厚生労働省は2011年12月、全国の生活保護受給者は206万5896人、受給世帯は149万7329世帯となり、ともに過去最多を更新したと発表しました。
別に「怠け者」が増えたわけではありません。政府はコレと言った格差是正、貧困対策にのりださないので貧困率は16%と高い数字を示していますから、生活保護申請は増加していて当然でしょう。
しかし、政府の行政刷新会議メンバーの生活保護受給者に対する差別と偏見、実態に対する無知、そして何より生活保護は生存権にもとづく基本的人権だという認識欠如の著しさには、絶句するより他ありません。
記事二つ、赤旗からです。
生活保護の「受診制限」「最賃除外」とは
人権踏みにじる議論 政策提言仕分け
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-11-24/2011112402_01_1.html
23日に行われた行政刷新会議の「政策仕分け」の生活保護の議論では、保護受給者は「自立した個人ではなく、支えられる人間」(佐藤主光一橋大学教授)などとして、憲法の保障する「法の下の平等」に反し、受給者の人権を踏みにじる議論が噴出しました。
「過剰診療を減らすために、受診できる医療機関や薬の種類を制限しろ」「最低賃金の適用除外にすれば、(雇うところが出て)就労につながりやすい」―経済的に困窮して生活保護を受けているからといって、そんな差別をするのか。「仕分け」で出された議論はあぜんとするものでした。
福祉施策を救貧のための“ほどこし”としかとらえず、被保護者にまともな人権を認めなかった19世紀的認識です。
そこには、雇用の規制緩和や大企業の「派遣切り」・リストラなどの横暴が、貧困と失業の増大を生んでいるという認識が欠落しています。
こうした議論がはびこる根底に、「自助」を基本として、それを国民同士の「共助」で支え、社会保障はそれらで対応できない人に限って与えられる「公助」だとする政府・民主党の認識(「税と社会保障の一体改革案」)があります。
社会保障は、憲法25条の生存権に基づいて国が国民に「健康で文化的な最低限度の生活」を保障するもので、国民の権利です。「自助」「共助」論は憲法の理念をゆがめ、否定する議論です。
「持てる者」に富を集中させて貧困を生み出さざるをえない資本主義の下で、自助や国民の相互扶助だけで老後、病気、失業などに対処することはできません。それゆえに生み出されたのが、集中した富を再配分する公的な社会保障です。
歴史を逆戻りさせ、憲法に反する議論は許されません。
(引用ここまで)
政策仕分け 生活保護切り捨て迫る
「医療機関・住む場所制限しろ」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-11-24/2011112401_01_1.html
政府の行政刷新会議の「政策仕分け」は最終日の23日、生活保護の受給者の急増によって保護費が膨らんでいるとして、いかに削減するかを議論しました。
仕分け人からは、「生活保護受給者は自立した個人といえないのに、医者を自由に選んでいいのか」「住む場所も、好き勝手にやらせているから問題が起きる」「家計管理能力が低いので保護費をアルコールやたばこ、不要不急のものに使いがち。そういった支出の分、保護費を減らせる」などの意見が続出。生活保護受給者について▽受診できる医療機関を制限する▽医療機関において価格の安い後発医薬品の使用を義務付ける▽住む場所を制限する▽最低賃金の適用を除外する―など、受給者の人権を侵害し、偏見を助長し、法の下の平等に反する施策を迫る暴論が相次ぎました。
医療費の増大が保護費急増の要因になっているとして、医療費削減の方策を議論。「医療費の抑制に一番いいのは自己負担を増やすことだ」との意見が出され、現行は無料で受けられる医療に自己負担を導入するなど、「あらゆる方策」で医療費を抑制するよう求めました。
また、最低賃金や年金水準の低さを問うことなく、「生活保護費が年金や最低賃金より高い場合があり、就労意欲を阻害している」などとして、生活保護支給額の引き下げを強く示唆する提言をまとめました。
「生活保護受給者は自立した個人といえないのに、医者を自由に選んでいいのか」
「住む場所も、好き勝手にやらせているから問題が起きる」
→まず、「自立した個人といえない」というのは人格否定の侮辱的表現ですね。こういう言葉一つにも生保受給者に対する差別と偏見が伺えます。
経済的な危機状態になったというだけでまるで
制限行為能力者のような扱いをすることに、正当で合理的な理由はありません。法の下の平等に違反して許されないことです。
生保受給者であろうとなかろうと、どの医者を選ぼうが個人の自由です。医者を選ぶ権利が制限されるいわれは全くありません。
住む場所の自由があるとどんな問題がおきるのですか。こんなのは明らかに居住移転の自由(憲法22条1項)の侵害です。
行政刷新会議のメンバーは、生保受給者だけのゲットーでも作りたいのですか?
「家計管理能力が低いので保護費をアルコールやたばこ、不要不急のものに使いがち。そういった支出の分、保護費を減らせる」
→これもまた、生保受給者は怠惰で無能力な人間のくず、みたいな「神話」に凝り固まっていますね。
生保受給者は皆、家計管理能力が低いから生保受給するようになったのだという無知と差別2万%の「神話」です。
この神話は今も人々の間に非常に根強く浸透しています。
「過剰診療を減らすために、受診できる医療機関や薬の種類を制限しろ」
→過剰診療といいますが、前回のエントリーで徳岡弁護士が「そもそも受給者の3割以上が病気や障害のあるから働けずに生活保護になってしまった方々で、高齢者も4割を超えているので、当然、医療機関にかかることが多い傾向にある」ことを指摘しています。医療扶助が多くを占めるのは当然ではないですか。
受診できる医療機関や薬の種類を制限って、人の命に等級をつけるつもりですか?身分制度があった封建時代の発想そのままですね。
「医療費の抑制に一番いいのは自己負担を増やすことだ。現行は無料で受けられる医療に自己負担を導入するなど、「あらゆる方策で医療費を抑制せよ」
→つまり自己負担分が払えないような貧困者は医者にかかるな、ということです。死ね、と言っているのも同然です。現に自己負担分が払えず医者にかかれなくて亡くなる低所得者の人々がいるのです。それをもっと増やせと?
生保受給者の医療費を削って彼らの命と健康を危険にさらす冷酷な政策に血道を上げるなら、自分たちの莫大な政党助成金を返納しろと言いたいです。
「最低賃金の適用除外にすれば、(雇うところが出て)就労につながりやすい」
→最低賃金適用外って、極端な話、足下見て時給100円で長時間労働させるのも可能なわけで、これ、比喩でも何でもなくて奴隷契約じゃないですか。どう考えても違法でしょうに!
今のようなネオリベ、市場原理主義社会では、貧困に陥る原因は雇用の規制緩和や大企業の「派遣切り」・リストラなどの横暴にあります。自分たちが貧困者を創出しておいて今度は更にその貧困者を最低賃金以下の低賃金で働かそうなんて、どれだけ強欲な二段構えのブラック企業合法化、奴隷契約合法化なんでしょうか。
こんなことしたら喜ぶのは低賃金でこき使える企業側だけ、使われる生保受給者はずっと最低賃金にも満たない端金で奴隷のようにこき使われ続け、貧困が固定化する構造を法制化するようなモノです。
「生活保護費が年金や最低賃金より高い場合があり、就労意欲を阻害している」などとして、生活保護支給額の引き下げを強く示唆する提言
→だったらタダでさえ低すぎる最低賃金や年金を上げるのが筋でしょう、最低賃金時給1000円にアップというマニフェストはどうなったんですか。
なんという鼻持ちならない上から目線。なんという差別。
この会議に感じられるのは
生保受給者は一般市民よりも一段低い卑しい身分だとでもいいたげな蔑視と、なぜこんなに生活保護が増えたのかに対する無知、そして生活保護はお恵みなどではなく憲法上の人権であることに対する無知です。
そのうち生保受給者は黄色い星でもつけろと言い出すんじゃないかしら?
自分たちの提案が法の下の平等に著しく違反する激しい人権侵害であることが自覚できないところにこの会議のメンバーには政治に携わる者としての能力の欠如があります。
そういう能力が欠けているのは国会議員や地方の議員、首長にもいますね。
人権感覚の欠如は政治家としての資格、能力の欠如だと声を大にしていいたいと思います。
憲法や人権についておよそ一度も学んだことがないとしか思えない人間が民主主義国家を代表になるなんて、なにかの悪い冗談としか思えません。
やはり、政治家に立候補するには憲法と人権について試験を受け、合格点を取った者だけが立候補して良い、という「議員資格試験制度」でも設けた方がよいかもしれませんね(笑)
現在の格差や貧困は個人の怠惰の問題ではなく、現在の社会構造に原因がある社会の問題なのです。どうしても一定の負け組を出す仕組みになっているのですから、社会はその責任は社会は負わねばなりません。
しかし野田総理が施政方針演説でも述べた「税と社会保障の一体改革」とは、手っ取り早く言えば消費税をめちゃめちゃ上げて社会保障を削りまくろうという開き直りです。
「税と社会保障の一体改革」はこの会議の差別的な政策を後押しすることになるでしょう。
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