コメント
「日の丸・君が代強制」って、かの「ハイル・ヒトラー!」と同じだろ
他の欧米の民主主義国家では、国旗・国歌に敬意を払う人は多けれども(もっとも、それは日本と違って尊敬できる国旗・国家・国歌であるからなのだが)、敬意を払わなかったからと言って罰せられる、などということはないのに。
日本と言う国が、
「上辺だけで民主主義を標榜している国」
ということを端的に示している一つの事例と言えましょうな。
国歌に従順になってほしいのであれば、国民第一の政治をしろ!
自分達の利益ばかり追いかけるな!
国民を見下すな!
と、怒鳴ってやりたいものです。
そもそも…
それは「国家に仕える存在としての国民」という意味合いになってくるのです。
“日本国憲法”では、主権は国民に在ると規程してますよね。天皇は象徴なんですよね…。君が代の“君”って天皇のことですよね…。戦時中の大日本帝国憲法下であれば、臣民と規程されたところの国民が神である天皇に敬意を払いひざまつくことを強制されても“合憲”であると理解できますが、日本国憲法下の現在の日本で、思想・良心の自由が保障されているこの国で、日本国憲法により国家権力から守られている主権者が、国家により「天皇礼讚の歌を起立して歌え、さもないと処罰するぞ…。」なぁんて強制されるのは、明らかに日本国憲法違反でしょ…どう考えても…。憲法の番人が大切な憲法を足蹴にし、更に国家によるセクハラ・パワハラ・レイプに憲法の番人が加担しているとしか、わたしには映らない…。
>その石原氏が大変なレイシストであることと君が代強制が大好きであることとは、決して無関係ではないことも付け加えておきましょう。
レイシズム・ゼノフォビアは歪んだ排他的ナショナリズムとコインの裏表です。
この男…、わたしが大嫌いなふたりの人間の内のひとりです。(もうひとりは言わずと知れた…)
この男は、中国・朝鮮の方々を蔑視・差別し、障がいをもつ方々を差別し、女性を侮蔑・差別するレイシストの権化です。天罰発言は絶対に許せないのですが。ある東京都民マラソンの一場面…必死に走ってみえる都民を指して、「まるで“ナチス”に追いかけられておるユダヤ人の様ですなぁ…ウッシシ。」などと、この男ぬかしよったそうです…。君が代を歌うことは、このとんでもなく大嫌いな男の思想に同調し、この差別主義者にひざまつくことに等しいので、わたしは死ぬまで君が代は決して歌わないと、あらためて心に誓いました…。
やはり、国旗・国家に関する法律を廃止すべきだと思います。日の丸・君が代を敬愛したいひとはそれでよいし、嫌いなひとはそれでよいではありませんか? やはり思想・良心の自由は徹底的に守らないと…。戦前戦中の治安維持法下の暗黒社会に歴史の歯車が逆戻りしてしまいますよ…。(-.-;)
根津さんも人のことが言えるのかしら?
教師になる前から、女子に慰安婦の授業をする気マンマンだったらしいですし、
(そのために家庭科の教師を目指したとか)
実際に家庭科の授業なのに、なぜか教科書にはない慰安婦の話をしていたらしいですね・・・。
勝手に授業に関係ない自分の思想を語るのだって、生徒にたいする洗脳・強制だと思いますが・・。
もし根津さんが学生時代に教師に「君が代はすばらしい」と授業で言われたら、
「まだ学生なのに思想を強制された!」とか大騒ぎしそうなのにね(笑)。
生徒に自分の思想を強制してるのは根津さんも同じに感じます。
最近、小学生の子を持つ知人女性と君が代問題について話しましたが、
君が代起立を拒否する教師なんて困ると話していました。
もちろん、私たちだって、戦争は愚かしいことだと思っています。
けれどどんな思想があろうとも、君が代は現在の「国歌」には変わりなく、
教育の現場では、もう少しそれを尊重する態度があっても良かったのではと思います。
サッカーをしている子供は、日本代表として君が代を歌うシーンを想像している子もいるでしょう。
人の話を全く聞こうとせず、「強制!強制!」と自分の思想の自由を子供のように声高く訴えているから、
橋下さんもこのような対処をするしかなかったのだと思います。
根津公子さんは素晴らしい教員…
根津公子さんの、二度と戦争を繰り返してはならない、他の民族の方々を侮蔑したり差別したりしてはならないとの思いから、勇気ある教育や自分の犠牲をも厭わない勇気ある国家権力への抗いの尊い闘いに対しましてわたしは心からの称賛を送りたいです。
根津公子さんの様な良識ある教員が、大切にされる“共生社会の実現”を願ってやみません。
通りすがりさんへ
>想像している子もいるでしょう。
サッカーの日本代表の試合で、君が代斉唱のシーンを見ていたことがありますが、
歌っている選手、歌っていない選手それぞれでしたね。
例えば、
フランスサッカーの英雄ジダンは、フランス代表時代にラ・マルセイエーズを歌うことは
ありませんでした。
でも、国歌を歌わなくても何の問題もありません。サッカーのプレーそのもので彼らは
評価されるのですからね。
ちなみに、
国歌斉唱を強制して、従わないものを処罰する国は先進国で日本だけだという
事実をご存知ですか?
国家の強制なんてすごーく後進的発想なんです。
お隣の北朝鮮的発送ですよ。
日本を民主主義という点で先進国にしたいのか?
それとも後進国でいいの?
私は前者に立つので、こんな馬鹿げたのはNOですね。
世界では国歌を歌うのが常識と言いますが、
歌わない人もいるのが常識です。
そして、歌わない人に強制化している国なんて先進国ではどこにもありません。
そう言う事実を事実としてまずは知っておきましょう。
>通りすがりというハンドルはおやめください。次回は非承認にします。
教師になる前から、女子に慰安婦の授業をする気マンマンだったらしいですし、
それがなにか?
>もちろん、私たちだって、戦争は愚かしいことだと思っています。
けれどどんな思想があろうとも、君が代は現在の「国歌」には変わりなく、
教育の現場では、もう少しそれを尊重する態度があっても良かったのではと思います。
あなたは私のエントリーの何を読んでいるのでしょうか?
戦争を愚かしい事と思うなら、その戦争を鼓舞した象徴である君が代を拒否したい思いも尊重する態度があっても良かったのではないかと思います。なぜなら「国歌」を強要することは民主主義国家ではあってはならないことは常識なのですから。
>人の話を全く聞こうとせず、「強制!強制!」と自分の思想の自由を子供のように声高く訴えているから、
橋下さんもこのような対処をするしかなかったのだと思います。
思想の自由を訴えてはいけないなんてまるで某北の国の発想と同じですね。で、根津さんは思想良心の自由を訴えることは許されなくて橋下さんは自分の思想を強制するのが許されるわけですか。
はじめまして。
ひとつだけ。
> 人の話を全く聞こうとせず
と仰っていますが、根津先生が「人の話を全く聞かない」というのはどこ情報ですか?ひょっとして思い込みだけで仰っていませんか?それとも根津先生に近しい立場の方ですか?でしたらこういった場所で匿名で陰口のようなことをなさらずとも、ご本人に直接仰ればよろしいかと。そのほうが建設的ですよ。
以下、蛇足ながら。
ちなみに、わたしはどちらかと言えば橋下市長のほうが「人の話を全く聞こうとせず」一方的に話す人、という印象を持っています。実際、彼は「批判は大歓迎」と言いながら、いざ実際に批判を受ける相手方を「敵」と認定し、罵倒をし始める傾向があります。
つい先日も内田氏、中島氏、浜氏といった、市長に批判的な大学の先生を「役立たず」と決め付け、攻撃していました。
批判を受けたら論理的に、理性的に反論するのが公人として、大人としての態度だと思います。たとえ批判に腹が立ったり、的外れであったりしたとしても、大のおとなが他人を「役立たず」などと罵って良いとは、わたしには到底思えないのですが。はっきり言って、子どもに悪影響極まりないのです。かつて汚職への関与を問われた政治家が「記憶にない」と答弁したとき、同じ口調で宿題や非行をすっとぼけた子どもが大勢現れました(ちなみにわたしもその一人です)。公人の立場にある方には、そういった影響も踏まえて、己の振る舞いを振り返っていただきたいものです。その意味で、「君が代起立を拒否する教師」よりも、批判を受けたら罵倒を返してくるような人が地方自治体の首長である事の方が、よほど「困ります」。
ちなみに「君が代起立を拒否する教師は困る」との事ですが、具体的にはどういった点が困るのでしょうね?
ああ、自由万歳!
きっと素敵な国になるだろうさ。
こういう人が増えればこの国も面白くなると思うな。
ケネディ演説を都合よく解釈するファシスト共
ケネディ演説におけるこの「国」とは国土と同胞のこと(国土に手足はないから)。政府や保守政権では断じてない。
ファシスト右翼は自分に都合よく読み違えたがるけどね。
でも国民に強制されていませんから。
教師が強制されてるんですよ。
国家を意に反してうたったって、思想の弾圧にもなりませんし、意に反していという思想も罰せられていません。
業務命令に反するから罰せられるんです。
公務員は法律を順守する義務があります。
自分の良心にしたがっても、道交法では車は左側通行しないと罰します。
>カエル顔さん
>
> でも国民に強制されていませんから。
> 教師が強制されてるんですよ。
国旗国歌法が国旗国歌を強制してるとは初耳。
そして教師が国民でないというのも初耳
しかしまあこれだけ連続してアレなコメントを書き込まれますと「カエルの顔にナントカ」という言葉を思い出します