コメント
散発的に外国人記者の書いたものが紹介されるぐらいで、大阪市長はタブーに風穴を空けた優れた政治家として、勢いを取り戻すはずです。私の周りでも「市長、辞めさせられへんでよかったわ」という声が漏れていました。右旋回をした候補やコメンテーターが、大阪市長の罵倒・執拗な攻撃に遭うことは言うに及ばずです。
「平和と生活の安定」を重視しているらしい公明党に、ケンカや大戦さなど似つかわしくなくて、問責が通ると思ったこちらの不明を恥じ入るばかりです。
ちょっとした勝利
これまで日本人は、漠然と日本の兵隊が朝鮮半島で悪さをして回ったといった印象を持っていたのかもしれません。それが今回の騒動で、どうもそうではなかったみたいだねと印象が変わったのではないでしょうか。テレビでは誰もそれに対して有効な反論を加えた人がいたとは思えません。政治家橋下徹は今回の件で多少傷ついたかも知れませんが、強制連行はなかったと主張する人達にとっては、ちょっとした勝利だったのではないかと思います。
「狭義の拉致」と「広義の拉致」
で、海岸を散歩していたら連れてかれちゃった、とか、チェチェ思想の世界革命戦士を志願して連れてかれちゃったは、「狭義の拉致」だから、どうだって言いたいのかね?
「家に押し入って連れてかれちゃった」「狭義の拉致」はないようだが……[注2
注1)2007/03/05 参議院予算委員会、民主党・小川敏夫への答弁
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【小川】 従軍慰安婦問題で、首相は強制性はなかったと発言している
【安倍】 河野談話は基本的に継承している。官憲が家に押し入って連れて行くという強制性はなかった。間に入った業者が事実上強制したこともあったという意味で広義の解釈で強制性があったということだ
米国で決議が話題になっているが、事実誤認がある。決議があったからといって我々が謝罪するということはない。米議会内の一部議員の動きを受けて、引き続き我が国の立場の理解を得るための努力を行っている
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出典:朝日新聞縮刷版2007/3月p.302 2007/03/06(火)4面 [焦点再録予算委員会/参院5日]
注2)「慰安婦調達」に「狭義の強制」があったことについては、別途、紹介しましょう
『慰安婦調達は全て狭義の強制であった』と主張するのは、トンデモですが、『慰安婦調達に、強制は、全く無かった』と主張するのはデマ
デマを垂れ流す御馬鹿さんに気をつけましょう
史料紹介: 吉見義明監修『東京裁判-性暴力関係資料』(現代史料出版2011/02/25)
[本文2段落]
(誤)「狭義の拉致」→(訂正後) 海岸を散歩していたら連れてかれちゃった、……の「広義の拉致」だからと言って…
ハテナisbn記法でみるかぎり、ハテナでも未だ、紹介されていない史料集
極東国際軍事裁判(東京裁判)に於て、国際検察局が、日本軍の戦争犯罪を立証するために準備した証拠書類中から、性暴力関係の事項を収集・編集した……(既に他の資料集に収められた史料=南京事件関連=を除く)【解説はじめに…より】
【Ex.】…法廷証拠番号
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吉見義明監修『東京裁判-性暴力関係資料』
現代史料出版 2011/02/25 18000円+悪税
ISBN:9784877852474
==目次==
■巻頭言/吉見義明
■【東京裁判と性暴力-解説にかえて- 内海愛子、宇田川幸大、高橋茂人、土野瑞穂】
はじめに p.11
一 中国における戦争犯罪立証と性暴力 p.13
二 フィリピンにおける戦争犯罪立証と性暴力 p.18
三 日本軍の東南アジア占領地域などにおける残虐行為 p.21
四 弁護側の反駁 p.38
五 最終論告および最終弁論 p.46
六 判決 p.49
七 おわりに p.58
■【資料】
一 中国における性暴力
[資料1][謝金華宣誓供述書](湖北省における残虐行為) Ex.342
[資料2][劉輝華宣誓供述書](河北省) Ex.343
[資料3][□樹栄宣誓供述書](河北省) Ex.344
[資料4]美震□ノ陳述(宣誓供述書) Ex.345
[資料5]宣誓口述書(□恵□宣誓供述書) Ex.346
[資料6]供述書(王仲夫宣誓供述書) Ex.349
[資料7][桂林市民控訴其の一](桂林市民九名の(桂林市内に於ける日本軍残虐行為)宣誓供述書広西省) Ex.353
[資料8][韋廖氏、韋鳳□宣誓供述書](広西省に於ける日本軍の残虐行為) Ex.357
[資料9][韋李氏、李鳳□宣誓供述書](広西省に於ける日本軍の残虐行為) Ex.358
[資料10][王二旦宣誓供述書](□遠省に於ける日本軍の残虐行為) Ex.369
二 フィリピンにおける性暴力
資料11から資料17
三 ビルマにおける性暴力
資料18[M.M.ウィリアムス婦人宣誓供述書](捕虜虐待致死の確証)Ex.1558
四 香港における性暴力
資料19
資料20
資料21
五 アンダマン諸島における性暴力
資料22
六 オランダ領東インド(含ポルトガル領チモール)における性暴力
資料23から資料31
七 フランス領インドシナにおける性暴力
資料32口供書抜粋(モネ・ジャヌ(夫人)宣誓供述書日本将校による強姦(仏印における残虐行為))Ex.2116
資料33口供書抜粋(タビユチユアライ・ツタニ宣誓供述書日本兵による強姦(仏印における残虐行為))Ex2119.
資料34口供書(ニユーヤン・シー・ソン(印度支那人)宣誓供述書虐殺、強制売淫(仏印における残虐行為))Ex.2120
資料35口供書(カゾーラ・フエルナン宣誓供述書欧州婦人に対する強姦、殺人(仏印における残虐行為))Ex.2121
資料36ルミデユロー(ポーレット)REMIGEREAU PAHLETTE夫人の供述(抜粋)(ルミデユロー(ポーレット)夫人宣誓供述書仏婦人に対する虐待及び強姦(仏印における残虐行為))Ex.2122
資料37口供書抜粋(セシル・カザヂユー宣誓供述書河江(東京)の安辺橋における仏軍人捕虜の虐殺(仏印における残虐行為))Ex.2133
資料38口供書抜粋(ムウレ・アルベール・ルイ(大隊長)宣誓供述書婦人に対する強姦及び捕虜の処刑(仏印における残虐行為))Ex.2124
資料39口供書(リムーセン・フランソア宣誓供述書海防中央監獄における仏人に対する虐待(仏印における残虐行為))Ex.2136
資料40 1947年1月7日東京に於て仏国西副検察官ロベール・オネト氏の面前に於て成されたる供述書(エフ・ガブリラーグ宣誓供述書定立で生き残つた仏人全部の殺戮(仏印における残虐行為))Ex.2157
■東京裁判性暴力関係資料リスト p.275
付録 p.335
■主要参考文献一覧 p.391
■解題 p.393
■あとがきにかえて p.399
== 『東京裁判性暴力関係資料』目次 おわり ==
※】 図書館利用の薦め へ 続く予定
上田清司埼玉県知事の「従軍慰安婦」観
誰かの妄想
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20130601
最前線で下級兵士と共に殺されていった「慰安婦」については、50年代の戦記物小説から戦史,ルポルタージュ,……大量の記録があるのだが、上田清司は無視・否定出来るのだろうか?
衆議院議員・西川京子他 河野談話撤廃を求める緊急国民集会 産經新聞記事へのリンク
岡目八目氏に問い質しておこう
Q1: 「強制連行はなかったと主張する人達」とは、誰ですか? (安倍晋三の主張は「狭義の強制はなかった」ですから「強制連行はなかった」とは言っていないようです)
【2】Q2 以降は 上記の質問への回答により、分岐する
広義も狭義もないでしょう
広義も狭義も関係ないでしょう。普通の人達にそんな区別が付いているとは思いません。
狭義の強制がなければ日本に責任はなかったとみんな思ってしまいますよ。
朝鮮半島で狭義の強制があったと証明した人はいませんし(実際なかったからそれは仕方ないのですが)、だけどそれでも責任は免れられないと多くの国民に向かってマスメディアが伝えたとは思いませんし、伝えようとすらしなかったと思います。
みんな朝鮮半島で軍人が人を拉致して回った事実はなかった、強制連行はなかったと思ったのではないでしょうか。その場合の強制連行には狭義も広義も含まれるって事です。誰も区別が付いていないからです。
答えになっていないんですが……デマ垂れ流しを考える
Q1: 「強制連行はなかったと主張する人達」とは、誰ですか
> 広義も狭義も関係ないでしょう、普通の人達にそんな区別がついてるとは思いません
Q2a: 「普通の人達」とは、誰ですか 安倍晋三も「普通の人達」の御一人なのでしょうか?
> 狭義の強制がなければ日本に責任はなかったとみんな思ってしまいますよ
Q2b: 「みんな」とは、誰ですか? …… 「家に押し入って連れて行くという強制性はなかった」(C by 安倍晋三/20007/03/05参議院予算委員会)朝鮮人民民主主義共和国国家機関による拉致について「家に押し入って連れて行くという強制性はなかったから」「朝鮮人民民主主義共和国国家機関に責任がない」と思う方がいらっしゃるとは思えません
「みんな思ってしまいますよ」の「みんな」とは誰か説明御願いします
> 朝鮮半島で狭義の強制があったと証明した人はいません(実際なかったからそれは仕方ないのです)
この言説については、Q1,Q2a,Q2bを片付けてから別途検討しましょう
PS)BLOG TOPに NEW ENTRY が表示されて、便利になりました
アンケートをとったら橋下市長の言っていることの何が悪いか分からない人が多いと思う
「みんな」、「普通の人達」とは学校で慰安婦について習ったこともなく、興味を持って資料を読んだこともない、詳しい知識を持たないほとんどの日本人のことのつもりで言っています。
そういう「みんな」は強制連行についてこれまで日本の軍人が直接拉致の実行行為をしたと、漠然とした印象を持っていたのではないかということです。それ以上の知識を持たない人達なら、直接の拉致行為がなかったのならば、それ以外に何が悪いのかさえ分からないのではないでしょうか?
答えになっていないんですが…Part.2
質問を読んでから答えて下さいね
質問 再掲 省略
岡目八目ひとりは、少なくとも「普通の人達」であり「みんな」だということでしょうかね?
>岡目八目様…
貴殿の仰りたいこと…、よく理解できます。
マスメディアが、意図的に強制連行主張派の論評或は、学者の研究・検証等を報道しないことと、以前どなたかが、仰ってみえましたが、日本の義務教育で、近代日本史教育を疎かにしたことが、原因のひとつではないでしょうか?。欧米などでは、ある歴史の事柄について、両論併記しているときいたことがあります。岡目八目さん仰るように、ボクを含め戦中・戦後(特に敗戦直後)の史実について明るくないひとたちにとっては、判断がつきかねるのは、当然至極だと思います。
ボク自身、2010年の秋頃、こちらの秋原葉月さんのブログに出逢い、立憲主義や死刑制度・日本国憲法・ヘイトクライム禁止法等々について勉強させて頂いているんです。こちらの論客である小野哲さんや村野瀬玲奈さん・フリスキーさんなどのブログでも“目から鱗”を数多く教えて頂きました。(^-^ゞ…それまでは、全然に無知に近かったですもの…。お恥ずかしい限りですが。( v^-゜)♪
人を操るのは学校から
強制連行はなかったと主張する人達とは要するに慰安婦問題で日本に非はなかったと言う人達です。橋下市長も安倍首相も中山なりあき議員もそうだと思いますし、言論人なら小林よしのり氏、西尾幹二氏、池田信夫氏、その他ネットで軍も政府も責任はないと言う人達をみんなひっくるめてです。
> 青い鳥さん
> 日本の義務教育で、近代日本史教育を疎かにしたことが、原因のひとつではないでしょうか?
受験の都合上とか時間がないとかの理由で近代史が教えられることがなく、結果としてたまたま知識を得ることがなかっただけではないのかも知れません。慰安婦については教科書から記述を削除する動きがずっとあり、それが功を奏したのではないかと思います。そのようなキャンペーンを張ってきた人達は、教育の重要性を誰よりもよく知っていたのではないでしょうか?
今橋下市長に「強制連行はあったのか?日本のやったことは他の国と何が違うのか?」と問われ、それに対して明確に答えられる人はほとんどいないのではないでしょうか?何も教えられていないからです。そして普通の人達だけではありません。驚くべきことにマスメディアもそれに対して答えを持ち合わせていませんでした。いささかショッキングでしたが、予期すべき事だったのかも知れません。国民を無知蒙昧に導くことが意図的に行われ、それが大成功したのではないかと疑っています。
以前書いた覚えがありますが…
そして、政治経済の授業でも歴史的な話は、WW2後からスタートですから、自分で調べようと思わない限りこの時代については無知にならざるを得ないというのが現状の学校教育かと…
伝えられなかった記憶
> 受験の都合上とか時間がないとかの理由で近代史が教えられることがなく、結果としてたまたま知識を得ることがなかっただけではないのかも知れません。慰安婦については教科書から記述を削除する動きがずっとあり、それが功を奏したのではないかと思います。そのようなキャンペーンを張ってきた人達は、教育の重要性を誰よりもよく知っていたのではないでしょうか?
> 今橋下市長に「強制連行はあったのか?日本のやったことは他の国と何が違うのか?」と問われ、それに対して明確に答えられる人はほとんどいないのではないでしょうか?何も教えられていないからです。そして普通の人達だけではありません。驚くべきことにマスメディアもそれに対して答えを持ち合わせていませんでした。いささかショッキングでしたが、予期すべき事だったのかも知れません。国民を無知蒙昧に導くことが意図的に行われ、それが大成功したのではないかと疑っています。
岡目八目さんの言われること、私もそうかもしれないと思います。三十年以上前の私の中高時代も日本史の授業では近代史のところはほとんど、「飛ばし」でした。
ただ、あの頃の教師たちの中には年上の兄弟や父親の世代が、あるいは本人自身が出征した人さえもまだいたはずなので、日本としてはうしろめたいところがあるのだと内心、知っていたのではないかと思うのです。私の母なども戦時中はまだ子供で、その後も左翼運動やフェミニズム運動などには縁のなかった、ただの田舎婆さんですが、日本軍が中国や他のアジアの国々で酷いことをやったらしいということは漠然とは知っていたようです。沖縄の人々が戦時中も戦後も、本土の犠牲になったようなものだと思ってもいたようで、近所の人たちが誘った沖縄への団体観光旅行を断ったのは、それが申し訳なく思えるので楽しめないからだと、後で言ったことがありました。おそらく出征した身内や、外地に住んでいた親戚などから何とはなし、いろいろなことを漏れ聞いていたのだと思います。
私の中高時代は、すでに世間の高学歴志向が強くなっていて「受験戦争」という言葉も出来ていた時代でしたが、それを理由に、なぜか三年生の学年末に当たってしまったりする近代史をまともに教えないで済んだのは、言ってはなんですが、教師たちにとってもありがたいことだったかもしれません。(そしてそのツケが今、来てしまっているわけですが)ウヨクの人はよく「日教組の反日教育がー!」とか言っていますが、あの当時、日教組の組合員は今よりずっと多かったはずなのに、そのわりには彼らの言うところの「反日・自虐史観」に基づくを教育を受けたという記憶はありません。(むしろ、そうしたことを知ったのは、個人的な読書などを通してでした。)人の話でも「私はこんな自虐史観授業を受けました」という体験記もあまり見た記憶がないのですが、そもそも近代史の授業自体がほとんど行われていないのなら、当然でしょう。
誰しも、自分の身内や自分自身も加担した「悪いこと」を子供たちに語りたくはないでしょう。教師だけのこととは限りません。戦後世代が、大戦中に日本がアジア各地でして来たことをほとんど知らずにきたのは、ある意味、「国と(当時の)大人たちとの共犯的な沈黙」のためだったのではないかと私は疑っています。私も出征経験のある伯父や近所の御老人に、その人たちが亡くなる少し前くらいにもなって、断片的な話は少し聞きました。しかし、今になると後悔されることですが、その時は詳しく聞き正すことはできませんでした。
前にもコメントで紹介させていただいたドイツ在住のジャーナリスト、永井潤子さんのお話によれば、大戦後20年くらいはドイツでもナチス時代の戦争犯罪について、自分たちにも責任があるというふうには考えていなかったそうです。
戦争責任に向き合うドイツと目をそむける日本 ~被害国に受け入れられたドイツの戦後補償の歩み~ 永井 潤子 2006年5月17日
http://www.jca.apc.org/taiwan-ianfu-support/support_group/2006/06.4nagai_junko_speech.html
(この講演があったのは、7年前、小泉政権の末期でしたが、今でも十分に傾聴に値する内容だと思います。以下に一部を引用します。
> 去年、当時の町村外相が言った言葉がドイツに伝えられてきて、私は非常に驚きました。どういうことかと言いますと、「ドイツは全てのことをナチの責任、つまり戦争責任とか、そういう全てをナチのせいにして、一般の人たちは頬かむりできるけど」、正確にはそういう表現ではなかったですけど、「ドイツは全てのことをナチのせいにできる。だけど日本はそうはいかない」というようなことを話されたんですね。私はそれを聞いて、びっくりしました。
> 西ドイツでも敗戦直後は、やはり「自分たちには責任がない」「自分たちは知らなかった」「ナチがやったことだ」という態度が社会に蔓延していましたが、そういう態度をとったのはせいぜい戦後20年くらいです。その後は社会の動きが変わりましたが、それは一度に変わったわけではありません。
(引用終わり)
だから、大戦後に成人した世代の非ユダヤ人の人たちは、ユダヤ人の強制収容や虐殺のことさえ詳しくは知らなかったようです。もちろん、漠然とした話としては聞いてはいたようですが、そこまで酷いことではなかったろうと思っていたみたいです。(私の知る例では、フレデリック・フォーサイス氏の『オデッサ・ファイル』という小説の中で、十分な教育も受けたはずの当時の若いドイツ人男性たちが、会話の中でそのように語っている場面があります)でも、ドイツは、それではいけないと国内外の被害を受けた人々に謝罪して補償し、次世代にもそれを伝える努力を始めました。おそらくは、日本と違って、かつて侵略した国々に四方を地続きに囲まれていては「しらばっくれ続ける」ことは不可能だったからでしょう。
(再び上記の永井潤子さんの講演録より引用します)
> 最初、敗戦直後は「自分たちには関係ない。ナチがやったんだ」というようなことをドイツ国民も思っていたわけです。「自分たちは知らなかった」というようなことをずっと言ってたんですけど、そういう雰囲気がだんだんと変わってきた。長い時間かかってそういうふうになったんですけど。
<中略>
> その後でドイツは自分たちの反省と犯罪を追及することを続けたんですね。「人道に対する罪」といっても、例えば戦争が終わる直前に、軍事施設も何もない、エルベ河畔のすばらしい文化都市だったドレスデンを占領軍が無差別攻撃して、10万人の人たちが殺された、そういう連合軍の戦争責任は問われなかったんですけど、ドイツでは自分たち自身の手でナチの犯罪を追及することが行なわれました。
> アデナウアーというドイツ連邦共和国初代の首相は非常に保守的な人でしたけれど、やはりケルン市長の時にナチに抵抗して闘った人です。そういう人たち、首相あるいはその当時政治的な指導者だった人たちは、やはり最初から自分たちの過去を反省しなくてはいけないと、そしてそれは自分たち、ドイツ人の名誉に関わる問題だと考えていたんですね。それでも最初は、指導層が新しい憲法を作り、戦争責任を問いかけても、一般の人たちはそれに応えませんでした。
(引用終わり)
そういえば、日本では、戦時中の政権に抵抗して闘った人たちが、戦後に政府中枢の要職に就くということはあまりなかったようですね。(片山社会党内閣というのはありましたが、存在感はいまいち薄かったようです)