コメント
失敗だったと後にわかった時だれがどう責任とるんでしょう
民主主義はその責任を国民自体が受けるもので、だからこそ世論を重視する必要があるのではないですか
人権とやらは多数決を否定するに足りるのでしょうか?
http://blog.goo.ne.jp/y-tech/e/b8436f569203600c3f0414f1fe834741
過去記事嫁よと言われれば、読んでません。すいません、脊髄反射してます。
刑法のそもそもの概念は「自分がされたら困る」ことを「皆がやらない」ということをコミュニティ(国民)でコミットすることだと思っています。で、破った奴をどう処置するかと。罰則も当然考えなくてはなりません。自分がその犯罪に遭わないようにするためですから。
人権を守るために刑法があるとしたら、私はそれにコミットはできません。第一の目的は私と家族が安全に暮らせる世の中を実現するためだからです。犯人の人権などどうでもいいのです。(冤罪などがあるのでゼロだとは思っていませんがロジックのために省いています)
自分と自分の家族を守るために「他人を殺さない」代わりに「人を殺さない」とコミットしたと考えれば、犯人の人権は殺された人・家族にとってみればコミットを破った存在であり、犯人の人権の価値はゼロでしょう。
そこに哲学的な概念である「人権」とやらに価値があると言うのは傲慢だと思います、家族を殺されてから言えと。
(Linkにあるように私は死刑廃止論者です、冤罪がなくならない保証が無い以上、かけがえの無い命を間違いで無くす事は自分に置き換えれば許されないことだと思うからです、人権などと言う曖昧で哲学的概念を使わなくても死刑は排除できると考えています。)
>unaさん(拍手コメント)
憲法にも世界人権宣言5条と同じような規定が36条にあります。
「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」
しかし、火あぶり、はりつけのような残虐な方法でなければ死刑はこれにより禁じられてるわけじゃない、というのが残念ながら最高裁の見解です。
方法がどうであれ、命を奪うこと自体が究極の残虐行為なんですが・・
最高裁が死刑制度を合憲とした理由を読むと、なんだかなあ、ですよ。
「憲法は多数の文化国家におけると同様に刑罰として死刑の存置を想定し~」←今や多数の文化国家は死刑廃止しており、この流れは止まりません。
「死刑の威嚇力によって一般予防をなし、死刑の執行によって特殊の社会悪の根源を絶ち、これをもって社会を防衛せんとしたもの~」←死刑には犯罪抑止効果はないのが今や常識ですし、「刑の執行によって特殊の社会悪の根源を絶ち」というのは、社会にとって異分子、悪いヤツは殺して排除してしまえと言ってるも同然。これはどうしても是認できません。
まあ、この判決は昭和23年のものですから今とはかなり認識が違っているのも当然と言えば当然かもしれませんが、いつまでもこの判例が通用してるようでは困りますね。
私なりに思う事
この発言は、乱暴であり稚拙であると思う。
民主主義なら「命を奪う」事が許されるんですか?
「みんなで殺せば(死刑にすれば)怖く無い」という意味です。
または「(死刑制度がある日本に住んでいるんだから)えん罪で死刑になっても文句を言うな」という意味です。自分が(家族や友人が)なっても同じ事言えるんですかね?
「多数決が民意」は、「みんなが「いじめていいと言ってるからこいつをいじめていい」と言う子供と同じ幼稚なへ理屈です。
医者が「みんなが風邪って言ってるから風邪です」と診断するのと同じです。何の為に専門知識を学んだ専門家がいるのですか?
>しゅうぐーさん
ひょっとして死刑廃止した途端凶悪な殺人事件が激増することですか?今まで死刑廃止した国でそのようなことが起きた事例はありません。日本だけでそのようなことが起こると思うのはいささか合理性に欠ける杞憂だと思います。
>民主主義はその責任を国民自体が受けるもので、だからこそ世論を重視する必要があるのではないですか
仰ってることが抽象的すぎてなぜ死刑廃止は世論の多数に従う必要があることになるのか、私にはよくわかりません。
かりに、「民主主義はその責任を国民自体が受けるもの」と仰るなら、それは全ての死刑判決、死刑囚を殺すことについて国民一人一人が責任を負う、死刑執行は自らが行うも同じで、もし死刑執行を自分が命じられても拒否できないとの自覚を持つ、という意味になると思いますが?
死刑判決が出て万歳であとは忘れてて構わない、死刑執行は刑務官がやってくれる、というかんがえでいるのはもってのほか、ということになりますね。
冤罪で死刑執行された疑いの濃い飯塚事件の久間さんを殺したのは、他でもない自分自身あなた自身だという自覚を負うことこそが「その責任を国民自体が受ける」事だと言えましょう。
>woodさん
ここにいただいたコメントとほぼ同じ内容なので、ここでの返信をそちらの記事へのコメントにかえさせていただきますね。
>自分と自分の家族を守るために「他人を殺さない」代わりに「人を殺さない」とコミットしたと考えれば、犯人の人権は殺された人・家族にとってみればコミットを破った存在であり、犯人の人権の価値はゼロでしょう。
そこに哲学的な概念である「人権」とやらに価値があると言うのは傲慢だと思います、家族を殺されてから言えと。
う~ん・・まず刑法がそのようなコミットだときめてかかるのは自己流解釈に過ぎないのではないでしょうか。
またwoodさんはこの場合の犯人の人権とは何を指すとお考えでしょうか?
というのは
>殺された人・家族にとってみれば犯人の人権の価値はゼロでしょう。
という表現に違和感を感じるからです。
人権とは、誰かにとって価値があるが誰かにとって価値がない、というような性質のものではありません。そのような人権が存在するかしないかの問題なのです。
仰りたいことはわかります、殺された被害者、遺族に取ってみれば犯人の存在などなんの意味もない、存在してて貰う価値など何もない、という一般的な意味でしょう?でも「人権」の意味はちょっと違うと思います。
どんな鬼畜のような犯罪者にも等しく「国家によって命を奪われない権利」がある。これがこの場合に言う「人権」です。これは誰かにとって価値があるとかないとかは問題ではありません。
あなたにも私にも思想信条の自由、表現の自由があってブログで好きなように自分の意見を表明できたりするのですが、その時あなたや私のこの自由が他の誰かにとって価値がある、ない、などと言うことは問題にはならないでしょう?そういう権利が存在するか否か、そしてそれが国家により侵害されないか否かが問題でしょう?
それと同じです。
そういう権利が、人権が存在する、そしてそれは国家によって侵害されない、ということに意味があるのです。
国家はどんな人間であってもその命を奪う権限はもちあわせない、何人も国家により命を奪われない権利がある。しかし、死刑制度は決して侵すことができない生命に対する権利を侵しています。
だから、死刑廃止問題の本質は人権問題なのです。
>うろこさん
わたしもうろこさんが仰る意味で死刑の是非を世論の動向で決めるべきではないとエントリーに書いたつもりなのですが、どうやらしゅうぐーさんに伝わらなかったようで残念です^^;
国民が説得に従わない場合は?
冤罪を可能な限り減らすように努めることは当然必要ですが、死刑の廃止または停止は「冤罪を可能な限り減らすように努めること」の手段とは無関係です。
実際、足利事件は死刑ではなく無期懲役の冤罪ですから、仮に足利事件の最初の判決時に死刑が廃止または停止されていたとしても、やはりそれだけでは菅家さんが無期懲役の冤罪を着せられることを回避する手段には全くなりえない訳で。
>このことに私は怒りを感じます。
>これも「感情」ですよね?
そうです。しかし怒りの矛先がおかしい。冤罪を怒るなら、捜査と裁判のミスを糾弾すべきであり、捜査と裁判の慎重さを要求すべき。
死刑の廃止または停止を要求するのは、問題のすり替えです。
>国家が個人の生命という究極の根源的
>な権利を奪うのは、人権尊重をもっとも
>尊しとするこの民主主義社会の理念に
>照らしてどうなのか
犯罪者を然るべき手続きで裁判にかけ、その上で犯罪者の人権を合法的に制限する形の刑罰を科すことは、法治国家では当然のことであり、民主主義の理念にも何ら抵触しません。死刑はその制限の形の一つに過ぎない。
自由権規約6条と憲法31条に照らしても問題なし。
>拘束力がないから無視してよいという
>ことでしょうか?
どうするかは各国が決めることです。日本では国民の多数が反対なので、それを無視して押し付ける訳にはいかないでしょう。国連が加盟国の望まないことを無視してやったら、内政干渉、主権侵害ですから。
イラク派遣違憲判決は憲法と併せて本来拘束力を持つものですから、同列には論じられません。
>何故国連は死刑廃止するようさんざん
>勧告をしてくるのでしょうね?
そりゃ、一種の身勝手でしょ。内政干渉、主権侵害の一歩手前みたいな?
>国連は勧告の中ではっきり言って
>いますよ。死刑廃止は世論の反対に
>拠るべきではないと。
そんなことは言ってません。秋原葉月さんの曲解というか引用間違いです。
「世論にかかわらず国民に対して死刑廃止を説得すべき」とは確かに言ってますが。
そういう説得は死刑廃止議連なんかが実際にやってるでしょ。
しかし「国民は説得に従うべき」「国民が説得に従わない場合は死刑維持賛成者の選挙権を剥奪し世論を無視して死刑廃止強行すべき」などとは言ってませんよね。
死刑制度は多数決で人権を覆すものでない
>単なる「多数決の原理」でしょう。
十分な議論を経て最終的には多数決で決めるのが、民主主義です。
その最終的な多数決と民主主義は不可分、切り離すことはできません。
>多数が常に正しいとは言えません。
それはそうです。民主主義は間違った選択をすることもあります。
しかし我々は、それでもやはり民主主義を守るべきであり、民主主義の原理から逸脱すべきではない。
なお死刑制度について言えば、別に「間違った選択」ではありません。
自由権規約では、要するに維持しても廃止してもどっちでもいいことになってますので(維持する場合は6条の条件を満足する必要がありますが)。
>民主主義の鍵となる要素である人権
世論の多数は憲法11条他、3章「国民の権利と義務」を支持しています。
憲法も国際人権規約も、民主的なプロセスを経て多数決で決められたものです。
ゆえに、これらのルールの中で死刑制度があっても、基本的人権の理念は何ら損なわれません。
>世論の多数が被疑者の黙秘権行使や
>弁護人が凶悪犯罪人を弁護するのを
>けしからんと思うのならば
世論の多数は憲法37条や38条を支持していますので、ご心配なく。自由権規約14条もありますし。
何ていうか、独り相撲?
>たとえば、拷問は
憲法36条、自由権規約7条で禁止されており、国内外の世論は拷問禁止を支持しています。
何ていうか、シャドーボクシング?
例のパンフレットは、ちとツッコミどころ多過ぎかと。
「人権は善行に対して与えられるわけではなく,たとえ個人が極悪非道な残忍な行為を犯したとしても剥奪することは許されない」などと言うのなら、死刑だけでなく懲役刑や禁固刑等も含めた全ての刑罰も否定されてしまいますよ。
>死刑もこれと同じ事です。
>基本的人権が侵害されるおそれが
>ある場合には
いいえ、同じではありません。憲法31条も自由権規約6条も死刑を禁止していない。
死刑制度があっても、基本的人権の理念は何ら損なわれません。
ここで「死刑維持に賛成する世論の多数は間違いだ」というのなら、「憲法31条や自由権規約6条も間違いだ」ということになってしまうと思いますが、如何なもんですかね?
>多数を持ってしても奪えないのが
>人権です。
「死刑制度は多数決で人権を覆す性質のものでない」です。繰り返し書いてますが。
ん~
死刑存置?
またそうであったとしてその理由はどんなんなんだろう?
相手に喋らせてその隙をつくやり方はなるほど上手いとは思うけど、結局laterさん自身が何をどうしたいのか伝わってこないんだよなぁ?
なんだかコメント欄見てると、議論の為の議論を何日も何日も繰り返してるだけみたい。
そういうのってブログ主及びコメンテーター双方共が疲れるだけなんでない?
まぁこういうコメントの応酬って、中々やめ時が見つからない上に双方意地になっちゃったりもするもんだけどね。
(^^;
端から見てると、事の本質から離れて言葉の粗探ししてるようにしか見えないっていうのがなぁ…。
こういうのってなんか時間がもったいなくないかな?
英国の場合
むしろ、冤罪を生む制度が存在している事、凶悪犯罪被害者の人権がぞんざいに扱われている事こそ「より大きな人権問題」だと考えます。
人権の定義が分かりにくいのです
>「国家によって命を奪われない権利」
って奴の根拠というか論理的な意味がわかりません。私はルールや倫理は論理的に説明可能であると思っているので。なので、
>刑法がそのようなコミットだときめてかかるのは自己流解釈に過ぎないのではないでしょうか。
自己流だと言う理由が分からないのです。法学はおろか刑法も勉強していないので間違いがあるかもしれないのは分かるのですが、もしそうであれば法というモノの概念が一新できますので教授願いたいと思います。
ちなみに私は人権を
「誰かを虐げることにより得られる幸福」よりは「最悪私は誰かに虐げられたくない方が良い」ということだと理解してます。人権優位者は既得権益なので無関心ですが、何時逆転してもおかしく無いので「穴は塞いどいた方がいい」という考え方です。なので人権も損得でまたは論理的に話が出来ると思っています。
なので別に「損得」という視点である必要は無いのですが「国家によって命を奪われない権利」を論理的に説明する必要があると思います。過去記事にあるのであればそれを教えていただけると幸いです。
追記、>伯爵様
私は人権を「何か高貴なもの」ではなく自分にとって「そうでなくては困る」と言う観点で見ています。例えば
>凶悪犯罪被害者の人権がぞんざいに扱われている事
はもし自分がそうなっては困りますし、
冤罪で自白強要をされたらやはり困ります。
人権がもし「何か高貴なもの」であるならば「人権反対」として闘います。
う~ん…。
あ、最初に申し上げておきますが、わたしは死刑は廃止した方がいいと考えています。
2009/12/04 Fri 19:05:57で、latter_autumnさんは、以下のようにおっしゃっていますね。
> 十分な議論を経て最終的には多数決で決めるのが、民主主義です。
> その最終的な多数決と民主主義は不可分、切り離すことはできません。
ここからわたしの質問です。
latter_autumnさんは、日本において死刑制度は”十分な議論を経て”支持されていると、お考えでしょうか。わたしは、オウム事件や光市事件での一連の報道や司法判断を鑑みるに、違うのではないか、と感じています。
秋原さんはエントリ最終部分で、”死刑の是非に関して、「国民に十分な情報を提供し情報が確実に行き渡」ってはいないのが現状でしょう。”と述べられ、いくつか例を挙げておられます。この点について、latter_autumnさんのご見解も踏まえて、お答えいただければ幸いです。
世界人権宣言を読みましょう
村野瀬さま御教授ありがとうございます
しかし、同時にこれが世界で共有できないとも感じました。国という概念を有していながら紛争の概念が入っていないからです。まぁ理念だと言うのであればそれでもいいのですが。
ここでいう紛争とは戦争だったりです。
また第5条も多分揉めるのでしょう。死刑が非人道的な刑罰かという点でしょうか。
なので「ここに書いてあるから死刑は駄目よ」っていう論法は通じないでしょうね。その大元を疑われているわけですから
>woodさん
これは、国連で採択されるときに、各国で調整の末各国が賛成できるように文面がかなり調整されているはずです。「死刑廃止」は確かにそれとしては盛り込まれていませんが、それに相当する条項は用意されていますし、逆に被害者の感情を満足させるためなどの理由をつけた「死刑存置」が書き込まれているわけでもないです。この最低限の合意をもとに各国で努力していこう、とするものだと理解しています。
また、これは「人権宣言」であり、国の枠組みまで決めた憲法や行政法とも違うのだと思います。個人の生存のための基準ですから、これはこれで「人権」の最低限の枠組みを示すものとして参照すればいいのだと思います。
お返事遅くなりましたm(_ _)m
>伯爵さん
>「死刑廃止問題の本質は人権問題」であり、あたかも「絶対的な真理」のような物言いには賛成しかねます。
できましたら根拠を書いていただけるとありがたいです。
>woodさん
>自己流だと言う理由が分からないのです
と仰いますが、法学も刑法も勉強されたことがない(死刑問題に関しては刑法の勉強は不要なのですが)とご自身で仰っておられますでしょう?
医学について語ろうとするとき我流の想像でしゃべったりせず、まずは簡単な医学書に目を通したりして最低限の正しい基礎知識を得ようとすると思います。
医学やら科学については皆さんそうなさるのに、何故か人権や法に関わることに関しては全然そうしようとしない方々をネットでは時々散見します。
私がここで延々と人権とはなんぞやと説明すればそれこそものすごい分量になってしまいますので、まずは人権や憲法について分かりやすく書かれた本を読まれて正しい基礎知識を得られることをお勧めいたします。それが一番間違いのない近道だと思いますよ。
>村野瀬玲奈さん
改めて読むと憲法とダブる部分がたくさんあり、現憲法が優れたものであることを再認識するとともにちっともそれが実現されていない現実にため息をつきたくなったりもします。
これはwoodさんへの返信でもあるのですが、
世界人権宣言は世界の人権が進むべき方向を示した羅針盤のようなもので、人権の中身は日々進化していくものだと思います。たとえばセクシャルマイノリティの人権というものは一昔前では考えられもしませんでしたが、今は大きく取り上げられています。
現代では5条の「拷問又は残虐な、非人道的な若しくは屈辱的な取扱若しくは刑罰」の中に死刑も含まれるという国際的なコンセンサスが得られるようになってきたと言っていいのではないのでしょうか。
無条件に保障されている権利ではない
「冤罪でない場合でも××刑は犯罪者の人権を覆すものである」
「ゆえに、いずれにしても××刑は廃止すべきだ」
という論法でいけば、死刑だけでなく全ての刑罰が否定されてしまいます。
「何人も国家により自由を奪われない権利がある」
「何人も国家により命を奪われない権利がある」
というのは、無条件に保障されている権利ではない。
「但し他人の人権を侵害した犯罪者が刑罰を受ける場合は、その限りでない」
という条件付きで保障されている権利ですから。
「人権を互いに尊重すること、互いに侵害しないようにすること」という社会のルールがあります。何人もこのルールを守る義務があり、違反者にはペナルティが科される。
国家にはそのルールを管理しペナルティを科す義務と権限がある。このペナルティ権限の行使を根底から否定するのは無茶苦茶な話です。
>結局どうしたいのかな?
>死刑存置?
まあ、そんなとこです。
>日本において死刑制度は”十分な議論
>を経て”支持されていると、お考え
>でしょうか
そのように考えています。
現行憲法ができて間もないうちから「死刑は憲法違反か?」ということが議論されてきました。もう議論は十分に尽くされています。
「現在わが国の採用している絞首刑は、他の方法に比して特に人道上残虐であるとは認められないから本条(憲法36条)に違反しない」
「火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑のように残虐な執行方法を定めれば死刑は残虐な刑罰といえるが、刑罰としての死刑そのものを直ちに残虐な刑罰ということはできない」
「死刑の適用が慎重に行われなければならないことは当然であるが、死刑制度を存置する現行法制の下では、各般の情状をあわせ考察したとき、その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許されるものといわなければならない」
↑こういう最高裁判決もありますし。
>現代では5条の「拷問又は残虐な、非
>人道的な若しくは屈辱的な取扱若しく
>は刑罰」の中に死刑も含まれるという
>国際的なコンセンサスが得られるよう
>になってきた
自由権規約では、死刑に関する6条と、拷問・虐待・残酷な刑の禁止に関する7条は別です。
「死刑はいかなるものでも自由権規約7条に抵触するからダメだ」などということにはなっていない。
>latter_autumnさん
あなたの仰ってることは形式的な論理のみを行使した言葉遊びにしかなっていないと言うことです。
>「××刑は冤罪かもしれない」
「冤罪でない場合でも××刑は犯罪者の人権を覆すものである」
「ゆえに、いずれにしても××刑は廃止すべきだ」
という論法でいけば、死刑だけでなく全ての刑罰が否定されてしまいます。
↑
わたしはこんなこと言っていません。このような形式的な三段論法のみに依拠して死刑を否定などしていません。
以前もコメントでお伝えしましたが、言葉尻のみを捉え私の言い分を勝手に捏造してそれを叩くような議論の仕方はおやめ下さい。二度も同じ事を言わせないでください。おつきあいしかねます。
なお、この点につき私は過去記事に書いておりますので興味があればどうぞご覧下さい。
>「何人も国家により自由を奪われない権利がある」
「何人も国家により命を奪われない権利がある」
というのは、無条件に保障されている権利ではない。
「但し他人の人権を侵害した犯罪者が刑罰を受ける場合は、その限りでない」
という条件付きで保障されている権利ですから。
「人権を互いに尊重すること、互いに侵害しないようにすること」という社会のルールがあります。何人もこのルールを守る義務があり、違反者にはペナルティが科される。
国家にはそのルールを管理しペナルティを科す義務と権限がある。このペナルティ権限の行使を根底から否定するのは無茶苦茶な話です。
↑
ここでもまたあなたは勝手に私の言い分を作り上げていますね。
いつ私が国家の「ペナルティ権限の行使を根底から否定」などしたのでしょうか?
それに「何人も国家により命を奪われない権利がある」 というのは、無条件に保障されている権利ではない、と断定してらっしゃいますが、無条件に保障されるべき権利であると認識されるようになってきたから死刑廃止されるようになってきたのです。従ってこれは反論になっていません。
また、あなたが実の伴わない形式論理のみを展開しているのがここでも見られます。
要するに犯罪者の人権を制約する権限が国にはあるんだから、死刑を認めろ、死刑が認められないというなら懲役刑も罰金刑も認められないではないか、といってるわけで、これは形式的な論理展開だけしかしない場合によくみられるオールorナッシングの極論です。
犯罪者は刑罰により身体の自由や居住移転の自由などの人権を制限されるがそれは合理的理由に基づく人権制限である。しかし、犯罪者といえども思想信条の自由は制限できないとされています。刑罰によって奪える人権、奪えない人権があり、何が制限されてはいけないのかはその人権の性質や刑罰の目的等から個々具体的に考慮しなくてはなりません。
あなたの意見にはこういう実質的なきめ細かい考慮が一切なく罰金刑、懲役刑から死刑まで刑罰を全て十把一絡げ、死刑の否定→人権制限の否定→全ての刑罰の否定、という、極論を展開してるだけです。こういう論理には正直言って議論する価値はないと思います。
形式論理のみに依拠しているというのは自由権規約の解釈にも見られますね。
規約の中に「死刑を禁止する」という文言が明記されてない限り国連は死刑を肯定しているとお考えですか?それは稚拙で我田引水な文理解釈というものです。それに規約は死刑を肯定するとも明記してないんですけどね。
考えても見てください。日本は国際人権規約を批准したから国連から定期的な人権の現状の調査を受けて勧告されているのですよ。そこで死刑を停止または廃止するよう勧告されてるということは、規約がどのように解釈されてるかは一目瞭然でしょう?
「死刑はいかなるものでも自由権規約7条に抵触するからダメだ」などということにはなっていないから、死刑は国連で肯定されてるのだ、どいう考えは事実を無視し、単にご自分の願望を述べているに過ぎません。
ご自分の願望を述べてるに過ぎない、というのはこねこさんの質問に対する回答にも表れていますね。私は、国民に十分な情報を提供し情報が確実に行き渡ってはいない現状についていくつか例を挙げましたが、あなたはそれは一切無視でただ十分議論は尽くされたはず、と仰るのみでした。
最高裁判決についての私の見解はunaさんへの返信にありますのでそちらをどうぞ。
今後latter_autumnさんの空虚な実のない言葉遊びにはこれ以上お付き合いしかねるので、ご了承ください。
お詫びいたします
村野瀬様、ありがとうございました。勉強になりました。
さて(粘着だと思われているであろうと思いつつも)
法にしろ、倫理にしろ、宣言にしろ、「自分にとって得であればコミットする」という以外の論理が思いつきません。もちろん「人権宣言」をコミットすることも、現在私は人権弱者ではないですが、会社を首になったりすればすぐに奈落の底に落ちるわけで、人権的セーフティが築かれるのは賛成です。自分にとって得だからです。また私をとりまく「環境」がおかしくなっては困りますので私個人の財布には痛手でも「増税」に賛成することもあるでしょう。
ロジックの骨子として「私」が基準であるということです。極論すれば他人は全く関係ありません。人権も「自分がそのお世話になる可能性は低くないから」賛成します。他人のためではありません。
そこで質問なのですが、この「自分にとって得」というところに違和感を感じられますか?
違和感を感じるのであれば「人類にとってのベストな体制」とやらを模索されているのでしょうか。
逆に私は「人権」に何か概念的に価値があるとの主張を感じてしまい、違和感を感じるのです。そりゃそうですよね、私は「私」という軸だけでモノを考えているわけですから。
不快な発言であろうと心配しています。不快であれば無視してもらって結構です。
いろいろとありがとうございました。
>woodさん
私のコメントがいやみに感じられましたらこちらこそお詫びします。
いやみではなく、人権や憲法は何かを解説しようと思うとほんとにコメント欄では無理なので・・。
なにか良い本をご紹介できると良かったのですけれど、入門書みたいなのを読んだのは遙か昔のことなので最近のはよく知らなくてすぐにご紹介できずすみません。
>この「自分にとって得」というところに違和感を感じられますか?
とのことですが、人権というのは基本的に国家に対して「侵害するな、保障しろ」と請求する性質のものです(差別やイジメなど、必ずしも対国家間だけというものでもないのですけれど、基本は国家に対して主張するものです)
特に刑事手続における被疑者被告人の権利などは完全に国家に対して主張する性質のものです。死刑についてもそうです。
何故対国家間という性質なのかは、基本的人権という概念が生まれてきた市民革命の歴史を思い起こしてみればわかると思います。
ベクトルが国家に対して向いてるのですから、「自分がやられたからイヤだから、他人にもそれを求める。それが自分に得だから」というのは、一概に間違いではないしそういう面もないわけではないけど、ちょっとずれてるかなあ、という気がします。
自分がやられたからイヤだから、他人にもそれを求める、というのはベクトルが国家に対してではなく市民間で向かい合ってることになりますから。
これは人権について定めた憲法を遵守する義務は国家が負うのであって、国民はその義務を負わないという性質にも通じます。
人権の理解と憲法の理解は不可分一体なので、分かりやすい憲法の本はないかとネットでざっと探してみました。
法学館憲法研究所が「僕らの憲法学」という本を紹介してました。私は未読なのですが、分かりやすそうです。
それから、伯爵さんに
>人権がもし「何か高貴なもの」であるならば「人権反対」として闘います。
と仰っていますが、これ、即ブーメランですよ。
人権は生物学的に人間であるなら全て等しく及ぶもので、あなたの人権のこともさしてるわけです。
人権という言葉の上に常に「私の」という枕詞を置いてみればわかりやすいでしょうか。
>私の人権がもし「何か高貴なもの」であるならば「私の人権反対」として闘います
となりますね。
即ち、あなたはあなた自身の人権が蔑まれることに賛成し、あなた自身の人権に反対するために闘う
と言ってるのと全く同じ意味になるのです。
ご返信ありがとうございます。お返事が遅くなり、申し訳ありません。
> 現行憲法ができて間もないうちから「死刑は憲法違反か?」ということが議論されてきました。もう議論は十分に尽くされています。
これについては秋原さんがlatter_autumnさんへの返信の中で、わたしの質問について述べられているくだりに同意します。付け加えるなら、「『何人も国家により命を奪われない権利がある』と、無条件に保障されるべき権利であると認識されるようになってきた」ことを踏まえて、”現在”議論が尽くされているかをうかがいたかったと思います。
また過去の最高裁判決をお引きになっておられますが、やはり”現在の”死刑を取り巻く状況の変化を踏まえて、死刑制度そのものが問い直されているのではないか、ということを先にお伝えしてからお尋ねするべきでした。こちらの質問の仕方も、言葉足らずの面があったと反省しております。
過去の議論や裁判、その判決は一定尊重されるべきだと思います。しかし、そこから一歩も出られないのであれば、たとえば過去の議論において基本的人権を否定された人々がいたら、彼らは永久にそれを覆せないことになってしまいはしないかと懸念します。
現在latter_autumnを名乗るパラノイアが私のブログで面白いことになっております。興味のある方はどうかいらっしゃって下さい。たかし
http://takashichan.seesaa.net/article/139143645.html#comment
No title
死刑は犯罪抑止にならい?
これは嘘です
メキシコを見れば議論の余地なし!
死刑のないブラジルの刑務所が殺人現場になっているのも周知の通り
殺人大国にしたくなければ不能な死刑廃止論者を一人でも説得せよ!