伊勢崎賢治さんの著書「自衛隊の国際貢献は憲法9条で」を読みながら、鳩山改憲案の「国際貢献」を見てみる
「9条があると日本が求められる国際貢献ができない」
鳩山さんを含め、改憲したい人から散々聞かされるフレーズです。
で、国際貢献という美名でカモフラージュしてますが、実は国際貢献というよりアメリカ貢献だったりします。
では実際にその「国際貢献」の最先端にいる人の声はどうなのでしょう。
現場の体験から得たものは、現場を知らず安全な日本にいて机上の空論を闘わすより遙かに説得力があります。
そこで非常に参考になるのが伊勢崎賢治さん著『自衛隊の国際貢献は憲法9条で』です。
伊勢崎さんは国際NGOの一員として2000年3月から東ティモールで県知事を務め、2001年6月より国連シエラレオネ派遣団の武装解除部長として、武装勢力の武装解除を行いました。2003年2月からは日本政府特別顧問としてアフガニスタンで武装解除を担当しました。
伊勢崎さんは政治家達がアフガンの現状を驚くほど知らなさすぎる、これでテロ特措法などよく作ったものだと言っていました。「まず現場の現実を知るべきだ」との伊勢崎さんの意見には私も賛成です。
武力紛争を終わらせるには紛争当事者が停戦合意するだけではダメで、武装勢力相手に戦闘員、武装組織から武器を取り上げ(武装解除)、戦闘員が再動員される可能性を無くすためその指揮命令系統を解体し(動員解除)、再び戦闘員にならなくてもいいように手に職をつけてあげること(社会復帰)が不可欠です。これをDDR(武装解除、動員解除、社会復帰)と言うんだそうです。
アフガニスタンでは国連ではなく日本が主体となって武装解除を行いました。
アフガニスタンの歴戦の軍閥から武器を取り上げるのは侍から刀を取り上げるようなもの、至難の業です。
何故伊勢崎さんはそれが出来たか。
以前このブログでも取り上げたことがありますが、もういちど引用します。
(武装解除や国防省改革など)これができたのは日本だからである。アメリカの他の同盟国では絶対出来なかった。イギリスもできなかっただろう。
これは僕だけの意見じゃない。当時の僕のカウンターパートであり、アメリカの中将で、後にアフガンの掃討作戦の最高司令官になった人物も、「日本にしかできなかったことだ」という。
アフガニスタンの軍閥は、我々が行くと例外なく言う。「日本人だから信用しよう」と。
アフガニスタン人にとって日本のイメージは、世界屈指の経済的な超大国で、戦争はやらない唯一の国というものだ。もちろん、アフガニスタン人の軍閥が憲法9条のことなんて知るはずもない。しかし、憲法9条のつくりだした戦後日本の体臭というものがある。9条のもとで暮らしてきたわれわれ日本人に好戦性がないことは、戦国の世をずっと生き抜いてきた彼らは敏感に感じ取る。そういう匂いが日本人にはあるのだ。これは、日本が国際紛争に関与し、外交的にそれを解決する上で、他国には持ち得ない財産だといえる。そういう日本の特性のおかげで、僕らは、他国には絶対できなかった事をアフガニスタンでできたのだ。(引用ここまで)
『日本はアメリカに対する最大の貢献(軍閥の武装解除)を、それも軍事的な貢献(武装解除は軍事です)を自衛隊を使わずにやった。』それが出来たのは憲法9条のつくりだした戦後日本の体臭があったから信頼された。だから『僕はアフガニスタンの経験から日本は憲法9条を堅持することが大事だと思った。』という伊勢崎さんの結論にはとても説得力があります。
そして、「自衛隊を派遣しないと国際貢献ではない」という議論は対テロ戦を非常に表面的にしか見ておらず、自衛隊海外派遣の既成事実を作る目的でしかないことがよくわかります。
(東ティモールでは国連平和維持軍が撤退してるときに自衛隊を派遣しました。これは全然役にたたない派遣なので、自衛隊をだしたという既成事実作りなんでしょう)
そして伊勢崎さんは、こうも指摘します。
日本人に限らず、武装解除プロセスにかかわった現場の関係者は、日本がこの仕事をできた理由をよく次の言葉で説明する。
「美しい誤解」
アフガニスタンの人々には、日本人にたいする美しい誤解があった。
(略)
日本は交戦国アメリカの同盟国である。海上自衛隊をインド洋に出動させ、アメリカの手助けをしている。ところがアフガニスタンでは、その事実は知られていない。アフガニスタン人はだれも自衛隊のインド洋上活動について知らなかった。カルザイ大統領も2003年9月の時点まで、つまりテロ特措法が施行されてから二年間、こちらが言うまで、このことを知らなかった。
(略)
もしこの「美しい誤解」がなくなれば、アメリカがこの日本の特性を利用することもできなくなる。
美しい誤解がなくなってしまうのがよいのか、それともこの誤解を誤解でなくし、更に強化することが求められるのか。(引用ここまで)
(ところでちょっと余談ですが、今マスコミでは「インド洋給油をやめるのならその代わりにどんなことをするのか」という言い方が当たり前のようになされています。
ですが給油はやめることが正しいのですから、今鳩山さんが言っている職業訓練をして社会復帰させるという貢献が「給油の代わりに行う新たな貢献である」という言い方はおかしいのではないでしょうか。マスコミのこの言い方はアメリカの都合の視点でしか見てない言い方だと、私は感じるのです。
なんで「代わり」?
まるでアメリカ様に対し、「米が足りなくて年貢が納められません。代わりにこれで勘弁して下さい」とお詫びしてるかのようですね。)
日本が国際貢献したいのなら、進むべき道は「誤解を誤解でなくし、更に強化すること」つまり、9条を堅持することです。
9条を持つ日本。
これは無数の石ころの中にあるたった一粒のダイヤモンドのようなもので、非常に希有で貴重な存在です。
9条を持つ日本でしかできない役割は平和と繁栄をもたらす国際貢献には絶対に欠くことが出来ません。これが無ければ平和的解決が成功しない国際紛争はたくさんあると言っていいと思います。
何故この貴重なたった一粒のダイヤモンドを投げ捨ててわざわざその他大勢の石ころと同じになろうとするのでしょうか。それは国際社会にとっても大きな損失ではないでしょうか。
コスタリカは中米紛争が激化した一九八三年、「永久非武装・積極的中立」を宣言しました。 当時のモンヘ大統領は「積極的中立とは、人権を守り紛争を解決するため、調停や仲介などの行動をすることだ。私たちは軍を持ってないからこそ、それがやれた」と言いました。
仲介によって和平をもたらすのは、非武装中立の国でなければつとまりません。非武装中立のコスタリカが仲介に入らなければ血を流さずに和平をもたらすことは出来ませんでした。
コスタリカだからこそ出来たことはそのまま9条がある日本でしかできないことに直結します。日本は非武装中立の匂いがあったからこそ、アフガニスタンの武装解除に成功したのです。
またコスタリカのアリアス元大統領は日本に対し次のように言っています。
「軍服で外国に行けば、意図の良しあしにかかわらず、現地では必ず嫌われる。日本は平和な貢献ができるではないか。カンボジアの農民に農業を教え、アジアに教育を広め、医者が医療を助け、さまざまな開発を援助する。そのような平和なやり方の方がよほど現地の人々からは喜ばれる」
「9条があっては求められる国際貢献が出来ない」は間違いであり、「9条がなければ国際貢献は出来ない」のだと私も確信します。
では、いわゆる「国際貢献における自衛隊の平和利用」についてはどのように考えればいいでしょうか。
これについて伊勢崎さんはこう述べています。
そもそも何を基準にして、自衛隊を派遣すべきか否かを決めるのだろうか。
日本の場合、政府や与党(注:自公政権)は、「show the flag」とアメリカに言われたのだからと、とにかく自衛隊を出さなければならないちう議論だけが先行している。
(略)
一方、護憲派は、とにかく何でもダメだという議論ばかりだ。人の命を救う場合も反対するのが自衛隊問題だというのでは、世の中で通用しない。
僕は自衛隊派遣を考える上で大事なことは、紛争のためにギリギリの外交的措置としての武力行使に“官軍”が出向かなければならない軍事的ニーズが現場にあるかどうかだと思う。
(略)
何だったら現地のニーズ、紛争を止めたいというニーズに応えられるのか。
僕はいろんなオプションがあると思う。
(略)
前章で述べた国連平和維持軍司令部への派遣もそうだ。(略)国連平和維持軍そのものは戦争行為を目的として派遣されてるわけではない。その司令部も、どこかの武装勢力を制圧するための作戦をたてるのでなく、あくまで治安維持が目的である。
さらにすでに紹介したことだが、国連の軍事監視団という重要な仕事がある。武装解除の場合だと、敵対武装勢力間の信頼熟成や武器回収の統制を行う。
これは軍人がやるのだけれども、非武装で行う活動だ。(略)武器を持たないのだから、武力の行使をするかどうかという、憲法9条にかかわる微妙な問題とは無縁である。
自衛隊がこういう分野に参加することは、むしろ護憲行為なのではないだろうか。それとも護憲勢力は、自衛隊が非武装で参加し、人を殺す武器を取り上げることも、憲法違反だとして排除するのだろうか。(引用ここまで)
現実問題として世界の紛争地帯では中立の武力が必要な場合もあるのは認めざるを得ません。
例えば、ルワンダでは国連が武力も含む介入をすべきだったのに内政干渉だと介入をやめたため、100日で100万人という凄惨な大虐殺が起きてしまいました。(余談ですが、映画「ルワンダの涙(原題:shooting dogs)はお勧めの映画です。」)
それでも一切の武力を否定する現憲法下においては、たとえ伊勢崎さんのいう「中立な武力」もやはり認めるべきではない、または、自衛隊そのものが違憲だから自衛隊を使うことはその存在を肯定することになり抵抗がある、という意見にも一理あり、自衛隊の平和利用にはなお論議の余地があると思います。
ここはじっくり悩まなくてはいけないところだと思います。日米安保体制の下では「中立な武力」として機能する以外に、アメリカにご奉仕するのに使われはしまいかという危険はどうしたってつきまといますし。
伊勢佐木産の提案する自衛隊のこうした使い方について私自身も意見が固まっているわけではありません。
しかしどちらにしろ9条を変えてはならないという点では明確に一致しています。
こうしてみると鳩山改憲案の
『憲法の条文と政治的現実があまりに乖離していることは、日本の政治から健全なリアリズムを奪い、日本の「政治の言葉」について侮りをかい、外国の信頼を失うもととなる』
のくだりは「国際貢献の現場の現実」から遊離して如何に虚しく見えることか・・
岡田外相はアフガンに自衛隊派遣はありえないと言っているし鳩山さんはアフガニスタンへの復興支援に関し「タリバン兵士の社会復帰のための職業訓練を行い、平和にする道もある」と述べています。DDRのうちのRを担当したいということでしょうか。
詳細はまだわからないけれど、今のところ特に反対する方針ではないと感じています(但しRの部分は戦犯をどうするかに直結する相当な難題で、人権意識の低い日本につとまるだろうか、と伊勢崎さんは危惧しており、これは傾聴すべきと思います)
もし小沢さんや鳩山さんが自衛隊の国際貢献、平和利用について伊勢崎さんと似たようなことを考えているのなら、9条は改正する必要がない、というよりむしろ改正してはいけないのです。
鳩山さんには是非ともこの本を読んでもらって憲法改正について考え直していただきたい。少なくとも極右の安倍さんと同じ新憲法制定議員同盟からは絶対に抜けて欲しいと切に思います。
この議員同盟の考え方は、真に必要とされる自衛隊の平和利用とは相いれないものなのですから。
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