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「学童保育」を潰し、そのお金を「教育のIT化」に使うと…(実話)
フィクションではないんですよ〜。
何年も前,X知事がZ県で県立学校の教員に1人1台パソコン(PC)を支給する政策を実行した(貸与。学校外持ち出し禁止)。
目的は人件費の節約。
つまり,学校事務員の仕事の1つである『教員の(クラブ引率等の校務による)出張時の旅費計算』や『県指定の教員研修の参加
申込や出張申請の手続き』他の業務を,事務職員(行政職員)ではなく個々の教員に直接PCを通じてやらせることで,事務員の
雇用数を減らすというものだった。
他にも,このシステムの導入に伴って削減されたものとしては,
*学校内で教員が閲覧すべきお知らせ,
*それまでは印刷機で印刷し配布していた資料や書類に載っている情報の一部など,
それらの相当量が「PC画面で個々の教員が確認要」となり,教員,(県から)学校への印刷物(プリント)の配布は少なくなった。
もちろん,この政策で恐らく印刷物の量はかなり減ったろうし,県全体では,きっと経費削減になったと思う。
(しかし,中には『夏期休暇中の予定表』のように全員が必ず提出すべきものについても「PCで個々が見て,フォームを埋めて,
プリントアウトして提出」せねばならないので,「全員に配布された計画表に手書きして,提出」よりはずっと労力が要り,
さらに*コストもかかる 場合もあった。(*→大量印刷で全員配布=安価,ではなく,個々がPCの印刷機で1枚ずつプリントアウト
=プリントアウト用の紙とインクの方がマス刷りよりも高価につく,ため)
さて,このことで,現場の教師にはまた『教える』以外の仕事が増えた。
旅費計算では出張した距離を打込む必要があるため,行き先の住所や距離を調べるには,それなりに時間がかかる。
PC操作もシステムが複雑で難しく,情報教科担当の教員ですら簡単には修得できないレベルゆえ,この仕事中は
マニュアルと首っ引き。県独自のシステムを用いて教員が県に直接申請をするため,この仕事は持ち帰りができず,
結果,学校滞在時間が増加。
(注:教員の校務の1つの「クラブ指導」は,体育や芸術の教師だけでなく全教員に必須の仕事であり,全員が何か
の部の顧問であるため,誰もがこの仕事をせねばならない。ただ,回数の頻度にはクラブにより違いがある。)
あまりに面倒なため,一部のPCの苦手な教員の中には,この業務をしない(=旅費を辞退して自腹を切る)者もいた。
私の担当する部顧問の相方がそういう人だったので,結局その業務は全部私が彼の分もした(私だってPC苦手なのに)。
忙殺に悲鳴をあげたいものの,疲れて悲鳴をあげる元気もないのが常だった私としては,ホントは自己責任ということ
で(笑)彼を放っておきたかったが,県指定の大会の場合,書類上「いつ,誰(生徒)を誰(顧問)がどこへ連れて行き,
どんな内容の大会でどうなったか」を残しておかないと,全国大会に行く際に生徒に降りるはずの旅費助成金が
降りなかったりする。
つまり,部活の主役の生徒らが迷惑を被るかもしれず,また相方には鬱の気があってアブナかったので,それらを避
けるために,私は(自分としては)頑張った。(PCが苦手なだけだろ!と批判されるかもしれないが,誰でも苦手な分野の
仕事はあると思うので…ご容赦下さい。)
余談だが『教員からの「引率旅費の請求」を減らすことが県の真の目的ではないか』と陰で言われるくらい,
そのシステムは複雑だった(今は新しいものに更新しているでしょうけど…)。
それより何より問題だったのは,教師1人1台PCの制度の導入で,教員間の交流がなくなったこと。
以前はストーブを囲む教師数名が生徒や指導法に関する情報交換を何気にする等,有意義な小さい機会を持つ機会がたま
にあったが,それができなくなったのだ。
そんなことをしてる暇があったらPC画面とにらめっこせねば…!,
何か大切な情報を見落とすかもしれないし,提出期限のある書類に関する情報があるかもしれない。
そもそも校長は,このシステムで「どの教員がいつPCを開けているか」がチェックできたりする,,,
顧問aが顧問bの仕事をフォローしたことは知らず,知ったとしても相互協力は「当たり前」だから,それでaを評価する
ことはしないだろうが,aがPCをあまり見ないことはしっかりチェックするだろし,心証悪いだろな…
(げんなり)。これが,当時のa=私,の正直な気持ちである。
ということで,かくて『教師が皆自分の机で一様に無言でPC画面に向かう姿が見られる職員室』が珍しくなくなった。
そんな職員室を想像してみて下さい。結構「異様」ですよ。
「先生いつも忙しそうだから」と生徒が気を遣ってくれ,職員室にいる教員に話をしに来てくれる頻度も減った。
これが一番寂しかった。
で,肝腎の人件費は節約できたのだろうか?
つまり,教師1人1台PC貸与の政策のお陰で,学校の事務員さんが減ったかどうかという問題ですが,,,
県全体の,正職員(事務員)の雇用数の変化(減少したかどうか)については,わからない。
しかし,このシステムが導入された時に私が在職していた学校では,事務員さん(行政職員)の実数はその後も減らなかった。
私はその後すぐこの仕事を退いたので総括は知らないが,どうだったのか知りたい気がする。
教員1人1台PCに反対です。
以前の「たれ込み部屋」でだったか,元おちぶれ教員さんが言われていたように,
PCが常に進化途上にあり,FDが姿を消しUSメモリが登場する等,PCのシステムが変化していくことを考えると,
教員は,アップトゥデイトに進化するPCの操作に熟練する前に『新しい仕事を覚えることに精力を尽くす』ことを繰り返
さなければならなくなるだけではないかと思うし,PCの買い直しにも(教員は大量にいるので)結構高い費用がかかると思う。
学校では,どんどん教員が本来すべき仕事から乖離された仕事が(教員に)課され,教員は疲弊していく。
教員が疲弊して,誰が一番ソンをするか? --はい,そうです。生徒です。そして,教員の家族と教員自身の健康。
Z県以外の,PCが教員個々に給付されていない都道府県の学校は,もしかしたら今は,18時半〜19時?には教員が帰れるような
「健全な学校」かもしれないが,この先,もしこの制度が入るとそういうわけにはいかない,と体験に基づいて危惧します。
(18時半に帰れても1時間以上は「無給」残業で,週に6h,月では24hの無給残業の計算になりますが,困難校いえ中堅校ですら,
現状でもそうではないのが普通だとは承知しているからです。)
個人PCの導入があった場合,労働時間はうしろに2時間くらいはのびると考えた方がいいかと。
私の場合もそうで,結局土曜も2回に一回は学校に来て,平日にできないノートチェック等をしていました(残業もちろんつかず)。
土日にクラブ指導のある先生はそうはできないので,結局平日の授業後にするしかないので,日々の勤務が長時間化する。
それか,時間がかかる仕事(ノートチェックや小テストの採点,添削等)は控えるようにするしかないのです。
それに,忘れてはいけないのが(…教科によりますが),なべて教員には,残業の他にも持ち帰りの仕事もあること。
以上,Z県で1人1台PC政策が実現した当初の教育現場を体験した,元一教員の体験談でした(フィクションではありません)。
その後,何らかの(システム等の)改善で,教員の「教えること以外の仕事」が軽減されたり,PCの技能が高い教員が増えたり
しているかもしれないが,例えそうであっても,高校教員の場合,もともとの仕事の守備範囲が広すぎる。
大学や予備校なら,それぞれ専門部の職員が専門でかかるような仕事(時間割作り,進路指導,広報活動,クラブ指導)も,
高校では教師がやっているのだから。
このことを考えても,現場にもっと人を増やして仕事を分担していかないと,教師が「教える仕事」に専心できないばかりか,
精神疾患を煩う教師が増えても不思議ではない。ちなみに,私の勤務校(複数)でも,1年に1人は学校に来れなくなる教員が出た。
それをダメ教員と言い切っていいのか,教員をそこへ追い込む過重労働を生んでいるシステムに問題はないのか。
行政面での教育改革をいうなら,教育現場で生徒に関係する人間の数を増やすことで,教員の仕事を減らすべきではないか。
何より,少人数教育はきめ細かい指導ができるので,生徒が喜び,保護者も長年望んでいるシステムだと思う。
教育に「最小限の費用で最大の結果」つまりコストパフォーマンスを求めるのは誤りです。
教師の仕事の守備範囲を正しく認識し,適正量に是正する方向で,1人1人のこどもをもっと丁寧に見れる環境を作って欲しいと
思います。
それが「近くの(公立)学校を,皆が行きたい学校に」するための,公教育のあるべき姿であり,行政の本務だと思います。
橋下さんは,教育基本条例によって「点数重視の学校」になるかどうかは,保護者にかかっているとまたも行政の責任を保護者に
転嫁していますが,教育に関するお金の使い方を考え直して,行政面での責任を果たして頂きたいと思います。
>元落ちぶれ教員様 >mimosa様
元落ちぶれ教員様、mimosa様…お二方の教育現場での、大変に貴重で仔細なご経験を拝読させて頂き、感謝いたします。と同時にわたくしが思うところを記させて頂きます。
小泉純一郎政権と米国ブッシュ大統領率いるネオコン政権との蜜月時代以来、周知の通り、新自由主義・市場原理主義という忌まわしいものが、日本で跋扈しはじめました。新自由主義は、“小さな政府論”に依拠する思想であるから、教育現場など公的部門が真っ先に標的にされ、予算や人員が削減されてゆくんですね…。秋原葉月さんや、風鈴草さん、jeanvaljeanさん、村野瀬玲奈さんらの皆さんが日頃ご指摘の様に、“人権教育”や“日本国憲法などの法律に関する教育”を深く掘り下げて、長い時間をかけて取り組むことが、出来ないのが、悲しいかな現実なんでしょうね…。北欧諸国なんかは、富の再分配;ノーブレス・オブリージュの思想が古くから根付いていますので、教育などの公的部門に予算や人をどんどん投入しているんですね…。mimosaさんの同僚の方が、健康を害されたとありましたが、人員削減など合理化による業務量の増大が起因する、鬱病、過労死などの健康被害が増加傾向にある現状を見ますと、このまま行けば、あらゆることが、崩壊に向かうことは、火を見るより明らかですね。教員の負担が重くなればなるほど、皺寄せが、全部子供たちにかかることは明らかですね…。“人権教育”や“法律・平和教育”など最も大切なことを疎かにしない為にも、現在の日本の新自由主義・市場原理主義に傾いた政治を、正常な方向へ向かわせないと、社会が崩壊する危惧をわたしは持ってしまうのですが、いかなものでしょう…?。
米国の現状のレポート、久々の他力本願シリーズです
(引用開始)
米国の教育改革 上
「良い」「ダメ」教師色分け
学力テストの点数で評価 異論も
大阪市の橋下徹市長が矢継ぎ早の教育改革を打ち出している。目指すのは権限と責任が明確な組織。選挙で選ばれた首長が教育の決定権を待ち、結果を出せない学校や教員は退場させる。取り組みはうまくいくのか。同じような「改革」を先に進めてきた米国の現状を見てきた。
米国では今、よい教師とダメ教師を分ける政策が過激化している。
格付けし実名公表
ニューヨーク市教委は2月末、公立学校の4~8年生(日本では小4~中2)の担任約1万8千人を、生徒の英語と算数の学力テストの伸ぴ率でランクづけし、ネットや新聞に実名を公表した。保護者への説明責任を果たすためという。3年連続で上位になった教師は「終身雇用」に、2年連続で下位3分の1に入った教師は「解雇可能」になる。
ロサンゼルスでも2年前、地元紙がテストに基づく教員ランキングを掲載。最下位とされた教師が自殺する悲劇が起きた。
発端は10年前にブッシュ政権が打ち出した「落ちこぼれゼロ法」。すべての子どもの学力向上を目指し、州どとの学力テストで、一定の点数を上けるノルマを果たせない教師を配置転換することになった。
このノルマは大量退職を生み、オバマ政権はスローガンを「悪い教師を追い出せ」から「よい教師に報酬を」へと変更。が、教師のランク付けは止められなかった。よい教師にボーナスをつけるにはダメ教師をクビにする必要があるからだ。
生徒の貧富が影響
よい教師とダメ教師をどう分けるのか、正解はなかなか見えない。
多くの州が、教師の成果を問う客観的な指標として、生徒が受ける学力テストの点の伸び率を使う。
ウィスコンシン州でも昨年2月、ウオ一力ー知事が、面談や授業参観を元にした従来の評価をやめ、テスト結果による統一した評価基準を作ろうとした。これに教員組合などが反発。100万人を超えるリコール署名に発展した。
州都マディソン市の小学校で1年生を担任するカスリン・バーンズさん(39)は「新評価制度はナンセンス」と首を振る。
同じ授業をしていても、就学前に読み書きを教える裕福な家庭の子が多ければテストの点は上がる。絵本もない家庭で育った子が多ければ点は下がる。「評価はAからFまでぶれるはず。論理的でない基準で先生を配転することが子どものためになるのか」
同市で長く難読症の子を教えるぺギー・コインさん(60)は、障害児を担当する教師は軒並み評価が低くなると主張する。「学習障害を持つ子どもは一人一人違った教え方が必要。でも、知事は効率よく英数のドリルをこなす人を求める。実情と相いれません」
多彩な方法を模索
テストの点だけに頼らない評価方法をつくる動きもある。コロラド州は教員評価に生徒へのアンケート結果を加えた。民間のテスト会社では、学年をまたいだ課題を試す問題、思考力をみる問題など多彩な設問を工夫し、教師の長所や問題点を具体的に見つけ出す研究をすすめている。
だが、ウィスコンシン州立大のマイケル・アップル教授は「どんな形であれ、教師を特定の指標で『良い』『悪い』と分けることは、多様な子どもの成長を支える教師のプロフェッシヨナリズムをそぐ」。教師を序列化すれば、結局は親も教師もランク付けに振り回されて右往左往することになると指摘する。
経済が不安定になり、テスト漬けで大学に進学しても、低賃金の職にしかつけない人も多い。
「社会構造が変わった今、何のために学ぶのか、どんな先生に何を習いたいか、一人一人が問い直す時期に果ている」(阿久沢悦子)
(朝日新聞大阪版 4月4日付朝刊 第10版 25面)
(引用終了)
続きがこちら
(引用開始)
米国の教育改革 下
市長 教育委員会乗っ取る
選挙戦で学力向上アピール
米国でも、教育委員会は行政から完全に独立している。ところが最近、大都市で教育委員会を「乗っ取る」市長らが現れた。直属の教育長官を置いて教育委員会を形骸化したり、委員の過半数を自ら任命したり。その実情は--。
2005年5月、ニューヨーク市役所で、ブロンクスの公立小学校が起こした「奇跡」が記者発表された。全員が給食補助を受ける貧困地域で、学力テストで合格ラインに達した4年生の割合が前年の36%から83%に急増したのだ。
「奇跡」のその後は
ブルームバーグ市長は、就任3年間の自分の教育改革が「落ちこはれていた子どもを救った」と強調。05年の市長選では対立候補だったブロンクス地区の区長を破り、再選された。
だが選挙後、同じ学校で5年生になった児童らの学力テストの合格率が48%に急落。市の教職員組合は「前年のテストが極端に易しかった。子どもに学力がついたかどうかはそっちのけ。選挙戦に利用された」とみている。
米国でも、教育に対する社会の関心は高い。新興国の経済的な追い上けと、国民の所得の格差拡大で国力への不安が広がる中、学力向上の成果が政治家にとって当選の鍵となる。
そんな中、ニューヨーク市は02~03年に州法を改正。教育委員会と契約していた教育局長を市長の直接雇用に変え、教育委員の過半数を市長の任命にした。
市長提案はすべて通るようになり、貧困世帯の子どもを支援するため学校と保健所・福祉施設の連携を開始。成績がふるねない学校は統廃合し、10年間で公立の1750校中150校を閉鎖・民営化した。成果として学力向上もアピール。「プロンクスの奇跡」もその一つだった。
困難校支援進まず
保護者には、成果の見えにくい施策が後回しになるという不満がうずまく。
教育委員会の公聴会で、8年生(日本では中2)の女児の母(57)が、少人類教育を求める発言をした。教師のリストラなどで1クラスの人数が増えているからだ。 「丁寧に子どもをみてほしい。でも教育委員会は市長のゴム印。声は届かないでしょう」
シカゴ市でも「教育最優先」を公約にしたデーリー前市長が直属の教育長官を新設し、04年に100校の統廃合計画を発表した。これまでに70校を閉鎖。成績優秀な公立高の通学区域を広げ、中流以上の白人家庭の支持を集めた。
同市でPTAなどを支援するジュリー・ワーステホブさん(59)は、貧困世帯の学力を底上けする施策は進んでいないと指摘する。
「困難校の支援には地道に取り組む必要があり、成果が見えにくい。一部のエリート校を作って生徒の華々しい活躍を見せる方が有権者にアピールする」
大阪府では、首長が教育目標を定めるとする条例が3月に成立。知事として条例作りを主導し、いまは大阪市長となった橋下徹氏は、改革を進めるには民意の審判を受ける政治家が権限と責任を持つべきだ、と考えている。
学校間の競争を促そうと、高校の学区撤廃や義務教育の学校選択制導入といった施策が、教育委員会の異論を押し切って政治主導で進み始めている。
(朝日新聞大阪版 4月5日 朝刊 第10版 27面)
(引用終了)
いま、大阪のバカ殿が進める教育改革とやらが、どのような未来をもたらすか、検証するための好材料かと思います。
ブログ主様 続編が必要になりました
(引用開始)
親も教育…虐待・モンスター防止へ維新が条例案
大阪維新の会(代表・橋下徹大阪市長)大阪市議団は1日、保護者に家庭教育の学習機会を提供する「家庭教育支援条例案」を、15日開会の5月定例議会に議員提案する方針を固めた。
児童虐待や、無理難題を強いる「モンスターペアレント」の出現を防ぐ狙いで、成立すれば全国でも異例の条例となる。
市議会で審議中の教育基本2条例案に盛り込まれた保護者向け家庭教育支援を具体化する内容。「親になる心の準備のないまま子どもに接し、途方に暮れる父母が増えている」とし、具体的には市内の全保育園・幼稚園に保護者を対象とした一日保育士・幼稚園教諭体験の機会を設けるよう義務化。結婚や子育ての意義を記した家庭用道徳副読本を高校生以下の子どものいる全世帯に配布するほか、市長直轄の推進本部を設置し、「家庭教育推進計画」を策定することも盛り込んだ。
(2012年5月1日14時52分 読売新聞)
(引用終了)
子供だけじゃなく親まで教育ですか。教育予算をぶった切ったツケを親に回した上で、親の思想教育までやろうってわけでしょうか。
ということで
子どもが泣く街、大阪(3)~親の場合
というエントリーが必要になりました。
(と、勝手にブログ主様に振ってみる)
世間知らずのお坊っちゃま集団が、家庭教育支援を叫ぶ
一日保育士とか副読本とか、時間的金銭的ゆとりがあって、しかも子ども中心に動いている家庭向けの施策ばかりですね。
世間一般の家庭って、それほど暇じゃないんですがねえ。
仕事もあるし近所や親戚との付き合いもあるしその他もろもろ、常に子どもが優先というわけにはいきません。
私らが小学生の頃には、運動会を見にこない保護者なんてのは当たり前におりました(うちもそうでした)。
授業参観にしても皆さん大して熱心ではなさそうでした。
だから何?という感じなんですが。
こういうのを条例案として平気で出してくるなんて、橋下氏も維新の会の議員たちも随分大事に育てられた人たちなんだなあと思います。
ご自分たちの子ども時代を回想して、「家庭は子ども中心に回るもの」だと何の疑いもなく信じておられるようです。
世間知らずのお坊っちゃんお嬢ちゃん集団だからこその発想ですね。
まあ並みの家庭ではここまでしてやるのは難しいと思われる、そうそうたる学歴の方がお揃いですから、無理もないのかと。
条例を作ってまで家庭教育支援をせにゃならんほど、世間一般の家庭が彼らにとっては低レベルに見えるということなんでしょうかwww
ここは一つ、
「見下すなやクソガキども」
という言葉を橋下氏と大阪維新の会に進呈致しましょう。
>2割しかいない少数派の府民さん
故あって名無しさんからも頂いたのですが、
次は親に対して支配を狙ってるのかと疑ってしまいますね。
詳しい内容はよくわかりませんが、子育てに悩む親に対する「支援」でなく、親をお上が教育っぽい印象を受けます
>全保育園・幼稚園に保護者を対象とした一日保育士・幼稚園教諭体験の機会を設けるよう義務化
これはまさか親に義務を課してるわけではないですよね?
一日保育士や幼稚園の先生ごっこしたからって、はっきり言って悩める親には何の役にもたちません。この発想自体がいかに子育てについて無知かを露呈しているように思います。
>結婚や子育ての意義を記した家庭用道徳副読本を高校生以下の子どものいる全世帯に配布
ってなんですかこれ。親対象の教育勅語ですか。
地方自治体によって一定の家族の価値観を押しつけるなんてなんとまあ時代錯誤的な。こんなもんお上が一定の価値観を教育するモンじゃないでしょうに。
誰かの目に留まってくれることを祈りつつ
これでも、子供が笑う大阪を作れるのでしょうか?
(引用開始)
[しんどい家庭事情「行き場ここしか」
子の最後の「家」風前
親の育児放棄、経済苦、障害-。生きる困難を抱えた子どもの最後のセーフティーネットになってきた、大阪市内に点在する「子どもの家」が廃止の危機にある。市が無料で開いてきたが、橋下徹市長の指示を受け、補助金を大幅に滅らす方針を打ち出したためだ。 「ここがなけれは生きてこられなかった」という子らの行き場はどこにあるのか。
無料預かり新大阪市補助削減
「必要性知って」署名開始
91人が登録する最大規模の「こどもの里」は日雇い労働者の街、西成区の釜ケ崎にある。
黄金週間まっただ中の4月30日、館内は約50人の子でいっばいだった。床でごろごろ寝転ぶ子、遊び相手を探す子、けんかする子。連休中も親は仕事や病気で面倒を見られず、この居場所に集まってきた。
43人の家庭が生活保護世帯。日誌には「父、逮捕」「母、統合失調症」などの記述もある。荘保共子館長(65)は「この街の子どもに必要なことをやってきた」。先月も女子高校生が「母がまた薬を大量に飲んで病院に運はれた」と午後8時過ぎにやってきた。ぎりぎりまでガマンして最後にかけこんでくる子たち。追い返したら、行き場はもうない。
職員のだれかが常に待機し、24時間態勢で子どもの相談に耳を傾ける。原則夜7時までだが、時には深夜まで預かり、タ食も用意する。家に戻れない事情があれば宿泊も可能だ。土日も祝日も開いている。年間経費は約1170万円。大半を市の補助金約800万円が支えてきた。約780万円が常勤職員2人とパートの人件費に消える。
■ ■ ■
「こういう場を必要とする子がいることを、どうすれは偉い人に分かってもらえるのか」。同じ西成区の「山王こどもセンタ一」に通う女子高校生(17)は、存続を求めて橋下市長に手紙を書き始めた。
幼いころ両親が離婚。母は病気で失職し、パチンコと買い物の依存症になり、食事も用意しなくなった。高校生はいま、自らと似た境遇の子と遅くまでセンターで過ごし、ボランティアとして支える側にいる。 「ここで育ててもらった子は、皆そうやってセンターを支えてきた。その思いをわかってほしいんです」 生野区の「じゃがいも子どもの家」は、利用者の半数が障害のある中高生。地域で自立して生きていけるよう指導員と他の子どもたちが支援する。10年前から通う自閉症の高校生の母(48)は「地域で生きていくすべは全部ここで教わった」。
■ ■ ■
高度成長期に多くの労働者が集まった大阪では、親だけでは育てられない子を地域で育てようと、地元の人たちが預かり保育を行ってきた歴史がある。
そこに23年前、大阪市が補助金を出したのが「子どももの家」事業。約2千人が通う市内28力所の「家」への年間補助額は1億2400万円。市は補助額の低い学童保育事業と統合することで、再来年度から6700万円を削減する計画だ。
学童保育に統合されると、現在2人いる常勤職員は1人しか雇えず、午後8時以降の利用や食事の提供は難しくなる。18歳ま受け入れているが、中高生は断らざるを得ない。保護者からは月2万円の保育料を取ることになるが、おやつ代の支払いが滞る家庭も多い中、厳しい金額だ。
「子どもの家」の中でもしんどい背景を持つ子を多く受け入れているこどもの里、山王、じゃがいもなどの5施設が14日、合同で事業の存続を求める署名を集め始めた。30日までに1万筆を目標に集め、市議会議長に提出する。こどもの里の荘保館長は「学童保育の枠内では支えられない子が現実にいることに目を向けて欲しい」と訴えている。
(金成隆一、阿久沢悦子)
安全網 市は考慮を
大阪の子育て支援策を調査研究している広島県立広島大の松宮透高(ゆきたか)講師(社会福祉)の話
しんどさを抱えた子が必要としている支援は、行政の制度に合わせて「障害」「貧困」などと区分けできるものではない。多様な問題を抱えた子が支え合う居場所をなくせば、子どもたちは「社会から排除された」と感じ、必要は助けも求められなくなろだろう。子どもにとって最後のセーフティーネット。その意義を大阪市はもっと考えてほしい。
大阪市の放課後事業
「子どもの家」(28力所、無料)のほか、共働き家庭の小学校低学年の子を午後7時まで預かる民間の「学童保育所」(105力所、月2万円)と、空き教室で午後6時まで児童を預かる市営の「児重いきいき放課後事業」(298力所、無料)がある。財政難の市は「学童保育」と「子どもの家」はいずれも留守家庭の児童が通っており事業が重複するとして、学童保育に一本化し、「子どもの家」への補助金を半減する方針。貧困や障害などの問題には生活保護や障害児のデイケア利用など、既存の医療・福祉制度で対応する、としている。
2012年5月17日 朝日新聞 大阪版 朝刊 14版 第31面
(引用終了)
こういう「現場の声」をバカ殿は知っているのでしょうか。
今、求められているのはこういったきめの細かいケアなのではないでしょうか。こういった事業を23年も前から行っていることを大阪市は誇っていいと思うのです。
単に競争に任せるだけなら、政治なんて無用の長物の最たるものでしょうに。政治の役割を良く考えてほしいものです。
2割しかいない少数派の府民様
このところの秋原さんのすっご〜い仕事量に負けじというわけではないと思いますが笑,大量の文の書き起し,本当にお疲れさまでした。
実は,子の親の間では,この朝日の記事,今すごく話題になっているようですよ〜。
堺からのアピールさんのところでもupされていました。
うちの母も写真入りのこの記事を読んで,こんなのなくすなんて…と絶句していました。
写真がある記事は,リアルによくわかってよいですね。
報道で初めて知ることってたくさんあるので…記者さんには,カレの恫喝,罵倒,攻撃に負けずに市民府民の声を伝えていただきたいです(MBSの記者さんの援護射撃が記者さんたちからなかったことは,ショックでした…)。
ところで,橋下さんって本当に子の親なんですかね…
何でもそうなんですが,どうして何かする前に現場にいる人から直接話をきかないのでしょうか…
>2割しかいない少数派の府民 さん、mimosaさん
阿久沢さんはいい記事を書いてくださいますね。
せっかくなので私もエントリーでメモさせてくださいね。
確かに、最近ネタの分量が激しすぎで、拾って垂れ込み部屋にメモするだけで精一杯です(--:
ちょっとエントリーの内容から外れているかもしれませんが、こちらにあげますね。
バカ殿がわめいている不適格教員の首切りですが、そもそも不適格な教員って誰?という素朴な疑問に対する現場の声、例によって例のごとくの他力本願シリーズです。
(引用開始)
ダメ先生って?難題
教育改革に取り組む大阪市の橋下徹市長が「不適格教員」排除の仕組み作りに意欲を燃やしている。身内に評価を任せていてはダメ先生はいつまでもいなくならないとして、保護者にピックアップしてもらうか、あるいは栢対評価を徹底するか、市議会で議論が始まる。だが排除で学校はよくなるのか。そもそもダメ先生はどのくらいいるのか。現場の校長を訪ね、本音を聞いた。
橋下教育改革 校長は…
「不適格の基準悩む」
「排除で学校よくなるのか」
関西の公立小・中・高校長5人に、性格や能力に問題がある「不適格教員」は実際どの程度いるか尋ねると、「ほほゼロ」から2割まで様々。共通していたのは「どの先生を不適格とみなすかは難しい」「排際すれば問題が解決するのか」という苦悩だった。
「2割程度はいる」と厳しい見方をした高校の校長は、「保護者や生徒の目が光っているという意識を教員に持ってもらうためには、保護者に申し立て権を持ってもらうのも一つの方法だと思う」。教える技術は助言で改善できても、意欲や性格を変えるのは難しいからだ。
最近もこんな教師がいた。生徒に問題を解かせ、正しく答えると「よくお前に解けたなあ」。課題を出す時も「どうせできひんやろ」。本人は軽口のつもりらしいが、生徒は傷ついていた。注意しても「自分はこういうやり方でやってきた」と耳を貸さない。
しんどい家庭事情を抱え自尊心の持てない生徒が多い。教師に必要なのは、卒業後に社会でちゃんと生きていけるよう勇気づけることだとなぜ分からないのか。「このままでは研修を受けてもらうかも」と告げた。効果はてきめん。表情がこわばり、以後は言動を改めたという。
一方で、このやり方でいいのかという思いもある。人は人の中でもまれることでしか成長しない。「缶詰めにして再教育すれば済む話でもないでしょう」
ある小学校の校長ほ「衆目が一致する不適格教員なんてなかなかいない」という。最近、ある教員に「宿題が多い」と保護者の指摘があった。塾の宿題があり学校の宿題が負担になっているという。だが塾に通わせていない保護者に聞くと「教育熱心な先生でうれしい」。「評価が人により正反対になることは少なくない。申し立て権は保護者同士の対立を生むだけでは」
中学校の校長は、不適格教員を排際すれば学校がよくなるという考えに疑問を抱く。「どんな組織にも一定数ダメな人はいる。きりがない」。支える環境づくりこそ重要だと話す。
生徒の関心を授業に引きつけられない若手が複類いて困った時期があった。ベテランが一計を案じ、他の教員の授業を見学したらハンコをもらう「スタンプラリー」を始めた。先輩の授業を見学しやすい雰囲気が生まれ、「話に間を置くことで集中力を途切れさせないのがすどい。自分も工夫したい」などの感想文が次々寄せられたという。
問題は、インターネットの普及で情報入手が容易になったこともあり、教師のつながりが薄まっていること。「教員に大切なのは知識だけでなく子どもに向き合う姿勢。それは人の中でしか生まれないのだが」
世の中は優秀な人間ばかりではない。大人も子どももいろんな人間がいるのが現実社会だという。 「その中でどう生きていくのか。みなさんにも考えてほしいのです」
(阪本輝昭)
保護者過半数「子どもらの評価」 内閣府アンケート
国は、教える内容に間違いが多い、子どもと人間関係を築けないとして教育委員会から指導力不足と認定された教員は研修を受けねばならないと定める。毎年全国で数百人、大阪市では数人が研修を受けており、全教員に占める割合はほぼ同じ。だが大阪市立の学校には1万人を超す教員がおり、学校に不満を持つ保護者が多いのにこれでは実態を反映していないというのが橋下市長の意見だ。
当初は一律約5%の教員に最低評価をつけ、2年連続で最低なら免職の検討対象とする条例制定を目指した。だが教育委員会が 「仕事内容が異なる現場に相対評価はなじまない」などと反対したため撤回し、保護者が不適格教員の排除を申し立てる制度の検討を指示。「7%、8%、10%ぐらい申し立てが出てくるかも」と期待してきた。
だが市議会では「後ろ向きな仕事を保護者に委ねる仕組みはおかしい」などの反対論がある。橋下氏は、申し立て制度を作らない学校では相対評価を復活する可能性に言及している。
内閣府のアンケート(06年)では、53.1%の保護者が不適格教員判定の基準は「子どもや保護者からの評価が最も重要」と回答。ベネッセと東京大学の共同調査 (08年)では、57.5%の保護者が「先生は信頼できる」と答える一方、指導力の差が大きい」が78.6%、「教える力が低下している」が49.6%だった。
関西の公立学校校長に聞いた「私の出会った不適格教員」とその比率
高校
実際に出会った「不適格」教員の例
マニュアル的な指導を振りかざす。
生徒や保護者の悩みを理解しようと
しない。他人の助言に耳を貸さない
不適格教員の比率を推測すると?
数%
高校
実際に出会った「不適格」教員の例
生徒指導が出来ない。きちんと叱る
べき場面でも物おじする。あるいは
生徒の心を傷つける軽率な発言をする
不適格教員の比率を推測すると?
20%。ただし、改善の余地のない
ケースは数%どまりでは
中学校
実際に出会った「不適格」教員の例
そもそも子どもが好きではないという
態度を見せる。生徒たちの成長や
変化にもほとんど無関心。
不適格教員の比率を推測すると?
ほとんどいない
中学校
実際に出会った「不適格」教員の例
チームワークが出来ず、教員同士で
情報共有をしようとしない。授業の
作り方がワンパターン
不適格教員の比率を推測すると?
2~3%
小学校
実際に出会った「不適格」教員の例
子どもたちに教えている教科内容を
そもそも十分理解していない。授業も
ほとんど教科書を読み上げるだけ
不適格教員の比率を推測すると?
1%前後
(引用終了)
例によって、バカ殿の妄想と現場の声の乖離が見られるように感じますね。
一口に「不適格」な教員といっても、どういう視点で見るかで変わってしまうんですよね。記事の中にある、
>最近、ある教員に「宿題が多い」と保護者の指摘があった。塾の宿題があり学校の宿題が負担になっているという。だが塾に通わせていない保護者に聞くと「教育熱心な先生でうれしい」。
ってのは典型的な例でしょうね。まあ塾にも通わず宿題も嫌いだった私にとっては、量の多少にかかわらず宿題をだす教師は不適格だ、というのは冗談ですが、そんな論法だって成り立ちかねないわけですよね。
また、自身の発言によって生徒を傷つけたという教師だって、生徒によっては「おもろいおっさん」の教師として、評価するかもしれません。
ある生徒にとっては最良の教師でも、別の生徒にとっては最悪の教師ということは、いくらでもありうることですねよ。
バカ殿にとっては、学力テストの点数だけが評価の対象のようですが、一部の生徒にとっての最良の教師を切り捨ててしまう可能性も考慮すべきでしょう。教育基本条例とやらで、教師を選別できるのか、大いに疑問です。
>mimosa様
私は基本的にヘタレなので、勝ち目のない戦いはいたしません。ブログ主様の仕事量に勝とうなんて、恐れ多いことでございます。(笑)
人の親ではない私が言うのもなんですが、「改革」の名の下に次々と教育のセーフティネットを奪っていく様は、親の立場になれば寒気がすると思います。
別のコメントであげた桂ざこばのような盲目的な信者にとっては、なにかやっていることが重要なのであって、何をやっているかは問題にしません。
こうやって、伝えてくれる記者が居るのが救いですね。そして、声をあげ続けるのも重要だと思っています。