コメント
裁判員精度が始まったら、今よりはましになるんじゃないかって人もいますね。いまの司法(特に最高裁)は本当に、もう、どうしようもないですから。
でもわたしは、もっとひどくなる気がするんですよね…。悲観的すぎるかもしれませんが、今のどうしようもない司法の片棒を、みんなが積極的に担ぐようになるんじゃないかと、心配で心配で…。確かに今の司法はどん底ですけど、さらに下がないとは言い切れませんからね(^^;)
この判決内容には…
裁判員精度に対してのアンケートなどを見ると、おおまかに2つの意見が出てきますが、私の私見ではおそらく「吊るせ、吊るせ!!」という意見が大半を占める裁判が増える恐れが非常に高いのではないかと見ています。
特に、SMAP・草なぎさん逮捕の報道を勘案したときにマスコミが一方的に「吊るせ」と報道しまくる訳ですから、そこから一般人である裁判員の方が偏向してしまうのは間違いないことなのではないでしょうか…
それにしても消去法での状況証拠のみで死刑判決は大きな問題なのですが…一部を除いたマスコミの表現方法には本当に疑問を感じますし…
以前名張事件のドキュメント番組を見ていた時と似た感想を持ちました…
あの時、地元の方々の「あいつが犯人でなければならない」という言葉には非常にぞっとしたわけですが、今回も同様の感があり非常に気持ちが悪いです。
推定有罪、疑わしきは罰するという風潮が強まれば、まだまだ冤罪が消えていない昨今、危険な方向へ向かって行く気がします。
最近、死刑になりたくて重罪を犯す人たちも現れ、ますます"死刑"の持つ意味を考えさせられます。自分の命を軽く考えるからこそ簡単に人の命を奪った犯人には、死刑より自らが奪った人の命の重さに一生苦しみ続けることの方が罰になる
とにかく、死刑か否かのような裁判を一般人に背負わせるのは問題だと裁判を起こしたいです
一般市民の感覚がいい影響を及ぼす場合もあれば悪い影響を及ぼす場合もあると思いますが、いずれにせよ、今の刑事司法をよくするとはとても言えないですよね。
こんな不確定要素に賭けるより、ずっと指摘されつづけている取り調べの可視化の方が確実ですし、順番としてこちらをまず実現すべきだと思います。
あと、証拠は被告人に有利なものも全て検察が独占していますから、もっと証拠開示させるすべがあっていいと思います。
もしどうしても裁判員制にするなら、量刑に関わらせず事実認定のみ行う、
被告人からの請求があったときに裁判員制に移行する、
などにすればまだベターだと思うのですが…。
レスありがとうございます。
> 一般市民の感覚~刑事司法をよくするとは…
同じような事件でも、そのときの社会の雰囲気で判決・量刑が左右されちゃうのは、確かに「不確定要素」としか言いようがないですね。そんなのに振り回されていては、裁判が「事実の究明」の場ではなくて、単なるパフォーマンスやプレゼンテーションの場になってしまいますものね。
衆院選ごとに「最高裁判所裁判官国民審査」ってのがありますけど、市民の裁判への「監視」と、裁判員制度による「参加」はやっぱり決定的に違うものなんですよね。その辺が、自分でもごっちゃになっていたようです。
大事なこと書き忘れてましたが、わたしも裁判員制度には反対です(^^;)。あと、今回の死刑判決も無理筋だと思います(もともと死刑にも反対なんですけども)。
> 取調べ可視化、証拠開示
賛成です。あと、代用監獄の廃止とか、やるべきことはいろいろありますよね。
ジャーナリストの魚住昭さんによると、今は司法の中でも裁判官と検察(時には弁護士も)の距離が近すぎる、とのこと。本来三者で相互監視するはずの彼らが一体化しつつあるとの指摘は、とても重要で、危機感を持ちます。更にここにマスメディアと、それに煽られた一般市民も加わって、冷静な批判を受け付けなくなっていくのは、とても怖いことだと思います。最終的に誰も責任を取らないし、取れないのですから。
また長々とすみません(^^;)
>ありえす224さん
読売新聞によれば、死刑判決を出してもいいって人達がかなりいるみたいです。(数字忘れた。あとでリンクを探して貼っときます)
裁判員制になれば死刑も減るかも、という淡い期待はもろくも崩れそうですね。
カレー事件も「あいつが犯人でなければならない、そうでないと他の村人が犯人ということになる、それは認められない!」という名張事件と似たものがある感じ…
読売からの抜粋です
読売新聞社が4月25~26日に面接方式で実施した裁判員制度に関する全国世論調査で、裁判員になった場合、死刑に相当すると思えば死刑を「選択する」と答えた人は63%、「選択しない」は23%だった。
5月21日から始まる裁判員制度によって、刑事裁判が「良くなる」と思う人は48%で、前回2006年12月の53%からは減った。ただ、今回も「悪くなる」27%(前回23%)を大きく上回り、世論は裁判員制度が始まることを前向きに評価した。
これまでの刑事裁判の判決については、「適切だと感じたことが多い」は34%にとどまり、「軽すぎる」が50%、「重すぎる」は4%だった。裁判員制度への評価には、国民が裁判に参加することで、判決と国民の処罰感情との隔たりが縮まるという期待も込められているようだ。
(引用ここまで)
やはり死刑判決は減りそうにありません。
開始が近づくとやはり裁判員制度の支持率アップ、現状肯定する国民性かしら?
今のように厳罰化されてもまだ刑は軽すぎるという印象を持ってるようですよ!(無期懲役=10年で出てくる、というのと同じ、単なる印象でしかないとおもうのですが・・)厳罰化が加速され、それが国民の処罰感情の名の元に正当化されるかも(ため息)
>monamiさん
現在の刑事裁判は絶望的で本当に何とか改革しなくてはならないのですが、この裁判員制度はワースト選択肢だと思います。お金(税金)ばかりかかりますしね!
この制度は小泉さんがやる、と言いだして何故か拙速に実現が決まり、ろくな議論を重ねてないお粗末なものです。
刑事訴訟法の理念自体は立派なものですが、運用においてこれでもかという位悪い方に悪い方に傾いていくのはまるで憲法9条と同じ。安倍、小泉政権からその傾向に更に拍車がかかりましたね。
>こねこさん
話はずれますが、最高裁判所裁判官国民審査は×をつけて不信任、何も書かないと信任になります。積極的に意見を言わない日本人にはちょっとクセモノの制度ですね、まず不信任はないでしょうから。
>>今は司法の中でも裁判官と検察(時には弁護士も)の距離が近すぎる、とのこと
検事が判事に任命されるのはよくあるのですが、被告人側の目線に立つ経験を積んだ弁護士が判事に任命されることは滅多にありません。(弁護士からの任官はもっとあっていいはず)
また、裁判官が一定期間法務省に出向し、国を当事者とする訴訟で国側代理人を務めるなどし、逆に検事が裁判所に出向することもあります。
このような「判検交流」が行われている限り裁判官と検察官は非常に近しい間柄となり、検察鵜呑みの判事がいることも納得できます。
そして以前も書いたことがありますが在野にいるべき弁護士でも権力志向の人間が増えてきたり、儲からない刑事弁護など一度もやらない弁護士も増えてきています。それが本来三者で相互監視するはずの彼らが一体化しつつあるとの指摘になると思います。
どこを見回しても前途多難な材料ばかりですねぇ・・