コメント
うーん…うーん…
私個人はこの法案には反対です。
特に、一部の自主規制によって既に必要な表現も規制されてしまっていますが、その事にすら殆どの方が気が付いていない現状すらあるのに、今度はお仕着せですか…とあきれる事しかりですし(苦笑)
現在、ニコニコ動画にこの児ポ法改正案について各党に電凸をした音声がUPされていますが…自民党は門前払い、公明党は比較的良い対応をしてはいますが規制する気満々の応答をされています。
民主党は、きちんとした対応とは言いがたいですが、それでも規制には反対、共産党は規制に反対と明確な答えを出していて…
なんと社民党は応答した方が懇切丁寧な応答でかつ規制には反対とされていました…
国民新党は…内容を把握していないと(苦笑)応対は比較的良かったのですけど(爆)
これだけ見ても、自民党の対応そのものが国民の代表になるだけの資格がないかもと思わせるに十分なんですけど…やる気満々なのはやっぱり(困)
本来的に、この手の問題は表現者側がどのような表現を是とし否とするかのモラルの問題でしょうし、言論の自由には当然「非難されてふるぼっこにされる」自由だってある訳で、基本的には「男女問わずあからさまな性的搾取」が行われない限りは公的に規制される事が良いとは思いませんが…
そうなれば当然市場の論理で排除されていく事が確実ですから(苦笑)
大体、発端になったアダルトゲームそのものの品位を考えた時に、その非難されるべきは制作者にあって、かつ、非難を行うのはユーザーの権利でしょうから、おおっぴらな規制で済ませるのが良いとは到底思えませんがね(苦笑)
それに…本当に規制されるべきは「その規制をあからさまに声高に叫ぶ方々」の方ではないかと(爆)某衆議院議員とか某タレントとか(苦笑)
次回選挙では是非とも(以下自粛)
>ありえす224さん
ゲームやアニメにいたっては性的搾取された被害児童がいないのに規制するわけですから、これはもう、児童の保護ではなく、単なる個人の嗜好へ国家権力が足を踏み入れることに変わっちゃってます。
それが眉をひそめたくなる趣向であっても、国家が法をもって規制する対象じゃないはず。
企業やユーザーの倫理観や圧力団体(PTAとか)市場の論理で淘汰されるべきものですね。
民主党は単純所持規制に原則賛成に回りましたよ。
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/8fe6ba919f8078904b3931b63d6b9b54
衆議院の解散が本決まりになりそうなので、この法案も、とりあえずはお流れになりそうで、ひとまず安心といったところです。ただ選挙後、再提出される可能性は大いにありますので、要注意で見ていかないとですね。民主党政権になって、あちこち大騒ぎになってる間にドサクサ紛れに可決、とかありそうな流れですので。
この問題に関しては、いろんなところで議論が派生していて、わたしの中でも収拾がついてないんですけども、やっぱり規制には反対したいです。アグネス・チャン氏の気持ちもわからないではないけども、表現の規制は、あきらかに”劇薬”です。そしてこの法案は、たぶんアグネス・チャン氏の抱えている問題意識とは、斜め上にずれてると思うのです。
件の葉梨議員のような認識のひとに主導されるような法案ならなおさらじゃー(笑)
・・・ただ、自民党やアグネス・チャン氏のおかげで、規制の是非に話がシフトしてしまいましたけど、本来発端になったゲームへの批判というのは「女性に対する人権侵害が”娯楽”として消費されている日本の社会」そのものへの批判だったはずなのです。要するに痴漢をはじめとした性犯罪への、日本の社会の意識の低さ、みたいなものが批判されたと思うのです。ある方はブログで「黒人だけを撃ち殺すゲームを作るのは表現の自由の枠内か?」という問い方をしておられましたけども。
出てきたゲームに対しては秋原さんのおっしゃるとおり「企業やユーザーの倫理観や圧力団体(PTAとか)市場の論理で淘汰されるべきもの」ですが、「黒人射殺ゲーム」は淘汰され、「痴漢ゲーム」が淘汰されないのだとしたら、その線引き(それはわたしたちの住む社会が引いたラインに他ならないわけですが)にどんな意味があるのか、は常に考えられなきゃいけない、と思うのです。難しいですけども。
規制には反対ですが、ここは耳を傾けるべきじゃないのかな、とも思いました。
ちなみに法案が施行されたら、うちは一家全員がお縄になります(笑)。わたしの幼い頃の写真とか普通に裸だったりしますしね(苦笑)。わたしは『ドラえもん』も『ドラゴンボール』も全巻持ってますので、マンガが規制されたら一撃でアウトです(笑)。両方ともキャラクター脱ぎまくってますから(苦笑)。
>こねこさん
ありがとうございます。複数のソースに当たらなかった私のミスです。
都議選のエントリーの方に追記で修正入れておきますね。
>来発端になったゲームへの批判というのは「女性に対する人権侵害が”娯楽”として消費されている日本の社会」そのものへの批判だったはずなのです
女性子供の尊厳を嬉々として蹂躙する風潮をゲームが助長してよいかと言えば、これはもう私ももちろん反対です。反対運動には是非参加したいくらいです。
ただそれをやめさせる方法として問答無用で国家権力がずかずかと入り込んでくるのがいいのかどうかは別問題ですもんね。
しかも曖昧な規定で恣意的な運用して別件逮捕、冤罪を作り出せるようになってるとなれば尚更。
>要するに痴漢をはじめとした性犯罪への、日本の社会の意識の低さ、みたいなものが批判されたと思うのです
>「黒人射殺ゲーム」は淘汰され、「痴漢ゲーム」が淘汰されないのだとしたら、その線引き(それはわたしたちの住む社会が引いたラインに他ならないわけですが)にどんな意味があるのか、は常に考えられなきゃいけない、と思うのです。難しいですけども。
日本は性犯罪の被害者を、落ち度をあげつらって責めるセカンドレイプが横行する社会ですから、まずこういう意識を変えて行かなくてはならないですよね。
私のブログ友達が「この問題に関して一番やっかいなのが『善意』なんだよね。『無垢な善意』」と言っていました。アグネスも無垢な善意が暴走した状態だと思います。
児童ポルノ禁止法に反対するのは、決して児童ポルノはじめ女子供を蹂躙するのを奨励してるわけではないことをわかってもらいたいんですが・・
マンガもボーイズラブ系があぶなくなりますね、萩尾望都さんとか昔読みましたけど。パタリロもダメかも(笑)
なんというか
ゲームが人権侵害を助長してるっていうのも極端。
根拠もないし。
男女限らずレイプ願望やロリショタ好き願望を抱く事自体は人それぞれの嗜好・性癖として少なからずあるものなわけで、そういう願望自体を単純悪としてしまうのは内心の自由に抵触するんじゃなかろうか?
実際に犯罪を起こさない限り、人が何考えてようが俺は自由だと思う。
ゲームでその願望を解消してスッキリしてくれるならそれはそれで防犯になるかもしれんし。
まぁゲーム等の影響で犯罪を起こすなんて事が全く証明出来ないのと同じように、ゲーム等が防犯になってるなんてのも明確な証明は出来ないかもしれんがね。
嫌悪感を持つのは自由だけど、
ただ、そういう妄想とか想像、願望自体を取り締まろうなんていうならそれはファッショ。
それに表現の自由だって品行方正なモノにだけ認められてるわけじゃない。
実際エロゲやエロマンガなんてファンタジーなんだし基本的なマーケットもスゴく狭いわけで、
なんかエロゲとかをモンスターか何かと勘違いしてるんじゃなかろうか?
脳内モンスターと戦っても結局現実と解離していくだけなんじゃないかな?
>た~んさん
ゲームが人権侵害を助長してるっていうのも極端。
>表現の自由だって品行方正なモノにだけ認められてるわけじゃない。
これはその通りと思います。
ただ、かなり前のことになるけれど、何人の人間をひき殺すことができるかを競うゲームがあってそれが倫理上いかんでしょうと批判を浴びて撤収されたことがありましたよね。(ゲームセンターだったかな)
もちろんこの殺人ゲームが実際の殺人を助長することに直結するとは思わないけど、命を軽視する風潮に繋がらないか、青少年育成の面からもどうなのかとPTAなど市民レベルで抗議があがったように記憶してます。
それと同じで、陵辱ゲームが青少年育成や女性子供に対する意識の面からモラル的にどうなのかと、PTAや女性団体など市民が業者に抗議するのはこれもまた「自由」だし、社会道徳や倫理は公権力の介入なしにこうして市民同士でバランスをとっていくものだと思うんだけど・・・
法的にはもちろん自由だけど社会的な倫理モラルの面でどうなのかと問う市民レベルでの抗議と、公権力の法的な取り締まりとは違いますもん。
いかがですか?
ん~
言論の自由について話す時によく引き合いに出される、
「君の言ってる事は気に入らないし認められないが、君がそれを言う権利だけは絶対に守る」
というやつで、
俺が単純な世襲議員規制論に反対するのもそれなんだけど、
俺はこれは表現の自由・内心の自由に対しても言えるんじゃないかと思うんだよね。
もちろん「抗議したりする事自体をやめろ」とかは俺は言わないよ。
けど、
昔の有害図書排斥運動と一緒で、感情論ばかりが先に立ってゲーム批判やマンガ・アニメ批判をしてる部分がある事はやっぱ見逃せない。
こういう感情論にその根本を根差す運動って、
結局本質の女性差別問題や性犯罪問題、児童福祉問題からは離れてしまって、
ただ排斥する事自体が自己目的化していくんだよね。
そしてそれはより大きな規制・統制に繋がっていく。
戦前の表現規制がエログロナンセンス排斥から始まっていった事を忘れてはならない。
そういう事にあまりにも無警戒な規制論や規制運動にはやっぱ反対しなきゃしょうがないよ。
それに賛成してる人が善意の塊だろうとね。
それからもっと単純な話をすると、
俺は潔癖すぎる世界ってのはやっぱ不自然なんじゃないかと思うんだよね。
汚濁があって当たり前というか自然というか、
で、その汚濁さえも認められる弾力性・多様性を持った世界じゃないと人が人としてもたないんじゃないかとかね。
なんていうか、人ってもっとフレキシブルでカオスな存在であって良いんじゃないかとね、思うんだよ、うん。
(^^;
>た~んさん
けど、
昔の有害図書排斥運動と一緒で、感情論ばかりが先に立ってゲーム批判やマンガ・アニメ批判をしてる部分がある事はやっぱ見逃せない。
こういう感情論にその根本を根差す運動って、
結局本質の女性差別問題や性犯罪問題、児童福祉問題からは離れてしまって、
ただ排斥する事自体が自己目的化していくんだよね。
>俺は潔癖すぎる世界ってのはやっぱ不自然なんじゃないかと思うんだよね。
う~ん、た~んさんのいうとおりだ・・・^^;
私自身にもモラルパニックに走りかける面があるのかも。
でもまあ、中には抗議に回る人もいていいと思うな。
それが多様性を認めるということだから。
児ポ法「改悪」反対には賛同しますが
>KYさん
何が矛盾なのか私にはよくわからないのですが・・・