先日年越し派遣村に対しての発言を撤回、謝罪した坂本氏をはじめ、派遣村に対する無理解な暴言が自民党議員からいくつかありました。しかしネットを見てみると、派遣村に蔑視や敵意を持ったのは、どうやら新自由主義を推し進めた政治家だけではないようです。
例えばこんな感じのエントリーをたくさん見かけます。(URLは貼りません)
食傷気味だけどね。腹立つんだよ。あなた達の事は理解しかねます
今の御自分の置かれてる立場はおわかりですか
何を言おうと誰を批判しようと、あなた達の無計画さと考えの甘さには辟易とします
あなた方はどこまで他人に責任転嫁するんですか
政府が悪い。選挙行ってから政府批判しなさいよ
経団連が悪い。どこが
自分の先の人生の事も考えず目先の事、それも自分に都合の良い事しか考えずにやってきたツケなんだから、先ずは自分で行動して突破口を見つけて下さい。
自分で行動してる人は、責任転嫁しないで求職活動してるし、住むところが無いなんて言ってないか。
まず、私が問題にしている派遣問題は2つ
1つ目は
派遣村問題。これに付いては既に呆れてきました。無責任極まりない身勝手な権利の一方的な主張…反吐がでます
が…最近の情報は、また違った悪意を感じますね
ある特定の政治団体なんかが絡んできてしまい、ある意味…私的には滑稽に感じます
弱者を利用して利益を得る。彼らの常套手段ですからね(笑)
2つ目は
派遣社員の勝手過ぎる利己的な主張…
本来の意味を考えて下さい。派遣とは、企業の繁忙期に必要な労力で、閑散期には不要な労力なんです。それは現在派遣の方も承知の事と思います。だから暇な時や不景気な時は不必要労力なんです。
だって…
景気の良い時期は、鼻息の荒い派遣の方か沢山いたじゃないですか自分は人や会社に縛られたくないから、気楽な派遣を謳歌してるって言ってた方沢山いたじゃないですか
それが景気が悪くなったからって弱者を装ってる派遣の皆さん。どう考えても間違ってますから…
まっ全部の派遣の方がそうだとは思いませんが…
次に、自身が派遣労働者だというブロガーのエントリー
最初に断っておくが私は派遣労働者である!明日はどうなるかわからぬ身であり一般的に見ると派遣村の住人とそう大差がない!そうは言っても自分の雇用形態をしっかり把握しているので職を失うと即ち住むところも失うことになる寮には入らず自分で部屋を借りて生活している。よって自分の中では少なくとも派遣村の住人たちとは全く違うという自負ぐらいは持っている!
で連日報道される派遣村の報道を見ていて正直非常に腹立たしい思いがする
そりゃ~中にはホントに同情すべき人もいるかとは思うが大半は自分の置かれた立場をしっかり把握せず最悪の場合に備えて貯蓄もせず日々のほほんと暮して来たいわば自業自得といっていい連中に過ぎないからである!
そもそも寮住まいの派遣労働者は家賃の一部を派遣会社に負担してもらっているわけだから当然我々自分で部屋を借りている労働者より貯蓄はあって当たり前であるなのに寮住まいの派遣労働者の多くは自分で勝手に終身雇用であるかのごとく都合のいいよう解釈し日々勝手な生活を送って来ただけである。少なくとも私の職場にはそんな連中が大勢いるし派遣村の住人とて大半は似たようなものだろう
大まかに言うと
1.派遣など非正規雇用への無理解ー努力が足りない、怠けている、甘えている、自分でわかってて派遣を選んだのに何文句言ってるの。自己責任だ。
2.サヨク(社民党や共産党、9条の会)が利用して政治活動を行っているという一種憎悪を伴ったうがった見方 をする。
2はネット右翼的発想に近いですね。こういう機会に政治的な主張があってもなにも悪いことだとは思わないのですが、ともすると気軽に政治主張することそのものを避けようとする日本人気質がそこにあるように感じます。
しかしわりと普通な人でも派遣切りに対しては1のように冷ややかな目を向ける人が少なくないようです。
何故派遣叩きが行われるのか、こちらのブログが的確な指摘をされていらっしゃったので、引用させていただきます。
◆
玄倉川の岸辺 「
派遣村」叩きに日本の国民性を思う 」
(引用開始)
寒空の下で路頭に迷う経済弱者を温かい屋根の下にいるものが批判し、自己責任のお説教をして切り捨てる。そんな冷たい「空気」を感じ取った政治家が失言し、批判を受けて撤回された失言を「正論だ」と支持する人たちがいる。彼らがどれくらい多いのか、あるいは少ないのか本当のところはわからないが、2ちゃんねるやYahoo!のニュースコメントでは多数派を占めている。
寄る辺ない弱者を批判しているのが押しも押されもしない強者、資産家や権力者であるのならまだわかる。強者が世間の波に溺れる失業者を「稼ぎもしないのに助けてくれと要求ばかりする連中はゴミだ」と考えるのはそれなりに合理的だ(倫理的に立派なことではないが)。だが、ネットで弱者叩きにいそしんでいる人たちがそのような強者であるとはとても信じられない。「溺れて必死に助けを求める人を手漕ぎボートの主が小突き回し、そのすぐ横を大型船が行く」という絵が目に浮かぶ。手漕ぎボート氏は大型船の引き波で自分のちっぽけな船が転覆する可能性に気付いていない。(引用ここまで)
そして
なぜこんなに「良識ある一般人」が弱者に冷たいのか、意地悪なのか。どうしてこれほどいじましいのか、不寛容なのか
(略)
山岸教授によれば日本人が他者を信頼する傾向は調査した国の中でもっとも低い部類に入るそうである。端的に言えば日本人は人を見たら泥棒と思い、世間の人たちの大部分は身勝手だと信じている。信頼よりも疑い、優しさよりも警戒感、希望よりも絶望が勝っている。
(略)
「たいていの元派遣労働者(失業者)は信用できない」
「元派遣はスキがあれば自分たちを利用しようとしている」
「元派遣は他人の役にたとうとするつもりなどない」
という不信感が判断の基盤であれば冷酷な批判が生まれないわけがない。
と、なるほどと思う社会心理学的分析をされています。
また、玄倉川の岸辺 さんがリンクを貼っている先のエントリーでも、何故、派遣労働者に冷たい目が向けられるかについて、納得できる指摘をされていました。
◆
狂童日報2009-01-06 yahoo!ニュースのコメント欄がひどい (略)
yahoo!ニュースのコメント欄が深刻なのは、その文体はきわめて率直であるだけではなく、書きんでいる人にも、比較的「まともな社会人」が多いと想像できるからである。選挙に毎回足を運んだり、職場や地域社会で発言力を持っている人たちの中に、こうした感情が巣食っているとしたら、それは恐ろしいことである。
そこに共通しているにのは、「俺たちが今の世の中で一番苦労させられている」という、おそらく正社員でありつつ低賃金長時間労働を強いられ、社会保険や税金も「きちんと払っている」という意識の強い中間層の被害者感情である。この年金生活者の意見なんかが典型的じゃないだろうか。
私は(国民年金)で頑張って生活をしておりますが、なぜ?? (生活保護)の方はそれ以上に多いのでしょうか? インターネットを覚えてその事を知ってビックリしました。少しは改善されたようですが、まだ何万円か多いようです。貧しくても無理して年金を払ってきたのに、真面目に払った人が損をする。本当に日本っておかしな国ですね! 今後、改善される事を期待しております。
もちろん、国民年金と他のセーフティネットが不十分すぎるのである。しかしそうではなく、なぜか「派遣は苦労が足りない」という話にすりかわってしまうのだ。実際に「派遣切り」に遭った人は、こんな声に囲まれたらほとんど自殺するしかないだろう。
考えてみれば、「小泉改革」以降、もっとも割を食ってきたのはこの、低額の年金生活者を含む正社員中間層であった。
(略)
こういう正社員中間層にとって、派遣村に集まるような人たちは、メディアにも好意的に取り上げられて「自分たちより恵まれている」ように見える。「俺たちはこんなに苦労して働いても誰も同情してくれないのに」というわけだ(引用ここまで。強調は私)
正規雇用と非正規雇用の間でも同じ派遣の間でも、似たような境遇にあり敵も共通しているのにそれが連帯の気持ちに繋がらず、より弱者への嫌悪や非難へと攻撃の矛先がむかってしまう心理がわかります。「分断して統治せよ」とはよく言ったものです。
非正規労働者が職を失ったのは、努力が足りないわけではありません。非正規雇用者は全労働人口のおよそ3割、貧困ラインの年収200万以下はおよそ2割。いくらなんでも全労働者の2~3割が「怠け者の他力本願」だなんてありえません。
今年度の新卒の内定取り消しでもわかるように、正規雇用になりたくてもなれない現状があるのに、あたかも気楽で無責任な生き方を選んだように決めつけるのは、事実を見ていない偏見だと言えます。
社会の中で必ず一定の割合でどうしても貧乏くじを引く人々が出るのがさけられない、そういう状態は、「社会構造」の問題なのだということをはっきりと知る必要があります。
あまりの低賃金のため正社員以上に頑張っても日々食べていくので精一杯で貯金も出来ない。そしてスキルアップが望めないゆえ派遣になるとその後正社員として雇ってくれる企業はほとんど無く、また寮を追われ一旦住居を失うと、就職はおろかアパートも借りれない。ますます正規雇用の道は閉ざされる。こんな蟻地獄構造、貧困のスパイラルは個人の努力では決して解決できません。
派遣労働者を非難する人々には、仕事や住居を失い路頭に迷うのは彼らの責任ではなく新自由主義、規制緩和によりもたらされた社会構造であることへの無知が、ありありと見て取れます。
そういう人だっていつまでたっても苦しい状態は改善されてない人が多いでしょう。しかしまるで自然災害が過ぎ去るのをひたすら待つかの如く、現在の危機的な不況が過ぎ去るのを我慢して待ち、オレだって頑張ってるのにあいつら甘えやがってと派遣村をなじる。
これが日本で国民が一丸となって反貧困の大きな運動に発展していかない一因になってるような気がします。
この無知は新自由主義を推し進めた勢力に利用されてきたと思われます。結局ほくそ笑んでいるのは、ほんの一部の金持ちばかりが得をする構造改革を推進してきた新自由主義者達なのです。
きっと日本でなければもっと激しいデモが起きていたでしょう。
貧困の問題は国家が先頭に立って取り組むべき問題です。
住居がない、飢え死にする、凍死する、というのはもう途上国にあるような「貧困問題」です。
そして、同情云々言う前に、目の前で人が死に面しているような状況にあれば、まず無条件で手を差し伸べ助け合う相互扶助が、社会が持つ大事な機能でしょう。目の前で誰かが飢えて死にそうになっているのを、「自己責任だ」と横目で見て通り過ぎるのが自分が帰属したい社会でしょうか。
「自己責任」とはなにか、その言葉をまるで免罪符かマジックワードのよう使うことのよって、今の社会に巣くう貧困の原因を追及を中途半端にしていないか、一人一人が是非振り返って考えてみなければと思います。
そうでなければ、貧困問題を解決するため政府を動かす大きな国民的な力になっていかないのではないでしょうか。
こちらのブログが、雨宮処凜さんと小森陽一さんの対談『生きさせる思想~記憶の解析、生存の肯定』(新日本出版社)からこの「自己責任」のまやかしについて抜粋されてるので引用します。
◆
すくらむ派遣村バッシングの背景にある根強い自己責任論 - 人の生存より市場原理優先の新自由主義は退場を雨宮 しかし、「自己責任」論で、社会より自分に怒りが向くように刷り込まれてしまっているといえます。「社会のせいにするのは弱い人だ」とか、「問題をすりかえる人だ」というような言説がまかり通っている
どんなに理不尽な要求であっても、企業が要求してくることを、とにかくこなしていかないと、生きていくための最低限の給与も支払われないというところに置かれてしまっている。過労死するまで働かされてしまうということも湯浅誠さんが言う「ノーと言えない労働者」の問題 です。本来、法的レベルで労働者の権利や雇用する側の義務が定められていたはずの雇用が、事実上、奴隷的な労働にさえ至っているケースもある。そういう社会への異議申し立てを妨げてきたのが「自己責任」論です。
(略)
雨宮 仕事がないのも生きづらいのも「自己責任」だ、自分のせいだ、ということになれば、当然ながら社会構造には目が向きません。「自己責任論」は、社会構造に問題があるということを見えなくさせるために、財界や国によってふりまかれてきた言説だなと思っています。
小森 人が何かの行動をとった場合、その人は自らの責任においてそうしているんだというだけの話を、結果をもたらしたすべての原因に本人が責任を負うべきだという話にすりかえてしまっているのが「自己責任」論だと思います。ある行動を起こす原因には、その人が責任をとりようもないことがたくさんあるし、行動の選択肢が限られていたなら、その選択の前提は本人が決定しようもないことが大半なわけだから、「自己責任」論は現実には成り立たない議論です。
雨宮 ホームレスやネットカフェ難民、ワーキングプアといった問題を当事者の自己責任だという人たちは、そう思うことで自分は「許されている」、自分には責任はない、免責されているという面があるのではないでしょうか。当事者の自己責任になるわけですから、自分は何もする必要がない、心を痛める必要もない。そうやって自分は何もしないことが正当化されるわけです。実は、そういう問題に自分が関与している、場合によっては貧しい人を追い込んでいるかもしれないのに。
小森 そうです。何もしない。関心を抱かない。そして何より心が脅かされないことを自己正当化したいのです。
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