コメント
何故無罪を主張したかをその場で言えるわけがないでしょう。
それは裁判で明らかにされることです。
それは裁判で明らかにされることです。
"疑わしきは被告人の利益に"って言葉の意味がわからないで使っていませんか?
コメントありがとうございます
>名無しさん
裁判で明らかにするためにも、取調の可視化は絶対必要ですね。千葉法相は前向きなので期待しています。
次回からハンドルをよろしくお願いします。
>名無しさん
理解しているつもりでおりますが、使い方が間違ってるようでしたら具体的にご指摘くださるとありがたいです。
次回からハンドルをよろしくお願いします。
裁判で明らかにするためにも、取調の可視化は絶対必要ですね。千葉法相は前向きなので期待しています。
次回からハンドルをよろしくお願いします。
>名無しさん
理解しているつもりでおりますが、使い方が間違ってるようでしたら具体的にご指摘くださるとありがたいです。
次回からハンドルをよろしくお願いします。
失礼します。
私は、上の名無しさんとは違いますが、
もしかすると、名無しさんの意見は、
この場合、疑わしきは被告人の利益にの原則という言葉でも意義においておかしくはありませんが、推定無罪の原則といった方がよいということかも知れません。
利益原則だと、裁判上の立証上の判断についての原則の意味合いが強いです。無罪推定の原則は、挙証責任の分配の基準に加えて、被疑者被告人の人権保障原理的な色合いもあると言われています。ご存じの通り、これも、報道機関との関係で直接適用されるものではありませんが、報道機関が過度に犯人視すべきでないという心得をいう場合には、どちらかというと、無罪推定の原則といった方が分かり易いのかと思います。
横やり失礼しました。
私は、上の名無しさんとは違いますが、
もしかすると、名無しさんの意見は、
この場合、疑わしきは被告人の利益にの原則という言葉でも意義においておかしくはありませんが、推定無罪の原則といった方がよいということかも知れません。
利益原則だと、裁判上の立証上の判断についての原則の意味合いが強いです。無罪推定の原則は、挙証責任の分配の基準に加えて、被疑者被告人の人権保障原理的な色合いもあると言われています。ご存じの通り、これも、報道機関との関係で直接適用されるものではありませんが、報道機関が過度に犯人視すべきでないという心得をいう場合には、どちらかというと、無罪推定の原則といった方が分かり易いのかと思います。
横やり失礼しました。
>minさん
なるほど、言われてみればそうですね。二つとも意味は同じですが、直前で「被告人は無実かもしれない、少なくとも裁判が終わるまで、有罪か無罪か保留されるべき」と書いていますので「無罪推定の原則」という表現のほうがすんなりくるかもしれません^^
>THINKERさん(拍手コメント)
コメントありがとうございます。拍手コメントの方にいただいたのですが、そちらのコメントは表に出すことができないので、こちらに書きますね。
せっかくご紹介下さったリンク先が残念ながら繋がらなくて・・リンク切れなのかもしれません。
>メディアリテラシーが低い日本では、ニュースをすべて感情で受け取りがちです。
そうですね。欧米ではメディアリテラシーの授業を積極的に学校教育に取り入れてるのですが、日本ではそれがありません。日本でも行うべきだと思います。
ただ、
>真犯人を追求する態度が、メディアにも国民にも必要なのではないかと思います。
とのことですが、誰が真犯人なのかをこの段階でマスコミや国民が追及するのは困難で余計な予断を抱いてしまいますから、まだ何も報道しないで予断を抱かせない方がずっと報道被害が少なくて済むように思います。
せっかくご紹介下さったリンク先が残念ながら繋がらなくて・・リンク切れなのかもしれません。
>メディアリテラシーが低い日本では、ニュースをすべて感情で受け取りがちです。
そうですね。欧米ではメディアリテラシーの授業を積極的に学校教育に取り入れてるのですが、日本ではそれがありません。日本でも行うべきだと思います。
ただ、
>真犯人を追求する態度が、メディアにも国民にも必要なのではないかと思います。
とのことですが、誰が真犯人なのかをこの段階でマスコミや国民が追及するのは困難で余計な予断を抱いてしまいますから、まだ何も報道しないで予断を抱かせない方がずっと報道被害が少なくて済むように思います。