの考察が深まっていけばいずれ差別構造にも言及せざるを得ない時が来ると思うんです。
そうなったとき、一緒になって反原発を謳った差別主義者に面と向かって反差別主義者は「差別反対」と言えるのかどうか。
内ゲバ化を恐れて差別構造への言及を避けるのか、内ゲバ覚悟で差別構造に立ち向かうのか。
いずれ反差別主義者達が選択を迫られる時が来るのではないですか。
>とりさん
1.「あなた方」ってひとくくりにしてらっしゃいますけど、具体的に誰を指して言ってらっしゃるのですか?
少なくとも私は所謂「右も左もない」にはずっと批判的な立場を取っていますが。
また、私が許容できる共闘、許容できない共闘の具体例はこちらであげております。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8786
ですからもし私を批判なさるのなら、この具体例について批判がいただきたいのです。
2.「差別構造の上に成り立つ原発というものに反対しておいて、反原発で一致しているからと反差別であるにも関わらず差別主義者と一緒になって反原発を謳う。
それでどうやって“差別構造の上に成り立つ原発”に反対するのでしょうか?
差別構造に立ち向かうのに「差別主義者とも共闘しよう」って、それ、おかしくないですか? 」
でもとりさんも、「差別的主張を撤回・取り下げていただければ共闘(とは言っても場を同じくするくらいなら)は出来る」と仰っていますよね?
つまり、とりさんにも許容できる共闘と許容できない共闘があると言うことですよね?。
ですから、許容できる共闘、許容できない共闘とはどんなものか、できたら具体的に仰っていただきたいのです。
そうしないと話がかみ合いません。「この程度の共闘ならまあ許せるけど、これはあかんやろ」って言う話でないと不毛なのです。
少なくとも私は所謂「右も左もない」にはずっと批判的な立場を取っていますが。
また、私が許容できる共闘、許容できない共闘の具体例はこちらであげております。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8786
ですからもし私を批判なさるのなら、この具体例について批判がいただきたいのです。
2.「差別構造の上に成り立つ原発というものに反対しておいて、反原発で一致しているからと反差別であるにも関わらず差別主義者と一緒になって反原発を謳う。
それでどうやって“差別構造の上に成り立つ原発”に反対するのでしょうか?
差別構造に立ち向かうのに「差別主義者とも共闘しよう」って、それ、おかしくないですか? 」
でもとりさんも、「差別的主張を撤回・取り下げていただければ共闘(とは言っても場を同じくするくらいなら)は出来る」と仰っていますよね?
つまり、とりさんにも許容できる共闘と許容できない共闘があると言うことですよね?。
ですから、許容できる共闘、許容できない共闘とはどんなものか、できたら具体的に仰っていただきたいのです。
そうしないと話がかみ合いません。「この程度の共闘ならまあ許せるけど、これはあかんやろ」って言う話でないと不毛なのです。
秋原さんへ
極右でしたよね。失礼しました。
一般的に、「共闘の原則」が重要だと思います。それがあれば、かなり柔軟に対応できると思います。
「もっとも原則的であることは、最も柔軟である」という言葉もあります。共闘が一致できない運動体は、それはそれで独自に展開できるのですから。
秋原さんのくくりは妥当なところだと私は思います。
一般的に、「共闘の原則」が重要だと思います。それがあれば、かなり柔軟に対応できると思います。
「もっとも原則的であることは、最も柔軟である」という言葉もあります。共闘が一致できない運動体は、それはそれで独自に展開できるのですから。
秋原さんのくくりは妥当なところだと私は思います。
>秋原葉月さん
>1.>脱原発を現実のものにするべく運動を一点集中させる。
これは実行委員会を作る、みたいな話なんですか?
そうです。jeanvaljeanさんが記された様に、“脱原子力共闘国民会議”ようなものを結成し、脱原発に向けての運動方針や禁止規程などを定めるのです。
脱原発が実現するまで、一切の差別行為やヘイトスピーチ、分断活動はしないなどを規程し、その判断は、実行委員会に一任する。この会議の構成員は、脱原発を要求する、政党、労働組合、その他団体、学者、各界有識者などにするのです。もし呼びかけに応じた団体の代表が規程をのめないとした場合は、ご辞退願うしかないでしょう。
>2.>針谷某に統一運動に協力する様に説得して頂き、休戦協定を締結する
これは具体的にどういうことを指すのですか?
休戦協定をとは何を指すのでしょう?
わたしは、針谷氏率いる団体の目的を知りません。在特会の様な差別集団であるのであれば、最初から組まないでいいでしょう。先に記した様に差別しない、ヘイトスピーチを一切しないという協定を締結するのです。
差別をしないこと、参加団体もしくは個人の名誉を貶めないことを休戦と、わたしは捉えています。もし、針谷氏あるいは氏が率いる団体が拒否すれば組まなければ良いのです。
あと、TEDさんが記されたように、5~10年のスパンの運動にしたら良いと考えます。
“脱原子力共闘国民会議”が政党を限定せずに脱原発を公約にあげる国会議員候補者に推薦状を公布し、マスメディアなどを通じて公表するのも面白いですね…。
あれやこれや考えるのもすごく楽しいですね…o(^-^)o
また、何か気づいたらコメントしますね…。ありがとうございました。
これは実行委員会を作る、みたいな話なんですか?
そうです。jeanvaljeanさんが記された様に、“脱原子力共闘国民会議”ようなものを結成し、脱原発に向けての運動方針や禁止規程などを定めるのです。
脱原発が実現するまで、一切の差別行為やヘイトスピーチ、分断活動はしないなどを規程し、その判断は、実行委員会に一任する。この会議の構成員は、脱原発を要求する、政党、労働組合、その他団体、学者、各界有識者などにするのです。もし呼びかけに応じた団体の代表が規程をのめないとした場合は、ご辞退願うしかないでしょう。
>2.>針谷某に統一運動に協力する様に説得して頂き、休戦協定を締結する
これは具体的にどういうことを指すのですか?
休戦協定をとは何を指すのでしょう?
わたしは、針谷氏率いる団体の目的を知りません。在特会の様な差別集団であるのであれば、最初から組まないでいいでしょう。先に記した様に差別しない、ヘイトスピーチを一切しないという協定を締結するのです。
差別をしないこと、参加団体もしくは個人の名誉を貶めないことを休戦と、わたしは捉えています。もし、針谷氏あるいは氏が率いる団体が拒否すれば組まなければ良いのです。
あと、TEDさんが記されたように、5~10年のスパンの運動にしたら良いと考えます。
“脱原子力共闘国民会議”が政党を限定せずに脱原発を公約にあげる国会議員候補者に推薦状を公布し、マスメディアなどを通じて公表するのも面白いですね…。
あれやこれや考えるのもすごく楽しいですね…o(^-^)o
また、何か気づいたらコメントしますね…。ありがとうございました。
>青い鳥さん
>わたしは、針谷氏率いる団体の目的を知りません
ではこちらを参考になさってください。
http://www.giyuugun.jp/
ちなみに針谷氏は慰安婦に関して過去こう言っています。ご参考までに
「天皇陛下の軍隊であった我が「皇軍」が、そんな恥さらしになる従軍慰安婦なるものを、公然と皇軍主導でやる訳はないではないか!」
http://www.giyuugun.jp/sb/log/eid5.html
ではこちらを参考になさってください。
http://www.giyuugun.jp/
ちなみに針谷氏は慰安婦に関して過去こう言っています。ご参考までに
「天皇陛下の軍隊であった我が「皇軍」が、そんな恥さらしになる従軍慰安婦なるものを、公然と皇軍主導でやる訳はないではないか!」
http://www.giyuugun.jp/sb/log/eid5.html
>秋原葉月さん
ありがとうございます。
針谷某とは、組めませんね…、こりゃ無理です。
前言撤回します。『あらゆる差別を容認する団体、歴史修正主義の喧伝を主な活動とする団体以外との団体・個人との“脱原発一点での共闘”を模索する。』に…。こちらのエントリーに参加され、わたしのコメントにより、不快な思いをされた方に対しまして、心からお詫び申し上げます。
針谷某とは、組めませんね…、こりゃ無理です。
前言撤回します。『あらゆる差別を容認する団体、歴史修正主義の喧伝を主な活動とする団体以外との団体・個人との“脱原発一点での共闘”を模索する。』に…。こちらのエントリーに参加され、わたしのコメントにより、不快な思いをされた方に対しまして、心からお詫び申し上げます。
>dmpxさん
申し訳ないのですが、ただいまこのコメント欄はレイシズム、歴史修正主義との共闘についてのみのコメント受付にしています。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8786
ご理解いただけるとありがたいです
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8786
ご理解いただけるとありがたいです
>とり様
未整理なままで申し訳ないですが、一点だけ。
「差別構造の上に立つ原発」が明らかになったとき、第一に深刻な選択を迫られるのは、差別主義者ご自身でもありませんか。このまま反原発を貫いて今までの差別的行動を反省するなら「やっとわかったね」と言ってあげればよし、そこでもう反原発はヤメだ、差別主義バンジャーイと言うなら、溜め息と共に袂を分かつ他ありますまい。
肝心なのは理屈と膏薬はどこにでも付くご時勢、原発の差別性を知らしめるには、彼らを内輪に引きこもらせない(外からの説得は攻撃ととられてより頑なにする)ことだという考え方ではダメでしょうか。
被害者にとっても最終的に過ちに気づいた姿をみる方が望ましい筈、というのは迂遠に過ぎますでしょうか。
もちろん、逆に相手に取り込まれたり、逃げられる危険もありですが、やってみる価値のあるバクチではないかと思います。相手を見極める必要はありそうですが。理想論ですか。
「差別構造の上に立つ原発」が明らかになったとき、第一に深刻な選択を迫られるのは、差別主義者ご自身でもありませんか。このまま反原発を貫いて今までの差別的行動を反省するなら「やっとわかったね」と言ってあげればよし、そこでもう反原発はヤメだ、差別主義バンジャーイと言うなら、溜め息と共に袂を分かつ他ありますまい。
肝心なのは理屈と膏薬はどこにでも付くご時勢、原発の差別性を知らしめるには、彼らを内輪に引きこもらせない(外からの説得は攻撃ととられてより頑なにする)ことだという考え方ではダメでしょうか。
被害者にとっても最終的に過ちに気づいた姿をみる方が望ましい筈、というのは迂遠に過ぎますでしょうか。
もちろん、逆に相手に取り込まれたり、逃げられる危険もありですが、やってみる価値のあるバクチではないかと思います。相手を見極める必要はありそうですが。理想論ですか。
秋原様へ
初めまして。いつも貴ブログを拝見させて頂いている者です。
1つだけ疑問を持ったので質問させて下さい。
・共同でデモ、集会、声明発表などを企画するケースにおいて
河野太郎氏○
統一戦線義勇軍のような団体×
とされていらっしゃいますが違いはなんでしょうか。
みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会などから見て取れるように、
あれだけ多くの歴史修正主義者を要する政党に属している議員と、
脱原発を掲げる右翼団体って、そう大差無いように思えるんですが。
いくら氏が、靖国参拝に批判的な立場を取っているとしても、
河野氏は外国人参政権反対、9条改憲のスタンスであられる方ですよね?
『「どうして日本政府は戦争が好きなんですか。今回も来てみたら海外に軍隊を派遣するといっているじゃありませんか。私は軍人を見ただけでもからだがふるえるんです。日の丸を見ただけでもふるえがくる。」
仮に金学順さんのような立場の人(日本による戦争被害者)が大日本帝国やその軍隊のシンボルだった日の丸をはためかせて歩く「脱原発デモ」を見たらどう思うでしょう。 』
秋原さんが仮に河野氏と共同でデモ集会などを実施したとして、Fondriestさんの言う「レイシストとの部分的共闘は、レイシズム、歴史修正主義を肯定することだ」
には一切該当しないですか?
政党って、「共通の政治的主張や目的を掲げ、政策の実現と政権の獲得を目指して行動する集団」ですよね。河野氏が自民党を離党して現在のような主張をされているのであれば別だと思いますが、自民党という旗のもと脱原発を主張する河野氏と、日の丸を掲げて脱原発主張する針谷氏とで、金学順さんのような日本による戦争被害者の目に映るものは一緒なんじゃないかなって思いました。
1つだけ疑問を持ったので質問させて下さい。
・共同でデモ、集会、声明発表などを企画するケースにおいて
河野太郎氏○
統一戦線義勇軍のような団体×
とされていらっしゃいますが違いはなんでしょうか。
みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会などから見て取れるように、
あれだけ多くの歴史修正主義者を要する政党に属している議員と、
脱原発を掲げる右翼団体って、そう大差無いように思えるんですが。
いくら氏が、靖国参拝に批判的な立場を取っているとしても、
河野氏は外国人参政権反対、9条改憲のスタンスであられる方ですよね?
『「どうして日本政府は戦争が好きなんですか。今回も来てみたら海外に軍隊を派遣するといっているじゃありませんか。私は軍人を見ただけでもからだがふるえるんです。日の丸を見ただけでもふるえがくる。」
仮に金学順さんのような立場の人(日本による戦争被害者)が大日本帝国やその軍隊のシンボルだった日の丸をはためかせて歩く「脱原発デモ」を見たらどう思うでしょう。 』
秋原さんが仮に河野氏と共同でデモ集会などを実施したとして、Fondriestさんの言う「レイシストとの部分的共闘は、レイシズム、歴史修正主義を肯定することだ」
には一切該当しないですか?
政党って、「共通の政治的主張や目的を掲げ、政策の実現と政権の獲得を目指して行動する集団」ですよね。河野氏が自民党を離党して現在のような主張をされているのであれば別だと思いますが、自民党という旗のもと脱原発を主張する河野氏と、日の丸を掲げて脱原発主張する針谷氏とで、金学順さんのような日本による戦争被害者の目に映るものは一緒なんじゃないかなって思いました。
TEDさまへ
横レスにて失礼します。
一概には言えませんが、一案としてはありだと思います。
ただし、
彼らに日の丸は出させない。日頃の政治的主張をその場ではさせない。
という条件でね。
こういった条件を出すことについて、
鈴木邦男も提案していたことがありますね。
一概には言えませんが、一案としてはありだと思います。
ただし、
彼らに日の丸は出させない。日頃の政治的主張をその場ではさせない。
という条件でね。
こういった条件を出すことについて、
鈴木邦男も提案していたことがありますね。
少ぅし不安が
度々引用される金学順さんの言葉ですが、新たな攻撃のターゲットにされる心配はないでしょうか。被害者個人の感情にどこまで、またいつまで寄り添うべきか。という話にまとめられると思うのですが
①彼女の遺志を自らのものとしている根拠は何か(被害者感情の個人性)
②彼女が仮に異なる象徴について意識していた場合
例えば軍人のゲートルに言及していたら、ファッションでゲートルを巻いてはいけないか
③彼女が日本人を見ただけでふるえがくるともし言っていたら、その言葉は突然無視していい言葉になるか。それとも「東海の向こうに1億人以上も生きていると思うとふるえがくる」と言われても受け入れて日本人は生存を諦めるべきか。これ、亡国を企む反日勢力、に仕立てあげられる危険につながります。もちろん、彼女はそんなこと言ってませんが、そこまで言われないから奉じているのか、という話です。
④ 思考実験ですから仮に、の話が続きますが、今、国旗が変わって彼女が被害当時見もしなかったデザインになったら、起立しない先生の処分はお構いなしになるのか。それは別に強制の可否の問題だとするなら、強制だけで日の丸反対をする人々、その中に差別主義者かいないかを事前に切り分けておかないでよかったのか。
エントリーの趣旨と全く外れますので、こういう疑問で手探りしている者がいることだけ申し上げます。
①彼女の遺志を自らのものとしている根拠は何か(被害者感情の個人性)
②彼女が仮に異なる象徴について意識していた場合
例えば軍人のゲートルに言及していたら、ファッションでゲートルを巻いてはいけないか
③彼女が日本人を見ただけでふるえがくるともし言っていたら、その言葉は突然無視していい言葉になるか。それとも「東海の向こうに1億人以上も生きていると思うとふるえがくる」と言われても受け入れて日本人は生存を諦めるべきか。これ、亡国を企む反日勢力、に仕立てあげられる危険につながります。もちろん、彼女はそんなこと言ってませんが、そこまで言われないから奉じているのか、という話です。
④ 思考実験ですから仮に、の話が続きますが、今、国旗が変わって彼女が被害当時見もしなかったデザインになったら、起立しない先生の処分はお構いなしになるのか。それは別に強制の可否の問題だとするなら、強制だけで日の丸反対をする人々、その中に差別主義者かいないかを事前に切り分けておかないでよかったのか。
エントリーの趣旨と全く外れますので、こういう疑問で手探りしている者がいることだけ申し上げます。
補遺です
もう1点、取りこぼしてました。個人性にも関わる話ですけど。9・11の後、米軍の反撃に反対した被害者遺族が少数いました。これ以上の殺戮を望まない宗教的理由の人だけでなく、犯人達を宥恕したい人もありました。加害者にとって好都合な人でもありますが、もしそういう人が引っ張り出されてきたら、どう扱えばいいでしょう。被害者のくせに差別主義者と罵る?無視して金学順さんの言にだけ従う?
秋原さん・suterakusoさんへ
最初に秋原さんの指定したような方式で私のほうでエントリーを立てています。
建設的な意見のみコメントを受け付けますのでご了解ください。
http://tetsuono123.seesaa.net/article/279579659.html
それとsuterakusoさん、IPアドレスの事を分かっていただけて安心しました。
今後もこれに懲りず、コメントお待ちしています。私のブログでも待っていますよ。
建設的な意見のみコメントを受け付けますのでご了解ください。
http://tetsuono123.seesaa.net/article/279579659.html
それとsuterakusoさん、IPアドレスの事を分かっていただけて安心しました。
今後もこれに懲りず、コメントお待ちしています。私のブログでも待っていますよ。
皆さんへお詫びと訂正
あれから色々観察して考えましたが、Fondriestさんは議論するに値しない相手だったとの最終的な結論に至りました。
数々の暴言もマイノリティから出た怒りかと一旦は思いましたが、そうではない、仮にそうだとしても許容できないレッテル貼りをおこなっていることを確認しました。
従って私は前言を撤回いたします。
Fondriestさんの数々の暴言を止めることができなかったのはブログ主の私の不徳の致すところです。皆さんにお詫び申し上げます。
特に青い鳥さん、風鈴草さんにはこの上なくご不快な気分にさせてしまい、心より申し訳なく、謝罪いたします。
なお、「レイシストと部分共闘するのはレイシズムの被害者にとってレイシズムを容認されたも同じ」という断定的な表現を使いましたが、一口にマイノリティと言っても十把一絡げにはできないため、このような100%の断定的表現は先鋭化の危険をまねくとのご指摘を頂き、納得しました。
従って、そういう自覚は強く持ちつつも、「レイシズム被害者にとってはレイシズム認容と同じ場合があることを認識しなくてはいけない」という幅を持たせた表現に訂正させていただきます。
(occupy wall street)
我々には連帯という原則があり、より良い世界――包摂と、尊厳と、愛と尊重の世界――を作るために、共に働いているのだ。「ウォール街を占拠せよ」に、レイシズム、セクシズム、トランスフォビア、移民への憎悪、ゼノフォビア、憎悪一般を受け入れる余地はない
数々の暴言もマイノリティから出た怒りかと一旦は思いましたが、そうではない、仮にそうだとしても許容できないレッテル貼りをおこなっていることを確認しました。
従って私は前言を撤回いたします。
Fondriestさんの数々の暴言を止めることができなかったのはブログ主の私の不徳の致すところです。皆さんにお詫び申し上げます。
特に青い鳥さん、風鈴草さんにはこの上なくご不快な気分にさせてしまい、心より申し訳なく、謝罪いたします。
なお、「レイシストと部分共闘するのはレイシズムの被害者にとってレイシズムを容認されたも同じ」という断定的な表現を使いましたが、一口にマイノリティと言っても十把一絡げにはできないため、このような100%の断定的表現は先鋭化の危険をまねくとのご指摘を頂き、納得しました。
従って、そういう自覚は強く持ちつつも、「レイシズム被害者にとってはレイシズム認容と同じ場合があることを認識しなくてはいけない」という幅を持たせた表現に訂正させていただきます。
(occupy wall street)
我々には連帯という原則があり、より良い世界――包摂と、尊厳と、愛と尊重の世界――を作るために、共に働いているのだ。「ウォール街を占拠せよ」に、レイシズム、セクシズム、トランスフォビア、移民への憎悪、ゼノフォビア、憎悪一般を受け入れる余地はない
>秋原葉月さんへ…。
とんでもございません。こちらこそ、感情的になり過ぎ、お詫び申し上げます。わたしは、Afternoon Cafe さんの、秋原葉月さんを初めとして、ご常連の皆さんに対しまして、心から尊敬し感謝しております。今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。
風鈴草さん…、また色々と教えてくださいね…。
秋原葉月さん、フリスキーさん、小野哲さん…、ありがとうございました。
(^_-)-☆
風鈴草さん…、また色々と教えてくださいね…。
秋原葉月さん、フリスキーさん、小野哲さん…、ありがとうございました。
(^_-)-☆
>TED さん…、
たくさんの、示唆に富んだコメントありがたく拝読させて頂きました。考えさせられました…。
あちらが立てば、こちらが立たず…、兎角この世は、難しい…。(。_゜)〃ドテッ!
【返礼川柳】
この日本
ロクでもないが
憎めない…
(。^p〇q^。)プッ
あちらが立てば、こちらが立たず…、兎角この世は、難しい…。(。_゜)〃ドテッ!
【返礼川柳】
この日本
ロクでもないが
憎めない…
(。^p〇q^。)プッ
>12/07/11 02:23:34 の鍵コメ提供者さん
> 私は左派の方々も、右翼団体の方々と親しく語らいながら共闘すればいい、などと思っていたわけではありません。一緒にスクラム組んで反原発の歌を歌ったり、デモの後の総括で一緒にお酒を飲んだりすればいいとか、思っていたわけではないんです。
ありがとうございます。そのお答えを聞きたくて何度も同じ質問をしたのです。
実は某所で貴殿に対し根拠のない濡れ衣が着せられて誹謗中傷されていたので、そんなものはでっち上げだと証明したくて質問を繰り返したのです。
嫌な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。
ありがとうございます。そのお答えを聞きたくて何度も同じ質問をしたのです。
実は某所で貴殿に対し根拠のない濡れ衣が着せられて誹謗中傷されていたので、そんなものはでっち上げだと証明したくて質問を繰り返したのです。
嫌な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。
>12/07/10 18:04:17の鍵コメ提供者さん
順序が逆になりました。
初めまして
丁寧なコメントを頂きありがとうございました。何故に鍵コメなんでしょう?みなさんにお見せできないのがもったいないです^^
初めまして
丁寧なコメントを頂きありがとうございました。何故に鍵コメなんでしょう?みなさんにお見せできないのがもったいないです^^
解錠ください
12/07/10 18:04:17の鍵コメ 提供者です。 初めてこちらにコメントするもので、ちょっと勘違いしてしまったようです。 upしてもよい、とご判断されるなら、公開ください。 (ここの「みなさん」へのメッセージのつもりでした)お手数おかけします。
お騒がせしました
>秋原さん
12/07/11 02:23:34 の鍵コメが私です。
前回は、秋原さんがこちらのエントリーには既にけりをつけられたように見えたので、鍵コメにさせてもらいました。
>>私は左派の方々も、右翼団体の方々と親しく語らいながら共闘すればいい、などと思っていたわけではありません。一緒にスクラム組んで反原発の歌を歌ったり、デモの後の総括で一緒にお酒を飲んだりすればいいとか、思っていたわけではないんです。
>ありがとうございます。そのお答えを聞きたくて何度も同じ質問をしたのです。
えーっ、やっぱりそうだったんだ。orz...
今回、皆さんのコメントをあまりゆっくり見ている暇がなかったのですが、途中から、なんかおかしいなと。たしかに初めに「共闘」という言葉を使ってしまったのは私です。(私の最初のコメントの下記の部分)でも、そのあと多くの方がしきりにその言葉を使われているのを見ていて、ちょっと違和感を感じていたんです。
>「右から考える脱原発ネットワーク」という団体だったようでした。一水会の鈴木邦男さんも関係する団体のようです。鈴木さんは左派との共闘も少しもためらわないような方ですから、(見ようによっては、ほとんど“左派”のような気がすることも・・・)やはりそうだったのかとちょっと納得しました。
鈴木邦夫さんの場合は、左派の方と共著を出されたり、イベントに参加されたり、(たぶん、ご一緒にお酒も飲まれたりされたいしているようで)本当に左派の方と仲がいいですよね。あれで、なんで左派にならないのか、私にはわからないくらいです。でも、皆さんにまで、鈴木さんが左派としているのと同じように、右翼の人たちと仲良く「共闘」しろなんて言うつもりはありませんでした。(私は全共闘世代ではないので、「共闘」と言ったらどんなイメージが湧くのかはすぐにはわかりませんでした)
たしか、「kojitaken日記」のkojitakenさんが、29日のデモで、針谷氏の団体と思われる人々の近くを、心ならずも一緒に歩く羽目になったと書かれていましたが、こちらでも、ぽむさんも同じようなことを書かれていますね。もちろん、お二人とも右翼がお好きなわけではなく、「右も左もない」というような考え方も、あまりお好きでないようです。でも、あの時の状況ではやむおえず共に歩かなければならず、ほろ苦い思いをされたようですが、私が初めから思っていたのは、そのようなことでした。「ああ、彼等も来ているんだな」と一瞥して、少し離れて一緒に歩けばいいのでは?というだけのつもりだったんですが・・・ひょっとしたら「この際、右翼とも仲良く交流しろ」と言ったように受け取られたのかもしれないと、後になって気がつきました。
>実は某所で貴殿に対し根拠のない濡れ衣が着せられて誹謗中傷されていたので、そんなものはでっち上げだと証明したくて質問を繰り返したのです。
嫌な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。
とんでもございません。こちらこそ、気づかって頂いてありがとうございました。
いずれにしても疲れましたので、しばらくお休みさせていただきます。皆さま、お元気でお過ごしください。<(_ _)>
12/07/11 02:23:34 の鍵コメが私です。
前回は、秋原さんがこちらのエントリーには既にけりをつけられたように見えたので、鍵コメにさせてもらいました。
>>私は左派の方々も、右翼団体の方々と親しく語らいながら共闘すればいい、などと思っていたわけではありません。一緒にスクラム組んで反原発の歌を歌ったり、デモの後の総括で一緒にお酒を飲んだりすればいいとか、思っていたわけではないんです。
>ありがとうございます。そのお答えを聞きたくて何度も同じ質問をしたのです。
えーっ、やっぱりそうだったんだ。orz...
今回、皆さんのコメントをあまりゆっくり見ている暇がなかったのですが、途中から、なんかおかしいなと。たしかに初めに「共闘」という言葉を使ってしまったのは私です。(私の最初のコメントの下記の部分)でも、そのあと多くの方がしきりにその言葉を使われているのを見ていて、ちょっと違和感を感じていたんです。
>「右から考える脱原発ネットワーク」という団体だったようでした。一水会の鈴木邦男さんも関係する団体のようです。鈴木さんは左派との共闘も少しもためらわないような方ですから、(見ようによっては、ほとんど“左派”のような気がすることも・・・)やはりそうだったのかとちょっと納得しました。
鈴木邦夫さんの場合は、左派の方と共著を出されたり、イベントに参加されたり、(たぶん、ご一緒にお酒も飲まれたりされたいしているようで)本当に左派の方と仲がいいですよね。あれで、なんで左派にならないのか、私にはわからないくらいです。でも、皆さんにまで、鈴木さんが左派としているのと同じように、右翼の人たちと仲良く「共闘」しろなんて言うつもりはありませんでした。(私は全共闘世代ではないので、「共闘」と言ったらどんなイメージが湧くのかはすぐにはわかりませんでした)
たしか、「kojitaken日記」のkojitakenさんが、29日のデモで、針谷氏の団体と思われる人々の近くを、心ならずも一緒に歩く羽目になったと書かれていましたが、こちらでも、ぽむさんも同じようなことを書かれていますね。もちろん、お二人とも右翼がお好きなわけではなく、「右も左もない」というような考え方も、あまりお好きでないようです。でも、あの時の状況ではやむおえず共に歩かなければならず、ほろ苦い思いをされたようですが、私が初めから思っていたのは、そのようなことでした。「ああ、彼等も来ているんだな」と一瞥して、少し離れて一緒に歩けばいいのでは?というだけのつもりだったんですが・・・ひょっとしたら「この際、右翼とも仲良く交流しろ」と言ったように受け取られたのかもしれないと、後になって気がつきました。
>実は某所で貴殿に対し根拠のない濡れ衣が着せられて誹謗中傷されていたので、そんなものはでっち上げだと証明したくて質問を繰り返したのです。
嫌な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。
とんでもございません。こちらこそ、気づかって頂いてありがとうございました。
いずれにしても疲れましたので、しばらくお休みさせていただきます。皆さま、お元気でお過ごしください。<(_ _)>
>風鈴草さん…
色々と教えてくださいよ…、、、
お暇なとき、お越しくださいよ…、、
寂しいですよ…。
秋原葉月さん…、ごめんなさいネ…、ここは貴女のブログでした…、いやはや…、僕の悪い癖…。
お暇なとき、お越しくださいよ…、、
寂しいですよ…。
秋原葉月さん…、ごめんなさいネ…、ここは貴女のブログでした…、いやはや…、僕の悪い癖…。
>風鈴草さん、青い鳥さん
ぶっちゃけた話をしますとですね、
某所でFondriestさんはじめとする何人かが風鈴草さんと青い鳥さんを「レイシストと喜んで共闘する派」というレッテル貼りして盛り上がっていたのです。
お二人をそのように決めつける根拠が
・風鈴草さんが「共同でデモや集会を企画する形の共闘」までも肯定したように読めるコメント
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8581
・青い鳥さんがその風鈴草さんのコメントを「激しく同意」したコメント
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8589
だったんです。
でも、実はそういう彼らも「共闘」と一口に言っても、6/29の自由参加型デモで針谷氏率いる統一戦線義勇軍のようなレイシスト集団と隣り合わせる(ある意味「共闘」ともいえますよね)こと自体は否定してないんですよ。
一口に「共闘」と言っても、彼らが否定してる「共闘」というのは、自由参加型デモで共闘することまでは含んでおらず、一緒になってデモや集会を企画するような「共闘」を指してるだけなのです。
つまり、私や風鈴草さんや青い鳥さんの主張と、彼らの主張とは何の違いもないのです。
それなのに、彼らはあたかもお二人がレイシストと喜んでデモや集会を共同企画したがってる人物であるかのように決めつけていたのです。
そのことを私の方から反論しても良かったのですが、それをこの「私」の口から説明してしまうと彼らは「仲間内で庇い合ってる」といって鼻にもかけないに決まってます。
だから私はお二人自身の口からはっきり説明させようとおもったのです。
風鈴草さんには「デモや集会を共同企画することまで言ってるつもりはない、せいぜい自由参加型デモ程度ならokという意味だ」と。
青い鳥さんには「自分が激しく同意した風鈴草さんのあのコメントは、レイシスト集団との積極的な共同企画まで肯定したコメントとは受け取らなかった」とね。
そうすれば彼らのやってることはレッテル貼りに過ぎないと堂々と反論できますでしょう?
まあ、そんな意図があって、お二人に対してあんな質問になってしまったわけです。
これでようやく風鈴草さんと青い鳥さんの濡れ衣は晴れました。ほっとしました。
といっても某所に集う人々はとてもまともにこちらの言い分を聞いてくれそうにないから、わたしとしてはもう呆れ果ててしまって放置ですけどね。
Fondriestさんはじめとするあちらの人々は「レイシストと共闘することは許せない」という自分たちの主張を正当化するためなら、無実のお二人を加害者だとでっちあげても平気な人々なのだと、私はここで断言します。
ですから彼らのコメントを今後私が承認することは一切ありません。
疲れさせてしまって申し訳ないことをしました。
どうぞゆっくりお休みください。
青い鳥さん、お気持ちはわかりますが、どうか休ませてあげてください。ほんとにお疲れになったと思いますので。
私はといえば、どうやらバカ殿閣下が休ませてくれそうにないです(笑)
だめおさんのご意見
>だめおさん
やはりそうでしたか(^^;
一端鍵コメントで投稿されると管理人の私もそれを解錠できないのです。
ですから、だめおさんの鍵コメをコピペしてこちらに載せますね。
(転載開始)
はじめまして。
零細輸出貿易業を営み、雑事に追われてなかなかこちらを拝見することができず、今回の一連の議論についても、「あっという間にコマ送りで物語が展開している」感があり、十分な考察、裏付けを持った発言や、迅速な反応がとてもできそうにない立場ですが、許されれば真摯なみなさんの話し合いに一言申し上げたくキーを叩いています。
秋原葉月さんの、(具体的にどのような場合に、誰と「共闘できるか」という基準を考えあおう、という)再度にわたる問いかけについて、思いを巡らせていましたが、まず、何を主張するのか、という「めざすもの」(目的、理念)をはっきりさせないと「誰と」の基準は作りにくいですね。
「反原発」じゃないか、と叱られそうですが、「反原発」にも、その根拠や、主張の行く手については、いろいろな考え方がありそうです。 エントリーのタイトルでは「反原発」という言葉がありますが、すぐその下には、6.22 の「(原発)再稼働反対のデモ」とあります。 多くの一般市民が思いを持ち寄って実現しているデモは、「再稼働反対」で主張を一致させるデモだろう、と僕には感じられます。 例えば、原発を15%程度のエネルギー源として維持すべきだ、と考える人でも、①フクシマの原因が明らかになっておらず(国際責任も果たしていない)、②フクシマが難民、棄民状態に置かれ、③大飯原発そのものの安全性や事故対応策が不全である、この3点の事実において、現時点での再稼働は許されない、と行動に出た人も少なくないのではないでしょうか。(フクシマという言葉は、一連のできごとを象徴的に表す意味で使いました)
で、便宜上^^; 「原発再稼働反対の意思表示」としての行動を考えた場合、僕は次のように考えます。 (秋原さん提起とは敢えて順序を変えます)
(a)6/29のような自由参加型デモのケース(を企画するケース)
誰とでもOK。
基本的に「原発再稼働反対」と、それに直接関連する事項のみを主張する。 例えば、「原発労働者の健康を守れっ」「使用済核燃料の対策とらんかいっ」とか、は含まれて良いでしょう。 しかし、特定の国家、政治団体、政党、企業、労働組合などの旗や個別の主張はご遠慮いただき、個人として参加いただく。 目標は、「原発再稼働反対」で一致する、一人でも多くの人の参加、とする。 一人でも多くの人に、その気持ちを表現する場を提供する、ということです。
個人での参加であることを前提に、その個人の属性が、人種差別主義者、男女差別主義者、軍需産業企業株主、自治体首長、○○組組員、米国兵、バングラデシュからの出稼ぎ労働者であることなど、一切問わない。 その参加を拒むのは、主要なテーマ以外の特定の主張をその場に持ち込む意図を持ち、場を「利用」しようとするものたちで、特定の主張が「竹島は日本の領土だ」でも、「大阪市の赤バス廃止反対」でも、「今ならセットで390円」でもよろしくない。
(b)共同でデモ、集会、声明発表などを企画するケース
基本的に原発再稼働反対のみならず、原発、および将来におけるエネルギーのあり方について、自分の考えと一致することが多い団体、個人となら共同でもよい(当たり前ですが)。
具体例として挙げられた、河野太郎氏、鈴木邦男氏と「共同で企画」し、(例えば)主催者として並ぶことは僕の場合にはありません。 共同企画しない場合は、個人で企画し、呼びかけるか、様々な呼びかけに(自分なりに内容を判断し)参加する、という形で応じることになります。 現在の僕の日常の状況からすると、企画能力、条件共に満たさないので、後者になってしまいます。
例えば(よいしょ、ではなく^^;)秋原さんの呼びかけなら、応じさせてもらう可能性は高いです。 河野太郎氏、鈴木邦男氏の呼びかけに対しては、その内容によっては応じる可能性はあります。 ちなみに、靖国一派(歴史修正主義者)は言うまでもなく、橋本大阪市長、石原東京都知事の呼びかけには(内容を問わず)応じることはありません。 ま、呼びかけることはないでしょうが、嘘をつく可能性が高い人、根本的に価値観が異なると思われる人、嫌いなことばかりする人^^; からの呼びかけには(例え具体的内容に賛同できても)参加することすら拒否させていただきます。
この(b)の目標は、できるだけ多くの人に、自分たちの訴えたい声を届けることです。 デモや集会に一人でも多く、とは必ずしも思いません(運動の過程で支持されるなら歓迎)。 主張として、自分の企画なら入れたいことに、「原発を抱える地域の地域振興の要求」、「ベトナムやインドなど海外への原発輸出の反対」と、「海外の原発反対運動との連帯」、もあります。
それぞれの運動体が、「原発再稼働反対」に付帯する主張を持ち、それぞれで企画、行動すればよいのではないか、というのが僕の意見です。 その中で、やがて共通項が多い運動体が共同で何かをしてみよう、となっていくのではないかな?(無理に一つの運動体にする必要はないと思います、主導権争いを避ける方が大切かも)
「広く」なのか「深く」なのか、連帯と共闘のあり方は、過去も現在も未来も、実践しながら模索し続けなければならないのではないでしょうか。 めんどくさいのが民主主義でしょう。 (a)も(b)も、場合によっては同じ日に両方があっても良いのかも知れません。
原発反対運動においては、ここをご覧のみなさんには「今さら」感かも知れませんが、福井県小浜市は明通寺住職、中嶌哲演さんに学ぶことが多くはないでしょうか。(その運動論の流れは、「九条の会」に影響を及ぼしたと、僕は感じるものです)
彼が中心でもある、「原子力行政を問い直す宗教者の会」の結成は、フクシマの20年前、1993年です。 去年ではありません。 この4月でも、6月でもありません。 20年前から、現在進行形です。
http://gts.mukakumuhei.net/index.htm
宗教者のネットワークを作り、若狭湾周囲で例外的に市民運動の結果、原発にノーを貫いた小浜市をリードした、中嶌住職に会いに、ちょうど1年前の今頃、小浜の明通寺へ行きました。 僕にとっては眩しい方でしたが、お会いすると、穏やかな木漏れ日を思わせる方でした。
もちろん、その足で、大飯原発も見に行きました。 「風光明媚」、美しい日本とはこのことか、という、青い空と青い海に挟まれ、緑に囲まれた原発の資料館では、「未来を約束する技術」と「安全」をわかりやすく、おもしろく、礼儀正しく説明する地元の人たちが、楽しげなロボットや原発の模型と共にありました。 フクシマ以降、ぱったりと団体見学がなくなった、と、寂しく、不安気だった彼らでしたね。
ジリジリと太陽が照る、フクシマから数か月経った夏の日でした。 あれから1年、彼らが生き生きと原発を「収束させる仕事」に精出していない事実に、胸が痛みます。
(転載ここまで)
やはりそうでしたか(^^;
一端鍵コメントで投稿されると管理人の私もそれを解錠できないのです。
ですから、だめおさんの鍵コメをコピペしてこちらに載せますね。
(転載開始)
はじめまして。
零細輸出貿易業を営み、雑事に追われてなかなかこちらを拝見することができず、今回の一連の議論についても、「あっという間にコマ送りで物語が展開している」感があり、十分な考察、裏付けを持った発言や、迅速な反応がとてもできそうにない立場ですが、許されれば真摯なみなさんの話し合いに一言申し上げたくキーを叩いています。
秋原葉月さんの、(具体的にどのような場合に、誰と「共闘できるか」という基準を考えあおう、という)再度にわたる問いかけについて、思いを巡らせていましたが、まず、何を主張するのか、という「めざすもの」(目的、理念)をはっきりさせないと「誰と」の基準は作りにくいですね。
「反原発」じゃないか、と叱られそうですが、「反原発」にも、その根拠や、主張の行く手については、いろいろな考え方がありそうです。 エントリーのタイトルでは「反原発」という言葉がありますが、すぐその下には、6.22 の「(原発)再稼働反対のデモ」とあります。 多くの一般市民が思いを持ち寄って実現しているデモは、「再稼働反対」で主張を一致させるデモだろう、と僕には感じられます。 例えば、原発を15%程度のエネルギー源として維持すべきだ、と考える人でも、①フクシマの原因が明らかになっておらず(国際責任も果たしていない)、②フクシマが難民、棄民状態に置かれ、③大飯原発そのものの安全性や事故対応策が不全である、この3点の事実において、現時点での再稼働は許されない、と行動に出た人も少なくないのではないでしょうか。(フクシマという言葉は、一連のできごとを象徴的に表す意味で使いました)
で、便宜上^^; 「原発再稼働反対の意思表示」としての行動を考えた場合、僕は次のように考えます。 (秋原さん提起とは敢えて順序を変えます)
(a)6/29のような自由参加型デモのケース(を企画するケース)
誰とでもOK。
基本的に「原発再稼働反対」と、それに直接関連する事項のみを主張する。 例えば、「原発労働者の健康を守れっ」「使用済核燃料の対策とらんかいっ」とか、は含まれて良いでしょう。 しかし、特定の国家、政治団体、政党、企業、労働組合などの旗や個別の主張はご遠慮いただき、個人として参加いただく。 目標は、「原発再稼働反対」で一致する、一人でも多くの人の参加、とする。 一人でも多くの人に、その気持ちを表現する場を提供する、ということです。
個人での参加であることを前提に、その個人の属性が、人種差別主義者、男女差別主義者、軍需産業企業株主、自治体首長、○○組組員、米国兵、バングラデシュからの出稼ぎ労働者であることなど、一切問わない。 その参加を拒むのは、主要なテーマ以外の特定の主張をその場に持ち込む意図を持ち、場を「利用」しようとするものたちで、特定の主張が「竹島は日本の領土だ」でも、「大阪市の赤バス廃止反対」でも、「今ならセットで390円」でもよろしくない。
(b)共同でデモ、集会、声明発表などを企画するケース
基本的に原発再稼働反対のみならず、原発、および将来におけるエネルギーのあり方について、自分の考えと一致することが多い団体、個人となら共同でもよい(当たり前ですが)。
具体例として挙げられた、河野太郎氏、鈴木邦男氏と「共同で企画」し、(例えば)主催者として並ぶことは僕の場合にはありません。 共同企画しない場合は、個人で企画し、呼びかけるか、様々な呼びかけに(自分なりに内容を判断し)参加する、という形で応じることになります。 現在の僕の日常の状況からすると、企画能力、条件共に満たさないので、後者になってしまいます。
例えば(よいしょ、ではなく^^;)秋原さんの呼びかけなら、応じさせてもらう可能性は高いです。 河野太郎氏、鈴木邦男氏の呼びかけに対しては、その内容によっては応じる可能性はあります。 ちなみに、靖国一派(歴史修正主義者)は言うまでもなく、橋本大阪市長、石原東京都知事の呼びかけには(内容を問わず)応じることはありません。 ま、呼びかけることはないでしょうが、嘘をつく可能性が高い人、根本的に価値観が異なると思われる人、嫌いなことばかりする人^^; からの呼びかけには(例え具体的内容に賛同できても)参加することすら拒否させていただきます。
この(b)の目標は、できるだけ多くの人に、自分たちの訴えたい声を届けることです。 デモや集会に一人でも多く、とは必ずしも思いません(運動の過程で支持されるなら歓迎)。 主張として、自分の企画なら入れたいことに、「原発を抱える地域の地域振興の要求」、「ベトナムやインドなど海外への原発輸出の反対」と、「海外の原発反対運動との連帯」、もあります。
それぞれの運動体が、「原発再稼働反対」に付帯する主張を持ち、それぞれで企画、行動すればよいのではないか、というのが僕の意見です。 その中で、やがて共通項が多い運動体が共同で何かをしてみよう、となっていくのではないかな?(無理に一つの運動体にする必要はないと思います、主導権争いを避ける方が大切かも)
「広く」なのか「深く」なのか、連帯と共闘のあり方は、過去も現在も未来も、実践しながら模索し続けなければならないのではないでしょうか。 めんどくさいのが民主主義でしょう。 (a)も(b)も、場合によっては同じ日に両方があっても良いのかも知れません。
原発反対運動においては、ここをご覧のみなさんには「今さら」感かも知れませんが、福井県小浜市は明通寺住職、中嶌哲演さんに学ぶことが多くはないでしょうか。(その運動論の流れは、「九条の会」に影響を及ぼしたと、僕は感じるものです)
彼が中心でもある、「原子力行政を問い直す宗教者の会」の結成は、フクシマの20年前、1993年です。 去年ではありません。 この4月でも、6月でもありません。 20年前から、現在進行形です。
http://gts.mukakumuhei.net/index.htm
宗教者のネットワークを作り、若狭湾周囲で例外的に市民運動の結果、原発にノーを貫いた小浜市をリードした、中嶌住職に会いに、ちょうど1年前の今頃、小浜の明通寺へ行きました。 僕にとっては眩しい方でしたが、お会いすると、穏やかな木漏れ日を思わせる方でした。
もちろん、その足で、大飯原発も見に行きました。 「風光明媚」、美しい日本とはこのことか、という、青い空と青い海に挟まれ、緑に囲まれた原発の資料館では、「未来を約束する技術」と「安全」をわかりやすく、おもしろく、礼儀正しく説明する地元の人たちが、楽しげなロボットや原発の模型と共にありました。 フクシマ以降、ぱったりと団体見学がなくなった、と、寂しく、不安気だった彼らでしたね。
ジリジリと太陽が照る、フクシマから数か月経った夏の日でした。 あれから1年、彼らが生き生きと原発を「収束させる仕事」に精出していない事実に、胸が痛みます。
(転載ここまで)
>秋原葉月さん…、
秋原葉月さん…、まず、あなたの並々ならぬご尽力とご努力により、風鈴草さんや、わたくしの“濡れ衣”を晴らして下さったことに心から感謝させて頂きます。更には、フリスキーさん、小野哲さんが、それぞれのお立場を超え、筋を通す、論陣を張って頂いたことに、あらためて感謝します。一連の件の議論を通じ、皆さん精神的ダメージを被った感は、否めないところです。小野哲さんは、ああいった輩と今現在、闘っておられます。敬意を払わせていただきます。
最後に、ここに集われる諸氏は、どなたもより良い社会、人間性が尊重され、人間性を取り戻せる社会を模索されてお見えになる方ばかりだと信じるところです。この一連の議論を無駄にせず、連帯を深める良い“糧”であったとわたしは、捉えたい。何の道理もない連中の分断工作により、“良心的連帯”が分裂してしまうことは本当に残念でなりません。フリスキーさんも、ご自身のブログで、「件の議論は、有意義であった。」と記されておられます。
2割しかいない少数派の市民さん、観測霊さん…、、、。
総選挙が近づき、橋下徹一派が大量に国政に進出することを、阻止せねばならない重大な時期にあることの認識は、わたしも同じゅうするところです。今後とも、お二方の貴重な情報のご提供並びに、舌鋒鋭い論説に期待させて頂きたい。
最後に、ここに集われる諸氏は、どなたもより良い社会、人間性が尊重され、人間性を取り戻せる社会を模索されてお見えになる方ばかりだと信じるところです。この一連の議論を無駄にせず、連帯を深める良い“糧”であったとわたしは、捉えたい。何の道理もない連中の分断工作により、“良心的連帯”が分裂してしまうことは本当に残念でなりません。フリスキーさんも、ご自身のブログで、「件の議論は、有意義であった。」と記されておられます。
2割しかいない少数派の市民さん、観測霊さん…、、、。
総選挙が近づき、橋下徹一派が大量に国政に進出することを、阻止せねばならない重大な時期にあることの認識は、わたしも同じゅうするところです。今後とも、お二方の貴重な情報のご提供並びに、舌鋒鋭い論説に期待させて頂きたい。
誤りでした。
>ぶっちゃけた話をしますとですね、
>某所でFondriestさんはじめとする何人かが風鈴草さんと青い鳥さんを「レイシストと喜んで共闘する派」というレッテル貼りして盛り上がっていたのです。
なるほど、某所を読ませていただきました。
「妙に琴線に触れる」とは言いましたが、これは誤りでした。
申し訳ありません。
完全にセクト主義のやり方ですね。しかも、結果的にマイノリティを利用している。
(無自覚か確信犯的かわかりませんが。)
マイノリティ側から見れば、ある意味、レイシストや歴史修正主義以上に、やっかいな人たちかも知れません。
>某所でFondriestさんはじめとする何人かが風鈴草さんと青い鳥さんを「レイシストと喜んで共闘する派」というレッテル貼りして盛り上がっていたのです。
なるほど、某所を読ませていただきました。
「妙に琴線に触れる」とは言いましたが、これは誤りでした。
申し訳ありません。
完全にセクト主義のやり方ですね。しかも、結果的にマイノリティを利用している。
(無自覚か確信犯的かわかりませんが。)
マイノリティ側から見れば、ある意味、レイシストや歴史修正主義以上に、やっかいな人たちかも知れません。
>ohdede様…
痛み入ります。
>マイノリティ側から見れば、ある意味、レイシストや歴史修正主義以上に、やっかいな人たちかも知れません。
本当に、こうゆう輩は、判断が難しく厄介です。件において、あの暴言が、わたし以外に向けられたとしたら、わたしは明確な判断はできなかったと考えます。諸々のことに関するohdedeさん独自の、あらゆる視点・視座は、日頃、勉強になっています。これからも宜しくお願い申しあげます。
>マイノリティ側から見れば、ある意味、レイシストや歴史修正主義以上に、やっかいな人たちかも知れません。
本当に、こうゆう輩は、判断が難しく厄介です。件において、あの暴言が、わたし以外に向けられたとしたら、わたしは明確な判断はできなかったと考えます。諸々のことに関するohdedeさん独自の、あらゆる視点・視座は、日頃、勉強になっています。これからも宜しくお願い申しあげます。
風鈴草さん、青い鳥さんへ
まず、コメントする前に秋原さんの出した質問から。
・共同でデモ、集会、声明発表などを企画するケース
反原発の趣旨を考えた場合、各人が指摘しているようにレイシズムや歴史修正主義的な主張が入る余地はないと思うので、針谷はダメかと。河野太郎や鈴木邦夫は可。極左過激派については主張次第。橋下はおそらくこういうところには来ないし、こないだの再稼働の一件で誰も呼ばないのでは。
・6/29のような自由参加型デモのケース
基本的に誰でも可だが、日の丸掲揚はNG。
さて、ここから本題に入ります。
今日未明、秋原さんが
実は某所で貴殿に対し根拠のない濡れ衣が着せられて誹謗中傷されていたので
と書かれていたのを読んで、もしや…と思っていましたが、鍵コメの発信者が風鈴草さんとわかり、確信しました。
秋原さんの言う「某所」には私も議論に参加しております。
そして、青い鳥さんには
ぽむさんが最初期に提示した同じURLを見ていないか見てもちゃんと読んでいなかったのだな、と思います
(07/07 11:41コメント)
その通りです。
(07/08 12:03コメント、URLをきちんと読んでいない青い鳥さんに怠慢の責任があるというFondriestさんへの返答)
針谷についてきちんと理解していない
(07/09 21:51コメント)
と書き、風鈴草さんには
針谷に対する理解は危ない
(07/09 21:51コメント)
お二人の今までのコメントをもとに書いたもので、間違った発言をしたつもりは今でもありません。
しかし、これは私の主観です。以前、誰にでもわかるようなぽむさんの発言を誤読した経験がある以上、 自分はそのつもりはないにしても、事実に反した誹謗中傷をしている可能性はあると思います。
風鈴草さん、青い鳥さん、ここの他の方でもよろしいのですが、もし何か事実に反したことを書いたのであれば、ぜひ指摘してください。
よろしくお願いします。
・共同でデモ、集会、声明発表などを企画するケース
反原発の趣旨を考えた場合、各人が指摘しているようにレイシズムや歴史修正主義的な主張が入る余地はないと思うので、針谷はダメかと。河野太郎や鈴木邦夫は可。極左過激派については主張次第。橋下はおそらくこういうところには来ないし、こないだの再稼働の一件で誰も呼ばないのでは。
・6/29のような自由参加型デモのケース
基本的に誰でも可だが、日の丸掲揚はNG。
さて、ここから本題に入ります。
今日未明、秋原さんが
実は某所で貴殿に対し根拠のない濡れ衣が着せられて誹謗中傷されていたので
と書かれていたのを読んで、もしや…と思っていましたが、鍵コメの発信者が風鈴草さんとわかり、確信しました。
秋原さんの言う「某所」には私も議論に参加しております。
そして、青い鳥さんには
ぽむさんが最初期に提示した同じURLを見ていないか見てもちゃんと読んでいなかったのだな、と思います
(07/07 11:41コメント)
その通りです。
(07/08 12:03コメント、URLをきちんと読んでいない青い鳥さんに怠慢の責任があるというFondriestさんへの返答)
針谷についてきちんと理解していない
(07/09 21:51コメント)
と書き、風鈴草さんには
針谷に対する理解は危ない
(07/09 21:51コメント)
お二人の今までのコメントをもとに書いたもので、間違った発言をしたつもりは今でもありません。
しかし、これは私の主観です。以前、誰にでもわかるようなぽむさんの発言を誤読した経験がある以上、 自分はそのつもりはないにしても、事実に反した誹謗中傷をしている可能性はあると思います。
風鈴草さん、青い鳥さん、ここの他の方でもよろしいのですが、もし何か事実に反したことを書いたのであれば、ぜひ指摘してください。
よろしくお願いします。
Re: 誤りでした。>ohdedeさん
> マイノリティ側から見れば、ある意味、レイシストや歴史修正主義以上に、やっかいな人たちかも知れません。
私も騙されました、お恥ずかしい限りです。
しかしかなりひっかかってはいたため色々と観察し、とあることから結果的にマイノリティを利用していることを確信しました。
私も騙されました、お恥ずかしい限りです。
しかしかなりひっかかってはいたため色々と観察し、とあることから結果的にマイノリティを利用していることを確信しました。
>ブリーチャー・バム 様へ…、
ありがとうございます。
議論の只中に於きましても、貴殿に対しまして、お礼を申しあげました通り、丹念に、わたしのコメントを読んでくださり、彼奴に対し、反論すべく、わたくしの思うところ推しはかって代弁して頂きました。今もその感謝の気持ちは、いささかも揺るぎないところです。今後ともよろしくお願い申しあげます。
議論の只中に於きましても、貴殿に対しまして、お礼を申しあげました通り、丹念に、わたしのコメントを読んでくださり、彼奴に対し、反論すべく、わたくしの思うところ推しはかって代弁して頂きました。今もその感謝の気持ちは、いささかも揺るぎないところです。今後ともよろしくお願い申しあげます。
>ブリーチャー・バムさん
回答をありがとうございます。
それから本題の件ですが、風鈴草さんはしばらくはお休みしたいそうなので、ご質問の回答は期待できないかも知れません。どうかご理解ください。
私はもう某所には興味を失い、さじを投げましたので見ておりませんが・・・ほどほどにお疲れのございませんように。
それから本題の件ですが、風鈴草さんはしばらくはお休みしたいそうなので、ご質問の回答は期待できないかも知れません。どうかご理解ください。
私はもう某所には興味を失い、さじを投げましたので見ておりませんが・・・ほどほどにお疲れのございませんように。
ohdede様、フリーチャー・バム様へ
最初にフリーチャー・バム様の某ブログでのヘイトコメントへの反撃に感謝します。
私のほうから運営会社に正式に今日、メールで事実上の問い合わせを行ないました。管理人に近々なんだかの問い合わせがくると思われます。
ohdede様、マイノリティとして苦労されたためにあのヘイトコメントに惑わされた気持ちは良く分かります(私もハラスメント被害者で、傍観者から見捨てられたため複雑な感情です)。ですからあの議論の経緯を見ていて複雑な思いもあります。
私のほうから運営会社に正式に今日、メールで事実上の問い合わせを行ないました。管理人に近々なんだかの問い合わせがくると思われます。
ohdede様、マイノリティとして苦労されたためにあのヘイトコメントに惑わされた気持ちは良く分かります(私もハラスメント被害者で、傍観者から見捨てられたため複雑な感情です)。ですからあの議論の経緯を見ていて複雑な思いもあります。
私はコメントすることこそあまりありませんが、こちらのエントリー記事は勿論、コメント欄もよく拝見させて頂いており、管理人様をはじめ、常連コメンテーターの方々の深い見識には、常常感嘆しておりました。
只、今回の議論の内容(とその結末)には強い違和感を感じましたので、蒸し返すようですが(重要な問題だと思うので)もう一度、議論の整理(と私見を述べ)させて頂きます。
先ず、議論の発端となった、「脱原発」のための一部右翼=統一戦線義勇軍との共闘の必要性を説いた風鈴草さんの主張に対し、ポムさんからその問題点の指摘がありました。
更に風鈴草さんの反論、青い鳥さんの同調(?)コメントがあり、そしていよいよ問題の(笑い)Fondriestさんの登場となります。
ここで確認していただきたいのは、最初のFondriestさんのコメントですが、非常に論理的に明快な主張で、文体もこの時点では(幾分はっきりとした物言いではあるものの)特に礼に失するようなもの、だとは思えません。
私は基本的にこのFondriestさんの主張は極めて妥当なもの、と考えます。
最初に感情的対応を取られたのは青い鳥さんですね。(ご確認ください)
以降、Fondriestさんの例の攻撃的な主張が展開され、それに応戦する形で小野哲氏、フリスキー氏等が加わります。
風鈴草さんは当初は針谷(統一戦線義勇軍)について、よくは知らないけど「反原発」という点で好感を持っていられるようでしたね。
そして、その後ポムさんにより、彼らがレイシスト集団であり、歴史修正主義者であるとの指摘を受けたにも拘らず、更に彼らとの共闘を呼びかけるかのような主張を続けています。
この論争の核心はこの態度の妥当性にあります。
この点に於いては、私の立場はポムさん、Fondriestさん、と同じで、風鈴草さんの主張は「批判されて当然」と考えます。
(只、Fondriestさんの言うように、風鈴草さんや青い鳥さんがレイシストだ、とまでは思っていませんが。)
統一戦線義勇軍は「反原発」の在特会です。、
(そして、在特会は「反・反原発」の統一戦線義勇軍です。)
風鈴草さんから、針谷のような輩を擁護するかのような主張が「繰り返し」なされた事は、驚きと、失望と、苛立ちを禁じ得ません。
針谷の人柄云々という、「家族思いのヒットラー像を語る事」と同質の極めて幼稚な手法まで持ち出していますね。
これら(当然批判されて然るべきべき主張)に対する(普段なら舌鋒鋭いハズの)常連コメンテーター諸氏の批判は「一切」なく(!)、只管矛先は、Fondriestさんの「言いよう」に対する感情的反発ばかりが繰返されています。
ここで、私は初めて、このコメント欄を「気持ち悪い」と感じてしまいました。
私は、議論上のマナーがどうとか、表現の仕方どうとか、瑣末的な問題にこの議論を収束させてしまった事を、残念に思います。
何故なら、ここにこの国に於ける左派、護憲派、リベラルと呼ばれる人々の抱える深刻な「弱点」が垣間見える気がしたからです。
Fondriestさんが某所で何をしてるとか、レッテル貼りのセクト主義者だとかは、私には全く「どうでも良いハナシ」にしか思えません。
大事なのはその主張の妥当性です。
常連であろうが、親しかろうが、誤った主張は批判されるべきではないのですか?
身内をかばい合い、内輪で問題を矮小化させたまま、チャンチャン、はあまりにも情けないように思うのですが。
「右も左もない」
急速に広がるこの不気味な主張の行先がどこにあるのか?
私の危機感は募る一方ですね。
只、今回の議論の内容(とその結末)には強い違和感を感じましたので、蒸し返すようですが(重要な問題だと思うので)もう一度、議論の整理(と私見を述べ)させて頂きます。
先ず、議論の発端となった、「脱原発」のための一部右翼=統一戦線義勇軍との共闘の必要性を説いた風鈴草さんの主張に対し、ポムさんからその問題点の指摘がありました。
更に風鈴草さんの反論、青い鳥さんの同調(?)コメントがあり、そしていよいよ問題の(笑い)Fondriestさんの登場となります。
ここで確認していただきたいのは、最初のFondriestさんのコメントですが、非常に論理的に明快な主張で、文体もこの時点では(幾分はっきりとした物言いではあるものの)特に礼に失するようなもの、だとは思えません。
私は基本的にこのFondriestさんの主張は極めて妥当なもの、と考えます。
最初に感情的対応を取られたのは青い鳥さんですね。(ご確認ください)
以降、Fondriestさんの例の攻撃的な主張が展開され、それに応戦する形で小野哲氏、フリスキー氏等が加わります。
風鈴草さんは当初は針谷(統一戦線義勇軍)について、よくは知らないけど「反原発」という点で好感を持っていられるようでしたね。
そして、その後ポムさんにより、彼らがレイシスト集団であり、歴史修正主義者であるとの指摘を受けたにも拘らず、更に彼らとの共闘を呼びかけるかのような主張を続けています。
この論争の核心はこの態度の妥当性にあります。
この点に於いては、私の立場はポムさん、Fondriestさん、と同じで、風鈴草さんの主張は「批判されて当然」と考えます。
(只、Fondriestさんの言うように、風鈴草さんや青い鳥さんがレイシストだ、とまでは思っていませんが。)
統一戦線義勇軍は「反原発」の在特会です。、
(そして、在特会は「反・反原発」の統一戦線義勇軍です。)
風鈴草さんから、針谷のような輩を擁護するかのような主張が「繰り返し」なされた事は、驚きと、失望と、苛立ちを禁じ得ません。
針谷の人柄云々という、「家族思いのヒットラー像を語る事」と同質の極めて幼稚な手法まで持ち出していますね。
これら(当然批判されて然るべきべき主張)に対する(普段なら舌鋒鋭いハズの)常連コメンテーター諸氏の批判は「一切」なく(!)、只管矛先は、Fondriestさんの「言いよう」に対する感情的反発ばかりが繰返されています。
ここで、私は初めて、このコメント欄を「気持ち悪い」と感じてしまいました。
私は、議論上のマナーがどうとか、表現の仕方どうとか、瑣末的な問題にこの議論を収束させてしまった事を、残念に思います。
何故なら、ここにこの国に於ける左派、護憲派、リベラルと呼ばれる人々の抱える深刻な「弱点」が垣間見える気がしたからです。
Fondriestさんが某所で何をしてるとか、レッテル貼りのセクト主義者だとかは、私には全く「どうでも良いハナシ」にしか思えません。
大事なのはその主張の妥当性です。
常連であろうが、親しかろうが、誤った主張は批判されるべきではないのですか?
身内をかばい合い、内輪で問題を矮小化させたまま、チャンチャン、はあまりにも情けないように思うのですが。
「右も左もない」
急速に広がるこの不気味な主張の行先がどこにあるのか?
私の危機感は募る一方ですね。
>やすさん
>Fondriestさんが某所で何をしてるとか、レッテル貼りのセクト主義者だとかは、私には全く「どうでも良いハナシ」にしか思えません。
大事なのはその主張の妥当性です。
では風鈴草さんの主張をちゃんと理解してください。
風鈴草さんが針谷氏と所謂「共同してデモや集会や声明発表を行うような共闘をすべきだ」という主張をしていますか?
そんな主張はしていないとこのコメント欄でお答えをいただきました。
また、風鈴草さんはわざわざApeman氏のブログに訪問して、自分の言いたかったことはレイシストと共闘肯定することなんかではないと説明しにいっています。
でも、風鈴草さんを「レイシストと共闘肯定派」に祭りあげていた方々は全員風鈴草さんのレスを無視してますね、なぜでしょうか?
私は風鈴草さんのコメントは一見すると所謂「レイシストと共闘肯定」しているように読めるけれど、そのようにはまだ断定できないと判断しました(針谷氏をよく知らないと仰ってましたし)、だから何度も共闘とはどういうものを指しているつもりなのかを繰り返し質問しました。でもあちらの方々はそうはなさいませんでしたね。風鈴草さんの真意を確かめようとは誰一人なさらず、「共闘肯定派」「共闘すべきだと考えている」と頭から決めつけていましたね。
何故きちんと本人に確かめようとしないのですか?
私の方はそこに非常な違和感を抱きました。
風鈴草さんはきちんとお答えをここでも下さってるし、それをわざわざApeman氏の所にまで言いにいってるのに、やすさんはどうして風鈴草さんのそのお答えを無視なさるのでしょうか?
それとも、ご本人が否定しているのにまだ風鈴草さんを「レイシストと共闘肯定派」だと仰りたいのでしょうか?
もしそうだとしたらそれはネトウヨと同じ手法です。
>針谷の人柄云々という、「家族思いのヒットラー像を語る事」と同質の極めて幼稚な手法まで持ち出していますね
風鈴草さんは何度も政治には詳しくない、どちらかと言えばノンポリだ、針谷氏もよく知らないと仰っていたではありませんか。そう言う「素人」のコメントはやすさんからみれば「幼稚なコメント」に見えるのでしょうね。
政治ブログにコメントしているからって誰もが「プロ」ではありませんし、色々詳しく知っていなければ政治ブログコメントすべきでないとは私は考えていません。
何を隠そう、私だって去年の6月に針谷氏に挨拶させるかどうかでもめたいきさつなんてほとんど知りませんでしたし、針谷氏や統一義勇軍の名前も今回の事があって、調べて初めて知ったのですよ。ウソみたいでしょう?
私は以前も自ブログで言っていますが、法的なものにはうるさいですが、政治や歴史は詳しくないのです。評論家や文化人や政治家の名前など、きっと皆さんが驚かれるほど知りません。それでも政治系ブログを書いています。
>私は、議論上のマナーがどうとか、表現の仕方どうとか、瑣末的な問題にこの議論を収束させてしまった事を、残念に思います。
そんなことの収束させてはいませんよ。ほんとにこのコメント欄をきちんとお読みになったのですか?
議論の態度の他に、所謂レイシスト、歴史修正主義と呼ばれる団体とどのように関わるかのコンセンサスが最後にきちんととれてるではありませんか。
>身内をかばい合い、内輪で問題を矮小化させたまま、チャンチャン、はあまりにも情けないように思うのですが。
どこかどう問題を矮小化し身内で庇い合っていると仰ってるのか私には理解できませんが。
まず相手方(風鈴草さん)の主張をきちんと理解するところから始めてください。これは議論の基本だと思いますし、私からのお願いです。
それから在日のohdedeさんが、どのように仰っているか、コメントをご覧下さい。ohdedeさんは正真正銘、「レイシストとの共闘肯定」で嫌な思いをする立場であるマイノリティですので、そう言う方の意見も聞かれるのはタメになると思います
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8872
大事なのはその主張の妥当性です。
では風鈴草さんの主張をちゃんと理解してください。
風鈴草さんが針谷氏と所謂「共同してデモや集会や声明発表を行うような共闘をすべきだ」という主張をしていますか?
そんな主張はしていないとこのコメント欄でお答えをいただきました。
また、風鈴草さんはわざわざApeman氏のブログに訪問して、自分の言いたかったことはレイシストと共闘肯定することなんかではないと説明しにいっています。
でも、風鈴草さんを「レイシストと共闘肯定派」に祭りあげていた方々は全員風鈴草さんのレスを無視してますね、なぜでしょうか?
私は風鈴草さんのコメントは一見すると所謂「レイシストと共闘肯定」しているように読めるけれど、そのようにはまだ断定できないと判断しました(針谷氏をよく知らないと仰ってましたし)、だから何度も共闘とはどういうものを指しているつもりなのかを繰り返し質問しました。でもあちらの方々はそうはなさいませんでしたね。風鈴草さんの真意を確かめようとは誰一人なさらず、「共闘肯定派」「共闘すべきだと考えている」と頭から決めつけていましたね。
何故きちんと本人に確かめようとしないのですか?
私の方はそこに非常な違和感を抱きました。
風鈴草さんはきちんとお答えをここでも下さってるし、それをわざわざApeman氏の所にまで言いにいってるのに、やすさんはどうして風鈴草さんのそのお答えを無視なさるのでしょうか?
それとも、ご本人が否定しているのにまだ風鈴草さんを「レイシストと共闘肯定派」だと仰りたいのでしょうか?
もしそうだとしたらそれはネトウヨと同じ手法です。
>針谷の人柄云々という、「家族思いのヒットラー像を語る事」と同質の極めて幼稚な手法まで持ち出していますね
風鈴草さんは何度も政治には詳しくない、どちらかと言えばノンポリだ、針谷氏もよく知らないと仰っていたではありませんか。そう言う「素人」のコメントはやすさんからみれば「幼稚なコメント」に見えるのでしょうね。
政治ブログにコメントしているからって誰もが「プロ」ではありませんし、色々詳しく知っていなければ政治ブログコメントすべきでないとは私は考えていません。
何を隠そう、私だって去年の6月に針谷氏に挨拶させるかどうかでもめたいきさつなんてほとんど知りませんでしたし、針谷氏や統一義勇軍の名前も今回の事があって、調べて初めて知ったのですよ。ウソみたいでしょう?
私は以前も自ブログで言っていますが、法的なものにはうるさいですが、政治や歴史は詳しくないのです。評論家や文化人や政治家の名前など、きっと皆さんが驚かれるほど知りません。それでも政治系ブログを書いています。
>私は、議論上のマナーがどうとか、表現の仕方どうとか、瑣末的な問題にこの議論を収束させてしまった事を、残念に思います。
そんなことの収束させてはいませんよ。ほんとにこのコメント欄をきちんとお読みになったのですか?
議論の態度の他に、所謂レイシスト、歴史修正主義と呼ばれる団体とどのように関わるかのコンセンサスが最後にきちんととれてるではありませんか。
>身内をかばい合い、内輪で問題を矮小化させたまま、チャンチャン、はあまりにも情けないように思うのですが。
どこかどう問題を矮小化し身内で庇い合っていると仰ってるのか私には理解できませんが。
まず相手方(風鈴草さん)の主張をきちんと理解するところから始めてください。これは議論の基本だと思いますし、私からのお願いです。
それから在日のohdedeさんが、どのように仰っているか、コメントをご覧下さい。ohdedeさんは正真正銘、「レイシストとの共闘肯定」で嫌な思いをする立場であるマイノリティですので、そう言う方の意見も聞かれるのはタメになると思います
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8872
秋月さんに質問いたします。
以下は風鈴草さんが、ポムさんの指摘により針谷(統一戦線義勇軍)がレイシストであり、歴史修正主義者である事を理解した上でのコメントです。
>ポムさん
どのような視点からであれ、思想的に純粋な人たちだけで、脱原発運動をしようと考えたら、とても何万人などという人たちを集めることはできないでしょう。私がそうであるように「特定の思想グループ」に属していない人たちにも其々の見解はあります。「一般大衆」だからと言って別に「無色透明」ではないのです。針谷氏と似たようなことを言う人は田舎の普通の人たちの中にもいます。脱原発に関わるについての思想性の条件を厳しく問うて、彼のような右翼人の参加を忌避している人たちが、一方ではその点を全く問題にしていないらしいのは、一種の「エリート主義」のような気がして、ちょっと嫌な感じがしました。
(中略)
むしろ「永遠の敵」として対立するのではなくて、いつか自分と同じ見解を持ってもらいたいと願うのであれば、別の「敵」に向かって一緒に戦うという好いチャンスになるかもしれません。
このコメントの主張内容は以下のうちのいずれでしょうか?
1、レイシスト=針谷との共闘を「是」としたもの
2、レイシスト=針谷との共闘を「非」としたもの
3、どちらでもない
お答えいただければ幸いです。
以下は風鈴草さんが、ポムさんの指摘により針谷(統一戦線義勇軍)がレイシストであり、歴史修正主義者である事を理解した上でのコメントです。
>ポムさん
どのような視点からであれ、思想的に純粋な人たちだけで、脱原発運動をしようと考えたら、とても何万人などという人たちを集めることはできないでしょう。私がそうであるように「特定の思想グループ」に属していない人たちにも其々の見解はあります。「一般大衆」だからと言って別に「無色透明」ではないのです。針谷氏と似たようなことを言う人は田舎の普通の人たちの中にもいます。脱原発に関わるについての思想性の条件を厳しく問うて、彼のような右翼人の参加を忌避している人たちが、一方ではその点を全く問題にしていないらしいのは、一種の「エリート主義」のような気がして、ちょっと嫌な感じがしました。
(中略)
むしろ「永遠の敵」として対立するのではなくて、いつか自分と同じ見解を持ってもらいたいと願うのであれば、別の「敵」に向かって一緒に戦うという好いチャンスになるかもしれません。
このコメントの主張内容は以下のうちのいずれでしょうか?
1、レイシスト=針谷との共闘を「是」としたもの
2、レイシスト=針谷との共闘を「非」としたもの
3、どちらでもない
お答えいただければ幸いです。
>やすさん
くどいですね。何度も同じ事を言わせないでください
風鈴草さんがずばり仰ってる結論を読めば済むことではありませんか。何故それを無視して回りくどい推測ばかり重ねようとするのですか。私は先ほどのコメントでそう言ったはずです。私の返信を読んでいないのですか。
要するに風鈴草さんが書いた真意を読みたくないわけですか?
では風鈴草さんの結論部分だけを引用しますから何度でも読んでください
Apemanさんのブログからです
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20120627/p2#c1341995476より
私は「左派も右翼とニコニコ仲良く手を繋いでやっていくべきだ」などということを言ったつもりはありません。あちらでも、皆さまがしばしば「共闘」という言葉を使われているので、やっと気がついたのですが、私は皆さまが思っているような「共闘」を左派も右翼団体とするべきだなどと思っていたわけではないのです。私が「共闘」という言葉を使ったのは以下の部分だけで、あくまで鈴木邦男氏個人にについての感想の中で述べたもので、他の部分にまで適用したつもりはありません。
私が実際に考えていた“共闘”は以下のようなものです。
たとえば、こちらで「kojitaken日記」のkojitakenさんが、29日のデモで、針谷氏の団体と思われる人々の近くを、心ならずも一緒に歩く羽目になったと書かれていましたが、(http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20120630)もちろん、kojitakenさんが右翼をお好きなはずもなく、おそらくは「右も左もない」というような考え方もお好きでないようです。でも、あの状況では、やむおえず共に歩かなければならず、ほろ苦い思いをされたようですが、私が初めから思っていたのは、だいたい、このような感じのことでした。「ああ、彼等も来ているんだな」と一瞥して、少し離れて一緒に歩けばいいのでは?というくらいののつもりでした。あえて側へ行って握手したり、一緒に歩いたりする必要はないでしょう。
このコメント欄にて
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8867
鈴木邦夫さんの場合は、左派の方と共著を出されたり、イベントに参加されたり、(たぶん、ご一緒にお酒も飲まれたりされたいしているようで)本当に左派の方と仲がいいですよね。あれで、なんで左派にならないのか、私にはわからないくらいです。でも、皆さんにまで、鈴木さんが左派としているのと同じように、右翼の人たちと仲良く「共闘」しろなんて言うつもりはありませんでした。(私は全共闘世代ではないので、「共闘」と言ったらどんなイメージが湧くのかはすぐにはわかりませんでした)
たしか、「kojitaken日記」のkojitakenさんが、29日のデモで、針谷氏の団体と思われる人々の近くを、心ならずも一緒に歩く羽目になったと書かれていましたが、こちらでも、ぽむさんも同じようなことを書かれていますね。もちろん、お二人とも右翼がお好きなわけではなく、「右も左もない」というような考え方も、あまりお好きでないようです。でも、あの時の状況ではやむおえず共に歩かなければならず、ほろ苦い思いをされたようですが、私が初めから思っていたのは、そのようなことでした。「ああ、彼等も来ているんだな」と一瞥して、少し離れて一緒に歩けばいいのでは?というだけのつもりだったんですが・・・ひょっとしたら「この際、右翼とも仲良く交流しろ」と言ったように受け取られたのかもしれないと、後になって気がつきました。
(引用ここまで)
どうですか、この結論はやすさんの結論とどれだけちがうのですか?
これだけ本人がはっきり結論を書いてるのに無視しているのは、あくまでも風鈴草さんを「レイシスト共闘肯定派」として攻撃対象に据えておきたいからだとしか思えません。
悪質ですね。そこが言葉尻を捉えて鬼の首でも取ったようにとことん糾弾する極左の「総括」そっくりです。
そういう悪質な質問を繰り返すようでしたら以後は承認しません。ネトウヨと同じです
風鈴草さんがずばり仰ってる結論を読めば済むことではありませんか。何故それを無視して回りくどい推測ばかり重ねようとするのですか。私は先ほどのコメントでそう言ったはずです。私の返信を読んでいないのですか。
要するに風鈴草さんが書いた真意を読みたくないわけですか?
では風鈴草さんの結論部分だけを引用しますから何度でも読んでください
Apemanさんのブログからです
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20120627/p2#c1341995476より
私は「左派も右翼とニコニコ仲良く手を繋いでやっていくべきだ」などということを言ったつもりはありません。あちらでも、皆さまがしばしば「共闘」という言葉を使われているので、やっと気がついたのですが、私は皆さまが思っているような「共闘」を左派も右翼団体とするべきだなどと思っていたわけではないのです。私が「共闘」という言葉を使ったのは以下の部分だけで、あくまで鈴木邦男氏個人にについての感想の中で述べたもので、他の部分にまで適用したつもりはありません。
私が実際に考えていた“共闘”は以下のようなものです。
たとえば、こちらで「kojitaken日記」のkojitakenさんが、29日のデモで、針谷氏の団体と思われる人々の近くを、心ならずも一緒に歩く羽目になったと書かれていましたが、(http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20120630)もちろん、kojitakenさんが右翼をお好きなはずもなく、おそらくは「右も左もない」というような考え方もお好きでないようです。でも、あの状況では、やむおえず共に歩かなければならず、ほろ苦い思いをされたようですが、私が初めから思っていたのは、だいたい、このような感じのことでした。「ああ、彼等も来ているんだな」と一瞥して、少し離れて一緒に歩けばいいのでは?というくらいののつもりでした。あえて側へ行って握手したり、一緒に歩いたりする必要はないでしょう。
このコメント欄にて
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8867
鈴木邦夫さんの場合は、左派の方と共著を出されたり、イベントに参加されたり、(たぶん、ご一緒にお酒も飲まれたりされたいしているようで)本当に左派の方と仲がいいですよね。あれで、なんで左派にならないのか、私にはわからないくらいです。でも、皆さんにまで、鈴木さんが左派としているのと同じように、右翼の人たちと仲良く「共闘」しろなんて言うつもりはありませんでした。(私は全共闘世代ではないので、「共闘」と言ったらどんなイメージが湧くのかはすぐにはわかりませんでした)
たしか、「kojitaken日記」のkojitakenさんが、29日のデモで、針谷氏の団体と思われる人々の近くを、心ならずも一緒に歩く羽目になったと書かれていましたが、こちらでも、ぽむさんも同じようなことを書かれていますね。もちろん、お二人とも右翼がお好きなわけではなく、「右も左もない」というような考え方も、あまりお好きでないようです。でも、あの時の状況ではやむおえず共に歩かなければならず、ほろ苦い思いをされたようですが、私が初めから思っていたのは、そのようなことでした。「ああ、彼等も来ているんだな」と一瞥して、少し離れて一緒に歩けばいいのでは?というだけのつもりだったんですが・・・ひょっとしたら「この際、右翼とも仲良く交流しろ」と言ったように受け取られたのかもしれないと、後になって気がつきました。
(引用ここまで)
どうですか、この結論はやすさんの結論とどれだけちがうのですか?
これだけ本人がはっきり結論を書いてるのに無視しているのは、あくまでも風鈴草さんを「レイシスト共闘肯定派」として攻撃対象に据えておきたいからだとしか思えません。
悪質ですね。そこが言葉尻を捉えて鬼の首でも取ったようにとことん糾弾する極左の「総括」そっくりです。
そういう悪質な質問を繰り返すようでしたら以後は承認しません。ネトウヨと同じです
やはり質問にはお答えいただけないのですね。
まぁ予想はしていましたが・・・
私は他のブログでのコメントではなく、この場のコメント欄においてなされた実際の主張を問題にしているのですが。
果たしてレッテル貼りをしているのは私やFondreistさんなのか。
それとも「常連」に対する「外部」の批判者をセクト主義の極左(笑い)と決め付けるあなたなのか。
第三者から見たらどちらに映るのでしょうね。
ご心配なさらなくとも、二度とコメントはしません。
このコメントも「都合が悪い」とお考えなら、どうぞ承認なさらないでください。
その事で、余所で悪口言ったりはしませんから、どうぞご安心ください。
まぁ予想はしていましたが・・・
私は他のブログでのコメントではなく、この場のコメント欄においてなされた実際の主張を問題にしているのですが。
果たしてレッテル貼りをしているのは私やFondreistさんなのか。
それとも「常連」に対する「外部」の批判者をセクト主義の極左(笑い)と決め付けるあなたなのか。
第三者から見たらどちらに映るのでしょうね。
ご心配なさらなくとも、二度とコメントはしません。
このコメントも「都合が悪い」とお考えなら、どうぞ承認なさらないでください。
その事で、余所で悪口言ったりはしませんから、どうぞご安心ください。
>やすさん(補足と追伸有り)
やはり、
風鈴草さんが書いた「自分はデモや集会などを共同で企画するような共闘など肯定していない、ただ、自由参加型デモでたまたま並んでしまったとき、我慢して歩く程度は認容してもいい」という結論のコメントをどーーしても無かったことにしたいのですねw
この風鈴草さんのこのコメントhttp://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8867読めば、私がわざわざ質問に答えるまでもなく、2,レイシスト=針谷との共闘(ex.デモや集会の共同企画)を「非」としたものと言う回答が既に風鈴草さん本人の口からでてるじゃないですか。なんでそれを無視するかなあ???本当に「不都合な真実」が目に入らないんですね。
ちっともわかろうとしないのでもう一度時系列に沿って説明しましょう。
やすさんがhttp://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment9059であげた風鈴草さんのコメント(①)ですが、風鈴草さんは自分のこのコメントが『ひょっとしたら「この際、右翼とも仲良く交流しろ」と言ったように受け取られたのかもしれないと、後になって気がつ』いたから、自分の真意はどういうものだったのかをhttp://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8867で述べたのです(②)。
ところが、やすさんは風鈴草さんが真意を釈明した結論コメント(②)をガン無視して、いつまでたっても最初の方で述べたやや曖昧なコメント(①)の揚げ足取りに終始しているわけです。
ここまで丁寧に説明してもきっとわかろうとはしないでしょうね。
まぁ予想はしていましたが・・・
私は他のブログでのコメントだけではなく、この場のコメント欄に風鈴草さんが書いた実際の主張http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8867 を問題にしているのですが。
果たして風鈴草さんのこの結論のコメントからひたすらスルーして逃げまくって「レッテル貼り」をしているのは、あなたと私、どちらなのか。
第三者から見たらどちらに映るのでしょうね。
私もこの事で、余所で悪口言ったりはしませんから、どうぞご安心ください。
追伸:
やすさんがコメントしてくださったおかげでFondriestさんやあなたがいかに自分に都合の悪いことは無視して事実を歪曲しているか、その醜態ぶりがますますあきらかになりました。
風鈴草さんが書いた「自分はデモや集会などを共同で企画するような共闘など肯定していない、ただ、自由参加型デモでたまたま並んでしまったとき、我慢して歩く程度は認容してもいい」という結論のコメントをどーーしても無かったことにしたいのですねw
この風鈴草さんのこのコメントhttp://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8867読めば、私がわざわざ質問に答えるまでもなく、2,レイシスト=針谷との共闘(ex.デモや集会の共同企画)を「非」としたものと言う回答が既に風鈴草さん本人の口からでてるじゃないですか。なんでそれを無視するかなあ???本当に「不都合な真実」が目に入らないんですね。
ちっともわかろうとしないのでもう一度時系列に沿って説明しましょう。
やすさんがhttp://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment9059であげた風鈴草さんのコメント(①)ですが、風鈴草さんは自分のこのコメントが『ひょっとしたら「この際、右翼とも仲良く交流しろ」と言ったように受け取られたのかもしれないと、後になって気がつ』いたから、自分の真意はどういうものだったのかをhttp://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8867で述べたのです(②)。
ところが、やすさんは風鈴草さんが真意を釈明した結論コメント(②)をガン無視して、いつまでたっても最初の方で述べたやや曖昧なコメント(①)の揚げ足取りに終始しているわけです。
ここまで丁寧に説明してもきっとわかろうとはしないでしょうね。
まぁ予想はしていましたが・・・
私は他のブログでのコメントだけではなく、この場のコメント欄に風鈴草さんが書いた実際の主張http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8867 を問題にしているのですが。
果たして風鈴草さんのこの結論のコメントからひたすらスルーして逃げまくって「レッテル貼り」をしているのは、あなたと私、どちらなのか。
第三者から見たらどちらに映るのでしょうね。
私もこの事で、余所で悪口言ったりはしませんから、どうぞご安心ください。
追伸:
やすさんがコメントしてくださったおかげでFondriestさんやあなたがいかに自分に都合の悪いことは無視して事実を歪曲しているか、その醜態ぶりがますますあきらかになりました。
>やすさん…
>最初に感情的対応を取られたのは青い鳥さんですね。
心外極まりない。!!!
以下の彼奴の罵詈雑言を読みたまえよ…。こんなことを言われて感情的に怒らない人間は、馬鹿だぞ、君ぃ! 議論以前の問題だっつうの!
>青い鳥へ
>いつわたしが、レイシズムを容認しましたか!?…。
前述したようにレイシストとの共闘を美麗字句で肯定するお仲間に「激しく同意」しておいて「容認」していないなどと言えるわけが無い。しかも、
>ちゃちなイデオロギーなる呪縛に束縛され、様々な市民と連帯ができないこと程、残念で阿保らしいことはないですよ…。
などと書いてぽむさんに窘められ慌てて「謝罪」しておいてこれだから確信犯だね。ぽむさんは「はずみ」ということにしているが、懲りずに同じ事を繰り返すのだから「はずみ」で本音がでたということに他ならない。歴史修正主義とそれと不可分なレイシズムを「連帯」のためなら犠牲にしても良い「ちゃちなイデオロギー」と見なす事が「容認」でなくてなんなんだ?まさかとは思うが「容認」と「積極的肯定」の区別が出来ないのか?
>わたしの“共闘”“運動”の真意を慮らない貴殿の態度は、わたしの矜持に照らした時、断固許容できないものです!。 わたしと“風鈴草”様に、謝罪を要求します!!!。
笑わせるんじゃない。あんたの「真意」など知ったことじゃない。書いた事から判断するだけだ。ひょっとして「私は善意を持っているから差別的なことをするわけが無い」とでも考えているのなら、民青でいったい何を学んだんだ?唯物論って知ってる?まあ、民青でお仲間とつるんで運動ごっこをしてただけだろうがな。
あんたは自らの「矜持」の高さとは相反して、レイシズムを積極的肯定はしないものの、容認することで他者が踏みつけられるのを傍観しつつ自分は綺麗ごとを言う卑怯なマジョリティの一員に過ぎない。あんたの目が向いているのは自分のお仲間だけでその中で「善人」として認められたいという欲求で動いているだけ。だから「謝罪」するのも「ぽむ様並びに小野哲様…何より、ブログ主様の秋原葉月様 」だけで実際に差別されている人間には向かない。いやー素晴らしい仲間意識だね。ワンピでも読んで泣いてろよ。
>議論は拒否させて頂きます、悪しからず。
いやあんたが議論できるなどとは元から期待してないし。言葉とは裏腹に汚い偽善者だということを晒してるだけだから。自分の「善意」と「正しさ」という「呪縛に束縛」されとけばw。ああ、それから老婆心ながら付け加えると
>秋原葉月様…、再三再四、ご迷惑をお掛けし、心からお詫び申し上げます。
あんたによれば私が「デマ」で絡んで来ただけなんだから、秋原葉月さんに謝る必要はないよねー。それなのにこんなのを付け加えるのは、まるで茶坊主か太鼓持ちのようで見苦しいので止めたほうがいいよ。知性に欠けるのはもう隠せないにしても品性もその程度と思われたくないだろ。意外と秋原葉月さんもこんなのにヨイショされて困られてるかも知れんし。勿論茶坊主として精進したいのならそれでもいいが。それとも、秋原葉月さんに助けを求めてるのかな?
さて次は長いだけで無内容なまるでハシゲのような詭弁だらけのレスを返してきたもう一人のバカ。
風鈴草へ
>私は難しい「政治的な議論」というのは苦手です。それが右翼であっても左翼であっても、日本の近代史の中の出来ごとを事細かに知っていて、専門用語(と御 本人たちは思っていないかもしれませんが、使い慣れない人間にとってはそんな感じです)を駆使する人たちの議論にはとてもついていけないからです。それに してはチョムスキーなどを引き合いに出すではないかと言われそうですが、・・・(中略)・・・申し 訳ないけれど、あまり近寄らないようなにしています。(例外は鈴木邦男さんのエッセイで、あれは親しみやすいです)だから、そういう世界に通暁した人間だ と思われては困るのです。
うわー凄いね。初っ端から議論とは関係ないことをグダグダと。いったい誰がオマエが「そういう世界に通暁した人間だと」思ってるの?少なくとも私じゃないね。まず最初に「難しい議論は苦手です」と書いて逃げ道を確保。そのくせ、外国人の名前を挙げて知識自慢でドヤ顔という、謙虚と見せかけて自分の教養の高さをこっちが期待していると勘違いするほどのプライドの高さをアピールする高度なレトリックには感服しますw。教養コンプレックス丸出しでコメントでしなくてもいい引用をやたらして、どっかの太鼓持ちから絶賛されて喜んでるとこんなのになるのかね?
>このままなし崩しにあちこちの原発を再稼働させてしまうということは、例えて言うなら、三日も寝ていない寝不足の運転手に、欠陥があるのがわかっ ているバスを運転させて、みんなじゅうをギュウギュウに詰めこんで夜の山道を走らせるようなものです。もちろんバスの乗客は国民です。・・・ (中略)・・・ その時にふと脇を見ると、普段から自分とは考えが違って敵対ばかりしていた人が、一緒に「バス反対」を叫んでいたとします。それを見て「あなたは いつも私と違うことばかり言っていたじゃないか?なんで今度は同じことを言うのだ。あなたがバス反対を叫んではいけない」などと言えるでしょうか?私は脱 原発とはそういうことではないかと思っています。
はい、でました。藁人形叩きとニセの二者択一を迫るインチキな喩え。まず、私は、そして恐らく私と立場を同じくする人の誰も右翼に黙れなどと主張してない。次に、その敵対者との意見の違いは「たけのこの里か、きのこの山か」ではない。あんたの下手な喩えに乗っかれば彼らは「国民」の乗ったバスの隅っこか、下手すると屋根の上にいるマイノリティを虐め倒し、安全なバスの運行を妨害してきた奴らなんだよ。お前はそれを黙認し、危険になったからと彼らと団結して「安全」のために被差別者をバスから放り出そうとしている。しかも、彼らを仲間にすることで安全になるという保証はない。前のApeman氏のところの私のコメントから引用する。
>差別主義者の手を借りて脱原発か全員死亡などという二者択一はあなたの頭の中にしかありません。「軍拡しないと特アに侵略される!」と叫ぶウヨ並みの理屈です。 そんな妄想を「現実主義」と見做すところも同じですね。 >針谷氏が「従軍慰安婦についての日本軍の関与を認めていない」ということですが、私はおそらく彼は本当にそう信じているのだろうと思います。彼が 「軍が慰安婦を集めた」と実は考えていながら、そう書いているとしたら、それは大きな欺瞞であり、ぽむさんやFondriestさんが彼を忌避するのは当 然と思いますが、本当にそう信じていたらどうでしょう。
いや、マジで脳味噌腐ってんの?ブレイビクも、9.11のテロ実行犯も、サリンを撒いたオウム信者も、それまで原発行政に批判的だったくせに経産省に就職が決まったとたん「日本の原発は安全ですよ」とのたまった私の学生時代の知り合いも「本当にそう信じて」たでしょうよ。それを欺瞞ではないといえるのはただ彼らの主観内部においてのみで、彼らの行為を正当化することなどできない、なんて当たり前のことを説明しなきゃいけないなんて私は幼稚園児を相手にしてるのか?
>すべ て「悪人」とは思えません。
こらこら、針谷の話から全ての人間に話をそらすな。彼がその「悪人」でない証拠は?
>また、私は針谷氏が掲げているという「ユダヤ・WASP排斥」とかいう言葉は、おそらく「反米・反国際資本」というような意味 ではないだろうかと受け取っています。
それであんたの意見が正しければ、彼は歴史学の研究に反するデタラメを「一本気に」疑うことなく信じ込み、陰謀論にもはまっているどうしようもないバカということになるんだがそれでいいのか?そんな人間と反原発で共闘するのが恐くないのか。恐らく本人が知ったら怒るだろうな。あんたは彼が参加するデモには行かないほうがいいよ。
>罪があるのは針谷氏 のようなマイナーな活動家よりもその人たちだと思っています。そして最近まで、その人たちを権力の座に置いて来た私たち国民にも責任はあるのかもしれない と思います。そして初めに彼等を復権させて支援し続けてきた人たちにも。
はい、一億総懺悔で実質無責任はいりました。責任があるからこそ、政治家と同時に彼のようなレイシストを批判しなければならない。なんで政治家かマイナー活動家の間の二者択一になってるんだ。
>また、ヨーロッパのネオナチ系の団体に入会するのは、その多くが移民と職を奪い合わなければならない貧しい若者たちだと聞いています。日本の状況 もおそらくそれに似た面もあるかと思いますが、そうした若者たちの集団を単純に「極右のレイシスト」として「悪の権化」のように言って切り捨ててしまうの は正しいことなのか、とも思うのです。
まず、極右の台頭を移民のせいにするのがすでにネオナチのプロパガンダ。次に私も誰も彼らを「切り捨てろ」などと主張してない。彼らがそういう思想を持つに至った背景を理解し改善することと、主張の内容を肯定することは全く別の問題。極右へと若者が流れることを阻止するには、レイシズムが受け入れられないということをはっきりと示すべきであり、反原発等何かひとつでも良いことをすれば、それは問題にされないなどという形の「理解」を示すことは逆効果。
>Fondriestさんは左翼系の方として、・・・・Fondriestさんに、それを決める権利がおありになるのでしょうか。
私は左翼も右翼もいかなる政治団体にも属していない。「決める権利」など私にもお前にもありはしない。だが、意見を表明する権利は在る。
>>私個人としては、日本で脱原発が実現することはないと考えています。その理由は運動論等のテクニカルな ものではなく、ただ日本の社会がそ のような変化を可能にするような条件を欠いているからです。それが白日の 下に晒されているのが現状であり、お二人の議論はその象徴にしか見えません。
ええと・・・???つまりは脱原発はあきらめてるので、傍観されるということですか?私たちのような「わかっていない連中」とは一緒にはやれないということなら、今さら何も言われることはないように思えるのですが。
実現可能性の評価とコミットメントを混同するな。精神論で思い込めば勝てるという末期の日本軍か?私はドイツ在住なのでその意味では「傍観」せざるを得ないが、なぜこんな文を書いているか考えろよ。
>バカ二人へ
お前たちは「私」から逃げることは出来ない。私はお前たちを知性と誠実さを欠いた偽善者と見なしている。だが、君らの信条に従うなら「気に入らない見解を持つ相手」でも一緒に戦えるのだろう?お前たちにとってはレイシスズムは所詮受け入れ可能なものに過ぎない。本当に意見を異にするのは「私」だ。お前たちの「寛容さ」を「私」にも見せることが出来ないなら、「共闘“運動”の真意 」などデタラメということだ。「みんななかよく」と主張する者達が「おまえは俺たちと仲良くしない」と少数者を排除するのは子供のときから飽きるほど見て来た。………以下省略………
やすさん…とやら、もし君がこんな罵詈雑言を浴びたらどう思う?。嬉しいか?。
こんな態度では、いくら大仰な正論を吐こうが、受け入れられないよ…。 ((笑))、この話は蒸し返すのはもうよし給えよ、君ぃ…。野暮だよ…((笑))
秋原葉月様…、わたしの名前が出たものですから…。これきりにしますので…。
心外極まりない。!!!
以下の彼奴の罵詈雑言を読みたまえよ…。こんなことを言われて感情的に怒らない人間は、馬鹿だぞ、君ぃ! 議論以前の問題だっつうの!
>青い鳥へ
>いつわたしが、レイシズムを容認しましたか!?…。
前述したようにレイシストとの共闘を美麗字句で肯定するお仲間に「激しく同意」しておいて「容認」していないなどと言えるわけが無い。しかも、
>ちゃちなイデオロギーなる呪縛に束縛され、様々な市民と連帯ができないこと程、残念で阿保らしいことはないですよ…。
などと書いてぽむさんに窘められ慌てて「謝罪」しておいてこれだから確信犯だね。ぽむさんは「はずみ」ということにしているが、懲りずに同じ事を繰り返すのだから「はずみ」で本音がでたということに他ならない。歴史修正主義とそれと不可分なレイシズムを「連帯」のためなら犠牲にしても良い「ちゃちなイデオロギー」と見なす事が「容認」でなくてなんなんだ?まさかとは思うが「容認」と「積極的肯定」の区別が出来ないのか?
>わたしの“共闘”“運動”の真意を慮らない貴殿の態度は、わたしの矜持に照らした時、断固許容できないものです!。 わたしと“風鈴草”様に、謝罪を要求します!!!。
笑わせるんじゃない。あんたの「真意」など知ったことじゃない。書いた事から判断するだけだ。ひょっとして「私は善意を持っているから差別的なことをするわけが無い」とでも考えているのなら、民青でいったい何を学んだんだ?唯物論って知ってる?まあ、民青でお仲間とつるんで運動ごっこをしてただけだろうがな。
あんたは自らの「矜持」の高さとは相反して、レイシズムを積極的肯定はしないものの、容認することで他者が踏みつけられるのを傍観しつつ自分は綺麗ごとを言う卑怯なマジョリティの一員に過ぎない。あんたの目が向いているのは自分のお仲間だけでその中で「善人」として認められたいという欲求で動いているだけ。だから「謝罪」するのも「ぽむ様並びに小野哲様…何より、ブログ主様の秋原葉月様 」だけで実際に差別されている人間には向かない。いやー素晴らしい仲間意識だね。ワンピでも読んで泣いてろよ。
>議論は拒否させて頂きます、悪しからず。
いやあんたが議論できるなどとは元から期待してないし。言葉とは裏腹に汚い偽善者だということを晒してるだけだから。自分の「善意」と「正しさ」という「呪縛に束縛」されとけばw。ああ、それから老婆心ながら付け加えると
>秋原葉月様…、再三再四、ご迷惑をお掛けし、心からお詫び申し上げます。
あんたによれば私が「デマ」で絡んで来ただけなんだから、秋原葉月さんに謝る必要はないよねー。それなのにこんなのを付け加えるのは、まるで茶坊主か太鼓持ちのようで見苦しいので止めたほうがいいよ。知性に欠けるのはもう隠せないにしても品性もその程度と思われたくないだろ。意外と秋原葉月さんもこんなのにヨイショされて困られてるかも知れんし。勿論茶坊主として精進したいのならそれでもいいが。それとも、秋原葉月さんに助けを求めてるのかな?
さて次は長いだけで無内容なまるでハシゲのような詭弁だらけのレスを返してきたもう一人のバカ。
風鈴草へ
>私は難しい「政治的な議論」というのは苦手です。それが右翼であっても左翼であっても、日本の近代史の中の出来ごとを事細かに知っていて、専門用語(と御 本人たちは思っていないかもしれませんが、使い慣れない人間にとってはそんな感じです)を駆使する人たちの議論にはとてもついていけないからです。それに してはチョムスキーなどを引き合いに出すではないかと言われそうですが、・・・(中略)・・・申し 訳ないけれど、あまり近寄らないようなにしています。(例外は鈴木邦男さんのエッセイで、あれは親しみやすいです)だから、そういう世界に通暁した人間だ と思われては困るのです。
うわー凄いね。初っ端から議論とは関係ないことをグダグダと。いったい誰がオマエが「そういう世界に通暁した人間だと」思ってるの?少なくとも私じゃないね。まず最初に「難しい議論は苦手です」と書いて逃げ道を確保。そのくせ、外国人の名前を挙げて知識自慢でドヤ顔という、謙虚と見せかけて自分の教養の高さをこっちが期待していると勘違いするほどのプライドの高さをアピールする高度なレトリックには感服しますw。教養コンプレックス丸出しでコメントでしなくてもいい引用をやたらして、どっかの太鼓持ちから絶賛されて喜んでるとこんなのになるのかね?
>このままなし崩しにあちこちの原発を再稼働させてしまうということは、例えて言うなら、三日も寝ていない寝不足の運転手に、欠陥があるのがわかっ ているバスを運転させて、みんなじゅうをギュウギュウに詰めこんで夜の山道を走らせるようなものです。もちろんバスの乗客は国民です。・・・ (中略)・・・ その時にふと脇を見ると、普段から自分とは考えが違って敵対ばかりしていた人が、一緒に「バス反対」を叫んでいたとします。それを見て「あなたは いつも私と違うことばかり言っていたじゃないか?なんで今度は同じことを言うのだ。あなたがバス反対を叫んではいけない」などと言えるでしょうか?私は脱 原発とはそういうことではないかと思っています。
はい、でました。藁人形叩きとニセの二者択一を迫るインチキな喩え。まず、私は、そして恐らく私と立場を同じくする人の誰も右翼に黙れなどと主張してない。次に、その敵対者との意見の違いは「たけのこの里か、きのこの山か」ではない。あんたの下手な喩えに乗っかれば彼らは「国民」の乗ったバスの隅っこか、下手すると屋根の上にいるマイノリティを虐め倒し、安全なバスの運行を妨害してきた奴らなんだよ。お前はそれを黙認し、危険になったからと彼らと団結して「安全」のために被差別者をバスから放り出そうとしている。しかも、彼らを仲間にすることで安全になるという保証はない。前のApeman氏のところの私のコメントから引用する。
>差別主義者の手を借りて脱原発か全員死亡などという二者択一はあなたの頭の中にしかありません。「軍拡しないと特アに侵略される!」と叫ぶウヨ並みの理屈です。 そんな妄想を「現実主義」と見做すところも同じですね。 >針谷氏が「従軍慰安婦についての日本軍の関与を認めていない」ということですが、私はおそらく彼は本当にそう信じているのだろうと思います。彼が 「軍が慰安婦を集めた」と実は考えていながら、そう書いているとしたら、それは大きな欺瞞であり、ぽむさんやFondriestさんが彼を忌避するのは当 然と思いますが、本当にそう信じていたらどうでしょう。
いや、マジで脳味噌腐ってんの?ブレイビクも、9.11のテロ実行犯も、サリンを撒いたオウム信者も、それまで原発行政に批判的だったくせに経産省に就職が決まったとたん「日本の原発は安全ですよ」とのたまった私の学生時代の知り合いも「本当にそう信じて」たでしょうよ。それを欺瞞ではないといえるのはただ彼らの主観内部においてのみで、彼らの行為を正当化することなどできない、なんて当たり前のことを説明しなきゃいけないなんて私は幼稚園児を相手にしてるのか?
>すべ て「悪人」とは思えません。
こらこら、針谷の話から全ての人間に話をそらすな。彼がその「悪人」でない証拠は?
>また、私は針谷氏が掲げているという「ユダヤ・WASP排斥」とかいう言葉は、おそらく「反米・反国際資本」というような意味 ではないだろうかと受け取っています。
それであんたの意見が正しければ、彼は歴史学の研究に反するデタラメを「一本気に」疑うことなく信じ込み、陰謀論にもはまっているどうしようもないバカということになるんだがそれでいいのか?そんな人間と反原発で共闘するのが恐くないのか。恐らく本人が知ったら怒るだろうな。あんたは彼が参加するデモには行かないほうがいいよ。
>罪があるのは針谷氏 のようなマイナーな活動家よりもその人たちだと思っています。そして最近まで、その人たちを権力の座に置いて来た私たち国民にも責任はあるのかもしれない と思います。そして初めに彼等を復権させて支援し続けてきた人たちにも。
はい、一億総懺悔で実質無責任はいりました。責任があるからこそ、政治家と同時に彼のようなレイシストを批判しなければならない。なんで政治家かマイナー活動家の間の二者択一になってるんだ。
>また、ヨーロッパのネオナチ系の団体に入会するのは、その多くが移民と職を奪い合わなければならない貧しい若者たちだと聞いています。日本の状況 もおそらくそれに似た面もあるかと思いますが、そうした若者たちの集団を単純に「極右のレイシスト」として「悪の権化」のように言って切り捨ててしまうの は正しいことなのか、とも思うのです。
まず、極右の台頭を移民のせいにするのがすでにネオナチのプロパガンダ。次に私も誰も彼らを「切り捨てろ」などと主張してない。彼らがそういう思想を持つに至った背景を理解し改善することと、主張の内容を肯定することは全く別の問題。極右へと若者が流れることを阻止するには、レイシズムが受け入れられないということをはっきりと示すべきであり、反原発等何かひとつでも良いことをすれば、それは問題にされないなどという形の「理解」を示すことは逆効果。
>Fondriestさんは左翼系の方として、・・・・Fondriestさんに、それを決める権利がおありになるのでしょうか。
私は左翼も右翼もいかなる政治団体にも属していない。「決める権利」など私にもお前にもありはしない。だが、意見を表明する権利は在る。
>>私個人としては、日本で脱原発が実現することはないと考えています。その理由は運動論等のテクニカルな ものではなく、ただ日本の社会がそ のような変化を可能にするような条件を欠いているからです。それが白日の 下に晒されているのが現状であり、お二人の議論はその象徴にしか見えません。
ええと・・・???つまりは脱原発はあきらめてるので、傍観されるということですか?私たちのような「わかっていない連中」とは一緒にはやれないということなら、今さら何も言われることはないように思えるのですが。
実現可能性の評価とコミットメントを混同するな。精神論で思い込めば勝てるという末期の日本軍か?私はドイツ在住なのでその意味では「傍観」せざるを得ないが、なぜこんな文を書いているか考えろよ。
>バカ二人へ
お前たちは「私」から逃げることは出来ない。私はお前たちを知性と誠実さを欠いた偽善者と見なしている。だが、君らの信条に従うなら「気に入らない見解を持つ相手」でも一緒に戦えるのだろう?お前たちにとってはレイシスズムは所詮受け入れ可能なものに過ぎない。本当に意見を異にするのは「私」だ。お前たちの「寛容さ」を「私」にも見せることが出来ないなら、「共闘“運動”の真意 」などデタラメということだ。「みんななかよく」と主張する者達が「おまえは俺たちと仲良くしない」と少数者を排除するのは子供のときから飽きるほど見て来た。………以下省略………
やすさん…とやら、もし君がこんな罵詈雑言を浴びたらどう思う?。嬉しいか?。
こんな態度では、いくら大仰な正論を吐こうが、受け入れられないよ…。 ((笑))、この話は蒸し返すのはもうよし給えよ、君ぃ…。野暮だよ…((笑))
秋原葉月様…、わたしの名前が出たものですから…。これきりにしますので…。
>青い鳥さん
>以下の彼奴の罵詈雑言を読みたまえよ…。こんなことを言われて感情的に怒らない人間は、馬鹿だぞ、君ぃ! 議論以前の問題だっつうの!
>やすさん…とやら、もし君がこんな罵詈雑言を浴びたらどう思う?。嬉しいか?。
青い鳥さん、むだむだ
ヾ(´_`)
だってやすさんは
『Fondriestさんが某所で何をしてるとか、レッテル貼りのセクト主義者だとかは、私には全く「どうでも良いハナシ」にしか思えません。 』
だそうですから、議論の相手にはいくら罵詈雑言を浴びせようと全くどうでも良い話だと考えてるんですもの。
そういうひとに「もし君がこんな罵詈雑言を浴びたらどう思う?」と問うて見ても「別に?それがなにか?」としかかえってきませんからむだなのです。
で、やすさんが仰るには
『大事なのはその主張の妥当性です。』
だそうですから、
「レッテル貼りやセクト主義みたいな事をしたってそんなことはどうでもいい話」というやすさんの主張が果たして議論する者の態度として妥当かどうかを、このコメント欄を読んだ皆さんに判断していただければいいと思いますよw
まあこういう議論の態度をよしとするようでは論客として終了だと通常判断されるでしょうね。
あるいは風鈴草さんがはっきりと「レイシストとの共闘は認めない、せいぜい自由参加型で隣り合わせるのを認容する程度だ」とはっっきり述べているのに、あえてそれを無視し続けるという滑稽なまでに事実を歪曲するやすさんの主張に妥当性があるかどうかを、皆さんに判断していただければいいのです。
やすさんは風鈴草さんが真意を述べた結論コメントをあからさまに無視したがっているのは誰の目にもあきらかですから、勝負はついていますよ。
>やすさん…とやら、もし君がこんな罵詈雑言を浴びたらどう思う?。嬉しいか?。
青い鳥さん、むだむだ
ヾ(´_`)
だってやすさんは
『Fondriestさんが某所で何をしてるとか、レッテル貼りのセクト主義者だとかは、私には全く「どうでも良いハナシ」にしか思えません。 』
だそうですから、議論の相手にはいくら罵詈雑言を浴びせようと全くどうでも良い話だと考えてるんですもの。
そういうひとに「もし君がこんな罵詈雑言を浴びたらどう思う?」と問うて見ても「別に?それがなにか?」としかかえってきませんからむだなのです。
で、やすさんが仰るには
『大事なのはその主張の妥当性です。』
だそうですから、
「レッテル貼りやセクト主義みたいな事をしたってそんなことはどうでもいい話」というやすさんの主張が果たして議論する者の態度として妥当かどうかを、このコメント欄を読んだ皆さんに判断していただければいいと思いますよw
まあこういう議論の態度をよしとするようでは論客として終了だと通常判断されるでしょうね。
あるいは風鈴草さんがはっきりと「レイシストとの共闘は認めない、せいぜい自由参加型で隣り合わせるのを認容する程度だ」とはっっきり述べているのに、あえてそれを無視し続けるという滑稽なまでに事実を歪曲するやすさんの主張に妥当性があるかどうかを、皆さんに判断していただければいいのです。
やすさんは風鈴草さんが真意を述べた結論コメントをあからさまに無視したがっているのは誰の目にもあきらかですから、勝負はついていますよ。
わからないのですが,
やすさん達は,「明らかな答」が他ならぬ本人から提示されているのに,なぜそれを理解しようとしないのでしょう?
あの議論自体は長いやり取りだったので,一時的に混乱して「それ(本人による明らかな答)を見つけることが難しくなった」としても,それもありかと思いますが,
ここでは,秋原さんが,↑のように丁寧に簡潔にご本人(風鈴草さん)の答をまとめて下さったのですから,この提示があってもわからない=なんだ,そうだったんだ!とならない,というのは…,やっぱり「相手の言うことをわかろうとしない」ご自身の姿勢に問題があるのでは??
何のために,誤ったレッテルを人に貼付けるのか,貼付けたいのか…攻撃対象が欲しいのですか?
上↑の秋原さんの論旨展開は全然不条理ではないので…純粋に疑問に思います。
理想論かもしれませんが,人は自らの視野を広げ,人と理解し合うために意見を交換するのではないでしょうか?
(あるいは,交換した結果,視野が広がり,理解し合える部分が大きくなる可能性が増えるというか…)
相手や相手の言うことを理解しようとすることで,知らなかった事実を知り,異なる考え方を知り,その考え方を導いた背景や根拠を知り,…そうこうする内に,理解できる力(キャパ)も大きくなっていく。
だから,必ずしも同意に至らなくても,お互いに得るものはあると思うのです。
ですが,やすさんの書かれていることを読んでいると,そういうプロセスが進んで行ってるふうには感じられません(自覚というか,ご自分の中でもそうでは?)。
相手が書いた文(=何回も読み直すことができ,書かれていることの意図をわかろうとすることができるもの),があるのに,読んでない,読もうともしない。つまり理解しようとしないなんて。
誤解しないでいただきたいのですが,私は議論において,理解=同意と考えているわけではありません。
理解にもいろいろあって,「わかった」と言うとき,
「同意」や,
『その先に同意がある(かもしれない)理解」,
『相手を思いやることで生まれる,ああそうやろなーという気持ち』(→これ「共感的理解」でしょうか?カウンセリングで相手の話を聞く時の基本の),
ばかりではない。必ずしも理解が同意(やそういったもの↑)でなくてもよいと思うのです。
*「同意はできないけど,理解はできる」というレベルの理解もある。
私は,このレベルの理解に達すること,または達する可能性があることを前提に理解しようと努めることが,相手を尊重することだと思っています。
「(相手が)自分に同意するか否か」しか目的がなく「勝ち負けを決める」ところにポイントを置いている議論は,多くの場合,相手を理解しようとはしない=相手を尊重していないため,絶対*には至らないのです。
…あら…なんか,どっかの首長に対して言い聞かせてるような気分になってきました笑。
あの人は,他者を尊重する姿勢がない,つまり*がわかっておらず,その選択肢を持っていない,と私は思っています。
あの議論自体は長いやり取りだったので,一時的に混乱して「それ(本人による明らかな答)を見つけることが難しくなった」としても,それもありかと思いますが,
ここでは,秋原さんが,↑のように丁寧に簡潔にご本人(風鈴草さん)の答をまとめて下さったのですから,この提示があってもわからない=なんだ,そうだったんだ!とならない,というのは…,やっぱり「相手の言うことをわかろうとしない」ご自身の姿勢に問題があるのでは??
何のために,誤ったレッテルを人に貼付けるのか,貼付けたいのか…攻撃対象が欲しいのですか?
上↑の秋原さんの論旨展開は全然不条理ではないので…純粋に疑問に思います。
理想論かもしれませんが,人は自らの視野を広げ,人と理解し合うために意見を交換するのではないでしょうか?
(あるいは,交換した結果,視野が広がり,理解し合える部分が大きくなる可能性が増えるというか…)
相手や相手の言うことを理解しようとすることで,知らなかった事実を知り,異なる考え方を知り,その考え方を導いた背景や根拠を知り,…そうこうする内に,理解できる力(キャパ)も大きくなっていく。
だから,必ずしも同意に至らなくても,お互いに得るものはあると思うのです。
ですが,やすさんの書かれていることを読んでいると,そういうプロセスが進んで行ってるふうには感じられません(自覚というか,ご自分の中でもそうでは?)。
相手が書いた文(=何回も読み直すことができ,書かれていることの意図をわかろうとすることができるもの),があるのに,読んでない,読もうともしない。つまり理解しようとしないなんて。
誤解しないでいただきたいのですが,私は議論において,理解=同意と考えているわけではありません。
理解にもいろいろあって,「わかった」と言うとき,
「同意」や,
『その先に同意がある(かもしれない)理解」,
『相手を思いやることで生まれる,ああそうやろなーという気持ち』(→これ「共感的理解」でしょうか?カウンセリングで相手の話を聞く時の基本の),
ばかりではない。必ずしも理解が同意(やそういったもの↑)でなくてもよいと思うのです。
*「同意はできないけど,理解はできる」というレベルの理解もある。
私は,このレベルの理解に達すること,または達する可能性があることを前提に理解しようと努めることが,相手を尊重することだと思っています。
「(相手が)自分に同意するか否か」しか目的がなく「勝ち負けを決める」ところにポイントを置いている議論は,多くの場合,相手を理解しようとはしない=相手を尊重していないため,絶対*には至らないのです。
…あら…なんか,どっかの首長に対して言い聞かせてるような気分になってきました笑。
あの人は,他者を尊重する姿勢がない,つまり*がわかっておらず,その選択肢を持っていない,と私は思っています。
>秋月さん
もうコメントしない、と言いながら(実際、そう考えていたのですが)余りにも酷い反論(笑い)でしたので。
風鈴草さんの主張を時系列でもう一度確認すると
1風鈴草さんによる「脱原発」のための極右針谷との共闘の必要性を主張するコメント
2それに対する、ポムさんの指摘
3それを受けて、再度、極右針谷との共闘の必要性を説いた風鈴草さんのコメント
4Fondriestさんの風鈴草さんへの批判
5他の常連コメンテーターの方々のFondriestさんへの批判とそれに対するFondriestさん反論、批判(炎上)
という流れです。
風鈴草さんが、レイシストとの共闘を否定したのは、この後のことですよね。
つまり、当初は極右との共闘は必要と主張していたが、Fondriestさんの厳しい批判を受けて、ようやくご自分の主張の問題性に気づいたため、それを訂正した、という推移なんですね。
私は意図するところは風鈴草さんを糾弾することではありません。
風鈴草さんが、ご自身の誤りに気づかれたことは、喜ばしいことと思っています。
私が「気持ち悪い」と感じたのは、たとえそれがどれほど「問題」を孕んだ主張であっても、「常連」「身内」に対しては批判が一切なされず、スルーされてしまうこのコメント欄の「空気」です。
そして、それを指摘した「外部」の批判者にレッテルを貼り付け、排除しようとするブログ運営者の姿勢です。
更に呆れ果てたのは、その「問題」ある主張が、あたかもハナから存在しなかったかのように強弁を繰り返す醜態振り。
まさか、こんなところにも「歴史修正主義者」がいるとは(笑い)
もう一度言いますが、風鈴草さんが当初の主張を曲げたのは、「外部」のFondriestさんの厳しい批判があったからです。
誤魔化すのはやめなさい。
最早、あなたには何の興味も期待もなくなりました。
これからも、あなたの作り上げた「お花畑」を守ることだけに精を出せばいい。
遠くから見るぶんには、あなたの「お花畑」は綺麗に見えますから。
ほんとにサヨウナラ。
>青い鳥さんへ
確かに、Fondriestさんの刺のある表現に、「感情的」にならざるを得ない気持ちは、よく理解できます。
人間は感情の生き物でもありますから。
そして、あなたが「レイシストとの共闘」を主張されるような方でないことも、存じているつもりです。
只、あえて苦言を呈させて頂きますが、当初の段階で、はっきりとそれを表明すべきだったと思うのです。
風鈴草さんの誤った主張に、同意しているかのような発言をされたまま(それを否定せず)、繰り返された感情的な対応が、更なる誤解と批判を招いた要因ではないでしょうか?
私は他のブログなどでも、青い鳥さんのコメントには感銘を受けることも多いのです。
私の指摘を「悪意」に取らないで頂けたら幸いです。
もうコメントしない、と言いながら(実際、そう考えていたのですが)余りにも酷い反論(笑い)でしたので。
風鈴草さんの主張を時系列でもう一度確認すると
1風鈴草さんによる「脱原発」のための極右針谷との共闘の必要性を主張するコメント
2それに対する、ポムさんの指摘
3それを受けて、再度、極右針谷との共闘の必要性を説いた風鈴草さんのコメント
4Fondriestさんの風鈴草さんへの批判
5他の常連コメンテーターの方々のFondriestさんへの批判とそれに対するFondriestさん反論、批判(炎上)
という流れです。
風鈴草さんが、レイシストとの共闘を否定したのは、この後のことですよね。
つまり、当初は極右との共闘は必要と主張していたが、Fondriestさんの厳しい批判を受けて、ようやくご自分の主張の問題性に気づいたため、それを訂正した、という推移なんですね。
私は意図するところは風鈴草さんを糾弾することではありません。
風鈴草さんが、ご自身の誤りに気づかれたことは、喜ばしいことと思っています。
私が「気持ち悪い」と感じたのは、たとえそれがどれほど「問題」を孕んだ主張であっても、「常連」「身内」に対しては批判が一切なされず、スルーされてしまうこのコメント欄の「空気」です。
そして、それを指摘した「外部」の批判者にレッテルを貼り付け、排除しようとするブログ運営者の姿勢です。
更に呆れ果てたのは、その「問題」ある主張が、あたかもハナから存在しなかったかのように強弁を繰り返す醜態振り。
まさか、こんなところにも「歴史修正主義者」がいるとは(笑い)
もう一度言いますが、風鈴草さんが当初の主張を曲げたのは、「外部」のFondriestさんの厳しい批判があったからです。
誤魔化すのはやめなさい。
最早、あなたには何の興味も期待もなくなりました。
これからも、あなたの作り上げた「お花畑」を守ることだけに精を出せばいい。
遠くから見るぶんには、あなたの「お花畑」は綺麗に見えますから。
ほんとにサヨウナラ。
>青い鳥さんへ
確かに、Fondriestさんの刺のある表現に、「感情的」にならざるを得ない気持ちは、よく理解できます。
人間は感情の生き物でもありますから。
そして、あなたが「レイシストとの共闘」を主張されるような方でないことも、存じているつもりです。
只、あえて苦言を呈させて頂きますが、当初の段階で、はっきりとそれを表明すべきだったと思うのです。
風鈴草さんの誤った主張に、同意しているかのような発言をされたまま(それを否定せず)、繰り返された感情的な対応が、更なる誤解と批判を招いた要因ではないでしょうか?
私は他のブログなどでも、青い鳥さんのコメントには感銘を受けることも多いのです。
私の指摘を「悪意」に取らないで頂けたら幸いです。
>やすさん(1)
>もうコメントしない、と言いながら(実際、そう考えていたのですが)余りにも酷い反論(笑い)でしたので。
もう承認しない、といいながら(実際、そう考えていたのですが)余りにも酷い反論(笑い)でしたので、承認して反論しておきます。
>私は意図するところは風鈴草さんを糾弾することではありません。
風鈴草さんが、ご自身の誤りに気づかれたことは、喜ばしいことと思っています。
ならばなぜ私にこんな質問http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment9059をする必要があったのでしょうね?
風鈴草さんが(あなたに言わせれば)「間違いを正された」との認識がおありなら、わざわざ風鈴草さんはレイシストとの共闘を是としているか非としているか、なんて質問を私に蒸し返す必要は全然ないはずですけど。その質問の答えはとうにはっきり風鈴草さん自身が出してるとあなたも認識してるんですから。
>、風鈴草さんが当初の主張を曲げたのは、「外部」のFondriestさんの厳しい批判があったからです。
また風鈴草さんご本人の言を無視して歪曲してますね。「誤魔化すのはやめなさい。」
風鈴草さんご本人が仰ってることをとことん無視したいようですから、ご本人の言を再度繰り返しましょう
『私は「左派も右翼とニコニコ仲良く手を繋いでやっていくべきだ」などということを言ったつもりはありません。あちらでも、皆さまがしばしば「共闘」という言葉を使われているので、やっと気がついたのですが、私は皆さまが思っているような「共闘」を左派も右翼団体とするべきだなどと思っていたわけではないのです。』
別にFondriestさんに指摘されたから主張を曲げた訳じゃなく、最初からそう思っていたと何度言えばわかるんですか。
>私が「気持ち悪い」と感じたのは、たとえそれがどれほど「問題」を孕んだ主張であっても、「常連」「身内」に対しては批判が一切なされず、スルーされてしまうこのコメント欄の「空気」です。
これは誰に対して仰ってるのですか?
私ですか?それとも他のコメンターさん?
私に対してだったらやすさん、あなたはまたしてもこのコメント欄をよく読まず、思い込みでしゃべっていることを露呈していますよ。
私は最初風鈴草さんが所謂レイシストとの共闘肯定をしたかのようなコメントをなさったので、もうしそうならそれは正しいとは思えないし、本当に共同企画のような共闘を肯定しているのか?と何度も聞いています(具体的には後述のURLをどうぞ)。
どうやら私自身は私のコメント欄では「常連」に入らないようですね(笑)
それから「コメント欄の空気」なるものを私に言われましても。
だって、他のコメンターさんがあなたの言う『「常連」「身内」に対しては批判が一切なされ』ないコメントを投稿してきたとしても、私にどうこうできるわけないじゃないですか。私はそのままコメントを承認するだけです。それとも私にコメンターさんの意見を改ざんしろとでも?
>そして、それを指摘した「外部」の批判者にレッテルを貼り付け、排除しようとするブログ運営者の姿勢です。
>「外部」の批判者にレッテルを貼り付け、排除しようとするブログ運営者の姿勢
とは、私が
「悪質ですね。そこが言葉尻を捉えて鬼の首でも取ったようにとことん糾弾する極左の「総括」そっくりです」とあなたに述べたことですか?それともFondoriestさんに対し極左的と言ったことかしら?それともお二人ともひっくるめてかしら?
あなたは青い鳥さんへのコメントで仰っていますね「確かに、Fondriestさんの刺のある表現に、「感情的」にならざるを得ない気持ちは、よく理解できます」と。
あれは典型的な「極左の総括」の棘ある表現の仕方だから青い鳥さんは怒ったのです(これは青い鳥さん自身が仰っています)。あなたもそれは認めているわけですよね?
だったらFondoriestさんは極左的だと批判されてもしかたないんじゃないですか?
(ちなみに極左的の総括的な態度は「左のネトウヨ」と言っても良いので、私のコメント欄ではネトウヨ同様「それ相応の扱い」を受けます。サイドカラムを参照してください)
もうひとつ、私がまるで極左の総括だと言ったのは、風鈴草さんの「問題ある発言」の真意を確かめようとせずにレイシストと共闘肯定派だと決めつけたこと(ちなみに私は真意を確かめようと何度も質問をしています)、さらに、風鈴草さんが「私の真意はレイシストとの共闘などではない」と釈明したにもかかわらずそれを無視したこと、この二つのちゃんとした根拠があります。極左の総括ってこういうふうですよね?違いますか?
ちゃんとした根拠があるのをレッテル貼りとは言いません。
>更に呆れ果てたのは、その「問題」ある主張が、あたかもハナから存在しなかったかのように強弁を繰り返す醜態振り。
誰がですか?私ですか?
私が風鈴草さんのその「問題」ある主張が、あたかもハナから存在しなかったかのように強弁したと?
ほんとにコメント欄読んでないんですね(呆)。
私は実際にその「問題ある主張」とやらに対して風鈴草さんに、もし共闘肯定するのが真意ならばそれに対する批判と、真意はどうなのか、ほんとに所謂共同企画の共闘をしてもいいとかんがえているのか、という釈明を何度も求めています。
ざっと見てこのくらいあります
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8649
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8653
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8655
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8779
URLがこれ以上載せられないので分割します
もう承認しない、といいながら(実際、そう考えていたのですが)余りにも酷い反論(笑い)でしたので、承認して反論しておきます。
>私は意図するところは風鈴草さんを糾弾することではありません。
風鈴草さんが、ご自身の誤りに気づかれたことは、喜ばしいことと思っています。
ならばなぜ私にこんな質問http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment9059をする必要があったのでしょうね?
風鈴草さんが(あなたに言わせれば)「間違いを正された」との認識がおありなら、わざわざ風鈴草さんはレイシストとの共闘を是としているか非としているか、なんて質問を私に蒸し返す必要は全然ないはずですけど。その質問の答えはとうにはっきり風鈴草さん自身が出してるとあなたも認識してるんですから。
>、風鈴草さんが当初の主張を曲げたのは、「外部」のFondriestさんの厳しい批判があったからです。
また風鈴草さんご本人の言を無視して歪曲してますね。「誤魔化すのはやめなさい。」
風鈴草さんご本人が仰ってることをとことん無視したいようですから、ご本人の言を再度繰り返しましょう
『私は「左派も右翼とニコニコ仲良く手を繋いでやっていくべきだ」などということを言ったつもりはありません。あちらでも、皆さまがしばしば「共闘」という言葉を使われているので、やっと気がついたのですが、私は皆さまが思っているような「共闘」を左派も右翼団体とするべきだなどと思っていたわけではないのです。』
別にFondriestさんに指摘されたから主張を曲げた訳じゃなく、最初からそう思っていたと何度言えばわかるんですか。
>私が「気持ち悪い」と感じたのは、たとえそれがどれほど「問題」を孕んだ主張であっても、「常連」「身内」に対しては批判が一切なされず、スルーされてしまうこのコメント欄の「空気」です。
これは誰に対して仰ってるのですか?
私ですか?それとも他のコメンターさん?
私に対してだったらやすさん、あなたはまたしてもこのコメント欄をよく読まず、思い込みでしゃべっていることを露呈していますよ。
私は最初風鈴草さんが所謂レイシストとの共闘肯定をしたかのようなコメントをなさったので、もうしそうならそれは正しいとは思えないし、本当に共同企画のような共闘を肯定しているのか?と何度も聞いています(具体的には後述のURLをどうぞ)。
どうやら私自身は私のコメント欄では「常連」に入らないようですね(笑)
それから「コメント欄の空気」なるものを私に言われましても。
だって、他のコメンターさんがあなたの言う『「常連」「身内」に対しては批判が一切なされ』ないコメントを投稿してきたとしても、私にどうこうできるわけないじゃないですか。私はそのままコメントを承認するだけです。それとも私にコメンターさんの意見を改ざんしろとでも?
>そして、それを指摘した「外部」の批判者にレッテルを貼り付け、排除しようとするブログ運営者の姿勢です。
>「外部」の批判者にレッテルを貼り付け、排除しようとするブログ運営者の姿勢
とは、私が
「悪質ですね。そこが言葉尻を捉えて鬼の首でも取ったようにとことん糾弾する極左の「総括」そっくりです」とあなたに述べたことですか?それともFondoriestさんに対し極左的と言ったことかしら?それともお二人ともひっくるめてかしら?
あなたは青い鳥さんへのコメントで仰っていますね「確かに、Fondriestさんの刺のある表現に、「感情的」にならざるを得ない気持ちは、よく理解できます」と。
あれは典型的な「極左の総括」の棘ある表現の仕方だから青い鳥さんは怒ったのです(これは青い鳥さん自身が仰っています)。あなたもそれは認めているわけですよね?
だったらFondoriestさんは極左的だと批判されてもしかたないんじゃないですか?
(ちなみに極左的の総括的な態度は「左のネトウヨ」と言っても良いので、私のコメント欄ではネトウヨ同様「それ相応の扱い」を受けます。サイドカラムを参照してください)
もうひとつ、私がまるで極左の総括だと言ったのは、風鈴草さんの「問題ある発言」の真意を確かめようとせずにレイシストと共闘肯定派だと決めつけたこと(ちなみに私は真意を確かめようと何度も質問をしています)、さらに、風鈴草さんが「私の真意はレイシストとの共闘などではない」と釈明したにもかかわらずそれを無視したこと、この二つのちゃんとした根拠があります。極左の総括ってこういうふうですよね?違いますか?
ちゃんとした根拠があるのをレッテル貼りとは言いません。
>更に呆れ果てたのは、その「問題」ある主張が、あたかもハナから存在しなかったかのように強弁を繰り返す醜態振り。
誰がですか?私ですか?
私が風鈴草さんのその「問題」ある主張が、あたかもハナから存在しなかったかのように強弁したと?
ほんとにコメント欄読んでないんですね(呆)。
私は実際にその「問題ある主張」とやらに対して風鈴草さんに、もし共闘肯定するのが真意ならばそれに対する批判と、真意はどうなのか、ほんとに所謂共同企画の共闘をしてもいいとかんがえているのか、という釈明を何度も求めています。
ざっと見てこのくらいあります
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8649
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8653
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8655
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8779
URLがこれ以上載せられないので分割します
>やすさん(2)
あなたへの返信の中でだってちゃんとこう書いてるじゃないですか
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment9056
私は風鈴草さんのコメントは一見すると所謂「レイシストと共闘肯定」しているように読めるけれど、そのようにはまだ断定できないと判断しました(針谷氏をよく知らないと仰ってましたし)、だから何度も共闘とはどういうものを指しているつもりなのかを繰り返し質問しました。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment9063
『ちっともわかろうとしないのでもう一度時系列に沿って説明しましょう。
やすさんがhttp://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment9059であげた風鈴草さんのコメント(①)ですが、風鈴草さんは自分のこのコメントが『ひょっとしたら「この際、右翼とも仲良く交流しろ」と言ったように受け取られたのかもしれないと、後になって気がつ』いたから、自分の真意はどういうものだったのかをhttp://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8867で述べたのです(②)。
ところが、やすさんは風鈴草さんが真意を釈明した結論コメント(②)をガン無視して、いつまでたっても最初の方で述べたやや曖昧なコメント(①)の揚げ足取りに終始しているわけです』
私のどこが
「その「問題」ある主張があたかもハナから存在しなかったかのように強弁を繰りかえしてる」のですか?がっつり触れてるじゃないですか。ほんとにコメント欄、だけでなく、私の返信を読んでるのですか?
読んでるとしたら相当お粗末な読解力としか言いようがないです
>私は、議論上のマナーがどうとか、表現の仕方どうとか、瑣末的な問題にこの議論を収束させてしまった事を、残念に思います。
などと、コメント欄をきちんと読んでいないことが丸わかりのコメントされてるようですし、
コメント欄の批判をしたければ、私に突っ込まれないようにきちんと精読することです
いい加減ご自身がおっしゃってることが破たんして「ああいえば上祐」になってることにお気づき下さい
私もいつまでもおつきあいできるほど暇ではありません
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment9056
私は風鈴草さんのコメントは一見すると所謂「レイシストと共闘肯定」しているように読めるけれど、そのようにはまだ断定できないと判断しました(針谷氏をよく知らないと仰ってましたし)、だから何度も共闘とはどういうものを指しているつもりなのかを繰り返し質問しました。
http://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment9063
『ちっともわかろうとしないのでもう一度時系列に沿って説明しましょう。
やすさんがhttp://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment9059であげた風鈴草さんのコメント(①)ですが、風鈴草さんは自分のこのコメントが『ひょっとしたら「この際、右翼とも仲良く交流しろ」と言ったように受け取られたのかもしれないと、後になって気がつ』いたから、自分の真意はどういうものだったのかをhttp://akiharahaduki.blog31.fc2.com/blog-entry-1007.html#comment8867で述べたのです(②)。
ところが、やすさんは風鈴草さんが真意を釈明した結論コメント(②)をガン無視して、いつまでたっても最初の方で述べたやや曖昧なコメント(①)の揚げ足取りに終始しているわけです』
私のどこが
「その「問題」ある主張があたかもハナから存在しなかったかのように強弁を繰りかえしてる」のですか?がっつり触れてるじゃないですか。ほんとにコメント欄、だけでなく、私の返信を読んでるのですか?
読んでるとしたら相当お粗末な読解力としか言いようがないです
>私は、議論上のマナーがどうとか、表現の仕方どうとか、瑣末的な問題にこの議論を収束させてしまった事を、残念に思います。
などと、コメント欄をきちんと読んでいないことが丸わかりのコメントされてるようですし、
コメント欄の批判をしたければ、私に突っ込まれないようにきちんと精読することです
いい加減ご自身がおっしゃってることが破たんして「ああいえば上祐」になってることにお気づき下さい
私もいつまでもおつきあいできるほど暇ではありません
>やすさん
>やすさん
私もこちらへのコメントは当分控えさせていただこうと思ったのですが、未だ誤解があるようなので、改めて弁明させていただきます。私は(前のコメントのどこかでも書いたように)そもそも右翼諸派の事情とか、その中の個人が具体的に何を言われて来たかとかは、ほとんど知りませんでした。(左翼の事情についても同じくですが)右翼関係のことで知っていたのは「在特会」はひどいということと、鈴木邦男氏が9条マガジンなどに書かれているエッセイを時々読んでいて、「この方は右翼っぽくないな」と好感を持っていた程度です。こちらの最初のコメント書くためにネットで調べるまでは、針谷氏のお名前も、そのリーダーを務めている団体の名前も知りませんでした。(だから、最初にぽむさんが私の無知を危惧して釘を刺そうとしてくださったお気持ちはありがたいと思っております)
ただあの日、(6月22日です)経産省前のテント村で、5時前だったと思いますが、集まっていた方たちが官邸方向に行くので、一緒に行こうとしたら、少し前に、官邸前方面から来られてお話していた方が「官邸前では在特会が騒いでいるから、まだ行かないほうがいい」と言われたので、少し一緒に待っていたんです。でも、ほとんどの皆さんが行くので、あとから、数人でまとまって行ったのですが(みな、バラバラに来た方で初対面でした)着いてみると官邸よりかなり手前の地下鉄の駅前くらいまで列が出来ていました。私はもともと最前列に行きたかったわけでもないので、構わなかったのですが、一緒にいた方たちが前の様子を見てみたいというので、交互に旗や手作りのプラカードを預け合って(そうしたものを持っていなければ列のわきを通ってよいと、主催者側のスタッフの方の言われたので)官邸近くまで歩いてみました。行ってみると在特会らしい姿はすでになかったので、ホッとして、本当に良かったと思ったのです。
たしか、その時お会いした女性に「右翼にも原発に反対している人たちもいるらしい」と聞いたことと、その数日前に、反原発デモの様子をいろいろ見ていたら、日の丸の旗を揚げて反原発を叫んでいた人たちの映像があったので(その時は、とても奇異な感じがしたのでよく覚えていました)彼らが何者か検索してみたら、「右から考える脱原発ネットワーク」という団体があり、彼等がどこかで行った小さなデモでは鈴木邦男氏がその最前列で横断幕を持って歩いておられる映像がありました。(それで、あまりおかしな団体でもないだろうと信用してしまったという面はあります)
事務局長は針谷氏ということで、彼のブログを見たら、あの日、在特会と対決して、お仲間が逮捕されたという記事が載っていました。あとで新聞などにも、デモの前に原発推進派と反対派の“市民グループ”が対立して揉めたというような記事が、あったような気がしますが、実際はそういうことだったのかと初めて気がつきました。
ともかく私としては、あの日は「在特会ががなり立てているのだけは見たくないな」と思っていましたので、彼らを追い払うきっかけをつくってくれた針谷氏のグループには感謝したい気持ちもあって、軽い気持ちで好意的な文章を書いてしまいました。(実際に在特会を脇道へどかしてくれたのは警察ということですが、針谷氏のグループと揉めたことと全く関係なくはないだろうと思いましたので)
ところが、私のこのコメントが、思わぬ誤解を生んでしまったようです。秋原さんが私に代わって弁明してくださっていますが、こちらの Apes! Not Monkeys!さんというブログのコメント欄にも私と青い鳥さんの批判がいろいろされていると後で知ったので、もはや終焉しかかっていたようですが、弁明方々、御挨拶をさせて頂きました。(最後の方のコメントです)
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20120627/p2#c
私としては今も、これに付け加えることはありませんので、こちらも読んでくださると幸いです。
私もこちらへのコメントは当分控えさせていただこうと思ったのですが、未だ誤解があるようなので、改めて弁明させていただきます。私は(前のコメントのどこかでも書いたように)そもそも右翼諸派の事情とか、その中の個人が具体的に何を言われて来たかとかは、ほとんど知りませんでした。(左翼の事情についても同じくですが)右翼関係のことで知っていたのは「在特会」はひどいということと、鈴木邦男氏が9条マガジンなどに書かれているエッセイを時々読んでいて、「この方は右翼っぽくないな」と好感を持っていた程度です。こちらの最初のコメント書くためにネットで調べるまでは、針谷氏のお名前も、そのリーダーを務めている団体の名前も知りませんでした。(だから、最初にぽむさんが私の無知を危惧して釘を刺そうとしてくださったお気持ちはありがたいと思っております)
ただあの日、(6月22日です)経産省前のテント村で、5時前だったと思いますが、集まっていた方たちが官邸方向に行くので、一緒に行こうとしたら、少し前に、官邸前方面から来られてお話していた方が「官邸前では在特会が騒いでいるから、まだ行かないほうがいい」と言われたので、少し一緒に待っていたんです。でも、ほとんどの皆さんが行くので、あとから、数人でまとまって行ったのですが(みな、バラバラに来た方で初対面でした)着いてみると官邸よりかなり手前の地下鉄の駅前くらいまで列が出来ていました。私はもともと最前列に行きたかったわけでもないので、構わなかったのですが、一緒にいた方たちが前の様子を見てみたいというので、交互に旗や手作りのプラカードを預け合って(そうしたものを持っていなければ列のわきを通ってよいと、主催者側のスタッフの方の言われたので)官邸近くまで歩いてみました。行ってみると在特会らしい姿はすでになかったので、ホッとして、本当に良かったと思ったのです。
たしか、その時お会いした女性に「右翼にも原発に反対している人たちもいるらしい」と聞いたことと、その数日前に、反原発デモの様子をいろいろ見ていたら、日の丸の旗を揚げて反原発を叫んでいた人たちの映像があったので(その時は、とても奇異な感じがしたのでよく覚えていました)彼らが何者か検索してみたら、「右から考える脱原発ネットワーク」という団体があり、彼等がどこかで行った小さなデモでは鈴木邦男氏がその最前列で横断幕を持って歩いておられる映像がありました。(それで、あまりおかしな団体でもないだろうと信用してしまったという面はあります)
事務局長は針谷氏ということで、彼のブログを見たら、あの日、在特会と対決して、お仲間が逮捕されたという記事が載っていました。あとで新聞などにも、デモの前に原発推進派と反対派の“市民グループ”が対立して揉めたというような記事が、あったような気がしますが、実際はそういうことだったのかと初めて気がつきました。
ともかく私としては、あの日は「在特会ががなり立てているのだけは見たくないな」と思っていましたので、彼らを追い払うきっかけをつくってくれた針谷氏のグループには感謝したい気持ちもあって、軽い気持ちで好意的な文章を書いてしまいました。(実際に在特会を脇道へどかしてくれたのは警察ということですが、針谷氏のグループと揉めたことと全く関係なくはないだろうと思いましたので)
ところが、私のこのコメントが、思わぬ誤解を生んでしまったようです。秋原さんが私に代わって弁明してくださっていますが、こちらの Apes! Not Monkeys!さんというブログのコメント欄にも私と青い鳥さんの批判がいろいろされていると後で知ったので、もはや終焉しかかっていたようですが、弁明方々、御挨拶をさせて頂きました。(最後の方のコメントです)
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20120627/p2#c
私としては今も、これに付け加えることはありませんので、こちらも読んでくださると幸いです。
>秋原さん
>秋原さん
私が不用意に書いたことがいろいろ波紋を呼んでしまったようで、大変、申し訳なく思います。あらためてお詫びしたいと思います。
(もしかしたら・・・私を批判されている方が私に求めているのは「左翼としての自己批判」のようなものなのでしょうか?なんとなくそんな気もして来たのですが。しかし、私は左派的な考え方が好きですが、自分が「左翼」なのかどうか正直、よくわかりません。かなり前に週刊誌の記事の中で、60年代~70年代の急進的な左翼の学生グループの中で「自己批判」という習慣があったと読んだ覚えはあるのですが・・・具体的にはいまひとつよくわかりませんでした。)
ともかく、「未だ納得できない」という方から逃げるわけではありませんが、身内のことで少し頭の痛い問題も起こっていますので、やはり、当分、こちらへの書き込みはお休みさせていただこうと思います。
それから、秋原さんをはじめ、私や私をフォローしてくださった青い鳥さんへの誤解を解くために、二つのブログで弁明してくださったみなさんのことは、本当にありがたいと思っております。この場を借りてあらためてお礼を申し上げます。みなさん、どうもありがとうございました。<(_ _)> どうかお元気で。いつかまた、お目もじしたいと思います。
風鈴草
私が不用意に書いたことがいろいろ波紋を呼んでしまったようで、大変、申し訳なく思います。あらためてお詫びしたいと思います。
(もしかしたら・・・私を批判されている方が私に求めているのは「左翼としての自己批判」のようなものなのでしょうか?なんとなくそんな気もして来たのですが。しかし、私は左派的な考え方が好きですが、自分が「左翼」なのかどうか正直、よくわかりません。かなり前に週刊誌の記事の中で、60年代~70年代の急進的な左翼の学生グループの中で「自己批判」という習慣があったと読んだ覚えはあるのですが・・・具体的にはいまひとつよくわかりませんでした。)
ともかく、「未だ納得できない」という方から逃げるわけではありませんが、身内のことで少し頭の痛い問題も起こっていますので、やはり、当分、こちらへの書き込みはお休みさせていただこうと思います。
それから、秋原さんをはじめ、私や私をフォローしてくださった青い鳥さんへの誤解を解くために、二つのブログで弁明してくださったみなさんのことは、本当にありがたいと思っております。この場を借りてあらためてお礼を申し上げます。みなさん、どうもありがとうございました。<(_ _)> どうかお元気で。いつかまた、お目もじしたいと思います。
風鈴草
>風鈴草さん
一度はっきりと、何故風鈴草さんの言いたかったことを理解しようとせず、‘レイシストと共闘肯定派’などとレッテルを貼るのか、ということだけは批判しておきたいと思いました。
なので蒸し返す形になり、申し訳なかったです。
> 私は左派的な考え方が好きですが、自分が「左翼」なのかどうか正直、よくわかりません。
私のことを左派とか左翼と呼びたい人は大勢いると思いますしそのように呼びたかったらどうぞご自由に、と思うのですが、実は私は自分を左派とか左翼とか自称するのは非常に抵抗を覚えます。意外に思われるかも知れませんけれど。
なので蒸し返す形になり、申し訳なかったです。
> 私は左派的な考え方が好きですが、自分が「左翼」なのかどうか正直、よくわかりません。
私のことを左派とか左翼と呼びたい人は大勢いると思いますしそのように呼びたかったらどうぞご自由に、と思うのですが、実は私は自分を左派とか左翼とか自称するのは非常に抵抗を覚えます。意外に思われるかも知れませんけれど。
もうひとつ、やすさんのコメントで抵抗を覚えたのは、コメント欄の空気が気持ち悪いと私を批判されたことです。
ブログのコメント欄は、別に私を中心とした仲間が集うサロンというわけではありませんし、私という村長が支配するムラでもありません。サロンの仲間が集まって一つの意見を合意形成するような、そんな場所ではありません。
ブログの管理人が書いたエントリーを読んで、それぞれ個々人が自分の感じた事を管理人宛に(横レスもokですが)書く場所でしょう。
ですから、たまたま集まったコメントの方向性が同じようだったからと言って、私を批判するのはお門違いです(話にならないネトウヨコメントは削除しますが)
今回は私が青い鳥さんと風鈴草さんの意見をきちんと確かめたかったので最後にあのように質問し、以後コメントはそれに対する回答のみでお願いするという限定を行いました。偶然にもそれに対する回答を下さった方はみなほぼ同意見となり、たまたま結果的にコンセンサスがとれたような形となりました。(私としては他の方の意見も聞きたかっただけなのでコンセンサスなどは取るつもりもなかったのですが。)
本来はコメント欄でコメンター同士で一つの意見にまとまる必要すらありません。コメント欄は「サロン」じゃないからです。
そういうブログの機能を勘違いされて、私がまるで常連を引き連れたムラを形成してるかのように扱われるのは心外でした。
ブログのコメント欄は、別に私を中心とした仲間が集うサロンというわけではありませんし、私という村長が支配するムラでもありません。サロンの仲間が集まって一つの意見を合意形成するような、そんな場所ではありません。
ブログの管理人が書いたエントリーを読んで、それぞれ個々人が自分の感じた事を管理人宛に(横レスもokですが)書く場所でしょう。
ですから、たまたま集まったコメントの方向性が同じようだったからと言って、私を批判するのはお門違いです(話にならないネトウヨコメントは削除しますが)
今回は私が青い鳥さんと風鈴草さんの意見をきちんと確かめたかったので最後にあのように質問し、以後コメントはそれに対する回答のみでお願いするという限定を行いました。偶然にもそれに対する回答を下さった方はみなほぼ同意見となり、たまたま結果的にコンセンサスがとれたような形となりました。(私としては他の方の意見も聞きたかっただけなのでコンセンサスなどは取るつもりもなかったのですが。)
本来はコメント欄でコメンター同士で一つの意見にまとまる必要すらありません。コメント欄は「サロン」じゃないからです。
そういうブログの機能を勘違いされて、私がまるで常連を引き連れたムラを形成してるかのように扱われるのは心外でした。
やす様へ
反差別主義は明白に正しいことです。社会の多様性を認め、多様な存在に人権を保障しようという
理念は、民主主義と自由主義を実質化するうえで不可欠だからです。差別主義は克服すべきものであって、
容認はしてはいけません。では、差別主義を克服するにはどうすればよいのか?と考えていくと、
常に、自由主義というものを視座においていなければならず、反差別主義は自由主義(人権保障)という目的のために必要な理念として認識しておく必要があるはずです。
自由主義が目的であり、反差別主義が手段という関係にあるわけです。
これが逆転して、反差別主義が目的と化してしまうと、自由主義という本質が見えなくなってしまい、
反差別主義が独り歩きして、時に暴走し、この暴走を正当化し(暴言や暴力性の容認)、
現実をきちんと見ることが出来なくなり、自由主義に歯向かっていくというう危険が出てきます。
いわゆる過激派の暴走の原因はこういうところに起因していると考えています。
このコメント欄においても、風鈴草さんたちが、決して歴史修正主義団体と共同でデモや集会の企画、
共同声明などをすることを認めているのではなく、自由参加型のデモに彼らが参加してくることまでは
拒むべきではないという認識が当初からのものであることは、秋原さんが立証してくださっています。
ただ、当初、“共闘”という言葉の使い方が曖昧であったため、この言葉の指し示す
意味内容を明らかにする必要性があったのであり、秋原さんは当初からここに論点を絞うと
なさってきたのです。この議論も長大なものとなり、紆余曲折がありましたが、
秋原さんも風鈴草さんも、上述したことをきちんと明らかにされました。
これは論証された事実です。つまり客観的事実です。
この事実を、無視してはなりません。
反差別主義に立つ人が、どうして
事実を無視して、誤認にしがみついて他者を非難するようなことをなさるのでしょうか。
繰り返します。
反差別主義の目的は自由主義です。多様性の容認です。反差別主義を言われなき非難、誹謗中傷の
道具に使うことは愚の骨頂です。本末転倒です
どうか、ご再考くださいませ。
よろしくお願いいたします。
P.S
私は、こちらへの投稿はもう終わりにしていたのです。その旨、ブログ主様にも
伝えてあったのですが、ただ、この論争がまだ続いていたことを知り、
見ていて、哀しくなってしまったのです。
どうしても黙っていることに耐えられず、前言を翻して
投稿してしまったことをお許し下さい。ごめんなさい。
理念は、民主主義と自由主義を実質化するうえで不可欠だからです。差別主義は克服すべきものであって、
容認はしてはいけません。では、差別主義を克服するにはどうすればよいのか?と考えていくと、
常に、自由主義というものを視座においていなければならず、反差別主義は自由主義(人権保障)という目的のために必要な理念として認識しておく必要があるはずです。
自由主義が目的であり、反差別主義が手段という関係にあるわけです。
これが逆転して、反差別主義が目的と化してしまうと、自由主義という本質が見えなくなってしまい、
反差別主義が独り歩きして、時に暴走し、この暴走を正当化し(暴言や暴力性の容認)、
現実をきちんと見ることが出来なくなり、自由主義に歯向かっていくというう危険が出てきます。
いわゆる過激派の暴走の原因はこういうところに起因していると考えています。
このコメント欄においても、風鈴草さんたちが、決して歴史修正主義団体と共同でデモや集会の企画、
共同声明などをすることを認めているのではなく、自由参加型のデモに彼らが参加してくることまでは
拒むべきではないという認識が当初からのものであることは、秋原さんが立証してくださっています。
ただ、当初、“共闘”という言葉の使い方が曖昧であったため、この言葉の指し示す
意味内容を明らかにする必要性があったのであり、秋原さんは当初からここに論点を絞うと
なさってきたのです。この議論も長大なものとなり、紆余曲折がありましたが、
秋原さんも風鈴草さんも、上述したことをきちんと明らかにされました。
これは論証された事実です。つまり客観的事実です。
この事実を、無視してはなりません。
反差別主義に立つ人が、どうして
事実を無視して、誤認にしがみついて他者を非難するようなことをなさるのでしょうか。
繰り返します。
反差別主義の目的は自由主義です。多様性の容認です。反差別主義を言われなき非難、誹謗中傷の
道具に使うことは愚の骨頂です。本末転倒です
どうか、ご再考くださいませ。
よろしくお願いいたします。
P.S
私は、こちらへの投稿はもう終わりにしていたのです。その旨、ブログ主様にも
伝えてあったのですが、ただ、この論争がまだ続いていたことを知り、
見ていて、哀しくなってしまったのです。
どうしても黙っていることに耐えられず、前言を翻して
投稿してしまったことをお許し下さい。ごめんなさい。
>やす様へ
>常に、自由主義というものを視座においていなければならず、反差別主義は自由主義(人権保障)という目的のために必要な理念として認識しておく必要があるはずです。
やす様…、わたしは、フリスキーさんのこの“自由主義の視座”が、この一連の要蹄で最も大切なことだと思います。 前回のコメントで貴殿に対し失礼な言葉を吐きまして、恥じ入ります。心からお詫びします。しかし、風鈴草さんや秋原葉月さんのコメントは、筋が通っており、支持します。
自由主義の視座を大切にする見地からあらゆる連帯の可能性を模索する価値はあると信じたいのです。自由主義の視座を持っていれば、フリスキーさんのご指摘通り、差別は自ずと排除されると信じます。
次期総選挙の結果で、日本国憲法の存在そのものが本当に危機に陥ると危惧しているところです。前のやす様のわたしに対するコメントを拝読させていただき充分に連帯できると思います。
反原発、反貧困、自由主義を死守する広範な連帯をわたしは模索したいのです。 連帯がバラバラになると、石原慎太郎や橋下徹などの危険極まる勢力により日本国憲法がズタズタに改悪されてしまっては元も子もなくなってしまいます。わたしはタダそれを恐れているのです。やす様に、その点だけご理解頂ければ幸甚です。
秋原葉月さん…、この件のコメントはこれを本当に最後にしますねでご容赦くださいね…。(((^_^;)
やす様…、わたしは、フリスキーさんのこの“自由主義の視座”が、この一連の要蹄で最も大切なことだと思います。 前回のコメントで貴殿に対し失礼な言葉を吐きまして、恥じ入ります。心からお詫びします。しかし、風鈴草さんや秋原葉月さんのコメントは、筋が通っており、支持します。
自由主義の視座を大切にする見地からあらゆる連帯の可能性を模索する価値はあると信じたいのです。自由主義の視座を持っていれば、フリスキーさんのご指摘通り、差別は自ずと排除されると信じます。
次期総選挙の結果で、日本国憲法の存在そのものが本当に危機に陥ると危惧しているところです。前のやす様のわたしに対するコメントを拝読させていただき充分に連帯できると思います。
反原発、反貧困、自由主義を死守する広範な連帯をわたしは模索したいのです。 連帯がバラバラになると、石原慎太郎や橋下徹などの危険極まる勢力により日本国憲法がズタズタに改悪されてしまっては元も子もなくなってしまいます。わたしはタダそれを恐れているのです。やす様に、その点だけご理解頂ければ幸甚です。
秋原葉月さん…、この件のコメントはこれを本当に最後にしますねでご容赦くださいね…。(((^_^;)
フリスキーさま
初めまして。
フリスキーさん,お帰りなさい。お待ちしておりました。
格調高く,しかしわかり易い文章↑を拝読し,たいへん感動いたしました。
あの事件以来,みなさま(フリスキーさん,青い鳥さん,風鈴草さん)の投稿を午後カフェで読めなくなり,淋しく,また残念に思っておりました。(小野さんも少なくなりました?なんだかそんな気がいたしておりますが.)
フリスキーさんは,上↑で午後カフェへの投稿をもう終わりにしていたとおっしゃっておいでですが,
どうかそうおっしゃらずに,これからも,ぜひよろしくお願い致します。
みなさま,あの件で受けたショック(や虚無感)はもちろん,いろいろ深く考えるところが多々おありだっただろうと推察しておりますが(でも私は無知なので,ショックの方はともかく,皆さまが深く考えられたであろう「具体的なことがら」については,私では非力すぎてあれこれ思いを及ばすことできず,申し訳ありません),
でも,間違いなくみなさまの投稿を楽しみに読んで勉強させて頂いている者もおりますので(ココに),,,
青い鳥さんのように,ぼちぼちで結構ですので,どうか今後もよろしくお願いいたしたく思っております。
(青い鳥さんも…ぜひぜひよろしくお願いしますね!!)
風鈴草さんの投稿分が先に載っていたので,風鈴草さんにまずお帰りなさいと申しあげる投稿をしようと思ったのですが,その下のフリスキーさんの文章を読み,先にフリスキーさん宛に書いてしまいました(近いとこから記憶に残ってる間に返信を書くこの単純さ,ホントにすいません)。
風鈴草さん,ごめんなさい。また書かせていただきます。
フリスキーさん,お帰りなさい。お待ちしておりました。
格調高く,しかしわかり易い文章↑を拝読し,たいへん感動いたしました。
あの事件以来,みなさま(フリスキーさん,青い鳥さん,風鈴草さん)の投稿を午後カフェで読めなくなり,淋しく,また残念に思っておりました。(小野さんも少なくなりました?なんだかそんな気がいたしておりますが.)
フリスキーさんは,上↑で午後カフェへの投稿をもう終わりにしていたとおっしゃっておいでですが,
どうかそうおっしゃらずに,これからも,ぜひよろしくお願い致します。
みなさま,あの件で受けたショック(や虚無感)はもちろん,いろいろ深く考えるところが多々おありだっただろうと推察しておりますが(でも私は無知なので,ショックの方はともかく,皆さまが深く考えられたであろう「具体的なことがら」については,私では非力すぎてあれこれ思いを及ばすことできず,申し訳ありません),
でも,間違いなくみなさまの投稿を楽しみに読んで勉強させて頂いている者もおりますので(ココに),,,
青い鳥さんのように,ぼちぼちで結構ですので,どうか今後もよろしくお願いいたしたく思っております。
(青い鳥さんも…ぜひぜひよろしくお願いしますね!!)
風鈴草さんの投稿分が先に載っていたので,風鈴草さんにまずお帰りなさいと申しあげる投稿をしようと思ったのですが,その下のフリスキーさんの文章を読み,先にフリスキーさん宛に書いてしまいました(近いとこから記憶に残ってる間に返信を書くこの単純さ,ホントにすいません)。
風鈴草さん,ごめんなさい。また書かせていただきます。
>フリスキーさん
謝罪は必要ありません。コメントはいつでもご自由にどうぞ
>mimosa様
>格調高く,しかしわかり易い文章↑を拝読し,たいへん感動いたしました。
わたしもmimosaさんの思いと全く同じで、フリスキーさんのわかり易い“自由主義”に関する論説やそれを大切にされる視座に対するファンのひとりなんですよ…。^・^
この“自由主義”の視座を大切にすれば、差別(逆差別)を排除できると思います。それを根付かせるためには、秋原葉月さんが日頃からご指摘されておられる通り、学校教育に於ける、人権教育の充実が絶対に重要であると思います。mimosaさんの前のコメントを拝読させていただき、教育現場での人権教育の難しさや、教員の皆さんの苦悩が素人のわたしにも理解できました。人権や差別の問題は色々とナイーブな事柄が複合的に絡みあうため難しいのが当然であると思います。子供が権利の主体であるという思想・哲学みたいなものが、この日本には決定的に欠落しているから“いじめ”なる凶悪な犯罪が子供を苦しめているのだとわたしは思うんですね…。
ほんとうに日本の将来は教育が大きな鍵を握っていると思うんですよ…、そんな中、mimosaさんの様な教育のプロの方の視座にわたし自身学ぶところが多いのですよ…。
こちらこそ、宜しくお願いいたしますね…。^・^
わたしもmimosaさんの思いと全く同じで、フリスキーさんのわかり易い“自由主義”に関する論説やそれを大切にされる視座に対するファンのひとりなんですよ…。^・^
この“自由主義”の視座を大切にすれば、差別(逆差別)を排除できると思います。それを根付かせるためには、秋原葉月さんが日頃からご指摘されておられる通り、学校教育に於ける、人権教育の充実が絶対に重要であると思います。mimosaさんの前のコメントを拝読させていただき、教育現場での人権教育の難しさや、教員の皆さんの苦悩が素人のわたしにも理解できました。人権や差別の問題は色々とナイーブな事柄が複合的に絡みあうため難しいのが当然であると思います。子供が権利の主体であるという思想・哲学みたいなものが、この日本には決定的に欠落しているから“いじめ”なる凶悪な犯罪が子供を苦しめているのだとわたしは思うんですね…。
ほんとうに日本の将来は教育が大きな鍵を握っていると思うんですよ…、そんな中、mimosaさんの様な教育のプロの方の視座にわたし自身学ぶところが多いのですよ…。
こちらこそ、宜しくお願いいたしますね…。^・^
>mimosaさん 青い鳥さん
余談ですが、私が大学時代に、ある先生の授業を取りまして、最初の授業で言われたことは、
「ならべく分かり易く表現しなさい。難しくもないことを難しく表現しようとするのは、
そのことを理解していないからだ。」
というような趣旨のことをおっしゃっていました。
それと、もう一つ思い出した。
その先生は、ある離婚訴訟の話をしまして、裁判官が男性側に向かって
ボソッと「女性にふられるのはそんなにお辛いのですか?」って真顔で聞いてきたというのです。
その裁判官は先生の教え子の一人でもあったようですが、
こんな頭でっかちで人情のわからない人間には君たちにはなって欲しくないと、
おっしゃっていました。
ああ、良いこと言うなって納得して、それでお腹いっぱいになって、それ以降、
その授業には一回も出なかったというアホ学生でした。
どうでもいい話を失礼致しました。
「ならべく分かり易く表現しなさい。難しくもないことを難しく表現しようとするのは、
そのことを理解していないからだ。」
というような趣旨のことをおっしゃっていました。
それと、もう一つ思い出した。
その先生は、ある離婚訴訟の話をしまして、裁判官が男性側に向かって
ボソッと「女性にふられるのはそんなにお辛いのですか?」って真顔で聞いてきたというのです。
その裁判官は先生の教え子の一人でもあったようですが、
こんな頭でっかちで人情のわからない人間には君たちにはなって欲しくないと、
おっしゃっていました。
ああ、良いこと言うなって納得して、それでお腹いっぱいになって、それ以降、
その授業には一回も出なかったというアホ学生でした。
どうでもいい話を失礼致しました。
mimosa さまへ
恐れ入ります。
今持病に関連して様々な動きに出ていますので、ネットをやれる時間がやや制約されています。ですが私のブログはできる限り更新しています。すみません。
あの激論は多くのものを失ったようですが、気がつかなかったものも見つけられたと言う意味では私もフリスキーさんもあってよかったとも思っています。
太鼓の音に足の合わぬ者を咎めるな。その人は、別の太鼓に聞き入っているのかもしれない。─ソロー「森の生活」
今回の議論で私たちはこの言葉を戒めとして認識しなければなりません。大切なのは中身なのです…。
今持病に関連して様々な動きに出ていますので、ネットをやれる時間がやや制約されています。ですが私のブログはできる限り更新しています。すみません。
あの激論は多くのものを失ったようですが、気がつかなかったものも見つけられたと言う意味では私もフリスキーさんもあってよかったとも思っています。
太鼓の音に足の合わぬ者を咎めるな。その人は、別の太鼓に聞き入っているのかもしれない。─ソロー「森の生活」
今回の議論で私たちはこの言葉を戒めとして認識しなければなりません。大切なのは中身なのです…。