コメント
>良しとするものではありませんが
そんな事はない。
“君子豹変”、“過ちを改むるに憚ること勿れ”という言葉もあります。
前任者の間違った政策は直ちに変えられて然るべきなのです。
選択制とは言えども
「子供を救え」のブログにもありましたが、収容可能人員に限界があることを考えればわかることです。
しかも大阪市内の小中学校は都会であるがゆえに、特に中心部では敷地の狭い学校が多かったと記憶しています。
定員の二倍以上も生徒を収容すべくプレハブ校舎を建てると、運動場が一気に狭くなって使い物にならないのでは?
いくら選択制とはいえ、実運用においては保護者の思うがままになるわけなんてないじゃないですか。
「想像していたのとは違う」というのはわかるけど、そこまで過大な期待があったこと自体が不思議です。
(まあ報道をどこまで間に受けていいのかわからない面もありますが。)
通学距離が伸びると自転車や電車、バスの利用も必須になってきます。
因みに私の出身中学では上記全てが認められていました。
但し入学一年後をもって学校が分離したため、以降は徒歩通学以外禁止になりましたが。
自転車通学を実施すると当然のことながら自転車置場もいります。
学校で置場を設置できる余裕はあるのでしょうか。
学校の特色や教育内容といった抽象的なものよりも、まずは物理的条件を色々考えてみることです。
ここから様々な問題点が具体的に浮かび上がってきますから。
公共本来の仕事を放棄していませんか?
>義務教育はナショナルミニマム、学校に競争させて優劣をつけて行きたいところに通わせるというあり方よりも、どこへ行っても身近な学校で同等に十分な教育を受けられるような環境を確保する事が大事だと思うのですが・・
全く賛成です!子どもたちがどの学校へ行っても、等しく良質な教育を受けられるように努力すべきです。それが公共にしかできない、公共の仕事だと思いますが、それを放棄しようとしている自治体の首長って、一体、何なんでしょうね。
ASさんのご意見(↑)に一票
東京都は実はまだ民主的で,前区長の誤りを正してくれる区長を区民が選ぶことができるような健全な制度でよかったです。
でも大阪府(市)のばやい…カレ(府知事を思いのまま操る市長)の意のままに動く区長を任命できそうな体制に変えようとしているようだし(その前に既に教育委員も,条例で殆どそうなってしまった!),はたして東京都のように,前任者の誤りを次の区長が正せる健全さが大阪に(ひいては日本に)残されるか,とても心配です。
日の丸君が代問題でも,政治家は「条例を作る」だけではいけないと思うのです。
その条例を作ったことで,毎年毎年卒業式,入学式のシーズンになると学校で学校の主人公(=生徒ら)の直近で必ず混乱が起きているのなら,やっぱりその混乱のもとになった条例を「廃止する」方向に(政治家が)手を打つことを考えるのも,選択肢の1つではないのでしょうか。
ひのきみ問題が思想信条の自由の問題に関わっているのはもちろんですが,その以前に,その歴史的背景等を考えると,とりあえず一筋縄では行かない問題であることは自明なのですから…。
何かを「やめる」と消極策のように思われるかもしれませんが,何かを「やめる」ことが「する」ことよりも前進になることもあると思っています。
と考えて来て,秋原さんが言われるように,やっぱりカレはルールの順守とか公務員の規律とかを徹底させることが目的ではなく,君が代日の丸を自分の支配の道具として利用しようとしてこの条例を作ったんだなー,と改めて認識しました。だから,この意見をいくらカレに言っても無駄で,,,せめてASさんの言われることが実現する健全さが,カレが権力を握っている間に一掃されないように願うばかりです。
公立の小学校でこれをやってどうするのか。親の見栄で学校が選ばれる恐れだってあるでしょうに。しかも子供に意思表示の権利はない。
一部の学校はマンモス化し、一部の学校は過疎化することが目に見えている。
百害あって一利なしです。
繰り返しになりますが、このように教育内容とは全く関係のない部分で予期せぬ競争が起こってしまうことが、学校選択制の最大の問題点だと思います。
学業や部活で少々実績をあげたところで、それが生徒集めの決め手になるという保証はありませんから。
新しい校舎、スイーツつきの給食、あるいはたまたま若くて感じの良い教員が多い、などの理由で一躍人気校に躍り出るなんて可能性も十分にあるわけですよ。
そういう学校に、教育内容に工夫をこらしてそれなりの成果を上げている学校が負けてしまうことだってありますよ。
まあ、他を圧倒的に凌駕するくらいの実績を上げられた場合は別ですが。
先行した地域が次々と制度の縮小や廃止に踏み切っているのは、こういうことが原因なのは間違いないと思います。
予期せぬ弊害が、本来期待されるべき効果を上回ってしまったんでしょう。
それにしても競争至上主義者って、あまりにも素直すぎると思います。
よーいどんの号令さえかければみんな同じ方向に進むと思いこんでいるのですから。
こういう人って、概して教育熱心な家庭で育てられた人に多いと思います。
それゆえ他人も自分と同じように考えると錯覚するんでしょう。
因みに私の親は私が中学生の頃、学区のトップ公立校の名前すらろくに知りませんでした。
維新の会に言わせると、
「だから大阪は駄目なんだ。」
という話になるんでしょうか(笑)
大阪市教委、終わりの始まり
(引用開始)
[紊�]大阪市の学校選択制導入
区長丸投げ揺らぐ教委
大阪市は2014年度をめどに小中学校で学校選択制を始める。ただし全市一斉ではなく、導入するかどうかはまず区長が区ことに判断し、最後は市長が決めるという。市教委は導入には慎重だったが「硬直化した教育委員会任せの学校教育を見直す」という橋下徹市長の意向に従い、自ら区長に権限を委ねた。首長からの独立という教育委員会制度の根幹が崩れ始めている。
3月20日、大阪市淀川区の区民センター。「学校選択制を求める保護者の意見を肌で感じ取って」という橋下市長の意向を受け、区が住民集会を開いた。
だが参加者から相次いだのは、拙速な導入を危ぶむ意見だった。 「なぜ急に選択制の話が出てきたのか分からない」 「導入ありきの議論は納得できない」
学校選択制は橋下市長が大阪ダフル選で掲げた公約の目玉。学校を「選ばれる立場」に置き競争を促すのがねらいだ。だが全国で1割ほどの自治体が導入した結果、保護者が学校教育に関心を持つなどのメリットがある一方、人気校、不人気校が固定化しやすい欠点もわかってきた。大阪市の永井哲郎教育長は、ダブル選直後の朝日新聞の取材に「特定の学校に子どもが偏れば、学校と地域の関係が希薄化する」と述べ、導入に慎重な姿勢を見せていた。
ところが姿勢を変え、判断を区長に委ねるという。
「地域のことほ地域で決めるというのが市長の方針。学校と地域の関係も含めて区で議論してもらう。教育委員にも異論はなかった」
現行法上、教育行政にかかわる権限の大半は教育委員会が持っている。なぜ区長が判断できるのか。
市教委の説明では、教育事務の一部を区長に委任できる地方自治法の規定があり、今も就学年齢に達した子への就学通知などは区役所に委任している。「選択制を導入するかの判断も就学事務。委任しても問題ない」
だが政令指定市で初めて学校選択制を導入した広島市教委の担当者は首をかしける。「子どもの通学ルールをどうするかは事務ではなく、学校教育の方向性をどうするかという根幹にかかねる問題」。文郎科学省の担当者も「教委が決めるのが本来の姿」と言う。
「教委制度目ら否定」 専門家
全国の学校選択制の状況を研究してきた専修大の嶺井正也教授(教育政策論)は「教育委員会制度の意義を市教委自ら否定しているのと同じ」と指摘する。
学校を選択する保護者の基準は、文教地区にあるかどうかや校舎の新しさ、部活動の種類の多さなどが多く、学校の努力とほ関係なく人気・不人気校の差が広がりやすい。「保護者は我が子のことだけを考える。だからこそ教育委員会が公教育全体を見通す視点で判断することが大事では」
愛知県犬山市の教育委員を務めた名古屋大大学院の中嶋哲彦教授(教育行政学)も「区長に丸投げするなんて責任放棄。地域と学校との結びつきを重複してきた方針を変えるなら、市民に説明するべきだ」と話す。(編集委員・西見誠一)
(朝日新聞4月2日夕刊第8面より)[/紊�]
(引用終了)
教育委員会が職務を放棄し、区長に丸投げする。そして、その区長は選挙前にバカ殿が言っていた公選で選んだ区民の代表ではなく、バカ殿のご意向にかなう公募の区長。どこが住民の教育参加なのでしょうか。大阪市教委がバカ殿にこのまま屈してしまうのかと思うと残念でなりません。
ところで、
>学校選択制は橋下市長が大阪ダフル選で掲げた公約の目玉。
えー、バカ殿連合は都構想に賛成かどうかを争点にしてたはずなんですが、いつの間にすり替わったんですか?
市を単位とする事業である限り、学校選択制は市全域で同じルールのもと、同時に実施されなければならないでしょうに。
そうでなければ公約を果たしたことにすらなりません。
実施する区としない区が出た場合、隣の区は導入したのにうちはなんでやらないんだ(またはその逆も)なんて話になって後々もめるのは目に見えています。
また、区単位で実施可否を決めるということは、「区をまたがった学校の選択を認めない」のが前提条件になるわけですが、元々そういう考えでしたっけ?
そう解釈していなかった大阪市民も多数いらっしゃると思うのですが。
例えば、子どもの中学校入学直前に市内他区に転居しても、以前からの友達と離れることなく元の校区の中学校に通わせられると考えていた父兄にしてみれば「話が違う」となるでしょう。
これは抽選で外れる云々という個人の状況とはまた別の、制度としての話です。
ただ単に学校選択制を導入すると宣言しただけで、市としては運用に最低限必要なルールづくりすらやっていないということになりませんか?
「選択制自体が是か非か」という問題の他に、
「ルールが曖昧で制度自体が機能不全になりかねない」
という問題まで背負ってしまっていると思います。
当初の話からすると市内全域が対象のはずですから、市教委が全面的に関与しないと駄目でしょう。
教委が行政区単位で分かれているのではないのですから、市全体のとりまとめを行わなくてはなりません。
ruru
「統廃合」を先にするのは人の思い道理に教育を行いたいから。
それが、「思想」に偏るならこんなことやってもやらなくても同じ。
まず、お前らはどんな人間を作りたいんだよ。
そしたら、それをわかってもらう方法を考えるよな?
子供達に不安を与えるような事ばかりしやがって。
勉強する場所の価値さえないなら学校なんていらんだろうよ。