コメント
確かにその通りなのですが、付け加えて言えば、個人的に「君が代が好き」かと「国歌として認める」かも別問題なのではないでしょうか?
国歌とはその国の有り様を対内的にも対外的にも指し示すもの、ですよね。
対外的には国旗と共に、ある意味「名刺」のような役割を果たしていると思います。
さらに突っ込んだ言い方をすれば「日本とはこういう国です」という表明とも言えるでしょう。
となれば、やはり「国歌」とは単なる「好き」「嫌い」といった「好みの問題」に矮小化されてはならない、という問題を抱えていると思うのです。
今はそんなことを言っている事態ではない、と言われる方もいるでしょうが、今だからこそ「君が代」が国歌としてふさわしいか、の議論を絶やしてはいけないと考えます。
教師達が「起立・斉唱」を拒否した理由を、単なる「好み」「好き嫌い」の問題にスリカエさせてはいけないのです。
このタブーを恐れていては、民主的社会実現はじりじりと後退していくように思います。
ある卒業式の風景
卒業式の朝、職員室に入ると、これまでにない異様に緊張した空気を感じた。まもなく校長と教頭が打ち合わせを終わり、職員室に入ってきた。校長は、都の通達の趣旨をもう一度確認し、「なお今日の卒業式には、都の指導課長と指導主事の方がお見えになります」と付け加え、いろいろ考えもお持ちでしょうが、気持ちよくおこないましょうと締めくくった。
式場に入ると、見覚えのない顔が3人ほど並んでいた。なるほどこれが、校長が言った都の指導課長と指導主事かとあらためて確認した。
やがて卒業生が入場、着席した。そして開会の言葉のあと、国歌斉唱に移った。私は起立して周りを窺ったが、やはり数人の先生が着席したままであった。ピアノの前奏が始まった。そして厳かな気分に浸った私は、低い声で歌い出した。私は、君が代は声を張り上げて歌うものではないと、普段から思っているのだ。
歌いながら、ふと強い視線を感じた。思わずそちらに顔を向けると、ひとりの指導主事が貼りつくような目で私を見ている。それは、こいつは本気で歌っているのか、いやいや歌っているのかと探っているような目だ。しばらくして、視線は隣のS先生に移った。
私は一瞬、自分の心の中を覗かれたような不快感に襲われた。同時に怒りの感情がわき上がってきた。「私はこれまで、当然のように君が代を歌ってきた。そして今も自分から歌っているのだ。斉唱を拒否する先生と違うのだ」。
しかし、心のなかで怒りを爆発させた後に、やりきれない気持ちが生じてきたのだ。しばらくの間、その正体がわからなかった。私は自分から歌っていることをわかろうとしない指導主事のことを怒ったのか?拒否する先生と同じような目で見られたことに腹を立てたのか?そうだとしたら、なんという卑屈さだ!
気がついたら、歌うのを忘れている自分に気がついた。
[過去の残照ではなく
私は昭和30年代後半の生まれですが、私の小、中、高校時代の恩師の先生方には、当時まだ30際前後の、今思えば「団塊の世代」が多くいました。そして調べてみると、今は20%代の日教組の組織率も、50%以上あった時代でした。そしてはっきりした記憶はないが、当時、私の県では入学、卒業式では大体、君が代斉唱はあったように思います。しかし、君が代斉唱で揉めていた記憶はまるでありません。私は現在の君が代問題は「団塊の世代のロマンチズム」のせいばかりではないと思っています。(当時の先生方の多くは既に退職されたようです)私には、これは「過去の何かの残照」ではなくて、むしろ、今現在の社会から噴き出している問題のような気がしてなりません。私自身は「不起立支持派」というよりは、「強制反対派」ですが、しかし、そのことで議論するよりも、近年なぜ、このことが急速に問題化して来たのかが気になっています。
文科省 平成20年度 教職員団体への加入状況に関する調査結果について
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/jinji/1263018.htm
グラフ
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/jinji/__icsFiles/afieldfile/2011/01/13/1263018_1.pdf
また、橋下徹氏ですが、私には橋下氏自身がさほど「おそるべき人物」だとは思えません。むしろ、おそるべきはここまで彼を持ちあげてしまった、一部の知識人やマスコミも含む今の日本社会の空気であると思っています。
へぇ・・・
てか、
『君が代を強制するのは、大日本帝国のロマンチシズムに過ぎない』
これは正解でしょう。
社会常識
「会社の業務命令に従わなければ解雇される」という
社会常識の話が通じないとはね。
職業選択の自由があるのに何故公務員でいるのですか?
>社会常識
社会常識の話が通じないとはね。
それ以前に起立の強制は憲法の「思想信条の自由」を侵害しているので会社命令だとしても従う必要は無いと思うんですが・・・
>名無しさん
>「会社の業務命令に従わなければ解雇される」
業務命令に従わなかったから即解雇ってどんなブラック企業ですか。たとえ会社でも君が代を歌えという業務命令に違反した過度で解雇したら、不当労働行為で訴えられます。解雇は無効になるでしょうね
>03/16 07:55 By: URL へ
へぇ、その会社の“業務命令”が日本の最高法規である【日本国憲法】に背くものであっても、クビになるのですか?
日本は“法治国家”ですよね?…。
『法律を守りましょう』というのが、社会常識とチャイますのん?。
公務員の皆さんにも、“思想・良心・信条”の自由はありますよ…。人権意識の欠片もない貴殿の認識は、改めないと、貴殿のまわりの方々を知らないうちに、深く傷つけてしまうことをご自覚なされた方がよろしいかと、わたしは考えますよ…老婆心ながら…。(^_-)-☆
ps. H.N.をつけましょうね…。こちらのblog様のルールですよ…、あなたには、“社会常識”がありませんね…。 それと、橋下市長のあらゆる蛮行が、いかに社会常識から逸脱しているかが、各エントリーに丁寧に記されていますので、よくお読みになると良いかと…。きっとご自分の考えの浅はかさに気づかれる筈です。わたしも、そのひとりですもの…。(。^p〇q^。)プッ
入社した直後に経営陣が法に違反する行為をしていた。
これを知った当人は退職すべきですか?
違うでしょう。
その違法行為を止めさせるのが筋です。
ホイッスル・ブロワーと公益通報者保護制度は何のためですか?
こういう事が罷り通るから「日本の組織(企業、学校)は憲法番外地」と批判される。
>yasuさん
もちろんこの問題も避けてとおってはいけない、というかそもそも拒否する発端はここですものね。
この問題は私たちの歴史認識の問題です。
まずは君が代について歴史的事実を知らなくては話になりません。日本ではこのスタート地点をすっ飛ばしています。
君が代の歴史について学んだ後、君が代をどう思うかの議論も当然行うのが望ましいでしょう。でも最終的にどのような価値観をもつかは個人の自由であり、それは尊重されねばなりません。
その上で国歌を強制するのは憲法19条の思想良心の自由に反しないか、という論点にも入るのがいいかと。
一応これは、君が代に限らずおよそ国歌という物を強制して良いか、というレベルの話になります。(ここでは君が代は国歌としてふさわしいか、という話はちょっとわきに置くことになります。)
この二つの論点双方とも十分に学校で議論されるのがいいと思います。
ハシストも何人かご来店のようで
元愛媛県警察鉄道警察隊の仙波敏郎さんは、裏金作りに協力するよう上司から繰り返し強要され、これを拒否し続けた事で試験を通過しても昇進出来ませんでした。
(地元の暴力団情勢に通じていたため刑事になってもおかしくなかった)
あなたの感覚では、違法行為であっても職務命令なら加担すべきだというんですね?
名無しさんへ
>「会社の業務命令に従わなければ解雇される」という
>社会常識の話が通じないとはね。
馬鹿な事を言っているのはあなたです。
あなたは働いた経験はおありでしょうか。
会社において、君が代であれ社歌であれ、強制的に歌わせ、歌いたくないものは
解雇するなんてことをしたら、ブラック企業です。
トンデモない会社です。
どうして強制を肯定する人たちは、学校現場をブラック企業に見習わせようと
するんだろうね。全体主義に見習わせようとするんだろうね。
以前、ショッピングモールで働いていた私の知人は、クリスマスの時、サンタさん風の
衣装を着て仕事するように言われました。他のスタッフはみんな着たそうですが、
しかし、彼女は、入信している宗教の教義を理由にそれを断りました。
しかし、首だの減給だのという話にはなりませんでした。
それがフツーの会社です。年に一回の行事で、思想信条によってどうしても従えないことがある。
彼女にとってはそれが大事な問題なんです。
それが日常的に業務に差し障りをもたらすものでもない限り、また、
普段当人が職務に沿って真面目に勤務している限り、それは仕方のない事です。
特に
国歌斉唱を強制することは民主主義国家のすることではありません。
民主主義国家でこんなことをしているのは日本だけ。
常識を持ち出すのならば、
強制することこそが、社会的に非常識です。
そして、
世界の常識に照らし合わせても非常識。
こんな非常識な強制と処罰はいい加減やめ無ければなりません。
「業務命令に従わないから一発解雇なんて、普通の会社ではまずあり得ない」という回答がくることくらいわかっているでしょうに。
そういう回答が山ほどくることを前もって期待しているとしか思えませんね。
予想できる流れにもっていくことで、ご自身が何か他のことを追及されることを避けているのではないでしょうか。
国旗国歌法をめぐって
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%97%97%E5%8F%8A%E3%81%B3%E5%9B%BD%E6%AD%8C%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B3%95%E5%BE%8B
忘れっぽいなー >私。(><)
やっぱり君が代問題が深刻になってしまったのはこのたたり、じゃなくて、あたりからのようですね。1999年は石原慎太郎氏が初めて都知事に当選された年でもあるけれど、知事になる直前まで「日の丸は好きだけれど、君が代って歌は嫌いなんだ、個人的には。歌詞だってあれは一種の滅私奉公みたいな内容だ。新しい国歌を作ったらいいじゃないか。好きな方、歌やあいいんだよ。」とリベラルな発言をしていいた石原氏が、ああいう路線を行ってしまったのはやっぱりこの法律の影響だったのでしょうか?
この「国旗国歌法」について、検索していたら、こちらのブログ、「旗旗(はたはた)」さんのエントリーが、これについて、興味深い記事を載せています。
2011 年 3 月 3 日 「君が代」の替え歌で懲役2年もー自民党が法案提出を検討
http://bund.jp/modules/wordpress/?p=7664
----------------------
(以下上記ブログより引用)
まず、「日の丸」と「君が代」(以下「ひのきみ」と略)を国旗・国歌と定めたのは、まだ記憶に新しい小渕内閣の時だったはず。少なからぬ反対意見の存在を無視して、全国民的な合意を放棄し、「多数決」で強引に決めてしまったという経緯があります。これは個人の思想信条というよりも、さらに微妙な「心」の問題でもありました。つまり(政治的な)表現の自由の問題というより、もっとも基本的で大切な内心の自由、個人の良心のあり方に関する問題です。
これはあの中曽根政権ですら(むしろ右翼色の強い中曽根政権では)できなかったことです。ではなぜそんな最近まで、日本には国旗も国歌もなかったのかと言えば、もともと日独伊3国の中で、ファシズムと侵略戦争の象徴だった当事の国旗を、戦後もそのまま用いようとしたのは日本だけだったということがあります。そのために戦後まもなくから「国旗国歌法」制定の直前まで、「戦後の新国家にふさわしい新しい国旗・国歌を定めるべきだと」いう議論が結構根強かったのです。これに対して政府が、新憲法制定の頃からのらりくらりと抵抗して時間をかせぎ、既成事実を積み重ねてきました。
要するにこの旗は、もともと明治天皇体制や戦前の大日本帝国を(多かれ少なかれ)肯定してその原理を戦後に持ち込もうとする人たちのシンボル(右翼の旗)としての性格があり、実際にもこういう人たちが戦後も必死で護持してきた歴史がある。もちろん一般にはもっと素朴で土着的な意識もあるでしょうが、こういった歴史に着目した場合、この旗は、右から左までがその立ち位置に関係なく、少なくとも「自分達の国の旗」として一致して認める(国民的合意)ことが最初からできない宿命にあるのです。その点で他国の国旗とはかなり違う特殊な性質があります。「日の丸」のこういった性質については右翼の人も実は気がついているはずで、つーか、それを反省するのではなく、むしろ「そういう旗」としてのまんま強制するから、ますます「日の丸」にイデオロギー色がついて対立が深まっていったということだと思います。
そのような歴史的な経緯があるからこそ、「国旗国歌法案」は、少なからずいる、何となく「ひのきみでは嫌だな」と感じる人など、そういう素朴な個人の内心の自由や良心の問題に、その人の自由意志ではなく、人の「心」に国家が土足で踏み込んで、特定の価値観を強制する法案ではないのか、あるいはそこまでいかなくても、今後は数々の無言の圧力で個人の内心の自由、さらには表現の自由さえもが踏みにじられたり、社会的な圧力がかかるのではないか、そういう危惧や質問が何度も何度も何度も法案審議の過程でなされたわけです。
それに対して時の自民党政権は、やはり何度も何度も何度も、これは政府として「ひのきみ」を国旗・国歌とするだけであり、その決定を国民に強制するものではない、「ひのきみ」では国旗・国歌にふさわしくないと思う人の内心の自由は尊重するし、もちろん「ひのきみ」に反対するような表現の自由だって侵害しない。ただ政府の立場として国旗・国歌だと決めるというだけである。要するに「今までと何も変わりませんよ」と言っていたはずです。それなら別に「日の丸」を「これを国旗とは認めない」と思う人がいても、また、実際にそう主張したとしても何の問題もないはずです。だからこそ、当事の国民の多数は、そういう人の思想信条の自由も保障されるという点をもひっくるめて、「まあ、特に問題ないんじゃない。今さら変えるのもなんだし」という人が多かったわけです。
(中略)
つまり、「ひのきみ」反対派の意見は、「厳密に言えばそうなんだろうけど」と、理屈としては一定の理解を勝ち得ていたわけですが、「まあ、そこまで固いこと言わんでも」とか「別にそんなことまで考えて歌ってないよぉ」という土着的な意識を突破するところまではいきませんでした。決定的なのは、「変えるといったって、いったい具体的にどんなもんにするの?」という段になると、みんなが「おお!これなら!」という代替物がなかったことが大きい。このへんは既成事実の積み重ねが効いていて、「もういまさらだし、これでいいじゃん。生まれた時からあって、しっくりくるし」ということだったんだろうと思います。実は高校時代の私もそんな感じだったかなあ。
(引用終わり)
------------------------------------------------------
「旗旗(はたはた)」のブログ主さんは「世がバブル景気で浮かれている真っ最中に、ヘルメットかぶって革命運動をしていたヘソ曲がりですが、」と自己紹介されていて、それを見た時、もともと「左右いずれもの“政治活動家”が嫌い」だった私は、正直言って、ちょっと引いてしまったのだけれど(ゴメンナサイ!)でも、書かれていることは、とても「普通」で私的にはしっくりきました。
>風鈴草様…
>私は昭和30年代後半の生まれですが、私の小、中、高校時代の恩師の先生方には、当時まだ30歳前後の、今思えば「団塊の世代」が多くいました。そして調べてみると、今は20%代の日教組の組織率も、50%以上あった時代でした。そしてはっきりした記憶はないが、当時、私の県では入学、卒業式では大体、君が代斉唱はあったように思います。しかし、君が代斉唱で揉めていた記憶はまるでありません。
わたしも1960年生まれで、ほぼ風鈴草さんと同年代でしてなんとなく懐かしみを感じました。わたし自身の学生時代や卒業式も風鈴草さんのそれによく似ています。高校時代、わたし自身“民青”に加入し、生徒会長として生徒会活動に明け暮れていました。高教組加入の先生方が数多くおみえになり、民青の活動にも理解を示して下さり、先生を講師に招き、地域の高校生を集め“生き甲斐サークル”なるものを開催し、悩みとか将来の夢などをワイワイがやがやお菓子を食べながら青いエネルギーを発散しとりました。(。_゜)〃ドテッ!講師役の先生には『戦争の悲惨さや人権の大切さ』などを教えて頂きました。今、橋下市長は、そうゆう教員や組合活動を“敵”と見做し袋叩きにしていることに対し、腹の底から怒りを感じています。
>おそるべきはここまで彼を持ちあげてしまった、一部の知識人やマスコミも含む今の日本社会の空気であると思っています。
全く同感です。元ジャーナリストで作家の辺見庸さんが指摘されてみえました…。『マスコミを含めた商業主義は、“人間愛”から“地球環境”に至るまで資本主義に邪魔なものまでをも金儲けの商売道具に利用し、社会の醜態をまやかしのコーティングで隠し、大衆に本質を気づかせない様に策略している。』と、痛烈に批判しました。
君が代起立斉唱強制問題も“君が代”自体の善悪の問題ではなく、大衆の連帯・団結を分断し、個個人をバラバラにし、権力体制側に抗う力を弱めるために利用されているに過ぎないんだと思います。しかしながらこうゆうことを看過すれば、気がついた時…自宅の窓を開けたら、銃弾が飛びかい、お隣りの次男坊が今朝がた戦地へ徴兵されて、母親が号泣している何とも怖い時代に逆戻りしてしまうんですね。(。^p〇q^。)プッ
>気がついた時…自宅の窓を開けたら、銃弾が飛びかい、お隣りの次男坊が今朝がた戦地へ徴兵されて
>母親が号泣している何とも怖い時代に逆戻りしてしまうんですね
誤解について一言。
徴兵は全ての適齢かつ健康な男子を予備役兵に養成するもので(イスラエルや韓国でやってますね)、軍隊の右も左も分からない素人をいきなり戦線に送り出す事は絶対にしません(それこそ非人道的で軍部の方が叩かれます)。
この場合は「予備役臨時召集」になります。
大人げない
>歌うか歌わないか個人の自由だから歌いたい人が歌うのを尊重するし、その邪魔はしない。ただ、歌いたくない者にま>で強制してくれるな、と言っているのです。
起立しないことをもって邪魔しています。
生徒を導くべき立場にある教師が、卒業式であえて主張するほどのことでしょうか?
そこは大人として、その場に合わすというのが妥当ではないでしょうか。
日本では、デモでも、論文の発表でも他にいくらでも自分の主張をする場はあります。
なんで、卒業式というイベントで調和を乱してまで自分の思想信条を主張する必要があるのか理解に苦しみます。
例えば、教会で結婚式を挙げるときに、
「神など存在しないのに神になど誓えるか」という人を違和感なく受け入れられますか?
そういう人に対して世間は「大人気ない」と思うのが普通だと思います。
聖職者として、大人として振舞って欲しいと思います。
個人の自由を履き違えていませんか。
>どうしようもない人さん
これが事実。
押しつける方が自由をはき違えていますよ。
首相の資格なし
思想調査アンケートはその矛先が、市民に向けられる許されないものであることが、山下芳生参議院議員により白日の下に晒されましたね…。 秘密警察が跋扈する密告社会になり兼ねない危険性も指摘されましたが、野田首相の答弁を耳にして、開いた口が塞がりませんでしたよ…。 日本国憲法を遵守する責務を負う政府の最高責任者の答弁ではないですよね…。 この様に“日本国憲法”を軽視する野田氏には、首相の資格は、全くないですね。
>ASさん…
ご指摘頂き感謝します。
ただわたしが言いたかったのは、石原慎太郎や橋下徹、田母神某の様な、とんでもない『核武装容認論』を吹聴して憚らない軍国主義パラノイアが、国の中枢に就いた場合に、あらゆる法規を無視する可能性が非常に高いことを危惧しているのですよ…。何をしでかすか解ったものではありません。 充分に警戒する必要があると考えます。 橋下徹に擦り寄る何の矜持も信念もない腑抜け政治屋の輩の醜態を見せつけられると、日本国憲法がなくなるのも時間の問題ではないかと危惧しています。 ASさん…いつも勉強になります。感謝します…。
学園紛争当時の全共闘による講義中の教室乱入・宣伝みたいな事があればこれは非難されて当然でしょう。
本件は違います。
業務妨害的行為や個人の主張的行為がどこにあったというのですか?
あなたの批判こそお門違いです。
“どうしようもない人”さんにもう一つ
神を信じない人は教会で結婚式などしません(神に誓うのは結婚する側です)。
自説の正当性を主張したい余りにあさってを向いた事を書くのは止めましょうね。
青い鳥さん
村野瀬玲奈さんのところでも、しばしばお見かけしましたね。(^^) 私もなんとなく、同世代の方ではないかと思っていました。今後ともよろしくお願いします。
私自身は幼稚園時代からの“学校不適応児”で集団生活そのものになじめず、ずいぶん苦労しました(いい歳の大人になった今も、苦労が消えたわけではありませんが)。今なら、アスペルガー症候群とか、ADHDとか、細かく診断してもらえるようですが、当時はただの「変な子」でした。(^^;) それでも、まだ若かった先生方の、「息吹」のようなものは感じていました。少なくともあの頃の先生方はそれぞれが「自分の考え」というものをしっかりとお持ちだったかと思います。だからと言って、その考えを生徒に押し付けるというのでもなく、親とも他の人たちともちがう、こういう考えも世の中にあるのだな、ということを教えてもらったような気がします。(そういう話は、だいたい授業の中では“無駄話”なんですが、そもそも生徒というものは、後になると先生の無駄話しか覚えていなかったりするものですよね。w 今の子どもたちが、先生たちにそんな無駄話をしてもらっているのかどうか、ちょっと気になります)
私は、高校を一度中退し、定時制高校へ編入したのですが、当時のクラスメートたちは、近くの大学病院で働く準看護師さん、美容師見習いさん、大工の卵、30代~40代のおじさんおばさんたち、外国人など、全体の人数が少ない割には“多士多彩”でした。また、そのころから、私のような「全日制からの落ちこぼれ組」も次第に増えてきていたようです。先生方も大卒後、ストレートに教師になった人はむしろ少なく、他の職種からの転職組が結構いました。定時制の生徒は一応、“社会人”という建前なので、先生たちも面倒な生活指導や進路指導から解放されて、のびのびされていたようです。授業も「学習指導要綱」から離れて、生徒が興味を持つようにアレンジして教えてくれたり、時には(しばしば?)授業を潰して、トランプゲームに興じることもあり、教師というよりは、よき兄貴、姉貴分といったような感覚で楽しく付き合っていたような気がします。生徒の中では人数が多かった準看護師さんたちは、夜勤の多い勤務の合間に学校に来ているようなものなので、しばしば居眠りをしていましたが、先生たちは誰も咎めませんでした。彼女たちの多くは遠い地方から出て来て働いている人たちでしたが、先生たちには職場の悩みや恋愛の相談にも乗ってもらっていたようでした。
当時30代前半だったと思われる社会科の男の先生は、他の先生や生徒たちからも一目置かれていたような人物でしたが、試験というと、マルバツや、人名を書けばよいようなものばかりではなく、自分の人生や社会について深く考えさせるような題で、小論文を書かされたことをよく覚えています。また、「今の授業のようなやり方では、幼稚園から大学まで同じようなものなんだ」と言われ、歴史の授業の一部をゼミナール方式でやってくれたのが、とても刺激的でした。(ちなみに、私に与えられたテーマは「幕末の開国をめぐる動き」でした)
思えば、当時はまだ日本には存在していなかった「フリースクール」にも似た、自由な雰囲気の学校でした。私の人生で、通うのが楽しかった唯一の学校だったかもしれません。今の普通の高校にもこんな雰囲気が少しはあったらいいのにと思います。
どうしようもない人様
不起立の教師は、民主主義の社会では内心の自由があるのだと身を以て教えたのです。そこで生徒は学ぶのです。
>日本では、デモでも、論文の発表でも他にいくらでも自分の主張をする場はあります。
卒業式で起立して、デモや論文で起立に反対するような、矛盾した行為ができますか?
>なんで、卒業式というイベントで調和を乱してまで自分の思想信条を主張する必要があるのか理解に苦しみます。
卒業式は生徒にとって、学校生活を終えることを確認する時です。その思いを共有する時なのです。そして教師と仲間たちの別れを意識する時なのです。生徒は「私の先生が不起立している、あの先生らしいな」と、教師の生き様を見つめ、それを含めて学校生活を振り返るのです。式の途中で泣き出す生徒もいるでしょう。それが式の調和を乱しますか?一人ひとりの思いが、一つになるのです。それが卒業式です。
日の丸、君が代に染みついた「物語」
> 要するにこの旗は、もともと明治天皇体制や戦前の大日本帝国を(多かれ少なかれ)肯定してその原理を戦後に持ち込もうとする人たちのシンボル(右翼の旗)としての性格があり、実際にもこういう人たちが戦後も必死で護持してきた歴史がある。もちろん一般にはもっと素朴で土着的な意識もあるでしょうが、こういった歴史に着目した場合、この旗は、右から左までがその立ち位置に関係なく、少なくとも「自分達の国の旗」として一致して認める(国民的合意)ことが最初からできない宿命にあるのです。その点で他国の国旗とはかなり違う特殊な性質があります。「日の丸」のこういった性質については右翼の人も実は気がついているはずで、つーか、それを反省するのではなく、むしろ「そういう旗」としてのまんま強制するから、ますます「日の丸」にイデオロギー色がついて対立が深まっていったということだと思います。
「つーか、それを反省するのではなく、むしろ『そういう旗』としてのまんま強制するから、ますます『日の丸』にイデオロギー色がついて対立が深まっていったということだと思います。」っていう、このところですね。
戦後日本の国旗が「みんなが慣れ親しんでいるから」という、“ 素朴で土着的な愛着 ”を重視しての「『日の丸』のままでいきましょう」ということであったのなら、それはそれで、まだ良かったと思うんです(少なくとも国内的には)。しかし、日の丸と君が代を神聖視して支持する人たちは、どこまでも「明治天皇体制や戦前の大日本帝国を肯定し、そのシンボル」として、他者にも押し付けたがって来たようです。旗旗さんの、「『そういう旗』としてのまんま強制するから、ますます『日の丸』にイデオロギー色がついて対立が深まっていった」というご指摘には思わず肯いてしまいました。
実は私は若いころの一時期、某宗教右翼の青年会員でした。私の高校中退にショックを受けた母が、近所の奥さんに勧められて入信してしまい、その母に懇願されて、一種の「罪滅ぼし」として (^^;) 教団の青年会に入っていたのです。とはいっても、私の世代の会員たちは、一部の幹部役員を除けば、政治的な意識はあまり高くはありませんでした。ふだんの活動はといえば、時々、教祖の先生の書いた「聖典」の輪読会をやる程度でした。しかし、その一周り以上年上の先輩たちの中には、左翼中心の学生運動の中で、右翼セクトを形成して闘い、その後も政治活動を続けている人たちもいました。(「日本を守る国民会議」とかいえば、見当がつく方も多いでしょう)ともあれ、世間から「宗教右翼」と呼ばれてはいても(というか、呼ばれていたことさえ、知らなかった。笑)私が入った当初は、さほどのことはしていなかったのです。ところが、やがて「天皇ご即位六十周年記念事業」なるものが始まりまして、そのころから上記の先輩たちの活動を手伝わさせられたり、右派の論客の講演会へ連れて行かれたりするようになりました。「明治帝国憲法の復活」とか、マジで聞かされてしまい、さすがに「これはかなわん」と思って(もちろん、引き止めはされましたが)必死で退会しました。
(実は当時、教団本部自体は、おそらくは現教主であるアメリカ帰りの三代目氏の意向で、一切の政治活動から手を引く決定をしていました。上層部から「政治活動をするなら出ていって欲しい」と言われたとかで、「先輩たち」の多くは、すでに教団そのものからは退会していたのですが、私たち平の青年会員は、はじめはそれさえ知らされずに手伝わされていました。この辺は、今も誤解している方もいるようですが、事実です)
教育についても「戦後の間違った教育のせいで、今の子どもや若者たちがどれほど悪くなっているか」とよく聞かされました。(いつの時代も、子どもは「問題児」で、若者は「ろくでなし」のようですが・・・)特に、父祖の時代の自国を悪く教えるような歴史(いわゆる自虐史観)は最悪で、「そのために、この国の青少年がおかしくなってしまった。これからは日本人として誇りが持てるような、正しい歴史観を持たせなければいけない」ということから、新しい歴史教科書をつくろうという動きもあったようです。おそらくそのあたりが、後に扶桑社の歴史教科書が出来たことにも、つながって行ったのではないかと思います。
おそらく、今の三十代以下の若い方には「日の丸」、「君が代」が経て来た、こうしたもろもろの「物語」を御存じないまま、「公務員である教師がルールに従わないなんて」と憤慨されている向きもあるかもしれませんので、御参考までに。
>風鈴草 さんへ
風鈴草 さんの学生時代…凄く充実されていて羨ましいです…。わたしも学生時代の思い出は、気のおけない友達や、気さくな先生方のことが多いですね…。 風鈴草 さんや、わたしらの世代の教育は何の束縛もなく、先生方も民主的な方々がたくさんみえて自由を満喫させて頂けたという感謝の気持ちが大きいですよね…。財産とも思えます。
橋下市長の教育に対する態度は、やはり駄目だと、風鈴草 さんの学生時代の情景を想像し、あらためて思いました。 やはり教育の本質は、“自由”だと改めて考えます。
校長が口元をチェックし処分する…なんてなくだらないことを真剣にやり、首長が教育にあれやこれや介入し、思想弾圧に血眼になる…。やはり、いくら考えても常識はずれの感は否めませんね…。 風鈴草 さん…、ありがとうございました。こちらこそ今後ともよろしくお願いします…。(^人^)
「日本会議」「聖典」でピンと来ました。
>ASさん
まあ、今も母が信徒やってて、それなりにお世話になっていますからね。あまり名指しで言うのもどうかと思って。でも、わかる方にはわかってもらっていいつもりで書きました。私の場合、青年会と言っても女子部だったということもあって(一応、女なんです、すみません。(^^;) なんであやまるんだ? >私)、普段やってたことは、月に2、3回、数人が集まっては教祖の書いた本を輪読して、後はお茶を飲み、持ち寄ったお菓子や手作りのお料理なんかを食べなんかながら、互いに仕事や学校での悩みを打ち明け合う、といったごく気楽な「女子会」だったんです。正直言って、個人的にはその教義の一部に初めから疑問はあったんですが、せっかくの楽しい雰囲気の中で「カタイことを言うのも野暮だし」という気がして、誘われるままに時々、参加していました。たまに会う男子の幹部会員の中には、天下国家を論じて、すっかり維新の志士や坂本竜馬気どりみたいな人もいたんですが。(だから、橋本さんの「維新の会」とか「船中八策」とかを聞いた時は、それを思い出して、「やっぱり、あの種の男性はああいうところにあこがれるのね」って思いました)
ついでに、あの教団について、世間では今も誤解があるようなので、再び申し上げておけば、教祖の孫にあたる現在の教主は、なかなか理知的でリベラルな方で、祖父の著作の中でも、右翼的な政治思想の強いものはみな発行禁止にしてしまい、教団から政治的な要素を一掃して、活動の中心を「環境とエコロジー」に変えてしまいました。そのため、教団は分派を生み、過去に政治的な方面で活躍した元幹部らしき人からは「あれは、もはや左翼だ!」と激烈に批判されているのをインターネットの某サイトで見たことがあります。しかし現教主御本人の信念は揺らがないようで、最盛期より信徒数がかなり減っている(たぶん)ことも、さほど気にしてはいないようです。そして最近は、自給自足的な生活を目指して、教団本部と御自宅を山梨の山中に移されてしまいました。(そうした施設の電気は、ほとんど太陽光発電で間に合わせるそうです。こうしたことは3.11より、かなり前から計画されていたことのようですが、結果として先見の明がありました。)また、数年前ですが、母のところに来ていた教団の機関紙を読んだら、アメリカの「テロとの戦い」以来、西側諸国の中では何かと強い偏見を持たれるようになってしまったイスラム教とその信徒を擁護する、優れた特集を組んでいました。このような点から見ると、現教主は私的にはなかなか好もく思える方で、今なら「信徒」に戻ってもいいくらいなんですが、(^^;) 残念ながら、御祖父様のような、カリスマ性には欠けるようです。