コメント
市長ですから謝罪する側です。
高校生ですから口で言えばわかりますよ。
報道によると、試合でミスすると10発とか、30発殴るとか。
体罰云々より性格的に問題があります。それも黙認してきた
学校関係者の責任は大きいですね。
『しかし体罰は全面的にダメなのです。』
スポーツ少年団の活動を20年していますが体罰の概念がよくわからない。
10年ほど前ですが休憩中に5年生同士が喧嘩をはじめ、コーチが割って入ったのですが、一方が泣きながらバットを振り回しコーチをバットで殴ってきました。父親も止めようとしたがパニック状態で手が付けれなかった。
私は殴り掛かってきたバットを片手で受けて平手で1発殴り
落ち着けと大声で叱咤しました。
それでバットを離しました。
これって体罰ですかね?
谷川議員の発想はワケワカメ
突然の発砲に応射出来た例なんかありません(だから無差別乱射死傷の惨劇が起きるんだろうが)
この“武道家・警察OBの怖い先生”当人が、誰も物申せぬ権力者と化すであろう事は火を見るより明らか(嘲
橋下の裏の意図
赤塚漫画
昔の漫画を思い出しました。ココロのボス一党と男ブタ松一家が出入りしたとき、どっちだかの側についたニャロメが、自分の側が負けて逃げたら、一人敵側になって一緒に万歳をしているってギャグがありましたよ。
これで教師の管理強化につなげて、その後にまた教師の不祥事などが起きたら、管理者が厳しく管理責任を負うのかな。それとも下に責任転嫁をし続けるのかな。
体罰は“傷害”犯罪です。
>ASさん…、お久しぶりです。また、色々とお教えください。
対案(提案)
改善しようと努力する?橋下市長や国に教育現場を掻き回して欲しくなければ、このような案件にしっかり対案を示そう!
(別記事の大阪「授業評価アンケート」でもね)
別記事の「大津のイジメ防止条例案…」でも、日本共産党滋賀県委員会の条例案批判を引用されているが、1番肝心な提案(ないの?)については全く引用されていない。
批判だけなら、貴方も自分の主張(橋下否定)の為に、この事件を利用しているのでは?と思う。
Re: 対案(提案)>NANさん
相手が間違ってることを示すのに、いちいち対案を出す必要はありません
体罰肯定派だったはずの橋下さんが、都合よく体罰絶対反対の正義漢になって教育支配に乗り出している件(1/9)
twitterでもツッコミの嵐です。
中には「問題の教師は日教組じゃないのか?日教組が悪い!」みたいなことを言ってる人もちらほら現れているようです。…日教組や全教といった教職員組合こそ「体罰禁止」の急先鋒で、「体罰無しの指導」実践や研究を蓄積してきたんですけどね。
> ASさん
ご無沙汰しておりました。
> “武道家・警察OBの怖い先生”当人が、誰も物申せぬ権力者と化すであろう事は火を見るより明らか(嘲
「大人の支配による秩序」に組み込めれば、そこがどんな暴力的構造であろうが構わないと、谷川文科副大臣は考えているのでしょうね。
体罰ってなに?
「教育委員会の事なかれ主義」というわかりやすい「叩きどころ」を作って、自分は悪代官を懲らしめる黄門様みたいな役どころで、教師とか学校管理者とか教育委員会とかを叱りおくポジションをとろうというのが、「この人、いかにもテレビ的なポピュリズムの申し子だよなあ」という感想を持ちました。(NameのURL参照)
テレビで見た橋下氏のコメントは「30発、40発なんて異常」というように殴った数を問題にしていたのが、なんか滑稽な感じがしたけど……。「げんこつで5回までなら許容範囲」ってな線引きの問題ではないしねえ。(1回でも殴るのはダメ、って言うのも数の問題にしているともいえるかも)
いつか「体罰」についてもエントリーを書こうかなと思いました。みんな「体罰」がいいとか悪いとか、「愛情があればいい」とかいうけど、「体罰」って「処罰」だということをなおざりにしているのではないかなあ。上でシジミさんの書いているような平手打ちは、罰として相手に身体的苦痛を与えるものではないでしょう。
権力的に威力(暴力)を使って統制する方法では、いじめを防ぐのは無理かつ別の弊害をもたらすだろうと思われます。
簡単に対策を思いつけるほど容易な問題ではないのでしょう。気になるのは、ブログなんかでも議論で具体的提案はなくてもいいけど、自分のいじめられたりいじめたり傍観したりの体験んが語られないこと。もちろんわたしの知る範囲ということですけどね。
>kuronekoさん
職員の不祥事の削減目標を達成できなかったからと自分以外の幹部の給料を下げちゃう人ですから、これは20000%期待できそうにないですね^^;
>テレビで見た橋下氏のコメントは「30発、40発なんて異常」というように殴った数を問題にしていたのが、なんか滑稽な感じがしたけど……。「げんこつで5回までなら許容範囲」ってな線引きの問題ではないしねえ。(1回でも殴るのはダメ、って言うのも数の問題にしているともいえるかも)
議論の余地があるんだそうですよ。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-01-11/2013011102_02_1.html
試合でミスしたらもみあげひっぱり3回までOK、試合に負けたらビンタ二発までOK、とかいうマニュアルでもつくるんでしょうか。
あくまで体罰容認だからこんな「ルール」作りをしようなんてアホなことを言う羽目になるのです
今回の事件の原因も「教育委員会が体罰禁止とか、手を上げることは絶対にありえないという、うわべっ面のスローガンだけで事にあたっていた」せいだと言うんだから開いた口がふさがりません
kuronekoさんへ
★学校での部活動は廃止して、欧米のようなスポーツクラブに移行させる
とか?システムの改善で体罰を防ぐ方法はまだ色々とあると思いますが…
橋下市長や国は、教師(教育現場)にまだ期待しているから、そこまで踏み込めないんでしょう。
>NANさん(少し前の「対案」の件)
でもそもそも彼,この件(教師の厳しい体罰が高校生を自殺に追いやったと思われる事例の発生)に関して,防止策の具体案を出してましたか?
もしかして『自分(首長)が直接関われるように,条例を作りたい』とかいうこと?
もしそうだとすると,対案を作る以前に,そもそも彼,
*その条例案が具体的にどんなんで,
*それが通ったら,どういう利点があって(=自分がどういうことをしようと考えていて→これ重要),
*学校での教師の暴力がなくなる(減る)と期待できるのか,
…すら、全く説明してないじゃないですか。なのに=案が不明確なのに,対案なんて出せようはずがないのでは?
それに,「(こういう)政治介入ができれば,この問題は解決する」と彼が考える,教師の暴力を生む背景や要因の分析だってまだだし(分析する気もなさそう)。
そのへんがわかっておらず,わかろうともしてないのに,彼がまともな案を持っているとは考えにくい。
でも,NANさんは,まずその先にある『対案』を求めるんですか?
私には,彼は今回のような事件を起こすことになった『学校環境に内在する,原因,要因』の探求や解析をしようともしないくせに,またいつもの「万能感」に基づいて「自分が直接支配するために,自分に白紙委任を」路線で自分に権力を持たせるように求めているだけのように思えます。
あなたはなぜ「彼の言う通り条例を作って彼が関わったら,学校での教師の体罰はなくなる」と(ちらとでも)考えるんですか?
実際に,彼自身は学校での「教師の体罰を肯定してる」んですよ??
今回は彼が「肯定している,学校での教師の体罰」が原因で生徒が亡くなった可能性が大きいのに…ですよ?なのに…いいの??
そんな人に権力持たせて直接学校に関わってもらうのはとてもコワいので,私は秋原さんの言われるように,反対です。
ここで終わると批判と反対だけと思われるかもしれないので,また後日,この件に関して私の「首長としてするべきこと」に関する考えを,できたら別に投稿したいと思います。ただ,簡単な問題ではないので,専門家でもない私が簡単に言えるレベルのことではなく,ただ教員経験者として,あるべき方向性については話ができるということに過ぎませんが。
> ★教室を全て可視化する(監視カメラの導入他)
いじめの現場がトイレや通学路やネット掲示板に変わるだけだと思います。監視カメラを納入する業者が大喜びするでしょうけど、根本的な解決にはならないんじゃないでしょうか。
> ★学校での部活動は廃止して、欧米のようなスポーツクラブに移行させる
まず体罰の「廃止」をこそ徹底させるべきでしょうが、欧米のようなスポーツクラブがあちこちにあるのはいい事だとわたしも思います。しかし、全ての学校の部活動を受け入れるだけの社会的な素地を整えるだけで膨大な予算が必要でしょう。ちなみに吹奏楽部などの文科系クラブでも体罰がありえますので、そういったクラブの生徒も受け入れるとなると、事はスポーツ行政に留まりませんから、ますます難しくなりますね。
当面できることは改めて体罰の禁止を全ての教師に通達した上で、教師とスクールカウンセラーを増員して生徒が体罰やいじめを通報しやすく、かつその通報に対して第三者機関が調査に入れる体制を早急に構築することでしょうか。体罰を行った教師には懲罰と研修プログラムを課す事も考えられますね。
同時にしなければいけないことはいじめも体罰も含めて「暴力で他人を服従させようとする行為は絶対に許されない」という指導を徹底する事です。エントリ中でも触れられていますが体罰を「愛の鞭」的に肯定する風土がこの事件の根底にあるのですから、それを批判し解体するところから、各自治体、文部科学省、ひいては政府が率先して、声を大にして始めなければいけないでしょう。
ていうか政府はこういうとき「体罰は絶対に許されない」という声明を出すべきだとわたしは思うんですけどね。
> 橋下市長や国は、教師(教育現場)にまだ期待しているから、そこまで踏み込めないんでしょう。
そうですか?
わたしなどは逆に人々の敵意を向けさせて激しく疎外しているような印象を持っていたのですが。少なくとも橋下市長からは教師に対して期待をかけるような言葉を聴いたことがありません。
> 秋原さん
わたしがこの事件で一番ショックだったのは、まだ事件から間もないのに(間が開いてれば良いってものでもありませんが)「親の責任」を問う声や、「良い体罰もある」などという詭弁が、よりにもよって保護者から聞かれだした事です。
被害者に対するこの無慈悲さ、あるいは無関心は単に体育会系体質やその同調圧力と言うだけで説明ができるものなのでしょうか。ていうか、みんなそんなに誰かを殴りたいし殴られたいのかと。暴力に一体何を期待してるの?と。なんで暴力にそんな幻想を抱けるのか、正直不思議で仕方がありません。
mimosaさんへ
で!貴方がおっしゃられる『学校環境に内在する,原因,要因』の探求や解析をして今回の問題を解決する為には、まず橋下市長の元に教育現場のリアルな声が汲み上がってくる仕組みが絶対に必要だと思いましたので、そこから手を付けようとしている姿勢(政治手法)に自分は賛同します。
それから『対案』を求めたのは、この記事が基本的に「政治が教育に過干渉をするな!!」という姿勢で語られていると自分は解釈しましたので…では、何か解決策があるのかな?と思いまして。
>観測霊さん
まさに被害者に対するセカンドレイプですよね。
こういう人に限って「被害者の気持ちにもなって見ろ!」と厳罰要求するんはないでしょうか。
だとしたら矛盾も良いところ、厳罰化は「被害者のため」ではなく自分の攻撃性を満足させるため、というのがよくわかりますよね。
こういう強者に媚びて正当化する心理って弱者叩き(生活保護叩き)にもメンタル的には繋がってるんでしょうね
日に3,40発も殴って生徒を死に至らしめたというのは、一種の虐待死だと思います。
この教諭を「良い体罰もある、先生を応援している」と擁護した保護者は、同じく体罰で我が子を虐待死させた親に向かっても「良い体罰もある、貴方を応援している」と言うんでしょうか?鬼畜だとか子どもが可哀想、死刑にしろとかいいそうな気がするんですけど。
こういう軍隊チックな鉄拳制裁を美化する戦前的な体質が日本には厳然と息づいているのですね。
あまりのドMさにくらくらしそうです。
ドMはドSがいて成立しますから、なんというかナチスドイツ期のファシストと民衆の共依存関係にも似ています。
支配する側に迎合したがる(統治主体意識にすぐに飲み込まれてしまう)国民性を持った日本人なら、最初のうちは徴兵制に反対していても、直ぐに「精神を鍛えるために必要だ」「国を守るためなんだから当然の義務だ」とか言い出す気がします。
ところでこちらの記事を
大阪市教委へ義家政務官派遣 文科省、体罰全国調査へ
http://www.asahi.com/national/update/0111/TKY201301110072.html
義家氏派遣て・・・糸冬了
このブログがいい。
このブログの記事の、体罰否定の論拠が秀逸です。特に統計学の視点から体罰肯定の論拠のなさの指摘が見事。
NANさんの美しい誤解
>『学校環境に内在する,原因,要因』の探求や解析をして今回の問題を解決する為には、まず橋下市長の元に教育現場の
>リアルな声が汲み上がってくる仕組みが絶対に必要だと思いましたので、
→為政者が教育現場のことを知ろうとするのは大切です。
でも「橋下さんのもとに」教育現場のリアルな声が汲みあがってくる仕組み,というのは,ひっかかります笑。
なぜなら,彼は「教育現場からの声」を汲み取る気など,全くないからです。
それは,今まで彼がしてきたことを見たら明らかではないですか…
彼は,現場の実情を知って,こどもらのためにその環境をよくしようとは思ってないですよ。
そもそもそれは,今までの彼の流儀を見ればわかることです。
*市民府民からのパブコメも読まない(過去には読まないと公言していた),
…最近,ちょうど「大阪市の教育振興?について」のパブコメの集約期間だったと思うんですが…読むかな?また無視かな?
*学校選択制に関して各区で行われた説明会では,保護者から「地域の繋がりが希薄になる」という観点から,実施に消極的あるいは否定的な声が多かったそうですが,彼はそういう当事者の声もガン無視。
「学校選択制を取り入れたものの失敗に終わった地方自治体」から人を呼んで,話をきいたり課題を検討したり(あるいは,行政機関の部署に)検討させたりしている様子もありません。最初から実施ありきで,説明会も形式的に設定しただけで,そこに寄せられた保護者の声はスルーしているのです。
*例えば秋原さんが記事で紹介して下さっている『教育基本条例NO』という団体から質問を受けても,まずはそれに答えてから(,あるいは答えられるよう)教育委員会や自分の教育行政の悪いところを改めて行こう,というふうにもしていません。
*複数の弁護士団体から,公式に「違憲」「違法」の疑いがあると抗議を受けても,やっぱガン無視。
つまり彼のやってることは,誰か(今回,教育委員会)を悪者にして,それを叩くことだけであり,現場の意見を吸い上げてよりよい教育行政をできるように組織を変えて行こうというようなものではない。だから問題なのです。もしあなたが言われるように彼が現場の声を汲み上げようとしているのなら,教育予算や教育施設に使う予算を,あんなに削るはずありません。
それから,教育委員会と言えば,彼はいつも「非常勤の教育委員」のことばかり出して来ますが,「教育委員会」が意味するものは2つあり,
・自分が任命して採用している非常勤の教育委員の他に,
・教育委員会事務局というのもあります。
そこで働く職員は常勤であり,指導主事という役職についてる人の中には教諭経験者も多く(校長になるには,一度府教委に出て,この指導主事を経験する人も多いと言われている),現場のことを知ってる人,例えば現場の部活で苦労している先生に繋がりのある前教員も,いっぱいいるんです。
つまり橋下さんは,別に仕組みを変えずに今のままでも,その気になれば『現場のことを知ることはできる』のです。そういう人たちから現場の実情をきいたり,現場の事情を詳しく教えてくれる現役教員や退職管理職を紹介してもらったりは,簡単にできるはずなんですから。
でも彼はそんなこと,絶対しない。するつもりもない。現場の声をリアルに汲み上げようなんて思ってないからです。
なのに彼が「現場の声を汲み上げようとしている」とあなたが考えるのは大きな間違いであり,はっきり言うとあなたは騙されておいでです。
もう少しやわらかに言うと「美しき誤解」かな…彼に言わせれば,誤解した方の自己責任ということになるのでしょうけど苦笑。
だから,しつこいけど
>そこから手を付けようとしている姿勢(政治手法)に自分は賛同します。
→「そこから手をつけよう(=現場の声を汲み上げるために,組織を変えよう)」とは,彼はしていません。
ので,騙されないで!どうか賛同しないでください。お願いします。
学校 工場 兵営
って呼び出されちまっただよ。
>★教室を全て可視化する(監視カメラの導入他)
>★学校での部活動は廃止して、欧米のようなスポーツクラブに移行させる
実は代替案マニアのわたしは(東大と放送大学の合併とか、自衛隊の分割民営化とかネタエントリーを書いております)こういう議論は面白いと思います。
ただ、街中の「監視カメラ」って犯罪を防げていないでしょ。容疑者の足取りをたどるのに事後的には使われているいうですが。
いじめでも体罰でも人目があれば違うだろうというのは自然な発想だとは思いますが、監視カメラというのは一種の監獄化ではないかな。
わたしは、そもそも学校の敷地が囲われていて場所としても閉鎖的であるというのが問題だと思っています。商店街の中に教室が点在する学校、ってことを以下のエントリーのコメント欄でいってみましたが、現実化は無理でしょうね。
http://ameblo.jp/kandanoumare/entry-11193856891.html
(このエントリーの13番目のコメントです)
実際には、気が散るとか変な人間が徘徊するとかの問題もあるから、人々の出入り自由の学校や教室というのは無理でしょうけど、学校が場所としても閉鎖的であり、教育界についても閉じられている、かつ外の社会が教育界について勝手な誤解をしている、ということがあるのではないか、と思います。
ただ開かれた「教育界」あるいは「学校」というのはそんなに簡単なことではない。
サヨッチ的な意味での「公権力の学校への介入」だけでなく、末端では地域ボスの介入なんてのもあるかもしれないし…。
「監視カメラ」は、いろいろな意味で「学校」が閉じられた空間だということを気づかせるためのネタ言論にはなるかと思いますが、実際上の対策ではないでしょう。
クラブスポーツへ以降したら、というのも、日本人が信じて疑わない「学校体育」への思い込みを相対化する意味はあるかと思いますが、これもネタ的リアリティなんだろうと思います。
今度のケースの場合、「死ぬぐらいなら、教師に職員室でペンキをぶっかけてから退学すればいいのにね」という感想を、花川戸の助六の精神的末裔であるわたしなどは持ちますが、諸般の事情で追い詰められること、外からはわからないですね。
年間3万に及ぶ自殺者のそれぞれに事情があって、全てを社会問題として解決も解説もできないかもしれないけど、社会問題として対策をとれる範囲は地道に改善していくしかない。
その一つが、体罰肯定の社会意識の変革であろうと思います。だいたい「気合が入ってない」なんて恣意的な判断基準を受け入れるような人間を育成するのって、近代産業国家で合理的な行動主体に育てるのマイナスではないかなあ。暴力教師は日本の行く末を危うくしますよ。
話は変わりますが、新自由主義的風潮って日本ではうわべだけみたいですね。「生徒は顧客で教師はサービス提供者なんだから、顧客を殴るって何様のつもりだ」って人がわいて出たって良さそうなんだけどなあ。
NAN氏へ
君は議論に際して必要なことを忘れています。それは相手に対する尊重の意思です。君が議論を苦手にしていると分かったのは私の障がいを侮辱した書き込みをした段階で分かっています。
なので警告しておきます。言葉を安易に使い、安易にのたまうことのないように。そのほかにも君は私や青い鳥氏、秋原さんへの謝罪を忘れていますな。言論者失格であることは明らかで、今すぐ謝罪することです。しなければしないほど君は言論を語る資格はないのです。
私にことごとく問題点を指摘されて向きになって反論すればするほど君のお粗末さはどんどんあらわになっています。今すぐインターネットから足を洗い、図書館なりブックオフで本を借りたり買ったりして読書にいそしみ、違った世界の人々の意見を聞くことこそが君にいま最も必要なことであるのは明らかです。
なお、このことに不満ならコメントをしないことですな。やれば君は私の指摘ばかりか君に対して問題点を指摘したすべての方々の指摘を無条件で認めたということを意味します。
小野哲氏へ
自分のblogで見解を述べるんじゃなかったのか?
ともかく、君に『相手に対する尊重の意思』について語られたくないね!
自分の主張を展開する為に、犯罪被害者家族の方の真摯な主張・活動を「暴走」と侮辱する君に…
(彼のblog内記事『事件の真相は警察によって捩じ曲げられた』を参照)
それと…君の米は記事内容と全く関係ない上に、何が問題点か全然伝わってこないし、中盤からの文章は君の決めゼリフ?
【追伸】
君は至る所のblogで誰かを挑発しては揉めて、blog主に謝罪や自らを侮辱した者の追放を要求し、相手の反論については自らのblog米欄を含めて遮断をしているようだね。
いい加減止めたほうがw
>NANさんへ…
全くの誤認です。 小野哲さんは、ご自身のブログ“日々格闘記 Tetsuono”において、死刑制度とそれに関する非民主的性質を科学的視座から、断罪されてみえるのですよ。 死刑判決に関する、事件の全体像、事実・証拠・事件の背景、特に発達障がいに対する偏見を正す意味等をつぶさに冷静にみつめ直す必要性を日々啓蒙されてみえるのであり、NANさんが記された…>犯罪被害者家族の方の真摯な主張・活動を「暴走」と侮辱…、は、全くの事実誤認です。
>私の障がいを侮辱した書き込みをした
>相手に対する尊重の意思です。
NANさん…、小野哲さんは、この事を指摘されてみえるのです。先日も、>dmpxさんが、わたしに対し、>阿保かコイツは…などと、相手に対する尊重の念の欠片もない暴言で、わたしを貶めましたが、それと同様に小野哲さんは、尊敬の念を持っていないと議論が成り立たないことを、NANさんに諭されてみえるものとわたしは、理解しています。
また、小野哲さんは、ネット・エチケットを守れとのお考えのもと、保守系ブログ等などとも幅広く、交流を深められてみえるんですよ。したがいまして、NANさんの指摘は、事実誤認に基づく、小野哲さんに対する、誹謗中傷のほか何ものでもないと、わたしは考えます。
秋原葉月さん、連投、お許しください。この件に関しましては、これを最後にしますので…。
>シジミさん、kuronekoさん
今回の体罰の事件を問題にしておきながら、自分の体罰は棚に上げるのはおかしいです。
そのような自分にだけは特権があると思い込んでいる事が、このような事件を引き起こすのだと思います。
まるで、橋下市長を攻撃する為にこの事件を弄んでいるようで、おぞましいものを感じてしまいますした。
同じ様に、ブログ内の知り合いだからといって、体罰ではないと擁護するkuronekoさんのような言動は、余計におぞましいものを感じてしまいます。
>mimosaさん
つまり彼のやってることは,誰か(今回,教育委員会)を悪者にして,それを叩くことだけであり,現場の意見を吸い上げてよりよい教育行政をできるように組織を変えて行こうというようなものではない。
>彼が現場の声を汲み上げようとしているのなら,教育予算や教育施設に使う予算を,あんなに削るはずありません。
橋下市長の本質をズバリ射抜いた貴女の論説を拝読し、溜飲が降りました。
以前、朝まで生テレビに橋下市長が、出演した時、医師の香山リカさんの、「あなたは、授産施設の予算を大幅に削りましたね。」という問いに、次の様に応えました…。『それはプライオリティ(優先順位)の問題です。少数の障がい者施設より、多数の高校に厚く予算配分するのが市長の役割でしょう。』という驚くべき、思想を披露しました。橋下市長は、mimosaさんの記された通りの“冷血漢”ですので、教育を語る資格はないと思いますし、体罰による自殺事件に責任を感じているのなら、市長の職を辞するべきと思います。
体罰は処罰の範疇
>シジミさんの行った行為は明らかに体罰です。
わたしはそうは思いません。体罰というのは処罰の範疇に属するものをいうのが原則だと思います。
「サザエさん」で教師がカツオ君に対し、バケツをもって廊下に立たせるシーンがありますが、あれは体罰でしょう。身体的な苦痛を与えることでサンクションとしている。
シジミさんの行為は、バットを振り回す行為をやめさせるためのもので、それが行き過ぎた暴力で他にやり方があっただろうという議論はできると思いますが、体罰とは言えないのではないか。もしシジミさんでなく通りがった他人が、暴れていた子どもを叩いてバットを取り上げたとしたら、それは体罰になるのか。
仮に少年野球の指導者と子供の関係性で体罰かどうかが決まるとしても、それは試合に負けたからとか全力疾走しなかったとか、友達とふざけていてコーチの話を聞いたいなかったと」かに対する処罰としての暴力を言うのであって、そういう理由がない場合は、普通の暴力です。そしてその結果で、例えば子供の鼓膜が破れたとかいえば、バットを取り上げるという目的があったとしても行き過ぎがあったと判断されるでしょう。
ナイフを持ってかかってきた相手をかわして、殴ってナイフを取り上げる行為であっても暴力には違いない。正当防衛が成立するとしても。
わたしはシジミさんの叩いた行為が正当かどうかを判断していません。処罰でないから体罰ではないだろうと言っている荷です。
わたしは、漫画でバケツを持って立たせることを体罰と認識もせずにほほえましく思うような感覚のほうがおぞましいと思いますが。
う~ん…
で、橋下氏を攻撃するために、この事件をシジミさんがもてあそんでるんですかね?
それから、kuronekoさんとシジミさんって、ブログ内の知り合いみたいな絡み合いをされたことって、ありましたっけ?
まあ、秋原さん、その他のコメント主含めて、この事件で鬼の首を取ったように橋下氏を攻撃するこのブログ(「afternoon cafe」)は「おぞましい」ってことが、とにかく言いたいんでしょうねって、感じてしまします。
ちなみに私は、kuronekoさんとは、kuronekoさんのブログに数回お邪魔させていただいた関係です。決めつけ言葉の少ない楽しいブログだと思います。
シジミさんは、こちらでコメントをよく目にするなって感じていた程度の間柄です。ちなみにシジミさんの経験は、超緊急時のとっさの判断で、できるだけ多くの人の安全を確保するためにしたことじゃないんですか?ってことですよね。
まあ、体罰に限らず、教育において、良くも悪くも従わざるを得ないような影響力を行使できる人とそうでない人といて、そのへんが難しいなあと思います。なぜか威厳があるとかオーラがあるとか母親みたいな動かす力があるとか、そんなことで動かせるような人っていますよね。でも、威厳があるとかは、極端になるとまた微妙なものが出てきますよね。ちょっと違うけど、どなり声の声色と表情とタイミングで震え上がらせて人を動かせる人とか、天海 祐希みたいな人とか(番組見てないからよく分からないけど…体罰はしたのかな?)…。まあ、件の監督は、そういう力は持っていなかったのかもしれませんね。で、教員たるものそういう力を持っていなければならないのかな? それは心の持ちようでそうなれるのかな? とかですね。でも、日本人は、そういう先生を求めますよね(←あえて一般化してみようと)。私たちを正しく連れてって、って。
青い鳥氏へ
君とは…障害者の方に対する『接し方の美学』にズレがあるようですね。
自分は…相手が自主的な判断で闘いを挑んできた場合は、その者に障害があろうとなかろうといかなる上でも対等に接することが正しいと信じる!
君は…上記の場合に相手に何等かの障害があれば、それを憐れみ保護者のように接することが正しいと信じているようだが、それには同意しない。
(ところで、彼の場合は誰にでも初めての接触の際には自分が障害者であることを宣言するのがマイルールのようだが、それってネットの礼儀?)
【小野哲氏の犯罪被害者家族への侮辱について】
事実誤認かどうかは、彼のblog記事を読まれた方々の判断にお任せます。
明らかに体罰です。
そうですか。
ではこのような場合は貴方はどうします?
『自分にだけは特権があると思い込んでいる事』
よくわかりませんが、私は街中でも同じことしますけど。
『ブログ内の知り合いだからといって』
kuronekoさんの事は知りません。というか
このブログでどなたとも絡んだことありません。
シジミさんの件は『緊急避難』かも
法律用語で『緊急避難』というのがあるらしく,それかもしれません。
wikiによると,法律用語としての『緊急避難』とは,(以下引用)---------------------------
急な危険・危難を避けるためにやむを得ず他者の権利を侵害したり危難を生じさせている物を破壊したりする行為であり、本来ならば法的責任を問われるところ、一定の条件の下にそれを免除されるものをいう。刑法、民法、国際法においてそれぞれ意味が異なる。(引用ココまで)〜続く------------------------------
警官がピストルを撃ってる犯人を,撃たれる前に撃っても「正当防衛」で罪になりませんが,同じような感じの印象。
本来は罪名がつく犯罪だが,特別な理由でそうせざるを得なかったと判断された時,犯罪として不問にされるみたいな。
暴力生徒から自分と(授業をききたい,他の)生徒を守ろうとして,「先生が暴力生徒に暴力で対応する」のも,確かにこれや正当防衛に当てはまるかもしれませんね!
先生は体罰が許されないからということで暴力厳禁,で,先生だけ凶暴な生徒にやられっぱなしで無抵抗なら,ひどいもんね。相手が中学生だと,警察になかに入ってもらって補導され,保護観察やらなんやらになっても,ほとんどの場合,犯罪(傷害罪)の前歴すらつかないらしいし。
中にはそれを知ってて,しかも教師の暴力もダメと知ってて,めちゃくちゃする子もいるらしいので…やっぱりそういうのがないとね。
>シジミさん
殴る必要は全く無く、緊急避難的な状態でもなかったと思われます。
シジミさんがわざわざ殴ったのは、自分の中で思い描くヒーロー的なシーンが、平手で1発殴るというシーンだったので、それを再現したかったからだと思います。
体罰ではないと言うのならば、只の暴力だと思われます。
街中でも同じ事をしたいのなら、日本には暴力団という危険な組織がありますので、そこの事務所に行って同じ事をしてきて下さい。
やっぱり怖いから出来ないというのなら、繁華街にはしつこいキャッチが沢山居るので、そこでやるのでも構わないです。
このブログのコメント欄に書き込んでいる事が、どなたかと絡んでいるという事だと思います。
どなたとも絡みたくないのなら、ご自分でブログを開設して、コメント欄を閉鎖して書き込むのが一番いい方法だと思います。
それにしても呆れるコメントが多いです。
秋原さんが、「やって良い体罰といけない体罰」などは無く、体罰は全面的にダメなのです。
とハッキリ言い切っているにも関わらず、この場合は緊急避難で体罰は許されるなどと言い出すのですから。
秋原さんに賛同するコメントを書き込んでいながら、同じコメント欄で体罰の容認を言い出すのですから。
これでは前言を撤回した橋下市長の方が、よっぽど立派なのではありませんか?
>Two Tribes さん
> 殴る必要は全く無く、緊急避難的な状態でもなかったと思われます。
その現場をご覧になったのですか?
> このブログのコメント欄に書き込んでいる事が、どなたかと絡んでいるという事だと思います。
これは無理矢理な言いがかりでしょう。たまたま同じ電車に乗った赤の人同士を知り合いだと言ってるようなものです
普通の暴力
>体罰ではないと言うのならば、只の暴力だと思われます。
だからただの暴力だって言っているじゃない。
>シジミさんがわざわざ殴ったのは、自分の中で思い描くヒーロー的なシーンが、平手で1発殴るというシーンだったので、それを再現したかったからだと思います。
こう書くからには、Two Tribes さんも 人を叩くことが「ヒーロー的シーン」だという観念があるんでしょうねえ。
でなければ、思いつくはずないように思えるけど。
>緊急避難で体罰は許されるなどと言い出す
のではなく、緊急避難的な暴力は体罰ではない、と言っているんじゃないかな。 mimosa さんは。
わたしは、小学校5年生が相手ならバットを奪い取ることができたのではないかとも思うけど、その時も何らかの暴力の行使になるかもしれないとも思います。
バットを握りしめていた指を一本一本外すとかね。それもかなりな身体的強制で暴力の一種と考えられる。子どもに与える心理的ダメージもビンタとどっちが強いのかわからない。
こうした行為は、暴力的(威力的)な対処ではあっても、罰則の意味はないから体罰とは言わない。ビンタとバットをもぎ取るのと、どっちの暴力を選ぶかということなんじゃないかと思う。
>Two Tribesさん
>この場合は緊急避難で体罰は許されるなどと言い出す
体罰が許されるとは言ってません。そういう意味ではない。
教師の体罰はどんな時もダメです。
体罰という「生徒に罰を与えることを目的に取る(暴力)行為」がダメ。
罰には苦痛を伴うということで,廊下に長時間立たせるとかも,暴力ではないけど体罰になります。
それで,私が「先生もそういうのは認めてもらえないと」と思った「緊急避難」や「正当防衛」」というのは…,
例を挙げるのは難しいけど,例えば,ある先生が凶暴な生徒(教師を殴っても自分が罪に問われないことがわかっていて,教師に危害を加える意図のある,暴力行為を行う生徒)と教室で対さないといけなくなった場合(→例えば警察を呼んでもらっていて,待ってる間にもそういうことは起こり得る),その乱暴な生徒が自分と他の生徒の方に「近づいてこれないように」という目的のために,(体罰ではなく)暴力的な行為を教師が取った時,それは体罰ではないだろうということです。具体例としては,教室内のバケツを投げるとか,ほうきを振り回すとか。
まあ,今回のように部活時にしょっちゅう生徒を殴ってるような先生が,そういう時に防御と言っても恐らく信用してもらえないと思いますが,そうでない場合は,認めてもらえてもいいのではないかと思います。
私は元教員で,在任中に体罰を生徒に与えたことはありません(職場で私に限ったことではなかったけど)。
でも,警察が鎮圧に入るような荒れた中学に勤めていた友人から,ひどい実情をきいたことはありますし,そこで働く先生が,指導のしようのない状態ゆえにどれほど辛い思いをされているかも,知りました(前のコメントで書いた例)。
ですから,教師の「暴力的な行い」を全部「体罰」として括ることには,疑問を持ったことがあるのです。
詳しい経験談はray先生のところで書いたので,こちらでは省略しますが,
ちょうど弁護士さんのブログで,1審2審と最高裁で見解の分かれた事件(裁判例)のことが書かれているものを見つけました。
http://h-m-d.blog.so-net.ne.jp/2013-01-09
--以下引用--村上英樹さん(神戸の弁護士さん)のブログより
裁判例を調べ上げたわけではありませんが、最高裁の判例があるので抜粋して紹介します。
《平成21年4月28日最高裁判決》(抜粋)
前記事実関係によれば,被上告人は,休み時間に,だだをこねる他の児童をなだめていたAの背中に覆いかぶさるようにしてその肩をもむなどしていたが,通り掛かった女子数人を他の男子と共に蹴るという悪ふざけをした上,これを注意して職員室に向かおうとしたAのでん部付近を2回にわたって蹴って逃げ出した。そこで,*→Aは,被上告人を追い掛けて捕まえ,その胸元を右手でつかんで壁に押し当て,大声で「もう,すんなよ。」と叱った(本件行為)というのである。そうすると,Aの本件行為は,児童の身体に対する有形力の行使ではあるが,他人を蹴るという被上告人の一連の悪ふざけについて,これからはそのような悪ふざけをしないように被上告人を指導するために行われたものであり,悪ふざけの罰として被上告人に肉体的苦痛を与えるために行われたものではないことが明らかである。Aは,自分自身も被上告人による悪ふざけの対象となったことに立腹して本件行為を行っており,本件行為にやや穏当を欠くところがなかったとはいえないとしても,本件行為は,その目的,態様,継続時間等から判断して,教員が児童に対して行うことが許される教育的指導の範囲を逸脱するものではなく,学校教育法11条ただし書にいう体罰に該当するものではないというべきである。したがって,Aのした本件行為に違法性は認められない。(抜粋終り)
下線を引いた行為が教師の行為です。→*
生徒の胸元を右手でつかんで壁に押し当てた、これは確かに「実力行使」です。
しかし、これは「実力行使」ではあるものの、肉体的苦痛を与えるために行われたものではないと最高裁判所は認め、体罰に当たらない、とされたものです。
ただし、この裁判でも最高裁以前、1審、2審はこれを「体罰」としていました。そうすると、このケースはどの程度の有形力の行使が「体罰」に該当するかの限界事例に近いといえます。
はっきり言って、この最高裁の事例などのような場合は、教師が、瞬時の判断の中で、おそらくは色々なジレンマの中で取った行動であり、実力行使の程度からしても、最高裁の判断が妥当なのだと思います。
ですが、もしハナから「体罰はアリ」という考え方の下で教師が行動するなら、話は全く違ってきます。この事例でも実力行使の程度が全く違ってきていたことでしょう。
学校現場の規律を守る必要はあり、教師がある程度強い指導力を発揮する必要もあるとは思いますが、教師は知性・理性で生徒を導く存在ですから、「体罰禁止」という縛りはあって当然です。
それでも、生徒が教師に危害を加える場合や、生徒が他の生徒に危害を加える場合に対する対応は、「正当防衛」や「緊急避難」として、法律的にも実力行使は許されます。
つまり、「体罰を容認するか」という問題は、
生徒を導く手段として、「わざと肉体的苦痛を与える」という手段を許容するかという問題です。
それは許容しないのが学校教育法の趣旨であり、私はこの法の趣旨は正しいと考えています。
------引用終わり------長くなり,失礼致しました。
その場の事を思い返してみたのですが・・・
バットで殴りつけてきたので片手は自分の頭をカバーしていました。
(自分の中で思い描くヒーロー的なシーンが、平手で1発殴るというシーンだったので、それを再現したかったからだと思います。)
想像力たくましいですね。
私はそのような年齢ではありませんし、バットで 大人に殴り掛かり、周りに低学年の子供もいた。振り回したバットが当たったり、投げて金属バットが当たったりするとけが人が出ると判断したから向かって行ったのですが、自分の頭を片手でカバーしながらですけど。
バットを持った手を、殴れば暴力ではないのですか?
持ってた指を一本一本はがすのは暴力ではないのですか?
押し倒し押さえつけるのは暴力ではないのですか?
冷静さを取り戻すために平手で一発殴りました。
貴方ならどうします?
静観しますか?けが人出ても仕方がないと考えますか?
(日本には暴力団という危険な組織がありますので、そこの事務所に行って同じ事をしてきて下さい。)
暴力団の事務所は知りませんので。
(繁華街にはしつこいキャッチが沢山居るので)
よく知りませんがキャッチというのは繁華街で暴力振るっているんですね。
私は街中で暴力を見て、これはまずいと思って自分で何とかなると思ったら止めに入りますよ。過去に電車のなかの暴力行為を止めに入ったこともあります。警察に通報します。
貴方は見てみないふりをする人種なんですね。
>シジミさん
つまり、振り回したバットが当たったり、投げて金属バットが当たったりするとけが人が出る状況を脱してから、シジミさんが冷静さを取り戻すためには平手で一発殴るのが適当と考えて、殴っている訳です。
これは体罰ではないのですか?
それとも、この状況なら、この程度ならと、体罰の定義の論争でも始めるつもりですか?
kuronekoさんは、体罰ではなく只の暴力だから構わないと擁護されているようですが、シジミさんも体罰ではなく只の暴力だから問題ないと考えているのでしょうか?
暴力団の事務所は知らないのなら、グーグルで検索すれば探し出す事は可能だと思います。それに週刊実話とかにも、よく暴力団の抗争の特集をしています。
それと、繁華街に迷惑なキャッチは沢山居ます。そのキャッチの方々に注意をしてあげて下さい。かなり暴力事件に近づく事が出来ると思います。最近は、ドラゴンとか関東連合とかが誌面を賑わせているみたいですから、充分気をつけて下さい。
私は街中で殺人事件を見て、これはまずいと思って自分で何とかなると思ったら止めに入りますよ。過去に電車のなかの殺人未遂行為を止めに入ったこともあります。警察に通報します。
実を言うと、凶悪な宇宙人が通行人をさらおうとしているのも止めた事があります。
信じるかどうかは解りませんが、シジミさんの仰っている事と同様、全く確証は得られない荒唐無稽なお話に聞こえてしまうかもしれません。
言い訳を繰り返すのなら、暫くは付き合って上げるつもりですが、もう一度言っておきます。
シジミさんの行為は体罰です。
自分には体罰を行う特権があると思っている事は間違いです。
>mimosaさん
長いです。人に読ませようとするのならば、冗長な文章や引用は止めて簡潔に纏めてください。
わたし、ああいえばこういうタイプなの
正確な論述をしていただきたいものです。
>kuronekoさんは、体罰ではなく只の暴力だから構わないと擁護されているようですが
「擁護されているようで」はありません。いいとか悪いではなく、体罰ではないだろうと言っているのです。
「警官が泥棒をふんじばるのだって暴力だからね」という言葉が「次郎物語」にあったと思いますが、当該の事例が必要で適切な暴力だったのかどうかが判断できる立場に自分は立っていないという前提です。その上で<「体罰」って「処罰」だということをなおざりにしているのではないか>と提起しているのです。
>私は街中で殺人事件を見て、これはまずいと思って自分で何とかなると思ったら止めに入りますよ。
そりゃだれだってそうするでしょ。ただ正確にいうと「殺人事件」というと、もう殺されているのだから「止めに入る」には遅すぎますね。
>全く確証は得られない荒唐無稽なお話に聞こえてしまうかもしれません。
わたしに関していえば、Two Tribes さんを別に疑う根拠もないから、そういう可能性もあるだろうと思いますが、宇宙人さんがその後、どうなったかを知りたいと思うから教えてください。
以下は [ 2013.01.14 ( Mon ) 22:39:15 ]のコメントに関して。
>これでは前言を撤回した橋下市長の方が、よっぽど立派なのではありませんか?
Two Tribes さんは、このコメントの前の方で、
>シジミさんがわざわざ殴ったのは、自分の中で思い描くヒーロー的なシーンが、平手で1発殴るというシーンだったので、それを再現したかったからだと思います。
と、勝手に他人の内面をこうだったろうと決めています。
橋下市長は、日の丸・君が代に反対する教員の内面を、「不起立教師たちは日本の国旗に反対することで、日本を外国の支配する国にしようと思っているのだ」などと、他人の内面を自分勝手に決めつけることはしていない。
Two Tribes さんより、橋下市長のほうがはるかに立派です。
体罰の定義
シジミさんのケースでは(シジミさんが野球チームに対してどんな立場かが見えてきませんが…)
選手を平手打ちにする際に、「安全の確保」と考えていれば『ヒーロー』
選手を平手打ちにする際に、「バットは人を撲る物ではないと教えよう」と考えていれば『体罰』
では…ないでしょうか?
処罰意識
自分の考える体罰の定義のエントリーを書こうと思っていますが、二・三日用がありますので遅れます。(って、よそのブログで挨拶しないでも……)
「ヒーロー」はともかく、教導意識というか、暴れた行為に対して処罰をすることで、指導しようという心理というのは考えられますね。野球チームのコーチとか教師とかの関係性ばかりでなく、通りがかりのおとなであっても、「子どもは社会でしつけるもの。叱るのは大人の責任」と思って、よその子を叱って、その手段とし頬をはたくということは想像できます。「親や教員の立場にある者が、その管理責任下にあると考えられる子や生徒を相手に」という要件を欠いていても、広い意味では「体罰」にあたるでしょう。
柿の実を盗みに来る子どもを捕まえて、木に縛り付けるというのも、「体罰」にあたるはず。明治期なら「体罰」と呼ばれたのではないかな。
法律用語のような意味の確定ではなくても、体罰とはそもそも何だ、と問うことは無意味ではないと思えます。「うわべのスローガンで体罰禁止」と言っているだけでは済まない、というのは考えどころです。橋下市長は、そんな意味で発言しているのではないかもしれないけど。
>kuronekoさん
下記にあった次郎物語の引用の台詞を読む限り、そのようなのですが。
シジミさんも、自分の非を認めて反省しているようなので、もう言及しないつもりでしたが、kuronekoさんはシジミさんが子供に対して暴力を振るったのだ、そしてその暴力行為には何の問題も無いと言うつもりなのでしょうか。
だとしたら根本的に間違っていると思われます。
暴力で物事を解決するのは、道徳的に法的にも間違っていると思われます。
私は、物事を暴力で解決する事を容認するkuronekoが、どうして秋原さんのブログの記事に賛同しているのか不思議です。
そう思っているのなら、まずは私ではなく、憲法9条や前文の趣旨に賛同している秋原さんに反論を書くべきでしょう。
それと体罰ではなく暴力を振るったのだという事が、「体罰」って「処罰」だということをなおざりにしているのではないか、という事にどう繋がっているのかがよく解りません。
処罰を加えるのは傲慢だが、無秩序な暴力は許せますという意味なのでしょうか。
また、宇宙人の話を信じているのならば、もっと物事を深く考えるようにするべきです。
そのような他人の話をよく考えもせずに信じてしまう方が、このような社会問題について語るべきではないとも思われます。
まずは自分が気に入る意見だけではなく、幅広い意見を聞くような習慣を身に付けてから、発言した方がいいと思います。
また私に、勝手に他人の内面をこうだったろうと決めています、と仰っていますが、私は思いますと書いている筈です。そのような私の内面の考えまで批判し、尚且つ捏造までして決め付けるのは如何なものでしょうか。
橋下市長の意見には全く賛同出来ない部分は多いですが、私より立派な部分はある方だと思います。そして、他人の内面を自分勝手に決めつけることはしていないという部分で、kuronekoさんより、橋下市長のほうがはるかに立派な方だとも思います。
シジミさんへの返事を期待しているんだけど
>そしてその暴力行為には何の問題も無いと言うつもりなのでしょうか。
何の問題もないなんて思いませんよ。シジミさんが認識しないだけで、後遺症があったかもしれないし、そばには父親がいたらしいから、その父親が、叩く行為が有効だと「学習」しちゃったのかもしれないし、緊急避難的な行為だとしても不都合は考えられます。
わたしは、処罰としての意識がない行為で、シジミさんとその子の関係性の中で叩いたのは、「体罰」とは言えないだろうと言っているのです。
宇宙人の話を信じたわたしは物事画を深く考えてないとして、「凶悪な宇宙人が通行人をさらおうとしているのも止めた事があります。」とお書きになっているTwo Tribesさんは、時々、嘘を言うことがあるということですか。
発言に嘘を交えることもいとわない方は、あまり社会問題で討論するのはいかがなものかと思います。
「シジミさんがわざわざ殴ったのは、自分の中で思い描くヒーロー的なシーンが、平手で1発殴るというシーンだったので、それを再現したかったからだと思います。 」
とお書きになっているのは、心の中で思ったわけですね。「シジミさんがわざわざ殴ったのは、自分の中で思い描くヒーロー的なシーンが、平手で1発殴るというシーンだったので、それを再現したかったからだ」と。そういう判断をしたということですね。心の中で。それを「……だと思います」という形で表現したわけでしょ。「勝手に他人の内面をこうだったろうと決めています」というのは、心の中でそう判断した、ということです。
「シジミさんがわざわざ殴ったのは、自分の中で思い描くヒーロー的なシーンが、平手で1発殴るというシーンだったので、それを再現したかったからだと思います。」というのは、「シジミさんがわざわざ殴ったのは、自分の中で思い描くヒーロー的なシーンが、平手で1発殴るというシーンだったので、それを再現したかったからではないだろうかと思います。」とは違います。思いますという文章で示された「思った」内容は、「シジミさんがわざわざ殴ったのは、自分の中で思い描くヒーロー的なシーンが、平手で1発殴るというシーンだったので、それを再現したかったからだ」という判断を示した文章です。推測をしたのでなく、シジミさんは斯く斯くなのだと判断したのでしょ。だから「勝手に他人の内面をこうだったろうと決めています」と表現したのです。「思います」という文言があるからといって、「決めていない」あるいは「断定していないで推測している」のではなく、思った内容は、「シジミさんがわざわざ殴ったのは、自分の中で思い描くヒーロー的なシーンが、平手で1発殴るというシーンだったので、それを再現したかったからだ」という断定の助動詞で指定された平叙文でしょ?
もちろん橋下市長のほうが、わたしより立派な部分は多いでしょう。橋下氏は奮励努力の人だというし。
橋下氏に差別用語を好むネットウヨクさんが善導よいのだけど。
ところで、シジミさんのコメント、
>2013.01.14 ( Mon ) 09:51:39 | シジミ | URL | Edit
Two Tribes さん
そうですか。
ではこのような場合は貴方はどうします?
また、2013.01.15 ( Tue ) 11:26:14 のコメント中の
>貴方ならどうします?
静観しますか?けが人出ても仕方がないと考えますか?
という質問には答えないで、自分はいろいろ質問なさるんですか。
(明日は4000字ぐらいの文章を書かなければならないので、自分のブログも覗きませんので、皆さまよろしく)
> まさに被害者に対するセカンドレイプですよね。
> 強者に媚びて正当化する心理って弱者叩き(生活保護叩き)にもメンタル的には繋がってるんでしょうね 。
はげどう。
この件で犠牲者非難・加害者擁護をした保護者が目の前にいたら「よしじゃあお宅のお子さんを(自己の良心と羞恥心に従い自主的に検閲削除)てこいや」とか言ってしまいそうです。そのぐらい腹が立ちました。同時に「この人たちはなくなった生徒の自殺を”迷惑だ”とでも考えてんじゃないのか」と恐ろしくもなりました。
> 義家氏派遣て・・・糸冬了
案の定、この事件を「暴力」として「体罰」とは切り離し、体罰そのものは温存したい考えがダダ漏れです。
http://bit.ly/11zplDh
せやから体罰そのものが違法やっちゅーねん!
> Two Tribesさん
mimosaさんも長文になったことを謝っておられるんですから、そこに更に「長い」と文句を言うのはいささか礼を失してはいませんか。しかもその内容に反論した上でならともかく、「長い」というだけで「返答に値しない」ともとれる受け答えはいかがなものかと。
そもそもそれを言うならエントリ本文のほうがずっと長いですし、引用も多いですよ。
あ、秋原さんをdisってるわけではありませんよ(笑)あと自分もしばしば長文を投稿してしまうことがありますので、長いというだけでバッサリやられると切ないなぁと思いましたので。
もう書き込むのは止めようとは思ったのですが
チームの主催者で監督ではありませんが、練習には参加します。
殴ったのはバットを離さないからで別に当時50歳近いしヒーローなんて意識は勿論ありませんよ。
けが人が出たら困るから、それだけです。
もしけが人が出ていたら、チームは最悪解散でしょうね。
信頼して私達に子供を預けているのですから、責任は取らなければならないでしょう。
父親とその子は謝罪に来ました。
本人にはバットを振り回したら危ないと話しました。後は父親が話していたでしょうから。
結局はこの子は退部しました。
父親は自分でも抑えられない知らない息子の怖い部分をみて、チームに迷惑をかけるからと話していました。
まあ他の父母から非難があったようです。
20年程活動していますが私が殴ったのはこの回だけです。
市内に20チーム程ありますが、胸ぐらをつかんだで問題になった事ありますので、指導者が殴った話は最近は聞いたことありません。
問題児はすぐやめさせる傾向にあります。
それはそれで問題があるような気はしますけど。
今回書き込んだのは、単に思い出したから。
反省なんかは考えていませんね。
教員免許は持ってますが教員になったことはありません。
私の小学校時代は悪いことをすればげんこつが飛んできた。
中学校では暴力教師もいた。
でも高校では部活でも体罰なんかなかったですね。
今回殴るのと、精神的に追い詰めたのでしょう。
驚きでした。
長くて申し訳ありませんでした
実は自分でも自覚してまして。秋原さんのような文が書けるようになりたい!と,常々思ってます。
でも書いてるうちにどんどん書きたいことが出て来るタイプで笑。で,読み直しもしてるんですが…なかなか…
観測霊さんも…フォローありがとうございました。恐れいります。
他所でですが,Sha Wujingさんも…Sha Wujingさんのご提案の通り。私も思いつつあったのですが,TTさんへの再返信を作るのに時間がかかるうち…
言われるように労力の無駄を感じながらも笑,せっかく作りかけてたので,これで最後ということで↓↓↓
TTさんへ。
(私の文は長い。)でもね,Two Tribesさん,あなたはあなたで悪い。相手と50:50で対そうとしない人だから。
>人に(返信を)読ませようとするのならば、〜
→…。あなたは,自分への返信すら,相手から「読まされる」と感じるんだ!?へーえ…
投稿欄に顔を出すなら,自分への返信というわけではない投稿でも,能動的に「読む」のが普通では?
長い具体例,裁判例は,私はあまり気になりません。
例がある方が理解しやすいからです。
特に今回のように,司法でも意見の分かれるデリケートな問題は,丁寧に事実と解釈を読まないと本質がわからない。だから引用しました。
あなたに理解しようとする気があるなら,単に裁判例の前・後に「分けて読めば」短くて済んだ話。
でも自分への返信さえ「読まされ」ると思う感覚では…短くても無理。結局,人のコメ読む気ないだけでしょ。
もし,理解への意欲や,能力(読解力,理解力,思考力,受容力,忍耐力など)があっても,読まないならそこまで。能力がなくて読めないのと同じです。
小野さんご指摘の通り,あなたはそうやって「人の意見にはもとから耳を傾ける気がない」から,私やkuronekoさんに,同じポイントを何度言われても,ゼンゼン,全く,ちっとも,頭に入らないんですよ。
あなたはそこまでってことでしょう。(以下が,ポイント部分の引用。一応。)
>緊急避難的な暴力は体罰ではない、と言っているんじゃないかな mimosaさんは
>(kuronekoさんはシジミさんを)「擁護している」はない。いいとか悪いではなく、体罰ではないだろうと言っている
>「暴力的な行い」を全部「体罰」として括ることには疑問を持ったことがある〜
ご自分が主張するだけで,人の意見を知ろうともしないのであれば,人のブログに書き込む必要は,ありません。
あなたは,ご自分のブログで意見を書くだけにすればよろしいかと思いますよ〜…。
←ココは,右京さんふうに読む。語尾を上げて読むと,感じが出ます笑。
それにしても,そんなあなたがkuronekoさんに
>幅広い意見を聞くような習慣を身に付けてから、発言した方がいいと思います。
→このように書いておられるのには,もう…ぶっとんでしまいました。ホント笑わせて頂きました。ギャグ??
観測霊さんの「お前が(以下略)」の見本だなあと笑。
>kuronekoさん、その他方々
何回も言っていますが、「体罰」とは言えない、只の暴力だって言っているようにしか読めません。
この記事の中だけで、体罰じゃないと回避さえできれば満足なのでしょうか。
それと、ネットの中の武勇伝なんて、宇宙人の目撃情報と一緒だという事を伝えたかったのですが、伝わらなかったようです。
それでは、嘘だって言ったのは嘘だと言っておきます。
これで、kuronekoさんにとっては、嘘ではなかったという事になると思います。
また、色々書かれていますが、kuronekoさん自身が、心の中で、と書いています。
風が吹いて桶屋が~的な事が書かれていますが、申し訳ありませんがどう繋がってそうなるのか理解できませんでした。
断定の助動詞で指定された平叙文では、という指摘も、それが正しいのかどうか、kuronekoさんの学力が解らないので判断する事が出来ません。
とりあえず、kuronekoさん自身が、心の中で、と書いているのですから、確かに心の中で思った事で良いと思います。
また、けが人が出る状況を脱してから、シジミさんが体罰(暴力?)を振るっていますと言っている筈です。
ブログを覗きませんといっている人に返信するのも空しいのですが、一応、誤解の無いように返信しておきます。
文筆業の方だったとは驚きです。
>観測霊さん
言い方がきつくなってしまったのは、mimosaさんにも謝罪したいと思います。
只、記事は話し合いのテーマとして長くなるのはある程度しょうがないと思いますが、素人の長文は読む気がしないです。
素人の文章など、何のチェックも通っていないチラシの裏の落書きと一緒なのですから、相手が必ず読んでくれると思うのは間違いだと思います。
もっと、相手が読んでくれる文章を心掛けるべきだと思います。
必ず長文を全文読んでくれる誌上討論を望むのなら、出版物を出す、論文が受賞する、などして読ませるだけの説得力を持つべきだと思います。
>シジミさん
ですから、けが人が出る状況を脱してから、シジミさんが体罰を振るっているように思えると言っている筈です。
それに、この子も結局は退部してしまったようで、体罰にもなっていないと思います。
結局、げんこつぐらいは構わないと言いたいのでしょうか。
>mimosaさん
Sha Wujingさん、とか、小野さん、とか、右京さん、とか誰の事だか解りません。
私に対しての返信なら、内輪ネタは止めて下さい。
それと、裁判例と、素人の文章を一緒にするのは、自分の文章に対して自信過剰すぎると思います。
お返事をいただきありがとうございます。
あらかじめ申し上げておきますが、このコメントはかなりの「長文」です。その点、最初にお詫びして、以下続けさせていただきます。
まずmimosaさんへ謝罪なさるのでしたら、わたし宛ではなく、きちんとmimosaさんに宛てて謝罪されたほうがいいと思いますよ。
それから「素人の長文」とおっしゃいますが、その「素人」か否かというのはどこで判断されているのですか?お互いに来歴も年齢も知らないもの同士、「素人か否か」を判断するにはその人が書かれた文章を読む以外にないですよね。あなたはmimosaさんの文章を呼んだ上で「素人」と判断されたという事でよろしいのでしょうか?そして読んだ上でその内容から「素人」だと判断されたから内容に反論をなさらず「長文」であることだけを指摘されたのでしょうか?
わたしにはその判断と対応が不思議で仕方がないのです。「素人」だと判断されたのなら、「あなたの文章はこれこれこういう理由でおかしいです」と反論すればいい(長文で読む気がしないと切り捨てるより、よほど有意義でそして誠実です)のに、と思いますし、そこまでせずとも少なくとも「あなたの文章から素人と判断した。わたしは素人と判断した人の長文には返信しない」と、きちんとおっしゃるべきでした。
あなたは2013.01.15 ( Tue ) 23:23:08で、mimosaさんのコメントに対して「長いです。人に読ませようとするのならば、冗長な文章や引用は止めて簡潔に纏めてください」としか仰っていません。「素人」云々は、わたしへのお返事で初めて述べられていますよね。これではあなたの真意はmimosaさんに伝わるはずもありません。内容を無視して単純に文章の長さだけで門前払いされた、と受け取られても仕方がない対応です(事実わたしはそのようにしかあなたのコメントを解釈できませんでした)。
面倒でもご自分の信念や真意は、きちんと言葉で伝えたほうがいいです。それがより誠実でかつ合理的だと思いますよ。
わたしがしばしば長文を書くのはそういう理由です。誤解や曲解を避け、自分の真意をなるべくロスなく相手にわかってほしいから、冗長かもしれなくても言葉を重ねるのです。mimosaさんもたぶん同じだと推察しています。それは理解していただきたいと思います。
そして大事な事ですが、もちろんあなたの判断とmimosaさんが本当に「素人」であるかどうかはまったく別の問題です。平たく言えばmimosaさんが本当に素人かどうかなど、あなたがmimosaさんの個人情報を知ってでもいない限り解るはずもないことです。
> 相手が必ず読んでくれると思うのは間違いだと思います。
原理的にはそのとおりです。ですがちゃんと読まないのなら、反論する最低限の資格もないということも、また考慮してください。相手の話をまともに聞きもせずに反論を行うような行為は、たとえ相手が素人で自分が玄人であっても、議論を行ううえで最低限の礼儀と誠実さを共に欠いています。
それではたとえ相手が素人で自分がなんらかの受賞暦や著作を持っていても、それこそ議論において「説得力」を持ちません。要するに相手からも周囲からも「この人は議論をする意志か能力か、あるいはその両方が欠けているんだな」と判断されても文句は言えません。だって議論に参加する上で最低限の事すらしていないのですから。
「相手の文章を読む気がしない」のは相手の文章力の問題かもしれませんが、それ以上に読む側の誠意(と読解力)の問題なのです。
「相手が読みたくなる文章を心がける」というのは仰るとおり大事な事です。ですがこういった場所で議論に参加するのなら、「相手が読みたくなる文章を書かないのが悪い」とお客様気分でいるのも考えものです(あなたがそうだと言っている訳ではありません。念のため)。そういう人は相手からも同じ対応をとられても仕方がありません。もっと言えばブログの管理人さんが「この人の文章、こっちに読みたいと思わせてくれないなぁ」とコメントが承認されない事もまた甘受せねばなりません(笑)
「相手の文章が悪いから読む気がしない」と相手に求めるばかりではなく、ご自分からも積極的に議論を建設的に進めるように心がければ、たとえ合意に至れなくても、議論に参加した人たちの内面に何らかの資するところが生まれるものと思います。そうでなければ、それこそ「素人」が額をつき合わせて言葉を交わすことの「説得力」が生まれないでしょう。
以上、長文大変失礼いたしました。
> 秋原さん
議論の本質ではないところでの長文、大変失礼しました。今年最初の反省です(^_^;)申し訳ありませんでした。
ひとかたついて
Two Tribes さま
シジミさんの行為が明らかに体罰である。とTwo Tribes さんが判断する理由はなんですか。
議論のまとめ
(引用例1)
>私は殴り掛かってきたバットを片手で受けて平手で1発殴り
落ち着けと大声で叱咤しました。
(市長ですから謝罪する側です。 2013.01.10 シジミのコメント)
>シジミさん
結局、げんこつぐらいは構わないと言いたいのでしょうか。
(>kuronekoさん、その他方々 2013.01.17 Two Tribes さんのコメント)
(引用例1 ここまで)
平手がいつのまにかげんこつになっている。
(引用例2)
>体罰ではないと言うのならば、只の暴力だと思われます。
だからただの暴力だって言っているじゃない。
(普通の暴力 2013.01.14 kuroneko のコメント)
>kuronekoさん
何回も言っていますが、「体罰」とは言えない、只の暴力だって言っているようにしか読めません。
この記事の中だけで、体罰じゃないと回避さえできれば満足なのでしょうか。
(>kuronekoさん、その他方々 2013.01.17 Two Tribes さんのコメント)
(引用例2 ここまで)
ただの暴力だと言っているよ、という相手に 「只の暴力だって言っているようにしか読めません」って繰り返すのもねえ。
平手で相手を叩く行為が、いくら相手を落ち着かせる目的だとしても、「暴力」範疇の行為だろうとわたしは判断するのです。
これが発作を起こして倒れて意識があるかどうかわからない相手の頬を叩いて、意識があるのか確かめる行為だったら、叩く程度が同じでも「暴力」とはわたしは呼ばないけど。
ただ、バットを振り回す行為に対して、それを処罰する意図がないのだったら、「体罰」ではないと思います。
Two Tribesさんは、「ですから、けが人が出る状況を脱してから、シジミさんが体罰を振るっているように思えると言っている筈です。」といって、シジミさんの行為の必要性を否定している。
さらに 「シジミさんがわざわざ殴ったのは、自分の中で思い描くヒーロー的なシーンが、平手で1発殴るというシーンだったので、それを再現したかったからだと思います」とその教育的意図も否定しています。
必要性もなく、教育的意図もない行為が「ただの暴力」ではなく「体罰」だというのなら、 Two Tribes さんの意見は、これまでの橋下市長の見解のような、体罰は一概に否定されるべきではない、という意見とは相いれないですね。外形的な行為で体罰はすべて禁止という意見なのだろうと思います。
だって、体罰を加えた教師がが「生徒のためを思ってのことだ」といくら言ったって、じつはヒーロー気取りをしたかったためかもしれないし、外からは判断できないでしょうから。
事情や意図を斟酌せず、外形的な力を生徒・子どもにに加える行為は、全て「体罰」認定して非難するのが当然だという主張になるはずです。と私は思います。(これをつけておくと後から反論するときに便利らしい)
今は意見を変えたのかもしれないけど、以前の橋下市長がTwo Tribes さんの議論を聞いたら、「体罰といえば全て否定すればいいと思っている硬直的な発想」と思ったのではないかなあ。